ZERO-30 仮死 (蒼太の過去話)


仕事の内容は簡単なものだった
麻薬が絡んだ人間関係によるトラブル
街を仕切っているカジノでは、麻薬が大量にさばかれていて
それを流しているマフィアと、カジノのオーナーは互いに利益を得ていた
それが、オーナーが別の組織から格安の麻薬を入手するようになって関係が壊れ
マフィアの一人がそのカジノに立ち入った警察に捕まった
契約違反だ、とマフィアが怒り
マフィアの古いやり方についていけないとカジノのオーナーは対抗した
そして、トラブルは今や、新種の麻薬を売りつけてきた新組織と、マフィアの抗争にまで発展しようとしている
「依頼者はカジノのオーナーですか?」
「そうだ
 マフィアと手を切りたいが、麻薬の落とす金も欲しいというのが今回の大前提だ
 マフィアが手を切るよう仕向けてほしいそうだ
 新組織との抗争はカジノにとってはありがたくないらしい
 まぁマフィアが本気になればカジノの一つや二つ 簡単に潰されるだろうからな」
「手を引かせるなんて簡単なのに
 誰か一人犠牲に差し出して、お詫びすればいいんでしょ?」
ホテルのルームサービスの朝食を食べながら アゲハが言った
昨夜は眠らず、もんもんと過ごしたのだろう
先ほど内線をかけたら、不機嫌そうな声でグチられた
いいよね、ゼロは鳥羽さんにしてもらえて
僕だって鳥羽さんを好きなのに、ゼロばっかりずるい
僕、ゼロなんて嫌いだ
ゼロがいなかったら、僕が鳥羽さんのパートナーになれたのに 等など
「マフィアのそういうしきたりが嫌なんだろ、カジノ側は
 その点 新組織ってのは全て金で解決する現代的なやり方だ
 カジノは、怖いマフィアを相手にするより、安い麻薬を売ってくれる上 掟やらしきたりのない組織を選んだ
 そして、マフィアと手を切るのにウチの組織に依頼をかけてきたわけだ」
依頼書には 契約書のコピーもついていた
取引の内容が書かれていて、裏切った場合は身内の人間を差し出すことと書かれている
裏切りには死を、と
言葉通り 差し出された人間は殺されるのか
それとも 死ぬよりも酷い目に合わされるのか
「新組織と取引を始めたこと自体が裏切り行為な上 そのカジノに警察が入りマフィアの身内が捕まったとくれば いくら温厚なマフィアだって怒るだろう
 契約書にある身内ってのは、カジノ側は実の娘が2人、あとは弟が一人しかいないらしい
 弟はカジノ経営で力を持ってる、当然そんな犠牲になど選べない
 娘二人をオーナーは溺愛してるらしく、これも当然差し出せない、と
 そんな中で、マフィアが切ってきた期限は1週間後
 それまでに誰かを差し出さなければ カジノごと潰して全員殺すと言ってきたそうだ」
鳥羽は言いながら パスタをくるくるとまいて口に運んだ
「僕達の誰かが 身内になりすましてマフィアに行けばいいの?」
「そういうこった」
アゲハの口ぶりからして、彼はそういう仕事の経験があるのだろうか
カジノの人間として、マフィアに契約違反のお詫びとして差し出された後 どうなるのだろう
殺されるかもしれない危険があるなら、仕事のランクがAというのはどういうことか
「この程度の裏切りじゃマフィアは相手を殺しはしない
 人が死んでないなら、こういう古いタイプのマフィアは死の制裁まではやらないもんだ
 だが、みせしめに相当ひどい目に合わされる
 それに耐えられず自害、なんて奴もいるだろうし、恐怖や痛みなんかで死ぬ奴もいるだろう
 だがまぁオレ達に耐えられないレベルじゃない
 だからランクAだ
 ついでに、今回の仕事ではゼロにその役をやらせるからな」
鳥羽の言葉に、蒼太ははい、と返事をしながら それはどの程度の苦しみなのだろうと想像した
「僕が行きます、前に一度やったことあるし・・・っ」
「お前は新組織の麻薬入手ルートを探れ
 得意の色仕掛けで新組織の人間を落として組織に入れ
 1週間で調べろ、カジノとマフィアの仲は しばらくオレが取り持って時間稼ぎしておく」
鳥羽の指示に、アゲハは不満気な目をしていた
だが、鳥羽には逆らえず はいと返事をして蒼太を睨みつける
(・・・)
朝からずっと、睨まれてるなと
思いながら 蒼太は手元のグラスを見つめた
痛みを与えられようが、苦しみが待っていようが
どんなにひどい目に合わされようが
何もすることがなく、眠れず、色々なことが頭をよぎるあの時間よりはずっといい
死者を思い出し、自分の罪から無理矢理に意識を背け、けして振りむいてもらえない人の隣に立つことに必死になるそんな時間よりは、ずっとずっと心が楽だと感じる

カジノのある国は 世界最大の発展国
活気あるこの街は 夜にはガラリと姿を変える
アゲハはカジノで取引する新組織の人間を一晩で落として あちら側に潜入し、
鳥羽は、マフィアとの交渉の場に毎晩のように出ていった
蒼太はその間 戸籍を操作しカジノのオーナーの隠し子という事実を作り上げ
毎晩カジノで働きながら その場の様子や人間関係を把握した
昼間はアゲハのフォローにマシンで情報のやりとりをして、
鳥羽からマフィアの世界のひととおりの礼儀を教えてもらった
まさに眠る暇もなく、
考えることがいっぱいで、やることもいっぱいで
その状況は 蒼太にとってとても、ありがたかった
今の蒼太は、時間があくことを恐れている
何もしなくていい時間に、怯えている

鳥羽の指示通り、きっちり1週間で麻薬の入手ルートを調べてきたアゲハは戻ってきた時 身体中痣だらけだった
可愛い顔にも紫に変色した痣ができている
「あいつ、サドなんだもん
 毎日毎日、ほんと嫌になる」
むす、としながらも鳥羽の側に戻れたのが嬉しいようで、アゲハは鳥羽に髪を撫でられながら得意そうに蒼太を見た
「僕の仕事は終わり
 次はゼロだね、いってらっしゃい」
マフィアって怖いよ、と
言いながら笑っているのは、蒼太が傷つくのが見たいからか
自分は仕事を終えて鳥羽の側にいられるのが嬉しいからか
「おまえの仕事は、マフィアの制裁を受けた後 そこに留まること
 大抵は元いた場所に返されるもんだが、気に入られればそこに置いてもらえるだろう
 置いてもらえなきゃ次の仕事に入れないからな、まぁ頑張るこった
 ターゲットはイーヴンって男がいいだろう
 多分、制裁の執行係だ
 オレのみたてだと、おまえみたいなのが好きそうだ
 しっかり可愛がってもらえよ」
「はい・・・」
緊張に、神経が昂ぶってくる
ぎゅ、と唇を引き結んで 蒼太は鳥羽を見た
この仕事はランクA
蒼太がカジノのオーナーの身内としてマフィアへ行き、そこでみせしめの制裁を受ければ相手は納得して それで終わり
後はいいように鳥羽がまとめてくれるだろうから、何の問題もなく終る
問題はその後、ランクSの仕事の方
蒼太はそのままマフィアに潜入するために、その場で気に入られて残らなくてはならない
鳥羽は、今回マフィアとカジノの仲を取り持った話し合いの場で自分を売り込んでいるから後から潜入してくるのだろう
堂々と、マフィアに正式に招待させる形を取って
「Sの仕事については 合流してから話す
 おまえは、イーヴンに気に入られて可愛がられることだけ考えてろ」
「はい」
蒼太の返事に、鳥羽は満足そうに笑い
アゲハは最後まで鳥羽にべったりとくっついたまま 蒼太を見ていた
気持ちが昂ぶる
神経が擦り減るような感覚
それでも、怖くはなかった
怖いものなんて、鳥羽の隣にいられなくなること以外に 何もない

マフィアの本拠地につれられた蒼太は、ボスの前に引きずり出された後 床に手両手をつかされた
広い部屋にはソファ以外は何もなく、
ボスがまるで王様のようにそのソファに座り、周りには男達がズラリと並んでいる
蒼太は罪人のような扱いで、その前に引き倒されていた
「お前の父親には呆れた
 契約違反な上に実子を差し出せと言ったにも関わらず 妾の子をよこしてきたとは」
思ったよりも冷静な声色が響いた
周りに並んでいる男達は 黙ってただ立っている
広い部屋、冷たい床
初めて見る世界は、少しだけ蒼太の好奇心を満たした
こんなときに、のんきだと自分でも呆れるけれど
「私は怒っている
 お前に罪はないが、覚悟してもらおう
 たとえお前が泣き喚いても、世界を恨もうとも、生まれたことを後悔しようとも
 私の怒りが治まるまで お前への制裁は続けられる」
冷たい言葉に 蒼太は顔を上げた
泣き喚いても、許してくれと懇願しても、助けはこない
運命を呪い、父を呪い、血の涙を流せと
ボスの言葉に蒼太は はい、と返事をした
その声は妙に この静かな空気の中 響いた

最初に、床についた両腕を押さえつけられた
太い釘のようなものが2本両手の甲に当てられる
ゾク、とした
何をされるのか想像がついてしまう
わずかに震えた蒼太に 両側から蒼太を押さえつけている男が苦笑した
「かわいそうにな、恨むなら、自分の身内を恨むんだな」
男の囁く声
痛みを覚悟した
せっかく 学校で鞭で打たれた傷が治ったばかりなのに、と
そんなことを考えたのも一瞬
ガンッ、と
鈍い衝撃と両手を貫いていく痛みに 一瞬カッ、と体温が上がった
全身の血が引いていく気がする
痛みがつま先まで貫いていく
「ぐっ・・・・」
喘いだ
太い釘は手の甲を突き破り手のひらも貫通し、蒼太を床へと打ちつける
まるで十字架に打ち付けられたキリストみたいに
「・・・くっ・・・うぅ、ぐ」
ガン、ガン、と
打たれるたび、太い釘が蒼太の両手を床へと打ちつけて
どくん、と
生暖かい血の逆流と、熱を感じた
痛みに目の前がクラクラする
呼吸が止まりそうになる

血はじわじわと木の床を濡らしていた
痛みは全身に響いていく
少しでも動けば 釘に肉が擦れて響く
鈍い痛みが全身を突き抜けていく
「次」
ボスの言葉に 制裁の執行係の男が別室から焼ゴテを持ってきた
真っ赤に変色したそれは、バツのマークなのか十字のマークなのか
両脇の男が蒼太の服を乱暴に脱がせたのに 身体が揺れて手の傷がドクンと痛んだ
恐怖はない
ただ、痛みを待つような気持ちの自分がいる

ジュウゥゥ、と
肌を焼く音と匂いは、鳥羽に与えられた痛みと熱を思い出させた
両肩に バツのマークが赤くつく
肌が焼かれるのに、蒼太は歯を食いしばって耐えた
「あぁ・・ぅ・・・ぅ」
震える
痛みと熱に、びりびりと震える
もがくと手の傷が広がって、血がますます床を濡らした
呼吸が苦しくなってくる
でもまだ、こんな程度なら耐えられた
鳥羽に受けた訓練の方が 何倍も何十倍もきつかったから

「親と違い お前には芯がある」
ボスは次々に 蒼太の身体に制裁を加えた
声を上げるのを必死に耐えている様子に、周りの男達は誰も何も言わず 黙って蒼太を見守り
制裁を与え続ける男は 荒い息の下 震えている蒼太を辛そうに見ていた
同情に似たものが 今の蒼太には降り注がれている
あんな親を持ったばっかりに、と
カジノのオーナーに対する負の感情が、蒼太にプラスに働いていた
目の前で、必死に痛みに耐える姿は 何か心に訴えるものがあるのだろう
「実弾を3発入れる、そして3回撃つ」
カチャ、と
痛みで朦朧としだした意識に、ボスの声が響いた
顔を上げると、さっきからずっと蒼太に制裁を与え続けている男が 銃に弾をこめていた
「1度も当たらないかもしれない、3発ともあたるかもしれない」
それは単に 当たるかもしれないという恐怖を与えるためのものなのか
3発撃ってもよいところを、運次第で免除してやるという恩赦なのか 蒼太には図りかねた
ただ、今の蒼太には銃など怖くなくて
身体は痛めつけられて 血も大分失ってフラフラなのだけれど
心はいつも通り冷めている
冷静に、この後ここに残るにはどうしたらいいのかを ずっと考えている
「お前は不思議な男だ」
睨むでもなく、怯えるでもなく、ただ静かに与えられる制裁を受けている蒼太の姿
それを この場の人間は不思議な気持ちで見つめていた
これほどに蒼太が全てを甘受する理由を、多分皆は知りたいと思っただろう
この場にいる人間の全員が、蒼太に興味を持った
それが 空気でなんとなく感じられた

ガーン、と
弾は3発中1発だけ蒼太の頬を掠めていった
チリ、と頬に痛みか、熱かが走っていく
ツ・・・と血が流れるのを感じた
生暖かい自分の血
身体の他の部分が痛すぎて、頬にはあまり痛みを感じなかった
「イーヴン、手元が狂ったか」
「申し訳ありません」
銃を下ろした男は、低い声でそう言うと まだ2発弾の入った銃を他の男に放り投げた
(彼がイーヴン・・・)
鳥羽にターゲットにしろと言われた男だ
最初からずっと、蒼太に制裁の痛みを与えていた男
「次で最後だ」
ため息交じりのボスの声に、血で濡れた床にイーヴンが膝をついた
両手の釘が引き抜かれると 鋭い痛みが走っていく
「う・・・く・・・っ」
わずかに声を漏らして 蒼太は歯を食いしばった
震える、痛みに
失った血のせいで、意識がグラグラする
ビリビリと、骨まで痛みの振動が伝わる
「これをつけろ」
そして、与えられるゴーグルのようなもの
震える手で受け取って、痛みにわずかに呻きながら 蒼太は言われるがままそれを頭につけた
血が腕を伝っていく
ぬるぬると生暖かいのが気持ち悪かった
頭はまだ、冷静だ
「今までよく耐えた
 それが最後だ、それが終れば帰してやろう」
ボスの言葉に、帰されては困る、と思いつつ
蒼太はゴーグルについている尖った先端のものを見つめていた
まるでドリルのように見える
これを見たことがあった
鳥羽の拷問セットの中に入っていた
この身に使われたことはなかったけれど、何をするものかは知っている
スイッチを入れたら この両目の前に突き出ているドリルが高速で回転して近づいてくるのだ
そして、あっという間に視界が血に染まる
これは両目を抉り取る拷問に使う道具だ
組織の地下で、同業者に口を割らせるために 誰かがこれを使ったのを見たことがあった
大の男が 痛みにのた打ち回り、絶叫する
ドリルが両目を突き刺して 目が空洞になるまで回転を続ける
血はぼたぼたと流れ出て、あの後 両目をえぐられた男は死んだのか、生き永らえたのか
(・・・目をやられたらこの先支障があるのにな・・・)
そんなことを思いつつ それでも恐怖が沸かないのは、どこかもう麻痺しているからか
目を抉られるってどんな痛みがあるのか、とか
それで死にはしないのか、とか
考える前に どこか何か冷めている自分がいた
鳥羽がやらないなら、どんな痛みも苦しみも、そこに意味なんかない
ただこの身が削られるだけ
傷つくだけ
そんなのは、単なる現象にすぎなくて、蒼太の心を動かしはしない

ぬらぬらとした血だらけの手にリモコンを渡されて 蒼太はイーヴンの顔を見つめた
「スイッチを入れたらドリルがお前の両目を抉る
 目を開けていれば目の玉だけですむが、恐怖に目をとじれば余計なまぶたまで傷つけることになる」
ボスの声が降りかかってくる
目の玉でもまぶたでも、お好きなだけどうぞ
これで最後だといったから、この後なんとかしてここに残らなければならない
この目の前の男を落として、気に入ってもらって、ここに置いてもらわなければならない
「覚悟が決まったら、スイッチを押せ」
イーヴンの言葉に 蒼太はわずかだけ目を揺らした
「あなたを見てます、さいごまで」
ぽつ、
彼にしか聞えないように言った
驚いたような顔を一瞬だけ イーヴンが見せたのにホッとする
鳥羽の見立てはかなり適格だと思う
蒼太はまだ何もしていないのに、
彼の与える痛みに耐えていただけなのに、
彼は蒼太を意識している
血だらけで、震えているその姿に 彼は今 何を思っているのだろう

「僕が最後まで貴方を見ていられたら、どうか」
持たされたスイッチを胸元に持ってきた
シン・・・とする
ボスもソファに座った足を組みかえて 蒼太の動くのを待った
「どうか僕をあなたの側に置いてください」
静かに言った言葉に、イーヴンは一瞬戸惑った顔をした
痛む手に力を込める
蒼太は、何の躊躇もなくスイッチを入れた
恐怖は、なかった
心は未だ冷めたまま

チッ・・・、と
イーヴンを見つめていた視界いっぱいに 黒いドリルが広がって
嫌な音がしたと思った瞬間 蒼太は両側から押さえていた男の腕にどさ、と倒れた
最後まで、男の顔を見ていた
戸惑った表情はますます濃くなって 何か言いたげに蒼太を見つめる
瞬きもしなかった
目など潰れてもいい
抉れてもいい
それで死んだって、それはそれでいいかもしれない
この身を支配しているものから逃れるためには死しかないのなら、いっそ死にたいと願う

あまりに想いすぎて
あまりに求めすぎて
あまりに枯渇して
苦しくて、苦しくて、苦しくて、苦しくて、苦しくて、

(鳥羽さん・・・)

彼から逃げたいのかもしれない
捕まったままの心と身体、求めて求めて求めてしまうのに与えられないのなら
生きている限り この苦しみが続くというのなら

(僕は死にたいのかもしれない、あなたの側にいるのが辛すぎて)

想うから、求める
なのに与えられない
なのに、たまに優しくて、気まぐれに熱を与えられ錯覚する
あなたの隣にいていいのだと、錯覚する
気づけばその他大勢のうちの一人にすぎないのに
彼はこちらなど、見てもいないのに

倒れた蒼太の頭から器具を外して イーヴンは小さくため息をついた
「目を閉じませんでした」
「珍しい男もいるものだな、久しぶりに見た、そういう人間は」
「彼を、私にいただけませんか
 彼が望むなら、ここに置いてやりたいと思います」
「好きにしろ」
蒼太の目は閉じられている
あの器具は、目を開けていればドリルが目を抉り取る前に止まるように設定されていた
わずか0.000何ミリ 角膜を傷つけて停止する
その時触れたドリルの先端にぬられていた薬品が、今 蒼太の意識を奪っていた
しばらくは目が麻痺して見えなくなるという薬
だが角膜の傷が治る頃には目の麻痺も治る、その程度のもの

別室に運ばれた蒼太は、2時間程度眠った後 目を覚ました
痛み止めが打たれているのか、身体がだるくて頭も重かった
思考がまとまらない
そして何より目が見えなかった
(やっぱり・・・不便だな・・・)
この目をあの器具が抉り出す前に止まったのを、蒼太は感じていた
痛みもなければ 目の玉がなくなった感覚もない
触ればごろごろと 包帯の下に目の玉があるのがわかったし、
両目を抉られていたら、痛み止めを打っているからといって、この程度ですむはずがない
もっと苦しんでいるだろうし、もっと痛いだろう
恐怖はなくても、痛みに慣れていても
身体は悲鳴を上げている
今もズキンズキンと 血が流れるのばかりを強く感じる
(ここは、どこだろう)
手探りで辺りを調べると、どうやら自分はベッドの上にいるようで
側のテーブルの上に水差しがおいてあるのが分かった
ベッドから足を出すと 冷たい床に足がつく
(誰かいないのかな・・・)
包帯を取ったら目が見えるのだろうか
それとも、このしびれた感じからして 視力がどうにかなっているのか
目が見えなくなった経験がないから、とても不便だった
だけど、生きている限りやらなければならないことがある
今は仕事の最中で、ここは潜入先で
蒼太は鳥羽の指示通り、イーヴンに取り入って ここに置いてもらわなければならない

それから2時間、蒼太はベッドの上で思考していた
これからどうするか、
どうやってイーヴンを落とすか
考えることがあるのは助かる
仕事のときは、頭がいっぱいになるから楽だった
余計なことを考えなくてすむから
思い出さなくてすむから
「まだ寝ていろ、そろそろ傷が痛み出すだろう」
だから、部屋にイーヴンが入ってきたのに気づかずに、急に声をかけられたのにとても驚いた
振り返ってみても、目には包帯が巻かれているから見えはしない
「おまえは奴の身内とは思えないほどに潔かった
 普段のボスならあの程度の制裁ではすまない
 足を切り落とされ、腕を切り落とされ、胴体と頭だけにされた人間もいた
 おまえの態度は、ボスの怒りを鎮めたようだ」
その声を聞きながら 蒼太はイーヴンの声のする方に顔を向けた
求めるように手を伸ばしてみる
「お前の言ったとおり、ここに置いてやる
 お前は最後まで私を見ていた、恐怖に目を閉じることもなく」
声が近づいてきた
蒼太の震える手が取られる
そのまま、強い腕に抱かれて 身体がゆっくりとベッドに寝かされた
その腕が離れてしまわないように、痛む手で服をぎゅ、と握る
力がうまく入らない
それでも、必死にすがった
その手を、握りこまれる
わずかに躊躇したような握り方だと思った
目が見えないから、色んなものに敏感になっている
「ここにいる、だから大人しくしていろ」
少しだけ困ったような、言い聞かせるような声色
さっき、あの部屋で蒼太に制裁を与えていた無表情からは想像できない口調だった
彼はもしかしたら、本当は優しい人なのかもしれない

しばらく蒼太の側にいたイーヴンは、一度部屋を出ていき、深夜にまた戻ってきた
「眠っていなかったのか」
「不安で眠れませんでした・・・」
ベッドの上に置きあがっていた蒼太の側に、イーヴンが腰かける気配があった
手を伸ばして身体に触れる
痛み止めが切れていたから、身体を渦巻く痛みに手は勝手に震えていた
それでも、この程度なら耐えられる
むしろ薬が切れた方が 思考がしやすくて助かっていた
「何を不安になる」
「僕は一度捨てられたので」
言いながら 蒼太はわずかに息を吐いた
身体が熱いのは、傷が熱をもっているせいだ
体温は上昇し、薬で下げきれない熱が体内にこもって身を内側から焼いている
「僕は父に捨てられました
 僕の母は愛人という立場でしたから、その子供である僕が愛情を注がれないのはあたりまえです
 わかっていたつもりでした
 だから、父に必要とされた時 とても嬉しかったんです」
言いながら蒼太は全身の神経を集中させて相手の様子を伺った
表情が見えないから、息遣いとか動きのわずかな気配とか
そんなので相手の様子を確かめなければならない
そして、それは容易ではなかった
だから少しでも相手に触れていたほうが有利で
こうして腕にすがっている
伝わる振動で、情報を読もうと必死になっている
「お前の父親は お前をここへ送るために呼んだのだろう」
「はい」
それでも、父のために何かできるなら、と
「耐えました・・・それが僕にできる唯一のことだったから」
声を震わせた蒼太の身体は、そっと抱きしめられた
どくんどくん、と
自分の鼓動か、イーヴンの鼓動かが伝わってくる
「僕は父に捨てられたのです
 僕は弱い生き物です、一人では生きていけないのです」
そして捨てられたのだから あのカジノにはもう戻れないのだと
言った言葉に返事はなかった
ただ、強い腕が蒼太の傷だらけの身体を抱く
痛みと熱の中、蒼太は小さく息をついた
「だから、あなたの側に置いてください」
いつもなら、言いたくても言えない言葉
鳥羽に思っている言葉を、口にした
心がぎゅっとなった
言えたら、こんなにも苦しくないのかもしれない
側にいさせてください
こっちを見てください
認めてください
僕の存在があなたにとって無意味でないと、言ってください

明け方まで、イーヴンは蒼太を抱いていてくれた
彼は無口だったが、聡明なのであろう話し方をしたし
このマフィアという組織の中でもある程度力を持っているのであろうことが伺えた
なのに、優しくて
多くを語らず、多くを聞かず
熱で熱い蒼太の身体を服の上から優しく撫でて、一晩中その腕の中に抱いていてくれた
淡々と、残酷な制裁を与えていた男と同じ人間だとは思えないほど
彼は蒼太を気遣ったし、欲しい言葉をかけてくれた

そうやって、1日また1日と過ぎてゆき
1週間が経った頃、蒼太はドアの外で鳥羽の声を聞いた
(鳥羽さん・・・っ)
ドクン、
心臓がなる
あれから蒼太は一度もこの部屋を出ていない
朝には医者が来て手当てをし、夜になるとイーヴンがやってきて 話をしたりする
それ以外の人間とは会わなかったし、この部屋から出ることも禁じられていた
外の様子はわからなくて
ただ、日が経過するのだけを確認していた毎日だったから
(来てるんだ・・・)
鳥羽の声は、身体と意識を一気に緊張させた
すきを見てここを抜け出し、鳥羽と合流して仕事の打ち合わせをしなくてはならない
ここで何をすべきなのか、知らなければならない
「てっきり死んだと思ってましたよ、音沙汰がないので」
「彼はここへ残ることを希望したから 今は私が面倒を見ている」
「それはそれは、あれは淫乱だからさぞかしイーヴン様もお楽しみでしょう」
廊下の声が近づいてくる
会話からして自分のことを話しているのはわかるのだけれど
(淫乱・・・って、ひどい言われよう・・・)
苦笑して、蒼太はそっと息を吐いた
イーヴンとはまだ身体を合わせていない
彼は蒼太の怪我を気にかけているから、そういう行為に及ぼうとはせず
蒼太もまだ時期が早すぎると、仕掛けていない
この一週間、互いに心を寄せ合って彼の様子を見ていた
「侮辱しているのか」
「事実を言ったまでですよ
 カジノに居た頃には毎晩のように男達にまわされていましたからね」
鳥羽が相手を煽っているのがわかる
目的はまだわからなかったけど、蒼太は鳥羽の言葉から方向を見極めて動かなければならない
鳥羽の望むよう、
鳥羽の考え通りの動きができなければならない
(やれってこと・・・? それとも焦らせってこと・・・?)
もんもん、と
考えながら 蒼太は自分の手をぎゅっと握りこんだ
鳥羽の声に 身体が熱くなっている

その夜もいつも通り イーヴンが部屋へ来ていた
傷の具合を聞かれて、たわいもない話をする
大抵は 蒼太が自分のことを話すのを聞いているイーヴンは 今日はどことなく落ち着かない様子だった
目が見えないから だんだんと音や気配に敏感になっていて そういうことをよく悟れた
1週間もこうしていると、不便さにも慣れて
この部屋の中なら手探りで不自由なく移動できるようになったし、廊下の音も窓の外の音も普段よりよく聞えるようになっている
(鳥羽さんの言葉が効いてるのかな)
思いつつ、蒼太はイーヴンに手を伸ばした
「どうかしましたか?
 僕に何かできることはありませんか?」
言いながら 震える手で彼の頬に手を触れる
確認するように頬や唇をなぞったら、わずかのため息のあとイーヴンは言った
「しばらくの間、お前を別の人間に預けることになった」
それで、ピンときた
別の人間とは多分、鳥羽のことだ

「嫌です、僕を捨てるのですか」
声を震わせた蒼太を、イーヴンは抱きしめた
彼はどうしてマフィアなどにいるのだろうと思う
現在のボスの実子だというから、血に縛られているのかもしれない
それでも、マフィアになどならず、普通に生活している兄弟もいるのに
たしかに、制裁を与える姿は非道にも冷徹にも見え、マフィアにいるのがとても自然に思えたけれど
こうして蒼太の側にいてくれる様子は あまりに優しくてとても同一人物だとは思えない
それだけ蒼太を大切に思ってくれているのか
それとも、別に理由があるのか
「私は明日からボスの命令で外出する
 その間 お前を一人にしてはおけない
 お前も知っているだろう、お前の父のカジノで働いていた人間だ」
カイという名の、と
その名は今回の鳥羽の名前だった
「帰ってくるまで大人しくまっていろ」
「・・・はい」
震えながら 蒼太は俯いてうなだれた
鳥羽の仕事はスムーズだと思う
自分と蒼太が接触するのに無理のないやり方を用意してくる
そのイーヴンの用事というのも鳥羽の差し金だろうと考えながら 蒼太はそっと息を吐いた
明日、鳥羽に会えると思うと心が熱くなる
どんなに苦しくても、鳥羽だけが蒼太の心を動かせる
あの手だけが、蒼太に痛みと喜びと切なさと、その他の色々な感情を与えられる

「・・・目をやられたのか、計算外だったな」
「すみません」
次の夜 部屋に現れた鳥羽は、蒼太の目にまかれた包帯に苦笑した
「それじゃあ戦力にならんな」
「・・・っ」
やれやれ、と
鳥羽がため息をつきながらベッドへとすわり、
蒼太は鳥羽の言葉に 俯いて両手を握りしめた
「できることは何でもします・・・」
「そうだな、じゃあイーヴンの嫉妬心を掻き立ててもらおうか」
予定変更だ、と
鳥羽は言い、わずかに苦笑した
気配で悟る
この目が見えないために、鳥羽の考えていた動きができないこと
そのせいで、鳥羽がプランを変更せざるをえなかったこと
それに胸が苦しくなる
鳥羽の仕事の足手まといになっていると思うと悲しくなった
いつまでも、いつまでも こんなだから
自分はその他大勢のままなのだろうか
「イーヴンにはな、弟がいた
 生きていたら今は20歳くらいか
 調べてみたらマフィア同士の抗争で死んでる
 イーヴンと肉体関係があったって事実も判明してる
 ようするに、その弟とお前が、よく似てるんだろう
 雰囲気とか、境遇が」
言う鳥羽の言葉に、蒼太は納得した
彼は蒼太に優しい
それは自分と弟を重ねていたからか
蒼太と境遇が似ているということは、その弟もまた愛人の子なのだろうか
「マフィア同士の抗争の末、和睦のための人質として相手に差し出されたのがイーヴンの弟らしい
 愛人の子であったことを引け目に感じて、自ら人質となることを言い出して、1週間後、死体で帰ってきた」
そのことを、ボスをはじめ このファミリーの皆が大変嘆いたとか
自分から進んで犠牲になることを選んだ彼を忘れない、と
話を聞いた皆がそう言っていた
「カジノの父のためにここへ差し出されたお前と、偶然にも境遇が一致してるってわけだ
 だから、奴はお前に入れ込んでる
 特別な関係にあった弟を重ねて」
鳥羽は言いながら 煙草に火をつけた
なんとなく、わかる気がした
イーヴンは本当に蒼太を気遣って大切にしてくれたから
「だがシーヴンはなかなかに冷静だ
 お前と弟を重ねても手を出さない」
それじゃあ困る、と
鳥羽の言葉に蒼太は この身体を抱きしめる優しい腕を思い出した
蒼太を抱きながら、失った弟を想っていたのだろう
傷だらけの身体、熱にうかされた顔
それらは敵の容赦ない制裁で死んだ弟を思い出させただろう
「お前の役目はイーヴンに弟ではなくお前自身に執着させること
 その上で 肉体関係を持つこと
 今回の目的は、このマフィアという組織内に内紛を引き起こすことだ
 お前はイーヴンをけしかけて、ここから出ようとそそのかせ
 オレは不満の種を集めて、不信の種をばらまいて、
 ついでにお前の存在を使ってこのファミリーを揺さぶる
 ボスと、その息子のイーヴンが対立すれば それが内紛のきっかけになるだろう」
鳥羽の言葉に 蒼太ははい、と返事をするとぎゅ、と唇を噛んだ
イーヴンが優しいから、少しだけ心が痛んだ
それは身勝手な感情だとわかっているけれど
彼を蒼太が傷つけることによって、弟を失ったイーヴンの傷を抉るのではないかと
そう思って悲しくなった

イーヴン不在の2日目、鳥羽は部屋へ来なかった
カジノとマフィアとの仲介役をしていた彼は、その人柄を買われて 今やこのファミリーに出入りするようになっている
よそ者を信用しにくいマフィアが鳥羽を欲しいと自ら言い、受け入れたのは 鳥羽が敵対していた新組織の麻薬入手ルートを知っていたから
アゲハの調べてきたその情報を売って、鳥羽はマフィアの信用を勝ち取っていた
今は、このマフィアで その新組織を潰す計画に参加しつつ 本来のスパイ活動をしているという二重生活だった
一方、蒼太はただぼんやりとベッドの上で過ごすだけ
3日目の深夜に部屋へ来た鳥羽に、蒼太は泣きそうになって唇を噛んだ
鳥羽にばかり負担をかけて
自分は何もしていない
何もできない
それが悔しくて、悲しくて、情けなくて
いてもたってもいられなかった
今すぐこの目の包帯をむしりとって、鳥羽についていきたかった
「じゃあせいぜい張り切って、あの男を落としてくれよ」
へこむ蒼太に笑いながら、鳥羽は蒼太の腕を縄で縛り上げた
「・・・?!」
ぐい、とひっばられて 手の傷と肩の火傷がズキンと痛む
なぜ急に、こういうことをするのか蒼太には意図が理解できない
ただされるがままになりながら、ベッドにうつぶせた
ゾクゾク、と
高揚に似たものが身体の奥から生まれてくる
「イーヴンの嫉妬心を煽る手伝いをしてやろう
 お前はカジノにいた頃 男とやりまくってたと吹き込んである
 その淫乱な身体をよく見せてやれ、
 あれがお前を抱きたくなるようにな」
そういえば、そんなことを言っていたな、と
思いつつ、蒼太はぞく、と身を震わせた
服が脱がされて下半身が露わになると それはもうすでに熱を持ち始めていた
「お前をここまで仕込んだのは誰だ?」
意地の悪い声
どくん、と
疼きが腹の下でぐるぐるした
「鳥羽さんです・・・」
答えると、どうしようもなくたまらなくなった
触れて欲しいと心の中で思った
じんじんと、熱くなっている
まだ何もされていないのに、先端がしっとりと濡れてくる
「そうだな、お前はオレに仕込まれてこんな身体になったわけだ
 だが、今 お前が求めてるのはオレじゃない、イーヴンだ
 オレの呪縛から逃れて、イーヴンと幸せになりたいと望んでいる」
「はい・・・」
まるで、洗脳のようだと思いながら
蒼太はズキンと痛んだ心を無視した
鳥羽の呪縛から逃れたい、なんて
まるでこの心を見透かしたみたいな言葉
そう演じろという話なのに、それはとてもリアルに響いた
捕らわれて逃れられないなら、いっそ死んでしまいたいと
蒼太は最近 そのことばかり考えているから
「朝にはお前の大好きなイーヴンが帰ってくるだろう
 そうしたらオレからお前を助け出してくれる
 でも、お前はこの淫らな姿を見られることになる
 今までオレとしてきたことを知られる
 その身が汚れていることを知られる
 その時おまえはどうする?
 そして それを知ったイーヴンは、どうするだろうな」
考えておけよ、と
言って鳥羽は 蒼太の身体に手を触れた
どくん、
熱が一気に上がる気がした
泣きそうになって、それを必死で我慢した
「さぁ、はじめようか」
鳥羽の言葉が、ガンガンと頭に響いた

もう何度もこの身に試された強い媚薬を口に流し込まれ、蒼太はどうしようもない身体をよがらせて何度も何度も一人達した
声は悲鳴のように上がり、縛られた腕でもがきながら身体を痙攣させる
頭は真っ白になって、何も考えられなくなり
求めて求めて求めて、泣きながら喘いだ
鳥羽の手が与えるものに白濁を吐き、
その身を奥まで飲み込んで熱を受け止め慟哭した
死にたいとか、
殺してほしい、とか
側にいたい、とか
こっちを見てほしい、とか
苦しいとか、
苦しい、とか
くるしい、とか
「ぁぁああっ、あーーーーーーっ」
今だけは何も考えられなかった
身体に感じる全てに震えて、泣いて、声を上げて
どうしようもなくいった
鳥羽の名を呼んで、何度も果てた

どれだけ時間が過ぎたのか蒼太には分からなかったが、
やがて声がかすれ、何度も気絶しては たたき起こされるのを繰り返した頃 乱暴にドアが開いた
薬はようやく切れかけてきた
だがそれでも、犯され続けた身体はぐったりとして、意識を朦朧としている
だから そのドアの音に 感覚が少しだけ戻ってきて 蒼太はぶる、と震えて顔をドアの方へ向けた
見えなくてもわかる
この部屋に入ってこれるのは、鳥羽と、医者とイーヴンだけだ
そして今日は彼が戻ってくるはずの日
「おや、お早いお帰りですね」
鳥羽が笑った声がした
相変わらず 蒼太は腕を縛られたまま 異物を突っ込まれてベッドに転がされていた
口にも同じものが突っ込まれているから、しゃべることもできない
ただされるがまま、
求める身体に与えられるものを 必死に感じていくだけ
みっともなく、一人で達してこの身とベッドを濡らすだけ
「何をしている・・・っ」
彼の怒った声は、震えていた
イーヴンの靴音が近づいてくる
鳥羽は、手に拷問で使うような太い器具を弄び 可笑しそうに笑った
「何を?
 見たままです、これを躾けなおしているんですよ」
カチカチカチ、
鳥羽が手元のリモコンを弄ると 蒼太の中で振動しているものが更に激しく動き出した
「んうーーーーっ」
びくびくと、身体が痙攣する
突き刺さったものが中を抉るように突き上げてくる
内壁を擦り上げ、薬で敏感になりすぎた身体を容赦なく攻め上げる
何をされても、感じて
どんな痛みでも疼きに変えてしまうこの薬
何度も何度もこの身に使われて、そのたびに死にそうになるほど感じて果てた
恐怖さえ感じる
鳥羽の手で与えられる全てに、怯える
これ以上、墜ちたらどうなるのか
どこまで堕ちていくのか
その後自分はどうなるのか
「んっ、んぅ・・・っ、んうーーーーーーーーーっ」
涙が、目にまかれている包帯を濡らした
身体の包帯はもうぼろぼろで、外れたり緩んだりして傷口が見えている
赤くただれた火傷の痕がシーツに擦れてズキズキ痛んだ
「躾ける・・・だと?」
厳しい声、だが震えている
イーヴンの気配を側で感じた
「イーヴン様、これは元々はオレの犬でしてね
 久しぶりに可愛がってやろうと思ったら噛み付いてきたもので、こうやって自分の立場を分からせてやっているんです」
どくん、
鳥羽の言葉にまた、身体が熱をもった
鳥羽を求めてる、何よりも
鳥羽がいれば、何もいらない
鳥羽しか見えない
鳥羽の側にいたい
鳥羽に抱かれたい
鳥羽に抱かれて死んでしまいたい

「彼を放せ」
「こんなに喜んでいるのに?
 余計かわいそうじゃないですか、こんな風なまま放置するんですか?」
鳥羽は笑った後 蒼太の身体に奥深くまで沈められているものを抜き取った
ぞくぞくぞく、と
たまらないものが背中を駆け抜けていく
抜かないで、と
やめないで、と
身体が悲鳴を上げている
「ん、んんぅ・・・っ」
ぶる、と
震えたら、どろり、と白濁が溢れて足を伝っていった
いくら薬が薄れてきているからといって、こんなに敏感になった身体に鳥羽が触れれば
この身を仕込んだ本人が、蒼太を感じさせようとして触れれば
蒼太に逆らう術はない
ただもう、それだけで身体は反応する
たまらなくて、熱が開放を求めて身体中を暴れまわる
「イーヴン様に声を聞かせてやれ、ゼロ」
口に突っ込まれていたものも、取り除かれた
呻いて、ふるふると首を振る
「ゆ、ゆるしてくださ・・・」
かすれる声で懇願した
鳥羽の言うとおり、やらなくては、と
朦朧とした意識の中 必死で考えた
言葉、しぐさ、それから他には
「やめろ、カイ
 それ以上ゼロに触るな」
「触ってやらなきゃゼロはこのままですがね、いいんですか?
 いかせないまま放置するなんて あなたもかなり鬼畜ですね」
鳥羽の煽る言葉、
蒼太は放置されたまま、ぶるぶると震えて歯を食いしばった
イーヴンの視線を感じる
鳥羽の言葉にどうにかなりそうになる
感じて感じて感じて、気が遠くなりそうだ
ここで気を失うわけにはいかないと、わかっているから必死で耐えているけれど
「・・・・けてく、・・・さ」
ひく、と
蒼太は掠れた喉で必死に声を絞り出した
わずかな空気の動きでわかる
イーヴンが蒼太を見た
手が触れそうに近い、そう感じる
「たすけて・・・く、だ・・・さい」
もう一度、言った
昂ぶっているから涙は簡単に流せた
包帯は濡れて肌にはりつくようだ
「誰に助けを求めてる?
 お前はオレの犬だって、言っただろ?」
鳥羽の言葉に震えた
怯えたからじゃない、感じるからだ
捕らわれている
この身も心もあなたに捕らわれて
犬のように従って、どこまでもどこまでもついていく
「い、いや・・・です・・・」
ふるふる、と
泣きながら、首を振った
ここで「ゼロ」が求めなければならないのは鳥羽ではなくイーヴンだ
彼の最後のタガをはずして その手でこの身を抱かせなければならない
「ゆるしてください、許してくださ・・・」
ガツ、と
乱暴に髪を捕まれて、思わず悲鳴を上げた蒼太に 鳥羽の冷たい声が降る
「言ってみろ、ゼロ
 お前の主人は誰だ?」
魂が震えた
声はなかなか出なかった
言わなければならない言葉はわかっている
これは演技だ
だけど、口にするだけ ただそれだけができないくらいに苦しくて
泣きながら、震えながら、
蒼太は声を絞り出した
「今は、イーヴン様のものです
 あなたの・・・ものではありませ、ん・・・」

まだ言うか、と
言った鳥羽の声、そしてヒュっという音
背に痛みを感じて 蒼太は抗えず白濁を吐いた
2度、3度 背に続けて鞭が振り下ろされる
「カイ、やめろっ」
とうとう、イーヴンが銃を出した
カチャ、と
冷たい音は、その場の空気をも冷たく冷たくする
「今すぐ出ていけ」
「それはそれは、また随分な言われようですね」
「ゼロはお前のものではない、私のものだ
 私がボスから預けていただいた」
「では、ボスにおねだりすればオレもそれをいただけるのですかね?
 自分の犬を他人に取られるのは、不愉快だ」
鳥羽の言葉は最初から最後まで、イーヴンを煽っていて
イーヴンは銃を出した後はただ黙っていただけだった
「出ていけ」
「わかりました」
そうして、張り詰めた空気の中 鳥羽が去った
息が止まるほど、苦しかった
たとえ嘘でも言いたくなかった
たとえ演技でも、言葉にしたくなかった
あなたのものではない、なんて
こんなにもこんなにも、鳥羽に捕らわれて身動きできないでいるのに

イーヴンは蒼太の両腕を縛っている縄を解くと、濡れた目の包帯を外し、身体中の包帯も全て外した
傷には新しい包帯を巻いていき、
目には優しいくちづけを落とした
「許してください・・・イーヴン様・・・」
涙が止まらないのは、鳥羽への想いのせいだった
「許してください・・・僕は・・・」
汚れているんです、と
言いながら 鳥羽を想った
「僕を助けてください・・・僕をあの人から、助けて・・・」
鳥羽の側にいたい
鳥羽だけを見ている
鳥羽に必要とされなければ生きている意味なんてない
鳥羽の隣にいるためなら、何だってする
何だって耐えられる
どんなに痛くても、苦しくても、辛くても
「イーヴン様・・・っ」
心と正反対の言葉は、蒼太を傷つけた
この言葉が嘘なのと同じで、
鳥羽がさっき言った言葉も嘘だ
自分の犬を他人に取られるのは不愉快だと
その言葉は鳥羽の本音ではない
ただの演技、イーヴンを煽るための嘘
だからそれが一層悲しい
鳥羽は、本当に自分など どうでもいと思っているから
蒼太が他人に取られようと、蒼太が他人を選ぼうと
彼は動じない
彼はそれで、不愉快になったりなんかきっとしない
「泣くな、ゼロ」
いくらでもこぼれる涙をぬぐいながら イーヴンは蒼太を抱きしめた
精液に汚れた身体、薬のせいで震えるのが止まらない
それを、イーヴンは優しく、優しく抱きしめてくれる
昔、愛していた弟をこんな風に抱きしめたのだろうか
この姿をその弟に重ねて、抱いてください
錯覚して、想いを注いで、特別だと言ってください
「許してください・・・あなたの側に、置いてください・・・」
そうすれば、自分はせめて鳥羽の望む仕事ができるから

そのまま、イーヴンは蒼太の身体を抱いた
まだ熱を持つ敏感な身体に優しく手を触れて、
時折 躊躇しながらも その身を繋げて熱を注いだ
昂ぶって、昂ぶって、もう耐えるなんてできなかったから 蒼太は何度も声を上げて泣いたし
イーヴンは息を上げて蒼太の身体を奥まで犯した
傷が痛む
同じくらい心も痛む
鳥羽は今 何をしてるだろう
鳥羽の望むように、動かなければ

(鳥羽さん・・・・っ)

離れるなんてできない
あの人以外を主人と思うことなどできない
どんなに苦しくても、眠れなくても、ここにいたい
鳥羽の一番近く、
パートナーという立場でいたい
彼が必要とするような人間でありたいと、切実に望む
「ひ、ひぅ・・・」
涙がぼたぼたと落ちた
目の前は真っ白、何も見えない
まともに呼吸もできない
声ももう出ない
ただ喉を震わせて、悲鳴みたいなものを上げるだけ

その後 蒼太は意識を失った
限界だったし、とりあえずの目的も果たした
心は疲れていて、思考もストップしていた
身体を手放したような感覚、それにずるずると落ちていく

それから毎日、蒼太はイーヴンに抱かれた
彼は蒼太に溺れていったし、蒼太も彼に依存した
「あなたがいないと生きていけません」
そう繰り返した蒼太を、イーヴンは愛しそうに身体中に口づけ
安心しなさい、と繰り返す
「離れないでください、側においてください」
捨てないでください、と
蒼太は繰り返して、その身にすがった
心が麻痺していく
思考を停止させた
何も、考えないように 心をコントロールできたらいいのに
機械みたいな人間に、なれればいいのに

外の世界では、鳥羽が新組織をつぶし、ついでに他の組織も傘下に入れ
最近不安定だった取引相手との関係をうまく修復し、ファミリーにとって多大な利益を上げていた
ボスはますます鳥羽を気に入り、
鳥羽はボスから色々なものを与えられて 今や新参者なのに大きな影響力と発言力を持っている
そんな鳥羽がある日言った
「ここにいるゼロという男
 元々あれはオレのものでしてね、あれをオレに返してほしいんです」
自分からはめったに褒美を求めない鳥羽が、大きな商談を成立させた後に言った言葉だったから ボスはしばらく考えた後 好きにするといい、とそう言った
その言葉は、もちろんその場にいたイーヴンも聞いていたし、他の人間も大勢聞いていた
睨みつけるようなイーヴンの目を 勝ち誇ったように見遣った鳥羽に 敏感な者なら不穏な空気を感じたかもしれない
「彼は私に預けてくださったじゃないですか」
「あんな男一人、くれてやれ
 カイの働きはファミリーにとって今やなくてはならない
 今 奴の機嫌を損ねたくはない」
イーヴンの抗議をボスは取り合わなかったし、
この組織全体が、鳥羽の危うさを感じつつも、その仕事のもたらすものの大きさに 鳥羽を手放す決断はできなかった
この先、切り捨てるとしても、今はダメだ
「だからお前が我慢しろ、たかが男の一人や二人」
そう言ったボスの言葉に、イーヴンはギリ、と宙を睨みつけた
不満と怒りが心に積もる

鳥羽はファミリーに利益を生み出すために完璧な仕事をし、ボスに取り入り
ボスは、鳥羽を巧く利用しようと考えている
蒼太はイーヴンに依存し、イーヴンはそんな蒼太を特別な想いで抱き
全てを捨ててでも守りたいと、そう思い始めていた
「お前をあんな男に渡しはしない」
まるで独り言のように呟いたイーヴンの言葉に、蒼太はその胸に顔をうずめた
鳥羽と接触してから2週間
大分落ち着いた
冷静になった
これは仕事なんだと、自分に言い聞かせて心を殺して過ごしている
鳥羽の隣にいるために、彼の認めてくれるような仕事をするために
余計な感情は、全部全部封印しよう

「人の心を操るのは難しいことじゃない
 弱い部分を見つけて そこを攻めればいいだけだ
 弱味がないなら作ればいい
 お前はいい働きをしてる」

ある日、鳥羽が部屋へ来て言った
ボスから与えられた権限で、鳥羽は好きなときに蒼太と会えることになっている
イーヴンが仕事でいない時を見はからって、鳥羽の方から接触してくる
いつもほんの2、30分ほど
打ち合わせと報告をして、また仕事に戻っていく
今はそういう時間
鳥羽の声は穏やかで、蒼太をほめてくれる言葉に身体が熱く、熱くなった
「おまえはイーヴンの弱味になった
 あれはオレとボスに不満を持ってる
 今度の仕事も不満だらけでボスと衝突していた
 切れるのも、時間の問題だろうな」
その言葉に 蒼太は少しだけ笑った
褒められる言葉は何より嬉しい
僕はあなたのパートナーにふさわしいですか、と
心の中で問いかけた
返事は怖くて聞けないから、声に出しては言えないけれど
「次の仕掛けの後、お前には死んでもらう
 お前を失くせば、冷静なあの男も行動に出るだろう」
蒼太の手に、冷たいビンが渡された
小さなビン
目が見えないからラベルは読めない
だけど、鳥羽の話でわかる
仮死状態にでもなる薬だろう
死んだと思わせて、イーヴンをけしかけるための最後の仕込み
(何でもします)
ぎゅ、と
その薬を握りこんで、蒼太はそっと息をついた
もうすぐ仕事が終る
優しいイーヴンとも、仕事が終ればもう会わなくなる

それから2週間かけて、鳥羽は一つの仕事を成功させ、
だが、その途中でイーヴンをハメて 彼にマイナスの動きをさせた
一時、ファミリーの情報が流出し、危機にさらされる事態もあったがそれを鳥羽の機転で切り抜けて事なきを得、今がある
最近ずっと、晩餐の主役は鳥羽だったし
ボスはその働きに、鳥羽をますます重視せざるを得ず
そんな中 鳥羽の功績を認めつつも、新参者が大きい顔をするのを良しとしない者たちも現れてきた
そこに、蒼太を使ってイーヴンを煽り
仕事を利用して ボスとイーヴンを何かと衝突させて
ファミリー内に生まれ始めたモヤモヤとしたものを 鳥羽はどんどん育てていった
アンチ鳥羽派がイーヴンをそそのかし始めているから イーヴンさえ行動する気になれば決定的だった
鳥羽とボス、アンチ鳥羽派とイーヴンという図が、影で動き始めている
全てが鳥羽の操ったままに動いている

(本当に鳥羽さんは鮮やかだな・・・)
イーヴンの様子や、ドアから漏れ聞えてくる会話なんかで、蒼太は外の情報を得ていた
イーヴンは蒼太がこの部屋から出ることを良しとしなかったし、
蒼太もここから出ることを拒んでいた
どうせ出ても 目が見えないのだからロクな動きはできない
だったら、イーヴンの言うことを聞いて、彼に全部を委ねていることを見せた方がいいと計算した
毎晩蒼太を抱き、彼は言う
けして離さない、愛している、もう二度と失わない
(愛している・・・)
聞くたびに、不思議な言葉だと思った
蒼太の周りには、愛というものは少ない
この世界は狂っているから 愛より狂気に近いものの方が身近だった
自分が鳥羽へ持っているこの感情も、愛とは呼べないと漠然と感じている
まるで宗教のような
己を失ってしまうほど、他人に支配されている
死にたいだの、殺してほしいだの
こんなものが、愛などと呼べるわけがない
「あなただけを見ています」
はじめて彼にかけた言葉と同じことを口にした
あなたを見ています
あなたが、僕のターゲットだから
(さようなら)
抱かれながら、身体にイーヴンの熱を感じて 蒼太はそっと息を吐いた
明日の晩餐に、鳥羽から呼び出しがかかっている
そこでケリをつけるのだと、そういうことだ
イーヴンと、身体をあわせるのはこれが最後
これで最後

その晩餐は、身内だけで行われるものだった
席についているのはボスと、実子のイーヴン、イーヴンの弟が1人、姉が1人
ボスの弟が1人、その息子が1人、そして鳥羽だった
アンチ鳥羽派であるボスの弟にとっては、この席に鳥羽が当然のような顔をして座るのは我慢ならなかっただろう
イーヴンは冷静に怒りを抑え、叔父に何度も鳥羽と、それに依存するボスへの反逆をそそのかされても乗らなかった
ファミリー内の争いは 他の組織に弱味を見せることになる
古くからのこの家を守るため、
仕事を、利益を、身内を守るため イーヴンは自分の感情にまかせてボスを裏切る行為には出なかった
今までは
「彼が同席するのは仕方がないことだ、彼の働きでファミリーが得た利益は大きい」
ひそ、と
囁き声が交わされる
「父が彼を重宝するのは仕方がない」
イーヴンはまだ冷静だった
日々積もる鳥羽とボスへの負の感情、
それを押さえ込んみ、蒼太に会うことで癒している
そんなのが鳥羽にも蒼太にも感じ取れた
だったら、その蒼太がいなくなれば?
鳥羽の手で、死ぬようなことがあればどうなる?

「いいワインを手に入れました、いかがですか?」
食後に、鳥羽は言うと立ち上がってここにいる面子を見回した
「もらおうか」
ボスがゆっくりと答える
この部屋にはボスの吸う葉巻の甘い匂いが漂っていた
部屋を横切る鳥羽の足音が響き、入り口のドアが開けられる
「ゼロ・・・」
イーヴンが声を上げた
それから鳥羽を睨みつける
「ここに置いていただいてる恩にも報いず 毎日毎日部屋へ引きこもっていますから
 たまには皆さんに御奉仕させていただこうと思いましてね」
さらり、と
鳥羽は言い、蒼太の腕を取ると部屋の中へと引き込んだ
さっき、ここへ来る前に鳥羽から渡された薬を飲んだ
仮死状態になるという薬
全身に回ったら、心臓は止まる
今もじわじわと、身体が冷たくなっていくのを感じていた
「さぁ、ゼロ
 言ったとおりにやれ、失敗は許されないとわかってるな」
ワインを持つ手が震えるのを必死に耐え、蒼太は部屋の中を伺った
目が見えないから、どこに誰がいるのかわからない
ついで回れといわれているワイン、
それを入れるべきグラスがどこにあるのかも、当然見えない
「無茶だ、ゼロは目が見えない」
「おもしろいじゃないですか、目が見えない者がどうやってワインをつぐのか見たくはありませんか?」
イーヴンの言葉を、鳥羽は相変わらずの慇懃無礼な物言いで返した
ボスは黙っているし、他の者達は顔を見合わせて この状況を見守っている
「ゼロ、お前の飼い主は誰だ?
 言われたとおりにしろ」
鳥羽の言葉に、イーヴンが怒りに顔を歪ませた
気配でわかる
蒼太はずっとイーヴンの側にいたのだから
「ボスがオレにこいつを返してくださったこと、忘れていませんよね?
 イーヴン様」
にやり、
人を挑発する嫌な笑い、そして口調
この場は鳥羽に支配されている
「ゼロ、はやくしろ」
鳥羽の言葉に、蒼太は葉巻の匂いのする方へゆっくりと歩いていった
慎重に歩を進めて、足が何かに当たったのに動きを止める
これはイスの脚? テーブルの脚? それともファミリーの誰かの身体に触れてしまったのか
恐る恐る手を伸ばすと、指先がテーブルクロスに触れた
この身体 感覚はまだあるけれど、温度はもう感じない
「私は水浸しになるのはごめんだぞ、カイ」
側でボスの声がした
どこか呆れたような、
だが鳥羽のこの遊びを咎める風ではない声色
手にしたワインのボトルに わずかな音がしてグラスがつけられた
ほっ、と安心して
蒼太はボトルを傾ける
どこにグラスがあるのかがわかれば、ワインを注ぐのは 感覚でできる
どのくらいの角度で、何秒注げばグラスは丁度よく満たされるのかとか 身体が覚えている
(・・・次・・・)
またゆっくりと移動して、差し出されたグラスにワインを注いだ
その間 誰も何も話さなかったし、皆の視線が自分に集まっているのを感じた
そうして、ゆっくりとした動作でワインをついで回った蒼太は、最後に鳥羽のところへ来た
「カイ」
きつい、イーヴンの声が聞える
怒りを抑えたような、低い低い声
「どうした、ゼロ
 さっさとつげよ」
側で鳥羽の声がする
でもグラスがどこにあるのかわからない
鳥羽は他の皆のように グラスを上げてボトルに当ててはくれなかった
テーブルに置かれたまま、グラスは放置されている
「できるわけがないだろう、カイ
 お前はゼロに何をさせたいんだ」
イーヴンが立ち上がる音
見守る気配
鳥羽だけが、くつくつと可笑しそうに笑っていた
「何をって? 躾ですよ
 本当にこいつは飼い主に逆らう悪い犬になってしまったのでね
 こうやって、あなたの前で誰が自分の主人なのか わからせてやっているんですよ」
蒼太の心がどこにあろうと、ボスから蒼太をもらったのは自分だと
鳥羽は言ってまた笑った
「さぁ、早くしろ
 失敗したら、わかってるだろうな」
厳しい言葉
蒼太の本当の支配者の声
ぞく、と
何かが背をかけていった
身体は冷たくて、熱は生まれなかったけれど

ガタガタ、と
蒼太は震える身体を必死に抑えながら テーブルの上のグラスを手で探った
「見苦しいな、いつまでやってる」
厳しい声がかかる
「無理だろう、いくらなんでも」
「震えてるじゃないか、カイも厳しいな」
「そのへんで許してやれ」
周りの言葉に、鳥羽がくく、と笑う
「皆さんはお優しい
 でも躾に同情は禁物ですよ」
「ゼロは犬ではない、人だ」
気配を感じて、その後腕を取られた
イーヴンが、側に立ち この身を鳥羽から守るようにしている
捕まれた腕が痛いほど 彼は怒りのあまり力の加減ができないでいる
「それは犬ですよ、イーヴン様
 そして私のものであって あなたのものではない
 放してもらえますか? 今すぐに」
今 鳥羽がどんな顔をしているのか見えたら 震えたかもしれない
冷たい言葉
恐怖さえ感じる
その目を見たら 凍りついてしまうかもしれない
「断る
 人を人とも思わないような人間にゼロを渡してはおけない」
たとえボスの命令でも、と
その言葉にボスは苦笑して二人を交互に見た
「そんな男一人に何をもめる
 どちらかが諦めればすむ話じゃないか」
「これは誇りの問題です」
鳥羽が、煙草に火をつけたのを感じた
あの香りが漂ってくる
甘いような、どこか捕らえどころのない不思議な香り
支配された、唯一の人
「最後にチャンスをやろう、ゼロ
 お前の主人は誰だ? その口で言ってみろ」
ガタガタと、
蒼太の身体の震えは止まらなかった
気を抜けば力が抜ける
頭がグラグラする
力が入らなくて、ワインのボトルを持っているのさえ辛かった
立っているのも、イーヴンが支えてくれていなければ無理だったかもしれない
「答えろ」
限界が近いと悟る
鳥羽のタイミングは絶妙だ
蒼太の様子を見ながら 会話している
ここにいる全員が、鳥羽の台本通りに動いている
「・・・・様です」
声も震えた
うまく出せない
場がシンとする
「イーヴン様です・・・」
ちゃんと言葉になっているか不安だった
自分ではもう聞えない
グワングワンと、膜がかかったみたいな変な音がする
呼吸が苦しい
「聞いたか、カイ
 お前にはゼロはやれない」
イーヴンの声も遠い
意識が薄くなる
「聞きました
 かわいそうに、あなたがいなければ こんなことにならずにすんだのに」
ゆっくりと鳥羽が立ち上がった
手にしたビンの封を切る
誰もが、黙って見守っていた
もう1歩近づいて、蒼太の腕を掴みイーヴンから引き離す
ぐら、と
上を向いた蒼太の顔、力なく何か言いたげに開かれた唇
それに、ビンの中身を流し込んだ
その場の誰も、鳥羽の行動の意味を理解できなかった

「何を・・・した・・・・っ」

がくん、と
蒼太は最後の意識を手放した
苦しみも痛みもなく、ただ冷たさを感じて堕ちる
それだけだった
鳥羽につかまれた腕だけ残して、あとは床に崩れ落ちた
ゆっくりと心臓が停止する
もう何も聞えなくて、何もできなかった
死んだ蒼太の腕を放し、鳥羽が笑う
「言ったでしょう? 最後のチャンスだと
 それを捨てたのはこいつですよ
 オレは自分の犬を他人に取られるのは不愉快だと、初めにあなたに言ったはずです」
舞台の幕がゆっくりと下りる
鳥羽の吸う煙草の煙が、部屋の中を流れていった
誰も何も、言わなかった

静かな部屋で、横たわる蒼太の死体を見つめイーヴンは一つの決意をした
あの場でボスが言ったのは たった一言
たかが一人の人間のことでもめるな、と
お前達はこれからこのファミリーを支えていく柱なのだから、と
それだけだった
要するにそれは、
この先ずっと 鳥羽はファミリーで重要視され
ボスは実子の自分と同じくらい 鳥羽を重宝するということだ
蒼太を失った痛みをボスは理解しなかったし、その死にイーヴンが振り回されることも許さなかった
この後 死体は火葬される
葬儀も行われないままに
「そんなことは耐えられない」
蒼太への想いが鳥羽への憎しみをかきたて、
鳥羽への負の感情が、ボスへの不信感を沸き起こさせた
このままではすまさない、と
復讐に似た思いが、イーヴンの中に生まれた

「・・・う、ん」
ぼんやり、と
ホテルの部屋で目を覚ました蒼太は、最初に吐き気を覚えた
何も思い出せなくて、気持ち悪いのをやり過ごそうと歯を食いしばる
(何を・・・してたんだったっけ・・・)
考えようとした
浅い息を繰り返して、ぎり、と唇を噛む
手足が冷たいのが少しだけ気になって、
その後 目が見えないのに気づき それでようやく思い出した
(ああ・・・仮死状態から戻ったんだ・・・)
あれから何日たったのか、とか
ここはどこなのか、とか
蒼太には一切わからなかった
ゆっくりと呼吸して、ぎゅ、とシーツを掴んだ
不思議な感覚
今までこの心臓が止まっていたなんて
呼吸もせず、全ての身体機能が停止していたなんて
(死ぬのって・・・冷たいんだな・・・)
痛みもなく、苦しみもなく ただ冷たいとだけ感じた死
感覚も温度も感じなくなっていたのに、どうして冷たいなんてわかったんだろうと
思いながら 蒼太はそっとため息を吐いた
死を望む心は消えはしない
苦しみから逃げたくて、死という無に逃げたくてそう考えるんだというのもわかってる
自分は弱いのだ
そして 甘えている
鳥羽に、自分自身に、この世界に
(鳥羽さんの、声が聞きたい)
確かめるように呼吸を繰り返した
生きている
自分はまだ、この世界に生きている

4時間ほど待つと、鳥羽が部屋へ入ってきた
「お、蘇生したな」
「はい・・・」
「どうだった、仮死体験は」
「冷たかったです・・・」
どさ、と側のテーブルに何か置く音がした
感じる雰囲気からは、仕事モードが抜けている
蒼太が仮死状態の間に、全て片付いたのだろう
「仕事は終って報告書も提出済み
 お前の目の治療に この後組織に戻る
 明日の便を押さえたから 今日は眠ってろ」
「はい・・・」
カチ、ライターの音
漂ってくる煙草の香り
蒼太はイーヴンのことを考えた
彼は自分が死んで泣いただろうか
鳥羽の描いたシナリオ通りに、父であるボスに内紛をしかけるのだろうか
ファミリーをさんざんかき回した鳥羽は、しばらく様子を見た後 アンチ鳥羽派の陰謀にかかったフリをしてマフィアから去る手はずとなっている
今はまだ、マフィアに席を残したまま長期の仕事に出ていることになっているけれど
「しかし最近肩の凝る仕事が多いな
 もう少しハデに暴れられる仕事はないのか」
ピ、と
鳥羽が携帯をいじる音がした
独り言みたいに、鳥羽は続ける
「男落としたり、女だましたり、そんなのばっかりだな
 お前が地味にそういうのに向いてるって組織が認識してるんだろうな」
やれやれ、と
鳥羽はわずかに笑った
気配を感じる
目が見えないせいで、とても敏感になっている
「鳥羽さん・・・すみませんでした」
「何が?」
「この目のせいで・・・」
この目のせいでロクな仕事ができなくて
鳥羽の当初のプランを台無しにしてしまって
「不測の事態はどんな仕事にでもあるもんだ
 次の手が使えたんだから そんなことは気にしてない
 それにお前は本当に、相手に気に入られるのが巧いな
 なかなかどうして、あのイーヴンの執着っぷりは見てて面白かったぞ」
俯いた蒼太に鳥羽は笑い、
思い出したように、携帯を開いて操作を始める
「せっかくだからお前の死に顔を撮ったんだった
 お前の携帯に転送しといてやる
 自分の死に顔なんて めったに見れるもんじゃないからな」
目が治ったら見てみろよ、と
言うのと同時くらいに、向こうのテーブルの上で蒼太の携帯がメールの着信音を鳴らした
鳥羽の煙草の香りが、とても悲しい
多分鳥羽は、蒼太が本当に死んだとしても、こういう反応をするだろう
鳥羽にとって蒼太は ただの仕事仲間
代わりはいくらでもいる
それが悲しい
そして、それでも
「ほら、とっとと寝ろ」
ぐい、と
いつまでもベッドに起き上がっていた蒼太の身体を押し倒すようにして、鳥羽がすぐ近くで笑った
「吐きそうだろ?
 次寝て起きたら その不快もちったぁマシになってる
 寝てしまえ」
「はい・・・」
この距離、この言葉
たとえ特別でなくても
その他大勢のうちの一人でも
ここにいる限り、鳥羽の目に自分がうつる瞬間は必ずあって
彼が自分に声をかけてくれることも、必ずある
たまに機嫌のいいときに優しくて、
その怒りに触れれば ひどく辛い目に合わされるけれど
「鳥羽さん・・・次の仕事は決まってるんですか?」
「まだ、組織に戻ってお前の目の具合を聞いてからだな
 ったく、お前はオレの話を聞いてるか?
 寝ろといったんだ
 いつまでオレにお前のお守りをさせる気だ」
くしゃ、と
髪を乱暴になでられた
涙が出そうになる
側にいなければ、この喜びは得られない
苦しくて、逃げたくて、苦しくて、逃げたくて
そんなことばかり考えているけれど、
だけどそれだけじゃないとわかってるから
想うからこその痛み、だけどその逆に
想うからこそ感じる喜びや幸福があって、
それが捨てがたく、泣きそうなほどこの身を熱くし
失いたくないと必死にすがるから
(もうどうしていいのか、わからない・・・)
混乱して、思考はまとまらず、ぐるぐるといつも同じところを回っている
鳥羽の手の中で、踊っているだけ
「すみません・・・寝ます」
「よし、いい子だ」
また鳥羽が笑ったのを感じた
目に巻かれている包帯がなければ 泣いたのを隠し切れなかったかもしれないと
蒼太は思いながら 毛布にもぐりこんだ
自分はまだ、生きている
生きているかぎり、鳥羽を追う


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