ZERO-38 対等 (蒼太の過去話)


最近どう?と
テレーゼの言葉に、鳥羽はわずかだけ眉を動かした
深夜の医務室
患者は鳥羽以外に誰もいない
「誰が?」
「私が聞きたいのはゼロのことだけよ」
脱がされた服を羽織りながら笑ったテレーゼに 鳥羽は苦笑すると未だベッドに仰向けになったまま唸った
「お前は最近、オレよりゼロに興味があるんだな」
「妬ける?」
「妬けるな」
鳥羽の腕には大袈裟なほどの包帯が巻かれており、今は麻酔で動かすこともできない
昨日までの仕事で負傷した鳥羽と蒼太は、こうして組織へと治療に戻り、テレーゼの治療を受けている
「さっき会っただろ、ゼロには」
「意識がない状態で会ったって何もわからないわ」
「起きたら聞いてみればいい」
「あなたの口から聞きたいの」
ふぅん、と
わずかに相槌を打ちながら 鳥羽は天井を見上げた
ここは禁煙だから、落ち着かない
治療もすんだし、久しぶりのテレーゼとのセックスも終ったし、とっととサロンにでも引き上げるかな、と
そんなことを思いながら蒼太のことを考えた
昨日までの仕事は、どこぞの国の大統領の側への潜入だった
執事として潜入した鳥羽も、秘書として潜入した蒼太も、そろって負傷
鳥羽は手首の複雑骨折
蒼太は、今も意識不明
仕事の目的は 核兵器の起動パスワードの入手と関係者のリストで
もちろん難易度はS
1ヶ月の潜入の後、見事にどちらも入手したのだけれど
(あの自爆は計算外だったな・・・)
脱出経路の確保は蒼太がしていた
上か下か、西か東か
全部で4種もあったのに、結局使えたのは1種だけだった
さすがに難易度Sだけあって簡単には終らず、即席で作った爆弾で敵の目をくらませて強引に出てきた
その時、敵の一人が自爆したのに巻き込まれて二人ともが吹っ飛んだ
受身を取った鳥羽は骨折ですんだが、蒼太は爆風で吹き飛ばされ 2階も下のフロアまで落ちていって重症
意識がないのを拾い上げ、折れた腕で抱えて連れて帰ってきた時も 蒼太は死んだように目を覚まさなかった
「ゼロは頭を打ってるけど、命に別状はないわ
 難易度Sなら怪我もする
 生きて帰ってきてくれれば、私が何とでも治してあげられるから 体は何の心配もしてない
 それより私が気にしてるのは心の方よ
 あの子、あれからどうなの?」
あれから、とは
カウンセリングが終ってから、という意味か
蒼太が組織に入ってから今までで、積もりに積もった負荷で精神を病み
不眠症になって、身体もボロボロになって、
挙句麻薬中毒で死の渕まで追いつめられて、治療を施され
目覚めてすぐに受けた、精神を安定させるためのカウンセリングのことか
心のデリケートな部分を表に引きずり出して行われるカウンセリング
効果はあるものの、患者にかかる負担は大きく 蒼太もあの4日間はボロボロだった
今にも倒れそうに顔色は悪かったし、目はどこか怯えたみたいな色をしていた
そのくせ熱っぽい表情で、思考もろくにできてないんだろうなと思わせる素振り
カウンセリング中は、他人のささいな言動に影響されて精神にダメージが与えられてしまうから 人と会わないようにしろと、言われていたのにもかかわらず
蒼太はその言いつけを守らずにフラフラしていた
それで、あんな騒ぎになった
泣き喚いて、感情を吐露して、すがって、求めて、求めて、震えた
今までけして、それだけはしてはいけないと、自分に言い聞かせてきただろうに
「あなたがトドメを指したようなものだもの、恨むわ」
「・・・オレのせいか?」
「傷ついたのはゼロだけで、他の誰も傷ついてないでしょう?
 あなたのせいよ」
「うー・・・ん」
蒼太が 今まで必死で押し殺してきた感情や想いを抑えきれずにさらけ出したことを 鳥羽は優しく受け止めてはやらなかった
「おれはああいうのはごめんだからな」
鳥羽は人に依存され、依存するような関係を嫌う
人は一人で立ち、一人で生きるものだと思っているから
鳥羽にはその、強さがあるから
他人は鳥羽にとって、世界を楽しむためのもので
執着したり、依存したり、求めたり、
そんな風にするものではなかった
だから蒼太にも、そういう風に接するし そういう風にあれと言う
できないなら、側へは置かない
自分にとって不愉快な存在になるなら、いらない
さっさと切り捨てて、また新しいものを側に置き愛でる
「カウンセリング中だと言ったでしょう?」
「それでも、だ
 だってオレは あいつに部屋へ戻れと言ったんだから」
言うことをきかなかったあいつが悪い、と
鳥羽は言って それからわずかに溜息をついた
鳥羽は、蒼太のような人間が嫌いではない
いつまでも甘いのも、
自分より他人の痛みに敏感で、優しすぎるところも嫌いじゃない
自分が苦しいのはどれだけでも我慢するのに
他人が泣くことに とてもとても心を痛めている
平気なフリをしろと命令すれば、必死でやる
忘れろといえば、忘れようと努力する
でも、それでも、
最後の最後でできなくて、
いつまでもいつまでも、悩んで思い出して考えて傷ついている
そういう人間の、痛みを耐えている目が 鳥羽にはとても心地よく感じられる
根っからサドだな、と自分でも自覚がある
人の苦痛が心地いいのだから困ったものだ
痛いのに、痛いといえず
苦しいのに、苦しいと言わない
頭はいいくせに、そういうところがバカなんだよな、と
思いつつ 蒼太のその性質が鳥羽を満足させている
だから 今まで続いた
蒼太は鳥羽の側にいたいと望んだし
鳥羽は、そんな蒼太を可愛いと思い 側に置いてきた
これからも、蒼太から離れていかないかぎり、
この間のように、感情を吐露し、鳥羽への依存を見せなければこの関係は続く
ようやく対等の相棒になれた、この二人の関係
終るか、続くかは 蒼太次第だと思っている
「毒で殺してやれば良かったか?」
溜息をついて、鳥羽はひとりごとのようにつぶやいた
テレーゼが動きを止める
驚いたように鳥羽をみた目は、ゆらゆらと揺れていた
「ゼロはわかりやすい
 死にたい死にたいって顔をして、笑ってる
 いつオレに捨てられるかと怯えながらついてくる
 そういう負の感情にまみれた人間ってのがオレは好きだ
 だから追いつめるし、放置する
 殺してもやらないし、受け止めてもやらない
 あれは生殺しにされながら、それでもオレの側にいる」
今が最高の状態だな、と
鳥羽は言って苦笑した
「かわいそうだと思わないの?」
「可愛いとは思う」
「・・・」
今度はテレーゼが苦笑した
「あなたって、そういう人よね」
「そうだな、これはもう諦めてもらうしかないな」
もしくは、ここから立ち去るか
「オレは別にゼロでなくてもいい
 代わりはいくらでもいる
 だけど、今はあれが一番可愛いな」
苦痛にズタズタの心で、それでもまっすぐで、優しくて
今も人のことを想って苦しんでいる
諦めても、諦めても、忘れられない
やっぱり人が好きなんです、と
言った時には驚いた
そして、ゼロらしいとおかしくなった
組織の人間が壊れていく中、諦めていく中
蒼太だけは、違うのかもしれない
いつか違う答えを見つけて、そのために歩き出すのかもしれない
今はここに止まっていても

「あの子、大丈夫なの?」
「大丈夫だ
 Dr.ロマの仕事は名演技だったし、次の秘書官も問題なくやってた
 今回だって、負傷はしたが仕事は成功
 オレは文句はないがね」
鳥羽が立ち上がった
脱ぎ捨てたシャツを手に取ると、テレーゼが手を伸ばしてそれを着せる
ボタンを一つ一つ留めながら うつむいたテレーゼは小さな声で言った
「あの子、ここを去るかしら」
それは予感なのか、女の勘なのか
「さぁなぁ」
答えた鳥羽は、もう蒼太には興味がないような素振りだった
シャツのボタンが留まるとテレーゼにキスをして、そのまま無言で部屋を出ていった
残されて、テレーゼはそっと息を吐く
蒼太のことを考えて、また悲しくなった

サロンに顔を出した鳥羽は、そこにいたリジュールが手を振ってきたのに苦笑した
「おまえパートナーは決まったのか?」
「まだです
 組織の事務方は同じAランクの人と組ませようとしてるらしいんですが、なかなか適した人間がいなくて」
ふぅん、と
言いながら 彼のついだ酒を飲み 鳥羽は苦笑した
「まずいなぁ」
「まずいですか?
 こんなもんだと思いますけど」
「まぁそうだろうな、ここで出すもんなんて知れてる」
リジュールの持っている酒の瓶は、よく見るものだ
サロンに置いてある ごく一般的なジンの瓶
蒼太が作る酒も、この瓶だったから元は同じなのだろう
他に何を入れて ああいう味を出しているのか知らなかったけれど 蒼太が作ると酒が美味いのだから不思議だ
蒼太の目が覚めるまで、当分このまずい酒を飲むのかと思ったら ちょっとだけ気が滅入った
ないならないで、まぁいいけれど
どうせ飲むなら美味いほうがいい
「ワインにするか」
「取ってきますよ、どんなのがお好みですか?」
「別になんでも」
鳥羽は煙草に火をつけて、リジュールはカウンターへ向かった
入れ違いに、見知った顔が入ってくる
「鳥羽さん、怪我したって聞きましたよ」
「腕をボキっとな」
「ゼロは?」
「意識不明」
「ええ?!大丈夫なんですか?」
来るなりやかましく まくし立てるのに苦笑して、鳥羽は煙を吐き出した
カラのグラスに、ジンがつがれる
まずいジン
蒼太が入れれば美味いのに
「うーん・・・」
向かいに座った男は、自分のグラスにも酒をついで一気にあおった
つまみを注文したのか、テーブルにピザとチョコレートが運ばれてくる
「仕事は当分休みですか?」
「いや、オレはなんとでもなる」
「ゼロは?」
「2.3日で起きなきゃ置いていく」
「じゃあオレを連れていってくださいよ
 オレ、パートナーが里帰りしてて暇なんですよ」
ね、と
言う彼とは、そういえば組んだことはなかったか
「そうだな、内容にもよるけどな」
「オレもAですから、足は引っ張りませんよ」
ゼロより使えないってことはないでしょう、と
笑った男に 鳥羽は適当に返事をした
ゼロより使えると言うのなら、もう少しマトモな酒を飲ませてほしいと思いつつ
グラスには手をつけなかった
まずい酒なら、飲んでも気分は晴れない

深夜、
カードゲームで散々遊んだ後、鳥羽は部屋へ戻った
シンプルな部屋
ほとんどものを置かないでいるのは 何にも執着しないからだ
家具は傷めば変える
人も、飽きれば変える
鳥羽にとっては、自分中心に世界が回っていて、自分をとりまくものは 人もモノも同じだった
興味がある間だけ側に置く
きまぐれな生活
きまぐれな世界
それが鳥羽の生き方

「鳥羽さん」
シャワーを浴びようと、シャツを脱いだところにノックが聞えたから、鳥羽は小さく溜息をついて、ドアを開けた
ドアの外にはさっきまでサロンで喋っていた二人が立っている
片方はリジュールで、片方は仕事に連れていってくれと言っていた男だった
「鳥羽さん、次の仕事決まりましたよ」
男が紙を差し出してくる
わざわざこんなことを言いにきたのか、と思いながら それを受け取って中を見た
何十年も前の戦争時の国家機密を探るだの何だのという依頼
必要なスキルは、言語が6ヶ国語
軍隊の経験、細菌の研究についての知識、毒についての知識
場所はアフリカ
期限は1ヶ月
「オレを連れていってください、鳥羽さん
 条件、ハマりますから」
「そしてゼロはオレに貸してくださいよ、鳥羽さん
 ゼロはランクAでしょ?
 だったら、オレともつりあうし、一度ゼロと仕事がしてみたいんです」
横から口を出してきたリジュールに、鳥羽はわずかに苦笑した
よその組織にいい人材がいるから、仕事ついでに見てきてくれとボスに言われてリジュールに会いにいったのが 2ヶ月ほど前
自分と似たタイプの人間だと一目でわかったから、そう報告するとボスは組織に欲しいと言い
鳥羽の交渉で、リジュールは黒のパスポートへとやってきた
元々、裏の世界で生きていたリジュールは、知識も武器の扱いも経験も豊富だった
黒のパスポートの基準で見てもAランク
野心的な目は、こういう組織に向いていた
組織は彼に期待をしているし、
だからこそパートナー選びも慎重になっている
「鳥羽さんはゼロが起きなきゃ置いて仕事に行くんですよね?
 だったら、ゼロは暇になるわけだし」
リジュールの言葉に、鳥羽はヒラヒラと持っていた紙を振った
今はダラダラと長く話している気分じゃない
とっととシャワーを浴びて眠りたい
「好きにしろ
 オレはこの仕事に行く
 グレイ、お前は明日出られるのか」
見遣った先、男が嬉しそうに笑った
「行けます」
その返事に、鳥羽はうなずき、最後にもう一度リジュールを見ると意地悪く笑った
「ゼロが気に入ったら、くれてやってもいいぞ」
まぁ試してみろよ、と
その言葉に驚いたような顔をしたリジュールを一瞥し、鳥羽はドアを閉めた
怪我のせいか、今夜は気分が宜しくない

次の日、鳥羽はグレイを連れて仕事に出て行き、
その1週間後に蒼太はようやく目を覚ました
テレーゼの治療と、検査を半日かけて行い、ようやく開放されると今度は部屋にリジュールがやってきた
「ゼロ、具合はどう?」
手に持った紙をヒラヒラ振りながら入ってきた客に、蒼太が一瞬眉を寄せる
多分、この世界で一番嫌いな人間だ
顔を見るのも嫌だし、側にいるだけで寒気がする
彼にされた仕打ちを思い出すと、今でも体温が下がるし、
このふざけたような声を聞いていると嫌悪感がこみ上げてくる
「あからさまに嫌な顔するなよ
 オレと君は今日からパートナーなんだから」
言われた言葉に、ぴく、と
蒼太はわずかに手を震わせた
さっき、テレーゼが言っていた
鳥羽は一週間前に別の人と仕事に出て 1ヶ月は戻らないと
あなたもその間 別の人と組むことになっるからそのつもりで、と
言われて覚悟はしていたが、まさか相手が彼だなんて
この新入りのリジュールだなんて
「これが依頼書
 オレは新人だけど、それはここでの話で、裏の世界ではもう10年近く生きてきてる
 だから、仕事の指示はオレがする
 君は、言われたとおりに動けばいい」
にや、と
笑いながら言った言葉に、蒼太は温度のない声で返事をした
「わかりました」
彼もまた、鳥羽と同じ支配者タイプの人間なのだろう
だから、蒼太のように従順な人間が好きなのだ
盲目的に慕ってくる者を、翻弄して振り回して、気まぐれに扱うのが好きな人種なのだ
このものの言い様や、態度
蒼太への最初の接し方を考えれば 簡単に読み取れた
彼の性格、彼の思考が
「今回の仕事の難易度はS
 期限は3週間だから、かなり急ぎだね
 世界銀行のプログラムを丸々書き換えるって仕事だ
 ゼロ、プログラミングは?」
「得意です」
問われるままに答えると、リジュールは満足気に笑った
「じゃあ、足手まといにはならないな
 オレが指揮を取る
 君は命令通りに動けばいいから」
「はい」
リジュールの手が、蒼太の顎に触れた
そのまま彼の指が首を伝っていくのを、黙って耐えた
本当は触れられるのも嫌だ
こうして会話をするのも嫌
だけど、これは仕事だし
鳥羽が、自分を置いて行ってしまったのだから、自分には他にすることがない
彼が次の仕事のパートナーだと言うなら従うしかない
何も考えず、心を閉ざして
「ゼロ、いいことを教えてあげようか」
リジュールの手が、蒼太の首にかかったまま力を増した
そのままベッドに押し倒される
ぎり、と
首の神経だか、筋だかが音を鳴らしたような気がした
「う、く・・・っ」
苦しい
首を絞められて、息ができない
それでも、リジュールの手は緩められない
強く、きつく、
締め付けていくのに、カッと体温が上がった
この手が鳥羽ならいいのにと
思いながらリジュールを見ると意地の悪い顔が見下ろしてきた
「苦しい?ゼロ」
「・・・はい」
搾り出すような声が かろうじて出ただけだった
どくんどくん、と
自分の心臓の音がうるさいくらいに聞える
「鳥羽さんが言ってたよ
 もしオレが、君を気に入ったら お前をオレにくれるって」
その言葉は、どこか予想通りで
いつか こういうことを言われるような気がしていて
だからなのか、思っていたよりも、蒼太の心は傷つかなかった
鳥羽の口から聞かなければ、蒼太にとっては全てに意味がないのかもしれない
「鳥羽さんは本当に気まぐれだね
 君なんて、どうでもいいのかな
 オレは君みたいなのは ほんとにたまらなく好きなんだけど」
首を絞められたまま 口付けられた
舌を執拗に絡めとられ、何度も何度も角度を変えて舌を入れられた
男同士でこういう行為は本当に勘弁してほしい
仕事なら、いくらでもするけど
それ以外ではごめんだ
鳥羽はこんな風にはしない
支配者は、言葉で縛らなくても、何もくれなくても、身体を繋げていなくても
ただ存在するだけで、心を捕らえて放さない
(あなたは僕の支配者にはなりえない)
呼吸ができなくて苦しいのが、心地よかった
この手が鳥羽の手ならよかったのに
そうしたら、このまま放さないでと願っただろう
このまま殺してくれと、思っただろう
今、彼の手で死んでも
それはただの現象で、そこに何の意味もない

蒼太が意識を失う寸前に、リジュールは手を放して笑った
「我慢強いのは好きだよ
 君の顔を見てるとゾクゾクする」
ごほごほと、急に入ってきた空気にむせながら 蒼太は顔を上げた
身体は熱かったけど、心は冷めたままだった
「依頼書を読んでおいてよ
 明日にはでかけるから」
言って去る後姿に、苦笑する
自嘲みたいな笑みになった
何でもしよう、仕事なら
何でも耐えよう、それが鳥羽の命令なら
自分の痛みはどうでもいい
そんなのは、何の意味もない

仕事は、ある国の特別に作られた施設の中で行われた
銀行のデータの書き換えなんて大掛かりなことをやるのに、時間はたったの3週間しかない
眠っている暇もない状態だった
不眠不休でキーボードをたたく
こういうのは久しぶりだと、頭のどこかで考えた
思えば最初、鳥羽に出会ったのはプログラムの上でだった
散々に翻弄されて、枯渇させられ、求めて求めて求めさせられた
あの頃から、自分は鳥羽に堕ちていた
会ったこともないのに、
どんな人間かもわからないのに、
乾きに泣くほどだったあの枯渇感と虚無感
あんな感情は、初めて知った
そして、そこから自分の世界は狂い始めた
(僕の中のこの想いは、どういう種類のものなんだろう)
最近よく考える
恋とか、愛とか、そういう類ではないと思う
こんな醜いものに、名前などついているのだろうか
信仰とか、そういうのでもない
言えばなんでもするけれど、
人は蒼太を盲目的と言うけれど、
本当はそうでもない
鳥羽に対して 譲れないこともあるし、自分の意見を言うこともある
対等でありたいと、ずっとずっとそう願いながら生きてきた
並んで歩きたい
つりあった仕事がしたい
鳥羽にふさわしい人間だといわれたい
鳥羽に認められたい
(憧れと敬愛・・・かな)
そんなに美しいものではないけれど、元々はそんな種類のものだった
あの人のようになりたいと思い、必死に努力した
触れるうちに、虜になっていって
わけのわからないままに、どん底まで落ちていって
いつのまにか、前も後ろも上も下もわからないほどに求めていて
世界が鳥羽に染まっていくのを、どうすることもできなかった
そして想いは、醜く醜く歪んでいった
まるでこの世界のように

キーボードをたたきながら、蒼太はリジュールの指示したことを頭の中で繰り返しながらプランの穴をいくつか見つけていた
(3636じゃ足りないだろう・・・ダミーを見破られたらどうするつもり・・・?
 こっちのルートも、これじゃいくら時間があったって終らないんじゃない?)
色んなことを考えながら 数字を組み上げていきながら、
蒼太はとても冷静だった
鳥羽ならこんな方法は取らないと思いつつ
もしものための逃げ道を同時に組み上げながら進む
リジュールは、向かいで作業をしながら たまに蒼太にも命令をして
そうして作業を進めている
(ああ、ここ、ミスしてるな
 こんなに空いてちゃ丸見えだろ・・・)
点滅する文字
流れていく大量の情報
偽のデータを作り上げて ある条件で一斉に入れ替えできるように作っていく
ブロックしようとした時に作動するトラップを何千種と作った
作りながら、鳥羽のことを思い出した
出会った時 自分を翻弄したあのプログラム
ああいうものを、ようやく今 自分も作れるようになっている

(少しは、成長したのかな、僕)

幼い頃から、ませた子だった
育った環境のせいだろう
人の顔色を伺うことに長けて、聡明で、謙虚だった
大人の喜ぶことをよく知っていて、そう演じることが苦痛ではなく
自分を可愛がってもらえるように
自分が過ごしやすいように
よく演じていた
ききわけの良い、いい子を
(そして、早く大人になりたくて、色んなことを知りたくて)
たくさん勉強した
知識と経験は、自分を育ててくれると信じていた
人より多くのことを知り、多くのことができて、多くのことを経験している
その優越感が心地よかった
歪んだ人間だったと思う
だからこそ、暗い世界に興味を持って、醜い人間に魅かれていった
裏の世界にはまっていった

(そして、あなたに出会った)

たくさんの情報を操り、たくさんのことを経験した
新しい世界は、蒼太の好奇心を満足させ
鳥羽という存在に、蒼太は自分の目標のようなものを見つけた
ああなりたい
ああいう仕事がしたい
最初は、楽しかった
訓練や勉強は本気で泣きたくなるくらい辛かったけど、
それを克服したら褒めてもらえたから
隣にいる資格を一つ得たような、そんな気持ちになれたから
やめようなんて思わなかったし、必死に必死についていった
好奇心と、優越感と、スリルに、心が熱くなるような興奮
そんなのを味わっていた
なのに、いつのまにか

(いつからだろう・・・)

自分のしたことで、誰かが泣いているんだということが頭から離れなくなったのはいつからだったか
見ないように、考えないようにしていたのに
心を閉ざして、人をモノと考えて
無視していたのに、あまりにも
あまりにも出会った人に魅かれたり、その痛みに同調したりして
過去を振り返っては嘆いていた
自分はのうのうと生き残って、この血に汚れた手で綺麗な人たちを
罪のない人たちを殺してきたことに 
どうしようもないほどに、心が痛んだ
とりかえしのつかないことをしていると、思うようになった

なのにまだ、ここにいる自分
それはあなたが、ここにいるから

いつまでも、いつまでも、
自分のエゴで人を傷つけ殺すようなことを続けるのが我慢できなかった
自分が鳥羽のことを諦めれば
忘れれば、これ以上 こんなことをせずにすむのに
人を傷つけ泣かせるようなことを、もうしなくてすむのに
(人を傷つけないように仕事をするなんて)
Dr.ロマに言われた言葉を思い出しながら 蒼太はわずかに苦笑した
あの仕事だって、そうだった
彼は優しかった
人を人と思い接するからこそ、ああいう道を選んだのに
蒼太を人としてみて、癒してくれようと心に触れてくれたのに
その彼を騙しながら、演じながら、何が悲しかったって
彼の言葉に揺れる心だ
こんなにも、諦めて諦めて、ここにいるのに
それでもなお、揺れる心が悲しかった
いつまでも、こんなだから中途半端なんだと 何度自分に言い聞かせれば変われるのか
ふっきれるのか
諦めきれるのか
(人を傷つけたくない、でもあの人の側にいたい)
それは、本当に本当か、もう自分でもわからない
ロマに話したように、
本当にそうまでして、鳥羽の側にいたいのか
自分の思いすら、わからなくなる

なのに気づけば鳥羽を想い
鳥羽の前に出ると、身体が、心が疼いて泣く

リジュールは、2週間目に仮眠を取った
その間も、狂いだした部分の調整をして、トラップを増やして、作動条件の見直しをして
他にも山ほどの仕事をこなして 蒼太は一人でキーボードを叩いた
難しい仕事で、時間はかなりの勢いで足りない
はっきりいって、自分とリジュールだけでは無理な依頼だ
組織が、リジュールのスキルを図りかねたから こんな仕事が回ってきたのだろうが
このままやっても、多分失敗するのではないかと思う
データの半分しか、まだ組みあがっていない
もう半分を完成させるには時間が足りない
鳥羽と蒼太なら、今頃は最終チェックに入れているだろうに
予備のデータも作って、万全の体制で
今頃鳥羽は、のんきに煙草なんかふかしながら あとはやっとけとか言って酒を飲み始めたかもしれないけれど
(・・・失敗も敗北も許されないのに)
このままでは、タブーを犯す
取り返しのつかないことになる前に、組織に応援を頼むしかないな、と
蒼太は思って溜息をついた
リジュールが起きたら、そう話して彼に判断してもらおう
勝手にやっては、暴君である彼の機嫌を損ねることになるのだろうし

結局、リジュールはこのままだと間に合わないという蒼太の意見を汲んで 組織に応援を要請した
だが、相当に頭にきたのだろう
蒼太の話が終ると同時に、馬乗りにされて首をしめられた
拷問でもしているかのように、ギリギリまで苦しめて解放し、また首をしめる
それを1時間も繰り返して、ようやく
ようやく蒼太を解放した
蒼太の首には、リジュールの指の痕がくっきりとついて、
呼吸はしばらく ゼーゼーと震えるようにしかできなかった
(この人もある種、病気だよね・・・)
そういう性癖なのかもしれない
人の首をしめることで、何か自分の中の正常を保つという、そういうもの
ともかく、組織はリジュールの要請に対して 助っ人を用意すると言ってきて
その4時間後、別の場所からアクセスがあり 誰かが作業に加わった気配があった

「手際がいいな・・・こいつ」
ぽつ、
リジュールが呟く
プログラムの向こう側の人は、1時間後には、雑に組んだだけの 作りかけの膨大なデータを綺麗に整理した
そのまた1時間後には 5000しかなかったトラップが、倍の10000に増えた
元々、蒼太が枠組みを作ったものを利用しての作業だから、早いのは当たり前かもしれないけれど
それでもこのスピードと正確さは ただ者ではなかった
適格に、必要なところに必要なものを配置するセンス
こちらの意図を汲み 手を貸してくれるから 作業が混乱することもなければ
面倒な打ち合わせをする必要もなかった
それだけで、相手が自分達より数段上の人間だとわかる
(鳥羽さんだ・・・)
どくん、と
心臓が鳴った
顔は見えないけど、この仕事
この美しいプログラム
ぞくぞくと、たまらない何かが身体を駆け抜けていった
やっぱり この人しかいない
他の人間では、足りない
リジュールも、ランクAなのだから無能な人間ではないのだけれど
蒼太に命令をし、蒼太を支配するには足りなさ過ぎる
鳥羽が高みにいすぎて
ずっとずっと、鳥羽を見てきたから
他ではダメだ
誰も蒼太の支配者には、なりえない
「・・・これ、鳥羽さんか」
向かいで、呟いたリジュールの声に 蒼太はわずかに微笑した
少しだけ、心が痛んだけれど、それはいつものように無視した

この仕事が成功したら、一体何人の人間が泣くのかなんて、考えたくもない

組織へ戻ったリジュールと蒼太を待っていたのは、いつものようにサロンで飲んでいる鳥羽だった
「すみませんでした、鳥羽さん」
手を煩わせて、と
言いながら 蒼太は鳥羽の手に包帯が巻いてあるのを見て苦笑した
この巻き方は骨折しているのだろう
ということは、片腕であの仕事をやったのか
しかも、予定より早くに自分の仕事を終えて 戻ってきていたということだ
そっちの仕事も 難易度Sだったはずなのに
「AAコンビは使えないなぁ」
くく、と鳥羽は笑って ジンの瓶を指でつついた
見遣るとテーブルの上にはワインしか出ていない
鳥羽がジンを飲んでないなんて珍しいな、と思いつつ
蒼太は グラスを取って酒を作った
リジュールがおもしろくなさそうに、鳥羽の隣に座る
「鳥羽さん、オレはプログラミングは不得意なんです」
「あっ、そ」
「これだけでオレの評価を下げないでくださいよ」
「オレは別に初めからお前を評価してないけどな」
鳥羽が煙草に火をつけた
からかうような周りの声が聞えてくる
「オレに興味がないっていうんですか?
 スカウトに来ておいて」
「ボスに命令されりゃ、行くだろ」
「ゼロもボスの命令でスカウトしてきたんですか?」
自分が無能と思われることが嫌なのか
鳥羽のようになりたいから、鳥羽を意識するのか
リジュールは酒のグラスを一気にあおると、煙草に火をつけた
けむりがもくもくと 二筋上がる
「あれはオレが見つけてきたんだよ」
また、鳥羽が笑った
蒼太が差し出したグラスを傾けて一口飲み、満足そうな顔をする
「で? 気に入ったのか?」
そして、おとなしく2杯目を作り出した蒼太に向かって言った
「・・・?」
意図を量りかねて 蒼太が顔を上げる
「なんだ、聞いてないのか
 リジュールに言ったんだがな」
煙草の香り、鳥羽の声
見つめた先で、鳥羽が意地悪く笑った
「お前がリジュールを気に入りゃ、リジュールと組んでもいいってな」

たしか、
蒼太が聞いたのは、逆の意味だった気がした
リジュールが蒼太を気に入れば、蒼太をやると
鳥羽はそう言ったと、リジュールは得意げに言っていた
まるで蒼太を脅すように、
いたぶって喜んでいるかのように、
何度も何度も繰り返していた
仕事のクソ忙しいときに、
時間に追われながら必死でやっているときに
いいかげん、聞き飽きて
うんざりで
最後の方にはもう、そう言われても何も感じていなかったんだけど
(・・・逆?)
無言の蒼太とは逆に、リジュールが鳥羽の隣で声を上げた
「オレは気に入りましたよ
 だから、くださいよ 鳥羽さん
 オレはこういうの、好みなんです」
従順な犬みたいな、召使みたいな、奴隷みたいな

「ゼロがお前の方がいいって言えば、やるよ」

鳥羽のグラスがカランと音を立てる
新しいグラスの中の液体をかき混ぜながら 蒼太は心が熱くなるのを感じた
鳥羽は、上司で
パートナーとはいっても、それは名前だけで
いつも甘えてしまって、いつも足を引っ張って
本当は鳥羽ひとりでどうにでもなる仕事を、まるで蒼太を育てるためにこなしているような
そんな毎日だったのに
なのに、いつのまにか、
鳥羽は蒼太に決定権をくれた

お前が決めていい
お前はオレの相棒だから

それは、対等ということだ
ずっと そうなりたいと思っていた、鳥羽の隣に今 自分が立っているということだ
「ようやく、なれたのに」
声が震えないように、気をつけた
歓びのようなものが、ぐつぐつと腹の底から湧き上がってくる
「鳥羽さんの相棒に、ようやくなれたのに」
見つめた先で、鳥羽が笑った
リジュールの姿も視界の端に入っているけれど、それに何の意味も見出せなかった
鳥羽とは比べ物にならないくらい、ちっぽけな存在
蒼太にとって、何の価値もない存在
今はもう、犯されたことも、言われたことも皆 忘れることができそうなくらい薄く薄くなっている
「他へなんて、行きたくありません」
蒼太は言って、鳥羽に2杯目のジンを差し出した
カラン、
グラスの氷が鳴る
「だとよ、
 他のAランクを探すことだな」
いっそSかSSと組んで もう少し鍛えてもらえ、と
誰かが言って笑った
それを聞きながら、心は熱いままだった

色んな想いが蒼太の中にはあって、
そのどれもが大切で、どれもを捨てることができなくて
だから、身体が壊れるまで
心が壊れるまで、このままでいくんだと思っている
そして、いつか何かのきっかけで、他の全てを捨ててまで何かを選ぼうと思った時
自分が何を選ぶのか、
何を捨て、何を殺し、何を忘れ、何を守るのか
答えが出るのだと思う

そういう予感のような、願いのような
想いを抱いて蒼太はそっと息をついた
今はまだ、ここに生きているけれど


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