ZERO-24 楽園 (蒼太の過去話)


そこは楽園と呼ぶにふさわしい、美しい島だった
海はエメラルドグリーン、空はコバルト
領土の7割が豊かな森で、人々は大地の恵みを受け幸せに暮らしていた

「王子、準備は宜しいですか?」
「・・・うん」

飛行機の中で仕事の依頼書を読んだ時は 配役に無理があるだろうと苦笑した
蒼太が王子で 鳥羽がその家臣ということになっている
鳥羽を相手に この自分が命令したりしなければならないということか
鳥羽がこの自分相手に、頭を下げたり敬語で話したりするということか
(ほんと・・・考えられない・・・)
今回の仕事は 3週間後に行われる王位継承式までに王位継承者の条件を調べ出すこと 
そして 条件を全て揃えて 本物の王子に王位を継承させることだった
依頼者は、今回蒼太が演じる この国の血縁の男で ここから遠い外国に位置する小さな国の王子だった
自分の国だけでは飽き足らず この豊かな国を手に入れたいと 多額の報酬を約束してきている
(だったら自分で来ればいいのに)
説明では、王子は10歳の頃 この国に来たきりここを訪れてはいないから 誰も蒼太がなりすましているなんて思いはしないということである
「・・・と考えるのは素人だけで、プロならこういう状況は商売になると考えるわけだ」
鳥羽は、飛行機の中で意地悪く蒼太を見て言った
「普段は遠い外国にいる者でも、血族でありさえすれば、王位継承のチャンスがある
 条件さえそろえれば どんな遠い血縁でも王になれる
 それを利用して、お前みたいに血族になりすます奴がいないとは限らない」
今回の仕事は、難易度S
王家を欺きつつ、秘密にされている条件を探り出し、全て揃え、王位継承式の日までに本物と入れ替わっておかなければならない
「本物が10才の頃からここに来てないおかげで 僕は顔がバレないと思いますが 本物と入れ替わったときにはバレるでしょう?」
写真で見た王子は、自分とはあまり似ていなかった
「そんなのは向こうがお前の顔に合わせればいいんだよ
 本物の王子様はおまえの顔に整形するって言ってたぞ」
笑った鳥羽に 蒼太は呆れて言葉を失った
そこまでして王位が欲しいか
そこまでする気合があるなら、自分でここに来たほうが早いのではないか
自分でここへ来て、自分の手で掴んだ王座の方が ずっと思い入れも価値もあると思うのだけれど
(こういう発想って・・・所詮庶民の発想なのかも)
生まれつき高貴な王子様には、自分で何とかしようなんて発想は元よりないのかもしれない
金で買えるものは全て金で買うのだろう
だから、多額の報酬で組織に依頼をしてきたのだ

蒼太は、この仕事に入る前の晩 依頼者の王子の日常生活を記録したビデオで彼の振る舞いやしぐさを研究した
彼の話し方の癖、考え方や性格を頭に叩き込んできている
身体特徴も彼に似せてきているから、今の蒼太は薄い茶色の髪に深い青の目
子供の頃に作った手足の傷なども再現し、
ピアスや指輪などの装飾品を全部外して 左の腕に一族の紋章である太陽と木と鳥をモチーフにしたタトゥーを入れている
(ほんと・・・今までで一番難しい役・・・)
蒼太は心の中で思いつつ 前で車を運転している鳥羽を見遣った
彼はいつも通りのスーツ姿で もうすっかり仕事モードに入っている
空港を出た途端 敬語になったし、自分を王子やら様付けやらで呼ぶし
荷物を自分で持つし、蒼太を気遣うしで 未だ戸惑いの残っている蒼太は妙に居心地が悪かった
早くなりきってしまわなくては
早く自分を閉じ込めてしまわなければ
いつまでも、こんな風だと 仕事が終ったあと鳥羽に叱られる、と思いつつ 蒼太はそっとため息をついた
思う間に 宮殿が近づいてくる

この国では、国王が一定の年齢に達すると 血族の中から次の国王が選ばれる
国王となるには 一定の条件をクリアしていなければならず、その条件は隠されていて国王しか知らず 次の継承者本人も 王から指名されるまでは知らされることがないらしい
ようするに、戴冠式までにこの国に帰ってきた者の中で ある一定の条件を満たしている者に 次の国王の座が与えられるということだった
普段は静かなこの国にも、3週間後の戴冠式に向けて 続々と血縁が集まってきている

車が宮殿に着く頃には、蒼太はなんとか意識をきりかえていた
いつも 心を冷ますのに使うピアスを今はしていないから、唯一まとった香水の香りに意識を集中させる
蒼太は鳥羽が買い与えてくれた香水の中で 一番好きな香りを仕事のときにつけている
青いシンプルなビンに入った香水は、鳥羽が初めて蒼太に買ってくれたものだった
冷たいような、香り
心を閉ざして冷徹になれと、鳥羽が言っているようで 最初の頃は自分への戒めのつもりでつけていた
今は、少しずつこの香りが好きになってきている
(3週間しかないんだ・・・気合いれないと・・・)
小さく息を吐いて 目の前の宮殿を見上げた
この島への船は1ヶ月に一度しかない
ここから脱出するために 組織が迎えをよこすのは3週間後
それまでは、ここから出られないし こんな狭い島では何かあったとき逃げる場所もない
この入れ替わりがバレてしまえば 罪を問われて処刑なんてことにもなりかねない
自分がヘマをして 偽者だと気づかれてしまえば それでおしまいだ
(・・・)
目を閉じて、自分の意識を閉ざした
プレッシャー、スリル
それは、心を冷たくするけれど、そういうのに身を浸しているとたまらない高揚も覚える

この国は小さな国だけに、古いしきたりや伝統があるだろうから、まずはそこから調べることになるだろうと 飛行機の中で鳥羽は言っていた
迎えの幼い少年少女達から花を受け取って 蒼太は宮殿へと歩を進める
南国らしい装飾品
飾られている花は色鮮やかで眩しいくらいだった
王の交代という大きなイベントを前に 国全体が興奮しているような雰囲気で
その影でひっそりと、何か泥のような気配を感じた
鳥羽の言ったとおり、この王位継承を利用してこの国を乗っ取ろうとしている人間が 蒼太達の依頼者のほかにもいるのかもしれない

蒼太達は最初に国王に面会した
「はじめてお目にかかります、国王
 セイラムの第1子、イリアでございます」
この日、挨拶をしたのは蒼太を入れて3人で
昨日は4人、その前は2人 やはり同じ様に血族の男が 久しぶりにこの国にやってきて挨拶をしたと聞いた
「戴冠式は3週間後ですから、どうぞそれまでゆっくりとおくつろぎください」
国王の後ろには、ずらりと女達が並んでいる
最初 召使か何かかと思ったが それにしては皆 華やかな髪飾りをしていたり、首飾りをしていたりと高貴さを漂わせている
そういえば この国は一夫多妻制だったかと思い出して、ではこの女達は全部国王の妻かと思い至り 蒼太は呆れた
ざっと数えて20人
そのそれぞれが子を産み その子供達も今回の王位継承者候補となるというのだから 一体全部で何人の候補がいるのだろうと 頭が痛くなった
まずはライバルを調べようと思っていたのに 一体何人いるのか 想像しただけでため息が出る

「イリア様がご滞在の間お使いいただくのはこちらのお部屋でございます」
案内された部屋は突き当たりの壁一面が窓となって開け放たれた明るい部屋だった
潮騒が届き、鳥の声も聞こえてくる
まるで何百年も時をさかのぼったような のどかさと美しさだった
この世界に入ってから 鳥羽について色々な国に行ったけれど その中でも一番美しいと思う
まるで楽園だと、つぶやいたら傍で鳥羽がわずかに笑った

「イリア様、海が懐かしければ散策でもなさいますか?」
「・・・うん」
「長旅でお疲れでしたらおやすみください
 今夜のパーティまでまだ時間がありますから」
「うん・・・」
「私はイリア様のお飲み物を作らせてきます
 少しお傍を離れますが・・・、よろしいですか?」
「うん」
うん、しか言わない蒼太に 鳥羽は一瞬意地の悪い色をその目に光らせて わずかに笑った
ビデオで研究した王子本人は、けしてこんな風に「うん」しか言わないような人間ではない
もっと生まれついての王子で、人に命令するのに慣れていて、自分で何かをするという発想のない人間だった
わがままだったし、横柄だった
この人は、他人の気持ちなど考えたこともないのだろう、と そういう印象を持った
はっきりいって、好きな人種ではない
それを、そのままコピーする必要はないが、理解はして そういう人間がどう動くかを考え行動しろと鳥羽に言われている
そうでないと、王子らしくなくなり これが演技だと悟られてしまうから
(難しい・・・)
鳥羽が部屋を出たのを 気配で感じながら蒼太は小さくため息をついた
窓から気持ちいい風が吹いてくる
その風にのって 突然花の匂いが漂ってきたのに蒼太はソファから立ち上がった
テラスに出ると 中庭を3人の少女が歩いているのが見える
それぞれ両手に何かを持っていて、一番後ろを歩いていた 花を持った少女が 視線を感じたのか蒼太のいるテラスを振り返った
「・・・」
17か18くらいの年の、黒い髪の美しい少女だった
歩を止めて こちらを見ている
唇に手をあてて、それからわずかに笑って 今度はその手を胸に当て 蒼太は一礼して微笑した
そのしぐさに、少女はわずかに頬を染め キラキラ光る目で蒼太を見つめて笑う
この国の挨拶として覚えたものをしただけだったのだけれど、予想外に少女は嬉しそうにした後 その場から駆けていった
その様子はまるで花が咲いたみたいに可愛いらしかった

その少女と再会したのは、夜のパーティだった
王位継承の日まで毎日続くのだというパーティで 王位継承候補者は一晩に3人と踊ることが義務づけられている
この国の作法はここへ来る前に徹底的に仕込まれているし、
踊りとかパーティでのマナーなんかは、とっくの昔に教え込まれて体に染み付いている
だから、蒼太はこういう場で緊張するとか、戸惑うとか そういうことは一切なかったけれど
だからといって、これが毎日続くと思うとうんざりするし
こういうのが好きなわけでもなかった
ただでさえ時間がないのに、夜の時間をこんなことに取られるのは痛い
一族の皆にここで会えるるのはありがたかったけど、1週間もあれば必要な情報は全て聞き出せてしまうだろうから やはり長時間拘束されるのは辛かった
こうしている間にも、鳥羽は裏でどんどん動いているというのに

ダンスの相手は国王が適当に決めているようで、今夜の蒼太の相手の一人目は、国王の第16妃だった
蒼太より10ほど年上の彼女は4年前によその国からここへ来たのだと自分から喋った
人懐っこい よく喋る彼女は、私はまだ若いから 20人いる妻の中では寵愛を受けている方よ、と自慢げに言っていた
(やっぱり女同士の戦いって怖いんだろうな・・・)
20人も妻がいれば 血をみることもあるんじゃないだろうかと思いつつ、
もし鳥羽がここの王だったら、20人じゃすまないだろうな、なんて考えて少しおかしくなった
同時に何人もの人間を愛することができる感覚は 多分蒼太には 一生理解できないと思う

二人目は、第6妃の4番目の娘だった
今年で13歳になるのだという彼女は、パーティが楽しくて仕方がないと言って笑った
「パーティがずっと続けばいいのに!
 あなたみたいな素敵な親戚にも会えるし いいことばっかり」
無邪気に笑った彼女は 今回の王位継承候補として帰ってきた男の中に憧れの人でもいるのだろう
一生懸命背伸びして、大人っぽくみせようと努力しているのがほほえましかった
(あと一人か・・・これ終ったら抜け出そう・・・)
冷たい水を喉に流し込んで 蒼太はフロアを見渡した
情報収集と挨拶を兼ねて ここにいる半分くらいとは話をした
男性は 皆がライバルと意識しあっているから冷たい人が多かったけれど 女性は皆温かく相手をしてくれた
利用するなら、女性かな、と なんとなく頭の中で方針が決まりかけている
「イリア様ですね?」
ふと、
花の香りがして、振り返るとそこに 昼間見た少女が立っていた
唇に微笑、目に空の星のような光をたたえて 少女は蒼太を見上げていた

3番目のダンスの相手であるこの少女は名をイヴといった
青いドレスを着て、長い髪を結い上げてブルーの宝石のついた髪飾りをつけて人懐っこく蒼太を見つめている 
「第1妃の娘 イヴでございます」
国王の正妻である第1妃の6番目の娘だと言った彼女は、蒼太の手を取るとゆっくりと踊りだした
「今日お着きになったの?
 昨夜はお見かけしなかったけれど」
「ああ、一番近い港から船で2日もかかった」
「おいくつでした?
 私、イリア様のことを覚えてないわ」
「そりゃね、僕がここにいたころ君はまだ2つか3つだろ?」
「そんなことないわ、私 来週19になるんだもの」
「それはおめでとう」
「お父様が毎年私の誕生パーティを開いてくださるのよ
 今年はお客様がいっぱいで とても楽しみだわ」
とても19歳には見えないな、と思いつつ
蒼太は この第1妃の娘にわずかに興味を持った
さっき踊った第6妃の娘は 自分のためのパーティはしてもらったことがないとぼやいていたのに
やはり 王妃の力の強さでその娘の待遇も変わるのか
それとも イヴが特別に国王に可愛がられているのか
何にせよ、国王に近いということは、蒼太の知りたい情報にも近いということだ
少なくとも 手がかりが得られるかもしれない
(この子にしよう・・・)
好奇心と、親しみの混ざった目をしてこちらを見上げているイヴに蒼太はそっと微笑した

イヴと踊ったあと、蒼太はパーティを抜け出した
パーティの喧騒から離れて 静かな廊下を歩いていく
今夜中にここの建物のつくりを覚えてしまいたかったが、思ったより人がいる
パーティに出ているのは親族だけだったから 使用人や警備の者はいつも通り仕事をしているようで 歩けば「どうかなさいましたか」と誰かれに声をかけられた
(・・・面倒くさい)
一応 王子として来ているからには、夜中にウロウロしているのも怪しくて
どうにも動きにくかった
秘密の通路でもあればいいのに、と 裏庭に出て人のいない方へと歩いていく
頭の中に見取り図を描きながら ざくざくと手入れしていない庭の奥へ奥へと進んでいって
獣道みたいな細い道の先 大理石の敷き詰められた小さなフロアを見つけた
(何ここ・・・舞台の跡かなんか?)
よく見ると、柱の跡のようなものが伸び放題の草に隠れている
ここに神殿のようなものでもあったのだろうか
今は、ぽつんと直径3メートルくらいの円の床だけが存在している
(不思議な場所・・・)
辺りには、誰もいなくて
宮殿の明かりもここには届かない
潮騒だけが遠くから聞こえてくるほかは、本当に静かだった
ふと、自分がここに何をしにきたのか忘れてしまいそうになるほどに

その夜 パーティの終る時間までウロウロした蒼太が部屋に戻ると そこには鳥羽がいた
「イリア様、イヴ様からお届けものが」
「え・・・?」
「あの方のバースデーパーティの招待状ですね
 親族の全員が出席できるわけではないようですよ」
可愛いリボンのついた封を切ると 招待状に彼女の字で ぜひいらしてくださいと書かれている
こちらに わずかでも興味を持ってくれたのだろう
明日 誘ってみようかなどと思いつつ 蒼太は鳥羽が煎れたお茶を一口飲んだ
鳥羽が給仕をする様は、まるで10年くらい召使をしてきたように慣れた手つきに見えてとても自然だ
普段 こういうことを全くしないのに、
本当にこの人は何でもできるんだな、と思いながら ぼんやりとこれからのことを考えた

次の朝、蒼太が誘うまでもなくイヴの方から蒼太を誘いにやってきた
「私のお気に入りの場所を教えてあげるわ
 昼食を一緒にとりましょう」
昨夜より少し馴れ馴れしいのは、あちらが勝手に親密度を上げてきたからか、気取ったパーティの席ではないからかわからなかったが 蒼太に断る理由はなかった
「でかけてくる」
「はい」
鳥羽に送り出されて 二人して外へと出る
昼は暑いくらいだなと思いながら よく晴れた空を見上げた

イヴは色んなことを蒼太に話してくれた
しきたりのこと、一族のこと、王のこと、そして王位継承のこと
「お父様は月の女神に選ばれたから王になれたんだと言ったわ
 月の女神ってね、私達を導いてくれる神様なのよ」
イヴのお気に入りだという この小高い丘からは海がよく見えた
キラキラと水面が光るのが好きなの、と言ったイヴは 召使に持ってこさせたワインを蒼太のグラスに注ぎながら 楽しげに話を続ける
「どうやって選ばれるのかは誰も知らない
 知ってるのはお父様だけ
 でもお父様も、誰が月の女神に選ばれるのかはわからないのですって」
「誰も選ばれないこともある?」
「そうね、昔はあったと聞いたわ
 その時は 今の王が治め続けて また来年 こんな風な王位継承候補を集めるんですって
 それは新しい王が選ばれるまで続くそうよ」
「誰も選ばれないまま 今の王が死んでしまったら?」
「・・・」
イヴは、蒼太の言葉に 驚いたように目をぱちくりさせた
「考えたことないわ
 それはきっと月の女神がお怒りになっているのよ
 だからきっと、神殿をたてて祭りをすると思うわ
 そうして 月の女神にお許しいただくの」
イヴの話をききながら なんとなく蒼太はそのグダグダ感に違和感を覚えた
なんて気まぐれな、
新しい王が選ばれない時もあるなんて
なんていいかげんな
伝統のある王位継承の儀式にしては、いきあたりばったりな気がとてもするのだけれど
「そういえば、バースデーパーティの招待状 もらったよ」
「来てくださるわよね?」
「もちろん」
彼女の差し出してきたビスケットを手に取りながら 得意気なイヴを見下ろした
「昨日踊った姫が言ってたけど、王の子の全員がパーティをしてもらえるわけじゃないんだね」
「そりゃあもちろん
 お父様はお忙しいもの
 全員を平等に愛するなんて無理よ、仕方がないわ」
(すごい発言・・・)
「君は毎年パーティを開いてもらえるのに、一度も開いてもらえない姫もいる?」
「そりゃあね
 お父様にも、可愛い娘とそうでない娘があるのだわ」
「君が第1妃の娘だから?」
「そうじゃない」
蒼太の言葉に 少しむっとしたようにイヴはこちらを見上げた
頬をふくらませている様子は やはり年より幼く見える
「私の一番上の姉は 多分一度もパーティをしてもらってないわ
 私は生まれたときからずっとパーティをしてもらってる
 母は関係ないの、
 お父様が私を愛してくれているからよ」
たしかに、イヴは綺麗だ
黒髪も美しいし、星を宿した目も 無邪気な表情もとても可愛い
人懐っこく話すのも、こんな風に好奇心いっぱいの目で見上げてくるのも好感が持てる
だからといって、ほかの何十人といる姉妹達の中で一番かと聞かれたら 即答はできない
好みにもよるだろうが、蒼太から見れば ほかにもっと美しい姫はいたと思うし、
もっと守ってやりたくなるような姫もいた
(国王の好みとしか言いようがないのだろうか・・・)
それにしては、生まれたときからというのが腑に落ちない
赤ちゃんの頃から 可愛い子や可愛くない子の判別がつくだろうか
生まれた月や、時間なんかに関係があるのか
それとも、ほんとうにただの気まぐれか
イヴの知らない要因が ほかにあるのか
「お父様はバースデーのたびに言ってくださるわ
 お前は月の女神みたいに美しいって
 綺麗になったねって、そう言ってくださるの」
月の女神のようだ、なんて最高のほめ言葉だわ、と
得意げに だが無邪気に笑ったイヴに 蒼太はうなずいて笑みを返した
理由はともかく、自分はかなりいいクジを引いたと感じた
やはりイヴは、核心に近いところにいる

その晩、パーティで3人の親族と踊って、色んな人間と話をして、その後 やっぱりパーティを抜け出した蒼太は 宮殿を歩き回った後 昨夜行った裏庭の奥の神殿跡へ向かった
昼は暑いけれど、夜はとても心地よく
頬を涼しげな風が撫でていく
空には星が輝いていて、月が青白い光を落としている
こんな場所になら、本当に月の女神がいるかもしれない、と
思った時 視界に一人の少女が映った
[え・・・」
大理石の床の上に立っている 長い髪の少女
黒い髪が夜空に溶け込みそうで、黒い瞳がまっすぐにこちらを見ているのに しばらく蒼太は何もいえなかった
イヴだ
だが、さっきパーティ会場で見たのとは大分様子が違っている
「イヴ・・・?」
呼びかけようとしたら、イヴは身を翻して駆け出した
そして、蒼太が追う暇もなく、その場から姿を消した

不思議な気分だった
あのあと、辺りをさがしたけれどイヴを見つけることができず 蒼太は部屋へと戻った
鳥羽はもう部屋に戻っていて 昨日と同じく蒼太の世話をやいてくれる
「お疲れならお休みになられますか?」
「うん・・・」
「明日のお誘いが イヴ様からありましたよ」
「行くって伝えておいて」
「はい」
言いながら 蒼太はソファに横になった
なんだろう
今夜見たイヴが気になって、心が騒ぐ気がした

次の日もまた次の日も、蒼太は昼の時間をイヴとすごし、色んな話を聞き出して、
夜にあの場所へ行ってイヴを探した
いつも、ほんのわずかの時間だけ 見ることができる夜のイヴは 蒼太があそこへ行くとすぐに逃げ出してしまった
その後 煙のようにいなくなってしまう
辺りのどこを探しても見つからなくて 昼間にその場所を調べても 何も見つけられなかった
不思議な現象
そして、不思議な気持ちになった
確実に、昼のイヴと夜のイヴは別人だ
そして、同じ顔をしているのに 夜のイヴの方が心に残る
夜の方が美しく見える
だんだんと、蒼太は得体の知れない夜のイヴに心を魅かれていった
昼間、イヴを前にしながら夜のイヴのことを考えてしまうほどに

(夢でも見てるのかな・・・)
そろそろ ここにきて一週間がたつ
最初はライバル同士と 相手を意識し合っていた男達も 今は慣れて打ち解けてくる者もいた
皆がやはり 色んなところで王位継承の条件を調べているようで
王に近づいたり、第1妃に近づいたり
もちろん 王の寵愛を受けているイヴに近づいたりしていた
「私、あの人嫌いだわ
 私を使ってお父様に王位継承者の条件を聞き出そうとしたのよ
 私をバカにしてるわ、私を何だと思ってるの」
ご立腹のイヴをなぐさめながら 蒼太は目の前の少女の髪にキスした
頬を赤くして、イヴは目を閉じる
そのまぶたに、唇にくちづけながら 蒼太はどこかうわのそらで 夜のイヴのことを考えていた
「ねぇ、イリア様?
 私 あなたが王になればいいと思うわ」
「どうして?」
「だって、王の第1妃は月の女神って決まっているのよ
 お父様はきっと、次の王の第1妃に私を選ぶわ」
月の女神のように美しいから、と
イヴが言葉にしなかったことを心の中で考えながら なんとなくひっかかりを感じた
王を選ぶのは月の女神
王の第1妃は月の女神
何らかの条件をクリアすることを「月の女神に選ばれる」という表現で語っているのだと思っていた
そして、そんな王の第1妃には「月の女神のように美しい女」がなるのがふさわしいという意味で 王の第1妃は月の女神だと、イヴは言ったのだと思う
だが、ふと、疑問のような、違和感のような、何かがひっかかった
今の話はまるで
まるで、月の女神が婿探しをして 彼女の目にかなった男が、月の女神と結婚して王になるみたいだ、と
考えて 蒼太はひとり苦笑した
もしそうなら、月の女神って誰だ
そんなものが この国に本当に存在するのか
まさか、本当にこのイヴがそうなのだろうか
王の寵愛を受けた 王の娘
彼女が選んだ男が王となるということなのだろうか
知らず知らずのうちにイヴが愛を捧げた男が 次の王ということになるのだろうか

その夜、蒼太はいつもとは違う道を歩いてあの神殿跡へ向かった
いつもいつも逃げられるから 昼間のうちに罠をはった
女の子相手に手荒かとは思ったが、いつまでも幻を相手にはしていられない
今日こそ捕まえてやろう、と いつも彼女が逃げる方向から歩いていく
思ったとおり、イヴは蒼太が背後からやってきたのに驚いて 逃げようとして
一瞬 逃げる方向を迷って 蒼太が罠をしかけた方へ逃げ出した
(思ったとおりだ・・・)
走ってその後姿を追いかけると、しばらくして小さな悲鳴が聞こえ イヴの姿が消えた
駆け寄って へたりこみながらも逃げようとするその腕を掴む
「逃げないで、怪我をするからっ」
そう言うと、彼女は蒼太を見つめて それから大人しくなった

蒼太の仕掛けた罠は ロープを足に絡めて捕らえるもので、少女の足に絡みついたロープは その軟らかい肌を傷つけ 血をにじませていた
「ごめん、手荒なことして」
「私を獣か何かと思ってるのですか?」
「幻かとは思ったけど」
間近で見ると ますます違う
顔も髪も声も同じなのに、ここにいるのはイヴではないとはっきりとわかる
「イヴじゃない、あなたはだれですか?」
「誰でしょうか?」
静かに目を伏せて少女はいい、傷を手当する蒼太の手元を見つめた
不思議な気持ちになる
イヴよりも、ずっとこの少女に興味をひかれる
この少女の方が美しく見える
「イヴの姉とか・・・」
「なぜそうお思いになるのですか?」
「似ているからです」
「似ていますか?」
「見た目は・・・」
「あなたはここに何をしにいらしたのですか?」
「散歩です、ここが静かだったので」
いつのまにか、自分の言葉で喋ってるなと思いつつ 蒼太は手当てを終えた少女の体を抱き上げた
「部屋まで送ります」
「いいえ、かまわないでください」
「構わせてください」
「では、石版の上につれていってください」
「石版・・・?」
淡々と、あまり抑揚のない声で話す少女は、蒼太に抗いもせずただ言葉だけで意思表示した
指さす先には、あの丸い大理石の床がある
「あれ、石版なんですか」
「そうです、この国ができる前からずっとあったものです」
その上へおろすと 少女は大理石のキズをすっとなぞった
白い指が、月の光に照らされて美しくすべっていく
たしかに、よく見たら文字に見えなくもない
すっかり薄くなって 一つ一つの文字の判別はつきにくかったけれど
「ずっと昔の文字です、神の時代の」
「月の女神の?」
「そう」
今まで無表情だった少女が、わずかに笑った
「あなたはここで何をしてるんですか?」
不思議だった
パーティでも、宮殿の中でも見たことがない少女
夜のこんな宮殿から離れた場所でしか会えないなんて まるで幻
実態があるとわかっていても、すぐにどこかに消えてしまうのではないかと思わせるような不安定な存在
「星を見ているんです、それが私の仕事ですから」
仕事? と
怪訝そうな顔をした蒼太に 少女は目を伏せた
長い睫が影を落とすのを、綺麗だと思った
「私は占い師です
 星の動きを見て 雨や嵐や流れを読むのです」
占い師、と
言われれば この少女のまとう神秘の雰囲気にも納得がいく
だが、国王の娘が占い師などやっているだろうか
高貴なものは仕事をしない
それがこの国の常識だ
地位と権力があり、豊かな国があるのだから 王族は好きに暮らしていけばいいのだ
わざわざ仕事をする必要はない
そんなものは、民の誰かがやればいいだろうに
「国王の娘が占い師をするんですか?」
「誰が国王の娘だといいましたか?」
静かな声、淡々とした言葉
「でも・・・こんなに似てるのに」
「誰が誰に似ているとおっしゃいます?」
「あなたが・・・イヴに・・・」
言いかけて、蒼太は言葉を飲み込んだ
似ているけれど、似ていない
イヴはよく笑うし、昼の太陽の下で光り輝いている
大きな目でこちらを見つめてくるし、何でも話す
愛されている自覚を持ち、自分が美しいと知っていて、その自信でどんどん綺麗になっていく
「私は、私
 誰とも似ていません」
一方この少女はこんな静かで暗い場所に佇んで、目をふせ何も語らない
名前すら、知らないまま
不思議なオーラをまとい、月の光を浴びて存在している
まるで月の女神みたいに
「気が済んだら帰ってください」
「・・・追い返さないでください」
少女の言葉に、蒼太は胸がぎゅっと痛くなった
彼女の側にいたいと思った
これは、興味ではない
もっと別の感情が、自分をここに引き止める
少女の隣に座って 蒼太はその黒い目を見つめた
「あなたに興味があるんです」
「私は興味などありません」
こんなに近くにいて、こうして話をしているのに 少女からは他人を受け入れない何かを強く感じた
不思議な気持ちになる
誰かに似ていると、ふと思った

(誰に・・・似てるんだろう・・・)

次の日、イヴの誘いを断った蒼太は 夜のイヴと出会った石版の場所へとやってきた
掠れて読めなくなってしまった文字をたどる
指でなぞりながら 一つ一つの文字を記憶した
今 鳥羽が調べている文献と同じ文字が書かれてある石版
解読できる人間を見つけたと言って 鳥羽はこの1週間でその人物に解読表を作らせていた
それを元に 大量の文献を探っている
国の歴史、王位継承の条件、儀式のやり方など 鳥羽は核心に近づいていっている
蒼太もまた、二人のイヴとの出会いで なんとなくそれをつかみかけている
2週間後に迫った戴冠式までに 全てを確信に変えなければならない
全てをそろえた状態で 本物の王子を迎えなければならない

夜のイヴとの逢瀬は続いた
彼女はあまり話をせず、いつも星を見ていた
「あなたは星ばかり見てますね」
「それが私の役目ですから」
少女は言い、ある日一つの星を指差した
「あの星は幸運を現します
 あなたがこの国を訪れた日に、強い輝きを示しました」
そして、その指がス、と動いて また別の星を指す
「あの星は凶星です
 これもあなたが訪れた日に強く輝きました」
まっすぐな目が蒼太を映す
黙っている蒼太に、少女はいつもの通り抑揚のない声で言った
「本当のあなたはどっちですか?
 あなたは私を幻と言うけれど、私にはあなたの方がよほど掴めない」
こんな人は初めて、と
その言葉に 蒼太は心の中で苦笑した
自分はこの国の人間にとって凶星なのかもしれない
本物の王子がどういう人間で、この国を手に入れた後 どんな政治をするのかなんて興味もなければ知る必要もなく
ただ、自分は報酬のためにここに来た
この国の全てを欺いて 王位継承権を得て、ここから消える
これは仕事だし、イヴに近づいたのも、この少女と逢うのも知りたいことを知るためだ
けして幸運を呼ぶ人間ではない
だが、それを相手に知られてはいけない
自分には、失敗も敗北も許されないのだから
「占ってください
 今回の王には誰がなるのか」
冗談交じりに言うと、少女は穏やかな目で蒼太を見た
「母から聞かされています
 王になる人間がどんな人間なのか、それだけは、私達には占えないのだと」
ほかのことは何でも占えるのに不思議ですね、と
言ったとき 少女がわずかに笑った気がして 蒼太はドクンと胸がなった
何かとても、悲しい気分になった

10日目の朝、事件が起きた
イヴがさらわれ、助けてほしくば王位継承のための条件を教えろと 王の下に手紙がきたとのことだった
「イヴ様の居場所はわからないらしく、犯人との約束の期日である明日の朝までに 王は条件を教えるか教えないかの判断を下します
 寵愛している娘を殺させないために、教えるだろうというのが、私の推測です」
どこからそんな情報を仕入れてきているのか、鳥羽はまだ極秘にされている情報を蒼太に話すとポケットから小さなビンを取り出した
「私はやることがありますから、お傍にいることができませんが、くれぐれも注意なさってください
 イヴ様とあなたが仲が良かったことは皆が知っています
 あなたを狙う人間も、いるかもしれません」
渡されたビンに書いてある文字を頭の中で検索する
空気に触れると爆発する薬品の名だ
こんなものを使うほど オオゴトにならないように手を打たなければならないが それでも
鳥羽がこれを渡してきたということは 戦えということだ
王が決断してしまう前にイヴを探し出し、敵を倒してしまえと、
そういうことだ
ここで自分達以外の誰かに王位継承の条件が知られるのは避けなければならない
「お気をつけて」
鳥羽はそう言って部屋を出ていき、残された蒼太も しばらくたってから部屋を出た
そうして、あの石版のところへと向かった

ある夜、月の女神が地上におりてきました
地上の若者は その美しい姿に心を奪われ 月の女神を自分のものにしたいと思い捕まえました
しかし月の女神は心を開かず 若者はせっせと貢ぎものをして月の女神への愛を表現しました
そんなある日 月の女神は若者の妻になるかわりに、あなたの両腕をくださいと言いました
若者は自分の両腕を月の女神に与えました
若者は愛する妻をその腕で抱くことが二度とできなくなりました
1年後、若者は二人の子供が欲しいと言いました
月の女神は若者の子供を生むかわりにあなたの両目をくださいと言いました
若者は、自分の両目を月の女神に与えました
若者は愛する妻と愛する娘の姿を見ることが二度とできなくなりました

「・・・すごい話・・・しかもこれで・・・終わり?」
鳥羽からもらった解読表を見ながら ここ2.3日で解読した石版に書かれた物語に蒼太は小さくため息をついた
これは神話
どこにでもありそうな話
この国に伝わる昔話
ただの物語なのか実話なのかわからないけれど、石盤に書かれた物語はどこか悲しいような気がした
それで若者は幸せだったのだろうかと、ふと考える
月の女神は若者の愛を受け入れたのだろうかと、考える
「文字が・・・読めるのですか?」
だから 考え込んだ蒼太の後ろで声がした時は驚いた
振り返ったところには、まだ夕方だというのに 夜のイヴが立っている
「え・・・?」
すっかり油断していた
ここには誰もこないと思っていたし、夜のイヴは夜にしか現れないと思っていた
「その文字が読めるのですか?」
もう一度問いかけてきた少女に、蒼太は僅かに苦笑して答える
「少しだけ」
これは失態だ
特別なことができることを知られてはいけない
自分はイリア王子なのだから
彼はこんなものには興味を示さないだろうし、こんな文字も読めるはずがない
「昔・・・教わったのを思い出しました・・・」
蒼太の言葉に少女はわずかに驚いた顔をして、それから蒼太の隣に座った
不思議な気がする
いつも月の光の下に見ていた少女の顔
今は頬に夕日の赤い光がさしている
「あなたは不思議な人ですね
 この文字が読めるのは、私のほかには母だけのはずなのに」
少女はつぶやくように言うと 空を見上げた
まだ星は出ていない
でも月はうっすらと細く空にかかっていた
「胸騒ぎがしました
 私の大切な半身が不安に泣いている、それを感じました」
その目はどこか悲しげで、
少女の言葉に 蒼太は推測が確信に変わるのを感じていた
「イヴが連れさらわれました
 国王に、イヴの身の安全を保障するかわりに王位継承の条件を教えろと連絡がありました
 明日の朝が期限ですが、王はイヴを助けるために王位継承の条件を教えるだろうといわれています」
これは全部 鳥羽がもってきた情報で、
このことを知っている者は 王族内でもまだ王と第1妃、そしてその知らせをもってきた王の家臣だけだった
「月の女神は夜の一族の敬称
 夜にだけ現れて星を見て、国のこと、民のことを占う女達のこと
 少女時代にしかこの力は使えず、ある時ふと なくなるといいます
 力がなくなった月の女神はただの人となり、王の妻となるのだと母から聞きました」
少女は言って、空中を指差して苦笑した
「私にも その時がきたのだと思います
 あなたと出会った頃から私の占いは少しずつ当たらなくなりました
 星の声も もうあまり届きません
 今年 新しい王が誕生し 私は王の妻となるでしょう
 その相手が、可愛い私の半身をさらった男だというのなら、私はとても悲しい」
悲しい、と
繰り返した少女は、蒼太を見つめてわずかに笑った
「暗い部屋、西に輝く星
 窓はなく、細い通路と階段が見える
 階段は上らず、ランプもつかない
 わかりますか? 6つの扉の向こうに あの子はいる」
占いは当たらなくても、半身だから感じるのだと少女の言葉に蒼太は立ち上がった
「わかります」
頭の中に 宮殿の見取り図を描き出した
ここへ来たばかりのころ 散々歩き回って頭に叩き込んだ
階段を上らないなら、地下だ
地下は使われていないらしく、ランプは全部壊れていた
明り取りのない暗い部屋は絞られる
どこも物置に使われていたが、壁に絵がかかっていた部屋がいくつかあった
西にかかっていた絵を思い出してみる
南国の風景
貴重な美術品の数々
そして、輝く星を背にたたずむ美しい少女の肖像
裏に記されたメモで 昔の王の第1妃の肖像画だと知った
その先6つの扉の向こう
そこにイヴがいるのだろう
城の廊下を走りながら、蒼太は波立つ気持ちを必死に押さえつけた
あの少女の悲し気な目
それが心に強く残って傷をつくるようだ
占いの素質を持った子を隔離して育て、やがて王の妻とする
その力が消えたときが、王の妻となる時だと知らされて その時まではただ星を見て過ごしている
あらゆる災厄や幸運を読み解き、この国を支えてきた
王の血を引く美しい少女
占いの力を持つ夜の一族を 王家は月の女神と呼んだのだろう
尊敬と、敬愛を込めて
まるで王の生け贄のような悲しい存在の少女を その時が来るまで飼い殺すかのように
(わからないことがまだ多い
 でも、わかったこともたくさんある・・・)
考えながら 少女の教えた扉を開けた
そこに、二人の男とイヴがいた

護身用に、と持っていたスタンガンで男を1人倒した
二人目が襲い掛かってくるのをよけて、側にあった何かを投げ付ける
派手な音がして割れたから 壷か花瓶か、何か高価なものなのだろうが今はそんなことにはかまっていられなかった
視界の端に目を丸くしてこちらを見ているイヴが映る
見た目に外傷がないのに安心した
相手がろくな武器を持っていなくて助かった
こっちは丸腰だし、大きな騒ぎは起こしたくない
殴り掛かってきた男を、身をかがめてかわし、そのまま足を払って蹴り倒した
振り上げたスタンガンが男の鼻先をかすめ、たじろいだところにもう一発
それで、二人目も倒れた

「イリア様・・・っ」
イヴにかけられていた縄をほどくと、イヴは涙のたまった目で蒼太にだきついてきた
「無事でよかった、国王が心配してる」
その髪をなでながら、蒼太は言い、
イヴをなだめて国王の元へ連れていった後 地下の部屋に残してきた二人の男を縛り上げて叩き起こした
蒼太の問いかけに、二人は宮殿の下働きで、知らない男に金で雇われたと口を割る
軽く拷問にかけてみたがヒーヒーと転げ回るだけで それ以上のことは知っていそうになかった
この男達はただの捨て駒なのだろうか
ろくな武器も用意せずこんな騒動を起こすなど 一体何がしたかったのか
イヴをさらって王位継承の条件を聞き出す以外に 何か目的があったのだろうか
なんとなく嫌な予感がして、蒼太は眉を寄せた
敵が動き出したなら、考えなくてはならない
敵の目的について、倒し方について

次の日の夜、ふたたび事件が起きた
今度は蒼太が襲われた
いつも通り 人気のないあたりを調べ回っている時に複数の人間に囲まれた
全員の手に銃が握られている
明らかに、イヴを監禁していた者達とは種類が違う緊張感と雰囲気を漂わせたその男達は、動けない蒼太に薬を嗅がせて気絶させた

ぼんやりと、意識が戻ると記憶も一緒に戻ってきた
腕が痛い
見遣った先には3人の男がいた
この国の者ではないのが一目でわかる
ああ、もしかしてイヴを攫ったのは自分達をあぶり出すための罠だったのかな、とぼんやり考えた
この仕事に入る前に鳥羽が言っていた
こういうのどかで平和な国での仕事にはプロなら絶対目をつける
自分達のように 条件を揃えて王座に、と考える血縁になりすました者もいるだろう、と
そういう者にとったら、王や妃にすりよって条件を聞き出そうとやっきになっている血族達よりも、歴史や文献を調べ 宮殿の深くまで入り込み、姫と深い仲になって情報を集めるプロの方が怖いだろうし、それを利用しようと考えるだろうと
「目が覚めましたか、イリア王子」
自分にかけられた声に蒼太はわずかに顔を上げた
くぐもった声で呻いてみせる
怯えた表情を作って見上げた先にいる、声の主には見覚えがあった
パーティで何度か見た顔だ
たしか王の8人いる弟の一族で 今は都会で普通に暮らしているとか言っていたっけ
今回の王位継承のために 半年も前からこの島に来ているのだと誰かが言っていた
「さらわれたイヴ姫を勇敢に助け出したそうだな
 王はあなたのことを大変誉めていたよ」
大袈裟な身ぶりで喋る男を見ながら 蒼太は心の中でこの先の展開をシミュレートしていた
自分は今 天井から両腕を吊るされている
足は床についておらず、腕の血は止まって指先が冷たくなってきている
加えて上半身は裸にされ、腕のタトゥーの上に切り傷が作られ血が流れていた
自分が本物のイリア王子か確かめたのだろう
王族が幼いときに入れるというタトゥーも、王子が幼い頃につけた傷もこの身に再現している
調べられても、ここを離れた後の王子を知らなければ偽者とは判別できないだろう
この男達も 蒼太の身体を調べただけでは偽者であると言う決定的な証拠が見つけられず こうして蒼太が目を覚ますのを待っていたようだ
「イリア王子は攫われた姫を助けるような人間じゃない
 王家の人間は誰もが保身する
 人より自分が大切だ
 なぜなら弱き王家の人間は身を守る術を知らないから危険には近付かないようにするからだ」
この俺のように、と
言いながら男は側に立っている二人の男に何かを指図した
男二人が大きな箱を持ってくる
「過去にも この王位継承を利用して王になろうとした男がいた
 自分を血族と偽って国に入り込み 王の娘や妃をたぶらかした
 結局、その男は王位継承の条件を手に入れる前に捕まって殺されたが、似たことを考えるものはいくらでもいる
 今回も、そういう人間が混ざっているだろうと思っていた」
彼の言葉を聞きながら この男は何が目的なのだろうと考える
どうやら、この男自体は本物の血族のようだが それにしてはいかにも怪し気な男達を連れている
蒼太と同じ匂いのする男達だから 金で動く人間だろう
裏の組織の人間だ
彼はプロを使って 条件を調べようとしたのだろうか
そして、半年かけても見つけられなかったということか
「ことが公になれば死は免れない
 だが、俺におまえが掴んだ王位継承の条件を教えるなら このことは黙っていてやってもいい」
その言葉に 蒼太はああ、そういうことかと俯いた
王位継承の条件を調べるのに何が大変かって、あの文字だ
歴史や儀式の文献は探せばいくらでも出て来た
たぶん この男達も見つけただろう
保管している部屋に忍び込むのも さして大変ではない
だが、あの文字が読めなかったから
しきたりを知り、歴史を知ればある程度の予測がつくだろうに、儀式のことや継承の条件などが見えてくるだろうに、それが読めない
だからこの仕事の難易度が高いのであり、だから結局誰も条件を知らないままで 王に取り入って聞き出すしか手がないのだ
だが、そんなことをしていても情報は手に入らないとプロは知っている
王は話さないだろうし、他に知る人間もいないのだろう
だったら あの文字を読むしかない、と読める人間を鳥羽がどこからか探してきて なんとか解読表を作らせた
それからの鳥羽は 一睡もせずに大量の文献を全て調べている
王位継承のための条件を探し出すために
「何の話かわからない」
言いながら 蒼太は苦し気な表情をしてみせた
こんなところで、自分が偽者だと言うわけにはいかない
まだ仕事の途中で、まだわからないこともあるのだから
しらをきり通して、スキを見て逃げなければ
「王族は身体に一族の証のタトゥーを入れる」
「僕も持ってる、僕は偽者じゃない」
「俺達のは ただのタトゥーじゃない
 幼い頃にこれを入れるのには意味がある
 この島に生息する毒ヘビに耐性をつけるためにするんだ
 このタトゥーには毒に慣らすために弱い毒が使われている
 だから俺達はヘビに咬まれても死なない
 このタトゥーを持たない者なら 1分であの世行きだが」
男の言葉に 蒼太はぞっと背中が冷たくなるのを感じた
ピンときてしまった
さっきから 二人の男が抱えている箱の中身
あの中身は もしかしなくともアレか
怯えた目で男を見遣ると 彼は口の端を引き上げて ニヤ、と笑った
両側の男が手にした箱を開ける
(・・・最悪・・・)
ギシ、と身体がきしんだ
毒には耐性があるから 噛まれることは怖くはない
このタトゥーにそんな意味があったとは知らなかったけれど、たいていの毒なら慣らしてあるから死にはしない
だが、だからといって蛇に身体中を這いずり回られるのが平気かと聞かれたら そうは思わない
男達が 一匹、また一匹と蒼太の身体に蛇を絡み付けてくるたびに ぞぞ、と背筋を冷たいものが走っていった

「その蛇は普段は大人しいが驚いたりすると護身のために相手を咬む
 さぁ、死にたくなかったら自分が偽者だと言え
 そしてここで得た情報を渡すんだ」

ふるふる、と首をふりながら 蒼太はぎゅっと歯を食いしばった
4匹の蛇が首を、腕を肩を、背をと這いずり回っている
ぬらぬらとした感触が気持ち悪くて、
冷たいものが絡み付いてくるのに身が震えた
こういう場合、いったいどの程度堪えたら 彼らは諦めてくれるのだろうか
いっそ、蛇を驚かせて自分を噛ませたほうが早く終るだろうか

なるべく身体に与えられる感触から意識を逸らして堪えていた蒼太にしびれを切らしたのか 男達は蒼太を吊るしている縄を切った
抗う術なく床に転がったその身体に、蛇は未だからみついている
(・・・手が使えたら・・・)
縛られた両手では、鳥羽からもらった薬品が使えない
戦うにも、武器になるものが持てない
痛む身体を震わせながら この状況から脱せられる何かがないか、蒼太は辺りを見回した
暗い部屋、明かりもない
イヴが捕らわれていたのに似た部屋だから地下のどこかだ
大声を出しても 気づく人間はいないだろう
「口を割らないのがスパイの証拠だ
 王子はこんな責めに堪えられるはずがない」
男の言葉に、蒼太は内心苦笑しながらそれでも黙ったまま床を見つめた
確かに、普通の人間ならあんな体制で吊られていたら、それだけで悲鳴を上げて苦しむだろう
自分は鳥羽の教育で慣れている
何十時間も吊るされたまま 意識が遠くなるまで放置されたこともある
もっと酷い拷問を受けたこともあるし、もっと苦しい思いを何度もしている
だからこの程度では 本当はうめき声一つ上げずに堪えられる
(・・・バレバレでも、認めるわけにはいかない・・・)
ふるふる、と首をふりながら 蒼太は相手の様子を伺った
どれくらい時間がたっているのだろう
自分が目覚めてから まだ30分くらいだったが、最初に襲われてからの時間がわからない
どれくらいの時間 気を失っていたのだろう
一体今、外は何時なのだろう
「できればあまり手荒なことはしたくなかったが」
言った男は、蒼太に背を向けると 腕時計を見ながら笑った
「そろそろ夜のパーティが始まる
 俺は行くから 後はお前達が相手をしろ」
そう言って男は去ってゆき、のこされた二人の男が蒼太の前に立ちはだかった

相変わらず身体中に蛇がからみついたままの蒼太を 男は二人がかりで押さえつけて足を開かせた
強い力がかかるのに 苦しげな声を上げると片方の男が薄く笑う
「俺はあんたは本物じゃないかと思ってるんだがね
 どうもあの人はあんたを疑っているみたいだ」
耳元で囁かれた声に 蒼太はふるふると首を振った
とりあえず一人減った
なんとかスキを見てここから逃げ出さなければならない
そのためには、腕の縄を解かせなければらない
「本物かどうか蛇にかませて調べればいいだろうっ
 僕は偽者じゃない」
この縄をはずしてくれ、と
もがいた蒼太の腰を掴んで もう一人の男が背後で笑った
「まぁ、焦るなよ、王子様
 俺達にとってはあんたが本物でも偽者でもどっちでもいい
 情報さえもらえればそれで」
「だから何も知らないっ
 王位継承の条件なんて そっちで勝手に調べればいい」
喚くように言ったら、大きな手で口をふさがれた
もう片方の手は胸のあたりをまさぐっている
「う・・ぐ・・・・ぅ」
後ろの男の手が服の中へと入り込んできて 下をまさぐっているのに身が跳ねる
「んーーーっ」
抵抗の意思を見せて首を振ると 男二人は面白そうにくつくつと笑った
「王子様、自分の置かれた状況わかってるな?
 あんたが本物にしろ偽者にしろ 今から俺達にひどい目に合わされる
 どうせなら手加減してもらえるよう情報吐いておねだりした方がいいんじゃないか?」
言う間に いきなり後ろに太い指が挿入され 乾いた入り口に痛みが走った
「う・・・・っくっ」
情報を吐けと言うくせに、口をふさいだまま
二人がかりで身体をまさぐって、乱暴に奥まで侵入してくる
ぞわぞわ、と
蛇が這いずるのとはまた別の感触が 身体中を駆け抜けていった
一気に体温が上がる気がする
いつのまにか服を全部剥ぎ取られて、蛇は足や腰にもまきついてくる
ぬらぬらとした感触
乱暴に犯される痛み
口の中に 男のものをつっこまれて蒼太はぎゅっと目を閉じた
疼きだした身体が、求めははじめて震える

1時間も経つ頃には 蒼太の腕の縄は解かれ 無抵抗の蒼太を男が順番に犯していた
床には精液が垂れ その上を這い回る蛇がチロチロと赤い舌を出している
「身分の高い人間をこんな風に犯すのは気分がいいな
 どうだ? 少しは喋る気になったか?」
髪をつかまれて顔を覗き込まれながら 蒼太はふるふると首を振った
このままやるだけやって、放置ってことにはならないだろうかと期待している
こちらには喋る気はないのだから 向こうに諦めてもらうしかない
この状況で 蒼太がすっかり従順にされるがままになっていることに気をよくして 男は油断しているように思える
「強情だな、王子様も」
「まぁ、知らなきゃ喋りようもないか」
のんきな会話
鳥羽なら、こんな中途半端なことはしない
痛めつけるなら徹底的にやるし、こういう行為も拷問のために使う
薬を使って焦らすだけ焦らして、
いかせてくれるなら何でもすると、相手が言うまで攻め上げる
(鳥羽さん・・・っ)
どくん、と
男達によって痛みを与えられた身体に熱がともった
強制的に何度かいかされて、身体は精液で汚れきっている
あげく、蛇がからまって何がなんだかわからない
さっきから震えが止まらないし、身体はどんどん飢えていく
「口を割らないなら、最後に本物かどうか確かめておこうか
 蛇に犯されながら たっぷり毒を味わえよ?」
男の言葉に、毒の苦しみを覚悟した
だが、すぐに痛みはこず 一匹の蛇を掴んだ男は それを蒼太の口に突っ込んだ
「・・・・!!!」
びくん、と動きが止まる
全身が一気に冷たくなる気がした
口の中でのたうちまわる蛇の冷たい感触に 涙がにじんだ
気持ち悪い
それが一番
顎をしっかりとつかんで、蒼太の苦しげな表情を見ながら男は満足そうに笑っている
「こっちもな」
後ろからも声がした
ぞっとする
腰をつかまれて、さっきまで男のものをくわえ込んでいたところに 蛇の頭が突っ込まれる
「ん・・・っうーー」
本気で気持ち悪かった
生き物がのたうちまわるのも、ぬるぬるとした感触も
蛇というものが体内に入っていくことも、何もかもが堪えがたかった
「いい顔するな、今までで一番いい顔だ」
「さすがに余裕がなくなったか」
くつくつという笑い声が響く
涙がにじんで どうしようもなかった
息もできない
苦しくても、動くことすらできない
「さぁて、メインディッシュだ」
そうして、最後に牙をむき出しにした蛇の頭を掴んで 男が蒼太の首を掴んだ
そのまま、震える喉に深々と 蛇の牙がくいこんで痛みが身体中に走っていった

毒は蒼太に吐き気と頭痛をもたらしたけれど、もちろんそれで死ぬことはなく 男達は散々に弄んだ蒼太を置いて部屋を出ていった
「あの人にはあんたは本物だったって伝えておく」
そう言って去っていた彼らの気配が消えると、蒼太は起き上がって辺りに散らかった服を身につけた
吐きそうに気分が悪い
毒のせいもあるが、何より蛇のあの感触
あれを早く取り除いてしまいたくて 蒼太は震える身体を叱咤して辺りを見回し脱出口を探した
窓はなかったが、明り取りのために天井の近くに小さな穴が開いている
ロープか何かを探して そこから外へと脱出するしか方法はないようだった

深夜、蒼太は部屋の古くなった家具に巻き付けてあったロープを使って地下の部屋から脱出し、部屋へと戻った
鳥羽はまだ帰っておらず、シンとした部屋に花の香りだけが漂っている
真っ先にシャワーを浴びて 口をゆすいで、それでもまだ気持ち悪かったから 部屋においてあった度数の高い酒を喉に流し込んだ
(まだ気持ち悪い・・・)
ああいう体験は初めてだった
あれで蛇は死に 男達は笑いながら蒼太の身体から蛇の死体を引きずり出していた
よく正気でそんなことができるなと思いつつ、
思い出して、ぞわ、とまた背中が冷たくなった
あんな風に中途半端な痛みと苦しみを与えられて、犯されて
昂ぶった気持ちと身体は、あんなものではおさまらなかった
あの程度では、蒼太はもう満足できない

今日はもう何もする気になれなくて、ベッドに横になっていた蒼太のところに鳥羽が帰ってきたのは明け方だった
「昨夜のパーティに出なかったそうですね」
「襲われたから出られなかった」
眠れなかった蒼太は、鳥羽の気配に身を起こして うす暗い中 その顔を見上げた
「イヴ様も国王も心配していらっしゃいましたよ
 今度はあなたの身に何かあったのではないかと、探させていらっしゃいました」
途中で親族の男が 彼は体調が優れないから部屋で休んでいると告げるまで それはそれは心配していたとか
(誰が体調が悪い、だ)
内心悪態をつきつつ、蒼太はまだ火照りの冷めない身体を必死に抑えつけた
鳥羽の声を聞いただけで 身体の中に何かがともる
熱くなる
「夜の逢瀬は順調ですか?
 月の女神は、あなたを選んでくれそうですか?」
鳥羽がベッドに腰掛けたのに心臓がドクンとなった
「選ぶって・・・?」
どういう意味? と問いかけてみる
夜の少女は月の女神
彼女は王の妻になる運命で、その時期は彼女の占いの力が消えたとき
占い師として夜にしか生きることができない少女が その役目から開放されるとき
今まで不自由をさせた償いに、この国で最も高貴な 王の第1妃の座を与えられる
「王は月の女神が選ぶという話、忘れたのですか?」
鳥羽が苦笑して ゆっくりと蒼太から視線を外した
王を選ぶのは月の女神だ
それは、たしかにそう イヴが言っていた
自分の父も、月の女神に選ばれて王になったのだと
「え・・・でも、」
月の女神というのは、夜の一族の敬称で
そんなものは神話にしか存在しないのだと思っていた
あの少女に出会って、占いの役目を持つ美しい女達がいたことを知り
神話も、王を選ぶ話も みなただの物語だと思っていた
「月の女神が王を選ぶ・・・」
つぶやいて、はっとした
「夜の一族が、次の王を選ぶってこと・・・?」
どうやって?
占いで?
「でも彼女は占いで、次の王に誰がなるのかだけは、占えないと言っていた」
だったら彼女達に王が選べるわけがない
やはり それはただの物語なのではないか
「昔 月の女神と呼ばれていた女に聞きました
 夜の一族、占い師の女達は恋をするとその力を失う
 人を愛したことで、月の女神から人へと変わる
 力を失った女は、王の妃となるのだそうです」
意地の悪い顔でこちらを見た鳥羽に 蒼太は一瞬言葉をなくした
夜の少女は たしかに言っていた
占い師達はある時ふと、突然力がなくなるのだと
そしてその後 王の妻となるのだと
力がなくなる原因が何かを知らない様子だったけれど、鳥羽が言うことが本当なのなら
「誰かに恋をして・・・?」
「未来の王に恋をして、です」
力を失ったというのか
人を愛して、月の女神は人になったと
「彼女は誰に・・・?」
「あなたでなくては困るのですが」
もう一度 鳥羽が笑った
「いいですか? お疲れのところ申し訳ありませんが頭を整理してよく聞いてください」
少しだけ呆れたような声
それが淡々と真実を告げる
「この国には昔から 占いの力に長けた女がいた
 彼女達は夜にしか外に出てこず、昼間は姿を隠していた
 ある時 王が女を見初めて妻にした
 それから代々 王の血族に占いの力をもつ女が生まれた」
それは あの石版に書かれていた神話に似ていた
国王が月の女神をつかまえて妻にする、あの神話
愛のために両手と両目を失ってもなお、手にいれたかったほど美しい女だったということか
「国を治めるのに占いの力は必要だった
 だから王は彼女達を宮殿から隔離し占い師として育てた
 昼を歩かず、星を見て暮らすことを強いて」
そして、と
鳥羽はわずかに笑った
「愛する娘にそんな暮らしをさせることを不憫に思った王は、一つのきまりごとを作った
 娘が恋をして力をなくすというのなら、今まで国の犠牲にしてきたことへのせめてもの償いに 娘が恋をした相手を次の王にしようと
 そして、彼女達を夜から解放して 輝く王の妻として 再び一族に迎えいれようと」
だから、今 月の女神と呼ばれているあの少女が 力を失ったというのなら すでに王は選ばれているということだ
彼女が恋をした相手が、次の王だ
王位継承の条件とは、あの少女に愛されること、ただそれだけ
「・・・ほん・・・とに・・・?」
「前の月の女神に聞きました
 今は王の第1妃ですが・・・
 彼女は30年前に力を失ったそうですよ
 王位継承のために この国に戻ってきていた今の王に一目ぼれして」
いい話でしょう? と
鳥羽は言うと ベッドから立ち上がった
「条件は分かりました、あとはあなたがクリアしてください
 あの少女に愛されることがあなたの役目です」
あとは私が準備しますので、と
言うと鳥羽は ゆっくりと歩いてドアの方へと向かった
ドクン、ドクンと心臓がなる
まるでおとぎ話で、まるで夢のようだった
美しい少女、月の女神と尊敬された存在
恋をして力を失うのも、
彼女に愛されたものが王となることも、綺麗な綺麗な物語
汚してはならないもののような気がする
優しい国王と、優しい夜の一族が作り上げてきたこの国を 今自分が壊そうとしている
汚そうとしている
そんな気がした

次の日、蒼太を監禁した男が島を追放になった
彼が王位継承の条件を知るために宮殿の書庫に侵入したからだと、人から聞いた
王に彼の追放を進言したのは 第1妃で
彼女は 同時にあの男の連れてきたスパイ達も一緒に島から追い出した
「あいつら、一人残らず追放?」
「蛇も全部」
蒼太にお茶を入れながら言った鳥羽に 蒼太はあの感触を思い出して一瞬ぞわ、と震えた
鳥羽は 今の第1妃と深く通じているようで、
今回の追放も 鳥羽が全部仕組んだのだろうと想像できた
「イリア様が囮になってくださるので助かります
 相手の尻尾をつかみやすくて」
言う鳥羽の言葉を聞きながら イヴの誘拐が蒼太をおびきよせる罠で、
だが、それすら鳥羽にとっては敵をおびきよせる罠だったのかと思うと どうにも言葉が思いつかなかった
これでも色々と考えて動いているのに、鳥羽はさらにその先の10も20も読んで行動している
「他者の痕跡がまだありますから、油断はなさらないように
 また蛇に犯されそうになったら 今度は逃げてもかまいませんがね」
言われて蒼太は 俯いた
どこまで知っているのだろう
敵と接触して色々と聞かれたことは話したが、何をされたかまでは話していないのに
なぜ知っているのか
追放する前に 鳥羽は彼らと直接話しをしたのだろうか
「あと1週間か・・・」
「そうですね
 本物がここに来るのは4日後です
 入れ変わるのは禊に入った時
 王位継承で使う神殿の場所を探し当てましたので、今そこに抜け穴を作らせています
 継承者の装束も レプリカを作らせています
 あなたの役目は、それまでに月の女神の愛を得ておくこと、それだけです」
文献から拾った知識で 鳥羽はどんどん準備を進めている
蒼太は、それらが無駄にならないよう 確実に月の女神に選ばれなければならない
あの夜の少女に、愛を約束させなければならない

気が滅入っても、やるしかなかった
今までだって色んな人間を欺いてきた
男も女も、利用できるものは何でも利用してきた
人をうまくコントロールできたら仕事は楽になる
助けてもらえるから
いろんな情報を聞き出しやすくなるから
鳥羽は第1妃を落として あの文字の解読表を作らせて 更には邪魔な敵組織を排除した
大量の文献から必要な情報を集め、着々と準備を進めている
第1妃だって、信じているのだ
占いの力が現れたばっかりに隔離された可哀想な娘が 結婚によって幸せになれると
自分も寂しい思いをしていたから、痛いほどにわかる
辛かった少女時代、だけど恋した男の妻となれると知ったとき 過去の痛みは全部消えて
ああ、自分は愛されているのだと感じることができた
可哀想な自分の娘も、その喜びを約束されていると信じている
だから、祈るような気持ちで今回の王位継承の儀式を迎えるのだろうし
それを汚い陰謀で暴こうとしたり、探り出そうとしたりする者を その権力をもってして排除したのだ
鳥羽が知らせたままに
あなたの娘の幸せを、壊そうとするものがいると 知らせたままに

彼女の幸せを本当に壊すのは、この自分なのに

毎晩、毎晩、
蒼太はあの石版の上で少女と逢った
夜中から明け方まで、何をするでもなく二人星を見ながら とりとめのない話をした
だんだんと、確信する
少女の言葉に、まなざしに、しぐさに
純粋な乙女が落ちていくのを感じる
悲しいくらいに、少女は綺麗だった
悲しいくらいに、蒼太は彼女の心を引き寄せることが容易にできた
意図すればするほど、
計算すればしただけ、
月の女神は恋する、偽者の愛を捧げる若者に

(そうか・・・誰に似てるのかわかった・・・)

青い星を指差して、あの星は嵐の前触れ、と話す少女の横顔を見つめた
誰かに似ていると思った
自分の運命を知り、覚悟をきめたような目でたたずんでいるこの少女
どこか悲し気な目
あれはいつか見た、鏡の中の自分だ
揺れる目
不安なのか、何なのか自分でもわかになかった
ただ、何かに飢えていて
欲しいものを欲しいと言えない痛みを感じた

彼女は自分に、どこか似ている

(だからといって、何が変わるわけでもないけど)
1人呟いて 蒼太は少女の白い指にそっと口付けをした
けして言葉にはしなかったけれど、少女は蒼太を想っている
まるで神話と同じ様に 無理矢理に捕まえた最初の日
血の滲んだ肌の白さを まだ覚えている
幻のような存在だった少女は、蒼太に恋をして人になろうとしている

戴冠式の3日前、国王は次の王位継承者の発表を行った
いつもパーティを行うフロアには 親族の全員が集まっている
「王位継承者が決定した
 これからイリアには、禊のために北の神殿に行ってもらう」
おお、という歓声とどよめきの中 蒼太は国王の前に進み出た
心は閉ざしている
何も考えない、何にも動じない
まだやることが残っている
そのことだけを考えて 余計な感情を一切殺した
「3日間の禊の後、戴冠式を行う
 しきたり通り 王には月の女神が祝福を与えるであろう」
王の言葉に 集まった人々は盛大な拍手を送り
蒼太はひざまづいたまま、じっと床を見つめていた

宮殿は、一気にお祝いモードに切り替わり、パーティの準備が進められていた
そんな中 禊の準備のため世話係りを待っていた蒼太に 国王がそっと声をかけてくる
「イリア、わかっていると思うが、王位継承の条件は王だけの秘密
 お前はこれから妻を何人もめとり 子供を生ませることになる
 占いの素質のある子供を授かるまで、子を作り続けること
 そして、その子を占い師として育てること
 その子が恋をして相手を選ぶまで、立派な王であり続けること
 そして、その子を愛した男の妻にしてやること
 それが、王として、父としてのおまえの役目だ
 忘れるな」
どこか悲しそうに、どこかほっとした様子で話した王に 蒼太はわずかに微笑した
「わかっております、 国王
 僕はあの方に出会えて幸せです
 この身を清めて 月の女神の祝福を受け、国のために生きましょう」
口からでまかせ、嘘ばかり
いくらでも言えた
なんだってできる
仕事なのだから
このために、ここに来たのだから
「おまえはよい王になるだろう」
「ありがとうございます」
「私の娘を、幸せにしてやってほしい」
「もちろんです」
言いながら 心の中で苦笑した
王になる者は身を清めるために神殿にこもる
一度入ったら出られない場所
そこに 鳥羽があらかじめ抜け穴を作っている
今夜 この島に来る本物と そこで入れ替わり、自分は脱出の準備をする
3日後 王座は本物の王子の手に
その傍らには、裏切られた月の女神
(ごめんね・・・)
なんて、思っても無駄だけど
傷ついたってやめないのだから、結局はただの自己満足だ
騙すことを後ろめたく思うのも、彼女が悲しむのを見たくないと思うのも
自分勝手な感情にすぎない
あの少女が真実を知り嘆く頃には 自分はここにはいないのだから

白い儀式用の服に着替えた蒼太は、一人神殿へと入った
小さな灯りがあるだけの、何もない空間
大理石の床には、あの文字が書かれている
これもまた、神話だろうかと文字を辿った
まるで恋文のような言葉が並ぶ
その後に 綴られている名前
右から2番目の名前には、見覚えがあった
たしか、今の第1妃の名前だ
(じゃあこれ、夜の一族達が彫ったのかな・・・)
誰かにあてたような言葉たち
もしかしたら、ここで3晩の間 禊をする愛する男へ宛てたメッセージなのかもしれない
この文字が読めるのは もはや月の女神達だけだというのに
伝わらないことがわかっていてなお残すのは、愛を記録しておきたかったからか
それとも単なる儀式の一環か
月の女神達からのメッセージ、一番右は 最近彫られたのがわかる 真新しい文字だった
「・・・じゃあ、これはあの人の言葉・・・?」
す、と石版をなぞった
夜に逢瀬を重ねた あの美しく悲しげな目を、思い出した

あなたと出会えたことは幸運
あなたを愛したことは不運
凶星を抱く人よ、せめてあなたに幸運のくちづけを

短くて、悲しい言葉だった
本当のあなたはどっち? と彼女は言った
自分は凶星と幸運の星を両方輝かせたと
あなたと出会った頃から 力が消えていったんだと 彼女は言っていた
何も知らないと想っていた
知らずに恋して、知らずに裏切られて嘆くのだろうと思っていた
(せめてあなたに、こううんのくちづけを)
こんな風に書くということは、気づいていたということだろうか
蒼太は王にはならないことを
知っていたのだろうか
儀式の日 結婚の誓いをかわすのは別の男だということを
「ああ・・・そうか・・・」
指で文字をなぞりながら 蒼太は一人つぶやいた
「王になる人のことは占えないけど、ほかのことは全部占えるんだったっけ・・・
 だったら、僕のことも・・・お見通しか・・・」
蒼太は王にはならない
衰えていく力で、彼女は最後に真実を知った
そして、それでもなお 愛する気持ちを捨てなかった
「そういうことか・・・」
最後に刻まれているのは 彼女の名前
ずっと教えてもらえなかった、貴い名前
ラ・ルーナ
月の女神にふさわしい、美しい響きに 蒼太はそっと目を閉じた
この身に彼女の祝福が なされることはないと知っている
それがとても、悲しかった

その夜、蒼太の顔に整形した本物のイリアが 鳥羽につれられて神殿へとやってきた
抜け道を使って入ってきたイリアは 蒼太と同じ儀式用の白い服を着ている
「俺達の仕事はここまでです
 報酬の振り込みは確認されましたので、あなたともここでお別れです」
「ああ、充分だ
 3日目の朝には俺は王になり、美しい月の女神を妻にする」
鳥羽の言葉にイリアはニヤニヤと笑ってみせ、私服に着替え終えた蒼太を見遣った
「ご苦労だったな、ところで聞きたいんだが 王位継承の条件は何だった
 俺も王になるからには知っておきたい」
「次の王を選ぶために・・・ですか?」
「いや、興味があるからだ
 次の王は俺が選ぶ
 この国と俺の国の両方がより大きく栄えるように 古いしきたりにはこだわらない」
イリアの言葉に 蒼太はそっと目をとじた
そして、わずかに微笑した
「でしたら、知る必要はありません
 僕も話す気は、ありません」
あなたの国はあなたの好きなように治めればいい、と
言った蒼太に イリアは不機嫌そうな顔をして鳥羽を見遣った
「さっき言ったとおり 俺達の仕事はここまでです」
「予定通り 俺の乗ってきた船で帰るのか?」
「そうです」
ふーん、と
一瞬 イリアが笑ったのに 蒼太は胸騒ぎを覚えた
なんだろう、この男の嫌な感じ
気持ちが悪い
だが、考える時間はあまりない
「戻るぞ」
いつもの鳥羽の口調に 蒼太は顔を上げてうなづいた
二人を見送るイリアを神殿に置いて 抜け道を通り外に出る
そして、そこで男達に囲まれた

真っ先に動いたのは、鳥羽だった
袖からナイフを出して相手になげつけ、ひるんだスキに銃をもつ男の手を蹴り上げて吹っ飛ばした
「・・・っ」
ワンテンポ遅れて蒼太も身をかがめて襲ってきた男をかわして腹を蹴り上げる
暗闇の中 銃声が響いた
騒ぎを起こすと脱出がしにくくなると思いつつ、蒼太は腕に掠った弾丸の飛んできたほうに一歩踏み出す
うめき声を上げながら男が側で倒れ、その手から銃をもぎ取った鳥羽が 3発撃った
視界の先で黒いものが倒れるのが見える
続けてまた銃声が響いた
と、同時に身体が突き飛ばされる
よろけて倒れた蒼太が さっきまでいた場所に銃弾が撃ちこまれ そのうちの2発が蒼太を庇った鳥羽の腕に当たったのが見えた
「鳥羽さん・・・っ」
「ボーっとすんなっ、先行って出る準備してろっ」
空になった銃を捨てて 鳥羽が身をかがめる
負傷した右腕をだらりと垂らし、左腕だけで敵と対抗している
「鳥羽さんっ」
「何度も言わせるなっ」
また銃声が響いた
迷っている暇も、鳥羽の指示に逆らっている暇もなかった
鳥羽の言葉通り、港へと駆け出した蒼太に向けて何度か銃が撃たれたが それは一つも当たらなかった

暗闇を走るのは、落ちる感覚に似ていると ふと思う

イリアが乗ってきたのであろう巨大な船は港にとまっていたが、乗組員は全員船にはいなかった
さっき蒼太達を襲った男たちが、この船の乗り組み員だったのかもしれない
イリアは この成りすましが世間にバレないよう口封じのために蒼太と鳥羽を殺すつもりでここへ来たのだろう
ご丁寧に 別の組織から暗殺者なんかを雇ってまでして
(予定通り 船で帰るのか・・・)
一瞬、別れ際イリアが言った言葉が脳裏をよぎった
鳥羽がイリアに言ったのだろう
お前を乗せてきた船で俺達はこの島を脱出すると
だからイリアは、二人が島から出られないよう 船を動かす乗組員と暗殺者を入れ替えたのだ
二人を逃がさないために
ここへの船は 他には月に一度の定期便だけだから

暗闇で、蒼太は俯いてクス、と笑った
人より何手も先を考えている鳥羽が 他人を信用して自分達の退路を明かすはずがない
わざわざ船で逃げます、なんて言うはずがない
ということは、こういう事態を想定して あえて教えておいたのだろう
嘘の情報を
嘘の退却方法を
(・・・船じゃないなら・・・なんだ)
読み解かなければならない
鳥羽の考えを
彼が描いたとおりに動かなければならない
鳥羽が戻ったとき すぐに脱出できるよう
すぐにここから出られるよう
「・・・急がないと」
神殿の方向に赤い火がチラチラ見えている
こんなのどかな国で何十発も銃声が響けば 民達が何事かと騒ぎ出すだろう
新しい王が神殿で禊をしている時だからなおさら
人々がこちらへやってくる前に準備を整えておかなければ

イリア一人を運ぶにしては巨大な船の中に 蒼太はランプをもって入っていった
島から離れる方法は二つしかない
船で海を渡るか、飛行機で空を飛ぶかだ
そして、鳥羽はこの仕事の前に蒼太にセスナの免許を取るように言っていた
使うなら、今だ
だとしたら、この船にはセスナが積まれているはずだった
(・・・開かない・・・)
倉庫は分厚いドアと大きな鍵で閉ざされていた
辺りにドアを壊せそうなものは一切見当たらない
これも、イリアが片付けさせたのか
頭をフル回転させて、考えた
何かあるはずだ
考えれば 突破口は必ず見つかる
鳥羽からそう、教わっている
疲れた頭を必死に動かした
身が削られるようなスリルが、たまらなく蒼太を震わせた

轟音と爆風
割れた板が飛んでくるのを身をふせて堪え、蒼太はパラパラと燃えた木を腕で払いのけて顔を上げた
鳥羽からもらった薬品
あれの存在を思い出して、扉に向かってビンを投げつけた
ビンは割れ、空気に触れた薬品が爆発を起こし ドアが木っ端微塵に吹き飛んでいる
暗い中、立ち上がって中へと入った
今の爆発で 色んなところで火が上がっている
扉の向こうは大きな倉庫で、その一番奥にセスナが置かれていた
ゾクゾクする
鳥羽の思うとおりに事が進むのを今まで何度も目の当たりにしてきたけれど、
今回も、鳥羽の用意したあらゆるものが繋がって こうやって退路が確保されていく

それから10分もしないうちに、鳥羽が船へと戻ってきた
「鳥羽さん・・・っ」
「すぐ出せ」
「はい」
鳥羽はセスナに乗るなり、疲れたように座席に崩れ
蒼太は言われたとおり、準備の整ったセスナを飛ばした
広い甲板を滑走路にして飛び上がる機体の窓から見下ろした先
黒い海と、島の影
そして人々がたいた赤い火がぽつぽつと まるで星みたいに輝いていた

「鳥羽さん、手当てを・・・」
「お前は操縦に集中してろ」
操縦しながら 蒼太は辺りに漂う血の匂いにどうしようもないくらいに動揺した
鳥羽は何発か銃の弾をくらったようで、身体のあちこちから血を流していた
「僕のせいで・・・っ」
男達に囲まれて撃たれたとき 鳥羽がとっさにかばってくれた
その時に 彼の腕に弾が当たったのを見た
あの時に右腕をやられなければ 鳥羽がこんなにも負傷することはなかったたろうに
普段は蒼太なんか庇わないのに、どうしてだかあの時 鳥羽は蒼太の身を守ってくれた
自分の身を盾にしてまで
「まだお前の家臣役が抜けきってなかったんだな、多分」
軽く笑いながら鳥羽は言い、自分で自分の傷の手当を済ませると 疲れたようにため息をついた
「負傷すんのも久しぶりだなぁ・・・
 お前に免許とらせといて正解だったな
 何かで俺が操縦できなくなったときの保険だったんだけどな」
よかったよかった、と
言いながら 鳥羽は不自由に左手で煙草に火をつけている
「組織に連絡はつけてあるから、お前は計器だけ見て目的地まで行け
 俺は少し寝る」
「はい」
操縦席から動くわけにはいかず、蒼太は鳥羽に何もできないもどかしさを覚えながら 暗闇の中セスナを飛ばした
鳥羽が吸った煙草の香りが血の匂いを消してくれるようで
少しだけ、心が落ち着いた


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