ZERO-37 献花 (蒼太の過去話)


蒼太は自然の豊かな、大きな湖のある町に来ていた
昨日、一つの仕事が終ったところ
石油王だの油田だの砂漠だの、
暑い国での仕事だった
人が二人死んで、大きな金が動いた
蒼太は情報収集のために政府へと潜入して、鳥羽は大きな利益を独占している石油王の側へと潜入していた
期限はたったの2週間で、難易度はS
蒼太は少し前からランクAに上がっていたから、自然仕事のレベルも上がっている
身の危険はもちろん
様々なスキルが要求される
言語能力はその最たるもので
鳥羽から教えられた言葉が、この仕事でもかなり役に立った

「鳥羽さん、お待たせしました」
「・・・なんだお前、車持ってきたのか」
「メンテナンスに出していたんです
 組織へ戻されるのが丁度 この国経由で輸送される予定だったので引き取ってきました」
この国は気候も良く過ごしやすい
昨日までいた国とは大違いだと思いつつ 愛車に乗り込んだ鳥羽に視線を移した
今から、二人して組織の指定した村まで行くことになっている
一つの仕事が終った途端、また次の仕事
鳥羽が仕事人間だから、こういうことは珍しくなく
今回も、休む間もなく移動してきた
幸い、二人とも怪我がなかったから、仕事が終った足でそのまま飛行機に乗り入国し今に至る
「久しぶりだな、これに乗るのは」
「そうですね、僕もです」
指定された村は 公共機関のないド田舎だったから どうしても車が必要で
見計らったように、丁度 鳥羽に貰ったメルセデスがそろそろメンテナンスから戻る時期だった
飛行機に乗る前に、業者に連絡をつけて
鳥羽を空港で待たせて、たった今、蒼太が取りに行ってきた
不調もすっかり治って、今 車は鳥羽と送付を乗せて調子よく走っている
「で、その村までどのくらいなんだ?」
「車で7時間です」
「・・・だるいなぁ」
鳥羽が助手席で苦笑した
煙草に火をつけて、窓を開ける
それから、小さな欠伸をした
「眠ってくださってかまいませんよ、鳥羽さん」
「おー、悪いな」
「いいえ」
鳥羽は 前の仕事でほとんど寝ていない
四六時中 石油王だか何だかを見張っていた
しかも 書記官になりすまして潜入した蒼太と違い、鳥羽はしのびで潜入していたから 常に身を隠し
ていなければならず、まともに休むこともできなかったはずだ
へたをすれば、2.3日は立ちっぱなしとか、そういう状況もあっただろう
ただでさえ、体力を消耗するあんな暑い国で
10日以上も緊張感を保ち続け活動していれば、いくら鳥羽でも疲れるだろう
「着いたら起こします」
「おー」
煙草を1本吸い終えると、鳥羽は目を閉じた
しばらくすると深い眠りに落ちたのがわかる
それを横目で確認して、蒼太はそっと息をついた
鳥羽の隣で、仕事をすること
鳥羽が認めてくれるような仕事をすること
今はそのことばかり考えている
蒼太がAランクになった時から 鳥羽は明らかに蒼太に対する態度を変えた
信頼してくれている、そんなのが伝わってくる
前のように 仕事に関して命令したりすることがなくなった
自分で考えて動け、と
そう言っているのだろうと思った
それは、蒼太を一人前と認めてくれているということだ
蒼太に命をかけてくれているということだ
(相棒・・・)
その、鳥羽の態度が蒼太にはとても嬉しかった
今まではずっと、上司と部下という感じだったけど 今は本当のパートナーだと感じる
いつか鳥羽が言っていた
相棒ってのは、対等だ
お前はまだ、相棒じゃないな、って
(あなたの相棒でいることが僕の誇りです)
静かに、車体を揺らさないように蒼太は車を運転した
二人きりの車内
ここが蒼太の一番好きな場所だ

正確には7時間20分で、目的地についた
その頃にはもう夕方で、鳥羽は途中で目を覚まして 着くまで何だかんだと話していた
この国で昔した仕事のことや
この国にいる恋人のこと
それから いまから行く村出身の、組織の人間のこと
「良く来てくれた、ユージ、ゼロ」
村は静かでさびれていた
人影は見当たらない
村の入口すぐの空き地に車を止め 降り立った二人に闇の中から声がかかった
聞いたことのある声だな、と思って
それから 目の前に現れた男を見て あれ、と
蒼太は鳥羽を見つめた
見たことのある男だ
組織の人間、元軍人の
彼とは、組織の施設以外でも、日本の空港であったことがある
しかも、今さっきまで、鳥羽が話していた男だ
この村で生まれ育ち、軍隊へ入り国のために戦い
だがその軍を抜けて組織に入った男がいると
日本人の女に惚れて、その女を口説き落として結婚した時 軍人は見たこともない顔で幸せそうに笑ってたと 鳥羽が懐かしそうに笑って話した その男だ
「なんだ、ハーベイか
 里帰りでもしてるのか?」
鳥羽が笑った
対等な友に接する態度だと思った
鳥羽の周りには 鳥羽より下の者が多い
彼はいつも、上位で
皆が鳥羽を慕って集まってくるから、まるで王様みたいにその輪の中心にいることが多いのだけれど 
どうやら彼は違うようだった
対等に、鳥羽と話ができる友人のようなものなのか
「オレ達を呼んだのはおまえか?」
鳥羽の手が、スーツのポケットから煙草を引っ張り出した
「そうだ
 ・・・これを、渡したくて」
ハーベイの顔は 暗くてよく見えなかった
さっきまで斜めに射していた陽は、もうすっかり暮れている
この村には灯りが少なく、夜は暗い
「何ですか・・・?」
差し出される黒い封筒を、蒼太は怪訝そうに受け取った
鳥羽は無言でハーベイを見つめている
「死んだのか、あの子」
煙と一緒に、低いトーンの声が吐き出された
ドクン、
心臓が鳴る
死んだ?誰が?
この黒い封筒は何なんだ、と
裏返すと銀色の文字で 名前が書かれていた

ゼロ様へ
エミの葬式への招待状です

「・・・・・エミ」
知っている名前だった
ほんのわずかだけど、一緒に過ごしたとこのある少女
日本人とカナダ人のハーフだと言っていた
父親が組織に属していて、そのせいで恨まれてよく狙われる
攫われたり、監禁されたり、殺されそうになったり、
色々な怖い目にあっていた
もう慣れたから大丈夫だと、震えもせずにしっかり立っていた まだ高校生だった彼女
本当は逃げ出したいくらい怖かったのに、自分に言い聞かせて戦っていた
私は大丈夫
私は何も怖くない
自己暗示をかければ生きていけると笑っていた、あの少女

「村にホテルはないから、私の家を使ってくれ
 葬式は明日の夜
 二人には出てほしかった、だから呼んだ」
ハーベイは先に立つと二人を案内するかのように歩き出した
鳥羽の煙草の煙が漂っていく
自分が呼ばれたのは、なんとなくわかった
エミと過ごしたことがあるから
エミを救ったことがあるから
では鳥羽は、彼女とどういう関係なのだろう
鳥羽の好みからして、ああいう幼いタイプを恋人にするとは考えられなかったけれど

その晩、遅くまで鳥羽とハーベイは酒を飲んでいた
蒼太はその場で酒を作るためだけにいて 二人の話にはほとんど入らなかった
そもそも、二人の会話はなまりの強いオランダ語でなされており、
蒼太には、半分くらいしか聞き取れなかった
以前一度 仕事で使ったことがある言語だったけれど、
勉強期間が短くて、ヒアリングするのが精一杯
その後 続けて勉強したわけでもないから、スキルはそのまま停止状態
教科書通りの発音なら、そこそこ聞き取れるけれど、
こうまでなまりが強いと辛かった
それで、こうしてただの給仕係になりさがって、二人の世話を焼いている
(仕事だと思っていたから・・・少し気がぬけた・・・)
ぼんやりと、蒼太は手元のグラスを見つめた
どこかまだ信じられない
エミが死んだなんて
その葬式に、自分が呼ばれてここにいるなんて
思考に沈みながら 彼女の顔を思い出してみる
化粧気のない、どこか幼い少女だった
ハーフなのに、黒髪の彼女は全くそれっぽく見えなくて
逆に、その頃 金髪で、目にカラーコンタクトを入れていた蒼太を、外国人だと思い込んでいたっけ
(よく考えてみれば、そんなに驚くことじゃないよな・・・)
手元の酒のグラスには、水滴がついて濡れている
冷たさが、指にまとわりつくのが なんとなく少し不快だった
(安全な世界じゃないもんね・・・)
何度も何度も狙われて
いつもいつも、組織の人間が守り助けてきた命
死ぬはずない、なんて安易に考えていた
死がすぐ側にあるこの世界で、どうして彼女だけ無事でいられるなんて思っていたのだろう
エミの母も、そういう風にハーベイの敵に殺されたのに
「組織をやめるのか?」
鳥羽が落ち着いた声で聞いた
答えはわかってるかのような聞き方だった
「いや」
短い答え
この程度の会話なら聞き取れた
ハーベイの声を聞いていたら、蒼太がエミを保護した時 空港に駆けつけた彼の顔を思い出す
組織では 融通の聞かない厳しい人間で通っているのに
ガタイも良くて 顔も怖くて、どこか近寄りがたい雰囲気を出しているのに
あの時 空港でエミの無事な姿を見て 抱きしめた顔はただの父親の顔だった
心底ほっとしたような顔で、ここまでエミを無事につれてきた蒼太に感謝の目を向けていた
その彼が、今は泣き出しそうな目をしている
「仇を討つ相手が増えた、やめるわけにはいかない」
何かを諦めたような口調だと思った
ハーベイは、最愛の妻を殺されて、その仇を討つために組織に居続けているのだとエミが言っていた
娘がそのせいで狙われることになったとしても、組織はやめないのだと聞いたとき 不思議だった
死んだ妻より、生きている娘の方が大事じゃないんだろうかと考えた
エミはあんなにも、父親を愛していたのに
自分に暗示をかけて、あんな人は嫌いだと
大嫌いだと思い込まなければやっていけないほど、エミは父を愛していたのに
「身軽になったと思えよ
 何も守らなくていいなら、楽なもんだ
 どこまでだって突っ込んでいける」
淡々とした鳥羽の言葉
単語を拾って なんとなく何と言ったのか想像する
とても、残酷な言葉に感じた
身軽になっただなんて、
楽になっただなんて
娘を亡くした人間に言うことじゃないだろう思いながら、伺うとハーベイはわずかに苦笑しただけだった

「ゼロ、おまえはもう寝ろ
 いつまでも付き合わなくていいぞ」
突然、鳥羽のカラになったグラスに酒を注いだ蒼太に、鳥羽が穏やかに言った
日本語だったからびっくりして、蒼太は顔を上げると鳥羽を見た
結構な量を飲んでいるのに、全く平気そうな顔をしている
この程度では酔わないのはわかっているから、放っておけば二人で朝まで飲んでいるだろう
「・・・いいんですか?」
「いい、ワインにするから」
鳥羽の言葉に、ハーベイがわずかに笑って席を立った
部屋を出ていくから、ワインを取りに行ったのかもしれない
(そうか・・・奥さんが日本人だから日本語もわかるのか)
思いながら、蒼太は酒のビンをテーブルに置くと 煙草に火をつけた鳥羽をもう一度見た
「鳥羽さんは、エミと親しいんですか?」
「オレはな、あの子が生まれた時 丁度そこに居合わせてな
 とりあげた上、生まれたてのを抱いて病院まで走った
 いわば、命の恩人ってやつだ」
くく、と
鳥羽は笑って、煙草の煙を吐き出した
ぽかん、とする
エミが生まれた時って、何年前だ
そんな頃から鳥羽は組織にいるのか
生まれたての赤ん坊を抱いて病院まで走るって、
それは一体どんな状況だったのか
「お前だって19のときからいるだろ?
 アゲハみたいにガキの頃からいる人間も多い
 なんら、不思議じゃない」
「・・・そう、ですけど・・・」
「おまえ、オレをいくつだと思ってんだ?」
「鳥羽さんは・・・年齢不詳です
 というか、僕は鳥羽さんのことを何も知りません」
改めて言われれば、鳥羽はいくつなんだろうとか
鳥羽祐二という名は本名なんだろうか、とか
組織に何年いるんだろう、とか
そういうことを、自分は何も知らなかった
出会ってから今まで、この目で見てきたものだけ
触れたものだけ
それだけの情報しか持っていない
「充分だろ
 おまえは自分の手で触り、目で見たものよりデータの方が信用できるのか?」
「・・・でも知りたいです」
「今まで気にもしてなかったくせに?」
くく、と
また鳥羽が笑った
蒼太が作った酒を飲む横顔
30才くらいだろうか、と勝手に思っていたけれど、だったらエミの生まれた時には15歳ということか
「鳥羽さんって、いつから組織にいるんですか?」
「そんなに気になるのか」
「はい」
蒼太は、一度放した酒のビンを再び手にとって、鳥羽のカラになったグラスに酒を注いだ
今まで本当に気にもしなかったけれど、組織でランクSSSなんて評価を受けている人間など2.3人しかいない
どれほど組織にいれば、そんな評価を受けられるのか
「私がユージに初めて会ったのは、オランダ軍の中だった
 その時ユージは16歳だと言っていた」
ワインを樽ごと運んできたハーベイが、話に入ってきた
床に樽を置くのを目で追いながら 16歳の頃の仕事のデータなんて もらったPDAには入ってなかったと思い返す
鳥羽は、蒼太が知るよりずっと多くの仕事をしていて、
想像よりもずっと長く組織にいるようだと、思った
「あの軍には長くいたな、3年だったか
 戦いの勝敗を操作しに来たと聞いたときには驚いた
 そんなことが、一人の少年にできるなんて思いもしなかったから」
ハーベイが日本語で話すのを どこか不思議な感覚で聞きながら 蒼太はわずかにうなずいた
鳥羽はワインの味をたしかめるように一口飲んで、懐かしいとつぶやいている
「軍の仕事は嫌いなんですよね・・・?」
「嫌いになったな、あの3年間で」
嫌なことを思い出させるな、と
わずかに眉を寄せた鳥羽は、蒼太にもグラスをよこしてきた
赤い液体がグラスを満たしていく
鳥羽とこんな風に飲むのは久しぶりかもしれない
最近は、治療で酒を飲むなんて暇はなかったから
「軍の前は何をしていたんですか?」
「今と変わらない仕事だ」
「じゃあ、もっと前から組織にいたんですね」
「オレは組織で生まれて組織で死ぬ
 そういう種類の人間だ
 いつから、なんてあまり意味はない
 そこそこに使えるようになったら仕事に出て、できることが増えるたびに仕事のレベルが上がってランクも上がっていつのまにか、今に至る
 オレ自身あんまり深く考えてない」
鳥羽の言葉に、なんとなく
納得しつつ、それはどういう意味かとわからなかったり
理解できるような、もっともな気もするけれど、巧くかわされたような気もしたりで
消化不良な顔をした蒼太に、鳥羽は意地の悪い顔で笑った
「わからんことは自分で調べろ
 人に聞いて答えを出そうなんて甘えは捨てろよ」
「・・・はい」
どうせ、調べたって出てこないのだろうと思いつつ
蒼太はグラスのワインを飲み下した
苦いような、深い味がする
自家製なのだろうか
ハーベイが、ウチのはうまいだろう、と機嫌くおかわりをついでくれた
明日が葬式だなんて、思えないほどにのんきな時間が過ぎていく

「ユージ、ゼロ
 私は準備があるから教会へ行く
 二人は時間になったら来てくれ、それまではこの家で好きに過ごしていていい」
結局、蒼太は部屋へは戻らずに 朝まで二人につきあって飲んでいた
ハーベイは9時には家を出ていって、
それを見送った後、鳥羽はソファにもたれて溜息をついた
「ゼロ、眠たきゃそこのベッドを使え
 シャワーも勝手に使っていいからな」
言いながら 鳥羽は自分でワインをついでいる
(まだ飲む気か・・・)
思いつつ、蒼太は鳥羽の横顔を伺った
いつも通りの顔
でも、仕事モードに入っていないのに目がどこか厳しいような色をしていた
鳥羽も死を悼むのだろうか
組織の人間は人の死をすぐに忘れることができる
考えないようにすることもできる
仲間の死もあまり悼まない
だけど、こんな風に
親しい人間が死んだなら、悲しんだり、悼んだり、するのだろうか
15年前 その手で取り上げた命が消えたこと、鳥羽はどう思っているのだろうか
「鳥羽さん・・・」
聞いてみたかった
蒼太の中には、人に対する想いが消しても消しても残っている
捨てようとして、殺そうとして、できなくて、さんざん苦しんだ
今も、痛みを無視するのに苦労している
意識を閉ざすことがうまくできない
外に出さないよう、最大限の努力をしているけれど、完全にポーカーフェイスできているかはわからない
「なに」
「聞きたいことがあるんですけど」
「おまえは質問ばっかりだな」
「知りたいことがたくさんあるんです」
蒼太の言葉に、鳥羽がおかしそうに笑った
「なんだよ、今度は」
「エミが死んで、少しは、悲しい・・・ですか?」
おかしな問いかもしれない
失礼な言葉かもしれない
だけど、口をついて出たのは こういう表現だった

エミが死んで、少しは、悲しいですか?

「おまえな」
鳥羽が苦笑した
怒るかな、と思ったけど 鳥羽は怒りはしなかった
「オレを冷血漢だと思ってないか?」
意地の悪い視線に、蒼太はわずかに苦笑した
すみませんと謝ってみる
ということは、鳥羽も悲しいのだろうか
ただ、その感情を押し殺しているだけなのか
仕事のときのように、コントロールしているだけなのだろうか
量りかねる
あまりに平気な顔をしているから
「エミの母親はジャングルの中で出産した
 敵に攫われたのを救出して逃げてる最中だった
 ハーベイは近くの基地にエミの母親を連れて逃れて、オレはエミを抱きかかえ、敵をひきつけながら反対側の町まで走った
 ジャングルを抜けるのに3時間、町まで2時間
 結構大変だった
 エミも大人しかったから、多分死んだなと思いながら5時間走りっぱなしだった」
淡々と、鳥羽は話しながら蒼太にグラスを差し出してきた
本当に底なしだな、と思いつつ
冷やしてあった酒を持ってきて注ぐ
その間にも、鳥羽は淡々と話し続けた
「ハーベイは本当に彼女に惚れていて、子供が死んでもいいから妻を助けたいと言っていた
 だから囮に使った
 基地へは1時間で着ける
 子供も基地へ連れていけば、そこには医者もいるのに、そうはしなかった
 オレに、逆の町へ行ってくれと言った
 妻を死んだと思わせて、子供は生きてると思わせて
 敵が子供の方を追うように仕組んだ
 オレは囮のエミを抱いて、ひたすら走った」
鳥羽の言葉に、蒼太は言いようのない感情をもてあました
淡々と話すには、あまりに重い話だと思う
生まれたての赤ん坊を囮にしろといわれるのも、
それを実行するのが自分なのも、簡単なことではない
自分の命も危なくて、腕の中の赤ん坊は確実に死ぬとわかっているのだから
「まぁ、あの時は本当にギリギリだった
 オレと子供が囮になってなかったら、多分ハーベイもエミの母親も死んでた
 あいつの判断は正しかったんだけどな」
そして、エミは奇跡的に生き残った
生まれた時 産声を上げた以外は ぐったりとおとなしかった腕の中の赤ん坊
鳥羽が抱いていた間中、息を潜めるようにしていた
町の病院に駆け込んで医者に預けて2時間後
命を取り留めたと聞いたときは 気が抜けたというか、笑いが止まらなかったというか
人間のしぶとさを知ったというか、
言葉なんて出なかった
今にして思えば 多分、それは歓びという感情だったのだろう
後から後から溢れてきた
熱いような感情が
「あんなに走ったのは まぁあの時くらいだ
 そんなわけで オレ的にはかなりの苦労をして生かした子だ
 死んで、悲しくないなんてことは、ない」
苦笑した鳥羽に 蒼太は俯いてもう一度謝った
鳥羽はこうやって軽く話すけれど、その時どんな気持ちだっただろうと思うと涙が出そうだった
エミのことも、今までの仕事のことも、自分自身のことも
鳥羽は蒼太の想像を超える経験をしていて、
蒼太の感覚では量れない思いを潜ませている
こうして言葉にしてもらわなければ、蒼太には思いもよらないことばかり
「でもな、長生きはしないと思ってた
 どう考えたって、平穏に生きていられるような環境じゃない」
組織でかくまうわけでもなく、普段は護衛をつけている程度で
本人の学校生活を優先したのだと言って、死なせていては意味がない
死んだら全てが終りなのに
もう戻ることはないのに
「死んだとき、ようやく終ったかと思った
 死んでほしかったというわけではない
 ただ、いつか終るなら、早く終ってほしかった」
それは鳥羽の本音なのだろう
言葉にした後、酒を飲み干して あとはもう黙ってしまった
悲しくない、はずがない
思って、蒼太もまた俯いた
夜まで、このまま眠ろうと思った

その夜、教会の灯りはとても綺麗だった
祭壇が星のように輝いている
白い花で飾られた棺
手を伸ばして、花を捧げた
エミの顔は、花で埋め尽くされていて見えなかった
棺は閉ざされていて、開かなかった
彼女と手をつないだことがある
体温の通った温かい手
震えていた横顔をまだ覚えている
慣れてるから大丈夫と笑った顔も
ゼロ、と名を呼んだ声も
あの人を殺すの、と
揺れた目も まだ覚えている
そしてきっと、忘れられない

「なぜ、棺が閉じられているんですか」

ハーベイが静かに花を捧げた
その後姿に問うてみる
ハーベイにとっては、妻だけが大切な存在で
他は必要なく、だから娘もいらなくて
生まれた時に 死んでもいいと囮にするくらい意味のない
いらない存在だったのかと、思うと悲しくて腹立たしくて、
蒼太の声は 自然ときつい色を含んだ
「一目、エミに会いたかったです」
できるなら、その胸の上に花を置きたかった
棺の上ではなく
「彼女の手を取って、お別れの言葉をかけたかったです」
棺にあけられた窓からは、花しか見えない
中に彼女がいるのかどうかも、わからない
「僕がエミを日本の空港で引き渡したとき、あなたは心底エミを心配している顔で迎えてくれた
 娘を危険な目に合わせてまで、奥さんの仇を取りたいんだということは僕にも理解できます
 両方、大切で、両方守りたいんだと思っていました
 でも、違うんですか?
 本当は、エミなど どうでもよかったんですか?」
こんな風に言うのは間違っていると思う
言っても意味がない
ハーベイの想いはハーベイにしかわからないのだし、
鳥羽が語らないように、ハーベイも語らないだけで、本当は色々に複雑な気持ちとか事情とか、
そんなものがあるのかもしれない
だけど、言葉は止まらなかった
言いたい
聞きたい
エミを愛していたと言ってほしい

「エミが生まれた時、私は彼女を殺してでも妻を助けたかった
 だが、エミは生きていてくれた
 私は嬉しかったと同時に、悲しかった
 私はエミに、愛される資格を失ったのだから」

ハーベイの手が、花の置かれた棺に触れた
愛しそうに撫でる手
傷だらけの、無骨な手
一体今までに、何人の人間を殺してきたのだろうか
そして、どれだけの痛みを無視してきたのだろうか
「エミは私の罪の証
 あの子を見るたびに私は自分の罪を思い知らされる
 我が子を殺したいと思う親がいると思うか
 きちんとした病院で生まれていたら、この手に抱いて誕生を祝福した
 だけど、あの時、私は選ばなければならなかった
 妻か、娘か
 そして、最愛の妻を選んだ
 彼女なしでは、私の人生に意味がないからだ」
苦笑したような気配があった
後ろからでは 彼の表情は見えない
声と気配で感じるだけ
空気で、感じるだけ
「わかってほしいとは言わない
 私は、結局最後までエミを犠牲にし続けた
 守りきれずに殺してしまった
 いつかこの日が来るとわかっていながら」
ハーベイの言葉と想い、わからないわけではなかった
蒼太だって、鳥羽を最優先している
彼がいなければ、蒼太には生きる意味がなくなるだろう
だから、鳥羽と何かを比べてどちらか一つを選べと言われたら、迷うことなく鳥羽を選ぶ
誰か一人が 自分にとって特別になること
その想いはよくわかる
だから、責めているのではない
ただ、聞きたいだけ
それでも、エミを愛していたと
たとえ1番は妻なのだとしても、
たとえ犠牲にし続けていたのだとしても、
間違いなく、エミのことも愛していたと
聞きたいだけ
それでも父が大好きなんだと、言っていたエミのために
強く生きようとしていた、彼女のために

「私は間違っていたとは思わない
 もう一度 人生をやり直せると言われても、きっと同じことを繰り返すだろう」
ハーベイの声が静かな教会に響いた
「私は妻を選び、エミを囮にし、犠牲にし、生きようとするだろう」
でも、
でも、それでも、それでも、それでも、

「私は願っている
 これが夢であるようにと」

エミが死んだなんて、夢だと誰か言ってくれ
愛していないはずがない
可愛くないはずがない
生きていてくれた奇跡の子
愛した人と自分の子供
二人の存在と絆と愛の証みたいな、たったひとりの娘
「私は今も思っている
 これは夢で、あの子は日本で学校に通っていて、今も笑っているんだと」

信じている
死んでなんかいないと、言ってほしい
誰か、
誰でもいいから、
どうか、
どうか、どうか、どうか

教会の外には、冷たい風が吹いていた
「顕花は終わったのか」
教会の外に鳥羽がいて きらきらした教会を見つめている
顔が上げられなくて、蒼太はうつむいたままうなずいた
聞きたかった言葉だったはずなのに、痛くて
心が痛くて、泣きそうだった
ハーベイはエミを愛していた
その一言が聞けて、嬉しかったはずなのに 蒼太は何ひとつ救われなかった
逆に胸が張り裂けそうだ
吐きそうなほどに締め付けられて、息もできない

大切なものを失って、平気でなんていられるはずがない
人の死を、忘れることなんてできるわけがない
みんな、無理をしている
歪めて、殺して、無視して、たった一人で泣いている

「エミは爆弾で吹っ飛ばされて死んだそうだ
 痛みを感じる暇もなく即死
 それだけが、救いだな」
おかげで、死体はバラバラだけど、と
鳥羽の言葉が とてもとても悲しかった
心が揺れる
死んだはずの心が揺れる
あの毒で
鳥羽に与えられた毒で、この心は一度死んだのに
叫んで、泣いて、足掻いて、そして諦めたのだから
今さら痛んだって、それはただの現象にすぎないのに

「鳥羽さん」

うつむいたまま、呼びかけた
返事の代わりに煙草の煙が漂ってくる
ああ、好きな香り
あなたがそこにいると、安心する香り

「僕が死んだら、少しは、悲しいと思ってくれますか?」

聞いてはいけないと思っていた
鳥羽は自分の死など、悼まないと思っていたから
組織の人間は、そういう感情を持ってはいけないと思っていたから
半人前の自分だけが、こんな感情に振り回されていて
鳥羽や、他の人たちは 人の死など何とも思ってないと、思っていたけれど

「お前が死んだら花を捧げてやろう」

鳥羽の言葉は、短かったけれど 蒼太にはもうそれで充分だった
痛くないはずはない
だって心はなくならないのだから
揺れないはずはない
人は、人を愛して、特別に思って、関わっていくのだから
けして一人では生きていないのだから
「鳥羽さん、僕はやっぱり人が好きです
 誰かを泣かせたとき、心をいためます
 誰かを殺してしまったとき、泣きたくなるくらい悔やみます
 人の死を忘れません
 自分の罪を、忘れません」
蒼太の声は震えていて、
それに対して、鳥羽はわずかたげ笑った
「いいんじゃないのか、
 しんどいのは自分で、決めたのも自分なら」
煙草の香りがする
泣きたかったけど、涙は出なかった
あの時から、枯れてしまったようで
散々泣き叫んだあの日以来、蒼太は泣けなかった
今も、体は乾いている

「エミが愛されていて、よかった」

ハーベイは罪の意識とともに生きていくだろう
愛するものを全て失っても、組織をやめないだろう
蒼太も同じ
痛みを抱えながら、罪を背負いながら
それでも、まだここにいる
それでも鳥羽の、側にいる


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