ZERO-40 光 (蒼太の過去話)


その遺跡には見覚えがあった
もう何ヶ月前だったか、まだ自分が2度目の麻薬に堕ちる前
毎日のように荒い映像で見ていたもの
あの時は、その遺跡を修復するためにマリオネットを操作して仕事をしていた
たくさんの作業員たちは毎日毎日、泥だらけになって働き
爆弾を処理したり、大量の罠を撤去したり、痛んだ壁を修復したり、水はけの悪い地面に細工を施したり
「そうか・・・この国だったっけ・・・」
この遺跡には縁があるな、と
蒼太は眼下に広がる茶色く埃っぽい景色を見下ろした
蒼太は今、散歩の最中だった
近くの町で一仕事終らせてきたところ
今回の仕事は巨万の富みを生む貴重な動物の秘密売買に絡むもの
違法な実験でかけあわされて作られたこの世のものではない生き物の遺伝子情報のやりとり
龍や麒麟、翼を持つ蛇に象ほどの大きさのある虎
最初見たとき、映画の世界に来たようだと思った
オークションに出てきた最後の商品は恐竜のような形をしていて、集まった人々は大喜びしていたっけ
こういう世界を見たのは初めてで、
あの異形達を生み出すのに、どれだけの実験を繰り返し、どれほどの時間と人員と費用をかけてきたのか計り知れない
それを、一気に奪ってきた
富はターゲットから依頼主へ、たった5時間ほど前に移動したばかり
蒼太がコピーしたデータを依頼主へと届け、鳥羽が元データを破壊した
それで無事 終了
報告書も さっきホテルで作って組織へと送っておいた

交通の便の悪いこの国の移動手段は自転車か船で
そんな場所に鳥羽がセスナを乗り入れたから 町は少し前までは大騒ぎだった
銃声がまだ頭の中でガンガンしてる気がする
こちら側の負傷者は蒼太一人
あちら側は、鳥羽の爆弾で何人かがふっとんだ
死んだかどうかは確認していない
「いてて・・・、麻酔切れたかな」
蒼太は自分の顔に手を当てた
商品の中にいた豹のような獣に飛び掛られた蒼太は その顔面を鋭い爪でひっかけられた
おかげで仕事の最中 蒼太はずっと顔半分血だらけだった
さっき手当てを受けて、何針縫ったのか
幸い 爪は目にかかっておらず、命に別状はない
今は顔に包帯がぐるぐる巻かれて ちょっとした包帯人間になった気分だ
「オレは用事がある
 お前は先に帰っててもいいぞ」
仕事終了後、鳥羽はそう言ってどこかへ行ってしまった
(先帰れっていったって・・・)
この国から出る交通手段は船だけ
その船も、今の季節 海流の関係だかで皆無になっている
「鳥羽さんのセスナに乗せてもらわなきゃ帰れないんですけど」
そう言ったら 彼は笑って じゃあ2.3日待てと言った
あの様子じゃ、好みの女を見つけたか
それとも、恋人がこんな辺境の地にもいるかのどちらかだ
(2.3日、退屈だな・・・)
町には多少の娯楽もあって、2.3日なら時間もつぶせるだろうけど
蒼太はそんなものでは心の乾きを癒すことはできなかった
平穏は、怖い
何かに必死になっていないと不安定に揺れる
わかっている、自分のこと
弱い人間だということ、中途半端なまま ここにいるのだということ
わかってるから、持て余す
こういう空いた時間を
何もすることがない時間を、どうしていいのかわからなくなる

「散歩でもするか」

たとえば全く無意味だけど、ただひたすらこの道を北へ北へと歩いていって、鳥羽から連絡があるまで寝ずに食べずに歩き続けたら いつかは何も考えられなくなるかもしれない
歩くことだけに集中して、
頭の中で 何か難しい計算でも繰り返しながら前だけ見つめていたら
嫌でも時間は過ぎていくだろう
そういう風に過ごそうか
ホテルで悶々と、考えたくもない思考に沈むよりはよほどマシな時間をすごせるかもしれない

「なんて遺跡だったっけ・・・名前、ついてたかな」
町から4時間、歩いて辿り着いたところに、この遺跡があった
自分の目で見ると、マリオネットを通して見ていたよりずっと大きくて冷たい印象を持つ
あの仕事の時は見取り図を嫌というほど見ていた
大量の写真、それから画像
何日も何日も見ていたから、中の構造は把握してる
中に踏み込んでも、迷うことはないだろう
(どうせ暇だし見学していこうかな)
入り口から中へと入ると、ひやりと冷たい空気が肌に触れた
不思議だ
あの時は、自分はコンピューターを前にして 遠く離れた組織にいた
この温度を肌で感じることがなかったから、ここに吹く風は逆に何か新鮮だった
見なれた景色も、自分の目でみるとまた違ったように見える
「トラップの跡、修復の跡、完璧だなぁ」
指揮を取った鳥羽と蒼太はプロだし、ここで作業した人間も こういう作業に慣れた者ばかりを集めた
黒のパスポートはいい加減な仕事はしない
だから当然なのだけれど、この遺跡はとても美しく自然のままの遺跡の姿を取り戻していた
一度 人の手であらゆる罠を仕掛けられたものへと変わったのに、その形跡は一切見当たらない
「西の隠し扉、回転窓、それから・・・」
奥へ入ると、気温はどんどん下がっていった
こんな風だったんだと、今さら思う
あの時の自分はボロボロで、
眠れず、集中力もなく
今思えば 毎日のように麻薬の入った水やワインを摂取して 身体は限界を超えていた
仕事のことだけ考えていようと、
鳥羽の足手纏いにならないように、と
必死に前だけ見ていた
堕ちて行く自分に気付きもしないで
(ここには元々の仕掛けがあったんだったっけ)
色の違うタイルの敷かれた床を見下ろした
ハラバラに壊されていたこの仕掛けを組み直したのは作業員の1人だったっけ
遺跡にとても詳しくて、
彼はどんな困難な作業もやってのけた
遺跡に関しては、蒼太や鳥羽よりもずっと上だったあの男
たしか名前は趙といったか
(・・・作動条件は重量
 足を乗せたら 床が落ちて奥の扉が開かなくなる)
趙が、実際にやってみせたのをマリオネットの目に仕掛けたカメラで見ていた
鳥羽が感心していたっけ
知識として知っていても、それを実際に復元するには相当の腕がいる
彼はまさに遺跡のプロだな、と

この仕掛けの下には恐ろしい酸の湖があった
落ちたら死ぬだろう
一歩進めば、古代の仕掛けに命を奪われる

別に、ここで死にたいとか
一歩踏み出してみようとか
そういうことを考えていたわけじゃなかった
ただ、色んなことを思い出していて
意識していたのに、つい、記憶を封じていた鍵が歪んでしまって
ありとあらゆる出会ってきた人たちの悲鳴とか、呪いとか
そういうものに、心を捕われていた
だから、その場に立ち尽くして足下のタイルの青色を見ていた
そこに、声がかかるまで
怒鳴るみたいな大声と、それから
それから、浮遊感に似たもの
最後に、鈍い痛み

「い・・・・っ」
「大丈夫か?!」

はっと、我に返ったとき、蒼太の身体は仰向けに押し倒されていた
上に男がのしかかっている
ゴーグルをつけているから顔は見えない
自分も顔中包帯だらけだから、似たようなものだけれど
「大丈夫か?」
蒼太の肩を強い力で押さえている腕は、しなやかに伸びて強そうだった
男は蒼太の頭上で何度も心配気に声をかけている
「あの・・・」
「あの場所には仕掛けがある
 あと一歩で死ぬところだったぞ」
「あ・・・はい、すみませ・・・」
もしかして、助けてくれたのだろうか
仕掛けのことは知っていたし、一歩を踏み出す気もなかった
ただ動けなかっただけで
過去に捕われて、ぐるぐると思考を始めてしまったから、ぼんやりとそこに突っ立っていただけなのだけれど
「こんなところで何してる?
 旅行者か? それとも迷子か? 同業者か?」
男は、いつまでも倒れている蒼太の腕を掴むと強い力でその身を起こしてくれた
倒された痛みと、突然のことに驚いたので さっきまでの暗い思考はどこかに飛んでいってしまった
起こされながら、相手を見る
彼の声 どこかで聞いたことがある
今、蒼太にむかって何と言ったか
旅行者? 迷子? 同業者?
「同業者・・・?」
彼は何者なのだろう
遺跡を荒らすトレジャーハンターという人間がいると知識で知ってる
この遺跡は、今はこんな古代のままの形をしているけれど、その前には人の手が隅々まで入っていたのだから宝なんてないだろうに
見た目に騙されて、トレジャーハントをしているのだろうか
その割には、蒼太を助けてくれたりと 随分余裕な人だと思うけれど
「この遺跡はまだ生きてる
 同業者じゃないなら、ウロウロしてると死ぬぞ?」
「ちょっと、散歩をしてました」
彼が、この国の言葉を話すから、蒼太も同じ様にこの国の言葉を使った
この国の言葉は癖のある言葉だけど、鳥羽からみっちり教育を受けて覚えた4番目の言語だったし
前回の遺跡での仕事と 今回の町での仕事
2度も実際に使えば それなりに話せるようになる
「散歩?」
蒼太の言葉に、相手はおかしそうに笑った
蒼太に怪我がないのを確認して、はめていた手袋を取る
指先にいくつか傷がある手
右手がゴーグルに伸びて、それを取った
途端、記憶の中の映像と一致した

「趙・・・」

彼のことは、荒い映像でしか知らない
現地で雇った労働者の1人だ
遺跡にとても詳しかったから重宝した
それだけ
だけど、こんなに鮮明に記憶に残っているのは その眼に何か魅かれるものを感じていたから
意志の強い、何者にも屈しないような眼
自信に満ちていて、光がある
彼は、自分の足で確かに立ち 自分の意志で生きている
そう感じさせる視線に、マリオネットの目を通して見つめられた時 何か憧憬に似たものさえ感じた
ああいう風に生きられたらどんなにいいだろう、と
彼を何も知らないのに、あの時の蒼太は心のどこかでそう考えていた

「趙?」

その名前を、男は繰り返した
そして、まっすぐに蒼太を見つめる
呼んだのは無意識だった
そして、失敗だった
何をしに彼がここに戻ってきているのか知らないけれど、あの仕事は終った
そして自分はその場所にいなかった
彼と会ってはいない
自分はこの地に立たず、遠く離れた場所からマリオネットを操作していたのだから
(迂闊・・・)
言葉を重ねて誤魔化すか、言葉を発せずなかったことにしてしまうか
一瞬迷った
だが、相手はそれ以上は聞かずに くるりと背を向けて蒼太の入ってきた方を指差した
「出口はあっちだ
 ここは散歩するようなところじゃない」
怒っている風ではなく、穏やかで、だがどこか淡々としている声
促すようこちらを見た眼は、あの時のまま 強い光をたたえていた
「中を、見たいんです」
なぜか、そう言った
何も、考えてはいなかった
外へ出てもやることはない
この遺跡に思い入れがあるわけでもなかったけれど、出ていくことは考えられなかった
「ここにいたいんです、もう少しだけ」
「危ない」
「あなたの側にいれば、危なくはないでしょう?」
本当は、この遺跡の構造など全て知っているから 自分にとってここは危険でも何でもない
ただ、このままもう少し 彼の眼を見ていたかった
魅かれる、強い意志に
自分にはないものに
こんな眼をしている彼は、何を考えて生きているのだろう

知りたいと思った
知ったところで彼になれるはずもなく、自分は弱いままだとわかってはいるけれど

趙は、先程と同じで多くは語らなかった
納得したのか、気をつけろと言って先に歩き出し 仕掛けの側では声をかけて手を差し伸べてくれた
蒼太が飽きるまで、こうして付き合ってくれるのか
それとも、自分は好きに行動していて
だが、後をついてくるように歩いている蒼太を無視することもできず、こうして仕掛けにはまらないよう、世話を焼いてくれているのか
「この中に、詳しいんですね」
「ああ」
「ここで何をしてるんですか?」
「探し物を」
「どれくらい、ここにいるんですか?」
「1年くらいかな」
「1年も、見つからないんですか?」
「ああ、そういうことになるな」
1年も探しているなんて、一体何を、と
思いながら 蒼太は趙の背中を追った
彼は足が速い
一方 こんな場所には不慣れな蒼太はついていくので精一杯
以前の仕事のときは、こういうことに向いているマリオネットを使ったから 作業もスムーズに行えた
自分でここに作業に来ていたら足手まといになったかもしれない
(マリオネットが脱落者なんて嘘みたいだ・・・僕なんかよりよっぽど優秀)
気を抜けば足を滑らせてぬかるみにハマり、
よろけた体勢を整えようと壁に手をつけば、ザラザラと砂が落ち壁の一部をそいでしまった
「気をつけろ、崩れやすくなってるから」
「すみません・・・」
結局、30分もしないうちに蒼太は趙に手を引かれていた
手袋の革の感触
肌寒いような遺跡の温度に震えそうになる中 彼と繋がってる手だけに熱がともるようだった
彼は不思議だ
何も聞かない
そして何も話さない

2時間 入り組んだ道を歩くと一番奥の神殿まで来た
ここはよく覚えている
爆弾で崩壊していた場所を、彼がほとんど一人で修復したのだ
出来上がったものと、以前の写真を見比べて 鳥羽が感心していた
元を知ってないと、こうはできないって
(この人はこの遺跡を、ずっと前から知ってるのかもしれない)
ふと、そう思った
あの仕事の時も、ここにとても詳しかった
遺跡というものにいつも関わってるから、だいたいの構造はわかるんだと言っていたけど
それだけじゃない気がする
でなければ、飛び散った破片と 爆発で砕けた壁面と、床に残っていた何かの印
それだけで、こんなに立派な神殿を再現できるはずがない
「ここは、あなたにとって特別な場所なんですか?」
ああ、と
そっけない返事だけが返ってきた
もうこれ以上 奥はない
趙は蒼太の手を離して、中央の台座に手を触れた
撫でる、いとおしそうに
いや、どこか悲しそうにとでも言うべきか
不思議な表情だと思った
その横顔に、影が生まれる
彼は今、何を想っているのだろう

その場所は寒くて、10分も立っていると足元から震えてくるようだった
「ここには不思議な風が通る、だから凍える」
ぶる、と
震えた蒼太を見て、趙は顔を上げた
彼は遺跡に向いている格好をしているけれど、蒼太は私服だ
さっきまで町にいて、その町はあまり寒くはなかった
「その格好じゃな」
趙は笑って肩からかけていたバッグを下ろす
そして2分もしないうちに、その場に焚き火を作ってくれた
あまりの手際の良さに感心する
手招きされて、火の側に座った
趙の眼に焚き火の炎が映って チラチラと何か不敵な色が見え隠れしている
不思議な感覚
こんなところで、こんな風に趙と二人向かい合っているなんて
冷静に考えてみれば、彼にとってはとても迷惑になっているかもしれないのに

「あの・・・、すみませんでした」
「なにが?」
「ついてきてしまって あなたの探しものの邪魔を、してしまいましたよね」
ああ、と
趙は笑った
「別にかまわない」
「その探し物って何ですか?
 僕も探すのを手伝います」
彼が1年も探しているものが 自分が手伝ったからといってすぐに見つかるとは思えなかったけど
「ありがとう、気持ちだけでいい」
また趙が笑う
どこか苦笑したみたいな顔だと思った
彼が何を考えているのか、知りたいと思ってしまう

これは自分の悪い癖だろうか
何でも知りたがる
隠されているものなら、なおさら

「この遺跡、以前は封鎖されていましたよね」
あの仕事に入る前、蒼太は鳥羽のアパートで暇つぶしに簡単な調査の仕事をしていた
この国の気候、歴史、遺跡の状態、内部の様子
マシンで集めた情報を翻訳してまとめるという簡単な仕事だった
この遺跡は損傷が激しく、蒼太達が作業に向かうまでは、黒のパスポートに復旧を依頼してきた私設団体が封鎖していたから 詳しい資料なんかはあまりなく 結局最後はこの国の博物館にハッキングをかけて情報を集めたのだけれど
いざ行ってみると思っていたよりも損傷が激しく 鳥羽と二人、作業のプランを見直さなければならなかった
あの団体、なんという名前だったか
あまり意識していなかったから覚えていないけれど
「よく知ってるな」
「たまに見にきていたので」
彼は、自分を現地の人間だと思っているだろう
だったら、こう言うのは不自然ではないはずだ
遺跡が好きで、たまに散歩しながら見にきていた
そんな人間を演じればいい
それは蒼太には、難しいことではなかった
趙は疑う風でもなく、ふーん、とカップに酒を注いでいる
「どうして封鎖していたのをやめたんでしょう?
 もう危険じゃなくなったんでしょうか」
「ここはまだ危険なままだ
 だが、まぁ前ほどじゃないか・・・」
ゆらゆらとカップを揺らしながら趙はわずかに苦笑した
「ここには宝が眠ってた
 当然、それを守るために様々な仕掛けがあって、それでたくさんの人間が命を落としてきた」
「だから封鎖されていたんですか?」
「いや、宝はもうない」
「どうして?」
「オレが探し出して持っていったから」
やはり彼はトレジャーハンターなのだ
知識と運動能力の両方を併せ持ち、どんな未開の地でも入っていくというあの怖いもの知らず
どんな場所でも生き残れる術を持つ、そんな種類の人間
「じゃあ、どうして封鎖を? 一体誰が?」
「目的を果たしたから、封鎖したんだろう」
「目的って?」
「さぁ、何だろうな」
最後の一言は、嘘だとわかった
彼は知ってるのだ
ここが封鎖されていた目的
誰がしたのかも
そして、その答えは彼自身にとても深く関係がある
「何を探してるんですか?
 宝はもう、ないんでしょう?」
蒼太の問いに、趙は笑った
「オレは一番大切なものを、ここで失った
 取り戻したくて未だに彷徨ってる、まるで亡霊みたいに」

一番大切なものとは何だろう、と
蒼太はぼんやり考えていた
趙は向こうの壁にもたれて眠っている
おまえも眠れと言われたけれど、そんな気持ちにはなれなかった
聞いてはいけないことを、聞いたかもしれない
「オレはここで一番大切なものを失った」
そう言った時の趙の目
あれは痛みを知る者の目だった
蒼太は踏み込んでしまったのだ
彼の心の闇に
そして無遠慮にかきまわしてしまった
言いたくないことを、言わせてしまったのかもしれない

(一番大切なものって、なんだろう)

自分にとっては、鳥羽だろうか
それとも、鳥羽の相棒であるという誇りか
鳥羽が与えてくれたスキルか、知識か
鳥羽の隣で得た世界か
「それを失って、僕は生きていけるだろうか」
考えると、切なくなる
一番大切なものを失って、人は生きていけるのか
「鳥羽さん・・・」
つぶやいて、苦笑した
考えてはいけない
せっかく考えないようにしていたのに、無防備に思考が溢れている
ダメだ、止めなければ
何も考えず、あらゆることから目を背けて
心を閉ざして生きていかなければ
そうしなければ、この世界に留まれない
「まるで亡霊のように」
繰り返した
悲しい言葉、強い彼の言葉とは思えない
趙の寝顔を見遣ると、チラチラと燃える火が影を作っている
不思議な人
失ってしまったものを探したって見つかるはずもない
ここにはもうないのだ
1年探しても、2年探しても
彼は探しているものを見つけることはできないだろう

翌朝、趙は大きくのびをして目を覚ました
うとうとと眠りに片足を突っ込んでいた蒼太も、その気配で起きる
いつのまにか眠っていた
浅い眠りだったけど、心地よい時間だったように感じる
「この神殿は朝が一番綺麗だ
 それを見たら、帰ろうか」
「・・・はい」
趙は焚き火を消して奥の壁ぎわに立った
蒼太を呼ぶから、彼の側へと歩いていく
朝の4時
時計はそんな時間を指してる
(ああ、そうか、光が入るんだ・・・)
ここでの仕事を思い出した
作業員達が撤収した後も、蒼太と鳥羽はマリオネットを操縦して仕事をしていた
朝には、神殿の方がキラキラ光っていたから何かと思って見に行ったことがある
立ちすくむマリオネットの目から送られてくる映像は、神殿に朝日が入ってきたことで起こる単なる光の現象だった
荒い映像では、それだけの情報しか得られず
しばらくマリオネットがその場から動かなかったから、よほど綺麗なんだろうと
そんな風に思っていた
特に、何の興味もなかった
それが、今、目の前で起ころうとしている

こんなもの、単なる光の現象なのに

「・・・僕はこんな綺麗なものは見たことがありません・・・」
心が震えた
まるで世界に光が生まれた瞬間のようで
どこから入ってくるのか、頭上から少しずつ射す光が神殿の壁や床の石に反射して 空気の全てが光の粒子になったようだった
キラキラした星が視界に溢れる
この身すらも、その中に溶けてしまいそうで
その感覚はとても、とても、心を揺らした
こんなに醜い自分が、ここに立ちこの光を浴びること
それが許されるなんて、泣きたい気分だった
自分が正常なら、今きっと、涙を流しているのに

「見つからないものなんかないと思ってる、オレは」
趙の声
静かに心に響いていった
「欲しいもので手に入らないものはない
 探し続ければ、きっと見つかるとオレは知ってる」
なんて自信家なのかと思いながら、彼の言葉の不思議な説得力に 蒼太はそっと苦笑した
自分は色々なものを失くした
自ら捨てたもの、気付けばなくなってしまっていたもの、失ったことにすら気付いていないものもあるだろう
取り戻せるなんて思ったことなかった
取り戻したいと思うことは罪だと、心のどこかで考えていた
「取り戻せないものはないと・・・?」
「ないな」
「過ぎた時間でさえも?」
「過ぎた時間でさえも取り戻せる、生きているかぎり」
生きている限り、強い言葉だ
そしてそれは、針のように蒼太の胸に突き刺さる
「オレはここで死体を探してる
 本当は爆発でふっとんでもう形なんて残ってないのかもしれないと思いながら、自分の中で何かキリをつけたくて
 こうして未練がましくずっと、探してる」
趙が、苦笑まじりに言った
光が移動して、彼の横顔を照らしはじめる
「死体・・・?」
「大切な人の」
また苦笑
だがその眼は蒼太の魅かれた強い眼だった
「オレのせいで死なせてしまった
 守りたくても守れなかった
 しばらくはもう何もかもがどうでも良くなっていたんだけどな
 償いながら生きていきたいと、最近そう思うようになった」
淡々と語るのは、彼の中でもう気持ちの整理がついているからなのか
話の内容と、彼の落ち着いた声がひどくアンバランスに感じた
胸がぎゅっとなる
償うなんて、できるだろうか
償って、許してもらえるのだろうか
自分の罪は、あまりにも重い
「僕は本当は死にたいんです」
無意識に、まるで訴えるように言葉にしていた
たくさんの人を殺してきた
だから死にたい
死んでも償いきれないほどのことを、ずっとずっとしてきたのだから
「人には死ぬ権利がある
 でも死ぬと、全てがそこで止まってしまう」
償いもできない
そこから先へは進めない
立ち止まっているのと同じ、何もしないのと同じ
それは、その先にある全てを否定し、また
今までの出会いや想いの全てを否定するものではないかと、趙は言った
「僕の名前はゼロといいます
 僕の名前はNO、そしてSTOP
 プラスでもマイナスでもない存在
 僕は何者でもない、中途半端な存在なんです」
名づけたのは自分だ
闇の世界を歩く名前
人を不幸にし続けた者の名前
諦めたはずなのに、いつまでもいつまでも、許しを請うような想いを捨てられない愚かな人間
「いい名だとオレは思う
 おまえはまだスタート地点にいるままなだけだ」
ゼロは全ての始まり
プラスへもマイナスへも行ける
道を選べる者の名前
「足があれば歩ける、頭があれば考えられる、心があれば感じられる
 口があれば話せるし、目があれば、お前は世界を見ることができる」
こんな風な世界を
美しく輝く光に包まれた世界を
「生きていれば償える
 許す、許さないは相手が決めることだろ?
 お前は自分のしたいことを、すればいい」
強い言葉
迷いのない眼
やりたいことをすればいい?
「僕は・・・本当は」
本当は何がしたいのか
答えはもうずっと、出てる
わかってる
泣きたいくらいに、許してほしいと願ってる

「・・・あなたは、光の世界にいるんですね」
「オレはオレの世界にいる」

趙は笑った
覚悟を知っている者の笑みだと思った
ますます彼を知りたくなる
でも、もうこれ以上 彼の側にいることはできないだろう

出口まで送ってもらった蒼太は遺跡を出て、また中へと消えていった趙の姿が消えるまで その場に立ち尽くしていた
世界の広さを知りたかった
そして、沈むようにのめりこんでいった
世界は美しい
だけど人間は醜い
強いものに憧れ、弱いものに心魅かれ
優しいものを恐れ、苦痛を欲した
まるで自分を罰するみたいに生きてきた
心の平穏を捨て、常に緊張に身を浸し、考え、悩み、嘆く毎日を繰り返してきた
たった一つ 欲しかったもののために

「オレはオレの世界にいる・・・か」
趙の言葉を繰り返してみた
足元に視線をやる
自分はどの世界に立っているのだろう
嘆きか、憎しみか、呪いか、
俯いたまま苦笑した
彼のように、まっすぐに立ちたいと思った
それは自分の想いのままに生きるということだ

結局、それから1週間経っても鳥羽は戻ってこず、蒼太はホテルでただボンヤリと意味のない時間を過ごしていた
テレビはずっとつけっぱなしになっていて、外国のニュースや何かの番組を映している
腹が減ったから、何か食べ物を調達しなければ、と
思いながら 外の店は何時までやっていたかと考える
テレビ画面をその目に何気なく映しながら 蒼太の心はこの部屋にはなかった
深夜の2時
あたりはとても静かで、この町は夜には光がほとんどなくなる
開けっ放しの窓の外も真っ暗
部屋の電気もついてないから、テレビ画面は妙にまぶしい気がした
殺人とか、テロとか、誘拐とか
世界には暗いニュースが溢れている
どこかの国で地震があって被災者の救助活動が行われているなんてニュース
レポーターが興奮気味に中継している映像は昨日も見た
大きな地震で被害も大きかったから、最近のトップニュースなのだろう
瓦礫の山から人を助け出す男達の姿が、今もテレビに映っている
「この国の大変貴重な遺跡は今回の地震で崩壊し、政府は世界の偉大な知の財産を失ったことに・・・」
カメラの前を横切る救助隊の男の背中
遺跡がいかに貴重だったかを語るレポーター
うめき声みたいなのが音声に混じる
テレビを撮ってる暇があれば、救助活動を手伝えばいいのに、と
思った時 カメラに見覚えのあるマークが映った
(・・・なんだっけ・・・・)
記憶にある、そのマーク
どこで見たんだったか
たいした情報じゃないから、記憶に薄い
だから、思い出したところで何のことはないのだろうけれど
「遺跡の調査に来ていたサージェス財団のメンバーも救助活動に参加し、たくさんの命を救っています」
レポーターの声
画面が 募金の案内に切り替わった
「サージェスだ」
つぶやく
救助隊の人間が着ている服の背中にかかれているマーク
サージェス財団
それは、世界の貴重な宝を収集し管理する、私設財団の名前
あの遺跡の復旧を、黒のパスポートに依頼してきた団体の名前
(・・・大きな組織だって聞くから、古代の遺跡専門チームなんてものがあるのかも)
市場に出回っているものは買占め、裏オークションにも顔を出し
個人の所有しているものにまで目をつけるような団体だと聞いたことがある
それが本当かどうかは知らない
だが現に、遺跡なんてものにまで関わっているのだから その世界中の宝をかき集めたいという方針は相当強いものなのだろう
「また負傷者が発見されました
 地震経過から2日がたとうとしていますが、まだ瓦礫の下には生き埋めになった人がいます」
画面がまた切り替わった
タンカで運ばれていく人
瓦礫を掘り返す男達
その中に、周りに何か指示を出す男の横顔が見えた
遠くて、よくわからないけれど
テレビの荒い映像が逆に、蒼太の記憶を揺らした
彼だ
趙だ
腕の上げ方、顔の向け方
立つ時の重心のかけ方、足の開き方、指示を出すときの癖
どれも、見たことのあるものだった
マリオネットの送ってくる映像を介して ずっと見ていた
彼が世界にまっすぐに立っているのを

「サージェスの人間・・・?」
鼓動が早くなるようだった
彼は 周りの男達と同じ サージェスのマークのついた服を着ている
では、あの遺跡にも調査できていたのか
組織が仕事をした時に労働者として紛れていたのは、サージェスが組織の仕事を見張るために紛れ込ませたからなのか
つい一週間前まであの遺跡にいたのに、今はこんな離れた外国にいる
あの時も、サージェスの人間としてきていたのだろうか
「いや・・・違う」
立ち上がって、ポケットのPDAを引っ張り出した
あの時の仕事のデータはまだ残してある
遺跡の仕事に入る前、自分がまとめた資料を引っ張り出す
この国の気候、歴史、遺跡の状態、内部の様子
そして、一人の男の簡単な調査報告
「・・・明石 暁・・・?」
トレジャーハンターの男
不滅の牙という別称があり、彼の手にかかって攻略できなかった遺跡はないと言われている
かといって、遺跡を荒らすわけではなく、
彼が宝を取って出てきた後も、遺跡は以前のまま美しくあり続け
人の手で崩壊した遺跡を見つけると、ある程度彼が修復することもある程 彼は遺跡とその世界を愛している
「仲間が二人・・・何年か前に死亡」
自分でまとめた報告書なのに、何の記憶にも残ってないのは あの頃の自分には興味がなかったからだ
こんな人間もいるんだな、という程度
なぜ彼のことを依頼主が調べるのだろうという疑問には、報告書の最後で納得がいったような気がしたっけ
「・・・仲間二人を遺跡で失う・・・」
その遺跡の名はあの場所だ
この国にある、あの美しい光を見せた、あの場所だ

本当に簡単な報告書だった
明石 暁の写真すらついていない
(探していたのは、死んだ仲間の死体・・・)
苦笑して、データを検索した
組織の端末に繋げて、深い深いネットの世界から情報を検索してくる
2分もしないうちに、欲しい写真が転送されてきた
明石 暁
よく知っている顔だった
あの遺跡で誰よりもよく働いた男
蒼太に、美しい光を見せてくれた男
オレはオレの世界に生きている、と
強い眼をしていっていた あの男
「趙・・・」
彼もまた 蒼太と同じく偽名を使っていたのだろう
あの頃はまだ、サージェスの人間じゃなかったはずだ
サージェスが彼のことを調べていたくらいなのだから
だったらなぜ、あそこにいたのか
サージェスはなぜ、彼を調べていたのか
わからなかったけれど、蒼太にとって、その疑問と答えはあまり意味を持たなかった
ただ、彼に魅かれた
彼の見せた世界に魅かれた
彼の生き方に魅かれた
彼の言葉に魅かれた
それだけだった

テレビは違うニュースへと切り替わった
どこかの国の王が、どこかの国へ訪問したというような内容のものだった
目に映しながら、蒼太は世界について考える
自分はどこに立っているのか、考える
夜はまだ、明けようとはしなかった
暗い空が、窓の外に広がっている


女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理