ZERO-21 暗示 (蒼太の過去話)


蒼太は学校の中庭を突っ切って、校舎の影に身を隠すと 隣で息を切らせている少女に僅かだけ笑いかけた
現在、深夜2時
日本の空港に着くなり、組織からの緊急コールがPDAに届き
何ごとかと思って連絡したら、1人の少女を助け出してくれと言われた
何が何だかわからないままに、指定された場所へと車を飛ばして駆け付けて
この、現在は春休みで人気のない学校に、監禁されていた少女を救い出した
少女の周りにいた人間をガスで眠らせて、同じくガスで倒れた少女をその場で処置して蘇生させこうして連れ出している
この少女を監禁していた人間は、まだこの学校内にいるらしく、それらに見つからないようにここから脱出し 彼女を安全な場所まで連れていかなければならない
(中に4人、廊下に2人、ということは外に・・・1人かな・・・)
ガスで倒した人間が4人
さっき廊下ではち合わせた人間を2人殴って気絶させ
残りは1人のはず
少女を連れて逃げているところを後ろから攻撃されたくないから、できれば居場所を完全に把握するか、倒してからここを去りたかった
(・・・いた、7人目)
暗闇の中、人陰が少し先を横切っていった
ポケットに入れていた携帯を取り出して その影の方へ向ける
麻酔針の仕込みのある携帯から、何本かの鋭い針が飛び出してゆき
それで、影は蒼太の視線の先で、バタリと倒れた
「・・・っ」
これで多分、ここにいる敵は全員倒したはずだった
組織からは、敵の人数も国籍も不明だと聞かされていたけれど
ここに乗り込む前に せめて人数だけでもわからないと戦えない、と
この学校の管理システムにアクセスして 直近の人間の出入りを調べた
それで浮かび上がった不審人物7人
ようするに、敵は多くて7人
今の蒼太にはそれしか情報がなく、
だが とりあえず今はその情報の7人を倒したのだから  ここですることはもうなかった
あとは、安全な場所へ身を隠すだけ

その後、日本で滞在する予定だったホテルに少女を連れてきた蒼太は その場で組織に連絡を入れた
そもそも、日本には休暇で戻ってきているのに、なぜいきなりこんな仕事をさせられているのか 蒼太にも現状がはっきりと理解できていない
組織が休暇中の人間に こんな風に仕事を回してくることはめったにないから 本当に緊急だったんだろうけれど
(そもそも、この子誰・・・)
あんな物騒な人間に監禁されていたのだから、何かいわくつきの子なのだろうけれど
当の本人は、蒼太と一緒に学校から脱出した後は 怯える様子もなく平然としていた
「あの・・・」
今は、ベッドの上でおとなしく蒼太の様子を伺っている
「あなた、名前は・・・?」
問われて、蒼太は少女を見た
「ゼロといいます」
答える間に組織からメールが届く
中を開くと、今回の依頼内容が詳しく書かれていた
彼女の名はエミ
今回の仕事は、エミの命を狙う人間から その身を守ってほしいというものだった
(ああ、この子 組織の人間の娘なんだ・・・)
エミの父親に、蒼太は1度だけ会ったことがある
カナダ人の、元軍人という経歴だったか
気難しく無口で、仕事熱心な実力者だった
力任せの、かなり強引な手で仕事を遂行するタイプの人間で、軍隊時代から味方も多ければ敵も多かったとか
その数多い敵が、彼の家族に手を出すことが過去にも多々あったらしく
その度に、組織は人を動かして その狙われた家族の身の安全を確保し、犯人を捕らえてきた
今回は、そのターゲットに娘のエミが選ばれたと、そういうことらしい
(家族がいると・・・大変なんだな・・・)
PDAで組織のデータを参照すると、5年前に妻が殺され、さらに10年前には弟も殺されている
(・・・家族を殺されてまでして、続ける仕事・・・?)
彼が組織に身を置き、今の仕事を続ける限り こうして大切な家族が命を狙われて殺されるかもしれないのだとしたら こんな仕事さっさと辞めてしまえばいいのに、とそう思う
自分が家族の側にいれば、普段から家族の命を守れるだろうに
それとも、彼にも
蒼太のように それでもあの組織に身を置きたい理由があるのだろうか
「エミさんですね
 僕は組織から派遣されたあなたのボディーガードです」
一体 このような状況をどう説明しようかと思って口を開いた蒼太に、彼女は笑って言った
「わかってるから大丈夫
 私、こういうの初めてじゃないから
 こんな風に攫われたりした時は、いつも組織の人が守ってくれるから
 ・・・今回も、そういうことなんでしょ?」
「・・・はい」
蒼太の存在にあまり動揺しない様子や、この場所が安全と理解している様子は こんな状況に慣れているからなのか
落ち着き払ったエミの様子に 蒼太は僅かに苦笑した
明日には、組織から派遣された人間が日本につく
それまでの期間、彼女を守るのが今回の蒼太の仕事となる
現時点で、敵の情報は不確定だから、守るには常に彼女の側にいるしかない
(まぁ・・・仕事っていっても1日だけだし・・・休暇といったって別にすることもないから、いいか・・・)
そもそも、今回の休暇も鳥羽の気紛れでいきなり与えられたわけで
鳥羽はさっさと恋人のところへ行ってしまい、蒼太はこの休暇の2週間 放置状態だった
一応、蒼太も大学だの親だのに対する偽装工作を行っておこうと日本に戻ってきたけれど
そんなものは1日あればすぐに終る
休暇といってもさしてすることもなかったから、こんな風に急な仕事が入ってもたいして困りはしないのだけれど
「明日には正式に派遣された人間が来ます
 それまで、僕と一緒にいてもらうことになりますが・・・」
「うん」
「・・・着替えなんかを用意させます
 僕のことは気にしないで、この部屋では好きに過ごしててください」
「うん、じゃあシャワー浴びて寝てもいい?」
「どうぞ」
監禁されていたのだから、普通の感覚ではこんな風にのんきにシャワーを浴びて、なんて言ってられないくらいに疲弊しているだろうに
未だに恐怖で震えていてもおかしくないはずなのに
エミは、しっかりした足取りでバスルームへと向かった
(それほど・・・こんなこと多いってことなのかな)
組織の人間は、家族の存在を隠している
ほとんどの人間が偽名を使っているし、戸籍なんかもダミーが用意されている
国籍もパスポートも何もかもが偽装され、中には整形して顔を変えている者もいる
独身者が多く、特定の恋人や親しい友人を作らない人間も多い
それだけ、自分がこの世界で仕事をするのに家族の存在が枷になるのだ
家族から、自分の身元が判明したり、
漏れた自分の情報から、家族が危険な目に合ったりする
そんな中、エミの父親は自分の素性を隠さず 本名で仕事をしている数少ない人間だった
なぜそうするのかは知らない
蒼太は彼とは親しくないし、特に知りたいとも思わない
だけど、そうすることで こうして娘が危険な目に合ったり、妻や弟が殺されたりするなら やはり身元は隠すべきではないかと そう思う
(ま・・そんなの個人の自由だけど・・・)
人が何を考えてどう行動するかなんて その人の自由だし
他人のことなど所詮全ては理解できない
いつかの鳥羽の言葉を思い出して 蒼太はそっと溜め息をついた
じわじわと緊張が身を浸していく
2日で終る仕事とわかっているけれど、自分1人ではなく他者の身も守らなければならないとなると それは蒼太の神経に余計な負荷をかけた

エミは、自分の置かれた立場をよく理解していた
外に出たいだの、家に帰りたいだのとわがままを言うことなく おとなしくホテルの部屋で過ごしている
「ゼロはどこの国の人?
 日本語上手ね」
「・・・どうも」
今の見た目では、日本人に見えないのだろうか
エミの言葉に苦笑しながら 蒼太は自分の前髪を指でつまんだ
最近 ずっと髪色が金色だから、それに合わせて目の色もカラーコンタクトで青やグレーに変えている
今入ってるのは、くすんだ緑みたいな、グレーみたいな色だったか
鳥羽がおもしろがって色んな色のコンタクトを持ってくるから 蒼太の目の色は最近日替わりだった
「私はハーフなの
 あんまりそう見えないって皆 言うけど」
「カナダと日本のハーフですか?」
「そう、お母さんが日本人でね」
もう死んでしまったけど、と
寂しそうに言ったエミは、最近の女子高生には珍しい 黒髪に化粧気のない幼い顔つきをしていた
確かに、日本人っぽいその顔だちは見た目ハーフには見えないかもしれない
「明日から旅行に行く予定だったんだけどな、残念だな」
「そうですね・・・」
さっきルームサービスで取ったピザをつまみながら エミはつまらなさそうに天井を仰いだ
大人しくしていてくれるのはいいのだけれど、本当に彼女はよく喋った
人見知りをしないのか、蒼太にあれこれ質問したり、自分のことを話したり
放っておいたら1日中話しているのではないかと思いながら
彼女の話に答えつつ、昨日エミを監禁していた人間のことを調べなければならないから 蒼太はちょっと大変だった
組織から送られてきた情報を元に 犯人らしきグループの存在を探すのはあまり容易ではなかった
何せ、情報が少なくて
昨日は彼女の救出が目的で、
その上この仕事の全容をまだ把握できていなかったから あの場で得られたかもしれない情報も一切手にすることなく脱出してしまってきている
自分一人だったら、ここから出てもう一度あの学校に調べに行くのだけれど、と
考え込んだ蒼太に、エミがまた話し掛けてきた
まるで世間話みたいな軽い口調で
なのに、どこか真剣な目をして
「ねぇ、ゼロ
 組織って、どうやったら入れるの?
 女の子でも、入れるの?」

え? と
一瞬、自分の思考に捕われて ちゃんと聞いていなかった蒼太はエミの言葉に わずかの時間言葉をつまらせた
(組織に入る方法?)
なぜそんなことを聞くのだろうと思いつつ、
部外者にそんなこと話せないんだけどな、と思いつつ
蒼太はこちらを見つめる目を見返した
「資格のある人のところには、自然と迎えが来るようになってます」
そうとしか言い様がなかった
自分も まだ組織に入って2年ほどしか経っていない
上位にいる鳥羽なら何か知っているかもしれないが、自分はただの末端の駒にすぎなくて
与えられた仕事をして報酬をもらうシステムに組み込まれた一要素にすぎない
望んでも入れるものではないし、拒否して逃れられるものでもないと思う
蒼太のところには、ある日突然鳥羽がやってきて、死にかけていたのを救ってくれた
そして、そのまま
彼の元で教育され、今がある
鳥羽が来なければ、蒼太は今も黒のパスポートのことは知らなかったままだと思う
それほどに、あの組織はアクセスするのさえ容易ではない
選ばれた者しかその存在を知らないし、
知りたくて探しても、容易に見つかるものでもない
「女の人もいる?」
「いますよ
 世界の半分は女性でしょう?
 同じ様に 組織の半分も、女性です」
蒼太が驚くほどに肉体的なスキルの高い女性もいれば、テレーゼのように何か一つのことに突出したスキルを持つ者もいる
女には男より武器が多いから気をつけろよ、と
鳥羽はよくそう言っていた
蒼太も、女性の底の深さが読めずに戸惑うことが多々ある
「組織に入りたいんですか?」
「入りたい」
試しに聞いてみた言葉に 真剣な返事が返ってきて 蒼太は驚いてエミの顔を見た
「本気ですか?」
「冗談言ってる顔に見える?」
こんな ごく普通の少女が
あんな厳しい世界に飛び込みたいと、本気で思っているのだろうか
「どうしてですか?」
「組織に入って殺し屋の修行をして、あいつを殺してやりたいの」
「殺し屋の修行?」
「そう、組織では人殺しの技も教えてくれるんでしょう?
 あなただって昨日 なんか銃みたいなのを使ってた
 私も、そういうのを習いたい」
何か、この子は勘違いをしているのだろうか、と
思いつつ 蒼太はポケットの携帯を取り出した
蒼太達はたしかに銃も使う
だが、そんなものを持って飛行機には乗れないから 当然空港に降り立った時にはそんなものは持っていない
仕事に必要な時だけ、現地の組織の協力者が手配したものを持つことになっている
普段から持ち歩いているのは護身用のスタンガンや拷問などに使う薬くらいで
あとは 本当にいざという時のための仕込みくらいだ
昨日も、たまたま持っていたガスと、この携帯に仕込んだ麻酔針だけで戦ったのだから
(人殺しなんてしてないんだけどな・・・)
どう思おうが勝手なのだけれど、なんとなく 一応、誤解は解いておきたいとそう思った
「言っておきますが、昨日のは麻酔針ですから あの人達は死んでません
 組織の者は・・・人殺し集団ではありませんよ」
紛争になった場合、自分の身を守る場合、その他状況と相手と仕事内容に応じて たしかに人を死に至らしめることもある
だが、人殺しの依頼などは間違っても回ってこないし、こちらから進んで特定の人間を殺しに行くこともない
「そうなの?
 でも、私のお母さんは殺されたよ?」
「組織の人間が殺したのではないでしょう?」
「組織の人間に家族を殺された人が 私のお母さんを殺したんだって言ってた
 それって最初に殺したのは、組織の人間ってことでしょ?」
彼女の言う、組織の人間というのは 彼女の父親のことだろうか
彼は強引に仕事を進めると有名だったから 今までの仕事で何人か死なせたことがあるのだろう
そんなこと、この組織にいたら当たり前に起こることだ
現地で戦争をしていたら、それこそ何人も何人もが 自分達の動き一つで死んだりする
情報操作で失脚した勢力まるごと、集団自殺に追い込んだことだってある
誰かが得をするために動いた裏で、必ず誰かが泣いているのだから
必ず誰かを不幸にしているのだから
「本物の銃は持ってないの?
 私に銃を貸してよ、殺したい人がいるの」
エミの言葉に蒼太は苦笑した
もしかして、彼女の殺したい人って
「誰ですか?」
「父親よ、私の」
大嫌いな、大嫌いな、
「お母さんはあいつのせいで死んだんでしょ
 そして私も、あいつのせいで怖い思いばっかりしてる」
もう慣れたけど、と
言った目はきつくて、蒼太は心の中で苦笑した
彼女の父は、冷静で聡明な男だと聞いた
自分の娘が自分にこんな風な想いを向けていることに気付いてないはずはない
それでも、組織に身を置いて
それでも、戦い続けて
娘をたったひとり日本に残し、危険な目に合うのをわかっていて側にいてやらず
こんな風に憎まれて
こんな風に殺してやりたいと言われて
それで平気なのだろうか
それで、いいのだろうか
「銃なんて持ってませんよ
 そもそも僕はここには休暇で来たんですから」
穏やかに言った蒼太に エミはつまらなさそうに溜め息をつくとベッドに横になった
「私ね、あいつが大嫌い
 だから決めてるのよ、あいつは絶対私がこの手で殺すんだって」
つぶやきは、静かな部屋に響いて
蒼太は その後は黙ってしまったエミを見つめてそっと息をついた
よその家庭のことなど興味はなかったけれど、
なんとなく さっき見たエミのきつい目が印象に残った
睨み付けるみたいな目
それは そうしていないと今にも泣き出しそうな程 危うく見えた

つつがなく終わった1日目と比べ、2日目は朝から平穏とは対極だった
まず、けたたましい非常ベルが鳴り響いて パソコンに向かっていた蒼太は慌ててベッドのエミを起こした
まだ半分寝ぼけているような様子のエミにコートを羽織らせ靴をはかせて外に出る
何ごとかと、怯えた様子の人に紛れて非常階段から下へと下りた
「何・・・ねぇ、火事?」
「わかりませんが、混乱に乗じて襲ってくるかもしれません
 一旦ここから離れます」
言って部屋のドアを開けた途端、背後で爆発音が上がった
「きゃあ・・・っ」
音と同時に爆風が吹き上がる
とっさに腕の中にエミを庇ったまま、蒼太はその場に身を伏せた
轟音が上がり、人々の悲鳴が響き、熱風に砕け散った家具の破片が飛び散っていった
(過激・・・ここって日本だったよね・・・?)
空気が熱い
爆発はたいしたことがなかったけれど、ピンポイントで自分達を狙ってきている
蒼太達の居場所が1日で割れたとなると 相手は日本で相当なネットワークを持っているのか、
もしくは 学校からエミを救出した時 別の仲間が蒼太達の後を尾行したのかもしれない
ともかく、相手が早くも動き出し、またエミの命を狙い出したのには間違いなかった
(あと1日くらい待ってくれてもいいのに・・・)
今日の昼の便で組織の人間が日本につくことになっている
空港で落ち合うことになっていたから、朝食の後ホテルを出ようと思っていたけれど
「エミさん、立てますか?」
「・・・・・」
さっさとこの部屋の側から離れないと危険だった
家具が燃えはじめて 辺りの空気が熱い
もくもくと上がる天井に上がった煙りに スプリンクラーが動き出したから この程度の火ならすぐに消えるだろうけれど
「怪我はないですね?
 とにかくここを離れます」
震えるエミを助け起こして、怪我をしていないのを確かめると 蒼太はその手を取って避難する人込みに紛れた
つないだ手から、エミが震えているのが伝わってくる
無理もないだろう
あんな爆発がすぐ側で起きれば 一歩間違えば死んでいただろうと思うし
いくら慣れたとは言っても 訓練を受けているわけではない普通の子が 命を狙われて平気なはずがない
(しかもこんな朝っぱらから目立つことこの上ないやり方・・・っ)
爆破なんてしてしまうほど過激なやり方ができるということは、敵はかなり大きな組織である可能性が高い
人数も、蒼太が考えているより多いのかもしれないし、
何より やり方が脅しではなくなってきている
(学校に監禁してた時は まだ脅しだったのに)
エミの話では、その日の朝に攫われて夜まで監禁され、真夜中に蒼太が助けにきてくれたと言っていた
攫ってすぐに殺さなかったということは、彼女の父に対して何らかの取り引きや脅しをかけていたのだろうと推測される
それが、今朝はいきなり爆破だ
最初から殺す気できている気がする
そんなのを相手に 何の準備もなくたった一人で戦わなくてはならない
自分の身を守るだけならまだしも、あんな無力な子を守りながら
(武器もないし・・・)
麻酔銃もガスも昨日で使い切ってしまった
このホテルには武器あった武器になりそうなものといったら、果物用のナイフくらいだった
相手は爆薬を使うのに、と
苦笑しながら 戦い方を考える
とにかく、ここから脱出しなければならない、と頭を働かせた
鳥羽ならどうするだろう
二人いれば もっとやりようもあるだろうに、と
蒼太はそ、とピアスに触れた
心がスッと冷めていく
「大丈夫、あなたは僕が守りますから」
怯える目のエミに、蒼太はわずかに笑って言った
組織の人間には失敗も敗北も許されない
この少女を守るのが 今の自分の仕事なのだから
どんな状況でだって、必ず守り切ってみせる

ホテルはいつまでも騒然としていて あちこちで軽い爆発が起きていた
エレベーターは止まり、階段に人が殺到し
客を避難させようとする従業員と、パニックになった客とが 廊下に溢れ返っていた
防火扉が誤作動し、閉じ込められた客がいると誰かが叫んでいる
火を消そうとしたのか、水浸しの階もあって、とにかくチェックアウト前の時間帯だったからか混乱は時間がたつにつれてエスカレートしていた
(・・・もしかして、外に出られないのか?)
下の階へ行くほど、人が溢れている
時間が経てば避難がすすみ、人も減るだろうに そんな様子も見えない
(ロックされたのか・・・?)
ここの従業員を脅して入り口を閉ざしたのか、それともシステムを乗っ取ったのか
それともアナログなやり方で、武装してドアの前に立っているのか
わからなかったけれど、とにかく正面からは外に出られないのを察して 蒼太は足を止めた
このまま進んでも意味がない
そう思った時、出口へと向かう人並みをかきわけて、こちらへ向かってくる男を見付けた
瞬間、一気に身体に緊張が走っていった

人の流れを逆流して 明らかに誰かを探している様子は異様だった
さっきから色んなところではぐれた家族の名を呼んでいる人を見たが それとはまた違い、彼は落ち着き払って辺りを見回しながら歩いてくる
「伏せててください・・・」
エミの頭を押さえ付けて、人込みの中に隠した
こんな人の多いところで襲ってくる気か
ここは平和大国 日本で、こんなテロじみた騒ぎとは無縁の国なのに
(ナイフを使うほど接近したくはない・・・)
どうしようかと辺りを見回して、蒼太は壁に設置してあった消化器を手に取った

最初の接触は向こうからだった
こちらを探しながら歩いてくるのを 人込みにまぎれてうまくやり過ごそうとしていたところに 側の扉から出てきた大量の人に押しながされ エミが悲鳴を上げたのがきっかけだった
男がエミの姿を捕らえ 外国語で何か言った
(ドイツ系・・・?)
考えるのと同時に 蒼太は動いていた
手にした消化器を男の顔へと向け、勢い良く噴射する
周りの人たちから悲鳴が上がり、同じようエミも悲鳴をあげてしゃがみ込んだ
「エミさんっ、立ってっ」
この人込みでは思ったように動けない
それは相手も同じだけれど、武器がないこちらの方が不利だった
今はここにいる人たちを盾にして、エミを守って逃げるしかない
「立ってっ」
叱りつけるように言い、その腕を引いた
よろよろとエミが立ち上がると、蒼太の腕にかかっていた体重がわずかに軽くなる
「身を低くして頭を下げて走ってください」
「そんなのできない・・・っ」
「できます、さぁ、早く・・・っ」
人込みの中からエミの身体を引っぱりだし もう片方の腕で支えて、
蒼太はさっき人が雪崩れてきたドアを見遣った
あれは15階にあるバーに上がれる階段のドアだ
敵は前から来ていて、後ろに戻れば行き止まり
下は閉鎖、だったら上へ抜けるしか道はない
「行きますよ、足を動かして」
言った途端、誰かが隣でずるりと倒れた
ゾク、として振り返る間もなく 蒼太はとっさにエミの身体を後ろから抱き締めて その身を庇った
途端、蒼太の肩に、熱い痛みが走っていった

人の流れと逆行して階段を上へとのぼり、人気のない15階のバーまで一気に上った
息を切らせて震えているエミをソファの陰に座らせた後、自分の服を脱いで肩の傷の止血をした
撃たれた右肩はズキズキと痛み出している
敵が撃ったのは銃じゃなかったが、するどい刃物の刃の部分だけが肩に食い込むように刺さっていて、
それを引き抜いた手も、切れて赤い血を流した
走ったせいで、傷口から血がじわじわと溢れてきている
(脱出経路を探さないと)
しかし、今はそんなことにはかまっていられなかった
とにかく、ここから離れてエミを空港に送り届けなければならない
それにはまず、この場を脱出しなくては
(避難用の秘密の通路とかあればいいんだけど)
バーのカウンターの奥に置いてあるパソコンを起動して管理画面を開いても、それらしきものは見つからなかった
もとよりここは日本で、
このホテルは高級ホテルとはいっても、ただの宿泊施設
蒼太のいる組織の建物や、仕事で行った秘密クラブや宗教団体の建物とはわけがちがう
こんな 武装した誰かが襲ってきて逃げなければならなくなるような事態は想定していない
(あ、しめた、これ中央に繋がってる・・・?)
パソコンを弄ってホテルの管理画面にアクセスし続けると それはやがてセキュリティの元締めシステムと繋がった
ロックを解除していって、どんどん奥へと進んでいくと、どうやらこちらからセキュリティを弄れるようにできている
(ラッキー、こんな末端と中央が同じシステムの上に乗ってるんだ)
それなら、こちらからこのホテル中にある監視カメラの映像を確認することもできるし、
敵によって閉鎖されているのであろう正面入り口やその他のドアを開けることもできる
「何を・・・してるの・・・?」
震えながら問いかけてきたエミに、蒼太はわずかに笑って答えた
「逃げ道を確保します
 それまで、あなたは休んでいてください」

エミは、パソコンに向かっている蒼太の側で、不安そうにうずくまると俯いてぽつぽつと話しはじめた
何か話していないと不安なのだろう
昨日の気丈な様子は、どこにも見えず 今は震えて、怯えている
「私ね・・・本当は怖いの」
その言葉に、蒼太は苦笑した
当たり前だと思う
いくら慣れたと言ったって、蒼太だって撃たれれば痛いし、怖いものは怖い
訓練して、意識をコントロールする術を手に入れるだけで、恐怖そのものがなくなるわけではけしてない
「誰だってそうですよ
 僕だって、どれだけ経験しても怖いものって、あります」
「組織の人もそうなの?
 死ぬのなんか怖くない人ばかりだと思ってた」
(死ぬのは怖くないけど・・・)
パソコンの画面を見ながら 蒼太はわずかに心が痛んだのを感じた
死ぬのは、怖くない
いつ死んでもいいと思っている
ただ、1つ蒼太が怖いものは鳥羽の与える全てだった
言葉、行為、気持ち、物、なんでも全部に影響される自分がいる
誉められれば嬉しくて、罰を受ければ震える
抱かれれば熱を持ち、切り離されれば冷たくなる
この身に昔からある 世界を知りたいという欲求は、いつか二番目の理由となって
今はただ、鳥羽に認められたいという想いだけで組織にいる
彼の側にいたかったから
彼に触れていたかったから
命や家族やその他の色んなものに あまり執着しない自分がこんなにこんなに魅かれて
どうしてもどうしても心を動かされて
彼のおかげで今の自分があり
彼が更に暗くて深い世界を教えてくれたから 蒼太はどうしようもないほどに堕ちていった
鳥羽という存在に、狂いそうになる
それこそ、いつまでも甘い蒼太を厳しく教育し、叱り、呆れ、それでも可愛がってくれる人だったから
たまらなく、たまらなく
こんな風に、深く根付いた想いに窒息しそうになっている
「私はね、あいつの娘である限りこうして命を狙われて怖い思いをし続けなきゃならないから
 だから考えたの
 少しでも自分が怖くないように、どうしたらいいのかって」
エミは俯いたまま、話し続けた
「鏡を見て、暗示をかけるの
 トイレとか、お風呂とかに鏡あるでしょ?
 そこで1人になって、言い聞かせるの
 私は大丈夫、怖くない、怖くない・・・って」
その言葉に、蒼太は ああそれで、とわずかに息をついた
昨夜のエミは気丈だった
慣れているから平気だと言って笑っていたし、学校から逃げる最中も震えてなどはいなかった
けれど、今日は違う
朝からずっと震えているし、今も怯えた目をして時々背後を気にしている
「朝起きたら顔を洗うでしょ?
 その時にやるの、毎日毎日
 私は強いから大丈夫、私は何も怖くない
 私のことは組織の人が守ってくれるから、安心していいんだって」
そう言い聞かせるの、と
言ったエミの目に涙がたまった
「ねぇ、助けにきてくれるかな・・・組織の人」
「来ますよ
 あなたのために飛行機に飛び乗って、今 日本に向かってます
 今頃は、あなたの無事を祈ってるでしょうね」
さっきPDAに届いたメールに、組織から派遣されてくる人間の名前が載っていた
空港で落ち合ってエミを引き渡すことになるから、お互いわかるようにと、顔写真もついていたっけ
1人は知らない女性で、もう1人はエミの父親だった
仏頂面の厳しい目つきのこの男は、家族が狙われた時 いつもいつもこうやって他の仕事を放り出して日本に戻ってくるのだという
今回も、今やっている仕事に代役をたて、取るものも取らずに飛行機に乗ったと報告されている
「ねぇ、ゼロ、怖いよ」
「怖くて当然です、だから怖がってもいいんですよ」
言いながら、蒼太は画面に写った監視カメラの映像をPDAに取り込むとそれをポケットに突っ込んだ
ここでやるべきことは済んだ
自分は、どんな状況であろうと与えられた仕事をするだけ
「さぁ、行きましょう
 閉鎖された裏口を開けました
 敵は皆 今は別の場所にいますから、今のうちに外に出ます」
座り込んでいるエミに手を差し出すと 涙に濡れた目が見つめ返してくる
命を狙われる、なんて映画の中の出来事みたいなことがリアルに自分の身におきて
実際 母親がそれで死に、父親はいつも側にいない
1人ぼっちで耐えるしかなかった子が、今ようやく素直に怖いと泣いていることに 蒼太は少し心を痛めた
父を嫌いだといい、
父のせいでこんな目に合うのだと恨み、
父の仕事のせいで母が死んだと言いながら、その父を今度は自分が殺すと言っていた
揺るがない、強い目をした少女の言葉
あれも、暗示にかけて 自分にそう言わせているのだろうか

そのまま、裏口から外へ出た蒼太とエミは、集まってきているパトカーや救急車、消防車の間を縫ってこの騒ぎを抜け出し、通りでタクシーを捕まえて空港へ向かった
「傷・・・大丈夫?」
「大丈夫ですよ、慣れてますから」
「痛くないの?」
「痛いけど、これくらいは何でもありません」
「組織の人は怪我をすることなんてしょっちゅう?」
「そうですね、でも腕のいい人は怪我なんてしません
 僕はまだ、未熟者なんですよ」
「でもそれは、私を庇ってくれたからでしょ?」
「本当にできる人間は、自分の守るべき相手に 自分のことなんか心配させたりはしないそうです」
鳥羽のように、と
蒼太は笑って、PDAを開いた
空港まで、あと30分ほど
組織の人間が到着する時間は1時間後
多分、このまま何ごともなく引き渡すことができるだろうと想像し、そっと息をついた
鳥羽が一緒にいたら、もう少しスマートな方法で仕事を終えただろうし、
怪我をした蒼太に、だからお前は甘いんだよ、なんて呆れた顔で言うのだろう
(やばいな・・・僕)
まだたったの2.3日しか離れていないのに、もう鳥羽が恋しくなってしまっている
依存すればする程
想えば想う程、自分が鳥羽の嫌悪するものになっていくと自覚しながら それでもこの想いは止まらなかった
「ねぇ・・・」
苦し気に、僅かに顔を歪めた蒼太に エミが心配そうに言った
「どうしてもどうしても辛い時は、ゼロも暗示してみたら?」
大好きなのに、大好きと言えない時
怖いのに、怖いと言えない時
自分自身に言い聞かせるのだ
嫌い、嫌い、大嫌い
大丈夫、自分は大丈夫だから、平気だから

「私はね、お父さんなんか嫌いって、毎朝毎朝、暗示をかける」

エミの言葉はとても悲しいようで、優しいようで
蒼太は聞いていて、無性に苦しくなった
一晩たてば消える魔法みたいな、暗示を繰り返して
いつか本当に嫌いになれるのだろうか
どれだけ怖くないと暗示をかけたって、夢から覚めればやっぱり恐怖に震えるのに
「私はね、本当はあの人が大好きなの
 でも、あの人が愛したのはお母さんだけで、今も お母さんの仇を取るために組織に身を置いている
 だから私はどれだけ好きになったって意味がない
 私は娘だから、あの人と結婚はできない
 あの人と愛しあうことはできない」
だから暗示をかけて気持ちを殺すんだとエミは言った
なんとなく、その告白をきいても蒼太は驚かなかった
そんな気がずっとしていた
この子は無理をしている目をしていたから
怖いのに、怖くないといい
好きなのに、嫌いと言っている そんな気がしていたから
「あの人のせいでお母さんが死んで、私も怖い思いをいっぱいした
 あの人は憎い人
 だから、私はいつかあの人を殺す
 この気持ちと一緒に、殺すの」
それは悲しい暗示だと、思った
そんなので、本当に殺せればいいけれど、
毎朝毎朝繰りかえして、いつか本当になるならいいけれど
「そんなので、気持ちなんか殺せないけどね」
嫌いだと暗示をかけても、心は好きなまま
このどうしようもない想いを、どうにもできない無力な自分のまま
悲し気に笑ったエミに 蒼太は胸がぎゅっとなった

「そうですね・・・僕も今度試してみます」

蒼太は言って目を閉じた
嫌い、嫌い、嫌い、
くり返して この窒息しそうな想いを止められるなら いくらでもやろう
鳥羽の嫌うものになっていくのを止められるなら、何度でも繰り返そう
嫌い、嫌い、嫌い
そんなのは、ただの誤魔化しだと知りながら それでも繰り返すのは暗示によって少しは、少しは楽になるからだろうか
エミは、それで少しは救われるのだろうか

空港に到着した父親に、エミは蒼太の手を振り切って駆け寄ると泣きながらその身体に抱きついた
娘が震えて泣く様子に安堵の溜め息をつきながら その身をしっかりと抱き締めて男はわずかに苦い顔をし
引き継ぎのデータを渡した蒼太に 日本語で礼を言った
「監視カメラの映像データをお渡しします」
蒼太の渡したデータには、さっきホテルを襲った人間の画像が写っている
蒼太には見ただけではわからなかったが、彼らに恨みを買っている張本人になら 映像が犯人グループの割り出しの手がかりになるだろう
「ありがとう、ゼロ」
泣きながら言ったエミに、蒼太は一度だけ笑うと一礼して、その場から背を向けた
大嫌いだと暗示をかけてまでして気持ちを殺そうとした大好きな相手
その人に抱かれて 心底安心した顔のエミに 言葉は見つからなかった
どれだけ苦しい想いでも、
嘘の暗示で自分自身を誤魔化していても
側にいるだけで あんなにも嬉しそうにするのだから
世界に怖いものなどないというような、安心した顔をするのだから 暗示など本当は意味がないのかもしれない
結局、自分自身はごまかせないのかもしれない
(・・・僕も、あんななのかな・・・)
溜め息をついて、苦笑した
鳥羽を想えば想うほど、身動きが取れなくなる自分がいる


女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理