ZERO-6 黒のパスポート (蒼太の過去話)


毎日、毎日、
蒼太は午後になると 腕を手錠でマシンと繋がれ 命をかけた爆弾解除をやらされた
鳥羽と出会った日から、1ヶ月がたつ
部屋は地下の牢のような場所から まともな場所へと移されてはいたが、
それでも未だ 薬の副作用の頭痛と 鳥羽に撃たれた銃の傷が癒えてはいない
そんな状態で、毎日神経の擦り切れそうなプログラムの解除をやらされて、
失敗すればそこまで
爆弾が爆発して死ぬんだと、鳥羽は笑っていった
一度だって、失敗したことはないけれど、それでもいつもギリギリで
鳥羽のもってくるものは、日に日に難易度が高くなる
昨日など、本気でもう無理かもしれないと思った
半分もいかないうちに、残り1分を切って 頭の中でカウントダウンが始まり
ああ今度こそ 死ぬのかな、なんて思いながら それでもこの震えるほどに美しいプログラムから目がはなせずに ただひたすらにキーボードを叩いていた
考えて考えて考えて、
それでもなお、追いつけず正しい道を見つけられない時 蒼太は敗北感とともに たまらない何かを感じる
世界には こんなものをいとも簡単に作ってもってくる人がいる
毎日毎日、蒼太の実力を見極めるかのようにギリギリのものを
解けるか解けないかのギリギリのものを持ってくる人がいる
涼しい顔で、俺はお前の教育係だと言った あの人のような
「具合は?
 腕は使えるようになったのか?」
「はい、痛みはもう あまりありません」
「そうか、じゃあ今日の課題を与えておこうか」
午前中は寝てるんだ、という彼は 午後からしか蒼太の部屋へは来ない
そしてマシンに手錠で蒼太を繋ぎ、帰っていく
毎日 それだけ
せっかくの休暇に お前ばかりには構ってられないのだと、彼は言っていた
何でもデートの約束が山のように入っているとか
「急に旅行に行くことになってな、お前には悪いけど1週間 大人しくまっててくれ」
いつものようにマシンをセットしながら 鳥羽は笑って蒼太を見た
あの時から、
鳥羽の試験に合格した時から、蒼太はここにいる資格を得たようで 傷の手当ても 麻薬を抜く治療も、生活の世話も何もかも一切 ここの人たちが面倒を見てくれている
大掛かりな手術室に 連日人が運び込まれていたり、
鳥羽のようなプログラムを組める人間がいたり、
銃やその他の物騒な武器がごく普通にやりとりされていたり、
地下にはいくつもの牢獄のようなものがあったり、
普通に考えて ここはまっとうな場所ではなかった
人種も様々
蒼太が今までに見た中で日本人は自分と この鳥羽だけだったし、
窓の外に広がる風景は どう考えても日本ではなかった
もちろん、ドルマの屋敷のあった あの南の砂漠でもない
そんな場所に 何の前触れもなく連れて来られ
蒼太の意志に関係なく、試験があり、教育係という男がついた
その状況に 本当なら少しくらい戸惑ってもいいはずなのに、なぜか
蒼太はそんなことは少しも気にならなかった
元々 仕事のためにどこにでも出かけてゆくようなタイプだったから 日本にこだわりがあるわけでもなかったし、蒼太の帰りを待っている人もいない
だから、好きなようにすればいいと心の中で何かが言った
自分のやりたいようにすればいい
したいことをすればいい
「1週間くらいかかるのを作ってやったから まぁこれで遊びながら待ってろ」
ピ、という音
マシンの画面に写し出されたのは お馴染みのプログラムだった
「手錠は・・・」
「トイレに飯、風呂もあるだろうし 繋いでると不便だろ
 爆弾も置いていかないから 逃げたくなったら逃げていい
 ま、逃げたらそれまでだけどな」
それは、逃げたら殺すという意味だろうか
黙っている蒼太に、鳥羽はいつもの調子で笑った
「俺が帰るまでにうまく解除できてたら、新しいことを教えてやろう」
その言葉に、ドクン、と胸が鳴る
ここに留まった理由は一つだ
彼が、自分が求めていたものだと知ったから
あの、ドルマの屋敷で虜となった完璧なプログラム
それを作ったのが彼だとわかったから、もっと知りたくて
触れたくて、挑戦したくて、壊したくて、壊されたくて
蒼太は 彼を知りたいと強く思った
だから、ここにいる
ここがどこだとか、これから自分がどうなるのかとかは関係なかった
もっとたくさんの、彼の作ったものに触れたかった
そのたびに、敗北感を味わったとしても それ以上に感じるものがあったから
それ以上に 得るものがあったから

鳥羽のおいていったプログラムは、昨日のものよりも高度だった
昨日は 丁度半分の山場を越すと あとは不思議なくらいスムーズに解け 結局最後の最後で解除でき、ほんとうに1秒の差で命をとりとめた
全身冷たくなって震える蒼太に、鳥羽は笑って言ったっけ
なかなか いいリハビリになっただろう、と
あと1秒遅れていたら死んでいた者に向かって 何でもないことのように笑っていた
できて当然だと言っているような、
これくらいできなくてどうすると言っているような、
そんな雰囲気が 彼にはある
だが、彼の言う通り キーボードに触れるたび
プログラム解除に必死になるたび、蒼太は感覚を取り戻していった
(わかる・・・やるごとにカンが戻る・・・)
しばらくは自由のきかなかった指も、頭の思考する速度も
今では麻薬というものに堕ちる前の状態にほぼ戻っている
毎日毎日 傷の癒えていない蒼太に容赦なく 命をかけたプログラム解除をやらせた鳥羽の教育のたまものと言うべきか
高すぎるハードルを、毎日毎日命懸けで越してきた蒼太の努力のたまものというべきか
ともかく、今の自分なら1週間 不眠不休でもなんとか耐えられるのではないだろうかと思う
あまりに高度で、計算されつくしたプログラムに、必死に穴を開けながら 蒼太はひたすらにキーボードを叩いた
これを突破できれば、また新しい世界がもたらされる
それに心が震える
たまらなくなる

そして1週間後
蒼太は見事にプログラムを解除し 中のデータを開けていた
何枚かの報告書のような書類が出てくる
文字を目で追うと どうやらこれは 蒼太の今いる この組織について書かれたものらしかった
「黒のパスポート」というスパイ集団
簡単に言えばそんなところか
どの国にも属さず、依頼があれば適任者を人選して仕事にあたらせる組織
裏の世界でも それなりの者にしかアクセスすることはできない隠された組織で、舞台は世界中
様々な技能を持った人間が集まって、全世界で活動している
要人のボディーガードから王族の教育係まで どんなところにでももぐり込めるネットワークを持ち どんな仕事も完璧にこなす
財力、軍事力は一国相当に値し、うまく使えば良し
間違えて敵に回せば死、と
恐れられている組織、それが今いるこの場所のようだった

(・・・とんでもないところだな・・・)

そして、今の自分は そのとんでもないところの一員として教育されているのだろうか
こんな自分が
自分が楽しいからという理由で情報抜きを仕事としていた自分なんかが
(世界が違う気がするんだけど・・・)
蒼太がかなわないわけだと 納得がいく
こんなプロから見れば、自分など遊んでいるようなものだろう
なのになぜ、わざわざ麻薬漬けになっているところを助けてくれてまで、こうして教育しようとしているのか
鳥羽は自分に何を見たのだろうか
「鳥羽さん・・・」
彼は、蒼太のいた裏の世界なんかよりもずっと深くて暗い場所にいる
あの 笑っているけれど冷たいままの目や
陽気に話すのに どこか覚めた表情なんかがそれを伺わせた
ただ者ではないと、感じてはいた
だが、まさか こんな世界の人だったなんて

「なんだ、他人事じゃないだろ?」
「僕はあなたの役に立てるような人間じゃありません」
旅行から帰ってきた鳥羽が蒼太の部屋にやってきたのは その日の夜遅くだった
「どうして僕を拾ったんですか?」
「見込みありと思ったからだ」
俺の役に立ちそうだった、と
鳥羽は笑って テーブルの上に置いてある紙袋から可愛らしい缶を取り出した
(それ・・・僕にくれた旅行土産では?)
無言でその手許を眺める蒼太に 鳥羽はさらに無言でその缶を差し出した
そのまま煙草に火をつけて話し出す
(・・・お土産でくれた紅茶を今 煎れろってこと・・・かな・・・?)
「俺の前の任務は麻薬組織のガードでね
 ルート決めた後 相手との連絡役を一切任されてた
 そのシステムに介入してきた奴がいて、しばらく遊んでやったら なかなか筋が良かったから気になってた
 ドルマの組織が壊滅した後 どうしたって話も聞かなかったから調べてみたんだ
 そしたら表で遊んでるゼロってガキだって知って ああこれはお買得かな、と思って迎えに行ったわけ」
遊んでやっただの、表で遊んでるだの、ドルマの組織が壊滅しただの、
言いたいことや聞きたいことが満載の鳥羽の言葉に、蒼太は黙ってポットにお湯を沸かしはじめた
要するに、鳥羽のいる世界から見たら 蒼太のいた世界など裏でも何でもない ただの表の世界
そして、蒼太が必死に1週間かけて抜いた情報も 鳥羽からしたらただの遊びで、
しかも 蒼太の依頼主のドルマは鳥羽を雇っていた組織に壊滅させられたということか
「ドルマは麻薬はいいもん扱ってるから気持ちよかったろ
 あっという間にハマる
 そして抜けられなくなる
 お前は体質的に どうも薬とは相性が悪いみたいだからな
 完全に抜けるまで 2.3年はかかるだろうな
 せいぜい間違って近付かないことだ
 次 堕ちたら帰ってこれなくなるところまで堕ちるぞ」
さらりと言った鳥羽の言葉に 蒼太は背筋がゾク、とした
今も時々 悪夢なのか幻覚なのか
肢体が闇に沈んでいく夢をみる
頭痛は毎日のように蒼太を悩ませているし、吐き気も完全におさまったわけではない
こんなのが あと2.3年も続くのかと思うとぞっとした
「麻薬なんてものはプロが手を出すものじゃない
 お前は中途半端だったわけだ」
仕事も、自分の律し方も
(中途半端か・・・)
これでも 自分のいた世界ではそこそこ名が通っていたのに
報酬だって200万ドルとか500万ドルとか
普通の人間には縁のない金額で依頼がきていた
それでも、彼から見たら中途半端でお遊び程度
挙げ句、麻薬なんかに溺れて身を滅ぼそうとしていたのだから、当然と言えば当然か
「お前が抜いた情報はフェイクだ
 そして、ドルマの組織は壊滅した
 相手がウチじゃ仕方ないとも言えるけどな、ここでは相手が誰だろうと失敗も敗北も許されない」
煙草を吸い終った鳥羽に 紅茶を差し出すと 彼は満足そうにそれを口にした
(だから・・・僕は役に立たないと言ってるんですけど・・・)
憂鬱な気持ちになる
自分はプライドが高い人種ではない
今までの仕事をレベルが低いと言われたって、中途半端だと言われたってかまわない
だが、あの500万ドルも得て受けた仕事の結果が、組織を一つ壊滅させたと聞くと 気分は良くない
必死に戦って 1週間考えて考えて考えて、やっと抜いたと思った情報が嘘で
自分のその仕事で、みすみす依頼主を死なせたなんて 聞いて平静でいられるはずもない
「まぁ 依頼主が死のうが栄えようが お前には関係ないか」
2本目の煙草に火をつける鳥羽の手許に視線を落とし 蒼太はただ黙ってあの砂漠の香りを思い出していた
息苦しくなる
どこかに堕ちていきそうになる
こんな結末を聞くくらいなら いっそあの麻薬の香の充満した部屋で死を待っていた方が良かったのではないか
蒼太を客人として扱い、求めたままに与えてくれたあの男の後を追い、南の砂漠で果てた方が良かったのではないか
ふ、と
憂鬱にうつむいた蒼太に 鳥羽が笑った
「だから中途半端なんだ
 単なるビジネスの相手だろ? 何をそこまで気にする」
お前はこうして生きてるんだから、と
その言葉に 頭痛がひどくなった気がした
「お前は見込みがあると、俺が思った理由は一つだ
 お前は貪欲で、世界を知りたがってる
 それが、わかったからだ」
鳥羽の言葉が響く
漂う煙草の香りに、思考が麻痺していくようだった
知りたいという欲求に、勝てないからここにいるのだ
世界のあらゆるものを 自分に吸収したい
それが蒼太を突き動かしている
命をかけて、持てる全ての知識を総動員してより高度な状況を突破すること
それが楽しくて仕方がない
一度知ったあの味は、忘れられず蒼太を誘い続ける
「ここに残るなら、今まで知らなかった世界を教えてやる
 その変わり、失敗は許されなくなる
 今ならまだお前に選ばせてやれるが・・・、答えは聞くまでもないだろ?」
鳥羽が今度は 紙袋の中から小さなビンを取り出して中身を手の平に5.6個転がした
色とりどりのコンペイトウ
してる話とのあまりの不釣り合いさに、蒼太はやがて苦笑した
「新しい世界を、知りたいです・・・」
そう、聞くまでもない
たとえ、どんなに気分が沈もうと
死んだ人間のことを考えて頭痛がする程 息苦しくなろうと
自分は この欲求からは逃れられない
今まで触れることすらできなかった、存在すらしらなかった世界が広がろうとしている
それを捨てることはできなかった
好奇心がうずく
どうしようもない、これは病気みたいなものだ
それで何人死のうと、自分はきっとこう言うのだ
「連れていってください・・・僕を新しい世界に」
そして、繰り返すのだ
求めて、求めて、犯した罪から目を背ける毎日を

鳥羽が帰っていった後、すっかり冷めてしまった紅茶のカップを前に 蒼太はそっと息を吐いた
身体の奥からじわじわと沸き上がってくる喜びのようなもの
それを感じて目を閉じる
いつものように、今までのように目を背けよう
新しいことを考えて、他のことは考えないようにしよう
そうして、今から得られるもので 自分を高めていける喜びに身を浸そう
深く息を吸って、蒼太は鳥羽が散々散らかしていったテーブルの上に視線をやった
紅茶、キャンディ、コンペイトウ、チョコレート、ジャム、ビスケット
それからライトのついたペン、アメリカンコミックの絵のマグカップ、妙なマスコットがピアノを弾いているオモチャみたいなオルゴール
Tシャツにブランドの時計、見たことのないロゴの入ったスニーカー、そして毛糸の手袋
(・・・完全に子供扱い・・・なのかな・・・)
それとも、鳥羽という人物が 自分にはまだ読めていないだけか
チョコの包みを一つあけて、それを口に放り込み 蒼太はゆっくりと目を閉じた
彼についていこう
そして、彼の教育を受けて この世界で生きていけるような人間になろう
そうすれば、知らなかった世界を見せてもらえる
今まで届かなかった深く暗い世界へ入っていける
決意して、蒼太はゆっくりと目を開いた
口の中のチョコが、少し苦かった
 


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