ZERO-9 紅ヘヴン (蒼太過去話)


東の大陸の刑務所内にいる人間から 新種の麻薬の調合方法が記録されたチップを受け取ってくること

それが、次の仕事内容だった
「これはお前が一人前になったかどうか組織が判断する試験みたいなものだ
 制限時間は2ヶ月
 おまえは、刑務所のスタッフとして潜入しろ」
一枚の身分証明カードが渡されて、蒼太は不安気に鳥羽を見上げた
ここは東の大陸の、山奥に位置する空港
二人は今、現地についたばかりだった
「鳥羽さんは・・・」
「俺は適当にフォローしてやるが、まぁ基本的にはお前の仕事だと思ってやれ
 それと、仕事に入るのは2週間後だ
 2週間 特別授業をしておいてやる」
言う鳥羽は 携帯を弄りながら誰かの電話番号を探している
ここでも、たくさんいる恋人と会ったりするのだろうか
仕事に入る前の鳥羽は、仕事中とは別人のように よく喋る
今も どこかに電話をかけながら何かの約束を取り付けている
(・・・試験・・・)
そっと息を吐いて、蒼太は手元の資料を見つめた
今まではずっと、鳥羽の仕事について歩いていただけだった
鳥羽の仕事のやり方を見て、彼に指示された事だけやって、
合間に 色んなことを教わって、世界中を歩いてまわる
そんなのが1年続き、そろそろ教育期間が終るのだ
この仕事を成功させたら、組織に一人前と認められ 鳥羽の役に立てるようになるかもしれない
そう考えて 蒼太は気を引き締めた
自分の仕事ということは、ささいな判断ミスが命とりとなるということだ
鳥羽は一緒に潜入しないと言うから、現場で動くのは自分ひとり
そのプレッシャーに じわじわと身体が熱くなった
このあいだのようなヘマは許されない
鳥羽は助けに来てくれないし、援軍をよこしてもくれない
(でも・・・)
かなりのプレッシャーがあるけれど、それでもいつもいつも、新しい仕事が始まる時に胸が騒ぐのと同じく
今も まだ見ぬ世界に期待が込み上げてくる
たまらない感覚に、陥っていく

この国は、奥の山岳地帯には未だ人の手が入っておらず、中央の都市部は急速な成長を遂げていた
大量の人口を抱える経済状況は ここ2.3年ずっと右肩上がり
外国企業の進出も増え 工業の発達が急速に進んでいる
「表側が潤ってたら、裏側は大抵ボロボロになってるもんだ」
鳥羽は、先ほどショップで買ったプレゼント包装された箱を手で弄びながらつぶやいた
「短期間でこれだけデカくなった国の裏で、犠牲になったものが多くある
 ま、そこらへんのお国事情も勉強しとけ」
言って その箱を蒼太へよこした
「・・・?」
「プレゼントだ」
「僕に、ですか・・・?
 開けていいですか」
「開けなきゃ使えないだろ」
わざわざプレゼントのリボンがかかっているから てっきりこの国にいる恋人宛のものだと思っていた

箱をあけると 中には銀色のジッポライターが入っている
意図を測りかねて鳥羽を見つめると、彼は笑って言った
「おまえにやるよ、それ」

煙草は吸わないんですけど、と
思ったが 言わないでおいた
鳥羽はたまに、買ったものを蒼太にもくれる
土産という名目で買い物をしているのだと思っていたから 最初は少し驚いた
だから聞いてみたのだ
なぜ、買うのかと
なぜ、くれるのかと
「買うのは気分がスカっとするからだ
 あるだろ?買い物依存症ってやつだ
 誰かにくれてやらないと 持ちきれないじゃないか
 こんなもの、置いておく場所がない」
鳥羽は笑っていたけれど、その時 蒼太はなんとなく理解した
組織でかなり上位に位置する鳥羽のような男でも、
常に冷徹に仕事をこなす男でも、
どこか精神に無理をさせているのだ
酒に逃げたり、女で発散させたりできる者はそうしている
金は腐るほどあるのだから、賭け事だっていくらでもできる
律せない者は 麻薬に溺れていったりもする
鳥羽の場合 その方法が買い物なのだ
目に留まったものを手に入れていく行為
支配欲を満たすかのように、そうやって金を湯水のように使って 正常を保っている
(僕は・・・どうやって保っていくんだろう・・・)
その時に 鳥羽が言っていた
何でもいいから、自分の発散場所を見つけておけと
どこか壊れている者ばかりが集まる組織
正常な感覚で こんな仕事ができるわけがないのだから当たり前だと思う
だからこそ、
正常に近い状態を常に保つための方法を探して 皆 自分で調整しているのだ

鳥羽はその日の午後、蒼太をつれて山奥の隔離された施設へとやってきた
辺りに人の影はなく、異様な空気が漂っている
「ここは・・・」
「ここでお前は2週間、ひたすら牛の処分をするんだ」
煙草に火をつけながら鳥羽はいい、その意図を図りかねた蒼太の前に 職員の男が現れた
「どうも・・・鳥羽さん」
「急にすいませんね
 こいつがゼロです、2週間お願いします」
どうやら、この施設自体は組織の息のかかった場所のようだ
裏の広い道路に面した広場には、牛が続々と運び込まれて杭に繋がれている

結局、鳥羽は蒼太を送ってきただけで、そのまま帰っていってしまった
残されて、途方にくれる
ここでひたすら2週間 牛の処分をしろと言われたが、それは何の役に立つのだろうか
職員の男は、戸惑って立ち尽くしている蒼太に、巨大なナイフを手渡した
「・・・」
蒼太は、この国の言葉をまだカタコト程度しか話せない
ヒアリングも半分くらいしかわからないから、できれば英語で話してほしかったけれど、こんな田舎の牛を相手にしている職員ではそうもいかず、困ってしまう
これからどうしたらいいのか聞きたくても、うまく聞けない
だが、鳥羽から言い含められているのだろう
職員のほうはためらうことなく、立ち尽くしたままの蒼太の腕を取ると ずんずんと広場の方へ歩いていった
牛の声が近くなってくる

その日、蒼太がやらされたことは、鳥羽の言ったとおり 牛の処分だった
作業服に着替えて手袋をはめて、小さな銃で牛の眉間を撃ち抜き殺し、その後 渡されたナイフで牛の首を切り落とした
足を吊り逆さにして血を抜きながら、皮をはいで尻尾を抜き取り、内臓を抉り出して縦に真っ二つにする
最初の1頭 職員がやるのを見せられて唖然とした
内臓と血の匂いが辺りに充満するのに 吐き気がこみ上げてくる
1頭処分するのに30分ほど
あっという間だった
立ち尽くす蒼太の前に 新しい牛が連れてこられる
しぐさで、やれと言われて 息を飲む
弾の入った銃を渡され、仕方なく 唇を引き結んで眉間を狙った

一瞬で牛は死ぬ
倒れた牛から頭を切り落とすと 血がどっと流れて蒼太の手を血まみれにした
(・・・・・)
何も、考えられなかった
教えられた通りに牛を逆さに吊るして、ナイフ一本で皮をはぐ
さっきまで生きていたものの まだ血のしたたるものにザクザクとナイフをいれて皮を手でつかんで剥ぎ取っていく
そのたびに、顔や手に血が飛ぶ
気分が悪くなる匂いが絡み付いてくる

蒼太が1頭処理し終えたのは その日の夜だった
「明日から1日に10頭の牛を処分してもらいます」
職員の言葉に 返事をする気力もない蒼太は 血の匂いのたちこめる作業場でしばらく呆然と立ち尽くしていた
あの生臭い匂い、肉の色、牛がバラバラになっていく様子
作業場の隣にある広場から聞こえる牛の声が、耳にこびりついて消えない
職員の言葉で理解できたのは、「明日」「10頭」だけだったけれど それで充分理解できた
あんなことを、明日から10頭分もやらなければならないのか

ようやく動けるようになって あてがわれた部屋でシャワーをあびて着替えた蒼太は 職員に呼ばれて下の食堂へやってきた
食事の用意のされている席には いつのまに戻ってきたのか鳥羽もいる
「悲壮な顔してるなぁ」
その言葉に、蒼太は眉をしかめてその向かいに座った
「・・・あんな風に解体するんですね・・・」
「あれは病気の牛だ、お前みたいなのの訓練のためにつれてきてる」
「何の・・・訓練なんですか」
「次の仕事は人を解体する
 牛で慣れておけってことだ」
「人を解体・・・?!」
思わず吐きそうになって、蒼太は慌てて口を手で押さえた
じわ、と涙目になる
これから2週間も あの作業を1日10頭分やるというだけで気がめいっているのに
最終 やらなければならないのは人の解体だなんて
「銃で殺すだけなら誰だってできるけどな
 死んだ人間をバラバラにして、内臓を引きずり出してその中から小さなチップを探し出すなんてことは、それこそ慣れてないとできない
 慣れてないとな」
鳥羽の吸うタバコの煙が 妙に心地よかった
あの生臭い空気が この施設全体に溢れている気がして、
外も中も、血や内臓の匂いを思い出させて いるだけで気持ちが悪かった
人口的な、強い香りが 唯一心を落ち着ける
「さて、そんな顔してないで飯を食えよ」
言う間に 職員が大きな皿を持ってきてテーブルに置いた
食べる気分じゃないと言おうとして、蒼太はその皿を見遣り 一瞬で言葉をなくした
肉、肉、肉、肉
テーブルの上には 肉ばかりが並んでいる

「・・・っ」
吐きそうになった
思わず席を立とうとした蒼太に 鳥羽の厳しい制止の声がかかる
「ゼロ、座れ」
びく、と
立ちかけていた蒼太は、鳥羽を見つめて それから座った
震える
見るだけで吐きそうになる肉、肉、肉
血の残ったステーキや、焼肉にする前の生肉のスライス
その他にも山ほど、肉料理が並んでいる
「食えよ」
まるで、言い訳その他一切 許さないと言うかのような厳しい言葉だった
震える手でフォークを持つ蒼太の前に 真っ赤な血のしたたるステーキが置かれた

結局、
どれだけ必死に 感情を殺して意識をそらせても、肉は生理的に受け付けなかった
口に入れた途端 今まで気になったことのない匂いに拒絶反応が起こる
さっき、この手で皮をはいだ赤い肉
臭い血をしたたらせて足元にボトボトと落ちた内臓
それらを思い出して、吐き気をこらえることはできなかった
5分も、座っていられなかったと思う
目をとじて息をとめ飲み込んだものも、
肉が自分の体内に入ったと思うだけでダメだった
鳥羽に制止されても堪えきれず そのままトイレに駆け込んで全部吐き出す
飲み込んだものも、吐いて吐いて吐いて
胃の中がカラになるまで吐き続けた

もちろん、途中で席を立ったことも、食べろと言った肉を食べられなかったことも、鳥羽は許してはくれなかった
戻ってきた蒼太に無言で立ち上がると その腹を思いっきり蹴り飛ばす
「ぐ・・・っ」
がくん、と膝をつき 鳥羽を見上げるとバチバチと火花を散らすスタンガンが向けられていた
痛みを、覚悟した
瞬間 スタンガンが突きつけられた肩から流れる強い電流が 蒼太を打ち倒す
痛みと熱で、どうにかなりそうになりながら、蒼太は必死に悲鳴を堪えた

床に崩れて呻いている蒼太に冷たい一瞥を投げかけ、鳥羽は煙草の火を消すと言い放った
「2週間で ここのもの全て食い終わっておけ」
出来てなければ 今度こそ見放すぞ、と
その言葉だけを残して鳥羽は去ってゆき 蒼太は食堂に一人残された
テーブルいっぱいの肉
そこにあるだけで気分が悪くなる
匂いも、見た目も、受け付けない
それでも、2週間以内に全て食べなければ 自分はもうおしまいだ
鳥羽の怒りを買ったまま、許してもらうこともできず捨てられるのだ
2週間で、見るのも無理なこの量を

泣きそうになった
痛いのも、苦しいのも我慢できる
でも、こんなのは どうやって克服すればいいのだ
匂いや視覚なんて どうやってごまかせばいい
どう堪えればいい
結局、その夜 一晩中 その料理の側で過ごしたけれど、一口も食べることはできなかった
不安と絶望が ぐるぐると渦をまく

次の日から、蒼太は1日10頭の牛を解体した
朝早くから初めても、なれない作業に1頭につき2時間くらいかかり、終るのはいつも深夜だった
身体に染み付いた血の匂いが嫌で、作業の後 真っ先にシャワーをあびて着替えをした
今眠っても、3時間くらいしか眠れないのに
この上に、あのテーブルに並んだ肉を食べなくてはならない
(・・・無理・・・)
ベッドにうずくまって 蒼太は自分の身体を抱いた
どこにいても あの血と内臓の匂いがつきまとう
シャワーを浴びても、着替えても、まだ取れない気がした
気分が悪くて吐きそうだ
呼吸するのも嫌になる
「無理・・・絶対無理・・・」
震えながら 蒼太は鳥羽のくれたジッポをぎゅっと握り締めた
あのまま、鳥羽は姿を見せない
またここに一人置き去りかと思うと、泣きそうになった
あんな風に この手で牛を解体した後 あんなもの食べられるわけがない
生理的に受け付けなくなっているものを、どうやって飲み込めばいいのだ
血のしたたるようなステーキなんて 見ただけで、考えただけで吐きそうになる
「鳥羽さん・・・」
ぎゅっと目を閉じて、必死に考えないようにした
押し殺して、何も見ないで、何も感じないで、牛も肉も、ただのモノだと思えばいいのだ
何かを感じる部分を麻痺させてしまえば あんなこと何でもなくなるはずだ
牛を殺しても、肉を食べても自分は痛くもかゆくもないのに、なぜ人は こんな風に弱いのだろう
自分の身体が傷つけられた方がマシだなんて、
こんなことを思うのは きっと人間くらいのものだ

3日目、1頭に2時間かけて解体したあと、蒼太は食堂に下りてきた
誰もいない広い部屋に 料理の乗っているテーブルがある
あのときのまま
鳥羽が去ったときのまま片付けられていないのか 灰皿も 煙草の吸殻もそのまま置いてあった
料理だけが、痛んだものが捨てられて わざわざ新しいものが置かれている
(・・・)
フォークを持って、ステーキをひとかけら 口に入れた
息を止めて飲み込むようにして、その後グラスの水を飲み干す
それでも、口の中に生臭さが広がっていく
泣きたくなった
ただ、食事をすればいいだけなのに、こんなにも辛い
呼吸もしたくないくらい、ここに充満する匂いが嫌だ

2時間かけて、結局蒼太は ステーキを3切れ食べただけだった
あと1時間ほどで、また一日が始まる
牛を殺す一日が始まる
「鳥羽さん・・・」
つぶやいて、蒼太は未だたっぷりと料理の並んだテーブルの上を見遣った
彼の座っていた椅子、使っていたグラス、灰皿、そして煙草
「・・・」
そっと、その煙草の箱を手に取ってみる
鳥羽が忘れていったのだろうか
いつも彼が吸っているもの
1本取り出して、鳥羽がくれたジッポで火をつけた
灰の奥まで吸い込んで白い煙を吐き出す
鳥羽のまとう甘いような、どこかとらえどころのないような香りがする
それを感じた途端、蒼太の目から ボロボロと涙が落ちた
ようやく、
ようやくまともに呼吸できた気がした

次の日も、その次の日も 蒼太は牛を解体した
10日たつ頃には 手馴れてきて作業が早くなっていき、
この頃から 殺すのに銃を使わずナイフで首を落としてやれと言われた
暴れないよう足を縛られた牛の首にナイフを突き立てて殺す
血が顔にかかるのも慣れた
あれだけダメだった匂いも、慣れた
内臓を抉り出して 床にぶちまけ、皮を剥いで真っ赤な肉の塊に変えるのにも、慣れた
淡々と、作業をし、
その後 シャワーを浴びて着替えて、食堂におりてフォークを手に取る
テーブルの上は半分ほど片付けられていて、料理の残りもあとわずかだった
(・・・)
何も考えずに淡々と、それを口に運ぶ
匂いに慣れてしまえば、そこに並んでいる調味料で味を足して誤魔化してしまえる
見た目も、意識を閉ざして口の中に入れてしまえば それですんだ
噛み砕いて飲み込んでしまえば、形などなくなるのだし

それでも、そうとう無理をしているのだろう
自分でもわかっている
慣れればいいという鳥羽の言葉通り 大分慣れた
だが、全く気にならなくなるまで慣れるには時間がたりない
せめて1ヶ月あれば、きっと彼の望むように 平気な顔をして牛をさばき、平気な顔をして肉を食えるようになるのだろうけれど
(鳥羽さん・・・)
煙草の煙を深く吸い込んで、蒼太はぼんやりと宙を見つめた
あと2.3日したら、鳥羽との約束の期日だ
ようやく ここから出られる
血なまぐさい、
煙草を通してでないと まともに呼吸すらできないこの場所から ようやく開放される

綺麗に片付けられたテーブルを見た鳥羽は 側に黙って立っている蒼太を見遣って笑った
「上出来」
そうして、その髪をぐしゃ、と撫でた
許してもらえた
その安心感に 緊張の糸がどっと緩む
「これは土産な
 生臭いもんばっか食ってたから こういうの食いたいだろうと思ってな」
手渡されたケーキの店の箱と、紙袋
「ここの空気は相変わらず臭いよなぁ・・・
 俺も食うから茶いれろ」
椅子に座って命令する鳥羽に 蒼太はキッチンへ向かいながら泣きそうになった
俯いて、必死に堪えて、蒼太はぎゅ、とジッポを握り締める
ケーキの箱と、もう一つ
紙袋には鳥羽の吸っている煙草が1カートン 無造作に突っ込まれていた
(鳥羽さん・・・)
鳥羽は、蒼太のために わざとここに煙草を置いていってくれたのだ
この、呼吸すらままならない状況に陥ることを見越して このジッポも買い与えてくれたのか
鳥羽の香りのするこの煙草があったから 2週間乗り切れたようなものだった
人工的な 生臭い匂いのしないものを介してしか呼吸できなかったここでの日々
本当に辛かった
逃げ出したくなるくらい、辛かった
殺すことに、解体することに慣れても、気分の悪さは拭えなかったから
「俺もなぁ、ここに1ヶ月閉じ込められたことがあってな
 まぁ あん時は地獄だったな、食いもんは肉しかないわけだしな」
蒼太の煎れたコーヒーに口をつけ くく、と笑いながら 鳥羽は煙草に火をつけた
「そん時に煙草を覚えた
 ま、あれ以来 手放せなくてな」
お前はあんまり依存するなよ、と
言った鳥羽に 本気で泣きそうになった
冷たく突き放されても、厳しく躾けられても、
最後の最後で優しいから、蒼太はますます鳥羽を求める
この人についていきたいと強く思う

その日のうちに、蒼太は潜入する刑務所へ行った
挨拶をして、スタッフに紹介された後 寝泊まりする部屋に案内される
もちろん、鳥羽とは別れてたった一人
期限内に、隠されたチップを この刑務所内の誰かの体の中から見つけ出さなければならない
(そもそも、どうして刑務所なんだ・・・
 しかも体内からチップを取り出すなんて・・・生きた人間が持っていたら殺せってこと?)
まさか囚人の身体の中に埋め込まれているのだろうか
それとも、職員の誰かが隠しているのか
「今 この国の裏で流行ってる麻薬がある
 安価で手に入り素人でも手に入れやすい
 そのくせ依存性が強く 使い続けると1週間くらいで コロっといくって話だ
 中毒の期間をスッ飛ばして死ぬんだと
 この国の政府は、それの出所を知りたがってる
 チップは麻薬を作ってる奴が隠したらしいが、まぁそのデータがあれば治療薬も作れるって話だ」
鳥羽はそんな風に言っていた
どこに隠したのかわからないが、どうやらあの刑務所にあるらしい、ということまではわかっている
急激に成長した国の裏側、と
いつか鳥羽が言っていたことを思い出して 蒼太はそっと息をついた

蒼太の刑務所での仕事は、スタッフとして囚人の世話をすることだった
入浴の世話をする時に 一人一人注意深く その身体に傷跡がないか見ていく
チップを埋め込んだ傷痕なら そんなに大きくはないはずだったが、それでも見落とすほど小さいということもないだろう
その身体を拭きながら 不自然な傷を探すこと1か月
全員の世話をしたけれど、結局怪しい傷痕のある者はいなかった
残るは、スタッフの男達とその上司か

蒼太は、同じ仕事の男2人と 同じ部屋で寝起きしていた
常に他人と一緒というのが 蒼太にはかなりの苦痛だったが、仕事だから文句も言っていられない
二人とも、ここでもう5年も働いているらしく、いつもだらしない格好で頭もボサボサで、よく上司と衝突していた
今も、二人して酒と麻薬をやりながら 上司の悪口に花をさかせている
「まぁ、あいつは気にくわないが、報酬がいいからなぁ、ここの仕事は」
新人は続かない奴が多いけどな、と
下衆な顔で笑いながら 二人は窓際の自分のベッドの上で大人しくしている蒼太に目を向けた
「お前は1ヶ月か、よく続いたな」
二人は新人の蒼太をいたぶりたいのか よく仕事を押し付けてきたり、何かと文句をつけてきたりする

新人が続かないのは この二人に問題があるからだろう、と思いつつ 蒼太は曖昧に笑った
こういうタイプの男というのは、どうやれば こっちを気に入ってくれるのかな、と ここのところ毎日考えている
弱者を虐げて喜ぶなら、弱者でいてやるのがいいのか
あまり弱すぎると、軽く見られすぎて逆効果だろうし
かといって、まともに話ができるほど頭が良くはなさそうだから、話して通じる相手ではない
(・・・難しいなぁ・・・)
とりあえず、与えられた仕事は文句も言わずにこなしているし、
部屋では二人の邪魔にならないよう 大人しくしている
酒を盗んでこいといわれれば、厨房に忍び入って盗んできたり、
外泊をごまかせと言われたら、上司の男に口からでまかせを連発して 二人が部屋にいないことをごまかしたりしている
最初は、外国人のガキと かなりひどい扱いだったのが、今は使える便利な奴という感じになっているのか まるで雑用係りにされているようだったが、
元々 蒼太は鳥羽について回る間に鳥羽に言われて色んな雑用をしていたから、そう扱われるのには慣れている
常に相手が求めているものを読んで 先に行動しろ、と
鳥羽からそう教えられたから、そんな風にやっていると 酒に酔った彼らは 気のきく蒼太をなかなかに使えると褒めて喜んでいた
このくらい認めさせれば まぁいいかな、と
最近 蒼太は彼らを酔わせて少しずつここの情報を聞き出している

「ここは女っ気がないからな、外泊でうさ晴らししてないとやってられないんだよ」
昨晩、部屋を空けた男達は、外で仕入れてきた麻薬を吸い込みながら喋りだした
「厨房スタッフも全員男性ですね」
「たまーに問診にくる医者は女だけどな
 色気のない女で、やる気もおきねぇよ」
「あれに比べたら おまえの方がまだ色気がある」
げらげらと笑う男達を見ながら ちょっと嫌な展開だな、と感じた
麻薬で理性が揺れている男二人相手に、どう接したらいいのかちょっと迷う
殴り飛ばして気絶させたら やはりまずいだろうか
明日、きれいに忘れてくれるなんて都合のいいことには、やはりならないだろうか
「僕は男ですから、お相手はできませんよ」
「日本人の男は 男相手にやるのが好きだってよく聞くぜ?」
「同性愛の国なんだろ? 日本ってのは」
(なんて誤解を・・・)
男達は、示し合わせたように 二人して立ち上がると 蒼太のベッドまで寄ってきた
(・・・)
この先の展開が読めてしまう
このまま、抵抗せずにおく方がいいのか、逃げ出した方がいいのか やっぱり判断に迷った
確かに、囚人の中にチップを持っていそうなものがいなかった今 この二人の身体も調べなければならない
麻薬でグダグダになっている所を背後から襲って気絶させ、眠っている間に裸にして調べようと思って
いたけれど、なかなか二人いっぺんに潰れることがなく
それで今まで機会を逃している
仕事の期限に もう1ヶ月を切っているのに
(どうしよう・・・チャンスかもしれないけど・・・)
それにはリスクも大きい気がした
こんな男二人相手にしなければならないなんて
しかも、相手のこの様子からして手加減なんてしてくれそうにない
(どうする・・・)
蒼太が迷っているうちに、男達は服を脱ぎ 蒼太の手足を押さえつけた
結局、蒼太はそのまま 彼らの手を振りほどかなかった

「う・・・、ぐ・・・・っ」
その夜、蒼太は男二人に何度も何度も犯された
口の中に 濡れたものを突っ込まれ、喉の奥を突き上げられると痛みにがくがくと腕が震える
もう一人は、先ほどからずっと 後ろから突っ込んだまま 何度も腰を動かしている
「ん・・う、う」
繋がれた部分が熱くて、痛くて、
ただ突っ込んでいるというだけの、まるで性欲処理の道具扱いに 蒼太はほとんど感じることなどできなかった
ぐらぐらする思考の中で、それでも
それでも必死に 男達の身体に触れて傷を探す
肩、胸、腕、腹、足、首
二人のどこにも チップを埋め込んだような傷痕はない
「ひっ、あぁぁ・・・・っ」
シーツを掴みながら痛みに堪えて、蒼太は中に注がれる熱にぞくぞくと身を震わせた
気持ちよくもないし、心が動くこともない
だが、それでも こんな風にされても、無理矢理 肉を食べている時よりはマシだと思いつつ 男達がこの身体で満足するのを ただ待った
二人の体力が尽きて蒼太を解放するまで ただ耐えた

深夜、汚れた身体を洗うのにシャワーを使った後 蒼太は人気のない廊下を歩いていた
冷たい空気が流れてきている
その空気に、わずかだけ 薬の匂いが混じっていた
「何・・・」
ぞく、と身が震えた
この匂いには覚えがある
独特の、匂いだ
経験した苦痛が、簡単には忘れさせてくれない匂い
(なんでこんなとこでその匂いがするんだ・・・)
辺りを見回して、蒼太は足音を忍ばせて廊下を歩いていった
ここに来て色々と調べまわったから、もうこの場所の造りは頭に入っている
この廊下の先は、行き止まりのはずだったけれど 今まで気づかなかった秘密の扉か何かがあるのだろうか
慎重に、神経を研ぎ澄ませて辺りに気を配りながら 蒼太は廊下の角を曲がった

(見取り図にない区画だな・・・)
角を曲がった先
突き当たりの壁に わずかなくぼみを見つけた
今まで見落としていたのは迂闊だった
まさか、刑務所にこんな秘密の区画があるなんて
(匂いがしなかったら見落としたままだったな・・・)
壁のくぼみを押すと ゴゴ、と鈍い音がしてわずかだけ、
人一人がようやく通れる隙間だけ空間が開き 中に入れるようになっていた
その見取り図にない一角は、後でこっそり増築されたようで、あまりしっかりした造りではない
中に入ると きつい匂いが充満しているのがわかる
(やっぱりこれ・・・毒物だ・・・)
無人の部屋を歩きながら 蒼太は中央に置かれているマシンの前に立った
点滅している画面には、化学式のようなものが羅列している
(・・・これが麻薬の調合データ・・・?)
それにしてはあまりに無防備だ
こんな風にマシンに入れっぱなしにしているなんて
こんな怪しげな部屋に 誰もいないなんて

「・・・っ」

思った瞬間、蒼太の首にチク、と痛みが走った
反射的に振り向くと、そこにはこの刑務所の上司が立っている
「お前は誰の許可を得て この部屋に入った」
冷たい声が響く
しまった、と
まったく気配のなかった男を見ながら 蒼太はガンガンと響くような頭痛に膝を折った
「まぁいい・・・お前もこの毒で死んでいくだけだ
 その身体が金を生む秘薬となる
 喜ばしいことだろう」
震える手で、首に刺さった針を抜く
そのまま 無言で男を見遣ったら 彼は優越感をもって蒼太を見下していた
聞きたいことがいっぱいあったけれど、蒼太の首に刺さった針から流れ込む毒が そうはさせてくれそうになかった
ゆっくりと目を閉じて、そのまま倒れた
男がおかしそうに笑った声が 部屋に響く

鳥羽についたばかりの頃、蒼太が最初に鳥羽から強要されたのが、毒への耐性を体内に作ることだった

毎晩、ホテルの部屋や潜伏先で ところかまわず薄い毒を飲まされた
食べたものを全部吐いて、吐いて、胃液も吐いた
それでも不快感はおさまらず、3ヶ月はそうやって苦しんだ
「吐けるうちはまだいい
 地獄はこれからだ」
涙をにじませながら 毎晩呻いている蒼太に 鳥羽はそう言ったっけ
そして彼の予言通り、身体が毒を受け入れだして吐けなくなってからは、苦しみが更にひどくなった
体内にとどまった毒が じわじわと身体に回ってあらゆる身体機能を犯しだす
全身が痙攣したり、手足に赤い斑点が浮いたり、感覚がなくなってぴくりとも動けなくなったり、死ぬと思うほどの頭痛が何時間も襲ってきたり
声もなく震えて過ごす夜がさらに3ヶ月続いて ようやく
ようやく体内に毒の耐性ができはじめる
フラフラになりながら、たまに鳥羽の気まぐれで毒を強くされたりしながらも そうやって蒼太は世界中を回る鳥羽についてきた
今も、錠剤で毎日毒を服用させられている
耐性があるから、強い毒を飲んでも 出る症状といっても 頭痛か腹痛か、軽いめまいくらいで、弱い毒ならびくともしない
前の仕事で使った催眠ガスの中でも30分ほどなら平気で立っていられるくらい
今の蒼太の身体は 毒に慣らされている

(・・・普通は1時間くらいで死ぬ毒だな・・・)
毒が回ったふりをして目を閉じていた蒼太は、あの男なそのまま引きずられて別室に入れられた
男の足音が遠ざかった後 目を開く
受けた毒は、昔 鳥羽に飲まされていたものと同じものだった
部屋中に漂っていた匂いは、あの忘れもしない苦しみを蒼太にもたらしたものと全く同じ
それなら、受けても平気だった
常人なら、じわじわと毒に犯され1時間後には死ぬのだろうけれど
「ここは・・・どこだろう」
そして、あの施設は何のために作られたのか
上司の男が言っていた
お前はこの毒で死に、その身が金を生む秘薬となる、と
(死体から麻薬の材料を取ってるとか?)
なんてとっぴな話だと思いつつ、
この毒で ここの囚人を殺して その材料を取っているのだとしたら 確かに効率がいいかもしれない

ここで働くうちに あまりの管理のずさんさに蒼太は何度も呆れた
入所した人数と出所した人数、死刑になった者の人数を記録したものが一切なく、
囚人の氏名や情報をかいた書類も あったりなかったり、間違っていたりで全く信用できないものばかりが置いてあるのだ
それに対して、上司は きちんとしようという気がないらしく、
スタッフの男達も もちろん仕事など少なければ少ないほどいいという者たちだったから 
長い間 こんな感じで適当に処理されてきたのだろう
こんななら、囚人が一人消え、二人消えても 誰にも何もわからない

(死体からどんな材料が取れるんだろう・・・)
さっき見たマシンにあった化学式を考えてみた
人を形成する式と そういえば類似しているかもしれない
麻薬には、あまりいい思い出がないから、実はあまり勉強できていない
今回の新種の麻薬ってどんなものだろう
中毒を通り越して死ぬってことは、ある意味毒に近いものなのかもしれない
(毒か・・・・)
首のあたりを そっとさすった
あの針は 吹き矢か何かだろうか
針の飛んできた方向と、男が立っていた場所が少しズレていたな、と思いながら 蒼太は暗い部屋の中 小さくため息をついた
ここから脱出するか、機を見て逃げ出すか、迷っている

1時間ほどすると、蒼太を閉じ込めている部屋のドアが開いた
息を潜ませて ドアの真横で様子を伺っていた蒼太は、入ってきたのが若い女だったのに 驚いて攻撃の手を止めた
てっきり、あの男が来ると思っていた
ぶちのめして、逃げ出して、もう少しこの施設を調べようと決断したから その機をうかがっていたのに
「きゃ・・っ」
危うく その腹に思いっきり蹴りを入れそうになって 慌てて止めた蒼太と
突然暗闇から出てきた 死んだと聞かされている男に襲われそうになった女と
勢い余って 二人して冷たい床に崩れ落ちた
「き、い、い、いや・・・・・っ」
大きく悲鳴を上げそうになった女の口を 蒼太は慌てて塞いだ
腕の下で怯えた目でもがくのに しー、としぐさで示して苦笑する
この女は誰だろう
ここに、女などいないはずなのに

蒼太がこれ以上 自分に危害を加える気がないことが分かったのか、女はしばらくすると大人しくなった
「すみません、驚かせて」
言ってドアを閉め、薄暗い中で二人向かい合う
「あ、あの・・・ここには死体があると聞いて・・・」
「僕はまだ生きてますよ」
さっき、倒れた拍子に 女の持ってきたトレイは吹っ飛び 辺りに転がって 上に乗っていた器具や何かが床に散らかっている
それに視線をやって、蒼太は彼女が何をしにきたのか悟った
あの毒で死んだ蒼太を、解剖にきたのだ
彼女は、スタッフの男達が言っていた「色気のない女医」だろう
「私・・・あの・・・」
おろおろと、女は蒼太をただ見つめるだけだった
長い髪を一つに束ねて 分厚い眼鏡をかけ、ビニールの作業着のようなものを着ている彼女には たしかに色気というものが存在していない
「貴女は何をしにきたんですか?」
「わ、私は・・・その、あの人の命令で死体の死因を調べているだけです・・・」
戸惑ったようにメスやその他の医療器具を拾い出した彼女を蒼太はしばらく見つめ、やがて一緒に器具を拾った
「はい、これ」
「あ、ありがとうございます・・・」
蒼太が差し出すと、女は手を伸ばしてそれを受け取った
細かい傷がたくさんある手
医者も修行時代に、間違って自分の手を傷つけたりするのかもしれない
「私・・・っ、あの・・・戻ります」
蒼太が死んでいないのなら 彼女のすべき仕事はここにはない
一瞬迷って、蒼太は女の腕を取った
「え・・・」
「あの・・・僕、ここのスタッフで明日も仕事なんですけど・・・
 ここから出してもらえないでしょうか」
「え・・・、あ、あなた、ここの方なんですか?」
「はい、あの・・・壁に隙間があいてたので中に入ってしまったんですが、その・・・
 上司の方に見つかって いつのまにかここに・・・」
蒼太の顔を 困ったように見ていた女は、声をひそめて囁いた
「あの・・・私・・・あの方に脅されていて逆らえなくて」
「脅されて、こんなことをしてるんですか?」
「私はただ、ここにある死体の死因を調べろと言われてるだけで何も・・・」
「死因を調べてどうするんですか?」
「え・・・、あの・・・血液をサンプルとして回収して・・・報告書と一緒にあの方に渡します」
それが、何か、と
怪訝そうな、どこか怯えた様子の女に 蒼太は曖昧に苦笑した
(血液か・・・)
毒を飲ませて殺した人間の血を使って、新種の麻薬を作るのか
そのために、ここで人間を殺しているのか
死んでも誰も気にしない、管理のずさんなこの刑務所内で
「死因はいつも、毒物が原因ですよね?」
「えっ?!」
女が、驚いたように蒼太を凝視した
「あなたは どうしてあの男に脅されているんですか?
 僕なら、あなたを助けられるかもしれません」
あの男を捕まえに来た者なんです、と
笑った蒼太に 女は複雑な目で蒼太を見つめた

女は、結局 何も言わなかった
蒼太の言葉を信用しなかったのだろう
(まぁ、口からでまかせだし・・・)
そのかわり、ドアの鍵を開けておくから 勝手に逃げてくれと言って去っていった
女の気配が消えて、辺りが静かになると、蒼太はそっと外に出た
あの毒の匂いは相変わらず漂っている
辺りに意識をやりながら、蒼太は中央のマシンの前に座った
女には、これ以上あの男に関わらないほうがいいと言われたけれど
次 こんなことがあっても自分は助けてあげられないから、早くここから逃げてくれと言ったけれど
こちらも仕事なのだから、ここで何もわからないまま放っておくわけにはいかなかった
(しかも、少しずつわかってたきし・・・)
新種の麻薬の正体も、それを作っている者も
あとは、その隠し場所を探し出せばいいだけなのだけれど
(とにかく、部屋に戻るわけにはいかなくなったし、かといってこんな場所で隠れるところなんてないから・・・)
やるべきことを終えて、撤退するしかない
それには、チップの隠し場所を探し出さなければならない
一刻も早く

マシンの前に座り、辺りに気を配りながら 蒼太はシステムの奥深くまで侵入した
得意の分野なだけに、作業は次々と進む
一流のプログラムを入れて守ってはいるが、所詮一流
元々 こういったことを得意とした上、この1年間で鳥羽に仕込まれた蒼太の前には まるで子供向けのパズルのようだった
(・・・この奥にまだ部屋があるな・・・)
施設の見取り図を開いた後、そこにかかっているキーを解除した
今はたった一人の指紋で開くように設定されている
それを ご丁寧に変更して、上書きし
まるで何事もなかったかのように 元の通りに体裁を整えた
それで、この奥の部屋は 蒼太以外には開けられなくなる

パスワードを入力して 指紋照合なしで奥のドアを開けると 中から冷気が漂ってきた
(この部屋 涼しいな・・・)
窓のない部屋は 壁に取り付けられた古い電灯が唯一の光源だった
後ろ手でドアを閉め、目をこらす
壁一面、大きな引き出しとなっているのが圧巻で、他には何もない
(・・・何かで見たことあるな・・・こういうの)
嫌な予感を感じつつ、その1つを引き開けた
重い引き出しは、力いっぱい引いて ようやくゆっくりと開き始める
途端、中から白い煙と一緒に冷たい空気が流れてきた
「・・・やっぱり、そうくるか・・・」
そして中には、ご丁寧に透明なビニールに包まれた 人の死体が入っていた

ざっと数えて 引き出しは1つの壁に50あった
これの全部に死体が入っているとすると、150体もの死体がここに眠っていることになる
「この中のどれかに、チップがあるのかな」
浅く息を吐いて、目を閉じた
意識して、何も考えないようにする
両手をぎゅ、と握りこんで 一度だけ深呼吸した
それで、自分の感情を一切 押し殺した

一つずつ引き出しをあけて 中の死体を取り出し、身体に傷がないか調べた
最初の1体の、胸の下に小さな縫い痕があったから、まずそれをさばいた
さっき、女の持ち物からすりとったメスを その凍った肌につきたてて切り 皮を剥いで 邪魔な内臓を抉り出してチップを捜した
冷凍されている分、匂いも少なく血も大量に噴出さない
牛をやるより楽かもしれない、と
心のどこかでそう感じた
20分で チップ1枚が現れた

(いきなりビンゴってのもね・・・)

胸のあたりがグチャグチャになった死体を もう一度ビニールに入れ引き出しに戻した蒼太は、もう1体 別の引き出しを開けて中の死体を調べた
この死体には傷跡はない
次の引き出しの中の死体には、足の付け根に小さな縫い痕を見つけた
(・・・なるほど、ダミーがあるのか・・・)
メスを入れて 足の付け根のあたりを四角く切り取り邪魔な筋をちぎってチップを探した
ここには作業着も手袋もないから、もちろん素手だし 服には血が付着する
(あった・・・2枚目)
本物は 多分1枚なのだろう
でも、今の蒼太には どれが本物でどれがダミーかはわからなかった
そうなれば、ここの150体全てを調べていかなければならない

だいたい1体に30分くらいかかった
チップの埋まっている確率は3分の1くらいだったから、実際解体したのは50体ほどか
一頭まるまる解体させられた牛と比べたら 調べる部分が少なくて楽だし もうとっくの昔に死んでいるから暴れない分 気が楽だった
(まぁ・・・死体にこんなことしてる時点でもう、倫理観とか道徳観とかが色々と問題ありなんだけど・・・)
仕事だから仕方がない、と
そんなことを考えながら しびれだした腕を叱咤して 解体を続けた
外ではもう陽が昇っているだろう
女の報告で、蒼太が部屋にいなかったことがわかれば、あの男は蒼太を探すだろう
施設内を全部探していなければ、外に逃げたと思うか
この奥の部屋のドアロックのプログラムんが書き換えられているのに気づくのはいつだろう
できるなら、気づかれる前にこの死体を全部 調べ終わりたい
そして、この中身が本物かどうか調べなければならない

どれくらいの時間 作業していただろう
服は血まみれで、腕はしびれきって、手にいくつか切り傷を作った
(メスよりナイフがあれば もっとはかどるのにな)
思いつつ、ポケットの中にチップを全部突っ込んで、外の様子を伺った
あれから丸1日半くらいは経っているだろうか
ということは、今は昼間か夕方か
もう少しここで待って 夜に動いたほうがいいだろうか
(・・・どうしよう、外に人がいたら、いつ動いても同じ気がする)
今の自分には、このメスしか武器がない
ドアを開けたところを狙い撃ちされたら、運が悪ければ死ぬだろう
敵がこのドアのプログラムが変えられていることに気づいていれば、の話だが
(死体に貼ってあったラベルの日付ははだいたい1ヶ月おきにふられていたな
 1ヶ月に3体ここに送っているとして、一番新しい死体はちょうど3週間前のもの
 普通なら、あと1.2週間はここの部屋には用がないずだ
 用がないプログラムなんか いちいちチェックしないだろう・・・)
疲れた頭で、そう考えた
深呼吸をして、壁のキーにパスワードを入力し、ドアを開く
開いた途端 外に駆け出したら そこにあの女がいた

「あ、・・・なた・・・っ」
驚いたように 座っていた椅子から飛びのいた女は、血だらけの蒼太を見て顔色を変えた
辺りを注意深く見渡しても、あの男の姿はない
ここには 彼女一人しかいない
「どうしてこんなところから出てくるの?!
 ここは指紋認証でしか開かないのにっ」
女の悲鳴のような声に苦笑して、蒼太はさっきまで女が触っていたマシンを指差した
「プログラムを変更しました
 よかった、まだバレてないみたいで」
震えるように蒼太を見ていた女の顔が蒼白になっていく
「中で・・・何をしてたの」
「あなたが考えてる通りのことですよ」
「何のために?!」
「あの男を捕まえるためです」
「だったら早く連れていってよっ
 あいつなら自分の部屋で寝てるわっ」
余程 蒼太の姿が恐ろしいのか
それとも、今 蒼太がしてきた行為に嫌悪しているのか
女は、壁際で叫ぶように言うと 蒼太を睨み付けるようにしながら震えている
「ありがとうございます
 女性には、こういう姿は見せるべきじゃないですよね」
こんなところにいるとは思わなかったので、と
蒼太は苦笑して この部屋の入り口に向かって歩き出した
そして、ドアを押し 僅かの隙間だけ開いた空間に滑り込もうとした瞬間 ガクン、と膝を折って床に手をつき 女に向かって袖に隠し持っていたメスを投げつけた

「きゃあ・・・っ」

悲鳴があがる
蒼太がたっていた場所に 鋭い針が飛び 壁に当たって床に落ちた
それと、ほぼ同時くらいに 蒼太の投げたメスが女の腕を掠めてゆく
「やめてっ、何するの・・・っ」
喚くような女の声を聞きながら その腕を取り女を床に押し倒した
両手を掴んで床に押し付けると、女は蒼太の下ですすり泣くように声を上げる
「放して・・・痛いわ・・・」
ぼろぼろと涙をこぼすのを見ながら 蒼太は苦笑して女を見つめた
脅されて、死体の検死をしているだけといいながら、この女は色々と知りすぎている
おどおどしたように見せかけているくせに、蒼太が奥の部屋から出てきたときの反応はあまりに見事だった
まるで訓練された人間みたいに
「あなたはどうしてここにいたんですか?
 自分の仕事は死体の死因を調べることだけだって言ってませんでしたか?
 今は調べる死体なんか、ないでしょう?」
「そんなのっ、あなたがいなくなったと報告したら あの男にひどいことをされてっ
 ここに閉じ込められていたからよっ
 私は何も知らないわっ、私は何も知らないのにっ」
助けて、と
泣きながら言う女の顔を見ながら ああ、この人は本当は綺麗な顔をしているんだな、と考える
蒼太が押し倒してしまったから、眼鏡が吹っ飛んで素顔があらわになっている
一つに束ねていた髪もほどけて 長い漆黒の綺麗な髪が乱れている
「でも、何も知らない人がマシンなんか勝手に触ったりしますか?
 そのドアが指紋でしか開かないって知ってるだけで 充分怪しいんですけど」
「そんなのはあの男が言っていたからよっ
 私は報告書を作るのにここのマシンを使うわっ
 どうして私を疑うの・・・私、あなたのこと逃がしてあげたのに・・・っ」
叫びすぎて息を切らし始めた女に、蒼太は苦笑した
「だから、確かめさせてください
 あなたがチップを持ってないってわかれば、おとなしくあの男のところに行きますから」
その一言で、女は蒼太の言いたいことを悟ったのだろうか
大人しくなって、目を閉じた
そして、囁くような声で 言った

「わかったわ、好きにしていいから・・・ひどくしないで」

淡々と、
まるでマネキンから服を脱がすように女の服に手をかけて 蒼太は女を裸にした
身体中に触れて 傷痕を探す
「ねぇ・・・ひどいことしないで」
「しませんよ」
「こんな格好にさせて・・・何もしないなんて、本当にひどいわ」
「仕事ですから」
「ねぇ・・・私 本当に何も知らないの
 わかったでしょ、チップなんて隠してないわ」
「そうですね、とても綺麗な身体です」
紅潮した頬をして、女は蒼太を見上げた
傷ひとつない身体、きれいな女
傷だらけの手だけが 違和感をもたらす
「聞いていいですか?」
その手を取って、そっとキスした
ぴくん、と
目を潤ませながら女は自ら足を開く
「どうして そんなに綺麗なのに隠しているんですか?」
首筋に、胸に、キスをして、舌を這わせて
開いた足の間に手を滑り込ませた
「私、綺麗なんかじゃないわ・・・」
「綺麗ですよ、とても」
女の声があがる
蒼太の手に、唇に、
感じているのか 頬が紅潮して息がわずかに荒くなる
「じゃあ、どうして僕がチップを探してるってわかったんですか?」
「・・・だって、あなた、そう言ったわ・・・」
「チップを探してると聞いて、普通の感覚で体内に隠すなんて思いますか?
 せいぜい服の中を調べるだけでこと足りると、思いませんか?」
なのになぜ、あなたはこんなことまで許すのか
こんな風に 身体中を触られて探されるのが当然のように受け入れるのか
「・・・っ」
ぴくりと、女の身体が震えた

びりびりと殺気を感じる
そう思った途端、ひゅ・・・っ、と
風をきる音が すぐ耳元でした

「・・・っ」

女の手が、蒼太の手に回るのを、身をかわして避け、その手首をひねり上げると 女は悲鳴を上げる前に身体をぐねらせ足をふりあげてきた
(・・・っ)
軟らかい身体、その蹴りをすれすれでかわして、腕を自分の方へ引き寄せ華奢な身体ごと 強く床にたたきつけた
「ぐ・・・っ」
まるで、今までとは別人
だが、この美貌にふさわしい程 意思の強い眼がギンギンと蒼太を睨みつけている
「怖い人ですね・・・」
女の手から 針を抜き取って、蒼太は僅かに苦笑した
この針には 強力な毒がたっぷり塗りこんであるのだろう
最初、この部屋に入ったとき 蒼太に毒の針をさしたのも彼女だったのだ
あの時 針は男がたっていた場所よりも右側から飛んできたのだから
「なぜわかったの・・・?」
「だって殺気が尋常じゃないですから」
それに、その傷だらけの手
「僕も50体さばいただけで 手に傷がたくさんできました
 あなたは今までに何体扱ってきたんですか」
ねじり上げた手を反して 手のひらを開かせると そこには無数の小さな傷とは少し違う
小さいけれど丁寧に縫われた傷痕が残っていた
「あなたが持ってたんですね」
「何の話」
「あなたはチップが人間の体内に隠されてることを知っていた
 僕が奥の部屋で何をしていたかも一瞬で理解した
 ・・・脅されて仕事をさせられているだけの人は、きっとそんなに物事を理解しません
 血だらけの僕に、怯えはしても
 疑われて、パニックになりはしても」
言いながら、蒼太は女の身体を縛り上げた
これ以上、毒で攻撃されるのはおもしろくない
チップが見つかった以上 さっさと取り出して撤退すべきだ
それで、この仕事も終わりになる
「自分で取り出してくれますか?
 それとも・・・僕が取り出してもかまいませんか?」
自分がやると 専門的な技術がないから 生きた人間相手にも 牛や死体を扱うのと同じような乱暴なやり方になるだろう
自分で取り出してくれるなら、彼女は医者なのだし、傷も痛みも最小限に済ませることができるのではないか
そう考えた蒼太に 女は突然笑い出した
「甘いわ、あなた」
「よく言われます」
「そんな甘いあなたがどうして私を疑ったの?」
「あなたを特別疑ったわけじゃありません
 まず全員疑えと、教えられていますから」
いつも鳥羽が言っている
関わる人間は全部疑え
組織の協力者といえども、まずは疑え
そして自分の目でシロと確認するまでは、気を緩めるな
シロと分かった後も気を許すな
人は裏切るものだから
どんな善人も、悪の心を持っているから
それができなければ、この稼業 命がいくつあっても足りはしない
「僕の上司はね、よく言ってます
 特に女性は怖いから気をつけろって」
男の想像もつかないことを考えてるからって、笑っていたっけ
彼は世界中に恋人がいて、その全員を大切にできるような人なのに
仕事になれば女も平気で殺す
平気で利用する
そして、けして女を信用していない
「ああ、もしかして、あなた黒のパスポート持ってるの?」
問われて、蒼太は微笑しただけだった
「しくじったわ、あなた あんまり子供だから まさかと思ってそこまで疑わなかった」
「人を見た目で判断したらダメですよ」
(それに そんなに言うほど子供でもありません・・・)
外国人から見たら そりゃ幼く見えるかもしれないけれど
苦笑した蒼太に、女はニッと笑っていった
「私の罪は何?
 新種の麻薬でこの国を揺るがせたこと?
 でも、この国は病んでるわ
 病んでる者は安らぎを求める
 私が作ったのはその安らぎよ?
 長くハマって抜け出せなくなる麻薬なんかよりずっと、気持ちよくて知らない間に死ねるわ
 いい薬だとおもわない?」
あなたもやってみればいいのよ、と
言われて蒼太は苦笑した
「遠慮しておきます
 僕はまだ麻薬が抜けきってないので、次やったら二度と帰ってこれないと言われてますから」
未だこの身に残る麻薬の作用が 時々不快な夢を見せる
この、薬とは相性の悪い身体から、完全にその影響が抜けるまで あとどれくらいかかるのか
2年か、3年か
「それに あなたの罪なんて僕には関係ありません
 僕は僕の仕事をするだけです」
女は、目を閉じて、何か考えているようだった
そして、また笑い出した
「あなたみたいな子は 組織に向いてないと思うわ」
「上司は向いてると言ってくれましたよ」
「向いてないわ
 ・・・でもまぁ、そうね、もし逃げ出したくなったら・・・
 組織も自分の存在も許せなくなったら、私の麻薬をやってみるといいわ
 必ずあなたを楽にしてあげられるわ」
「ここでないと見れないものがあるんです
 組織をやめたら 僕は僕の求めるものを手に入れられない」
苦笑したような蒼太の言葉に そう、と
女は笑って目を閉じた
「忠告はしてあげたわ
 あとは好きなようにしたら、いいじゃない」
あなたの人生なんだし、と
言う女は 2.3度まばたきをし、しばらく宙を見つめて それからふ、と動きを止めた
開ききった瞳孔が、だんだんと曇っていく

死んだ女の手の平をメスで切ってチップを取り出し 蒼太は刑務所を出た
施設の電話で連絡を入れた鳥羽が迎えにきてくれるのを待ちきれず 一本道を歩いていく
女の言葉に、少しだけ心が揺れていた
彼女はなぜ、向いてないと言ったのだろうか
彼女はなぜ、あの麻薬を作ったのだろうか
考えても、仕方のないことだと思いつつ 蒼太は俯いて考え続けた
答えは 出なかったけれど

「おつかれ」
道端にうずくまっている蒼太の前に車が止まったのは、2時間後だった
ウィンドウを開けた鳥羽の顔を見ると急に安心して、蒼太はそっと息をついた
「チップは?」
「これです・・・」
差し出した手が震えているのに 鳥羽が笑った
だが 何も言わずにチップを受け取る
「昔な、組織に 紅鈴って女がいた
 毒を調合させたら横に出る者はないってレベルの仕事をしてたが、故郷に戻るといって組織をやめた
 その匂い、懐かしいな」
鳥羽の言葉に、蒼太は 自分で毒を飲んで死んだあの女を思い出した
歯に毒を仕込んでいたのだろう
蒼太の止める間もなかった
止める理由も権利も義理も、ないのだけれど
「乗れ、そんなことに座ってないで」
「・・・はい」
力が抜け切ったような身体を叱咤して 助手席に乗った
ゆっくりと鳥羽は車を発進させる
「お前が耐性作るのに使ってる毒な
 あれを調合したのもその女だ
 綺麗ないい女で 俺も何度か遊んだっけな」
鳥羽が煙草に火をつけて 窓を少しだけ開けた
この1ヶ月とすこしの間 外にいた鳥羽は 彼なりに調べてこたえを見つけたのだろう
蒼太が何も話さなくても、全てお見通しなのだ
チップの中身も確認せずに、懐かしそうに話している
「その人は・・・どうして辞めたんですか?」
「病んでいく祖国を見てられないと言って」
目覚めてしまったわけだ、と
鳥羽は僅かに笑った
「お前の身に染み付いてるその匂い
 あの毒を作り出すときに漂うやつな、あの女にも染み付いてた
 抱く時に萎えるんだよな、あの匂い」
鳥羽の言葉を聞きながら 蒼太はそっと目を閉じた
私の罪は何?と言ったあの女
病んでいく祖国を見ていられないと、組織を抜けて帰っていった後 あの麻薬を調合したのだろうか
毒のような麻薬
それで国を救いたかったのか
いっそ、国を殺したかったのか
「その麻薬の名前な、紅ヘヴンっていうんだと」
楽園か天国か、
病んだ祖国の人間が求めるものを作り、ばらまき、あの女は満足したのだろうか
これが、彼女が組織を抜けてまで やりたかったことなのだろうか
「余計なことは考えるなよ」
「はい・・・」
俯いた蒼太に 鳥羽の厳しい声がかかった
彼女の言ったように、自分で選んだ道なのだから
自分の好きにしているのだから
後悔や迷いなど、意味がない
意味がないものは、考えても仕方がない
そっと、息を吐いて 蒼太は意識を殺した
何も考えなくていいよう、早く次の仕事がしたいと思った


女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理