ZERO-25 マリオネット (蒼太の過去話)


今回の蒼太の仕事は A国の軍にスパイとして潜入したB国の研究者を保護し、A国支配下にある軍事基地から救出することだった
この依頼は、B国の政府からかけられていて、そのために少し前から組織では大掛かりな潜入を行っている
情報操作でA国本国を揺さぶり混乱させ
そのどさくさにまぎれて 基地へ志願兵として潜入した蒼太達が ターゲットを確保し連れて逃げる手はずだった
(ほんと・・・スパイに入っておいて自力で脱出できないなんて・・・マヌケな話・・・)
A国の細菌兵器は研究が進んでいて それを欲したB国がスパイを送り込んだのがこの話の始まり
A国の研究結果を見てそのノウハウを学んだ研究者は、一度一人で脱出を試みた
だが、失敗に終わり その後B国は自国の軍人を彼の救出のためA国に潜入させた
だが、それをもってしてもターゲットは脱出できず 結局A国にはターゲットのほかに ターゲットを救出に行った軍人達も帰れなくなっているということだ
「とにかく ターゲットとの接触が第一だ」
隣を歩いている男が蒼太に言った
背が高く、目がギョロっとした筋肉質の男
赤毛の彼は名をエダと言った
今回 蒼太と一緒に潜入したこのエダに、行動の指示を出してるのは 組織の本部で怪我の療養中の鳥羽だった

「俺は退路を確保する
 お前はターゲットとB国のマヌケなスパイ達を探しだせ」
エダの言葉に蒼太は無言でうなずくと、ヌメヌメとした湿地を歩いていった
軍事基地のあるこの場所は ジャングルに近く 空気がじめじめと湿気ている
足元はぬかるんでいて、1分も歩けばブーツはもう泥だらけ
歩きにくい上に、見たことのない虫や蛇がうようよいる
「お前はターゲットを連れて脱出することだけ考えろ
 陽動隊の時間稼ぎは5.6時間くらいがせいぜいだ
 その間に合流点の西の拠点跡までたどり着くこと
 着いたら連絡を入れろ、すぐに迎えをやる」
エダの声で鳥羽からの指示が伝えられ 蒼太は はい、と返事をした
意識を研ぎ澄ませて 全身を緊張させていく
不快な温度に、体力がじわじわと削られていくのを感じながら 蒼太は研究施設へと近づいていった

黒のパスポートには、マリオネットという存在がいると蒼太が知ったのはつい先日だった
前の仕事で鳥羽が負傷したにもかかわらず、今回のこの軍の仕事の人数が足りず結局 鳥羽も借り出されることになった
その時点で次の仕事まで1週間を切っていて 当然それまでに鳥羽の怪我が治るわけもなく、
仕方がないのでマリオネットを使う、と そういう話になっていた
「マリオネットって何ですか?」
聞きなれない単語に 首をかしげた蒼太に テレーゼが教えてくれた
組織の駒として動くために 私情を捨て命令のみに従う服従心と、命令通りに動ける身体能力を身につけた人達のことだと
「マリオネット・・・」
操り人形?
今までの仕事で鳥羽はそれを使ったことがなかったら 蒼太には説明されてもピンと来なかった
「文字通り人形だ
 組織の兵隊になりそこねた奴らを身体能力だけ上げて鍛えなおすんだ
 それを遠隔操作で俺達が動かす
 それがマリオネット」
「組織にはね 今は200人くらいの人間がいる
 あなたも経験したように、教育期間を経て試験を受け、それにパスした者だけが正式に組織の人間となり仕事をすることができる
 あなたは1年で試験をパスしたけれど、中には何年も試験にパスできない人間がいるのよ」
たとえば、大切な場面で判断を誤ってしまったり
ここ、という時にふんばれず心が折れてしまったり
決断が遅れてしまったり、必要な知識を身につけることができなかったり
「そういう人間は5年で見放される
 それでも組織に残りたいものが選べる道はただ一つ
 マリオネットとして生きること
 何も考えない、ただ言われたままに動く人形として組織の駒になることだけ」
なんとなくぞっとして、蒼太は言葉を飲み込んだ
わかる気はする
この組織は深く暗い世界を見せてくれる
仕事の難易度は高く 常に命がけだが報酬は高額だ
1度の仕事で 人間が一生遊べるほどの金が支払われることもある
組織に残りたい、世界を見たい
だけど実力がない
そんな時に、一つでも道が残っていたら自分もそれを選ぶかもしれない
組織の駒となって動く人形になることを選ぶかもしれない
「どんな時に使うんですか・・・?」
今まで、鳥羽はそれを使ったことはなかった
だから今まで知らなかったけれど
「例えば 今の俺みたいに身体が動けないときに使ったりな
 潜入先が学校で子供しか潜入できない場合に使うとかな
 女の方が有利な仕事の場合とかな、色々だ」
マリオネット達は 皆俊敏で身体能力を最大限まで引き上げる訓練を毎日している
判断は操作する人間がする
作戦も操作する人間が考える
人形達は言われたとおり動くだけ
指示されたことをするだけ

組織で聞いたことを思い出しながら 蒼太はエダと分かれて一つの建物に入った
エダは身体に無線を仕込んで常に鳥羽からの指示を受けて動いている
鳥羽が話した言葉を話し、それ以外はほとんど話さない
B国のスパイ達が脱出できなかったこの強固な基地からの脱出口を作るのが鳥羽の役目で
蒼太はその間に ターゲット達を見つけて確保しなければならない
少し前に軍に潜入した組織の人間が内部から陽動して援護してくれるのが今夜
その効果はせいぜい5.6時間程度しかもたないから、なんとかその間に抜け出さなければならない
今回の仕事も、時間との戦いだ

研究施設のドアのデータを弄って開け 中にいた人間をガスで眠らせると 蒼太は同じくガスでぐったりとしたターゲットを抱きかかえた
小柄な老人でよかった
これがガタイのいい男だったら、抱き上げて走るなんてことできなかっただろうな、と思いつつ
部屋から出てドアを閉めた
B国からは、A国の研究のデータを全て消すよう依頼されているが、それは蒼太の仕事ではない
後から来る別の人間が、その作業にあたるだろう
(ターゲット確保、あとはB国の軍人か・・・)
ターゲットを助け出そうと潜入して 自分達も逃げ出せなくなったマヌケなスパイ
B国からは できれば彼らも一緒に脱出してくれと言われている
できれば、だから 余裕がなければ放っておいてもいいのだけれど
(時間があるから・・・探すか・・・)
陽動作戦の時間まで あと2時間ほどある
その間にターゲットも目を覚ましてくれるだろう
ここから脱出するのにターゲットを抱きかかえたままでは、いざという時にろくに動けない
できればターゲットには自分の足で走ってもらいたい

側の部屋の端末から軍の名簿を検索すると B国のスパイの名前が出てきた
全部で5人
うち一人は女性で医者としてもぐりこんでいるようだった
(これが一番早く見つかりそうだな)
未だ眠っているターゲットを抱きなおし、蒼太は医療施設へと足を速めた
そこで、残りのスパイ達の居場所を聞き出そうと考える

「博士っ」
医療施設にターゲットを連れて入ってきた蒼太を見るなり、そこにいた女が悲鳴に似た声を上げた
「この方が倒れられたので連れてきました
 具合が悪いようですね」
医療施設には女ドクターの他に温和そうな男がいた
彼も立ち上がってターゲットにかけよってくる
「あなたは?」
問われて、蒼太は二人の顔を見た
さっき検索したB国のスパイと二人とも一致する
手間が一つ減った
ここに二人いるならあと3人
普段からつるんでいるなら、残りの人間を呼ぶのも簡単なのだろうと予想する
「B国の依頼できました
 今夜博士を脱出させることになっています、仲間がいるなら今のうちに全員集めておいてください」

2時間後 医療施設にはB国のスパイ全員が揃った
男4人に女1人
どういうつもりで、5人なんて大人数で潜入したのか
こんなにゾロゾロいたのでは 見つかりやすいし動きにくいだろうに
だから脱出できなかったのではないか、と思いつつ
蒼太は 女ドクターの処置で目を覚ましたターゲットに防弾服を着せた
「どうやってここから出るつもりだ
 政府はお前一人しかよこさなかったのか」
隊のリーダー各の男が イライラとした様子で口を開いた
自分達を助けに来たのが 自分より年下の男だったのが気に入らなかったのだろうか
それとも ターゲットを助けにきておいて 自分達も助けられるはめになったことを恥じているのか
「ターゲットの確保にあたってるのは僕だけです
 退路の確保に一人、データの抹消に2人
 陽動に4人、援護に1人、外部に1人 計11人で当たっています」
蒼太は、エダと繋がっている無線のスイッチを入れた
「全員確保しました」
言葉を発すると、何秒かしてエダから返答が返ってくる
「1時間後に陽動部隊が動く
 それを合図に動け、経路は今送る
 全部で4種用意した
 ダメだと思ったら迷わず次に行け
 それでもダメなら南のジャングルへ抜けろ、壁をぶち破るのに爆薬くらいはもっていけよ」
いつもは鳥羽の頭の中にあるプランが、言葉で伝えられる
退路を4つ同時に確保
1つ確保するだけでも、ここにいるスパイ達ではできなかったのに、それを4つも
しかも それでもダメな場合の強行突破も計算に入っている
PDAに送信されてきた施設の見取り図と経路を見ながら 蒼太はドクドク言いはじめた心臓を必死で押さえつけた
高揚が心を支配する
たまらない感覚に陥る
鳥羽の仕事はすごい、
自分もああいう風になりたいと、いつもいつも思わせられる

それから1時間後、施設内にけたたましく響いたサイレンの中 蒼太達はバタバタと走り回る人に紛れて鳥羽の指示した経路を走った
武器はできるだけ揃えた
銃も持っているし、爆薬も準備した
防弾服を着てターゲットを庇いながら 今回は銃を使って戦うことを覚悟している
相手は軍人で、ここは敵地の真ん中で
細菌兵器だの何だのと、大きな研究がからんでいる
無傷ではすまないだろうし、当然死者がでる覚悟もある
「ちょっとまてっ、この先はロックがかかってて上官しか通れないんだぞ」
白い壁の廊下に入った途端、後ろを走っていた男が喚いた
さっきから何かとうるさいリーダーの男だ
軍人のくせに、この男はムダ口が多いし不満もよく口にした
「ロックがかかってるなら壊せばいいでしょう」
言う間に目の前に鉄の扉が現れた
PDAにつないで破壊データを送り込む
壁面に設置されているボタンがいくつか光り その後プツ、と光が全て消えた
いつもなら解除の方法を探るのだが、今回は時間がない
クラックシステムを流し込んで セキュリティごと壊した
ゆっくりと、鉄の扉が開かれていく
「急いでください」
サイレンは相変わらず鳴り響き、
火災が起きただの、何々ブロックを閉鎖しただの
北の塔で細菌を培養している機械が壊れただのとアナウンスを繰り返している
「北11ブロックと西47ブロックを閉鎖します」
秒読みが開始されたのに、またうしろでリーダーの男が喚きだした
「この先は西11ブロックだ、行っても無駄だ閉鎖されるっ」
「これは陽動作戦だと言ったでしょう」
「もし本当に閉鎖されていたらどうするんだ
 今ならまだ俺達の動きはバレていない
 戻って別の道を行くべきだ」
別の道、と簡単に言うが たった一つの退路でさえ確保できなかったのはお前達じゃないのか、と
思いつつ 蒼太は男のせいで皆が立ち止まったのにイラとした
「走ってください」
最悪、このスパイ達は置いていってもかまわない
ターゲットさえ救出できればいいのだから
そう思って ターゲットの腕を取ったら 今まで黙っていた寡黙な男が蒼太の手を止めた
「博士は俺が」
その男はいかにも軍人というガタイをしていた
片腕がなかったから 戦争で失ったのかもしれないと漠然と考える
「西11ブロックが閉鎖されていれば開けて入るまでです」
「細菌が本当にもれていたらどうするんだ」
「マスクでも探して装備してください、そんなに心配なのでしたら」
時間がない
蒼太は 視線で片腕の男を促して走り出した
男はすでにゼーゼーいっている博士をおぶって蒼太についてくる
他の者も戸惑いながらも蒼太についてきた
その一番後ろをリーダーの男が 何か言いながら走っている
「分かれ道だ、どっちへ行けばいい・・・」
西11ブロックの扉を無理矢理壊して中へ入った先、また扉があり道が2つに分かれていた
鳥羽の送ってきた経路からいけば右だ
迷わず右を選んだ蒼太に リーダーの男がストップをかけた
「この扉は中央に繋がってる
 普段はこんなところ使わない
 今あけたら はっきりいって不自然だ
 こちらの動きがバレたら また脱出できなくなってしまう」
幸い今は、基地内のあちこちで起きている色んな問題に対処していて 誰も蒼太達を気に留めていないけれど
「ではどうすると言うんですか?」
「戻るべきだ
 戻って別の道から出るべきだ」
「別の道ってどの道ですか?
 具体的におっしゃってください」
会話をしながら 蒼太はイライラとする気持ちをなんとか抑えようとした
「お前の仲間は他に道を用意してないのか
 とにかく この道はダメだ
 ここを開けると中央に知れる」
「代替案がないなら、口を出さないでください
 そして、そんなに嫌なら同行してくださらなくても結構です」
口を開けば、ダメだ、マズい
そのくせ じゃあどうすると聞けば人に頼る
結局 自分では何も考えてないじゃないか、と
強い口調で言った蒼太に 男は眉を吊り上げて声を荒げた
「勘違いするなっ
 軍では上官の命令が全てだ
 私はこの隊のリーダーで、私は意見しているのではなく命令しているんだ」
男の言葉に蒼太は声もなく、
他の人間も誰も何も言わなかった
(・・・なんだそれは)
ここまで呆れると、怒る気にもならない
命令している?
軍では上の人間が全て?
実力もないくせに、不満しかいえないくせに、
どの口でそれを言い、この自分に命令するのか
「お言葉を返すようですが」
はっきり言って こんな人間と話さなければならないのがもうストレスだったが、とにかく今の自分は急いでいる
さっさとこの先に行ってしまいたい
「僕は軍人でもなければ あなたの部下でもありません
 こちらに従っていただけないなら ここでお別れです
 お好きなようになさってください
 僕はターゲットさえ連れて帰れればそれで結構ですから」
チラ、と ターゲットをおぶっている片腕の軍人を見遣ると 彼は黙ったまま蒼太を見つめた
最悪の場合、彼からターゲットを奪わなければならない
あちらも銃を持っている中 ターゲットを無傷で奪うにはどうしたらいいか
頭の中でシミュレートした
だが、それは女の声で中断される
「こんなところでモメて また失敗に終るのはイヤよ
 今は大掛かりな陽動作戦のおかげで逃げやすくなってるわ
 この扉が開いたことがバレても 数ある問題の一つとして処置が遅れるんじゃないかしら」
とにかく今は少しでも先に進みましょう、と
まるでリーダーを説得するような言葉に 男は目をギラギラさせながら渋々うなずいた
「ではあけます」
本当に時間の無駄だ
上だ下だ、命令に従え、だなんて
この人達は 無駄に命を落としたいのだろうか 

基地の中を走ること1時間
途中 何度か出くわした兵を倒しながら一行は鳥羽の用意した経路を進んでいた
「現在地を言え、敵が博士を探し始めたぞ」
廊下を走っている途中で エダからの通信が2度入った
陽動作戦のせいで 基地内はあちこちが閉鎖され、火災がおき、
兵士達は その処置に追われてバタバタしている
「今 第3研究施設を抜けたところです
 この先西27ブロックに入ります」
さっき 警備と兵と軽い争いになった時 蒼太と同じ年くらいの男が負傷した
腕に弾が当たったのの手当てを今、受けているところだった
(さすがに軍人だけあって堪えるか・・・)
ここまでで、皆いくつかは負傷していた
蒼太も大きな傷はなかったものの 何度も爆発やらで吹き飛ばされ 身体のあちこちがズキズキ痛んだ
左腕は、もしかしたら骨にヒビくらいは入ってるかもしれない
「処置できたわ」
「じゃあ行きます」
蒼太の言葉に 若い男はフラフラと立ち上がった
彼はまっすぐな目をしていて、よくターゲットを気遣い、ターゲットをおぶって走っている仲間を気遣っていた
「俺なら大丈夫、心配しないでいい」
そして、蒼太にもくったくなく話しかけてきた
正義感が強くて まっすぐな男
そんなイメージを持った
彼は仲間が大切だといい、俺達は信頼しあっているんだといい、おまえのことも信じてると言った
互いにどんな人間か、全く知らないのに 信じてるなんて、何を根拠に言うのだろう
「さっきからもう1時間も走ってる
 ・・・いつになったら外に出られるんだ」
「あと少しです」
蒼太は 戦闘になった兵の銃を回収すると それを女ドクターに渡した
さっき彼女の持つ銃が弾切れになったのを見た
補充できるときに補充しておかないと、こんな場所では弾はすぐになくなってしまう
「ありがとう・・・」
「あなたは女性だから、もう一つ、銃を渡しておきます
 いざという時のために」
自分のもってきた一番小型の銃も 一緒に渡した
やろうと思えば下着にだって仕込めるサイズ、本当に小さな銃
最後の最後の切り札として使う銃で、威力はそんなにはないが これでスキを作ることはできる
密着させて撃てば致命傷にすることもできるから 鳥羽から持っておくと便利だと渡された
「あなたは女性ですから、武器は多い方がいい
 持っててください」
ポケットにでも忍ばせて、と
言って 蒼太は立ち上がった
辺りには死体が転がっている
片腕の男は容赦なく敵を射殺し、その返り血が蒼太の服を汚していた
手も顔も、血と汗で汚れている
(あと7ブロックで外だ)
予定通りの速度ではなかったけれど、予定通りのコースで来れている
「10分後に第10施設のドアを閉鎖する
 今、データ抹消部隊が中央へ向かってる
 一時そっちに目が行くだろうから その時に表に出ろ
 それに間に合わなければ 次の手に移れ」
「はい」
蒼太には この施設のつくりが完全には把握できていない
鳥羽から送られてきた経路に従って走っているだけ
障害があれば、自分の持つスキルで乗り越えて、
グタグダと この忙しいときに何度も立ち止まるリーダーを相手に言葉少なく説明をして
ターゲットに気を使いつつ、なんとか半分以上は突破してきた
あとは鳥羽の言うとおりの時間に 言う通りの場所を突破できれば問題はない

と、思った瞬間
あたりにものすごい爆音が響いた
「きゃあ・・・っ」
確認する間もなく、全員が爆風にふっとばされる
ガラガラと、コンクリートの壁が壊れて その向こうに真っ赤な炎が燃え上がっていた
「博士っ」
起き上がると、頭がクラ、とした
コンクリートの欠片が当たったのだろう
手を当てたら どろ、と生ぬるい血の感触がする
それでも、そんなのには構っていられなくて 蒼太は真っ先にターゲットの無事を確認した
ターゲットは片腕の男の身体に守られて無傷
ほっと安心して、他の面子を見ると 温和な男が足を抱えて呻いており、若い男は腕の傷をおさえて震えていた
「火災が・・・」
基地内のあちこちでおきている火災が ここまで来たのだろうか
燃え盛る炎は、ここには長居できないと瞬時に悟らせた
「あなたは、怪我は?」
「私は大丈夫」
丁度 何かの影だったのか 女ドクターとリーダーに大きな怪我はないようだった
「走れますか?」
未だ立ち上がれない温和な男を 女ドクターが横から支えている
「・・・折れてるわ」
震える声
医者でなくとも 一目みれば分かる状態だった
コンクリートの瓦礫が当たった衝撃に 人間の足の骨などひとたまりもなかったのだろう
男はうめきながら歯を食いしばって耐えている
「走れないなら一緒に行動することはできません
 すみませんが、あなたは残って次の機会を待ってください」
足の負傷は致命的だ
目的はターゲットの救出
他の軍人は、できれば一緒に連れて帰って来てくれ、程度の依頼
彼等も、元々はターゲットの救出にここへ来たのだから、自分が足手纏いになってまで一緒に行動しようとは思わないだろう
「時間がありません、先へ進みます」
蒼太の言葉に、温和な男が青ざめた顔でギリと蒼太をにらみつけた
女ドクターも 不安な顔をしている
「こんなところに置いていけないわ、火がそこまで来てるもの
 せめて安全な場所に・・・っ」
「安全な場所なんてありませんよ
 何度も言ったとおり 僕はターゲットの救出に来ています
 あなた方が自力でついてこれないなら そこまでです」
冷たい言葉、だが事実だ
こんなことを わざわざ言わせないで欲しい
言ってる間にも時間はどんどん過ぎていくのだから
「とにかくここから離れよう
 リーダー、そっちを支えてください」
若い男が震えながら立ち上がっていった
リーダーと女ドクターが 負傷した温和な男を両側から支え立たせる
片腕の男は ターゲットを抱えたまま黙って蒼太についてきた
(火を避けて、少しでも安全な場所に・・・)
考えていると、頭がクラクラした
致命傷ではなかったが、血が流れて髪を濡らす
それがうっとうしくて、腕で血をぬぐうと 鈍い痛みがズキンと響いた

結局 全員が蒼太についてきた
誰も、怪我をした者を置いていこうとは言わなかったし、温和な男も足手纏いになるくらいなら、と身を引きはしなかった
「火が回る・・・っ」
「いそいで」
怪我人が多いから 当然足は遅くなる
はっきり言って迷惑だった
見るからに足手まといの人間を 励ましたり助けたりしながら進んでいるのを見るとイライラした
亀みたいにゆっくりとしか進めない
時間はどんどん過ぎていく
(鳥羽さんなら容赦なく置いてくだろうな)
まだ教育期間中 蒼太は何度も足手まといになっては、鳥羽においていかれた
鳥羽についていけないことが何度もあって
そのたびに必死になって追いかけたけれど追いつけなかった
あの時 命をかけた仕事で、鳥羽に迷惑をかけたのだから置いていかれるのは仕方ないことだと思った
なぜ、この面子はそう思って引いてくれないのだろう
彼等もプロなのだから、少しは考えて動いてくれてもよさそうなものなのに
(感覚が違うんだ・・・期待するな・・・)
そっと溜め息を吐く
考えても無駄、諦めるしかない
彼等はただの軍人で、懸けているものも意識も価値観も、蒼太とは違うのだ
だから 言っても無駄だろう
そう思って 蒼太は、もう何も言わなかった
蒼太は仕事を果たすためなら何だってする
どんなに苦しくても、痛くても、必死にやる
失敗も敗北も許されない世界で生きていくには、その覚悟がなければやっていけない
鳥羽は厳しかったし、鳥羽の隣にいるために 蒼太にも自然にその意識が生まれた
自分は組織の駒で、仕事においてはプロだ
報酬に見合った働きをするのが当然で、できなければここにいる資格はない
(だけど、この人たちは違う)
彼等はただの軍人で、懸けているものも意識も価値観も、蒼太とは違うのだ
だから 言っても無駄だと諦めた
彼らのせいで、もう鳥羽の言う時間には確実に間に合わない

爆発の起こった場所から2ブロックはなれたところで 蒼太達は一旦足を止めた
経路を切り替えなければならない
今まで追っていた道は、時間に間に合わなかったから閉鎖された
PDAを開いて鳥羽のおくってきた他の経路をにらみつけた
東から迂回するか、中央を突破するか、
(ここから切り替えるには・・・リスクが大きい・・・)
中央へ向かうと、データを抹消している部隊とはちあわせしかねない
彼らの仕事の邪魔をするわけにはいかない
だとしたら、一番早いのは迂回の道か
「経路を変更します」
「間に合わなかったのか、トロイなぁ」
無線からは、エダの声で鳥羽の言葉が返ってきた
「その経路なら・・・2時間後に閉鎖が解除される
 それまでは 抹消作業の関係上どうしても開けられん
 しばらく待機してろ」
「はい」
怪我人ばかりのこの状況では、2時間でも休めるのはありがたかった
「2時間後に出ます
 それまで、すみませんがみなさんの手当てをしてください」
蒼太の言葉に 女ドクターはうなづき、
寡黙な男はターゲットを下ろすと 辺りを見てくると言ってはなれていった
「眠れるなら眠っておいてください」
言いながら 蒼太は頭をフル回転させる
この先の経路のこと
武器の補給のこと
手当てするにも器具がたりず、包帯すらない
さっきは倒した兵士の服をやぶいて包帯にしたが それももうわずかしかない
「気づかれただろうか」
リーダーの男がぽつりとつぶやいた
顔には色濃く疲労が現れている
「この国の研究データの抹消が2時間後には終ります
 そうなると博士の価値が一気に跳ね上がる
 データが消えた今 研究内容を知ってる貴重な一人となるわけですから
 だから敵は博士を探すでしょう
 相当の人数を投入してくると思われます
 なんとか、気づかれる前に脱出したいと思っていますが」
蒼太の言葉に 若い男が顔を上げた
できるだけ明るくふるまって話かけてくる
「ゼロは軍人じゃないのか?
 どうして軍から派遣されてきてるんだ?」
痛みを紛らわそうとしているのだろうか
饒舌な彼の言葉は蒼太の思考の邪魔をし、
それにため息をついて 蒼太は男に向き直った
「俺達は2週間前にも脱出を試みた
 途中まではうまくいってた
 事前に準備をした通り 普段は閉鎖されている通路も開いてた
 順調だったのに、どうしてだか最後のドアが開かなかった
 何度もテストして 前日にもテストして確認した上での決行だったのに、ロック解除の暗号が書き換えられていた」
男の話を聞きながら だったら壊せばよかったのにと思いつつ
偶然に暗号が書き換えられたのだろうかと考えた
それともメンバーの中にスパイでもいたか
(僕なら後者を疑うな・・・)
そもそも、あらかじめ経路を練り上げテストを繰り返していても 当日には何が起きるかわからない
その時に応用がきかないような脱出など、逆に蒼太には危なくて実行できない
いつも次の手は考えておけと 鳥羽に言われている
最悪の場合を想定して動けと仕込まれている
全身を研ぎ澄まして 全ての情報をこぼさず入手して、アクシデントを計算の上で計画しろと
いつもいつも、言われている
「最後のドアが開かなかったから 俺達は脱出を一旦諦めた
 改めてまた決行するつもりだったけど、それ以降チャンスがなくて出られなかった
 ゼロはすごいな、ここへ来たばかりで 中のこと何も知らないのに その場で全部対処するんだもんな」
組織ではそれが当たり前だった
いつもいつも、時間との戦い
今回だって、一気にカタをつける作戦を取ったのも これだけの人数を長く拘束できないからで
上からは、2日で片付けてこいと言われている
「俺たちはみんなで助け合ってきたけど、君は一人で乗り込んできたしね」
「他の人には他の仕事がありますから」
時計を気にしつつ、怪我人を気にしつつ
偵察に行った片腕の男が戻らないなと思いつつ 蒼太は曖昧に笑って見せた
「今度は脱出できると思う
 君を頼りにしてる、君は冷酷そうに見えて本当はとても優しいもんな」
男の言葉に 蒼太は内心苦笑した
何を見て そう言うのだろうと思った
自分の何を知っていて、そう言うのだろう
「僕達は仲間だから、助け合って必ず外へ出よう」
「そうですね」
仲間って何だ、とは言わないでおいた
聞き流していい
まともに相手などしなくていい
ここから出たらもう二度と会わないような人たちだ
自分にとっては、どうでもいい人たちだ

1時間ほどたった頃、片腕の男が戻ってきた
「これを見つけた」
男はバッグに包帯や薬、新しい武器を入れて帰ってきた
「どこでこれを?」
「ここらあたりに以前 俺の部屋があった
 だからこの辺りのことは知ってる
 倉庫が開かないか見に行ったら 壊れていて中のものが取り出せた」
女ドクターは 薬を何種類か皆に与えた
「痛み止めよ、楽になるわ」
水がないから飲み下すのに苦労したが、それでも蒼太以外の全員がその薬を飲んだ
「あなたは?」
「僕は大丈夫です」
痛み止めを飲むと思考力が低下する
仕事中に考えられなくなるということは、命に関わる
自分の身は自分で守らなければならない
仕事中は一人だ
誰も助けてはくれないのだから
「ここらあたりは何に使われていたんですか?」
辺りを見遣ると 鉄のプレートが何枚も張られたドアが並んでいる
何かのサンプルでも保管しているのだろうか
冷たい鉄の扉が 寒々しい雰囲気を出している
「ここは怪我をした兵士達を治療する施設よ
 中央にあるのとはまた別で、ここは簡単に言えば入院させる場所になるわ」
片腕の男の代わりに女ドクターが答えた
入院施設
戦争で怪我をしたのか、病気になったのか
その時にここにいたのか
薬や武器をもってこれる程 詳しくなるほど長く?
つい1ヶ月前に 博士を救出するためにここへ潜入したはずのB国の軍人が?
「あと15分したら行きます
 この先の扉が飽くようになりますから、そのまま第4倉庫から地下へ潜ります」
ふと、疑問に思いつつ 蒼太は意識を切り替えた
そろそろ時間だ
あらかた怪我の手当ても終り、痛み止めも効いてきたようだった
「第4倉庫って・・・」
「第4倉庫に地下通路に通じる入り口がありますね
 そこから地下を通って外に出ます」
言った途端 全員の顔が引きつった
「そこに何が置いてあるのか知ってて言ってるのか」
「知りません」
何が置いてあろうが、これしか道がない
そこから地下へ潜って 外に出る
外へ出れれば 合流地点まではすぐそこだ
「第4倉庫はゴミ捨て場だ
 実験で使った動物の死体や 失敗作の薬品が捨てられている
 ものすごい異臭がするんだぞ、そんな中に」
「入りますよ、死ぬよりマシでしょう」
その倉庫を前にして たじろいだ男達を見ながら 蒼太は小さく息を吐いた
本当にこの人たちは軍人なのだろうか
軍人ってもっと 責任感に溢れていて精神的に強くて、
こんな風に人に頼ってばかりの人間ではないと思っていた
少なくとも、蒼太の知ってる元軍人の男は 自分の正義のためなら何だってする強さを持っていた
譲らない意思が傍目に見えた
「腐った匂いが充満してる・・・」
「ここの空気・・・吸って大丈夫なのか・・・」
口々に言う言葉を聴きながら 1人 先頭に立って暗闇を歩いていく
人間の死体の山は これ以上に悪臭がするし、病気の牛を解体したあとの肉片の方が ここに捨てられている死体より気持ち悪い
この程度、何の問題もない
死体が銃を持って襲ってくるわけでもなく
この異臭が毒ガスだというわけでもなく
こんなもの、苦痛のうちには入らない
蒼太は今までに もっと辛い思いをいっぱいしてきた
「・・・黙ってください、人の気配を感じます」
歩きながら 蒼太はわずかに感じた気配に耳をすませた
神経をとぎすましているから、わずかの音にも反応する
ゆっくりと歩きながら 自分達の入ってきた入り口を凝視した
まだ姿は見えないけれど、気配がある
誰かがこの倉庫に 近づいてきている
「地下への扉を探してください」
この倉庫に灯りはない
目が慣れてきたとはいえ、暗い中 泥と動物の死体で溢れかえっている床の どこに地下への入り口があるのか探すのは一苦労だった
床に膝をついて手さぐりで探す
男達も、蒼太にならってがさがさと探し始めた
あちこちに水溜りがあるから 皆もう泥だらけだ
そんな中 人の気配はどんどん近づいてくる
(焦るな・・・考えろ・・・)
行きたい方向、地下通路の規模、それらを予測して ありそうな場所を探していく
「お、おぇ・・・」
背後ではさっきから 嘔吐するうめき声が聞こえていて、他の人間はロクに探せてはいなかった
本当にアテにならない
(もとより、アテになんかしてないけど)
自分は一人だ
誰かに助けてもらおうなんて、思っていない
仕事の時には誰も信用せず、誰も頼らず、1人きりだと思えと そう教育されている

それからすぐに、蒼太は地下への入り口を見つけて、片腕の男と二人でそれをこじ開けた
重い鉄の扉を持ち上げると 黒い穴がぽっかりと開く
「急いで下りてください」
言って 蒼太は入り口を振り返った
チラチラと影が見える
だが中には入ってこない
(・・・)
見張りの兵士なのか、それとも追っ手か
どうして入ってこないのか考えている間に 全員が地下へとおりていった
「閉めるのか?」
「閉めます」
蒼太も中に入り、両腕を伸ばして重い扉を引っ張った
ズルズルと扉がしまっていくのに、一緒に床にたまった泥が落ちてくる
ぼたぼた、と
それは蒼太の顔や身体にかかり、
完全に扉がしまると、そこは真っ暗な闇となった

顔にかかった泥を腕で払いながら 蒼太はポケットのジッポの火をつけた
あたりがわずかに明るくなる
鳥羽に買ってもらったジッポの炎が揺れるのを見たら とても鳥羽に会いたくなった
じめじめしている気候
面倒くさい軍人達
ターゲットがおとなしいのが唯一の救いだと思いながら こういう仕事は好きじゃないと思った
仕事なのだから、好きも嫌いもないのだけれど
鳥羽が、軍の仕事を嫌がった気持ちがわかった気がした
できるなら、蒼太も二度と こんな仕事はやりたくない
(鳥羽さん・・・)
こんな仕事 さっさと終らせて戻りたい
自分のいるべき場所へ、戻りたい
鳥羽の側に
鳥羽の隣に

歩いていると、何度も足元をネズミや蛇が通った
その度に悲鳴を上げていたリーダーの男が 歩きながら突然絶叫する
通路にその声が響いていく
あまりの声に さすがの蒼太も無視できなくて、立ち止まって振り返った
「どうしましたか」
「蛇に噛まれたっ、噛まれたっ」
じたじたと、転げまわった男に女ドクターが駆け寄った
男は首を押さえながら ひーひーともがき苦しんでいる
「毒蛇か?!」
悲痛な声
この国のジャングルには毒蛇が生息する
噛まれたら死ぬような毒を持つ種類もいたはずだ、と
蒼太は 男の傷の様子を調べている女ドクターの手元にライターの火をかざした
「こ・・・れ・・・」
死神の牙痕、と
掠れた声でつぶやいた女ドクターの背後、細長い、だが大きな影が現れた
「そこにいるっ」
誰かが叫ぶのと同時に 蒼太は女ドクターを突き飛ばした
とっさに腕でその黒い影を払うと それは一旦弾き飛ばされたあと 再び跳躍して襲い掛かってくる
女ドクターは死神と言った
それは 知識だけで知っている、毒蛇の通称だ
このあたりのジャングルに生息し、その毒でゾウでも殺すといわれている大型の毒蛇
リーダーを噛んだのは その毒蛇か
そんなのが、この暗闇で自分達を狙って襲い掛かってくる
(くそ・・・っ)
この暗い場所で銃を撃ち合うなんて不毛だったが 他に手はなかった
片腕の男と蒼太が、銃を取り出して蛇を狙った
一歩間違えれば人に当たってしまうかもしれない
蛇はすばやく なかなか致命傷を与えられなかった
「うわぁぁぁ・・・っ」
ガーン、と
銃声と悲鳴が同時に響いていく
頭がガンガンした
必死に目をこらして 蛇の姿を追い掛けた
黒い影が、転がった男へと飛び掛っていく
そこを、狙った
男に当たるかもしれないと思いつつ 蒼太は躊躇しなかった
間違って男に当たったとしても、ここでこの蛇を確実に殺しておかなければこの先生きて外に出られるかわからない

結局、蒼太の弾で蛇は死に 転がった男に当たることはなかった
「た、たすかったのか・・・」
助け起こすと、それは若い男で 彼は蒼白な顔をしながら震えていた
「あ、あ、ありが・・・とう、おかげで助かった」
痛そうに腕を庇いながら置きあがり 震えながら立ち上がる
辺りは静かになったけれど、その中でリーダーの男の声だけがはっきりと響いていた
「うー・・・ぐぅー・・・」
苦しみにのたうちまわっている様子は、目を背けたくなるようなものだった
もはや正気はなく、がくがくと震えながら苦しい苦しいと泡を吹いている
「助かりませんか?」
女ドクターに聞くと 彼女はうなづいて顔を背けた
「死神に噛まれたら 人間なんて10分で死にます
 ここには薬もないから 苦しみを終らせてあげることもできない」
震えているのは泣いているからか、
それともショックだからか、怖いからか
「そうですか」
助からないのに10分も苦しみ続けることはないだろう、と
蒼太はリーダーに銃を向けた
弾は1発でも貴重だったけど、その計算は今はしようとは思わなかった

ガーン

皆が驚いたように目を見開いて 蒼太と、蒼太の銃で死んだ男を見つめた
「先へ進みます」
死んだ者に構っている時間はなかった
「あ、あんまりじゃないか・・・殺すなんて・・・」
温和な男が震えながら言った
他の人間はみな 言葉もなく黙り込んでいる
「足手まといになったら殺すのか?
 だったら次は歩けない俺を殺すのか?
 おまえには、人の心がないのか」
ここで 罵られる覚えはないと思いつつ 答える気もなかった蒼太は無言で彼を見ただけだった
毒に犯されて苦しみながら死ぬくらいなら、一発で楽になった方がいいだろうと思った
だから殺した
それは蒼太の独断で、他の人間はそれを残虐と取るのかもしれない
どちらでもいい
自分が正しいなんて思っていない
誰が正しいかなんて議論をするつもりもない
ここは敵地で、自分にはやらなければならない仕事があって、そのためには時間が惜しい
こうしている間にも、じわじわと体力が削られていく
「行きましょう・・・肩を貸すわ・・・」
女ドクター一人では 男を支えることができなかった
蒼太が反対側へ回って 肩を貸す
震えながら 男は無言で顔を背けた
無力な自分が悔しいのか
リーダーを殺した蒼太が許せないのか
それはわからなかった
そんなことを考えている暇はなかった

「俺は信じてる」
歩きながら 若い男が笑った
彼は痛めていない方の腕で銃を構えながら蒼太の隣を歩いている
「お前は冷酷な奴じゃない
 さっきだって蛇から俺を守ってくれたし、リーダーのことだって毒で苦しんでるのが可哀想だったから・・・」
この男は そんなに自分を善人にしたいのだろうかと思いつつ 蒼太は無言で前を見つめた
蛇を撃ったとき そこにいるこの男に当たってもかまわないと思って撃った
結果 男には当たらず蛇だけにあたったから男は今 こんな言葉を言えるのだ
あの男を殺したこともそうだ
死ぬとわかっていて苦しむのは可哀想だと、たしかに思った
だが、今殺せば 10分間時間を無駄にすることがないとも思った
10分も苦しむ人間をなす術もなく見守り続け 死んだ後は泣いて別れを惜しむ
そんな体力は自分にはないと判断した
だから、殺した
「俺は信じてる、おまえのこと
 だって俺達は仲間だから」
それはまるで、暗示のようで
そう言ってないと自分がどうにかなってしまいそうな衝動にでもかられているのだろう、と
蒼太は男のギラギラした目を見て思った
皆 そろそろ限界のようで
痛み止めで 感覚が麻痺していても 失った血は返ってこず
精神的な負担は今もずっとかかり続けている

一行は、ゆっくりとしか進めなかった
今にも気を失いそうな男を支えながら歩くのは容易ではなく、
その上 蛇にも何度か襲われた
(最近・・・蛇と・・・縁があるな)
ぼんやりと考える
視界の先には出口が見えていて、それを指差すと 片腕の男がその重い扉を押し上げた
わずかな光が入ってくる
と、同時に人の気配を感じた
「閉めてくださいっ」
叫んだのと、バチバチと火花を散らして手榴弾が投げ込まれたのは同時だった

耳をつんざくような轟音
そして、爆風に全員が吹っ飛ばされた
ガラガラと瓦礫がくずれる音がする
煙で、何も見えなかった
辺りが真っ白で 人の声と足音がわんわんと耳に響いている
(くそ・・・っ)
起き上がって 蒼太はまずターゲットを探した
今回も、片腕の男が守っていたおかげでターゲットは無事のようだ
「逃げてくださいっ」
蒼太の言葉に 男はターゲットを抱えて走り出した
その後ろを守りながら 蒼太も走った
煙が引く前に どこかに身を隠さなければ
ここから上へ上がれないなら、別の道を探さなければならない
この地下通路はまだずっと先まで続いているから、考えれば他に手はあるはずだった
だから今は、少しでもここから逃げなければ
「ま、まって・・・っ」
煙の中 現れた人影に銃を向けると 男はフラフラとよろけながら蒼太の方に倒れこんできた
よく喋る あの男だ
蒼太と同じ年くらいの
「向こうへ逃げてください」
銃声が聞こえた
ここに長くはいられない
「早くっ」
「ある・・・あるけない・・・っ」
ずっしりと男の体重がのしかかってくる
(くそ・・・重い・・・っ)
それを必死に支えて、蒼太も片腕の男を追った
暗さと 充満した煙が味方した
これがなければ、逃げられたかどうかわからない

蒼太達が身を隠したのは 出口から1本横へ入った隠し通路だった
あまり遠くへ行けなかったのは、途中 この側まで吹き飛ばされてきた男を拾ったから
温和な男は呻きながら助けてくれと繰り返して
結局 二人もマトモに歩けない状態では遠くへ行くことはできなかった
「他の奴はいませんね」
「この先に出口はない、ここを封鎖すれば出られんだろう」
兵達の声が聞こえてくる
深追いしてくる気はないようで、 出口付近で数人がウロウロしていた
「この女はどうする?」
「スパイだろ?拷問にかければいい」
くぐもった声と、男の声
助けられなかった女ドクターは あの爆発で向こう側へ飛ばされたようだった
「生きてるな、おい、喋れるか?」
また、苦しげなうめき声が聞こえた
「彼女が捕まる・・・」
ぶるぶると震えながら 温和な男が悲痛な声でつぶやいた
この男が足を怪我してからずっと 彼女は男を支えて歩いていたから もしかしたら二人は恋人同士か何かなのかもしれないと思っていた
恋人が捕まるのを 黙ってみているしかできないのは辛いだろうなと思いつつ
助ける術を考えてみても、何も浮かばなかった
こちらの武器はほとんどない
怪我人ばかりで マトモに動けるのは蒼太と片腕の男の二人だけ
あちらは複数いる上 装備も充実している
そんなのを相手に、女を助けるなんて不可能だ
手がなさすぎる
「なんとかしてくれ・・・助けてくれ・・・」
男が呻いた
向こうで 女の悲鳴が聞こえてくる
「無理です、手がありません」
「見殺しにするのかっ、殺されてしまう」
「殺された方が楽かもしれませんね」
「おまえは・・・どうしてそんなに冷酷なんだ・・・」
震えて泣く男を見下ろしながら 蒼太は冷めている自分の心を感じた
声が聞こえてくる
男の下衆な言葉と 女の悲鳴
この場で女を犯そうと 何人かで襲い掛かっている、そんな絵が容易に想像できた
犯されて、その上拷問にかけられるくらいなら死んだほうが楽かもしれない
悲鳴と、それから助けを呼ぶ声
それはやがて掠れて、そのあとは男の笑い声だけが残った
「助けてくれ・・・お願いだから・・・助けてくれ・・・」
男は泣いているばかり
震えているばかり
「どうやって助けてあげればいいですか?
 何か手があるなら、あなたの代わりに僕が実行してもかまいませんが」
ありったけの武器を持って突っ込んでいく、とか?
降伏したフリをして、スキを見て攻撃する、とか?
「何でもいいから・・・助けてくれ・・・こんなのは酷すぎる・・・っ」
助けてくれ、と言うほうは楽だけど
彼女を思って泣くのも、蒼太を冷酷だと罵るのも
自分は何もせず口だけ動かしているのだから 気楽なものだ
何もできない自分に言い訳をして、人に責任を押し付けて
考えもせず、動きもせず、ただ罵るだけ
「あんまりだ、こんなのは・・・」
すすり泣く男の声が とても不愉快だった
泣くほど好きなら、行けばいいのに
死ぬ覚悟で 飛び出していけばいい

しばらくして、通路に銃声が響いた
「うわ・・・っ」
「こ、いつ・・・・っ」
ざわつく男達の声
戸惑いがやがて怒声に変わる
「銃なんか隠してやがったっ」
「死んだのか?」
「死んだな」
しばらく、男達が何だかんだと言い合って、それから足音が遠のいていった
「なに・・・がおきた?」
泣いていた男が顔を上げる
蒼太には想像がついた
護身用に蒼太が渡したあの切り札の銃で 自殺したのだろう
捕らわれて、犯されて、この上さらに拷問にかけられるくらいならと
死を選んだのだろう
弱い女が敵の手に落ちたら どうすることもできない
せめて苦しみを長引かせない選択だけはできるように、と
それを思って あの銃を渡した
使う必要にかられないことを祈ってはいたが

「先へ進みましょう」
静かになった通路は また真っ暗になった
「あいつらが言ってた
 この先に出口なんかないって、どこへ行くつもりだ」
「出口がなければ探します」
「ないって言ってるんだ・・・探しても無駄だ」
「では、作ります」
立ち上がった蒼太について 片腕の男も立ち上がった
「行くのかよ・・・」
うめきながらも、若い男はなんとか立ち上がり
泣いていた男は、蒼太が肩を貸して立たせた
頭の中で この通路の先を考える
鳥羽の送ってきた経路と だいたいの基地の造りを比べて 方向を定める
(・・・西の拠点跡に行きたいんだ、とにかく外へ)
中央は危ない
西の方向へ通路は続いていなかったから、なるべく離れないよう考えて道を選ぶ
歩きながら、蒼太は出口に待ち伏せされていた理由を考えた
偶然 追っ手があの辺りにいたのか
それとも、基地全体に追っ手がかかっているのか
それとも、どこから出てくるのか読まれていたのか
(僕なら3つ目を疑うな・・・)
以前 彼らが脱出を試みた時にも 最後にダメになったと言っていた
情報を流したものがいて、そのせいで脱出が失敗したのではないかと疑った
今回もそうだ
誰かが この地下通路に入り あの出口から出ることを教えたのではないか
この中にスパイがいるのではないか
(・・・どうやって伝えたんだ?
 通信器は電波が届かないから使えない
 もしかしたら、高性能のレーダーみたいなもので位置を把握してるのか)
この疑いが晴れるまで、外に出ることはできない
出てもまた、さっきと同じことが繰り返されるだけだ
(誰だ・・・)
残った3人のうちの誰かがスパイなのか
もしくは、全員か
歩きながら どうしようかと必死で考えた
自分に残された武器は、鳥羽に教えられた知識と経験と、この身だけだ

しばらく行くと、じめじめした通路から抜け出して乾いた土の上に出た
粘土のようなものが露出しているのが見えるから ここで通路を作るのをやめたのだろう
この先にも人が二人くらい入れる穴がいくつも彫られているが コンクリートで塗り固められてはいな
かった
奥の方からは、水音が聞こえる
「博士、ちょっといいですか」
そこで、とりあえず休憩を取ることにして 倒れるように崩れ落ちた男を横目で見遣りながら 蒼太はターゲットの手を取った
「しばらく二人で話をさせてください」
言う蒼太に、片腕の男が首を振った
「二人でなど危険だ」
「でも、博士に確認しておきたいことがあるんです
 これはB国の極秘情報ですから他の誰にも聞かれるわけにはいきません」
静かに言った蒼太に、男は何かいい様のない複雑な顔をした
「極秘情報とは?」
「博士の研究に関することです
 B国にとって博士は大切な方
 博士の頭脳の中に入っている研究の全てが 今や世界の宝」
軍事国家にとっては とても価値ある研究ですから、と
口からでまかせを並べて 蒼太は穏やかに言った
「大丈夫です、すぐそこで話しますから
 心配なら、この先を見てきてください
 行き止まりになっていて向こう側から襲われる心配のない場所で話をします
 僕と博士が話をしている間、あなたがここで見張っていてくれればいい」
蒼太の言葉に 片腕の男はいくつかある通路の一つを歩いていった
「みなさんはここにいてください」
二人とも マトモに動ける状態ではなく 真っ青な顔をしている
薬はまだ効いているはずだったが、精神的に堪えられなくなってきているのだろう
「もしもの時のために これを渡しておきますね」
そっと、二人の手に銃を握らせた
その感触に 二人とも ギラギラした目でうなずく
何も頼るもののないこんな状態では 銃があるだけで安心するのだろう
銃を握り締めた二人を置いて その側にターゲットを座らせて、蒼太は片腕の男を追い掛けた
本当は、二人きりになりたかったのはターゲットではなく あの男だ
彼に確かめておきたいことがある

その道は、2分ほど歩くと行き止まりだった
「この道でいいな」
つぶやいて振り返った男に 蒼太はわずかに笑いかけた
「あなたは、元々はこの国の人なんですか?」
何を急に、というような顔で蒼太をみた男に 穏やかな声で続ける
「さっき、あの入院病室の並んだあたりに長くいたっていう話、してましたよね
 博士を救出にあなた方がここへ来たのは1ヶ月くらい前だと聞いてます
 その間にあそこにいたとは考えられないし」
別に こんな話はどうでも良かった
あの話を聞いた時に そうなんだろうなと漠然と思った
だからといって何が変わるわけでもなく、わざわざ本人に確認したかったわけでもなかったのだけど
「・・・そうだ、俺は元々はこのA国の人間だ
 だが裏切った、そしてB国へと走った
 今回の博士救出のメンバーに選ばれたのは 俺がこの基地の中に詳しいからだ」
男は また複雑な顔をした
深い色の目が、何か物悲しそうに見える
「なぜ、そんなことを聞く
 お前が話があるのは博士だろう」
「いいえ、あなたです
 あなたのことを知りたかったので」
二人になりたかった、と 蒼太は笑ってみせて、それから両手を男の方へ伸ばした
「見てください・・・さっきから震えが止まらないんです
 ここまで逃げてきたけど、この先どうしたらいいのか僕にはわかりません
 ・・・怖いんです」
蒼太の両手は僅かに震えている
それはここに来るまでに色々と身体を痛めているからで、怖いからなんかではない
「二人も・・・死にました
 多分、僕達も 近い内に死んでしまうんでしょうね」
出口もなく、ろくな武器もなく、怪我人ばかりで 皆 精神的に参っている
「あなたはとても落ち着いてる
 最初からずっと、あなただけはこんな僕に黙ってついてきてくれた
 博士をここまで守ってこれたのも、あなたのおかげです」
俯いて、言葉を選んだ
不安気な声を出して、震えてみせた
「死にたくないんです・・・僕、怖いんです」
一歩、男に近寄った
見上げると、男は戸惑ったような、困惑したような、それでいてまだこちらを警戒するような表情で立っている
「お願いですから、忘れさせてください
 何も考えたくない、この先のことなんか、考えたくないんです・・・」
その目を見上げて、懇願した
そして、男の腕に手を伸ばした

倒れ込むようにして触れてきた蒼太を、男は振払わなかった
さっきまで気丈だった蒼太の変貌に 多少なりとも戸惑っていて、
何を考えているのかわからない顔で 相変わらず言葉少なくいたけれど
それでも、男は蒼太を抱くと その思惑通りに触れてきた
そのまま、流れで強引にセックスに持ち込んで、相手の服を脱がせて身体を調べること
それが、蒼太のやりたかったことだった
蒼太は彼を疑っている
彼がこのA国の出身とわかったことで、疑いは確信に変わった
ここの出身なら、この基地の作りにも詳しいだろう
そもそも国を裏切ったというのが嘘で B国へスパイとして潜入しに行ったのかもしれない
そして今回の博士救出をぶち壊すために帰ってきた
この場にいながら 外にいる仲間に何らかの方法で連絡を取り 自分達のいる位置を教えているのではないか
その連絡の手段を、身体に隠しているのではないか
(・・・僕の予想では、発信器だ)
身体に埋め込むことができる発信器をつけている人間が黒のパスポートにもいる
地下でもその動きが追えるから便利だと 誰かが言っていたっけ
24時間監視されてるみたいなもの 考えただけでうんざりだと鳥羽は言い 蒼太にもつけろとは言わなかった
皮膚の下に埋め込んでしまうから 一見しただけではわからないけれど
(触ればわかる・・・)
自分の服に手をかけながら 蒼太は男の目を見つめた
正気の人間はこんな状況で、こんな行為に及ぶ気にはならないだろう
だが、彼もスパイという立場上 疑われたくはないはずだ
余計な詮索もされたくないはずだ
だったら、蒼太の誘いに乗るだろう
これ以上 自分のことを聞かれないように、蒼太の意識を別の方を逸らそうとするだろう
蒼太に疑われない様に、蒼太に気に入られるように、蒼太の望むように振る舞うだろう
だから今だって、ここにいるのだから
ターゲットと蒼太が二人になることを嫌がりつつ、だが強く反対もできず 蒼太の言うように行き止まりになった道を探しに来たのだから

男の片腕は肘の下からなかった
服を脱がせて身体を繋げ、ゆっくりと動きながら蒼太はくぐもった声をあげて達した男の胸にすがる
気分がのらなくても、男という生き物は刺激されれば勃つし、いく
男が行為に一瞬でも我を忘れるよう 丁寧に相手をした
この身を使ってできることは全てやる
蒼太の中で男が一度果てた後も、上に乗ったまま何度も腰を動かした
蒼太には この体勢は辛くて
行為に感じる暇も余裕もなかったけれど、それでも感じているふりはした
短く、濡れた声を上げ
背を反らせて 喉を震わせて 男の目を見つめた
悲しげな目
今は熱にわずかに曇ってる
この男は、どうしてこんな目をしているのだろうと考えた
まるで、蒼太を哀れんでるような目だ

(・・・たしかに僕は・・・滑稽かもしれない・・・)

こんな血だらけで、泥だらけで、
さっきまで 人が死ぬのにも平気な顔をしていたのに
急に震えて すがって、挙句身体を求めてくるような男
何を考えているのか理解できないのかもしれない
可哀想な奴だと、思われているのかもしれない
(そんなこと・・・どうでもいいけど・・・)
そんなことを考えながら、無理矢理に体温を上げ 声を上げ
蒼太は男の身体中に触れた
震える指で その肌をなぞる
軍人の身体に刻まれた傷は、負傷というよりは手術の痕のようだった
死ぬような大怪我でもして、肌や色んな部分を手術で移植したのかもしれない
もしくは、何かの医療技術で再生させたのかもしれない
「痛く・・・ないんですか・・・?」
そしてそれでも治らなかった 失った片腕
傷痕は乾いていたが、皮膚が引きつっていて痛々しかった
そして、そこに触れた時に 感じた
異物感、皮膚の下に何かを埋めてあると確信した
「その傷は古い、今更痛みはしない・・・」
蒼太の腰を抱き、深くへ己を沈めながら男は息を吐き出す
「ひん・・・・う・・ん・・・」
ずく、と熱が奥へこもっていく
震えながら 必死に腕で男にすがって身体を支えた
辛い
体力が限界に近くて、辛い
ようやく血の止まった頭の傷が、また開きそうになるくらい頭がガンガンと痛み出す
「もっ・・・・、と、してくださ・・・」
それでも、求めた
もっと、と声を上げて求めた
男は蒼太の身体を揺さぶって突き上げ、
高まった身体の熱を開放するように、その中に白濁を吐き出した
ぼんやりと、視界がかすむ

終った後、意識を朦朧とさせていた蒼太の首に男の手がかかった
「おまえは・・・優秀なスパイだな」
男の声、だんだんと手に力がかかってく
「お前達はこの国から出ることはできない
 この国は博士を失うわけにはいかない
 俺は、この国のためなら何だってする」
息がつまった
片手でも、男の力は強くて 蒼太には抗うことはできなかった
かすむ視界に映る男の目
彼もスパイ、博士もスパイ、自分もスパイ、向こうで待ってる怪我人もスパイ
ここにいるのはみんなスパイだ
だから、そんな目をしなくたっていいのに
やらなければならないことが、それぞれにあって
人は自分の価値観で生きていく
だから、自分のような人間相手にそんな悲しそうな顔をすることはない
その哀れんだような目は、もしかすると蒼太を通して自分自身を見ていたからかもしれない
「僕・・・は・・・」
かすれた声で男を見た
震えながら 自分の首を締め付けている腕に左手を添える
薬指に銀色の指輪
この指に指輪をしている人間は多い、だからつけていたって不自然じゃない
本当は結婚指輪なんかじゃないこの指輪は、強く擦ると毒がにじみ出る
それを、男の腕にこすりつけた
力が入らない
息が止まって気が遠くなる
でも、
こんな苦しみは、鳥羽の与えるものに比べたら何でもなかった
蒼太にとってあの人を超えるものなんか、世界には存在しないのかもしれない

この毒は触れただけで死ぬ猛毒だ
男の、蒼太にかかっていた腕ががくがくと震えて それから男は目を見開いたまま動きを止めた
ごと、と
大きな身体が土の上に崩れ落ちる
「か・・・っ、は・・・は、」
その手を払いのけ 何度か呼吸を繰り返して蒼太は身体を起こした
経路を絶たれて引き返したB国のスパイ達と比べて 蒼太は格段に上だった
やることの規模も、考え方も、行動力も各が違った
仲間が常に 肩腕の男の居場所を発信機で知っていたとしても、未だに諦めずこうやって逃げ切っている
その蒼太が、自分がスパイだと気づくのは時間の問題だと彼は考えていただろう
男は蒼太に従いながら 常にターゲットの側にいて、いつもいつも守っていた
A国が必要としている博士を失わないために
同時に蒼太の信頼を 得られるように
(・・・これで、向こうに動きを知られることはない)
フラフラと立ち上がった
男のポケットから銃を抜き取る
これを使えば蒼太を殺せたのに、使わなかったのは こんなものなくとも蒼太くらい殺せると思ったからだろうか
銃は後々必要だから、温存したのだろうか
「殺すなら、確実に・・・ですよ」
最悪、この場で自分も彼を殺そうと思っていた
自分よりガタイのいい軍人を相手に 気絶させて腕の傷を開いて発信機を壊すなんてこと 多分できないだろうと思ったから
自分とターゲットがここから生きて戻るには、殺すしかないかもしれないと思っていたから
そして、結局 殺してしまった
「逃げる道を・・・考え直さないと・・・」
独り言のようにつぶやく
余計なことを考えている暇はない
時間が経てば経つほど、自分の限界が近づいてくる

フラフラ、と
蒼太は元きた道へ歩き出した
長くターゲットの側から離れてしまった
一緒に残っている二人は怪我をしているから ロクに動けないだろうけれど、と
思った時 足音が聞こえて蒼太の前に 銃を構えた若い男が立ちふさがった

「どうかしましたか?」
「聞いていたんだ、お前達の話を」
蒼太の言葉に男はそう言った
銃口はまっすぐに蒼太に向けられている
「嘘だよな・・・? あの人がA国のスパイだなんて・・・
 あの人をお前が殺したなんて」
笑っているような、泣いているような顔だった
自分達の話を聞いていたというのなら、わざわざ確認するまでもないのに
彼がA国のスパイだということは真実
仲間を裏切っていたことも真実
最初の脱出を邪魔したのも みんな真実
「おまえとやったなんて・・・どうして・・・」
男の手は震えていた
仲間だから信じている、とか
みんなで脱出しよう、とか
どんな状況でも そう言って皆を励ましていた
仲間を大切にしていた
そんな男
多分 彼には彼の大事なものがあって、そのために軍にいるのだろう
彼には彼の正義があって、それを口にしていたのだろう
それゆえに、今、蒼太に銃を向けているのだろう
「僕とあの人がやったのが、気に入らないんですか?」
そう、問いかけた蒼太の言葉に 男はギラギラした目で睨みつけてきた
「あの人に触っていいのは俺だけだ
 俺にだけ腕の傷を見せてくれた、あの人は俺のものだ、あの人は俺の・・・っ」
言いながら男の目からは涙がこぼれた
誰が誰を好きで、
誰が誰とセックスして、
誰が誰を騙していたかなんて興味がない
蒼太があの男を誘ったのは、発信機を見つけたかったから
あの男が蒼太の誘いに乗ったのは、蒼太に疑われたくなかったから
それだけ
どちらもスパイのかけひきだ
「くだらない」
あなたの好きだった男は、
あなたの信じていた男は、
「あなたたちを裏切っていたのにね」
それでもまだ、信じてるといえる?
それでもまだ、嘘だといえる?

{スパイなんてそんなものでしょう?」

他人など信じてはいけない
人は裏切るものだ
人は欺くものだ
「僕はそう教わりました、あの人は正しいと、今思う」
蒼太の言葉に 男は何かを喚きながら手にした銃の引き金を引いた
狂ったように何度も何度も、
でも、その銃からは弾は出なかった
カチカチと、むなしい音だけが何度も繰り返された

「僕は他人を信用しない
 あなたみたいな人に弾の入った銃を渡すと思いますか?」

泣きながら、震えながら、手元の銃を見つめた男に蒼太は告げた
「あなたの正義はあなたのもの
 仲間を信じたのはあなたでしょう?
 だったら、それを受け入れてください
 あなたは裏切られていた、はじめから」
男が銃を投げ捨てた
喚きながら 蒼太に襲い掛かってくる
それを、身をかわして避けた
よろけながら男が掴みかかってくる
その手を払い、一歩はなれる
そして、片腕の男から奪った銃を その引きつった顔に向けた
「仲間ごっこも、助けてもらうことしか考えてない人も、口だけで行動しない人も、うんざりです」
軍人は戦争するのが仕事なのだから、仕方がないのかもしれない
こんなスパイ活動みたいなものには、向いてないのかもしれない
作戦を指示されて動くだけならできるのかもしれない
マリオネットみたいに、
人形みたいに
「僕は組織の駒です
 でも、人形じゃない
 僕は、プロです
 だからやるべきことを、やり遂げる」
それが、鉄則だから
鳥羽の隣にいるためには、失敗も敗北も許されない
こんなことで、揺らいでいる暇はない

銃声が響いて、男は倒れた
疲れた
そう思ったけど、それ以上は思考ができなかった
萎える足を叱咤してターゲットの元へと戻る
そして、そこで立ち止まった
笑みが漏れる
おかしくて、無意識に蒼太は笑った
最後の男が、ターゲットの頭に銃をつきつけて、こちらを見ていた

「あなたの仕事は、博士を脱出させることじゃなかったんですか?」
「お、おまえ・・・ちかよるな・・・殺しただろう・・・あのふ、二人を」
「殺しました」
温和な男は、最初見た穏やかな顔は もうしていなかった
自分がB国の軍人で、国の命令でここへ潜入し
ここにいる博士を救出するためにやってきたことを忘れてしまったようだった
錯乱しているのか
ただ蒼太が怖くて仕方がないのか
それとも、もう何も考えてないのか
「近づいたら博士を殺す
 離れて・・・離れて俺を地上へつれていけ・・・」
震える声
武器なんか持つのが似合わない人
どうして軍なんかにいるんだろうと、思った
どうしてみんな、こんなに甘いんだろう
どうして簡単に仕事を放棄してしまうのだろう
「僕も、よく、甘いと叱られますけど」
男に向けて銃を構えた
怯えた男が 自分の銃を蒼太へ向けなおす
腕が震えている
顔は恐怖にか歪んでいる
「それでも僕は、この世界で生きていく」
だから、さよなら、と
言った蒼太に 男が先に引き金を引いた
だけどやっぱり、その銃からも弾は出なかった

さよなら

それから1時間後、蒼太は地上に繋がっていた別の出口を見つけ出してターゲットと二人地上に出た
出た先はジャングルで、蒸し暑い空気が肌にからみつき、空からは細かい雨が降っていた
「歩けますか?」
「ああ・・・」
ターゲットは疲弊しきっていたが、無傷で
蒼太は気力だけで立っているような状態だった
何度も草の上に膝をついては、必死に堪えて立ち上がる
それを繰り返して、ようやく、ようやく 合流地点にたどり着いた
そこに立っていたエダの姿を確認して、蒼太は目を閉じる
生ぬるい雨が蒼太の身体を濡らしても、今度はもう立ち上れなかった


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