ZERO-18 聖女 (蒼太過去話)


蒼太は、真っ白い大理石の祭壇に立たされていた
白い服を着せられ、両手に白い花を持たされ、儀式が始まるのを待っている
闘牛の闘技場を思い出させる作りのこの場所の、客席にあたる部分には、同じく白い服を着た人間が何百人も座ってこちらを見ていた

ここは、西の大陸にある街の地下に作られた秘密の場所
世界に100万人とも1000万人とも言われるほどの信者をかかえる宗教団体の内部

「聖女が降りていらっしゃいます、目を閉じなさい」
厳しい声が蒼太にかかり、蒼太は慌てて目を閉じた
今から蒼太はこの宗教団体へ入信する儀式を行うのだ
目を閉じていてもわかる
辺りが明るくなり、感嘆の声を信者達が漏らすのが響く中、蒼太の前に誰かが立った気配がした
わずかに暖かいような風が、そちらから吹いてくる

「目を開けなさい」
女の声だった
この宗教団体の教祖というべきか、象徴というべきか
聖女信仰なのだというこの宗教について、くわしい情報は一切存在していなかった
組織がどんなに調べても
鳥羽や蒼太がどれだけハッキングしても
どこにも、ここについての情報はなかった
この情報溢れる時代において、こんなにも完璧に隠すなど、可能なのだろうか
まるで存在すらしていないかのような そんな場所に蒼太は今 確実に立っている

目を開くと、眩しさに一瞬目が眩んだ
次第に目の前に立つ少女の姿が見えてくる
全裸の、15歳くらいの少女だった
長い髪が まるで貝から生まれたヴィーナスのように床まで伸び、
その髪をふりはらうよう、彼女の背で白い羽が一度羽ばたいた
(・・・天使?)
一瞬、目を疑った
教えられたとおり、ひざまづき持たされていた花を聖女へと捧げると、彼女はそれを受け取り 感情のない目で蒼太を見たあと、機械的に蒼太のほうへ歩み寄りその額にキスをした
熱がともるような感覚
不思議な気持ちだった
薄い金の髪、青い目、白い羽、まだ幼さの残る軟らかそうな裸体
ぼんやり、と
言葉のない蒼太は、何かに憑かれたように いつまでもその青い目を見ていた
まるで幻想的な、まるで本当の天使を前にしたような 夢見心地な感覚だった

今回の仕事は、鳥羽と一緒にこの宗教団体に入信して、その隠された内情を探ることだった
政治の世界で大きな権力を持つ人物が多数所属しているというその宗教団体の実態は闇につつまれていて 誰も何も知らなかった
噂では、不老不死の聖女を祭る宗教なのだとか
入信すると特殊な能力が得られるようになるとか
上の位の人間は、秘薬によって命を通常の2倍も3倍も永らえることができるとか
オカルト的なものばかりが世間に流れていて 誰も本当のことを知らない

「綺麗な人でした」
儀式の後 つれてこられたのは信者達が生活するというエリアだった
やたらと広い空間に 300人ほどが一緒に生活している
「お前はあんな空気みたいな女がいいのか」
未だに夢見心地の蒼太に、鳥羽が呆れたように言った
「ああいう外見は鳥羽さんの好みだと思ったんですが・・・」
「外見だけな
 俺はもっとリアルな女が好きなんだよ
 あの顔で苦痛にもがいてくれたりしたら、たまらないけどな」
あんなフワフワの 夢か幻か、みたいな存在は好きじゃない、と
鳥羽は言って大きくのびをした
この教団内部では、300人もが共同で生活し、プライベートが一切存在しない
祈りの時間以外は自由に過ごしてよいといわれたので、皆 今は思い思いに話したり本を読んだりして過ごしている
(オカルト的な集団ってみんなこうなのかな・・・集団生活なんて勘弁してほしいな・・・)
誰も何も知らない上、どれだけ調べても退団者が見つからなかったこの宗教集団
(退団するには死ぬしかないって噂・・・あながち嘘じゃないのかもしれない)
出た結果、出てきたのは死体だけだった
辞めた者は殺すのか
逃げた者も殺すのか
それとも秘密を守るために 自ら死ぬのか
鳥羽の調べたデータには元教団員だった死体の数が ざっと1万を超えていた
(できれば長居はしたくないな・・・)
予定では3ヶ月以内の仕事となっている
それまでに、内情をこの身で体験し知り、ここから脱出しなければならない
初めての生存者として
「まずミカエルを探せ」
鳥羽が、蒼太にしか聞こえない声でそう言った
僅かにうなずいて、蒼太はゆっくりと歩き出す
鳥羽の話によれば、ここにはすでに半年前から2人、組織の人間が潜入しているらしく
今回鳥羽と蒼太が潜入して 戦力は全部で4人となっている
それだけ 難しい仕事なのか
こんな人数でやらなければならない仕事は蒼太にとって初めてだったから、戸惑いに似た緊張が常に身体を満たしていた
得体の知れない不安のような、期待のような
不思議な感覚が 身を支配している

「ゼロか、思っていたより若いんだね」
先に潜入していたという組織の人間は、綺麗なフランス語を喋る、ミカエルという名の男だった
聞けば鳥羽と同期で組織に入り、今や鳥羽と並んで組織の上位に位置している
穏やかそうな目は 何か言いようのない深い色をしていた
「怪我をしてるって聞いたけど大丈夫かい?」
「はい」
腕の傷は、今もズキズキと痛む
だが、そんなことは言ってられない
今は、そんなこと気にもならないくらい、周りに神経をめぐらせていた
すぐ側に人がいて、何の仕切りもない、囲いもない中で仕事の話をしなければならないのだから
怪しまれてはいけないのだから
「久しぶりだね、祐二」
「だな」
「私の連れももうすぐ来るよ
 彼は係りについているから今の時間は上で仕事をしているんだ」
ふーん、と
鳥羽は言い、その場に積んであった本を手にとった
「君が来てくれて嬉しいよ
 ここでは優秀な者は係りにつき、上位の皆様のお世話をすることができるんだよ
 君ならきっと、すぐに係りにつくことができる
 ゼロ、君も頑張って勉強をするんだよ」
「はい」
「わからないことがあったら私に聞いて
 私にわかることは何でも教えてあげるから」
「はい」
優しげな物言い
優しげな目
これで この人が鳥羽と並ぶくらい優秀だなんて信じられなかった
「ミカエル、お前は係りについてないのか」
「私はありがたくも 聖女様付きをさせていただいている
 このあいだの試験にパスすることができたからね」
ミカエルの言葉を聞きながら、蒼太は頭の中で この教団の組織図を描き出した
一番下に 今の蒼太達一般信者がいて、その上に係りとか、聖女付きとかがいて、その上が上位者
今の話ではそういう図が描かれる
「聖女様付きって何をするんだ?
 試験があるとはなかなか大変だな」
「主な仕事は聖女様のお祈りのサポートだよ
 毎日12回、お祈りの時間に一緒にお祈りをする
 あとは、信者達の勉強会の講師かな」
毎日ここでは、この宗教についての勉強会があり 日々それを受け知識を得ていく
そして、優秀な者は出世する
(・・・現代社会とよく似た構造・・・)
思いながら 蒼太は柔らかに話すミカエルを見つめた
たった半年で、試験まである聖女付きというものにまで上り詰めた彼はすごいと思う
この教団のことを知るには いつまでも一般信者でいてはいけない
一刻も早く、上へと行き内情を知らなくてはならないのだから
「お前の連れが係りとやらで、お前が聖女付きか
 あとは何だ」
「上位の方のプライベート付きというお役目があるよ
 上位の方が個人的にお側におく、身の回りの世話係りだね」
その上は もう幹部だ、と
言ってミカエルは穏やかに笑った
「じゃあお前は上位のプライベート付きになれ」
さら、と言った鳥羽に 蒼太ははい、と答えながら そんな簡単になれるのかと心の中で苦笑した
個人的なお世話係なんて、詳しく聞かなくても そのお仕事内容想像できてしまう

「お前はしばらくミカエルについて色々と習え
 さっき聞いたので骨組みは理解できた
 典型的な新興宗教とほぼ同じ形をとってる
 あとは、内実の黒い部分だ
 係りと聖女付きについては あいつらが把握してるだろう
 残りは俺達でやる」
「はい・・・」
「退路は俺が考える
 お前は帰りのことは気にせず いけるところまで行っていい」
「はい」
鳥羽の言葉に、蒼太の胸がドクンと鳴った
潜入してしまえば、こちらはプロなのだから いくらでも調べることができる
試験だって勉強すれば受かるというのなら、どんな猛勉強だってするだろう
たが、その後 ここから脱出できなければ意味がない
調べるために深く深くに潜って、結局そこから戻ってこれなれば死んでしまう
その退路の確保を、鳥羽が担当すると言った
その一言が、心強くて
後ろに鳥羽がいると思ったら なんでもできると 蒼太は何か身体の中に火が燈ったような感覚を覚えた

集団で生活するこの部屋に入れられてから1週間が過ぎたある日、
常に他人の中にいることに相当神経を使っていた蒼太は、昼から行われるという週1回のお祈りの会とやらに出るために広い廊下を歩いていた
他人、他人、他人、
蒼太のいる場所のような集団生活部屋が、この建物内にはいくつもあって、たまに部屋代えが行われたり、新しい
人が入ってきたり、誰かが居なくなったりするらしい
(人がいなくなるって・・・)
マトモに考えたら、脱走でもしたかと思うものだが ここの人たちは 居なくなる=出世して上の階へ行ったんだと判断しているようだった
1週間ミカエルについて勉強して この教団のだいたいの構造は頭に入った
この宗教は、聖女を祭り
彼女の祈りが世界を救うと信じて集まっているものたちで形成されているということ
資金は世界中の信者からの莫大な寄付
入信した者は まず「一般信者」となりあの集団部屋へと入れられて
その後の行いによって、様々に出世していく
上位の者の世話をする「係り」の次に、2人部屋を与えられる「聖女付き」
これは聖女の祈りのサポートをする役だとミカエルから聞いた
現在20人ほどいて、よく勉強したものがなれるらしい
(聖女を祭る宗教だもんな、聖女に近づかないと核心には触れられないか・・・)
その位置にちゃっかり半年で成り上がるんだから ミカエルはすごいと思う
自分も、組織の人間として恥ずかしくないような仕事をしなければと、妙なライバル意識のような やる気のような そんなものが沸いた
その密かな張り切りが わかってしまったのか、鳥羽はおかしそうに笑っていて、ミカエルは元気がいいね、なんて微笑んでいたっけ
(余裕だよな、実際あの二人は・・・)
蒼太のような集団生活でのストレスも感じていないように見えるし、変な気合も入っていない
いつものように自然体に過ごしている
知らない人がみたら ミカエルは本当に熱心な信者だし、鳥羽は新参者ながらもすでに 妙なカリスマを発揮しだして 信者の中には鳥羽の話を聞きたがる者も多い
(僕も・・・頑張らないと・・・)
蒼太に与えられた役割は 上位者の個人的な世話係になること
その上で、上位者の生活の実情を探ること
1人で10人も20人も世話係りをかかえる人もいるらしいから、上位者のプライベート付きとなっている人間
の数はよく変動する
現時点の調べでは、上位の者が10人なのに対して個人的な世話係についている者は100人くらいいるとか
(平均、一人につき10人のお世話係がいるってことか・・・)
特に試験などはなく、上位者の気まぐれで決めることが多いとの噂をよく聞いた
実際、この教団の通常の運営は その上位者が行っていて 公的な部分は上位係りとなったミカエルの相棒が調べているが、プライベートな部分は未だ一切わかっていない
(ターゲットが一人いるんだけど・・・なかなか接触の機会がないんだよね・・・)
蒼太は、この一週間でミカエルから教わった 上位者のデータを頭の中で参照した
蒼太のような外見を好む上位者でなければ 気に入ってもらえない
全員の好みを調べて 一人一番確実な人間をターゲットにした
この教団での名をアレフという彼は、教団の上位者の中では一番に男好きだった
現在4人の男をプライベートで抱えている上、もう10年以上もこの教団で上位として君臨していて 教団の内情を調べるのにもぴったりの人間だった
(多分、鳥羽さんと似たタイプの人間なんだと思う・・・)
数少ない情報から推察するに、その人柄はなんとなく鳥羽を思わせた
気に入った信者を頻繁に自分のプライベートの世話係として上げるくせに、同じだけ頻繁に捨てる
性格は気難しく、1日も保たずに辞めさせられる人間も多いらしい
だから、意外に今 手持ちの世話係りの数が少ない
彼の目にかなえば、彼の側でこの教団についてより多くのことを調べられるだろう
彼の生活を知れば、より暗い部分を見ることができるだろう

週に1回のお祈りの会は、上位者が数名 祭壇に立ち話しをした後 全員で祈りを唱和するというものだった
(・・・宗教って苦痛だなぁ・・・)
信仰心のない自分には こういうのはちょっと理解できない
世界平和を掲げるこの団体は、ここでこうして祈ることで世界に平和が訪れると本気で信じていた
羽を生やした聖女が、皆の祈りで生きている
祈りの力が強ければ強いほど、聖女の力も強くなり 清い力は世界に幸福を満たすのだという
(わけがわからない・・・
 たしかにあの羽は不思議だけど・・・)
こっそりと 隣の鳥羽を見遣ったら 真剣な目でまっすぐに前を向いていた
その肩越し、ミカエルは目を閉じて祈りの言葉を口にしている
慌てて、蒼太も目を閉じた
いつも鳥羽やミカエルが側にいて、つい気を緩めてしまいがちだけれど、今は仕事中で
自分は望んでこの教団に入った信者という設定だった
演じなければ、と
蒼太は そっと耳のピアスに触れた
金属の冷たさが、心をすっと静めていく

「ゼロ、おまえあからさまに嫌そうな顔するのやめろ」
「すみません・・・」
祭壇で上位の者の話が始まると、鳥羽が囁きかけてきた
「気緩みすぎ
 やる気ないなら死体で外に帰してやってもいいんだぞ」
「すみません・・・っ」
冷たい口調に、泣きそうになって鳥羽を見上げたら その向こうでミカエルが苦笑した
「そんなに厳しくしなくたっていいだろう、祐二
 毎日毎日気を張り詰めてるなんてできないよ
 それに誰にでもミスはある」
「俺はお前みたいに甘くないんだよ
 ゼロ、足引っ張るなら本気で切るぞ」
前を向いて 上位者の話を聞いている様子を続けている鳥羽の視線が 一度だけ蒼太を見た
捨てないで、と
必死の目ですがるようにすると、呆れたような色がわずかにその目に浮かんだ
「そこにお前のターゲットが来てんだろ
 今日中に接触して取り入れ
 それでチャラにしてやる」
「ほんと君は厳しいね
 ゼロはまだ新人なんだろ? もう少し優しくしてあげなよ」
鳥羽は、それきりこちらを向いてはくれなくて
遠くでミカエルが何か慰めてくれているのを聞きながら 蒼太は自分がターゲットとしたアレフを見上げた
ひときわ高いところに座っているから、彼が上位者の中でも力のある人間なのだということがわかる
小太りの、きつい目をした男だった
手にした杖についているゴテゴテしい飾りが キラキラ光るのがここからでもよく見えた

祈りの会が終ると、信者達は部屋へと引き上げていく
熱心な信者は何人か残って祈りを捧げ続け、
一人二人は、上位の者に呼び止められている
この 皆が集う祈りの会で 新しい世話係を物色したりするのだろうか
呼び止められたものは、ある者は光栄そうに頬を赤らめ、
ある者は恐縮してひざまづいていた
地位ある者の側に置いてもらえること、
それは、この教団のものにとって最も名誉なことなのだろう
(あんな醜い男に好き勝手されるのに・・・?)
不思議なものだな、と
蒼太は、こちらに歩いてくる自分のターゲットであるアレフを見ながら 心の中でため息をついた
鳥羽に言われた通り、今日はターゲットと接触を持つチャンスだし、
鳥羽の怒りを解くには、今日中にターゲットに気に入られて世話係りとならなければならない

「名前は?」
アレフは、まっすぐに蒼太のところまで来ると 唐突にそう言った
「ゼロです」
「ゼロ?」
「はい、親に名をもらう前に死に別れました
 ですから僕は本当の名を知りません」
口からでまかせの蒼太に、アレフはいやらしい笑みを口に浮かべた
少し怯えたような顔をしてみせる
他の一般信者のように、上位者に声をかけられるなんて光栄で恐縮で どうしていいかわからないというような演技をしなくてはならない
「先週はいなかったな、いつ入った?」
「6日前です」
相手の様子を伺った
一人お供を連れている その子はまだ若くて大人しそうな黒髪を長く伸ばした少年だった
それで なんとなく大人しい従順なタイプが好きなのかなと想像する
「来なさい、私付きにしてやろう」
それは、私の下僕にしてやろう、と聞こえた
これで、鳥羽はとりあえずは許してくれるだろう
だが、今からこの男に好き勝手されることは もう目に見えた
蒼太は、無言で頭を下げアレフの後について歩きながら 心を閉ざして感情を殺した
鳥羽の相棒としてふさわしい仕事をしなければならない
たった半年で聖女付きにまでなったミカエルに負けないような仕事がしたい

そのまま蒼太は、アレフに連れられて 今までは入ることができなかった上の階へ行った
豪華な作りの部屋へ案内され、ここがお前の部屋だと教えられる
中にはさっきの黒髪の少年を含めて4人の若い男がいた
皆、何かピリピリした空気でお互いをけん制しあっている
(もしかしなくとも、ここでは皆がライバルなのかな・・・)
相手があんな醜い小太りの男でも、ここではかなりの権力を有する上位者
その者にいかに寵愛されるかが 自分のここでの身分を決める
気に入られれば気に入られるほどよく、
ライバルは少ない方がいいと、そういうことか
誰も、選ばれたことを苦にしていないということか
(すごい世界・・・)
蒼太ならごめんだと思った
あんな男に好き勝手されると思うとぞっとする
これが仕事じゃなければ逃げたいところだ
仕事だから、何でもするけれど
「ゼロです、宜しくお願いします」
新参者を見る警戒した目に向かって、蒼太は深々と頭を下げた
仕事だから、悪いけど自分も容赦はしない

着替えを山程与えられ、蒼太は白い信者の服を脱いだ
いくつもある服の中から、一番露出の少ないものを選んで着替える
ここで、あの4人を押しのけて寵愛されるには それなりの策がいる
早いうちに アレフの性癖や好みを読み取って それにあうよう演じなければならない
そのために、最初は硬いくらいでいたほうがいい
たとえ アレフが淫乱な娼婦のような人間を好み、今後それを演じることとなるにしても あの時は緊張していたので、と言い訳ができる
最初から砕けていたのでは、その後カタい人間には変われない
(鳥羽さんに認めてもらえるように、ミカエルさんのようになれるように・・・)
気合を入れなおして、蒼太はもう一度ピアスに触れた
そして部屋を出て 自分の主人となったアレフの部屋へと向かう
最初のお呼び出しに、どれだけ気に入られるか
それが今後の行方を決めるとわかっている

アレフから最初に強要されたのは 背中に刺青をいれることだった
「これは私の所有の印だ」
その言葉に 蒼太は無言で頭を下げた
刺青って時間がかかるんじゃなかったっけと思いながら これも仕事と割り切る
この傷だらけの身体に今さら何をされたって、失うものなど何もない

その晩、蒼太の背、あの聖女でいうなら羽の付け根のあたりに 手のひらくらいのサイズの蝶の刺青がなされた
痛みに声も上げず堪える蒼太の様子を、アレフは何を言うでもなく ただ無言で見つめていた
いつか鳥羽が言っていた
痛みに堪えてるお前の顔を見るのは好きだって
あの聖女も、もだえ苦しむ姿なら、最高にいいんだが、と
他の信者が聞いていたら怒り出しそうなことを口にしていた
この男も、そういう人種なのだろうか
人が苦しむのを見て喜ぶような、サディストなのだろうか

一晩かかって刺青を終えた蒼太を、男は 今度は何時間も窓際に立たせ続けた
背中の蝶を愛でるように じっと見ている
触れるでもなく、何か言葉をかけるわけでもなく、ただじっと見ている様子に、痛みと疲れでフラフラになりながら、蒼太は彼がいいというまでじっと耐えた
頭がボゥ、としてくる
窓ガラスに手をついて、体重を支えながら 必死に痛みにだけ意識を集中した
でないと、床に崩れてしまいそうになる

「あれで声を上げず泣きもしなかったのは お前がはじめてだ」

夜も明ける頃、ようやくアレフは言葉を発した
「私の所有の印を受けるのに 今残っている者は皆半年以上の時間をかけた
 痛みに堪えることができないから、少しずつ、少しずつ彫らせて仕上げた
 途中でもう嫌だという者は容赦なく捨てて、彫り上げるまで堪えたのが今の4人だ
 だが、お前は違った
 一晩で彫り上げただけでなく、その間声もあげなかった
 ・・・お前を私は大変、気に入った」
痛みなら、堪えられる
今までの生活で、痛みなんて常に側にあったし
常に緊張して意識を尖らせていて、自分でないものを演じ、暮らすことが多い中
この身の痛みだけが唯一、自分を確認できるもののような気すらしている
鳥羽に拷問の教育だって受けているから、刺青を入れるくらいの痛みには声を上げずに堪えることができる
それでも、身体は悲鳴を上げて発熱しているけれど
「ありがとうございます」
相手の様子を伺いながら、蒼太はわずかに頭を下げた
「褒美をやろう
 お前には、私が所望した時 意思表示することを許す
 他のものには与えない、お前にだけ与える褒美だ」
その言葉に、蒼太はもう一度頭を下げた
今の一言で、方向が決まった
自分の演じる人間が決まった
彼が与えた褒美をフル活用して、彼からますますの寵愛を受ける策が、決まった

その後、蒼太は与えられた権利を早速使った
「それでは、アレフ様
 僕を部屋へ帰してください」
言葉少なく、だが丁寧に、蒼太はアレフを見上げてそう言った
普通なら、ここでご奉仕して、この身を捧げて、気に入ってもらうのだろうけれど
そんなことをせずとも、蒼太にはもう他の4人に勝る武器がある
誰にも与えていないというご褒美
私がお前を抱きたいと言った時、意思表示する権利をやる、と言われた
それは 拒否権を許されたということだ
この教団内で、上位者が自分を所望した時に 自分の意思で断る権利
それを与えるほど、アレフは蒼太を気に入ったということ
合意の上でしか抱かない、と
それは そういう意味だ
この一晩堪えた痛みは、最初から蒼太に有利な条件をもたらした
「僕に服を返してください
 そして、部屋に戻るお許しを・・・」

部屋に戻った蒼太は、自分に与えられた一画に置かれたベッドに潜り込むと 熱い身体を抱いて目を閉じた
大人しく、従順で、しかし身も心も固い人間を演じよう
アレフは蒼太を気に入った
気に入ったゆえ、すぐにでも抱きたかったに違いない
あの蝶を愛でながら その身に己を穿ちたかったにちがいない
だが、蒼太が頂いた権利を行使したから 抱けなかった
蝶の刺青も、すぐに服で隠されてしまった
手が届くところにあるのに触れられないものには、想いが募る
どんな形にしろ、待たされただけ執着する
焦らされただけ、固執する
(・・・焦らして焦らして焦らしまくってやる・・・)
目を閉じて、鳥羽を思った
彼がほめてくれるような仕事がしたい
ミカエルのように、鳥羽が信頼して任せるような仕事がしたい

アレフのプライベート付きの人間の1日は、優雅だった
朝、おそい時間まで眠り、その後 皆そろってアレフの入浴の世話をする
だだっ広い大理石の風呂で、身体を洗ったり奉仕をしたりして、2時間以上も そうやってすごす
(・・・ふやけそう)
皆、それぞれ露出の多い服を着て湯に入ってアレフの手足をさすったり、泡で身体を洗ったり、その身で楽しんでもらったりする中 蒼太は昨日のように露出の少ない服で 泡を作ったり湯を流したりという地味な仕事を黙々とこなした
当然、ここは風呂なのだから服は濡れる
次第に皆が裸になって、絡まりあいだす
以前見た 秘密倶楽部と似た光景だと思いながら 蒼太はそれでも一人服を着たまま 黙々と作業をした
「ゼロ」
一人の少年を抱きながらアレフが呼ぶと 皆が蒼太を見た
あまり積極的に奉仕に関わらない蒼太を、ここにいる4人は敵ではないと判断したのか、視線は昨日よりは冷たくなかった
「お前の蝶を見せてはくれないのか」
その言葉に、一瞬で4人の間に緊張が走ったのがわかった
蒼太は仕事の手を止めて 黙ってアレフを見つめ返す
「え・・・?
 アレフ様、彼は昨日来たばかりですよね?」
一番年下の、黒髪の少年の言葉に 他の者も奉仕の手を止めてアレフと蒼太を交互に見た
一晩で、蝶が彫りあがるはずもないのに、と言いたげな目に アレフが笑う
「そうだ、このゼロは一晩で私の所有の印を受け取ったということだ
 なぁ、ゼロ
 お前は私の一番可愛い蝶だ」
その言葉に、全員の目に驚きと、嫉妬と、殺気が宿った
4人ともが、背に蒼太と同じ蝶の刺青をしている
あれを彫り上げるのに半年
苦痛の日々を過ごし、痛みに泣き それでも必死に堪えてここにいる彼ら
その身をアレフに捧げて寵愛してもらうことだけに必死になって 今を生きている男達
(愛されることが、ここにいる意味、なのかな)
アレフの寵愛を受けている限りは、この教団における地位を約束される
たとえ この男に毎晩抱かれようと
その身に苦痛と痛みをもたらされようと
(僕はそんなのはごめんだけど)
そして、それでも これが仕事である限り手加減はしない
必死の彼等を蹴落としてでも、アレフの寵愛をものにしてみせる
「お許し下さい、アレフ様」
うつむいて、蒼太は丁寧にそう言った
肌を見せない
あの蝶も見せない
触れさせない
抱かせない
命令には従うが、こちらからは許さない
そんな風に焦らし続けて 自分への想いを募らせようと決めた
その上で、一番いいタイミングで この身も心も捧げよう

「そうか」

アレフは、蒼太の言葉に満足そうに笑って、別の男を手許に引き寄せ その身に欲のしたたった肉棒を穿った
主人の言葉に逆らった蒼太を、この場の全員が驚いたような、理解できないような顔で見ていたが 蒼太はそんなのを気にする風でもなく ただ淡々と仕事を続けた
呼ばれれば返事をするし、やれと言われた仕事は何でもこなした
従順だけれど、最後の最後まで気を許さない
そんな人間を演じた
そして、その蒼太の策にアレフはまんまと嵌り、
毎晩毎晩、他の世話係を差し置いて 蒼太ばかりを部屋へと呼んだ

1ヶ月も経つ頃には、他の4人の世話係と蒼太の立場は歴然としていた
アレフはプライベートで連れ歩く世話係を蒼太だけにしていたし、色んなところで この身の堅い蒼太を自慢している風だった
教団の上位者としての公の仕事を蒼太が手伝い出してからは、その教養の高さがますます彼のお気に召したのか 今や通常の係りでさえ役立たずとクビにしてしまう程に あらゆる場面で蒼太を側に置いた
ミカエルの相棒である男が ある時苦笑していたっけ
自分がアレフ付きの係りでなくてよかったと
もしそうだったら、自分は仕事を取り上げられていたと
「ゼロ、今宵は宴がある
 お前も時間までに用意しておけ」
「はい」
アレフの公の仕事の書類を整理していた蒼太は、優し気にそう言ったアレフに僅かに微笑して返事をした
少しずつ、心を許しているフリをしている
相変わらず 無口で堅い人間を演じながらも

(ようやく宴だ・・・)

この頃、蒼太には特別に1人部屋が与えられていた
毎日届くアレフからの贈り物に満たされた部屋は、いつも花の香りが漂っている
彼の好きな香りが肌に染み込むよう 風呂には特別な香りのする薬が垂らされて その影響か髪は次第に色が抜けて金色に近付いてゆき、背中の蝶はますます濃く艶のある色になっていった
薬の作用か、湯が入れ墨に触れると刺すように痛む
だが、この薬のおかげで入れ墨は ますます色鮮やかに輝くように肌に映え、見事に美しく蒼太の背に浮かんでいる
(他の人は この薬 使ってないんだろうな)
4人の世話係は、普段から露出の多い服をきている
背中の蝶も常に見せているから 自分との違いがよくわかる
どこかくすんだような色は、蒼太のものと比べるとかなり見劣りする
この刺すような痛みに耐えられないのだろう
香りだけ 香水を付けてごまかしている、そんな感じだった
(バカ正直にやってるの僕だけなんだよね・・・これ)
この程度の痛みは 蒼太にとっては何でもない
全ては、普段隠しているこの蝶をアレフに見せる時のために、
その一時のためだけに、毎日痛みを我慢してこの湯につかるのだ
「さて、何を着ようかな・・・」
風呂から上がって、濡れた身体を拭きながら 蒼太はクローゼットに山程かかった服を眺めた
宴の席に相応しい、だけど背中の蝶の隠せるような そんな服を引っ張り出す
どれもこれも夢々しいデザインだったけれど、蒼太のためにアレフが用意するものは 見事な刺繍のしてあるものだったり、宝石がついていたりと 彼の蒼太への寵愛を伺わせた

宴は上位者と幹部だけで行われるもので、月に1度か2度行われる
蒼太がアレフの世話係りになってからはじめての宴だった
調べるうち、この教団を裏で運営している幹部が姿を見せるのはこの宴だけだと知り いつ開かれるのかと心待ちにしていた
まるで自分の世話係の自慢大会のような宴では、上位者全員が 世話係を着飾らせて連れてきて、幹部達を接待するんだとか
宴が開かれるのが決まると、アレフは何度も世話係達に けしてそそうのないようにと言って聞かせていた
幹部の怒りを買えば、たとえ上位者といえども ここでの地位が危なくなるのだろう
逆に気に入られれば ここでの地位がますます不動のものになるのか
はたまた、幹部へと昇格できるのか

(社長にコビ売る部長みたいな感じかな・・・)

この1ヶ月、アレフの側で公私ともにその生活を通して教団のことを調べたけれど、これといって変わったことは出てこなかった
たしかに、ありえない金額を湯水のように使って豪遊している上位者達は、信仰心より金の方に興味があるように思えた
だが、こういった団体では そんなことは変わったことでも何でもない
宗教じたいが、信者から金を集めるための手段であることも多いのだ
信じているのは下の者だけで、上に行けば行くほど それとは別の思惑で存在している
上位者は、金と地位
では幹部は?
それを知るには、幹部と接触するしかなく、
その機会が ようやくやってきたということだ
アレフに聞いた話によると、幹部は全部で6人
その人数は増えることはなく、1人が辞める時 後任を選んで入れ代わるのだとか
(そして辞めた人は死体になるのかな・・・)
退団者が自分達の住む世界から調べても見つけられなかったことを思い出して 蒼太はうーん、と唸った
この1ヶ月の間に、アレフが気に入って世話係へと召し上げて しかし入れ墨の苦痛に耐えられず捨てられた者が次の日に死体になっていたのは何度か見た
だが、そんなことが幹部クラスでも起こるのだろうか、と
思い巡らせながら 蒼太はじっと宴が始まる時間を待った
何にせよ、今夜の接触で何かを掴まなければ 次のチャンスはまた1ヶ月先となるのだから

宴は最上階の広い部屋で行われ、どこか妖し気な雰囲気をもって始まった
教団の最高権力者達のつどいなのに、祈りもしなければ聖女への賛歌もない
着飾った上位者の世話係達が酒を注いだり果物を運んだりする中 スーツを来た6人の男がめいめいソファーやベッドでくつろいだ様子を見せていた
初めて見る幹部の顔
言われた仕事をしながらアレフの側で 蒼太は全員を観察した
初老の穏やかそうな男2人
中年の男3人
そして、若い男が1人
(・・・え・・・・・・・・・)
蒼太のいる場所からは遠くてはっきりと見えなかったけれど、その若い男の雰囲気に ドキ、とした
もしかしなくとも、あれは鳥羽ではないか
誰かの世話係である少女に煙草に火をつけさせながら ギラギラした服の男と話している
髪の色、しぐさ、そして身にまとっている雰囲気
(まさかこの短期間で幹部になるとか・・・)
鳥羽なら、ありえるかもしれない、と思いつつ そちらばかり見ていた蒼太にアレフが声をかけてきた
「幹部のお一人は女性だったんだがな、交代されたらしいな」
その目は遠くの鳥羽を見つめ、何か面白くないような顔をしていた
自分より明らかに年下の男がまんまと幹部になったことが面白くないのだろう
見れば 他の上位者達の中でも 明らかに不満そうにしている者がいる
(そうか・・・長く上位者でいると 次は自分が幹部にって、思うのか・・・)
一体どうやって取り入ったのか、なんて考えるまでもないことだった
鳥羽の前任が女性だったなら、鳥羽が目をつけて当然だ
彼は女を扱うのに長けている
いつものように容赦なく近付いて、その座を奪い取ったのだろう
そして 潜入からわずか1ヶ月ほどで この宴の場にいる
(・・・ケタ違いだ・・・)
アレフの世話係となった日から鳥羽には会っていなかったから、こんな場でも、こんな遠くからでも姿を見られただけで とても嬉しかった
手にしたグラスをアレフに渡しながらも、ドクドクと体温が上がるのを感じた
たまらない何かが、身に広がっていった

宴の間中、アレフはずっと蒼太を側において自分の世話をさせた
そうして蒼太を自慢気に見せびらかすようにしながらアレフは宴の間中上機嫌だったし、
蒼太は アレフと幹部の話に耳を傾け 情報を集めることができた
大抵は、たわいもない世間話だったけれど、
たまに、コソコソと秘密の相談が入ったり、特定の幹部の批判が入ったりする
それらを聞きながら 蒼太は部屋にいくつも置かれているソファやベッドで 世話係達が幹部の性行為の相手をしているのをぼんやりと見つめた
今さら、こんなことでは驚かないけれど
どこの世界も権力者ってのは精力旺盛だなぁ、なんて ふと思う
すぐそこのベッドでは、まだ13才かそこらの少女が卑猥に笑う中年の相手をさせられていて、それをその主人である上位者が面白そうに見ているのだから 狂っているとしか思えない

宴は丸2日ほど続くようだった
丁度 中盤に差し掛かった頃 鳥羽がアレフのところへやってきた
「これは、これは、はじめてお目にかかります」
立ち上がったアレフに 座るようしぐさで示した鳥羽は、向かいのソファに座ってポケットから煙草を取り出した
それに火を差し出しながら 蒼太は鳥羽を見つめた
胸が騒ぐ
ここで接触してくるということは、自分に何かさせる気なのだ
そして、それをきっかけに 何かをなそうとしている
その意図を汲み取らなければならない
鳥羽の望むよう 行動しなくてはならない
「随分 お気に入りのようだな」
唐突に、鳥羽は蒼太に緯線をやってそう言った
「色んなところで噂を聞いた
 この宴でも、常に側に置いているところを見ると 噂は嘘でもないらしい」
鳥羽の言葉に、表向き笑顔でアレフはうなずいた
側にいて さっきまで談笑していた他の上位者達も 蒼太の背の入れ墨を一度見てみたいなどと言い話を合わせている
「さぞ、いい抱き心地なのだろうな」
ぴく、と
わずかだけ、アレフの表情が動いた
「どんな声で鳴く?
 さっき お前のところの黒髪を抱いたが、なかなかよかった
 そいつは どうだろうな?」
その言葉に 周りが これだけ大事にしているなら絶品だろうと口々に言った
鳥羽の問いに、アレフは答えられるはずがない
アレフはまだ、一度も蒼太に触れていない
抱いていない
最初の日に与えられた御褒美を使って、今までずっと行為を拒否してきた
どんな声で鳴くのかと聞かれても、答えられるはずもない
「聞かせてくれないか?」
その御自慢の世話係の声を、と
鳥羽は言い、煙草の煙を吐き出した
辺りが異様な雰囲気になっていく

鳥羽が求めたのは、アレフに目の前で蒼太を犯せということだった
屈辱に似た色をその目に浮かべ、だが必死にそれを隠そうとしながら アレフが足下にいる蒼太を呼ぶ
はい、と
返事をしながら、蒼太は立ち上がってアレフの側へと歩み寄った
ここで拒否権を使うほどバカじゃない
今までさんざん焦らせて、一番いい時に身体を許そうと思っていた、それが今だ
幹部に求められて 幹部の目の前で奴隷に拒否され恥をかくことほど屈辱なことはないだろう
逆に、この求めに対し従順に従うことで、
鳥羽の言うような いい声でなくことで 自分の評価を上げられたら
それはそのまま、主人であるアレフの評価となる
彼にとって それはプラスとなる
地位も、気持ちも

「お求めのままに、アレフ様」

服に手をかけ自分で脱ぐと、その背に刻まれた蝶の入れ墨が露になった
この宴にいる他の4人の世話係のものとは比べ物にならないくらい鮮やかな色に、周りから感嘆の声が上がった
ソファに身を預けているアレフに奉仕し、丁寧にゆっくりと濡らした後 その身に自分から乗って透明の液をしたたらせたものを受け入れた
鳥羽がそこで見ていると思ったら、蒼太の身体も自然と濡れた
いくつもの目が見守る中、身体を愛し気にまさぐるアレフの指の動きに感じ
中を突き上げてくる動きに、ぶるぶると身を震わせ、
咽を震わせ、背を反らせて喘いだ
蒼太からは、鳥羽の姿は見えない
だが、漂う煙草の香りに、確かに彼が側にいることを感じられる
見ていた他の上位者も 自分の世話係を呼び行為を始める中 鳥羽だけが最初と変わらず その行為を見つめ続けた
その視線が、蒼太の肌を灼くようで
どうにもならない昂りが、身の内から溢れ続けた
鳥羽の存在に、感じる
たまらなくなる
声を上げて、白濁を吐くと 愛おしそうにアレフが胸に口付けた
見下ろした先 今までに見たことのないような満足した顔のアレフがいた

その後すぐに、アレフは蒼太を別室へと下げた
「さすがに、ご自慢なだけある、いい声だ」
鳥羽とアレフが何か話しているのがわずかに聞こえる
今のでアレフは満足して いい気持ちになっているだろうし
鳥羽の様子からしても 自分は鳥羽の思惑通りに動けたと確信する
とりあえず今日の仕事は終ったかな、と
別室に入って シャワーを浴びた
あとは鳥羽の指示を待って どう動くか考えればいい

30分もしないうちに、別室に鳥羽が現れた
後ろ手で鍵をかけ、ベッドにいる蒼太のところまで歩いてくる
「鳥羽さん・・・」
立ち上がって、鳥羽がだるそうに脱いだスーツを受け取った
「あいつは相当お前がお気に入りだな
 あそこまで気に入られてるとは思ってなかった、よくやったな」
誉められると、胸が鳴る
嬉しくて、顔が赤くなる
「おかげであいつは俺に協力的になった
 あれを使って幹部を1人失脚させる
 近い内、あれが幹部になるから お前はあれについてもっと奥まで踏み込めるようになる」
「はい」
鳥羽は、ポケットから一つの鍵を出して蒼太に渡した
「どこの鍵が調べろ
 その先で見たものは全部報告しろ
 今後、俺とは好きな時に接触していい
 アレフが、俺の部屋を教えてくれるだろう」
はい、と
鍵を受け取りながら 蒼太はドクン、ドクンと鳴る胸を必死に抑えていた
たまらない緊張感
レベルの高い仕事
自分のしたことと、鳥羽の考えていることがぴったりと合致した時 言い様のない気持ちがこの身を満たす
「しかし、アレフは悪趣味だな」
ぎゅ、と
鍵を握った蒼太を見下ろして 鳥羽がつぶやくように言った
「え・・・?」
「奴隷全部にその入れ墨してるんだろ?」
「そうです、彼の所有の印だそうですから」
あからさまに軽蔑した目で、鳥羽は溜め息を吐いた
「俺はな、入れ墨ってのは好きじゃない
 抱いてて萎える
 傷なら、いいんだけどな」
好みの問題だけどな、と
その言葉に 蒼太は胸がぎゅっとなった
ということは、これがある限りは 鳥羽の前で肌を曝すことはできない
彼を不愉快にするというのなら、
これがある限り 彼は気紛れにも蒼太を抱くことはないのだ
その言葉は、冷たくて痛くて、泣きそうになった
「まぁ お前の御主人様はその入れ墨が御自慢のようだから、せいぜい可愛がってもらえ
 随分よさそうに鳴いてたからな、おまえ」
人前で犯されて相当気持ち良かったんだろ、なんて言葉
まるで自分が変態であるみたいに聞こえて 悲しくなった
感じたのは本当で
あんな世界でも驚くことなんて、もうなくなっていて
でも 仕事じゃなければあんなことはしたくない
そこに鳥羽がいて見ていなければ あれほどには感じなかった
(・・・なんて言い訳か・・・)
自分は確実に歪んでいっている
犯されることに慣れて、どんな行為も受け入れられるようになっていっている
(・・・そしてそれに感じるんだから・・・ほんと変態・・・)
俯いた蒼太に 鳥羽が笑った
「誇れよ
 所詮 この世界は狂ってる
 自分も狂った方が生きやすい」
そう言って、鳥羽は立ち上がると 部屋を出ていった
1人残されて、蒼太は どうしようもなく鳥羽へ向かう気持ちが一層強くなったのを感じた
押し殺しても、押し殺しても
こうして側に鳥羽を感じると生まれてしまうこの感情
彼の言葉の一つ一つに たまらなくなってしまう自分
せめて鳥羽に気付かれない様 隠さなければと そっと息を吐いた
仕事のことだけ考えていよう
そうして、また鳥羽にほめてもらえるよう動こう
今はそれだけ
それだけで頭を一杯にして

鳥羽の言ったとおり、2週間もするとアレフは幹部に昇格した
蒼太はアレフについて、さらに上の階に上げられ
同時に新しい世界を知った
幹部の暮らすエリアは 今までとはガラリと変わった雰囲気を持っていて
どちらかというと、夢々しく飾られた上位者達の世界とくらべて とても現実的な場所だった
豪華な飾りのついた、絵の中の人のような服をきている上位者達と違い 幹部は全員スーツを着ている
秘書は連れていても、世話係のような卑猥な存在はいない
教団というよりは、現代社会そのままの様子に 蒼太はなんとなくこの教団の内実を悟った
結局ビジネスなのだ
聖女だ、信仰だと言っているのは下の者達だけで
上に行けば行くほど、そういうものから遠ざかる
このエリアでは祈っている者は誰もいないし、聖女などと口にする者もいない
書類とコンピューターとスーツの男
それらで構成されている
外の世界とまったく同じ
「カイン様にこの書類をお届けするように」
「はい」
アレフも、この階に上がったと同時にスーツへと着替え、蒼太にも同じ様スーツを着せた
下から連れて上がった世話係は蒼太だけで、
蒼太の身分は 身の周りの世話係から仕事をサポートする秘書となった
相変わらず、夜の呼び出しは続いているが、それはそれ
適当に相手をしている
あの宴の、鳥羽の言葉がきっかけで蒼太が身を許すようになったから アレフは今や、鳥羽の従順な僕と成り下がっている
カイン様、と
ここでの鳥羽の名前に様まで付けて呼び、自ら彼の望むよう働こうとしている
それもこれも、蒼太がアレフにあそこまで気に入られるよう仕向けていたからだと 鳥羽はほめてくれたけれど
「お届けしたらすぐに戻ってこい
 今日は私が初めて出席する進化会議がある
 それに遅れてはいけないからな」
「はい」
アレフから書類を受け取って、蒼太は教えられた鳥羽の部屋へと向かった
この階に上がってからは 自由に教団の建物内を歩けたから 鳥羽から渡された鍵の扉を探すのに苦労はなかった
コンピューターで何十にもロックがかかっているその扉をPDAで操作し一つ一つ開けながら 蒼太は中で大量の書類を見た
まだコンピューターのなかった時代に書かれたものなのだろう
教団のなりたちが書かれていた書類を見つけて読んだ時にはあっけに取られた
それをそのまま報告したら、鳥羽も苦笑していたっけ
宗教なんてそんなものか、と
彼の言葉は なんとなく蒼太の頭にいつまでも残った

「カイン様、書類をお持ちしました」
「御苦労さん」
鳥羽の部屋へ入ると、鳥羽は大量の書類に埋もれていた
半分は、蒼太があの部屋から持ち出したもので 半分はこの教団での仕事の書類だった
「進化会議に出るの、初めてだったな」
「はい」
「覚悟しとけよ」
「何を・・・ですか」
「嫌なもん見る」
「嫌なもの・・・?」
ものすごい早さで仕事を処理しながら 鳥羽はサインしていた手を止めて蒼太を見た
「それから、組織と連絡を取った
 2.3日でここを出る」
「もう・・・ですか?」
「一般信者、係り、聖女付き、上位者、幹部について把握済み
 教団のなりたちり書類を確保
 聖女様についても資料のコピーが今日にでも終る
 ここでやることは、もうない」
「聖女のデータって・・・?」
「お前にもすぐにわかる」
わかったら行け、と
しぐさで示されて 蒼太は仕方なくそれ以上は聞かずに部屋を出た
確かに 自分達が経験してこの教団については知ることができた
欲しかった資料も手に入ったし、鳥羽の言うように聖女のデータもあるのだとしたら 他に調べることはもうない
幹部の人間についても、写真と指紋、体液などを採取してある
組織に帰って調べれば どこの誰かはすぐにわかるだろう
元々、3ヶ月の予定だったし、ミカエルなどはそれより半年も前に潜入して調べていたのだ
早すぎるということはない
何より、こんな場所
たしかに長居したいとは思わなかった

それから2時間後、
幹部全員が集まる進化会議が行われた
進化って何だろう、と思っていた蒼太は、アレフや他の幹部と一緒に暗い一室へと入った
会議というから 広い部屋で椅子にすわって話をするのだと思っていた蒼太は、少し驚いて辺りを見回す
隠し扉のパスワードを入力し、中へ入った皆の前には 1人の少女がいた
金の髪に、青い目
全裸で 背のあたりから黒い布をかけられて 床に転がっている

「・・・・?」
全員が中に入って その少女を囲むようにすると、暗かった室内に灯りがつけられた
クリアに視界に飛び込んでくる その姿
入信の儀式の際に一度見た、あの聖女にそっくりだった
(え・・・?)
困惑を顔に現わしたのは、蒼太とアレフだけだった
「ナンバー18660の羽は黒く、形も形成されずこのように動かすこともできません」
淡々と説明するのは、初老の幹部の秘書だった
床に転がっている少女の肩にかかっている黒い布のようなもの
明るいところで見たら、それは肩あたりの肉を突き破って生えている羽のようにも見えた
2枚の布が長く垂れているような形をしているから、とうてい羽とは呼べないけれど
動かすこともできず、少女はぐったりと その黒い羽の下に横たわっているだけだけれど
「前回 新しい薬を投与すると言っていなかったか」
「それはナンバー18650です」
「それを見せたまえ
 こんな不出来なものは処分してかまわないだろう」
「しかし羽以外はうまくいっているな
 一体何が足りないんだ」
「人体の形成はもはや失敗することはありません
 羽の部分の色が変化する原因は移植に使用した鳥のDNAに問題があるとまではわかっていますが」
ついていけない蒼太の周りで会話は進む
ゆっくりと部屋の奥へと歩を進めながら 幹部達は淡々と話している
「開発を急ぎたまえ
 あれの寿命は短い
 莫大な費用をかけているんだ、もう少し成功率を上げてほしいものだ」
奥には別の少女がいた
聖女と同じく、金色の髪、青い目
だが、その表情は苦痛に歪み 背から生えた羽はまるで骨が突き出たみたいに堅くていびつな形をしていた
大きさも、人間の指くらいしかない
「ナンバー18650です
 先週 新薬を投与しましたが変化はありません
 羽毛のようなものが2日前に2.3枚現れましたが 4時間ほどで落ちました」
背が痛むのか、
苦痛に顔を歪ませた少女は、爪で床をひっかきながら声もなく身を丸めている
(これがこの教団の実体・・・?)
気分が悪くなった
神秘の聖女は、ここでこんな風に科学と実験の繰り返しによって作られていたのだ
そのために何人もの少女を犠牲にして、
こんな風に、まるで神や祈りや信仰とは関係ないところで 作られていた
「次はナンバー18211です」
「ああ、あの育ちの遅いあれか」
「見た目はようやく他のものと並びました
 ただ、これは中身が生育しきっていません」
「中身など多少足りなくてもかまわない
 羽は ?」
「昨日、種を植えたところです
 変化期に入りますから少し気性が荒くなっております、近付かないようお願いします」
今度のは、透明なガラスケースに入れられていた
背に赤い穴のようなものが2つ開けられている
目を見開いて、近付いてきた男達に歯をむき威嚇する様子は 聖女とは程遠かった
まるで獣みたいで
まるで気の狂った何かのようで
先へ進めば進むほど、
そこには、異形のものがいた
「こちらは羽の組織がうまく形成できず崩壊寸前です
 このまま回復しないようでしたら、今夜処分します」
水溶液に浸された少女は、赤黒い肉の固まりのようなもののを背負っているような姿だった
それの前では、何人かの幹部が顔を背けてあからさまに嫌そうな顔をした
こんな風に、人のクローンを作って、さらにそれに羽を植えつけ天使のような姿にして人々の心を掴むものを作り上げている
世界平和が聞いて呆れる、と
蒼太は吐きそうになるのを必死でこらえながら 皆の後をついて歩いた
宗教とはけして相容れない科学の世界に属するものが、こんな教団を運営しているなんて
まるで人をバカにした茶番のようだと、思った
この世界は本当に、狂っている

部屋の一番奥には、聖女そっくりの少女がガラスの棺に入れられて並んでいた
背に羽も生えている
これが 成功例か
多大な犠牲の上に成り立つ、虚偽のシンボル
「8体か」
どれもこれも、目を閉じて ぴくりとも動かない
まるで死体が並んでいるように見えた
彼女達に、思考する力はあるのだろうか
蒼太に入信の儀式を行った聖女は言葉を発した
あんな風に、目を覚ませば 話し、笑い、その目で世界を見るのだろうか
それとも、決まった言葉しか話せないような まるで人形のような存在なのだろうか

(・・・クローン・・・)

以前、仕事で関わったヒトのクローンを思い出した
アレックスとケイは自分の意志で思考し、行動し、死を選んだ
ヒトクローンを作ることを良しとしないのだと、彼らは言い
作った者たちも、仲間ももろとも抹殺した
人に代わりなどいてはいけないのだというあの言葉は、ずっと心に残っている
人が人を作るなど、してはいけないと 彼等は自分で考えそう答えを出した
あの時は、二人の言葉に実感がなかった
クローンといえども二人の身体は温かかったし、人と同じよう話し笑い考え行動した
どんな風に作られて、どんな犠牲を払ってきたかなんて考えもしなかった
今、それを目のあたりにしてようやく理解した
こんなこと、あってはならないのだと
二人が死を選んだ意味がようやくわかった
やりきれないくらい、悲しくなっていく
作られた命に、何の罪もないのに
アレックスやケイのように心を痛めて死を選んだり、ここの聖女達のように痛みと苦しみを伴う処置をされ続けたり
(痛みを知らない人間は人を簡単に傷つける)
吐き気と一緒に怒りのようなものが込み上げてきた
取り込まれそうになる、この感情に
冷静でいなければならないと頭ではわかっているのに
自分のすべき仕事に、クローン達の感情や命は関係ないのだとわかっているのに

「ゼロ、書類を」
思考に取り込まれそうになった蒼太を 現実に引き戻したのは鳥羽の声だった
はっとして、見遣ると こちらに書類を差し出している
「申し訳ありません・・・」
慌てて、それを受け取った
鳥羽の目は厳しくて、その冷たさは蒼太の熱くなった頭をすっと冷やしていく
(ダメだ・・・感情移入するな・・・っ)
必死に心を閉ざした
書類の文字を睨み付けるようにして、テレーゼに受けた訓練を思い出す
鳥羽の相棒として並んで歩けるよう、甘さを消して自分の感情をコントロールできるように辛い訓練を受けてきたのだ
ここで飲み込まれてしまっては意味がない
自分はいつまでたっても、半人前のままだ
「ナンバー18663は破棄で宜しいでしょうか
 18650はもう少し経過を見ます」
「いや、あれも破棄でいい」
「他の方の御意見は」
「破棄でかまわんだろう」
「私も異存はない」
淡々としたやりとりは続いている
書類のナンバーに破棄と書き込みながら 蒼太は必死に気持ちを落ち着けた
考えてはいけない
今はだめだ
自分の役割だけ、果たしていればそれでいい

部屋に戻った蒼太は、冷たいシャワーを浴びると さっきまでつけていた指輪とPDAを繋いだ
この教団に潜入する前に この指輪には小型のカメラを取り付けた
それで教団内部の様子を撮り続けて、さっきの少女達の映像も これに記録されている
PDAに転送される画像を見ながら ざわつく気持ちを押し殺した
もうすぐここでの仕事も終る
得た情報を持って脱出すれば、こんな場所とは縁が切れる
可哀想な少女達のことも、遠い世界のこととなる

脱出の日は、すぐにやってきた
朝方、まだ日が登る前に 幹部しか利用できない通路を使って外に出る
約束の時間に現れたのは、鳥羽と蒼太、そしてミカエルの相棒の男だけだった
「ミカエルさんは?」
「時間は伝えました
 おくれるような人じゃないのに・・・」
心配気に通路の向こうを見ながら言った男に、鳥羽は時計が約束の時間を指したと同時に顔を上げ 通路を開くキーを差し込んだ
この鍵を持つものしか ここを通れない
ミカエルは幹部ではないから、今を逃せば、こから出ることができなくなる
一度、脱走者が出た後では警戒も一層厳しくなるだろうから この後1人で脱出するのはますます難しいだろう
「待って下さい、鳥羽さん・・・っ」
非情に、ミカエルを置いて行こうとした鳥羽に 男が悲壮な顔で懇願した
「もう少しだけ・・・待ってくださいっ」
言う間にも、時間はどんどん経っていく
「俺、ミカエルを探してきます
 だから少しだけ・・・待ってください」
男の言葉に、鳥羽は呆れたような顔をした
「お前も甘いな
 ここに来ないことがどういうことか、あいつも分かってるだろう
 待つ必要も探す必要もない」
その言葉に、蒼太は優し気な顔をしていたミカエルを思い出した
優秀で、僅か半年で難関と言われる試験に合格して聖女付きになったほどの男
鳥羽と同期で、組織でも上位に位置する人
鳥羽が信頼して仕事をまかせるような人
そんな人が約束の場所に来ないなんて 何かあったに違いない
来たくても来れない状態なのかもしれない
ここに来る途中、誰かに見つかって足留めされているとか
「鳥羽さん・・・僕からもお願いします」
もし、これが自分でも 鳥羽は容赦なく置いてゆくのだろう
組織では、失敗も敗北も許されない
どんな時も仕事を成功させなければならない
遅れた仲間を待つことも、許されない
「お願いします」
鳥羽の計画は完璧だ
退路は俺が確保する、と言った言葉通り 自分で幹部に成り上がり 自由に外に出る術を手に入れた
この時間なら、誰にも邪魔されずに消えることができる
この教団で過ごした生き証人として
この教団に隠されていた秘密の文書や映像を持って
「ゼロ」
咎めるような鳥羽の言葉に 蒼太はそれでも食い下がった
「お願いです・・・鳥羽さん・・・っ」
ミカエルのように、優秀な人間になりたいと思っていたからこそ
そんな彼が、ここで失われるのは嫌だった
彼の相棒である男も、必死に鳥羽に頼んでいる
今にも探しに走っていってしまいそうなその男の様子に 鳥羽は大きく溜め息をついた
「30分時間をやる
 ただし、探しに行くのはゼロ1人だ
 お前の方が捜せる範囲が広い
 どこをうろついていても咎める人間は少ない
 30分で戻らなかったら お前もろとも置いていくからそう思え」
言った鳥羽の言葉に、蒼太は頷くと ポケットのPDAを鳥羽に預けた
もし、自分が何かで戻れなくなってもデータだけは鳥羽と一緒に外に出る
そう思っての行動に、鳥羽がまた呆れたような顔をした
「ミカエルさんの部屋は西の祭壇のある棟です」
ミカエルの相棒の言葉に頷いて、そのまま廊下を駆け出した
頭の中で、30分のカウントダウンが始まる

最初に探したミカエルの部屋に、彼はいなかった
そのまま、廊下を走って 聖女付きの者達が聖女とともに祈りを捧げる祭壇へと向かう
蒼太は入ったことのない祭壇の重い扉を開けると、中にはいくつものかがり火がたかれていて、空気は不思議と冷たかった
ざっと見回しても、彼はいない
そのまま反対側のドアから駆け出して、さらに奥へと向かった
知識だけで知っている この先には聖女が身体を休めるといわれている泉があるはずだ
「どちらへ行かれるのですか」
泉への扉の前には 番人が二人立っていた
駆け寄って、左手の袖に隠していたスタンガンで気絶させた
驚いたように立ちすくんだもう1人にも同じ様にする
話して扉を開けてもらう暇はなかった
立ちはだかるものは こうやって眠ってもらうしかない
(どこにいるんだ・・・っ)
重い扉を開けた向こうは、広い部屋
さらに奥の扉を開けると、ザーザーという水音が聞こえて 部屋の中央に噴水のようなものが見えた
そして、その向こう
流れる水の向こう側に、美しい白い羽を持つ聖女が立っていた

「まさか、迎えに来るとは思ってなかったよ」

一瞬 聖女に見とれていた蒼太は、はっとして我に返った
そこには いつもの穏やかな顔をしたミカエルがいて、困ったように苦笑して蒼太を見ている
「ミカエルさん・・・っ、何して・・・」
約束の時間はとっくに過ぎているのに、と
言いかけた蒼太を制して、ミカエルは柔らかく笑った
「私はここに残ることにしたんだよ
 ゼロ、君はすぐに戻って祐二と一緒に脱出しなさい」
その言葉はとても意外で、蒼太は瞬時には意味を理解できなかった
「え・・・?」
「よく、ここに来ることを祐二が許したね」
驚いたよ、と
言うミカエルの顔は穏やかで、
あんまり呑気だから 逆に蒼太の中に怒りに似たものがフツフツと沸き起こってきた
「そんなことを言ってる場合ですか?!
 皆待ってるんですっ、早く来てくださいっ」
「だから、今言っただろう?
 私はここに残るって」
それで、ようやく蒼太はミカエルの言っていることを理解した
ここに残るということは、この教団で生きていくということだ
仕事で潜入したこの場所に残り、組織も相棒も今までの生活も全て捨てるということだ
「そんな・・・」
どうして、と
困惑した顔をした蒼太に ミカエルは微笑した
「聖女付きになって祈るうちに、私は聖女に取り込まれてしまったんだよ」
その目は切なくて、何か悲痛なものを隠しているように思えた
「何を言ってるんですかっ
 聖女なんていないし、この教団は元々は1人の男が金もうけのために作った架空の教団だったんですよっ」
大昔の文書に書かれていた真実に、鳥羽は宗教なんてこんなものだと言っていた
ある1人の男が架空の教団を作り、信者から金を巻き上げようと考えた
そうしてまんまと、20年もの間 信者を騙し金を巻き上げた挙げ句、
あまりに教団が大きくなりすぎて さばききれなくなり、男が逃亡して この教団は一度終わった
その後を継いだのが 今の科学者集団
宗教とは全く相容れない科学を信仰する者達は、宗教を利用して自分達の研究を続けた
クローンを作る資金を信者達の寄付でまかない、信者を増やすため 聖女を作り上げて祭り上げた
そうしてもう何百年も この教団は続いている
何人もの犠牲を出し、逃亡者を抹殺し、
神になったつもりで この狂った世界に君臨している
「目を覚ましてくださいっ、ミカエルさんっ
 聖女なんていないし、これは宗教でも何でもないっ」
祈ったって世界は変わらないし、祈りの力が聖女を生かしているのでもない
ここにいるのは 可哀想なクローンで
彼女達は、自分の意志でここにいるのでもなければ、何か奇跡を起こす力を持っているのでもない
「知ってるでしょう?!
 あなたも僕も、真実を知ってる
 なのに、どうしてここに残るなんて言うんですかっ」
理解できなかった
一緒に潜入して その身を危険にさらしながら一緒に仕事をしていた相棒を捨てて
彼を信頼して仕事を任せていた鳥羽を裏切ってまでして
どうして
「言っただろう?
 私は聖女に取り込まれてしまった」
彼女の側を離れたくない、と
その言葉に泣きたくなった
仕事に感情移入は御法度だ
何度も何度も鳥羽にそう言い聞かされている
組織で上位にいるミカエルが、今さらそんな基本を忘れたというのか
聖女に感情移入して、ここに残ると言っているのか
そんなの、許せなかった
この人のように 仕事ができるようになりたいと思っていたのに
「こんな偽者の聖女に・・・っ」
悔しさと怒りがぐるぐるとこの身を満たしていく
どうしようもなかった
時間はどんどん迫っている
こうしている間も、鳥羽は待っていてくれているのに
「偽者でも、作られたものでも、彼女は確かに存在する
 無垢な魂でここにいる
 私は、入信の儀式を受けた時に、聖女に堕ちてしまったんだ
 そして、その時抱いた想いは、真実を知って一層深くなってしまった」
悲しくなるような言葉だった
ここで知り得たことは、4人全員が共有している
たとえ何かの事故で全員が戻れなくても 1人でも生還できれば仕事は成功するように
だから、鳥羽と蒼太が見たあの聖女を作る実験のことを ミカエルも知っているのだ
知っていてなお、ここに残ると
この聖女の側にいたいと、言うのか
「私に入信の儀式をした聖女は、君と祐二がここに入ってくる前に寿命が尽きて死んでしまったんだよ
 今いるこの聖女は、また別の固体だ
 私は聖女付きになって 聖女にはストックがいることを知った
 他の者は騙せても、私は気付いてしまった
 最初の聖女と今の聖女は違う固体だと、わかってしまった」
だからこそ、自分が死ぬまで、彼女を見守っていたいとミカエルは言った
「彼女の生を見届けたいんだ」
そして言葉を切った後、ミカエルは愛しそうに そこにただ立っているだけの、人形のような聖女を見つめた
愛しいものを見つめる目
彼は全てを捨ててでも、得たいと思ったものを見つけてしまったのだ
こんな人間には、もう何を言っても無駄な気がした
「私は組織のことを忘れる
 だから、さぁ早く、君は行きなさい」
促すように扉を示すミカエルに、蒼太は言葉を飲み込んだ
脳内のカウントが20分を告げた
戻らなければ、自分も置いていかれてしまう
「僕は、あなたのような人になりたいと思っていた
 鳥羽さんが信頼して仕事をまかせるような そんな優秀な人間になりたいと思った
 ここで仕事をするあなたを尊敬していた
 でも、今は違います」
ぎっ、とミカエルを睨み付けて 必死に怒りを抑えようとした
でもできない
裏切られたようなこの思いを どうやって処理したらいいのかわからなかった
「僕はあなたを軽蔑します」
そう言ったら、ミカエルは穏やかに微笑して、
なぜか言った蒼太の心がぎゅっ、と痛んだ
「理解して欲しいとは言わない
 ただ、私は聖女に出会えて幸せだ
 私はようやく、生きているんだと思えるから」
いつか君にもわかる時がくるかもしれないよ、と
その言葉に また怒りのようなものが胸に生まれた
「僕は・・・っ」
言いかけて、言葉をつまらせた
前にも、一度 こんな台詞を聞いたことがあったのを ふと思い出す
一人前になるための試験で潜入した刑務所にいた美しい女
紅鈴という名のその女は、病んだ故郷を見ていられないと言って組織を抜け 新種の麻薬を作って故郷にばらまいた
組織で得たものその他一切を捨てて、故郷を選んだ女
最後に、私の罪は何と言って死んだ
彼女を思い出して、蒼太は唇を噛んだ
わからない
彼女の言っていた言葉も、ミカエルの選んだ道も
「さぁ、行きなさい」
その言葉に、蒼太はもう一度だけミカエルを見て その後無言で身を翻した
ミカエルは、最後まで笑っていた
穏やかで優しい笑みが、脳裏にやきついて離れない

脱出は簡単だった
通路を通って抜けた先には 組織の迎えが待っていて 蒼太達はその車に乗るだけでよかった
「すみませんでした」
ぽつ、と
誰へともなく謝った蒼太に 鳥羽が苦笑してその手にPDAを返してきた
見遣ると、煙草に火をつけながら 窓を開けている
その目はいつも通りだったし、不機嫌な様子でもなかった
「まぁ今回はいい勉強になったな」
そう言いながら、流れていく景色を見ている
前の座席では、ミカエルの相棒が始終俯いて何かを考えているようだった
「勉強・・・?」
「来ない奴を待っても、探しても無駄だってことだ」
冷たいような鳥羽の言葉に 蒼太は無性に悲しくなって俯いた
「まさか、残るなんて思いませんでした」
あんな優秀な人が
鳥羽が信頼して仕事を任せる人が
「一つ お前は大きな勘違いをしてる
 俺は誰も信用してない、仕事をする時はいつも1人だ」
鳥羽の煙草の煙が 窓の外に流れていった
ドクン、ドクン、と心臓が鳴る
「お前に教えただろう? 
 人は裏切るものだ、信用するな
 仕事に入ったら、いつも1人だと思えって」
その言葉は、何度も何度も聞いた
理解していたつもりだった
ミカエルが戻らなくて、こんなにもショックなのは 理解していたつもりで全くわかっていなかったということか
同じ組織の人間でも、信用してはいけないと そういうことか
「他人は自分じゃない
 何考えてるかなんてわからないし、何に心を動かされるかもわからない」
今度はしっかり覚えておけ、と
言われて 蒼太はうつむいて はい、と答えた
胸が苦しい
鳥羽は、ミカエルが約束の時間に来なかった時にわかっていたのだろう
彼がここに残ると言い出すことを
ここで何かを得て、自分達の理解できないところへ行ってしまったことを
だから、言ったのだ
待っても、探しても、無駄だと
「あの人がわかりません」
「他人のことなんてわかってたまるか
 目覚めちまったものはしょうがない、そこでさよならだ」
鳥羽の言葉に、蒼太は膝の上でぎゅっと拳を握りしめた
やりきれない気持ちのまま、教団は遠ざかり、聖女もミカエルも遠い世界のものとなった


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