彼のいない日、何もできないわけじゃないけれど

北岡は、ぼんやりとつきっぱなしになっているテレビの画面をみつめていた
仕事からかえってきて、このソファに座り
そして、テレビをつけて、それっきり
かれこれもう3時間はこうしている
スーツの上着を脱ぎっぱなしにして、そこらに投げ捨て
敏腕弁護士とは思えない程に、だらしなくソファに身を投げ出している
面白くもない番組
それをぼんやりと目に映しながら、北岡は浅く息を吐いた
つまらない、
ひとりきり、つまらない
「・・・・・・・・腹減ったな」
わざと声に出してみて、北岡はようやくノロノロと立ち上がった
いつもなら、甘えたような声で言うだけなのに
ゴローちゃん、ごはんまだ?

キッチンは、主人を失いシン・・・としていた
自分で電気をつけて、テーブルの上を見た
ラップしてある皿がいくつかと、メモが置いてある
「あ、オムレツだ」
ピラ、とラップを取り、用意してあったスプーンで一口すくって口に入れた
でかけに何が食べたいかと聞かれ、オムレツと答えたっけ
でもそれは、いつも食べるものより数段おいしくなかった
「・・・・・・・・・」
一口だけでスプーンを起き、不満気に北岡はメモを取り上げた
彼の少しとがったような、へたくそな字が書かれてある
「レンジであたためて、食べてください」
ラップはかけたままで、
時間は2分
それから、取り出す時に火傷をしないように気をつけて
「・・・・・心配症だなぁ、ゴローちゃんは」
過保護というべきなんだろうか
こんなことまで、と
思いながら北岡は、一度はずしてしまったラップを面倒そうに戻して、皿をレンジに突っ込んだ
「2分ね」
ピ、とボタンを押して、溜め息をつく
そうか、
いつも彼がつくってくれるものは温かくて、
一番おいしい状態で出してくれていたのだ
だから、あんなにもおいしかったのか
オレンジにぼんやり光るレンジを見ながら たったの2分が待てない北岡は
綺麗に並べられている棚から適当に見繕ってワインのボトルを出してきた
これまた適当にグラスを出して、それをもって先程のソファへと戻る
栓を抜いて、中身をグラスにあけた
赤い液体が、満たされていく
また、テレビの画面に目をやって、その液体を咽に流し込んだ
うん、悪くない
わるくないけれど、何か物足りない
これ、なかなかいけるね、とか
ああ、期待通りだったよ、とか
言う相手もいないし、何より自分でついで飲むのは本当につまらない
「あーあ」
大袈裟に溜め息をついた
彼が戻るまで、あとどれくらいだろう?
明日の今頃には戻っているだろうか?
それとも、明後日?

いつのまにか北岡はソファで眠りに落ちていた
一度、電話が鳴ったけれど それにも目を覚まさなかった

朝、けたたましい音でサイドテープルの上に不自然に置かれた目覚まし時計が鳴った
「・・・・・・・・・・・・・ウルサイーーーーーーーーー」
寝返りをうとうとして、それであやうくソファから落ちかけた
「・・・・・・・」
ぼんやりした頭で、ここがリビングのソファだと思い出す
そして、テーブルでけたたましく鳴っている目覚ましに目を向けた
何なんだ
こんなもの見たことがないけれど、
「・・・・・・・ゴローちやんうるさいよっ」
あれ、止めてよ と
言ってはたと苦笑した
ああ、彼は今いないんだっけ
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
時計を見れば朝の7時
彼がいつも起こしに来るのも だいたいはこの時間だった
これは彼がセットしていったものなのだろうか?
そういえば、寝室でも同じような音が響いている
「・・・・用意のいいこと」
苦笑して、立ち上がって目覚ましを止めた
その足で、寝室のも止めた
彼は、自分があのままだらしなくリビングで寝てしまうかも、と
あそこにまで目覚ましを用意して出ていったのだろうか
だとしたら、何て見抜かれているんだろう、と
そして、なんてまんまと彼の予想通りの行動をしているのだろう、と
北岡は、おかしくて、それから悔しくて苦笑いした
「まったく、かなわないね」

それから、ぐちゃぐちゃになったスーツをぬぎすて、シャワーを浴びて仕事に出た
一度外に出てしまえば、敏腕弁護士としての北岡が嫌でも出てくるから
いっそ、その方が楽だった

夕方、早目に仕事が終わった北岡は、帰ってきた途端 電話のランプが赤く点滅しているのを見付けた
留守電が、録音されているらしい
「・・・・・」
期待を胸にボタンを押した
「由良です
 例の書類が明日で全部揃いますので、手に入り次第戻ります
 ・・・おそくにすみませんでした、おやすみなさい」
彼の声だった
時間を確認すると 昨日の夜だ
(気づかなかったや)
気付けば電話で話せたのに、と
ちょっとだけ悔いて、それからまた再生のボタンを押した
また彼の声が流れる
落ち着いたいい声だ、と
デスクについて、電話を側までひっぱってきた
低い、短いメッセージ
控えめで、言葉少なくて、
だけど「おやすみなさい」のところなんか いつも言ってくれているみたいな優しい声
「今日の朝もかけてくれたら良かったのに」
あんな目覚ましなんかじゃなく 彼の声で起きたかった
もっとも、夜の電話に気付かなかった自分が、朝の電話で起きたとも思えないが
「ゴローちゃん、早く帰ってこないかな」
また再生を押した
何度も同じメッセージが流れる
何度も彼の声が流れる
今日戻る、と言っている
何時になったら帰ってくるんだろう
今、どこまで来ているんだろう
机につっぷして、再生を繰り返しながら北岡はうとうとと
彼の声に安心して、眠りに落ちていく

突然、ふわっと身体が浮いた
それから、どこかへ運ばれて、ちょっと息苦しかったのが楽になった
「・・・・・・・・」
目をあけたら、彼がいた
「あ、すみません、起こしてしまいましたね・・・」
「ゴローちゃん」
「はい」
「いつ帰ったの?」
「今ですよ」
にこり、
彼が笑ったから それでようやく目が覚めた
「・・・・・遅かったね」
「すみません、ちょっと手続きが多くて」
彼は言うと、デスクを見遣って苦笑した
「先生の言った通りの結果でしたよ
 裏取った書類は全部揃ってますから」
勝ちは決まりましたね、と
彼の言葉に苦笑した
仕事はいつも完璧なんだけどね、と

それから、彼にゆるめてもらったネクタイをはずして(寝苦しかったのはネクタイのせいらしい)もちろん上着も脱いで彼に渡して、
それから 昨日脱ぎっぱなしにしてぐちゃぐちゃのまま放っておいたスーツのお小言を少しだけくらった
「そーゆうのはゴローちゃんの仕事でしょ」
ダラリ、とソファにもたれて言ってみる
「あ、先生メシ食ってないですね?
 今日の朝と昼は?」
「あー、食べてない」
そーいえば、昨日のオムレツはレンジに入ったままだった
「それで、酒だけ飲んで寝たんですか?
 ・・・・・・・まったく・・・」
呆れたように彼はキッチンへ行くと、片付けやら何やらをしだした
いつもみたいに
「やっぱゴローちゃんがいないとダメだね」
10分後、ほかほかのリゾットが出てくる
「これでも食っててください
 ちゃんと作りますから」
「うん」
これも、充分ちゃんとしてるけど、と
スプーンですくって食べた
ああ、おいしい
そう、ゴローちゃんが出してくれるものはこういう味なんだ
あったかくて、今 俺が食べるためだけに作られたものの味
彼の手から渡されないとおいしくない
彼が、全部やってくれないと物足りない
「おいしいよ、ゴローちゃん」
「ありがとうございます」
にこり、
わざわざ出てきて彼は笑った
「もうこんな、ややこしい仕事は当分ごめんだね
 生活が荒むよ」
「そうですね・・・」
「次は俺も一緒に行こっと」
「・・・先生はそんなことしてる暇ないでしょう?
 何のための秘書なんですか」
「だって、寂しかったんだもん」
もぉごめんだね、と
北岡は悪戯っぽく笑った
彼が照れたのがわかる
そのままキッチンへ引っ込んだ彼の後ろ姿に北岡はつぶやく
本当だよ、
何もやる気がなくなってしまうくらい、物足りなくて
何度も録音された声を聞いてしまう程に恋しいんだよ
君のことが
「まいったなぁ・・・」
まさかここまでとは思わなかった
いつの間にか、こんなにも
「ま、仕方ないか」
笑って北岡は、彼の入れてくれた冷えたワインを咽に流した
ああ、おいしい
こんなに幸せな気分になれるんだから、それくらい構わない、と
ひとりごちて北岡は笑う


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