ZERO-41 新しい世界 (蒼太の過去話)


「私は鳥になるの
 私は鳥になるの
 背中には羽があるのよ、ねぇ、ゼロ
 私 あなたのところに飛んでいくわ」

風の強い夜だった
高い塔の一室から 白い小鳥がヒラヒラと落ちて
鳥はそのまま暗い木々の間に吸い込まれていった
月のない夜
小鳥は最後に詩を歌った

「ねぇ、ゼロ 私を許してね」

その知らせが届いたのは、蒼太が仕事を終えて組織に戻ったときだった
今度の仕事はマフィアが相手で物騒だった
銃も何度か使い、蒼太の最も嫌う麻薬も常に側にあった
1ヶ月の潜入期間中、死にそうな目にあったのが4回
ほとんど眠ることができなかったから もうクタクタだった
蒼太には、とっととサロンへ行ってしまった鳥羽ほどの元気はなく、このまま部屋へ戻って眠ろうと思っていたところ
「ゼロに手紙が届いてるぞ」
「手紙ですか?」
このご時世に? メールではなく手紙?
組織の人間への連絡手段のため 確かに架空のアドレスは存在している
そこに届いた手紙が組織へ転送されてくる仕組み
こんな時代にも、手紙なんてレトロなものを送る習慣はまだ残っているんだなと 蒼太は封筒を受け取った
中に何か立体なものがはいってるのが いびつにでこぼこした封筒の形でわかる
(誰から・・・?)
差出人の名前を見て、ああ、と
蒼太はわずかだけ鼓動を早めた
綺麗なサインは、寒い国に住む伯爵の名だった
彼は元 組織の人間だ
今は引退して、富を持て余し毎日優雅に暮らしているという
彼の屋敷には、教育期間中に一度、鳥羽に連れて行ってもらったことがある
冬には外界から閉ざされるほど吹雪くあの国の、短い夏は本当に美しかった
大きな屋敷、広い敷地
彼は博識で穏やかで、蒼太に優しくしてくれたから 彼なら信頼できると思った
そして、だからこそ 蒼太は彼に一つの頼みごとをした

「預かって、育てていただきたい子供がいるんです
 プリンセスは7歳
 純粋で優しくて賢い人に、あなたなら育ててくださると信じています」

そう話した時、伯爵は驚いたようにしばらく無言だった
こんなことを電話で頼むことも、
突然に こんなことを言うのも、
心苦しかったけど、あの時の蒼太には時間がなかった
クーデターはあと何日かで始まろうとしていたし、自分にはまだやらなければならない仕事が残っていた
女王が逃げるための船の手配
海路の確保
逃れた後の生活の援助
そして、プリンセスの生きていく場所を作ること
「私に、そのプリンセスを育てろと?」
「はい、あなたならと信頼してお願いしています」
「君の仕事はクーデターを起こして国のトップを挿げ替えることだろう?
 女王やプリンセスの面倒までみる必要はない」
「わかってます
 これは僕がやりたくてしていることです
 仕事じゃありません、だからどうか」
どうか助けてください
幼く優しいプリンセス
何の罪もない、開花しはじめた純粋な少女
守りたいんです
死んでほしくないんです
生きていてほしい
どこか、争いとは無関係な場所で幸せになってほしい
誰かと幸せになるために、賢く優しい人になってほしい
「祐二に聞いていたが、君はまだそんな風に不器用に生きているんだね」
「お願いします、どうか」
どうか、どうか、どうか
あのプリンセスに居場所を
近い未来、自分のせいで国も母も何もかもを失ってしまうあの少女に
せめて新しい世界を

「ゼロへ
 最初の君への報告がこんな形になろうとは 私自身 想像もしなかった」

部屋で開いた手紙の書き出しは こうだった
ドクン、心臓がなる
あの電話で、ココを引き取ると約束してくれた伯爵の元に 蒼太はココを送り届けた
クーデターから4日目の朝
異国の地に足を踏み入れたココは ずっと不安そうに蒼太の手を握っていた
伯爵と会わせて、彼があなたの保護者になってくれますからと説明をして
泣き出したココをなだめること2晩
ようやく言い聞かせた時 ココは蒼太の指輪を欲しがった
離れているときに寂しくないよう
いつでも蒼太を思い出せるよう
それを頂戴と言ったココの目は 泣きすぎて腫れていて
可哀想に、と
伯爵は何度も苦笑して蒼太に言った
「約束しよう、君の望み通り プリンセスを育てよう
 彼女には愛と教養を
 君には定期的な報告を
 それでいいか?」
「はい、ありがとうございます」
このお礼は、どんなことでも致しますと
頭を下げた蒼太に、彼はやれやれと笑っていた
「私も祐二と同じで君を結構気に入ってる
 まぁ、君みたいなのは組織には珍しいし、そんな顔をされると放っておけない」
たまにプリンセスに顔を見せにきてあげなさいと
その言葉は蒼太の何よりの救いになった
可愛いプリンセス
外国へ逃がした後、一人では生きていけないとわかっていた
保護者と、環境、教育
それが必要で、
蒼太が安心してココをまかせられるのは この伯爵のところしかなかった
なのに、なのに

「ココは毎日泣いてくらした
 美しい花も、音楽も、絵本も、優しい召使達も、可愛い動物もみな 彼女の傷を癒すことはできなかったようだ」

手紙を持つ手が震えそうだった
焦る気持ちで先を読む
ココ、彼女の顔で思い出すのは 別れ際に泣いていたものばかり
寂しい、と
怖い、と
蒼太にしがみついていた、あの子供の温かい体
小さな手

「昨夜、ココは塔の窓から飛び降りた
 そして命を失った」

ゾク、と
それ以上 先へは読めなくなってしまって 蒼太は宙を睨みつけるように動きを止めた
窓から飛び降りて死んだ、小さなプリンセス
多分、蒼太が初めて必死に守りたいと思ったもの
仕事の後の痛みを、わずかだけ 彼女が生きているということで和らげていたのに
救われていたのに

「プリンセス・・・」

声は震えた
ああ、どんなに恐ろしかっただろう
高いところが怖くて、風が吹くだけで震えていたのに
塔に登って窓へ近寄って
そこから飛び降りるなんて、なんて、なんて、なんて

「ココ様・・・・・っ」

力が抜けるようだった
部屋の真ん中に膝をつく
手紙の文字がグラグラしている
思考がうまくできなくなる

プリンセス・ココ
あなたを大切に思うからこそ、あの国から連れ出したんです
あなたが国を離れたくないと泣いても、
一人は嫌だと泣いても
それでも生きて欲しかったのは、あなたに幸せになってほしかったからなんです

力なく下ろした手の中の封筒から、何かが落ちて床に転がった
視線で追いかける
あれは指輪だ
ココが欲しいと言ったから、外して手渡したあの指輪
当然ココには大きすぎるから、チェーンに通して首にかけてやった
まるでお守りみたいに握り締めたココの姿、今も鮮明に思い出す
泣いても、悲しんでも、辛くても、
いつか傷は癒えて、いつか悲しみを忘れて
伯爵に愛され育てられ、大人になってほしかった

死なせるために、逃がしたんじゃないのに

「ココ様、僕は間違っていましたか・・・」
手にとった指輪はとても重く感じた
こんなもので寂しさを紛らわせることができる程 ココはまだ大人ではなかったか
多少無理をしてでも、2〜3ヶ月は側にいてやるべきだったか
命だけ助けても意味はないんだと、いつか鳥羽が言っていた
それであなたは本当にいいんですね、と
伯爵も言っていた
愚かだったのか、自分が
間違っていたのか、望んだことが
生きていて欲しいと願ったことが、いけなかったのだろうか
ココの幸せと未来を、ブチ壊したくせに何を言っているのかと
神が、世界が、許さなかったのか

「ココ様・・・」

力が抜けて、立ち上がれなかった
指輪を手の中で転がす
内側に小さく文字が彫られているのが見えた
いびつに、わずかに、アルファベッドが並んでいる
ZERO・COCO
まるでエンゲージリングのようだと思った
思った途端、涙が溢れた

自分にまだ、泣く機能が残っていたなんて

ココは可愛い生徒だった
彼女の側にずっといられたなら、民に愛されるいい女王にしてやることができたと思う
全てこの手で壊しておきながら
クーデターのために、自ら女王に近づき落としておきながら
「許してくださいなんて、言えないですね」
床に落ちている伯爵からの手紙に視線をやる
ココの死を告げた後には、ココが大事に握っていた指輪と
それからゼロへあてた手紙があったから同封すると書いてあった
「手紙・・・?」
封筒をもう一度取った
中にまだ紙が入っている
ゼロへ
見覚えのある字
彼女の教育係として色々なことを教えた日々が思い出された
鳥羽の言うとおり、感情移入などせず
無駄なことはせず
仕事のことだけ考えて、必要なことだけやっていれば こんなことにはならなかったのに

「大好きなゼロ、約束を守れない私を許して
 私は一人ではいられなくて、私は毎晩泣いているの
 ねぇ、ゼロ、わたし
 あんまりゼロのことばかり考えるから背中に羽が生えたのよ
 今夜あなたに会いにいくから
 窓をあけてまっていて」

ココはよく綴りを間違えていた
そのたびによく言い聞かせて教えたっけ
羽の綴り、窓の綴り
どちらもよく書けている
けして頭のいい子ではなかったけれど、その分努力家だった
一生懸命 蒼太の話を聞いてくれた

「ココ様・・・っ」

今日ほど、自分が死ねばいいのにと思ったことはない
なぜココが死んで自分が生きているのだろうか
ココに罪はない
白くて綺麗なものを、守りたかったのに結局殺すことしかできなかった
何かを守るなんてこと、所詮自分にはできないのかもしれない
初めて守りたいと、強く強く思ったものだったのに

それから、蒼太は無意識にフラフラと部屋を出て歩いていった
どこへ向かうでもなく、彷徨うように歩く
そして、1つの部屋の前で鳥羽と会った

「何してる?」
「・・・・・」
「そんな顔して、どうした」
「・・・・・」
いつになく鳥羽が優しいのは、よっぽど自分がひどい顔をしているからか
それとも単に、今日は鳥羽の機嫌がいいだけか
「ゼロ」
名を呼ばれて、力が抜けた
何をしてるんだろう、自分は
どこへ行きたかったんだろう、フラフラと
歩いても、あの国には行けないのに
嘆いても、時間は元に戻らないのに

「人の手を煩わせるなよ」
どさ、と
蒼太の身体がベッドの上に投げ出された
突然 廊下にへたりこんで立てなくなったのを 溜め息をつきながら鳥羽がここまで運んでくれた
まるでモノみたいに放り投げる
鳥羽はうめき声を上げた蒼太を見下ろし、1つ溜め息をついた
冷たい声が降ってくる

「そんな顔を見てると、もっとドン底に突き落としてやりたくなるな」

ベッドに押し付けられる身体
窒息しそうになる、息もできない体勢
後ろでひねり上げられた手がギシギシいう
ちぎれそうな痛み
呼吸できない苦痛
それらが、蒼太の身体を濡らしていく

この人に何度抱かれただろう
この人にどれだけの痛みを与えられただろう
この人に触れてほしくて
この人の手に感じて、喘いで、求めて、震えて
まるで盲目になったみたいに、いつしか世界の全てになった
そして狂ったように、溺れ続けた

あなたに触れてほしい
あなたに抱かれたい
あなたを感じたい
あなたのことを、何より想ってきたんです

痛みに濡れた身体を、鳥羽はいつものように抱いた
喘ぐ声が部屋に響く
どうしようもなく、抑えることも耐えることもできず、ただただ行為に堕ちていった
身体が熱い
貫かれて、震えながら雫をたらす
もっと欲しいと泣きながら言った
もっと、もっとと
声を上げて泣くのは、これが最後です
あなたを求めるのも、あなたに抱かれるのも、
これが最後だからどうか、
どうか こんな僕を許してください

「ひっ・・・い、う・・・・っ」
ずく、と
自分の身体なのに言うことを聞かないで震えるのに、蒼太はまた感じて声を上げた
涙が止まらない
ずっとずっと、泣きっぱなしなのだろうか
こんなんだから、鳥羽が呆れたような顔をするんだとわかってるのに
「あ、あ、あ・・・・」
与えられる熱と痛みに、背が反る
腕が痛い、咽も痛い
全身が疼く
鳥羽が触るだけで、どこもかしこも感じていく
「あ、あ、・・・・っく、ぅあああっ」
また奥を熱いものが支配した
いつもいつも祈るような気持ちでいた
このまま殺してください
このまま死にたい
このまま 鳥羽の手に抱かれて、息が止まればいいのに
心臓がつぶれて、くだけてしまえばいいのに
「ゼロ、もっと喘いでみせろよ」
「ひ・・・っん」
鳥羽の指が口の中をかき回す
舌を撫でられて、だ液が顎を伝っていった
震える
もう何も見えない
世界が終る
これで、必死に生きて来たこの世界が終る

最後だから許してくれるんですか?
最後だから、こんなにも優しいんですか?
あなたは何でも知っていて、はじめからそう決まっていたかのように僕の全てを支配した
僕は与えられて喜びに震え
捨てられることに怯え泣いた
鳥羽さん、あなたは僕の世界でした
そして、その世界は今 静かに終ろうとしています

目を覚ましたとき、部屋には誰もいなかった
ゆっくりと起き上がって辺りを見回す
部屋の中央には、読みかけの手紙
それからチェーンのついた指輪が転がっている
フラフラとそれまで歩いて、また座り込んだ
立ち上がれない
身体は鈍く痛み、行為の後のけだるさがまだ残っている
手に指輪を握りこんで、蒼太は床をじっと見つめた
白いドレスのココ、その姿を思い出した
初めて見たとき小鳥みたいだと思った
白は汚れない色
屈託なく笑ってくれたあのプリンセスにぴったりの色だった
自分は彼女の存在に、どれだけどれだけ救われていたか

それをこの手で殺した
もう命は戻らない

気持ちは、随分と落ち着いていた
鳥羽がこの身を抱いたからだとわかっている
涙もいつのまにか止まった
見遣ると、窓の外の空が白み始め
それでようやく立ち上がって、蒼太は窓を大きく開けた
「私は鳥になって飛んでいくから」
まるで詩のような手紙
「窓をあけてまっていて」
恋人に書くみたいな言葉
「大好きなゼロのそばにいたい」
せつな過ぎて、また涙が出そうだった
どれだけ心を閉ざしても、
どれだけ我慢しても、無視しても、
結局自分は ただの人間なのだ
人に魅かれ、人に憧れ、人に依存している、ただの出来の悪いどうしようもない

「僕は僕の世界に生きているか・・・?」

自問自答した
それは、想いのままに生きるということだ
あの遺跡で会った彼は、まっすぐに強い眼をして笑っていた
オレはオレの世界に生きている
だからこそ、光に恥じずに立っていられるのか
失ったものは取り戻せると
探しているものは、いつか見つかると
欲しいもので、手に入らないものなどないのだと
生きることで、償うことができるのだと

「それは本当ですか・・・、僕も償うことができますか・・・?」

失った命は戻らない
奪った未来を、返すことはできない
ではどうすれば?
どうやれば、彼のいうようにできるのか
彼は知っているのか、その方法を
それは、こんな自分にもできることか
今からでも、遅くはないのか

窓からは風が吹いてきていた
涙で濡れた頬が冷たくて、少しだけ体温が下がるようだった
失ったものが多すぎる
奪ってきたものも、数え切れない
殺した人は何人?
裏切った人は? 泣かした人は?
全部全部を、忘れない

「僕は僕の世界で生きていきたい」

ズキン、心が痛んだ
それは、誰よりも何よりも好きな人との決別を意味しているとわかってる
あの人の世界と、自分の世界は繋がっていない
無理矢理にしがみついて、今まで生きてきた
離れれば、急速に見えなくなってしまうだろう
二度と捕まえることなんてできない
鳥羽は、去る者には何の未練も示さない
「鳥羽さん・・・っ」
震えた
本当に好きだった
抱かれた余韻が身体の中で疼く
こんな風にあの人を感じることはもうない
自分から離れれば、それで終りだ
その終りを覚悟した
鳥羽もきっと、察したのだと想う
「鳥羽さん・・・」
敬愛が、何か名前の付けがたいものに変わっていくのを 蒼太はどうにもできなかった
あの人なしでは生きていけないと思って
ただもう必死だった毎日
認められたくて、役に立ちたくて
見て欲しくて、呼んで欲しくて、側に置いてほしくて
努力し続けた、もうずっと
嫉妬して、泣いて、すがって、
見苦しいものに成り下がってもなお、心は求めて求め続けた
どうしようもない自分
これほどに依存していると知られたら、もう側には置いてもらえないほどに
この想いは醜く歪んでいる
「それくらい あなたは僕の世界でした」
支配者だった
捕らわれていた
苦しみを与えられて、痛みを教えられて、快楽を刻まれて、切なさを知った
あの人がいなければ、今の自分はいない
彼は神で、それ以上で、世界だ
蒼太は今まで鳥羽という世界に立っていた
そして、その世界を終らせる覚悟を、決めた

「ねぇ、プリンセス、僕は償うために生きていけるでしょうか・・・?」

取り戻せないものはない
手に入らないものはない
生きていれば償える
世界にまっすぐ立って、誰にも恥じず、光に顔を向けて
ああいう強い、強い眼で 自分を偽らない限り

「鳥羽さん・・・、僕は愚かでした」
涙は枯れてはいなかった
枯れたフリをしていただけ
枯れたんだと言い聞かせていただけ
どこまでも甘いまま、ここまで来てしまった
そして唐突に気付いてしまったのだ
守りたいと思ったものを失って、ようやく

心が痛む
世界を失っては、生きていけないと思っていた
呼吸ができない
鳥羽がいなければ、何の意味もないと思っていた
泣きたくて仕方がない
世界は、自分の中にあると信じたい
手の中の指輪を握りしめる
そして、失ってしまった大切なものを取り戻したいと強く願う

あなたの側にいたら、僕はずっと、立ち止まり続けたままでしょう

ゼロの名を持つ者
NOは否定
STOPは止まれ
未来を閉ざし ただ深くにだけ沈んでいく者の名
自分に相応しい名だと思っていた
ではゼロが歩き出したとき、世界はどうなるのか
同じよう進むのか
それとも途切れてなくなってしまうのか
知りたいと思った
「僕の世界の先を知りたい」
新しい世界を知りたい
そこで自分は、誰かを幸せにすることができるのだろうか

その日の朝早く、蒼太は組織から姿を消した


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