ZERO-33 <20count> (蒼太の過去話)


鳥羽は、空港で飛行機を待ちながら次の仕事の話をした
フライトまで、あと1時間
さすがに疲れているのか、いつものように買い物をするでもなくロビーで煙草をふかしている
「ある私設組織が何年か前にウチに依頼してきた仕事があってな
 南の方のなんとかって遺跡に爆弾を仕掛けるから、その爆弾を作ってくれっていう変わった仕事だったんだが
 今度はそれの後始末をしてくれと言ってきた」
鳥羽の吐き出す煙を見ながら 何だそれは、と蒼太は鳥羽の言葉を待った
黒のパスポートという組織は そもそもは情報を商品としている
情報を奪うこと、守ること、コピーすること、改ざんすること、でっちあげること、その他色々
目的のためには手段を選ばないし、仕事にあたる人間はプロだから 不可能なんてないと言っても過言じゃない
1つの仕事が1日で終るものもあれば、10年かかるものもある
わずかの嘘の情報を流すため、相手を信用させるために2年も3年もかけて仕込みをすることだってある
組織には様々な仕事の依頼が来ていて、事務方がそれぞれのスキルにあわせた仕事をふっていく
この仕事にはこのスキルが必要だとか、
この地方はこの人が詳しいとか、コネがあるとか
この人の性格に、この仕事は合うだろう、とか
様々な理由で仕事は割り振られ、組織の駒である蒼太達はそれに従って動いているのだけれど
「うちらしくない変わった依頼ですね・・・」
爆弾を作れだの、それを片付けろだのと
今聞いた仕事内容は 情報がどうの、という風ではあまりなかった
まぁ、これだけの組織なのだから 依頼してきた相手によっては例外的な仕事も引き受けるのだろうけれど
「元々な、ちょっとやそっとじゃ解除できない爆弾を作れるってんでオレのところに話が来たんだ
 作動条件がハンパなくややこしいもんを大量に依頼されてな
 作って渡したのが3年以上前だから、すっかり忘れてた
 依頼書によれば、その爆弾をついこの間使ったんだと
 遺跡に仕掛けたわけだから、爆発させた場所は傷んでるだろうし、地盤の崩れやら何やら起きてるだろう
 そんな中に 使わなかった爆弾がまだ眠ってる
 それを撤去して、遺跡を元の状態に戻して欲しいそうだ」
爆弾の撤去は、作った人間がやるのが一番確実だろうと、オレにこの仕事が回ってきたと
鳥羽の説明を聞きながら そういえば鳥羽の特技は爆弾の解除だったとぼんやり思い出した
こういう爆弾なんかがからむ依頼はよく来ると 以前言っていたっけ
「その遺跡へ行くんですか?」
「いや、爆弾の方はオレがいりゃ簡単に片付くんだがな
 そこには別の奴が2年くらいかけてトラップを張り巡らせたらしい
 そのトラップの撤去もあるから オレたちが直接行くと危ないってんで、今回はマリオネットを使えって言われてる」
「マリオネット・・・」
その言葉に 前に一度関わったエダを思い出した
彼は組織のマリオネット
指示通りに動く人形
それ以外は、自我を殺して ただ黙って存在しているだけのもの
「お前 あれを動かすのは初めてだろ?
 今から組織に戻るから 練習させてやる」
「はい」
練習って、と
思いながら、鳥羽は鳥羽の差し出してきた資料を受け取った
「詳しい遺跡内の見取り図とトラップの資料は組織に届くことになってる
 それは遺跡の概要だ、適当に見ておけ」
「はい」
返事をして、その資料に視線を落とした
最初の一文、見たことあるなと思って
読み進めていくうちに これは自分が書いた文章だと思った
「あれ・・・?」
「なんだ、それお前が調べたのか?」
「はい・・・」
この手の資料は、組織の人間が片手間に作っていたり、事務方が情報を集めてまとめたりして作っている
蒼太もたまに、組織にいる時には暇つぶし程度に何度か作った
部屋のマシンから情報を取ってきてまとめるというだけの、簡単な作業だったから 普段の仕事に比べたら何でもない
(え・・・っと)
いつ書いたっけ、この文章と
考えて、すぐに答えが出てこなかったのは疲れているからか
眠ってなくて、頭が回らないからか
遺跡の名前、場所、国、気候、それからその地方の歴史とか色々
「あ・・・」
文章を目で追って、ようやく思い出した
つい5日ほど前だ
鳥羽を待っている間 暇つぶしに組織から受けた依頼
一人の男の調査と、この遺跡の調査
まさか、この資料が次の自分の仕事の資料になるとは思わなかった
「どうして、この遺跡はこんな風に改造されたんでしょうね」
「さぁなぁ」
「遺跡って、重要文化財だったりしないんですか?」
「全部が全部そうってわけじゃないだろう
 ここは歴史にも名を残してない秘境だしな
 人の手の入ってない、人が今まで見向きもしなかったものに爆弾しかけて何がしたかったのか知らんが それを使ったってんだから 何か目的があったんだろうな」
オレ達にはわからない目的が、と
鳥羽は言って ふわぁ、と欠伸をした
「お前もちっとは寝ろよ
 マリオネット動かすのは 結構神経使うぞ」
寝てないと集中力がもたないぞ、と
言った鳥羽は、苦笑して蒼太を見た
「寝れない時どうしたらいいか教えてやっただろうに
 近くにあんな男がいたんなら、実行すりゃすぐだろ」
「・・・はい」
やっぱり気づかれているか、と
蒼太は内心苦笑しつつ、俯いた
眠れないときは 身体を無理矢理に疲れさせればいい
セックスでもして 手っ取り早く疲れれば寝れるだろうと
そう教えられている
それを忘れていたわけではない
ただ実行するのが億劫だっただけ
面倒で
あの時の自分は何もかもが面倒で
シモンに言い寄っていくのも、誘うのも、抱かれるのも
考えるだけで面倒だった
だから、最終 薬に頼った
倒れるほどに疲労するギリギリまで、寝ずにすごした
「そんだけひどい顔してればなぁ」
呆れたような鳥羽は、アナウンスを聞いて立ち上がる
蒼太も資料をポケットに突っ込んで歩き出した鳥羽を追った
鳥羽の側なら眠れるかもしれない
眠れなくても、次の仕事のことを考えていられるから気持ちは楽だ
余計なことを考えなくてすむから、心が削れそうなあの苦痛を味わうことなく過ごせるだろう

組織に戻ると、鳥羽は真っ先にマリオネットを選ぶ作業に入った
「今回は力仕事だからな、力が強くて丈夫なのを選べ」
言われて、蒼太はコンピューターに登録しているたくさんの中から 鳥羽と蒼太が操る2人を選んだ
背が高くて、力が強い30代前半の男
二人とも20代前半から20代後半まで 組織で教育を受けたものの試験にパスすることができずマリオネットとして残ることを選んだ人間だった
「じゃ やり方を教えてやるからついてこい」
「はい」
先を歩く鳥羽から 煙草の煙が漂ってくる
奥の部屋は小さなブースが並んでいて、8つのモニター、卓上には無数のボタン
マイクが2本、イヤホン、それからマシンが設置されていた
「イヤホンをつけろ、マリオネットの周辺の音が入る
 モニターは真ん中がマリオネットの目に取り付けてあるカメラ
 残りの7つは任意の場所につけたものが見れるようになってる
 マイクで指示を出せばマリオネットに伝わる
 座れ、実際に動かしてみればわかる」
促され、蒼太は座席に座った
鳥羽がボタンを操作すると、電源が入る
同時に 目の前の壁がスライドして 現れたガラスの向こう、
広場のようになっている場所に さつき選んだ二人の男が立っているのが見えた
「ここはマリオネットの操作を訓練する場所だ
 石を拾わせてみたり、物を運ばせてみたり、そこの崖を上らせてみたり色々と命令してみろ
 指示が的確でないと思ったように動いてもらえないからな
 慣れてきたらこの壁を戻して マリオネットの姿が見えない状態で動かす
 本番は遠隔操作だから、もちろんこっちからはアレの姿は見えない」
慣れればさして難しくない、と
言われて蒼太は 画面を見ながら最初の指示を出した
「カメラを部屋の四隅に設置してください」
指示通りに、男が動く
設置されたカメラが映す映像が、モニターに次々写し出されていく
「一人の人間でやると、視界は一つだがマリオネットだと計8種類の景色を見れる
 全部使いこなすのは無理でも、最低4つは同時に見れるようにしろ
 3日やる、使いこなせるようになっておけ」
「はい」
説明書はそのマシンに入ってるから、と
鳥羽は言って隣のブースのスイッチを入れ マイクで何か指示を出した
もう一人のマリオネットが帰っていく
鳥羽は、こんな訓練などしなくても 使い慣れているのだろう
残された一人を見ながら 蒼太はぎゅ、と唇を引き結んだ
やらなければならないことがあるということ、
それがとてもありがたい

6時間もやっていると、なんとなく自分の指示したタイミングとマリオネットが動くタイミングがわかってきた
彼の身体能力もほぼ掴めた
自分より背が高いから、視界のモニターに映る景色が少し新鮮だと考えながら ぶっ続けで動いているのに疲れを見せないマリオネットに感心する
彼らは、脱落者だ
組織に正式に迎え入れられるほどの実力を付けられなかった者達
蒼太ほど神経を削りながら仕事をするわけでなく
知識や技術を会得するために血を吐くような努力もしない
ただひたすら、身体を鍛えて、身体能力を上げて
武器の扱いを訓練し、命令に従う心を養う
何も考えず動くことを最優先して生きている人たち
まるで人形みたいに
「それも一つの生き方ですよね」
独り言のようにつぶやいた
蒼太は組織の勝ち組だ
入って2年そこそこでBランク
パートナーはSSSランクの鳥羽で、彼と組みたいという人間は山ほどいるのに 彼は自分を選んでくれた
仕事の質は高く、求められるものはかなりレベルが高いけれど
かわりに色んなものを失っていく気がする
眠れないのが続くのも、
過去にいつまでもいつまでも捕われて 思い悩むように思考が沈むのも
けして正常とは言えない
だけど、それでも鳥羽の側にいられれば幸福だ
だから自分はここにいる
「軍隊にいた経験があり、遺跡での仕事は3度目
 銃器の扱いに長けている・・・」
マシンで、マリオネットの情報を検索しながら 蒼太はマイクで指示を繰り返した
トラップと爆弾だらけの遺跡でどうやって動こうかと、考えながら命令した
自分がちゃんと判断して動かさなければ、この男の命を奪ってしまうかもしれないと考えると、少しだけ心がきしむ気がした

「ゼロ、帰ってたんだ」
10時間以上もぶっ続けでマリオネットを動かしていた蒼太は、鳥羽から呼び出しの電話で訓練室から出てきた
遺跡の詳しい見取図をもらって、部屋へ戻る途中
廊下でばったりとアゲハに会う
「ねぇ、僕のお部屋に来ない?」
「・・・鳥羽さん、今戻ってきてますよ?」
「鳥羽さんが遊んでくれないから、ゼロを誘ってるの」
不機嫌そうな顔をしているから、いつものように鳥羽に擦り寄っていって邪険に扱われたのか
その愚痴を、言いたくて蒼太を誘っているのか
「・・・仕事があるんですが」
「1時間だけ」
ね、と
強引なアゲハに蒼太は内心苦笑した
彼は自分のことをどう認識しているのだろうと、ふと考える
お互い 鳥羽に似たような感情を抱いていることは知っているはずなのに
アゲハは、試験でアゲハに勝って鳥羽のパートナーになった蒼太をよく思っていないだろうと そう思っていたがそうでもないのか
何かと蒼太に構ってくるのが不思議だった
自分はアゲハに劣等感を抱き、何かにつけて気にしてしまう
張り合うような、負けたくないというような感情を持ってしまう
けして表に出したりしないようにしているし、アゲハを嫌いというわけではないのだけれど
心のどこかで意識している
アゲハと比べられたときには、特に気持ちが沈むくらいに
そんな負の感情を、彼は持たないのだろうか
こんな風に誘ってきたり、話しかけてきたりして
あからさまに鳥羽が蒼太をひいきした時などには ゼロなんて嫌い、と言っているけれど
その不機嫌も時間がたてば、いつのまにか元に戻っているし
今もこうやって、部屋に来てほしいと誘ってくる
「わかりました」
「おいしいワインがあるんだよ
 すっごい古いやつ、一緒に飲も」
「はい」
アゲハはにこっと笑うと、先に廊下を歩いていった

「そこ、座ってて」
「はい」
蒼太は、アゲハの部屋へ入ると、言われた通りおとなしくソファに座り、手に持っていた見取り図を脇に置いた
ここでアゲハの愚痴を聞いて、部屋に戻れるのは何時頃になるだろう
眠ったほうがいいのは分かってたけれど、結局飛行機の中でも眠れなかったし 今も眠気は全くやってこない
鳥羽から与えられている時間は3日だったから、遺跡の見取り図を見ながらもう一度マリオネットを動かしてもいいし、
過去の資料を読んで、今回の遺跡のトラップやら爆弾やらについて、みう少し調べてみてもいい
「次の仕事はどんな仕事なの?」
「マリオネットで遺跡へ行きます」
差し出されたワインを一口飲むと、妙な味がした
古すぎるワインってあまり好きじゃないかもしれない、と ぼんやりと思う
アゲハは ふーん、と
身を乗り出してこちらを見つめた
相変わらず、かわいらしい顔をしている
目が潤んでいるのが、とても艶っぽい
こういうの、自分にはないもので
こういうの、鳥羽がお気に入りの理由なんだろうなと考える
「マリオネット使うんだ
 じゃあ、今回はとっても楽だね」
現地に行かなくてもいいし、危なくないし、痛くないし、と無邪気な顔が笑った
一杯目のワインを飲み干したアゲハは、2杯目を自分でついでゆらゆらとグラスを揺らしている
「アゲハはマリオネットを使ったこと、あるんですか?」
「あるよ
 戦争してる国での仕事だからって危ないからマリオネットを使った
 僕の動かしてたやつは、弾に当たって死んじゃったけど」
言うアゲハの表情が変わらなかったことに、蒼太は一瞬ゾクと寒気を覚えた
「僕だったら、敵に見つかっても相手に取り入って何とか逃げ切れるけど
 マリオネットはそういうことできないもんね
 だから撃たれて死んじゃったんだよね」
当然、マリオネットを使うということ自体が 死ぬかもしれない危険が伴う現場での仕事だと言っているようなもので
だから、事故でマリオネットが負傷したり、死亡したりするのはよくあることだった
いざという時 組織は貴重な戦力を失わないために、代えのきくマリオネットを現地へ行かせるのだから
アゲハの言うことは 間違いではないし、事実だ
彼らの生死を分けるのは、操作する側の作戦と指示と、マリオネット自身の身体能力
命の半分を他人に握られているのが、マリオネットというものだ
わかっていて、彼らはただの人形として、
危険の伴う現地へ投入される駒として、組織に残ることを選んだ
だからきっと、死ぬことも覚悟している
(わかってるけど・・・)
わかっていても、それはとても重い気がした
自分がいつ死んでもいいと思っているように、組織の人間も 皆どこかでその覚悟をしている
だけど、自分のミスが人の死に繋がると思うと 息苦しくなった
気分が悪い
グラスのワインを飲み干して、小さく息をつく
テーブルに置いたグラスに、またワインが注がれるのをボンヤリと見ながら そうやって自分のしてきたことで死んだ人たちのことを思い出した
「ゼロは変だよ、何を気にしてそんな風に暗い顔してるのかしらないけど
 マリオネットなんて、他に使い道ないんだから遠慮なく使えばいいんだよ
 スペアはいっぱいいるんだから」
しってる?と
アゲハはいつものような媚びるような目でこちらを見つめて笑った
本当に可愛い顔
でもまるで、悪魔みたいだ
彼は組織の人間らしく、他人の痛みを全く気にしない
「僕達 組織の登録者は全部で200人
 マリオネットは600人
 訓練中のマリオネットが200人
 だから1人3人までは、死なせちゃっても平気ってこと」

1時間ほどで、蒼太はアゲハの部屋を出た
気分が悪くて吐きそうなのは、マリオネットをまるでモノのように言うアゲハの言葉に不愉快になったからか
結局、危険だという仕事にマリオネットを使う自分に嫌気がさしたからか
そういうシステムを作り上げている この組織に嫌悪したからか
自分でもよくわからなかった
見取り図を机の上に広げて、くいいるように見る
どんなに嫌な気分になっても、
どんなに落ち込んだような気持ちになっても、
やるべきことは1つだ
仕事を成功させること
それを優先させて考えなければならない
ここにいる限りは

目を閉じて、頭の中で色々と考えた
手元の資料を読んで頭の中に叩き込む
どの場所にどんなトラップが仕掛けられていて、どういう風に動くのか
解除の方法と、そのトラップの攻撃範囲
安全な場所、危険な場所
遺跡内部は いくつかの爆弾が爆発し、トラップが作動したとこによって壁や地盤が 本来の状態よりずっともろくなっているだろう
その強度の計算を 鳥羽がやると言っていた
そろそろ答えが出ているかもしれない
(作業は1週間、人数は50人)
仕事の依頼書にはそう書かれてあった
鳥羽と蒼太の動かすマリオネットの指示に従って、何も知らされていない一般企業の人間を作業に当たらせるのだろう
その人数をいかに使うか、
彼らの身の安全を考えながら 早く確実に片付けを行うこと
それが求められている
広範囲に注意を払って、色んなところを見ていなければならない仕事だった
しかも、それを他人の身体でやらなければならない
「・・・」
ため息をついて、蒼太は目を閉じた
アゲハはああ言っていたけれど、自分がもしマリオネットを死なせるようなことがあったら
そのときはとてもとても、無能な自分が嫌になるだろうなと思った
人が自分のミスで死んだのに、なのに自分は無傷で痛くもないなんて きっと我慢できはしない

次の日も、その次の日も 蒼太はマリオネットを動かす訓練をしていた
操縦者とマリオネットが直接は話をすることはめったにない
行動の命令は蒼太からマリオネットへ一方的に流れる
彼等は、蒼太の言う通りに動き、言うとおりに喋るのだ
だからマリオネットの動きが鈍いようなら 注意して、
思ったように動いてくれなければ、指示をしなおす
それをずっと繰り返している
「すみません、今のはそういう意味じゃありません」
言葉のささいな取り違いで、思っていたことと違う動きをされることにも慣れ
こう言えば こう勘違いするかもしれない、と よりわかりやすい言葉で指示しなおしたり
言葉を選んでみたり、言い換えてみたり
(動かすの、難しいんだな・・・)
思いながら、蒼太は繰り返し繰り返し、マイクで指示を出した
それこそ、動かされているマリオネットの顔に疲労が浮かぶまで
鳥羽から、戻ってこいと電話が鳴るまで

「おまえは限度ってもんを知らんな
 明日から仕事に出るのにマリオネットを疲れさせてどうする」
「すみません・・・」
鳥羽の部屋に呼ばれた蒼太は、向かいで苦笑した鳥羽の顔を見遣った
いつもは片付いているこの部屋には今、書類が散乱している
大量の資料、計算が書きなぐられた紙、コードがむき出しになった爆弾らしきもの
見取り図は赤でしるしの入れられたものが2セット、青で文字がかかれたものが2セット
一部が黒く塗りつぶされたものが2セットずつ、ソファのあたりに広げられている
「ちっとは慣れたか?」
「はい」
「マリオネットを使うことの利点は、現地で作業しながら こっちで調べ物ができるってことだ
 身体が二つあるのと同じだな
 オレとお前、現地ではバラバラに動いてても、ブースは隣だから打ち合わせもできるしな」
プカプカ、と
鳥羽の吸う煙草の香りがとても心地よかった
鳥羽は仕事が好きで、
今も、寝ずに計算や指示方法や、その他の色々なことを考えているのに 疲労のかけらも見せずにむしろ楽しんでやっている
頭をフル回転させて、レベルの高い仕事をこなしていく姿は憧れる
自分もこんな風になって、鳥羽と並んで歩きたいとそう思う
「爆弾の位置、トラップの位置、稼動したときの影響範囲、覚えたか?」
「はい」
「対処方法は?」
「覚えました」
よし、と
鳥羽は 蒼太の煎れたコーヒーに口をつけた
パラパラと、書類をめくりながら言う顔は穏やかだ
今回の仕事はいつもと違って潜入の緊張も、他者を演じるプレッシャーもないから鳥羽にとっては楽勝なのかもしれない
「マリオネットは難しいだろ」
「はい」
「さっきちらっと見たが、お前はお利口だな
 なかなか巧いじゃないか
 あれなら指示ミスも、そんな心配することないな」
満足気な鳥羽は、蒼太を見やってわずかに笑った
そうして穏やかに話をする
「マリオネットを死なせるなよ
 あれらは身体を鍛えてはいるが、それでも生身の人間だ
 間違った指示を出したら死ぬ、そう思って動かせよ」
「・・・・・はい」
落ち着いた声、蒼太に何かを教える時の声
鳥羽の言葉に、救われる気がした
アゲハは、あんなものただの駒だと言っていた
スペアはいくらでもいる
自分たちは選ばれた人間だ、試験にパスした優秀な人間だから死なせるには惜しい
比べてマリオネットは落ちこぼれだ
死なせても、組織の痛手は少ない
かわりはいくらでも、いるのだから
「今夜中にマリオネットは現地へ向かわせる
 オレとお前は明日の朝8時にブースに集合」
「はい」
鳥羽は言いながら、床に散乱した見取り図を拾い上げた
赤いしるしと日付が入っている、それをテーブルの上に置いて、一点を指差し言った
「明日はとりあえず、ここ突破が目標な
 思ったより神経使うぞ、今夜はちゃんと寝ておけよ」

鳥羽の部屋を出て、色々なしるしのついた見取り図をもらった蒼太は、廊下の途中でアゲハにあった
「今夜も、おいでよ」
「・・・はい」
この3日間ずっと、アゲハはこの廊下で待っている
いいワインがあるんだよ、と
部屋へ誘うから、もう断るのも面倒で いつもワインを飲んで話をして帰ってくる
今夜も1時間くらい話したら、部屋へ戻ってベッドに入ろうと 蒼太はいつものソファに腰掛けた
「明日から仕事なんだ
 いいよね、鳥羽さんのパートナーになったら、ずっと鳥羽さんといられるんだもんね」
ワインの色が血の色みたいだと思いながら 蒼太はその言葉に答えないでいた
アゲハの愚痴も、もう慣れた
今は仕事のことで頭がいっぱいだから、変な嫉妬も姿を隠している
アゲハと比べられなければ、自分はまだこの醜い気持ちを隠していられる
無視していられる
「僕は1ヶ月間の休暇中なんだ
 休暇って最初は楽しいけど、そのうち飽きてきちゃうね
 どこかに旅行でも、行こうかなぁ」
「僕も休暇は何したらいいのかわからなくなります」
空いた時間なんていらないと思う
何もすることがなくて、何も考えることがない時間は苦痛だ
本を読んでいても、マシンで情報の中で遊んでいても、気づけば過去のことを考えてしまうから
「今度のお仕事 どれくらいかかるの?」
「1週間です」
「1週間しかないの? 大変だね」
「そうですね・・・」
グラスを回す
ゆらゆらと、グラスの中で血の色が回るようで 気分がちょっと沈んだ
眠っていないせいで、体調がよくない
夜はベッドに入るけれど、結局眠れなくて2時間ほどで諦めて机に向かう日々が続いている
明日から仕事だ
相当神経を使うから、今夜はちゃんと眠れと
鳥羽の言葉を思い出して、蒼太はワインを喉に流し込んだ
もし今夜も眠れなければ、薬を使わなければならないかもしれない

シャワーを浴びて しばらくベッドに横になっていた蒼太は、今夜もやっぱり眠りが訪れないのにため息をついて テーブルの上の睡眠薬を手に取った
これは悪夢をみるから嫌いだ
鳥羽の言うように、身体を無理矢理に疲れさせた方が断然マシな眠りを得られる
だけど、今
この組織内の人間を性行為を誘うのは とてもとても億劫だった
時計は深夜の1時
サロンでは まだ皆が酒を飲んだりカードをしたりしているだろうけれど
蒼太に興味があるという男も、そういう行為が好きだという男も、いるだろうけれど
考えただけで面倒になって、蒼太はグラスの水と一緒に 医者からもらった錠剤を飲んだ
水の冷たさが、体温を下げるようで少しだけ震えた

それから1時間後、
蒼太は悪寒と、吐き気と眩暈に どうしようもなく震えていた
全身が冷たくて、冷や汗が背中を伝う
トイレで吐けるだけ吐いたけれど、それでも吐き気は治まらず、次第に全身の力がぬけるような感覚に捕らわれていった
冷たい、冷たい
手も足も身体も
目がよく見えなくて、視界が曇って、ぐるぐると世界が回るようだった
沈みそうになる
トイレの床に転がって、力の入らない手が震えるのをかすむ視界に映しながら 蒼太は身体が沈んでいく感覚に堕ちていった

(何・・・だったんだ・・・これ・・・)
結局、一睡もできず5時間苦しんだ後 吐き気はす・・・っと治まった
身体を起こしても眩暈はせず、
そっと立ち上がって、蒼太はそのままバスルームでシャワーを浴びた
気づかないうちに身体が弱りすぎて、きつい睡眠薬を受け付けなくなってしまったのかもしれない
今の自分は万全の体調ではないから薬を飲むのも気をつけなければならないのかもしれない、と
そっとため息をついた
結局眠れなかったこと、鳥羽は見抜いてしまうだろう
仕事に少しでも支障をきたしたら、どれほど叱られるか、と
蒼太は苦笑して、熱いシャワーの中唇を引き結んだ
緊張感がじわじわと身体を侵していく
ミスは許されない
時間はたったの1週間しかない
同時にいくつものカメラを見て、マリオネットを操縦し、50人もの人間を動かして危険なトラップと爆弾を撤去する
神経を使う作業に、とりあえず今日という一日 耐えなければならない
(失敗は、許されない・・・)
自分に言い聞かせて、目を開けた
神経がすっと、研ぎ澄まされていくような気がした

時間きっかりに、蒼太と鳥羽は同じ部屋のブースにそれぞれついた
訓練用のブースと違い かなり広いスペースがあるこのブースには マシンが2台ずつ
見取り図が前の壁に貼られ 脇の机には資料が山積みになっていた
「おはようございます、宜しくお願いします」
言いながら、蒼太は手元のボタンを操作してモニタの画面をオンにした
全部で4つのモニタに映像が映っている
一つはマリオネットの目
あとの3つは、蒼太が予め指示してあった場所に設置された小型カメラの映像だった
これの全てを見ながら指示を出し、作業を進めなければならない

「ゼロ、こっちにおまえのとこの作業員を回してくれ
 これは思ったよりガタがきてる
 爆発させて撤去しようと思ってたのがいくつかあったんだが、無理だな
 昼イチ解体する」
「はい」
「1班に 西の出口の補強をさせろ
 崩れたら全員生き埋めなんてこともありえるぞ」
「地盤が思ってたよりゆるいですね」
「見立てが甘いんだよ、誰だ現地調査やった奴は」
隣のブースから鳥羽の声が飛んでくるのは 何かとても不思議な気がした
いつも仕事中は うちあわせなどできない
それぞれで考えて、それぞれで動く
だが今は、すぐそこには鳥羽がいて、時々こうやって声をかけてくるし
床には 蒼太のブースにまで鳥羽がちらかした資料が散乱している
「1班の皆さんには 西の出口の地盤の補強をお願いします」
蒼太はマイクを持ち変えて言葉を発した
二つあるマイクのうち、右がマリオネットに行動の指示を出すもの
左が 言った言葉をそのままマリオネットが繰り返すためのものだった
マリオネットには専門知識がない
今回の仕事のために 蒼太が勉強した地層やこの場所の地形のこと
遺跡のこと、トラップの解除方法など
蒼太の言葉を繰り返すことで、マリオネット達は知識などなくても 現場の人間に指示できるようになっている
「1班リーダーの趙さんに続いて、移動してください」
言いながら 蒼太はモニターを確認して、マイクを持ち変えた
「あなたも1班と一緒に西出口へ移動してください
 着いたら壁面の画像を送ってください、なるべくたくさんお願いします」
マリオネットへの指示をして、鳥羽の様子を伺う
「後、お願いします」
「オーケー」
鳥羽の顔はブースを区切るパーテーションで見えなかったけど、かわりに煙草の煙が漂ってきた

その日は昼に一度 昼食を取っただけで、現地の作業員達は夜の10時まで働きづめだった
皆、泥だらけになりながら、指示された仕事をこなし
ようやく解散の合図とともに、近くのキャンプへと引き上げていく
「オレらも飯食うか」
「はい・・・」
言いながら、鳥羽も蒼太も、席を立たなかった
二人して、モニターをくいいるように見て、
かと思えば見取り図や現地からの画像を睨みつけるようにして 現在も作業続行中
鳥羽は差し入れの飲み物にも手をつけておらず、朝から飲まず食わずで作業している
(・・・ここ、ほんとに怖い
 いつ崩れてもおかしくない・・・)
ぞっとしながら、蒼太は手元の写真をかき集めた
マリオネットに送らせた西出口の壁面は、ごろごろと大きな石が転がり落ちて ポッカリと穴があいていたり、足元が水浸しだったりと 今にも崩れそうな勢いだった
少ない人数ながら、第1班には優秀な人間ばかりを集めているから そんな作業員達のスキルを駆使して とりあえずは用意できる資材で補強したけれど
(木材は明日届くけど、石材が届かない・・・)
マシンで資材の輸送予定を見ながら 蒼太は小さくため息をついた
考えることが山ほどあって、やることも山ほどある
マリオネットに指示を出したり、マリオネットの身体を使って 作業員達に指示を出したり、実際にトラップを撤去したり作動させたり、壁の補強方法を考えたり、足りない資材の在庫を確認したり、発注したり
出口付近にあるトラップを、間違って作動させないよう 人の動きに神経を使ったり
(・・・このトラップ、やっぱり解除したほうがいいな
 多少の振動には今日の補強で耐えられるはずだから、明日朝イチに撤去しよう)
考えながら 蒼太は見取り図を手元に手繰り寄せた
ここに埋まっているトラップは、作動させると地下の水脈から水を噴射させるようなものだったはずだ
ここらあたりの足元がぬかるんでいるのは、その水脈のせいで、
作業の最初に石をしきつめて足場を確保した
そのトラップのある部分だけは それができなくてぬかるんだ地面がむきだしになっているけれど
(撤去に3時間、痛いロスだな・・・
 今、やってしまいたいけどマリオネット一人じゃ無理だし)
考えながら 蒼太はモニタを見つめた
マリオネットの視点、出口の側に設置したカメラ
その隣のモニタに人影があった
一瞬 鳥羽の動かしているマリオネットかと思ったけど、すぐにそうじゃないことに気づく
作業員達は全員、キャンプで夕食を取り、明日の作業のために眠りについている頃なのに
彼はこんなところで何をしているのか
忘れ物でも、したのか
カメラの荒い映像には、1班のリーダーの趙が映っていた
「何をしてるんですか?
 夜は遺跡に入らないでください、危険ですから」
強い口調で、そう言った
趙は、立ち止まって笑ったようだった
カメラの映像が荒いのと、設置している場所が その辺りを見渡せるように高い位置につけられているのとで 彼の顔ははっきりとはわからないけれど
「人がいるとは思わなかった
 丁度いい、手伝ってくれないか?」
蒼太の言葉に、趙は快活な声で言った
作業員50人の中で、一番優秀な人間
注意されたのにもひるまずに、そう言うと彼はゆっくりと出口の方へ歩き出した
「手伝う・・・って?」
何を言っているのだろう
昼間 出口の補強に一番動いていたのは彼だ
他者に指示を出し、時には蒼太の動かすマリオネットに 自分の考えを提案し、実行し
間違ってトラップを作動させそうになった仲間を何度か助けたりもしていた
誰よりも疲れているはずなのに、
彼は今、マリオネットの目の前で わずかの疲れも見せずに立っている
「この仕掛け、置いたままってのはやっぱり作業に支障が出ると思う
 夜のうちに撤去したい」
男の言葉に、蒼太は呆れてモニターごしに相手を見た
たった一人でやる気だったのか
今、蒼太も同じことを考えていたけれど、一人では到底無理だから 明日作業員達を使ってやろうと思っていたのに
見取り図に記された場所と、トラップの設計書を見てそう判断したのだけれど
「外に地下水脈を辿れる空洞がある
 そこに石を積んで流れをせき止めてきた
 今のうちに作動させて、撤去しよう
 せき止めるのも長くは保たないから、早く」
趙の言葉に、蒼太は別の資料を引っ張り出した
組織の人間があらかじめ調べた この遺跡の周辺の地図だ
だがそれには彼の言う空洞など描かれていない
地下水脈の流れなんて、調べようがないものを なぜ彼は知っているのか
いとも簡単に、せき止めてきたと言うけれど そう簡単にできる作業ではないだろう
たった一人で
ろくな資料もないはずなのに
「遺跡は初めてか?
 オレは遺跡ばっかり相手にしてる、だからこういう構造の遺跡がどういう作りになってるかなんとなくわかる
 ぬかるみで水脈が近いのがわかれば、遺跡の形から考えて その流れもなんとなく読める」
言いながら 趙は石の敷いていないぬかるみに足を突っ込んだ
何度か 踏みしめるようにすると ガン、と
大きな音が鳴って、趙とマリオネットが立っている地面が大きく揺れた
(・・・)
補強した出口は その程度の振動ではびくともせず、しばらくゴゴゴ、という音をさせた後 振動は止まった
後にはぽっかりと口をあけた地面
そこへ、どろどろと汚い水が流れていくのを 蒼太は驚いて見ていた
そこに鳥羽の声がかかる
「何した、ゼロ」
「すみません、第1班のリーダーが西出口のトラップを作動させました
 水はせき止めてあるそうですから、このまま撤去します」
「なんだそりゃ、そいつが勝手にやったのか」
「はい、すみません
 指示か遅れて止められませんでした、二度とこんなことをしないよう よく言っておきます」
「遺跡のプロだねぇ、手際いいじゃないか」
「勝手に行動されると困ります」
「そうだな、次やったら解雇だと行っておけ
 おまえもな、統率できないなら下ろすぞ、この仕事」
「はい・・・」
マリオネットに指示し、男と協力してトラップの作動装置を泥の中から引き上げながら 蒼太は不思議な感覚を覚えていた
1つ、2つ、と
全部で4つの装置を引っ張り出す
本当にあっという間だった
振動は最初の1回だけで、あとは揺れもせず
その装置を壊した後 趙は笑った
「これで明日から 足元を気にして作業せずにすむ
 効率が上がるし、ストレスも減るな」
明るい声
疲れているはずなのに、彼はそんなもの全く見せずに立っている
金で雇われた作業員達
遺跡の仕事や、補強などの仕事に長けた者達
だからといって、今日の仕事が彼等にとって楽勝だったかといえば そうじゃないはずだ
他の者は皆 疲弊した顔でキャンプへと戻っていった
今ごろ泥のように眠っているだろうに
「早く、戻って休んでください」
その横顔に、そう言った
中央のモニターに、マリオネットの視点で見る男の顔が映っている
ゆっくりと振り向いて、笑った
若い男、健康的な手足
光をたたえた目が うすぐらい中 不敵に光っている
「今後二度と、勝手に動かないでください
 現場では僕の指示に従ってもらいます」
「わかりました」
蒼太の言葉に、趙は特に気分を害した風でもなく、落ち込んだ風でもなく答え
側に積んであった石を罠の埋まっていた部分に敷くと 泥だらけの腕をプラプラさせながら出口から外へと消えていった
(なんなんだ・・・)
あんまり手際がよかったから、驚いた
彼は元々リーダー気質なのだろう
そして ここにいる誰よりも遺跡というものに詳しい
作業中も、皆に頼りにされて色々と指示していた
マリオネットの操縦に不慣れな蒼太の指示が行き届かない部分は、彼がカバーしたと言っても過言ではない
おかげで、今日の作業は順調だったし、憂いのトラップも片付いてしまった
彼の勝手な行動のせいで
「ゼロ、呆けてないで次いくぞ」
「あ、・・・・はい」
隣から声をかけられて、蒼太は手にした資料を側の棚に置いた
1週間で作業を終えるために
50人という人数を効率よく使うために、二人には休息の時間などない
遺跡中を歩き回って現状を確認し、必要な部分には手を入れて、
そうしているうちに、朝を迎えた
時間はあっという間に過ぎていった

2日目 蒼太のマリオネットと1班は 西の出口の補強を続け、
鳥羽は残りの作業員を使って爆弾の処理を進めていった
作業員達の仕事は朝の8時から夜の10時まで
こういったことに慣れた人間を集めているから 皆それなりに動いたし、鳥羽も蒼太も指示を間違えることはなかった
3日目が終わる頃には爆弾の撤去がほぼ終わり、
4日目は、その作業で緩んだ地盤の補強と、壁の修復、崩壊した遺跡内の通路の開通などを行った
ここまで、鳥羽と蒼太はまともに睡眠を取っていない

「ゼロ、お前ちょっと寝てこい」
4日目が終わった夜の10時
鳥羽が向こうのブースからそう声をかけてきた
「鳥羽さんは・・・・?」
「二人同時には離れられんからな、オレはいい」
「僕も大丈夫です
 目がさえて眠れません」
「目が冴えてても何でも眠れ
 そろそろ限界だろ、作業中に倒れられちゃ困るんだよ」
立ち上がった蒼太に対して、鳥羽は自分のモニターに向かったまま 言い放った
その声は冷たい
同時に4つしかモニターを見れない蒼太と比べて、鳥羽は8つ全てのモニターを使っている
今も、マリオネットに指示を出しながら 手もとのマシンに何かの計算をさせている
「倒れたりしません、鳥羽さん・・・」
「ひどい顔色してるぞ
 オレはな、自己管理できないようなパートナーはいらん」
言いながら、やっぱり目はモニターを見ていて、チラともこちらを見てはくれなかった
この仕事の初日、結局前の晩 眠れなかった蒼太に気付かなかったわけがないのに 鳥羽はその時は呆れたような顔をしただけで何も言わなかった
マリオネットを使うのは神経をすり減らすし、
マリオネットが眠った後も、調べものや遺跡の状態のチェックでこちらは眠る暇もない
腹が減ったら簡単な食事をして、喉が乾いたら水を飲んで
頭をすっきりさせたかったらシャワーを浴びて
それ意外はこのモニターに向かっている
頭の中を仕事のことでいっぱいにして、疲れても疲れても思考を続ける
その状態でもう4日
実際 蒼太はフラフラだった
身体はクタクタで、神経もずっと張詰めていて擦り切れそうで
なのに自分でわかるのだ
目を閉じても、眠りはけして訪れない
完全に、身体の何かが壊れている
「鳥羽さん・・・」
すがるような思いで、蒼太は鳥羽の横顔を見つめた
いらないと言われたら、どうしていいのかわからなくなる
自覚はしている
眠れない日々が続いていること
睡眠薬も受け付けなくなって、食事をする気にもならない
喉を通るのは水だけで、
今は唯一、冷蔵庫に突っ込まれている水だけ飲んで仕事をしている
何かが壊れていて、
眠気も食欲も感じなくなって、ただの人形みたいになって仕事をする
そういうものに、なっていっているのを どこかでぼんやりと感じていた
それは蒼太のなりたかったものだ
何も感じず、ただ機械みたいに仕事をするものになれたらいいのに、と ずっとそう思っていた
そうなれたら、苦しみもなくなるだろうと思っていた
「おまえな、オレのいうことが聞けないか」
マリオネットに指示を出した後、鳥羽がようやくこちらを向いた
コツコツ、と
いらついたような指が机を叩く
泣きそうだった
どうしていいのかわからない
目を閉じても眠れなくて
薬も もう受け付けなくて
だからせめて、仕事をしていたい
鳥羽のパートナーとして、恥じない人間になるために
鳥羽に捨てられないために
「何日寝てないんだ?」
「・・・」
厳しい声で問われて、数えようとした
最後に眠ったのはいつだったか
この組織に戻ってきてからは、一睡もしてない
だったら あのシモンのいたアパートか
鳥羽が戻ってくる前?
ちょっとしたバイト感覚で この遺跡のことを調べていた時も 寝ていなかったっけ
だったらいつだ
その前か
睡眠薬で、無理矢理に眠っていた あの頃
あれから 何日たっているのだろう
自分の限界は軽く超えている
「苦痛とセックス、どっちが良い」
答えない蒼太に、鳥羽の冷たい声がかかった
どくん、と
心臓がなって、魂が震えるみたいな感覚に泣きそうになる
こんな風に仕事の最中に 自分のことで鳥羽の手を煩わせるのがとてもとても悲しかった
いつまで、自分は中途半端なのだろう
いつになったら、鳥羽のようになれるのだろう
「選ばせてやる、どっちがいい」
視界の端でチラチラとモニタの映像が移り変わる
鳥羽のマリオネットは未だ活動中で、鳥羽の指示で動いている
蒼太のは、動きを止めて立ち尽くしているというのに
何もできない自分のように 壊れた人形のように立ち尽くしているのに
「ゼロ、答えろ」
言い聞かせるように、言った鳥羽に 蒼太はどうしようもなく震えながら俯いた
こんな風に自由のきかない身体なら、いらないと思った
今の自分に、一体なんの価値があるというのか

「苦痛を・・・」

ようやく言った一言に、鳥羽は立ち上がると先に立ってバスルームへと入っていった
何も考えられなくて、ただ真っ白になりながらついていく
水の音が、頭に響いた
思考ができなかった
鳥羽が呆れたように何か言ったのも 聞こえなかった
どうしたらいいのだろう
何も感じない人間になりたかった
冷徹に仕事をして
過去に関わってきた人達のことを考えることなく きれいに忘れられるようになりたかった
昔のように、自分の好奇心のためだけに行動して
世界を知ることに貪欲で、新しい世界を知るためなら何だってできると思っていたあの頃
あの頃のように 人を傷つけている事実から、目を背け続けられたら良かったのに
そういう人間で ずっといられたら良かったのに
そうしたら、過去の幻影に捕われたり、
考え過ぎて眠れなくなったり、
こんな風に、仕事の最中に鳥羽の手を煩わせることなんて なかったのに
「来い、ゼロ」
突っ立ってないで、と
言われて 身体がフラフラと鳥羽の方へと歩いていった
どうにもならなかった
支配されたままの身体も心も ガラガラと音をたてて壊れていくようだ

それから蒼太は10分で堕ちた
冷たい水の中に沈められて、呼吸を奪われ もがく力もなく
2度3度、意識を失ったのを無理矢理に覚醒させられて、それきり
深い深いところに堕ちた
呼吸ができなくて、大量の水を飲み込んだのも
身体がつめたくて、思うように動かせないのも
蒼太には悪夢か現実か わからなかった
ただ、もう真っ白で
いつものように まるで祈るような気持ちで
この命を手放したいと そう思った
支配者の手で死ねるなら、何もかも もういらないのに

5日目、蒼太はベッドの上で覚醒した
「点滴が終ったら目の傷の処置をする
 目がさめたなら、少しとおなしくしていなさい」
医者の声がはっきり聞こえたから それで一気に現実に引き戻される
ここはどこだ
マリオネットに指示を出さなければ
今日は遺跡の傷んだ部分を修復して、それから残りのトラップを片付けなければならない
鳥羽のマリオネットと蒼太のマリオネットは 昨日から合流して同じ場所で作業していたから自分が抜けた分 まるまる鳥羽に負担がかかってしまう
そんなことは許されなかった
仕事の途中で、自分だけこんなところで寝ているわけにはいかない
「今・・・っ、何時ですか?」
「7時だ、まだ起きるな」
「仕事があるんです・・・っ」
「わかっている、8時までに処置は終わらせる」
ここは医務室で、見たことのない医者が起き上がろうとした蒼太を押さえ付けて寝かし付けた
身体が楽になっているのは 眠ったせいか
それとも、この点滴のおかげか
医者の言葉の意味は理解できるけれど、気が焦って身体が勝手に動いた
「鳥羽さんに指示されている
 君を回復させて戻せと」
そのままでは行かせられない、と
言った医者の言葉に 蒼太はびく、と震えて動きを止めた
その名前に心が震える
体温が上がる
この身にあらゆるものを与えるあの手を、思い出す
「わかったらおとなしくしていなさい
 目の傷の処置が終ったら、行ってもいいから」
医者の言葉を遠くに聞きながら 鳥羽を想った
昨夜、この身を限界まで突き落としたあの手をまた、思い出した

「すみませんでした・・・」
「おまえは本当に手がかかるな」
ブースに戻った蒼太に、鳥羽は呆れた顔でそう言うと蒼太のところからひっぱってきていたマイクをよこしてきた
これを使って、今まで蒼太のマリオネットも動かしていたのだろう
モニターには一緒に作業している二人のマリオネットの姿が映っている
「すみません・・・」
「謝ってる暇があったら、作業に戻れ」
「はい」
席について、モニターを見た
見取り図には黒いペンで印が増えている
バツのマークは撤去済み
赤の丸は未処理
蒼太が眠っていた8時間ほどで、3つの赤丸がバツに変わっていた
(鳥羽さん・・・)
鳥羽はこの程度、一人でだってできるのだろう
こんな仕事
同時に2体のマリオネットを動かして作業することだっていとも簡単にこなしているし、
今も何かを指示しながら資料を睨み付けている
鳥羽には自分などいなくても何の問題もなく、
体調管理もできず、眠れなくて、フラフラになっている自分なんか足手まとい以外の何者でもない
「ぼーっとすんなよ、ゼロ」
「すみません・・・」
泣きそうになって、必死に意識をモニターに集中した
悲しい
無力な自分が悲しい
どんなに努力して、どんなに耐えて、どんなに壊れていっても、足りない
追いつけない
なれない、求めている自分に
鳥羽にふさわしい人間に
「今日の作業は奥の地盤の緩んでいる部分の修復と封鎖です
 各自リーダーに従って作業にあたってください」
マイクを持つ手が震える
声も震える
マリオネットが蒼太の言葉を繰り返したのがイヤホンから聞えてきた
現場の喧騒
モニターに映った作業員達が、ぞろぞろと持ち場へと向かっていく
その風景がぼやけ、一瞬何も見えなくなった
涙が、こぼれて頬をすべっていく

泣いても何も変わらないし、自分がなぜ泣くのかもわからなかった
ただ、頭が整理しきれなくて
身体は悲鳴を上げているようで
鳥羽の存在が、この心を狂わせて
もうずっと前から、自分というものを見失っていることに 蒼太は気づきながらも目を背けていた
考えないようにしていた
自分なんてもの、なくなったってかまわない
少しでも長く鳥羽の側にいたいと思っていた
鳥羽のもとめるようなモノになりたいと、そう思っていた
だからそのための努力で、身を削って、神経を削って今まで生きてきた
色んな人に、おまえはこの仕事に向いてないと言われたけれど
その警告を無視し続けてきた
この世界で生きていくために

(どうしたらいいのか、わからない)

何もかもを見失うような感覚に堕ちていく
必死に、モニターを睨みつけて、頭でやらなければならないことを考えて、指示を出し
データが足りなければマシンで検索し、計算が必要になれば数式を入力して計算させ、
仕事が滞りないように、こなして、動いて、考えて
している間もずっと、涙は止まらなかった
心が狂っていく、身体が壊れていく
だったらなぜ、こんなにも苦しいのだろうと どこか遠くで考えた
壊れれば楽だと、狂えたら楽だと、思っていたのに
そんなのは幻想なのかもしれないと、ようやく知る

「ゼロ、切り上げろ」
夜の10時きっかりに、一切の休憩を取らずに作業していた蒼太に、鳥羽がストップをかけた
顔を上げると、鳥羽は立ち上がってどこかに内線をかけている
「お前は飯食って寝ろ」
「・・・」
いつもの命令口調が、とてもとても悲しかった
いつまでも対等になれない
いつまでも、面倒を見てもらっている
負担になりたくない
そう思うのに、ついていけない自分がいる
そうなれない自分がいる
「まだやれます・・・」
消えそうな声で言ったら、少し怒ったような目が見下ろしてきた
「飯の用意をしてくれ、なんか適当に、弱ってても食えそうなもん」
電話の向こうにそう伝える声
蒼太を心配して、世話を焼いてくれている
鳥羽こそ、まったく眠っていないし食べてもいないのに
「鳥羽さん・・・」
声が震えた
せつかく止まった涙が、また溢れそうになった
泣きたくない
泣いたって何も変わらないのだから
「僕、まだやります」
震える手で、マイクを握った
マリオネットは、遺跡から出ていく作業員の後姿を見ながら、ぼんやりと立っている
設置されたカメラに映っている横顔からは 何の表情も読み取れない
ああいうものに、自分もなれたらいいのに
何にも動じない、何にも揺れない強い心が欲しい
「ゼロ、そういうことは自分の体調管理ができるようになってから言え」
電話を切った鳥羽は、今にも泣きそうな蒼太の髪をくしゃと撫でた
血が熱くなる
体温が一気に上がる気がする
こんなになってもまだ、鳥羽を求めている
求めるばかりの自分に、自己嫌悪しながらも
「ゼロ、お前がいなくても正直オレはこんな仕事ならなんとでもなる
 だけどな、おまえがいると大分楽ができる
 わかるか?
 お前が本調子じゃないと、オレがしんどいんだよ
 いいかげん、その不調を直してオレに楽さしてくれよ」
苦笑したような顔
泣きたくないのに、涙が溢れた
これが鳥羽の優しさだと知ってる
もうずっと一緒にいるから、鳥羽ばかり見てきたからわかる
彼は厳しくて、冷徹で、容赦がなくて、本当に酷い人だけど
こういう風に優しいのだ
欲しい言葉を、こんな風にくれるのだから
「ごめ・・・なさい・・・」
ひく、と
声はうまく出なかった
ボロボロとこぼれる涙を拭いても拭いても、どうにもならなくて
身体中の水分全部が流れ出て行くんじゃないかと思うくらい、蒼太は泣き続けた
本当にどこか壊れてしまったのかもしれない

結局蒼太は鳥羽の言う通り、部屋に戻って用意された食事を取った
スープとリゾットのようなものを少しだけ食べて、シャワーを浴びてベッドに入る
目を閉じても眠りは訪れなかったけれど、それでも大人しく横になっていた
鳥羽がいたら、昨日のように水に沈められて強引に身体を限界に持っていかれるのだろう
もしくは媚薬を飲まされて、セックスでもするか
鳥羽はどうやったら蒼太が堕ちるかを知っている
どの程度耐えられるのか、どこまでやったら堕ちるのか知り尽くしている
だから昨夜のように わずか10分でいとも簡単に堕とすこともできれば、
訓練のときのように 苦痛が長続きするようじわじわと痛め続けることもできる
(鳥羽さん・・・)
ぎゅ、と両手を握りしめた
鳥羽の言葉がよみがえってくる
おまえなんていなくても、平気だと言った言葉
その通りだと思う
でも彼は言ってくれた
おまえがいたら大分楽なんだと
おまえがいたら、と
それはこういうことだ
ここにいてもいい
鳥羽のパートナーでいてもいいと、そういうことだ
(どうすればいいかなんて、わかりきってる・・・)
ぎゅっ、と目を閉じた
ずっとそうしてきたように、自分をごまかして、ごまかして、
過去から目を背けて、背けて、背けて
考えないようにして、考えないようにして、考えないようにして、
そうして、前だけ向いていればいいのだ
鳥羽の隣にいるために
この世界で生きていくために

朝方、蒼太は結局眠れないままベッドを抜け出した
夜中の3時
これくらいまで休めば、戻っても鳥羽は何も言わないだろう、と
そう思ってブースへと戻った
丁度 組織の人間が鳥羽に出した食事を片付けに来ているところで、鳥羽はプカプカと煙草をふかしながらモニターと大量の写真を見比べている最中だった
「鳥羽さん・・・」
「寝れたのか?」
「・・・いえ・・・」
きい、と
イスが鳴って、鳥羽がこちらを見た
「しょーがないなぁ、お前は
 何でそんな不眠症になってんだ
 テレーゼが戻ってきたら診てもらってとっとと治せ
 都合の悪いことは考えないような狡さを、いい加減学習しろ」
呆れたような声
でも怒ってはいなかった
はい、と返事をして そういえば医務室にテレーゼはいなかったなと思った
蒼太の担当はテレーゼのはずだったが、昨日処置してくれたのは別の医者だった
仕事でどこかにでかけているのかもしれないと、
考えていたら、鳥羽の手が伸びてきた
「酒、作ってくれよ」
「あ、はい・・・」
鳥羽の指が、さっき組織の人間が置いていった酒のボトルとグラスをさしている
今まで、ここで軽く何かを食べることはあっても、酒までは飲まなかったのに、と
思いつつ グラスに液体を満たしたら 鳥羽が大きく伸びをした
「ほとんど片付いたからな
 明日は最終チェックして終了
 昼には、作業員全部帰す」
「はい」
結局、後半 自分はほとんど夜の仕事ができなかったと思いつつ
蒼太は鳥羽にグラスを差し出した
「さっきは、何を見てたんですか?」
「元々の遺跡の写真が出てきたんでな、見比べてた
 1班のリーダーの、趙だっけ?
 あれが修復した通路と神殿な、ほぼ完璧ってくらいに修復されてる
 見比べて感心してたとこだ
 元を知ってなきゃこうはいかないな」
趙、と
鳥羽が言うのに蒼太はわずかに笑った
最初から大活躍だった彼は 鳥羽と蒼太のマリオネットが合流してからも大活躍で
壊れたものを修復するのも、危険なトラップを撤去するのも、
強度の問題から封鎖することになった通路での作業も 何でもこなした
手際もよければ、知識も豊富で
鳥羽がその仕事っぷりに感心していた
プロがいると仕事が早いといって
「問題行動は続いてますが」
「ああ、夜の徘徊か?
 よっぽど遺跡が好きなんだな、寝てりゃいいのに起きて歩きまわってんだからタフだな」
まぁ、害がなきゃいい、と
言いながら 鳥羽は蒼太の作った酒を一気に喉に流し込んだ
この部屋は乾燥しているから、ずっといれば喉が渇く
蒼太も、ここでは水ばかり飲んでいる
カラのペットボトルは、いつのまにか片付けられて かわりによく冷えたのが 毎日壁面に設置された冷蔵庫に入っていた
「・・・ゼロ?」
すぐにおかわり、と言うかなと
新しいグラスを用意する蒼太に、鳥羽の声がかかる
怪訝そうな声だったから、何かまずかっただろうかと顔を上げた
「はい」
酒のボトルを持つ手を下ろした
氷の入ったグラスが 手の中で冷たくなっていく
「お前、何入れた」
「え・・・?」
問われて、酒のラベルを確認する
いつもの、鳥羽が好んで飲む酒
それに、水
冷蔵庫にたくさん並んでいるミネラルウォーターだ
あとは氷くらいしか入っていないけれど
「・・・何か変でしたか?」
鳥羽が立ち上がって 蒼太の手元の瓶を手に取った
さっきまでリラックスした風だったのに、急に空気が張り詰める
どうしたんだろう、と
比べて自分がどこかのんきなのは、何故だろう
思考がうまくできないようだった
最近いつもだけど
疲れているからか、睡眠が足りていないからか、
気をぬくと、思考がグダグダになってしまいそうになる
「・・・酒じゃなきゃ水か」
ボトルを開けて中身を舐めた後、鳥羽はそこに置いてあったペットボトルを手にして一口飲んだ
透明な水
封を開けたばかりだから、新しいのにと
思った途端、強く腕を捕まれた
「え・・・?」
勢いで、手にしたグラスが落ちて割れる
「す・・・みませ・・・っ」
瞬間、まるで目がさめたような気がして、謝ったら そのまま口の中に指を突っ込まれて舌を引っ張り出された
思わず目を閉じる
苦しくて、痛かった
「ん・・・・んぅっ」
びくん、
身体が震える
息が止まる
何が何だかわからない
「鳥羽さん・・・」
ようやく開放されたと思ったら、鳥羽は何の説明もしてくれず そのまま電話を取り上げて言った
「テレーゼを呼び戻してくれ
 それから、101号室を開けとけ、今から使う」

ポカン、と
わけがわからない蒼太は、電話を切った鳥羽を見つめた
この水に何か入っていたのだろうか
自分が飲んだときには、何の違和感もなかったけれど
「ゼロ、お前いつからこれ飲んでんだ」
「え・・・?」
問いただすような口調
戸惑いながら、いつからかと考えた
「この仕事に入ってから・・・です」
1日に2本くらい飲んでいたから、もう結構な量飲んでいるけれど
「飲んで何も思わなかったか?
 明らかに味がおかしいだろ、水がこんな味するか」
「別に・・・」
手元のペットボトルを見つめた
最初から 何も感じなかった
さっき部屋で飲んだ水も、こんなような味だったけれど
「・・・おまえ、もしかして前の前の仕事のとき 麻薬やったのか?」
「え・・・?!」
今度は、驚いて鳥羽を見つめた
麻薬?
そんなもの、やるわけがない
あの麻薬から抜ける治療は 思い出しただけで震えるというのに
薬とは相性が悪いこの身体は、次 麻薬をやったら戻れないところまで堕ちるかもしれないといわれているのに
「やってません・・・」
わずかに声が震えた
たしかに、前の前の仕事の時には 側に麻薬があった
あの密室みたいなスクールで アルベルトが広めた麻薬が色んなところにあったのを見ている
シュガーの瓶に入ったものを、紅茶に入れて飲んでいた人がいたっけ
なるべく関わらないようにして、避けていたから間違ってもこの身に触れたなんてことはないはずだ
「・・・だったらいつだ、最近変な味の飲み物 飲まなかったか?」

考え込むような鳥羽の顔
見ながら そういえば、と思い当たった
「アパートにいた人がお茶を入れると変な味になって
 砂糖と塩を間違って入れてるんだろうと思ったことがありました・・・」
シモンとお茶をしたのは何回だっただろう
出会った時、入れてくれたコーヒー、一緒に食事した時に飲んだワイン
それから蒼太の部屋で煎れてくれたホットミルク
どれも変な味だったっけ
料理は巧いのに どうして飲み物は変な味になるのだろうと不思議だった
特に、深くは考えなかったけれど
「・・・そこで3回か?」
「はい・・・」
鳥羽の問いに答えながら だんだんと、背筋が寒くなってきた
麻薬、と鳥羽は言った
この水に麻薬が入っていたということか
シモンの煎れたコーヒーやミルクにも?
ではなぜ、自分は今 平気なのか
本当なら、今頃麻薬に堕ちているはずなのに
「水は?
 1日2本なら12回だな」
「・・・それくらいです・・・」
水に関してはよく覚えていなかった
仕事に必死だったし、そんなこといちいち気にしていなかった
「組織に戻ってきてからは 何飲んだ」
「え・・・」
「サロンで何か飲んだか?」
「いえ・・・サロンには行ってません」
「じゃあ部屋で何飲んだ
 全部思い出せ」
「部屋で・・・は・・・」
食事のときに水を、
仕事に入る前は、やっぱり食事のときに水を飲んで、それから
「あ・・・っ」
はっとした
そういえばワインを飲んだ
アゲハが毎晩誘うから、彼の部屋へ行って 変な味のするワインを飲んだ
3日とも
「・・・僕、古いワインはあんまり得意じゃなくて・・・」
声が震えた
鳥羽がため息をつく
「なるほど、アゲハか」
その手が電話を掴んで また番号を押した
「アゲハを拘束して部屋を調べろ
 <20count>を持ってるだろう、それをテレーゼに渡してくれ」
声色に怯える
ドクン、ドクン、と心臓が大きな音を立てていた
聞き覚えのない言葉、<20count>
麻薬の名前だろうか
それを、知らない間に摂取していたのだろうか
「あのスクールで出回ってたのも<20count>だ
 多分 アゲハはあの仕事で入手したんだろうな」
鳥羽は、呆然としている蒼太に わずかに苦笑した
「この薬はな、その名の通り 20回目で堕ちる
 視点が定まらなかったり、思考がまとまらなかったり、舌が真っ赤になったりする」
おまえの舌にも症状が出始めてる、と
その言葉は まるで死刑宣告のようだった
20回目で堕ちるなんて
自分は何度口にしたのだろう
数えて、ぞっとした
多分20回など超えている
これからどうなってしまうのかと、不安に身体が震えた
恐怖が、じわじわと支配していく

それからすぐに、蒼太は地下の101号室に連れて行かれた
真っ白の部屋
家具の類いは一切ない部屋だった
「僕が何したっていうの?!」
そこに、腕を縛られたアゲハがいた
理不尽そうに、不機嫌な顔で立っている
他には医者が数名と、ネロがいて
皆、その真っ白い空間で何かとても難しい顔をしていた
「申し訳ありません、鳥羽さん・・・」
蒼太と鳥羽が部屋に入るなり、ネロが鳥羽に頭を下げる
だがそれを無視して、鳥羽はアゲハを見遣った
「鳥羽さん・・・」
アゲハは嬉しそうに頬を染め、一歩近づいてくる
部屋に入った途端 恐怖なのか何なのか 動けなくなって立ち止まった蒼太は 揺れるような視界にその様子を映した
可愛いアゲハ
どうして彼は 自分に麻薬を摂取させたのか
蒼太の滞在先を調べて そのアパートの住人に<20count>を渡すことも
蒼太の部屋へ運ばれる水に<20count>を入れることも アゲハになら容易くできるだろうと鳥羽は言っていた
ようするにお前はハメられたんだと そう聞かされた
どうして、と
頭では理解していたも、気持ちがついていかなかった
冷や汗で全身が冷たい
手が凍えたように痛かった
「鳥羽さん、僕ね、鳥羽さんが仕事にはいっちゃったからつまらないんです」
アゲハの媚びるように見上げる顔は 相変わらず可愛かった
金の髪も、けだるげに伸びて
眠っていたところをたたき起こされたのだろう
乱れたような薄い生地の服が、華奢な身体を艶っぽく見せていた
「鳥羽さん・・・」
もう一歩、鳥羽に近づこうとしたアゲハを ネロが止めた
「申し訳ありません
 休暇中で目が行き届かず・・・っ」
ネオの顔は真っ青だ
ここからでもわかる
震えているようにも、見える
「ああそうだな、休暇中だったならしょうがない」
言う鳥羽の声は冷たくて、目はアゲハを見遣ったままだった
「アゲハ、むかーしお前に言ったよな?
 オレは麻薬づけの人間は嫌いだって」
冷たい、冷たい声
自分が言われたわけじゃないのに、蒼太は呼吸ができなくなりそうだった
場が凍る
アゲハが、怯えたような目で鳥羽を見た
「僕・・・」
震えながら 一歩あとずさる
目がゆらゆら揺れていた
思い出す
シモンの目も、こんな風に揺れていた
彼も この麻薬に堕ちていたのかもしれない
「今からゼロの治療を開始する
 アゲハは、どうする?」
鳥羽の言葉に、ネロは冷たい目でアゲハを見た
「私は必要としません
 鳥羽さんのパートナーにこんなことをした人間など この先組む気にもなりません」
言い放たれる言葉
誰も何も言わなかった
「じゃあ 組織の判断にまかせるんだな
 ボスに聞いてこい、治療するのか、破棄するのか」
破棄、と
鳥羽の言葉にアゲハが顔を歪ませた
「そんな・・・っ、僕は・・・っ」
叫ぶような声
駆け寄って、鳥羽にすがるようにしたのを 鳥羽はうっとうしそうに払いのけた
「何度言わせる
 オレは麻薬漬けの人間は嫌いなんだ」
温度のない声が非情に響いた
ますますアゲハの顔が歪む
「ゼロ、来い」
「は・・・い・・・」
ずっと、動けなくて
ドアのところに立ち尽くしていた蒼太は、呼ばれて震えながら鳥羽の方へと歩いた
頭を整理するために、鳥羽に言われたことを考えている
アゲハがあのスクールの仕事で麻薬を覚え、それを使って蒼太を陥れようとしたこと
わざわざ蒼太が口にするよう、色んなところに手を回していたこと
睡眠薬が受け付けなくなったのも、この薬のせいだと鳥羽は言った
新種の麻薬である<20count>は、だいたい20回摂取すると堕ちる
依存し、それがなくてはどうにもならなくなるほどに どこまでも堕ちていく
そのかわり、それを飲んでさえいれば、一見正常を保てるのだ
かわりにじわじわと身体の色々な部分が傷み、
目が見えなくなったり、足が立たなくなったり、神経が麻痺したり、内臓が腐ったりして死に至る
そんなものを好んで口にすること自体が 蒼太には理解できないけれど、
堕ちる人間が多いのだから、やれば気持ちいいのだろう
蒼太のように、薬と相性がよくない人間は その気持ちよさを味わえないけれど
「自分の立場、理解できてるな?」
「・・・はい」
言い聞かせるような鳥羽の口調は、あきらかにアゲハと接する時とは違っていた
「多分な、前より辛い思いをする
 途中で死にたいと思っても 治療中は誰も殺してなんかくれないからな
 治療を始めたら 終るまで地獄だ」
それでも、鳥羽はネロと違って蒼太を捨てるとは言わなかった
麻薬漬けの人間は嫌いだと言いながらも、蒼太を救おうとしてくれている
「・・・はい・・・」
声が震えた
毎日、麻薬の入ったあの水を飲んでいた
もう味なんか気にならないくらいに飲みなれてしまったのか、麻痺しているのか
20回を超えた今、麻薬を絶てば すぐさま禁断症状が出るのだろう
あの死ぬより辛い経験が、よみがえってきて全身を冷たくした
怖くてたまらない
逃げ出してしまいたかった
だけど、必死に踏みとどまる
鳥羽が言ってくれたから
治療して、戻ってこいと
オレはそれを望む、と
「いい子だ、ゼロ」
鳥羽の手が、蒼太の髪を撫でた
慌しく、医者が何かを準備しだす
「鳥羽さん、ひどい、
 どうしていつもゼロにばっかり優しいの・・・っ」
また、アゲハが喚いた
こわいくらいに大声なのは、自制がきかないからだろうか
その声に顔をしかめたネロを見遣ったら、怒りでか やっぱり震えているようだった
この場の緊張感みたいなものが、肌に痛い
息がつまりそうになる
「僕だって鳥羽さんを好きなのにっ
 僕だって優しくしてほしいのにっ」
わめき声に、吐きそうになった
聞いていると頭がグラグラする
何もかもが、怖いと感じる
「オレはなぁ、嫉妬を飲み込んで一人悶々としてるような人間は好きだがな
 そういう感情を、相手を陥れることで発散しちまうような人間は好きじゃないんだよ」
鳥羽の声に、身体の中心で何かが渦巻くようだった
アゲハにずっと嫉妬していた
それを表に出さないように必死だった
鳥羽は気づいて笑ってたけど
気づいてるくせに、蒼太の目の前でアゲハを可愛がってみせてりと、意地の悪いことをしていたけれど
「なぁアゲハ
 さすがのオレもこれは笑えないな
 オレはおまえみたいなワガママな小悪魔は好きだけどな
 限度ってもんがある
 ゼロはオレのパートナーだ
 オレは、オレのものを壊されて笑ってられるほど寛大じゃない」
ゼロがうらやましかったか?
お前にもチャンスはあったのにな
オレのパートナーになる道を閉ざしたのは誰だ?
オレの側にいたいなら、オレの好むものであり続けろよ
オレの求めるものに、なる努力をしろ
「ゼロを消そうとしたか?
 ゼロさえいなければ、お前が選ばれると思ったか?」
鳥羽の言葉に、アゲハはがくがくと震えだした
可愛い顔が歪みきっている
また、アゲハは喚きだした
「ゼロが大嫌いなんだっ
 ゼロがいなければ、僕が鳥羽さんのパートナーになれたんだっ
 僕の方が先に鳥羽さんを好きになったのにっ
 僕の方がスキルだって高いし、仕事だってできるんだからっ」
鳥羽さんにふさわしいのは僕なのに、と
そのキンキン高い声に、蒼太はきゅ、と目を閉じた
「ゼロなんて死ねばいいっ
 この世からいなくなればいいっ
 僕はゼロを殺して、鳥羽さんのパートナーになるんだっ」
こんな風に、
こんな風に思われていたなんて、思いもしなかった
自分は アゲハに対して劣等感を抱いていた
でも、アゲハは何かとかまってくるから
こんな風に意識しているのは自分だけで、向こうは蒼太のことなど気にもしていないのだと思っていた
好かれているかどうかはわからなかったけど
部屋に誘ってきたり、
いいワインがあるんだよ、と笑ってみせたりする様子は とても可愛かったから
一緒に仕事をしたこともあるし、もしかしたら
もしかしたら、懐いてくれているのかもしれないと そんなことを思っていた
今、知る
それは全部演技だったということを
仕事と同じ
ターゲットを落とすときと同じ
アゲハは、アゲハの目的のために 蒼太の油断を誘い、麻薬入りのワインを飲ませて
蒼太が口にするであろうものを、麻薬入りのものにすりかえていた
殺すつもりで
この身が、薬に弱いことを知っていて
「ゼロはな、未だに甘くて すぐに人を信用する
 お前を信用して出されたもんをホイホイ飲む
 そういうところ、バカだと思うがオレは意外に気に入ってんだ
 ようするに、何から何までお前ではダメだってことだ
 たとえゼロかいなくても、オレはお前など選ばない」
鳥羽が、笑った
医者達の準備が終ったのを見て、視線で蒼太を促す
震えた
だけど、身体に熱が戻ってきた
今の言葉をけして忘れない
どれだけ苦しくても、苦しくても、苦しくても、耐えようと思った
この場所に、
鳥羽の隣に戻るために


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