ZERO-5 堕ちた鳥 (蒼太の過去話)


いつまでも、いつまでも
漂う香の中 横たわって宙をみつめていた蒼太の所に人が来たのは ドルマが出ていった1週間後だった
開け放たれたドアから外の風が入ると同時に 中から流れ込んできた濃厚な麻薬の香りに 男はわずかに顔をしかめた
薄暗い部屋の床には 少年が何人か死んでいるように倒れている
男はそれには構わず、窓際の大きなベッドに横たわる蒼太の元へと真直ぐ歩いた
「ゼロか?」
問いかけに、蒼太は答えず目を閉じる
覚醒と眠りを繰り返す蒼太に、もはや意識はなかった
漂う香に朦朧と膜のかかった思考は もはや一切機能しておらず、単にそこに存在するだけ
まるで人形のように横たわっているだけ
今の蒼太は、そういう存在に成り下がり 転がっている少年達と同じく 自分の名も理解せず 朝も夜も知らぬものになっていた
「これはダメかもしれませんね」
「ダメなら捨てればいい
 とりあえず、生きてるみたいだから、連れて帰る」
後から入ってきた女と いくつか会話をした後 黒いスーツの男が蒼太の身体を抱き上げた
シルクの薄着は乱れ、肌には精液の乾いた後が白く残っている
手足に力は入らず、ぐったりとしてまるで死んでいるような身体
それでも、温かく
心臓はゆっくりだが、脈うっている
「さて、お前が這い上がってくるか このまま死ぬか、見物だなぁ」
つぶやいて、腕の中で目を閉じている蒼太を見下ろし 男は薄く笑った

目覚めた時、蒼太にまだ意識や感覚は戻っていなかった
身体中に管を通されて、無機質なベッドに横たえられていた
「組織が彼の居場所を探し出すのに1週間かかったから、それなりに衰弱してるわ
 その上、あんな薬の充満した部屋にいたんだもの、当然 そういう身体になってるわ
 目を覚ましても、まだ思考する機能は戻ってないわよ」
「いいよ、別に急いでないから
 身体だけ戻ったら、地下に放り込んでおけばいい
 今の仕事が片付いたら、俺が直々に教育するから」
「あなたが?」
「そう、俺が見つけたんだから俺のものだ」
「それはかまわないけれど、あんな子供があなたの教育に耐えられるかしら」
それでなくても薬が抜けるのに 何年かかるか、と
心配気な女の声に 男は楽しそうに笑った
「何年もかかるようなら捨てる
 俺の休暇は2ヶ月しかないからな
 とにかく、3週間後に戻るから、それまでに起きられる程度には回復させておいて欲しいね」
そう言って男は出ていき、無機質な部屋には女だけが残った
「あなたも、大変な男に目をつけられたものね
 ・・・這い上がれなければ死ぬのよ? わかる?」
問いかけに 蒼太は虚ろな目で宙をみつめるだけだった
声は聞こえていても、何を言っているのかわからない
それを理解しようとする機能が働かない
ただ存在するだけのものに成り果てた身体は、重い鉛みたいに蒼太の自由にはならなくて
自分は人間だったのだということすら、忘れてしまったかのように、蒼太はまた眠りに落ちた
様々に計算された治療薬と栄養が、管を通って蒼太に流れ続け
生命と肉体の回復だけが、淡々と行われていく

ぼんやり、ぼんやり、と
蒼太は長い間、覚醒と睡眠を繰り返しながら 夢をみていた
キーボードを叩く音、パズルのような世界、暗号、笑っている人、古い家、壊れた傘、輝いていた空、ノイズ、指先、女の悲鳴、玄関に飾ってある花、ネクタイ、男の優し気な手、古い本、夕焼けの空、茶色い野良猫、目を閉じておまじないと笑った女、脱ぎ捨てられた靴、真っ暗な闇、外国の文字で書かれた手紙、燃え上がる炎、

そして銃声

「・・・・っ」
2週間目の朝、覚醒した時 蒼太はひどい頭痛を覚えた
ぐらり、と景色が歪む
無意識にシーツを強く握りしめようとして 自分の腕がどこにあるのかわからなかった
ゆっくりとしか、感じない肉体の感覚
使い方を忘れてしまったような、
そこに手足が存在しないような、
ひどい虚無感と吐き気に、どうしようもない不安がどっと押し寄せてきた
何も理解できない
何もわからない
怯えた銃声も、今までみていた夢も全て 曖昧な記憶となって流出していく
「う・・・・・・、ぐ」
ひどい気分だった
だが、それを伝える相手もいなければ、それを伝える手段もない
自分というものが失われる感覚
闇に蝕まれ、食われていくような恐怖に、ただ目を見開いて喘いだ
声は出なかったけれど、必死にこの込み上げてくる何かを消化しようと本能が悲鳴を上げた

それが、最初の意識ある覚醒の日

「様子は?」
「毎日喚いてますよ」
「あと1週間もすれば祐二が戻ってくるわ
 あのままでは、捨てられるだけよ」
「そりゃ無理ですよ、たった3週間で正気に戻すなんて
 それでなくてもドルマの麻薬は濃度が高くて使い続ければ死ぬんだから
 あんな子供が1週間以上も あんな中にいたんなら」
「身体は?」
「命に心配はないってところまで回復はさせました
 が、まだ自分で飯を食うところまではいきません」
「それどころじゃないでしょうね、
 薬が切れて、今 一番薬を求めてる時期でしょうから」
「まぁ、何度見ても麻薬漬けの子供ってのは 見てて嫌なもんです
 鳥羽さんが帰る前に、気が狂って死んだ方が幸せかもしれませんよ」
「そうなれば、祐二の見込み違いってことね」
女は溜め息をついて、マシンに2.3行 何かを打ち込むと 側に控えた白衣の男に肩をすくめて見せた
「あと1週間あるわ
 あまり煩いようなら地下に放り込んでおいて
 祐二が、そうしろと言っていたから」
「はい」
白衣の男が去り、部屋が静かになると 女は椅子にもたれて溜め息を吐いた
「ゼロねぇ・・・
 経歴もたいしたことない上、あんな子供
 あなたは あの子のどこに可能性を見い出したのかしら?」

毎日毎日、昼も夜もなく
永遠に続くかのように思える底なしの沼に飲み込まれながら 蒼太は失った手足を必死に探していた
繰り返される夢は、幼い頃のものと学生時代と、そしてこの裏の世界に入ってからのもの
それらが入り交じって現れた
真っ赤に染まった夕焼けから血が降りそそぎ、からみつきやがて窒息するゆめ
覚めても、呼吸がろくにできずに、咽を失った感覚に突き落とされる
向けられた何百の銃に抗う腕はなく、指先からじわじわと黒い蛇に食われていくような、痛みを感じる夢
足下から、四方から、頭上から
鋭い針が何千、何万、何十万本と突き刺さり、肢体が粉々に砕かれていく感覚
寝ても覚めても それらの幻覚がつきまとい、
同時に感覚も犯され、まるでこの身に現実に起こっているかのような痛みにさらされる
叫んでも、誰もいない
手を伸ばしても、何もない
喘いで、呻いて、狂ったように逃げても、世界は一切 何も変わらない
「ああああ、ぁ、ぅぅ、ぐ・・・・」
最早 言葉を忘れ
思考も忘れて、蒼太はただひたすらにそれらの現象が過ぎていくのを待つしかできなかった
いっそ、死にたいと思うことすらできない
いっそ狂ってしまえば楽なのに、と考える機能すら取り戻せない
黒い泥が 口から体内に流れ込み窒息する夢はもう何百回とみた
見えない闇にこの身を食いちぎられる感覚はもう何千回と味わった
それでも解放はなく、毎日毎日の長い時間を、蒼太はただひたすらに耐えるしかなかった

そんな状態が 初めての覚醒からもう7日間も続いている

「あれ、どう?」
「病室にいますよ」
「なんだ、まだそんなとこにいるのか」
「さすがに、誰もあなたのように冷徹に あの可哀想な少年を地下に放り込むなんてことできなかったみたいね」
3週間目、男が蒼太の部屋にやってきた
黒いスーツを着た 冷たい目をした男だった
「鳥羽さん、さすがにまだ薬が抜け切らなくて」
「んー? で、どんな様子だった?」
「毎日こんな感じで、暴れるか叫ぶか震えてるか、泣いてるかですね」
「ふぅん」
涙に濡れた蒼太の顔を乱暴に掴んで、男はその目を覗き込んだ
視点のグラグラする、何かを恐怖した顔に 満足そうにニッと笑う
「眠ってる様子は?」
「ちゃんとした睡眠に入った時期はありませんね」
「一度も?」
「はい、覚醒してからは一度も」
「それはそれは、毎日ひどい夢 みてるんだろうなぁ」
震えながらシーツを掴んだ手に視線を落とし 報告書を受け取ると 鳥羽は懐から銃を取り出した
「さて、ゼロ
 おまえはここから這い上がるか、それとも死ぬか
 二つに一つ
 選ばせてやるから、自分で決めろ」

そして、一発、蒼太に向けて 撃った

幻覚ではない痛みに 蒼太は声もなく目を見開いたままベッドへと倒れた
ドクン、ドクン、と
自分の心臓の音が聞こえた
全てを失ってから初めて感じる、自分の中の感覚だった
「ぐ・・・う、」
急にはっきりと、周りの音が聞こえるようになった
焼くような痛みに、全身が火のように熱くなる
「このまま地下に放り込んでおけ
 ボスに仕事の報告をしたら、俺が行く
 他は何も構わなくていい」
男の声
見上げると、黒いスーツの後ろ姿が見えた

病室から地下に移された蒼太は、冷たい床に崩れ落ちた
銃で撃たれた右肩は、弾がぬかれ止血だけがされている
ドクン、ドクン、と
今にも気を失いそうな痛みに歯を食いしばりながら 蒼太はようやく戻りはじめた自分を強く感じていた
失っていた肢体
どれだけ探しても感じることができなかった自分
麻薬の香に麻痺し 機能しなくなった感覚が、この一発の傷で戻りかけている
(ここは・・・どこなんだ・・・)
そして自分はどうなったのか
記憶は定かではなく、考えることが億劫になる
それを必死で集中した
あれだけ探して探して、ひどい悪夢の中を彷徨い ようやく得たこの感覚
手放しては またあの沼の底に落ちるだけだと 必死に耐えた
今ここで諦めて考えることをやめてしまったら、あの男の言ったように自分は本当に死ぬだけだと思った

死にたくないとは思わない
だが、自分の今いる状況も知らずに死ぬのは嫌だった
知りたいという欲求が、こんな状態になった今でも、蒼太を強く強く動かしている

「お、生きてるな」
午後、男が地下へやってきた
机の上にマシンを起き、倒れている蒼太の腕を乱暴に掴んで 椅子に座らせた
「あ・・・、ぐ」
右腕の感覚がなくなるくらいに傷が痛む
全身が傷口になったようにガンガンと痛む
それでも 必死に声を上げまいと耐える蒼太に 男は満足そうに笑った
「まずは試験をしよう、ゼロ
 このトラップから1時間以内に抜けられないと お前は死ぬ」
怪我をした右腕を、手錠でマシンと繋げられ、男の手で電源が入れられた
点滅する画面
ゾク、とした
すでにウィルスが浸入しはじめている
「ここに俺手製の爆弾を置いておく
 解除キーをトラップを突破し探し出して入力しろ
 1時間以内にできれば時限装置は止められる
 できなければこの部屋ごとドカンだ」
簡単なルールだろ、と
告げられる言葉にゾクゾクと 痛みとは別のものが身体をかけぬけていった
今の、この思考もままならない状態で
しかも片腕で、やれというのか
命をかけて
「命をかけなきゃ面白くないだろう?」
まぁせいぜい頑張ってくれよ、と
そう言って男は出ていき、
部屋には 蒼太とマシンだけが残された

キーボードに触れた途端、一気に感覚が戻る気がした
痛みと まだ身体に残る麻薬の後遺症に思考はまとまらない
でも、やらなければ死ぬしかない
カチカチと、脳内で1時間の秒読みが始まった
左手の、震える指がキーボードを叩く
視界が揺れる中 必死に流れる文字を追った
思い出していく、今までしてきたことを
ゼロとして、生きてきた時間を
そして、あの感覚を
求め、求めて、得られなかった あの夜の身の震えるようなプログラムの美しさを

「あ、は、・・・・・は、は」

人を欺き、蹴落とし、誘い、振り回して突き落とす
ドルマの屋敷で、そのプログラムに1週間も弄ばれて以来 蒼太は異常な乾きに身を蝕まれていた
あんな風に、完全に打ち負かされたプログラムに出会ったことはない
まるでこちらの力量を計るように見つめ続ける人の気配も、
翻弄し、振り回し、気づけばその手の中に堕とされているプログラムも、
まったくあの夜感じたものと同じだった
痛みで朦朧としていることも、
薬で意識がグラグラなのも、
一瞬で 意識の外へと消えて行った
もう一度 会いたいと思っていた
もう一度触れたいと思っていた
それが、ここにある
ここで、自分を試すよう、この命を賭けさせて 存在している

それに感じた
言い様のない緊張に全身に冷たい汗が伝った
震えるような昂りに、傷ではない部分が疼いた
どうしようもないくらいに、もっと、もっとと 求めた

「まぁ、とりあえず命は死守したな」
1時間後、地下へとやってきた男に 蒼太は震える声で問いかけた
「あなたは・・・誰ですか・・・」
触れたい、触れてほしい、壊したい、壊してほしい、
そう願い、それが叶わなかったあの夜から 満たされない欲求を身体の欲求にすりかえて まるで堕ちるようにドルマにこの身を与えてきた
その熱く疼いた身体に、彼の肉棒を深く深く埋めて喘いできた
そうして、あの香の中 自分を失ってしまった
それほどまでに求めたものが、今ここにある
「俺は鳥羽祐二
 これからお前の教育係になるもんだ、覚えておけよ」
鳥羽祐二
その名を記憶に刻みこみ、蒼太はゆっくりと目を閉じた
59分47秒で解除したトラップの画面が、手錠と繋がった先で点滅していた


女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理