性癖5 (赤×青)


サージェスの本部には、精神科というチームがある
責任者は佐々木という男で、彼の元に集まったチームメンバー達には 常に何かと黒い噂がまとわりついていた
そこでは、日々 より強い戦士を生み出すための怪し気な試験薬の開発や、精神コントロールなんかが行われている

「菜月ちゃん、カウンセリングは月イチだったっけ?」
「うん、終わるまで2時間くらいだから、蒼太さん 先に帰ってていいよ」
「いやいや、さくらさんからちゃんと連れて帰ってこいって言われてるから
 適当にそこらで待ってるよ、終わったら連絡ちょうだい」
「はーい」

菜月は過去の記憶を呼び起こすため、その正体を突き止めるために サージェスから月に一度のカウンセリングを強制されている
いつもは さくらや暁が付き添いしているのだが、今日はたまたま二人とも緊急の用事ででかけていて、一人ヒマしていた蒼太につきそいの指令が下ったのが ことの始まり
本部には通い慣れているけれど、精神科のあるこの別館にはめったに立ち入らない
元々、あまり良い評判ではない精神科に、好んで近付く者がいるとも思えず
菜月のこのカウンセリングだって、暁が反対したにもかかわらず、結局命令だからと月に一回の受診を強要されているから渋々通っているだけなのだ

「チーフから 時間になったら必ず終わらせるよう見張れと言われています
 私は今日 用があって行けませんから、蒼太くん お願いしますね」

そう言って出かけていったさくらは真剣な顔をしていたし、用がない時以外は暁が自らつきそっていることからして ここが相当やばいところだというのが伺える
本人は、いたって前向きに、何か思い出せるかもしれないから、と そんなに嫌がっている様子はなく こんな風に笑って診察室へと入っていくけれど、多分暁は 菜月や自分なんかより 本部の黒い部分を知っていて、精神科に菜月を何度も通わせるのに不安を感じているのだろう
だから できる限り自分が付き添いで行く
さくらの言った通り 付き添いはいわば、精神科の奴らが菜月に変なことをしないかの見張りのようなものなのだろう、と 蒼太は待ち合い室のソファに腰掛けて 天井を見た

まるで病院のような作りのこの別館は、あらゆる場所が白い
それだけで、妙な緊張を感じて 実はさっきから居心地悪かった
菜月は平気そうだったから、自分が神経質になりすぎているんだと、あまり考えないようにしているけれど、こうして一人になってしまうと余計に、この場所は息苦しく感じた
そもそも、精神科の表向きの仕事は、戦士や職員のカウンセリングや精神の傷の治療だ
なのに、ここでは、自白剤や人を操る薬、肉体を一時的に活性化させる薬、一歩間違えれば死に至るような危険なものまで作っているという
(精神科なんて名前だけだよな・・・実際は噂なんかよりもっと危ないことしてるんだろうなぁ)
本部はそれとわかっていて、予算を出すわけだから、この組織は本部公認というわけなのだ
肉体を強化する薬があれば、敵と戦いやすくなるだろう
凡人を、訓練を積んだ暁のような戦士にする薬があれば、サージェスの戦力は今の何百倍にもなるだろう
科学者というものは、そういう夢みたいな話を実現させようと ある種 狂気のようなことを平気でやってのける
サージェスのため、と 彼等にはそれが正義なのだ
だけど、実際はそんなに簡単なものじゃない
凡人を超人に変える薬がたとえ、出来あがったとしても
それは無理に 薬で人間というものを そのように変えてしまうのだから必ず何らかの副作用が出てくるのだ
たった一瞬で、何年も訓練を積んだ強さを手に入れられるかわりに、必ず失う何かがあるのだ
それをわかっていて、ここの人間は薬の開発を続ける
被験体に、その薬を投与する
(副作用が出たって、痛いのは自分達じゃないもんな)
副作用の苦しみを、科学者達は知らない
失敗しても、死ぬのは自分達じゃない
彼等は、ファイルに失敗のデータを追加するだけ
被実者を人間と思っていないような淡々とした報告書を、以前ハッキングして読んだことがある
その時に思ったものだ
痛みを知らない人間ほど、こわいものはないと
剣を交えて戦う敵の方がいくらも、信じられると

1時間ほど、携帯を弄んでいた蒼太は、ふと視線を感じて振り返った
背後は、白い壁だったが そこから視線を感じる
(・・・監視カメラでもついてるのかな・・・)
そっと溜め息を吐いて、携帯に視線を戻した
途端、部屋の照明が消えて 部屋は真っ暗やみに包まれた

「・・・っ」

とっさに、立ち上がってアクセルラーをつかみ出した
気配を殺して 辺りを伺う
2秒も、暗闇は続かなかった
本当に一瞬、
それでも 蒼太には長く感じた
こういう状況、覚えがある
一人で敵地にいる感覚
昔の記憶と感覚を呼び覚まされて 蒼太は あかりのついた部屋に入ってきた3人の人間を見据えた

「素晴らしい反射神経だね」
部屋に入ってきた男は 全員が白衣を来ていた
ここの職員だろう
ネームプレートの名前には見覚えがある
精神科の責任者の佐々木と、他の2名も いつか盗み出したデータで見たことがある名前
「・・・何か用ですか?」
ふ、と
意識して、鼓動を抑え 蒼太は手をジャケットのポケットに突っ込んだ
真直ぐに佐々木を見遣って いつもみたいにヘラヘラ笑ってみせると 彼は眼鏡の向こうから蒼太を見つめ 大袈裟な身ぶりで話し出した
たわいもない世間話のようなもの
ここに来るのは初めてだね、とか
カウンセリングはあと1時間もかかるよ、とか
今日はミッションはないの?とか
「特に暇してるわけではないので、放っておいてもらって大丈夫です」
にこにこと、笑って答えながら 蒼太はポケットの中でアクセルラーを握り込んだ
何が目的なのかわからないけど、この雰囲気は危険だと本能が告げる
表情のない後ろの二人も気味悪かったが、人なつっこくべらべらと喋りっぱなしの佐々木が一番無気味だった
(まるで自分を見てるみたいだ
 ・・・僕のヘラヘラも、やりすぎたらこうなるんだな・・・)
相手を油断させようと顔に笑顔を浮かべるのも
こちらの警戒を悟られないよう余裕のふりをして穏やかに明るく話すのも
どれも、自分もやるから
人に悪いイメージをもたれないよう、人を不快にさせないよう、
警戒させないよう、攻撃的な感情をもたれないよう
スパイ時代に身に染み付いた生き方で、そのままに今も生きているから

「ちょうどね、新しく開発したプログラムの被験者を探していたんだよ」

笑ったままの顔で、佐々木が言った
ぎくり、と蒼太はアクセルラーを持つ手に力を込める
「君は勘がいいね
 この部屋に設置してあるカメラをオンにした途端に気配を感じて振り返ったね
 そういう鋭い人間で実験をしたいんだ
 ぜひ、君に協力してもらいたい
 言っておくけど、今もまだ、ここの様子は別室でモニタリングされている
 だから君がもし、ここで何か行動を起こしたら 外にいる者にそれはつつぬけになるということだ」
わかるね? と
目の奥を覗き込むようにした佐々木は くくくと愉快そうに笑って また大袈裟な身ぶりで話し出した
「危険があるプログラムじゃあない
 君達のいる基地の地下にある訓練場、あのシステムに似たものでね
 あれはその場にいる者に一定の脳波を与え あたかもそこにジャングルがあるかのように
 海が広がっているかのように感じ取れる感覚をつくり出す
 外から見ている者にはただの四角い部屋でしかないが、中にいる者には様々な地形が見え 木々に触れ水の匂いを感じ取れる
 そのシステムの改良版なんだ
 うまくいけば、実用化できる
 ただ、たまたま今まで被験者がいなくてね」
佐々木の言う訓練場のことは 蒼太も知っている
普段はただの訓練場として使っているけれど、特殊な地形を攻略する時の訓練では 脳波を流して使うし
真墨と菜月が入隊した時の最終試験でも使った
たしかにあれは実用化され、重宝されている
わざわざ特殊な地形の場所へ行かなくても訓練できるから便利だし
実際、その場で身につけた感覚は 実戦に生かせている
「・・・で、僕に被験者になれってことですか?」
「君が嫌なら間宮菜月さんに協力してもらうんですけどね
 彼女はカウンセリングで疲れていますし、君はたまたま今 時間がある」
1時間で終わらせますよ、と
佐々木の言葉に 蒼太は心の中で舌打ちした
断っても、逃げ出しても、変身してこいつらをぶちのめしても
この部屋が監視されているのなら、自分が菜月のところに辿り着く前に菜月に何かされる怖れがある
暁なら、こいつらにこんなことを言わせない無言の強さがあるだろう
さくらなら、こんな取り引きのような話を持ち出される前にピシャリと断り菜月を守れただろう
話を聞いてしまってからでは、もう遅い
決断するのが遅れた自分のミスは、自分でぬぐわなければならない

「わかりました」

アクセルラーを没収され、蒼太は別室へと一人入れられた
やはり白い部屋
データを取りたいからと、手足と頭に妙な輪がつけられる
(孫悟空かっての・・・)
両手に、武器はない
不安が、身体をじわじわと満たしていった
平静を保たなければ
余計なことは考えず、神経を研ぎすませて辺りの様子を伺った
心の中で数を数えはじめる
1時間ということは3600秒だ
それだけ耐えれば 終わるんだから

そんなことを考えている間に、ふと景色が変わった
冷たい灰色のコンクリート
迷路みたいに複雑な道が続いている
「歩いてみてください」
頭の中で声が響くのを不快に感じながら 蒼太は歩き出した
早く出たい、こんなところ
武器もなく、仲間もいない
たった一人
影をひそませていた昔の感覚が、じわじわと甦ってくる

少し歩くと、前方に人陰が立ちふさがった
過去に一緒に仕事をしたことがある軍人の1人だ
スパイとして敵地にもぐりこんでいた政府の研究者を保護しろという依頼だったはずだ
蒼太は軍人4人と女性の医者1人と一緒に 軍事基地から脱出しようと試み、
泥と血に汚れながら 必死に走った
そして、
「結局 生き残ったのは僕だけだったんだよね・・・」
つぶやきながら、俯いた
見ると自分の手に いつのまにか銃が握られている
あの頃は、こういうものもよく使った
「みんな死んだよ、今さら出てきてどうしようっての?」
相手の手にも銃が握られている
死者の幻を相手に 何の実験をしようというのか
心の闇を引きずり出して どうしようというのか
「おまえは生き残ったんだな」
「僕は・・・プロだからね」
何の躊躇もなく、蒼太は引き金を引いた
男が倒れ 赤い血が散る
こういうところまで再現なんだ、リアルだなぁなんて どこかのんきな自分がいる
「私の最期は悲惨だったわ」
「そうだね、助けてあげられなくてごめんね」
たった一人女性だった医者は、敵の捕虜となってその身を犯されて自決した
蒼太は彼女を助けるより 依頼を優先して政府要人を保護して逃げた
「彼女と俺は、この仕事の後結婚するつもりだったんだ」
「そんなの僕には関係ないでしょ?」
3人目の男は、軍人でありながら武器を持つのが好きになれないと言っていた
彼は身を隠した暗い場所で 今のように彼女を見殺しにした蒼太を責めた
また、引き金を引く
あの頃、仕事仲間は皆 単なる駒のようなもので、
だれもが蒼太のように、何かに取り付かれてこの世界にいるのだから 死ぬ覚悟なんてできているんだと決めつけていた
「死んでもいいと思って生きている人間などいない
 おまえはどこか狂ってる」
「そうかもしれないね
 でも、僕のいた世界は 世界がまるごと狂ってたよ」
4人目は、戦争で片腕もなくした男だった
静かな物言いで、哀れむような目で蒼太を見ていたっけ
銃を撃つ衝撃と硝煙の匂いが記憶をくすぐる
こんな過去の思い出を再現して、何のデータがとりたいんだろう
誰にも話していない闇を、こんな場所に引きずり出すんだから すごいシステムだと言えばそうなんだろうけれど
「俺はさ、お前はそんな冷たい奴じゃないってわかってる」
「僕の何を知って、そういうこと言うのかな?」
最後の男は、蒼太と同じくらいの年齢の 若い軍人だった
他人を理解しようとして、結局自分の意見や自分の考えを押し付けるタイプの底の浅い人間だった
けれど、だからこそ、
彼が信じてると言うたび、自分の汚さを思い知らされた
こんな風に彼に銃を向けた時 彼は引きつった顔で狂ったような目をしていたっけ
「正直、うんざりだったんだ」

先へ進むと また知ってる顔が出てきた
一体 この最上蒼太が過去どれだけの人間を殺して、どれだけの国を飛び回って
どれだけの情報を盗み出して、とれだけの人を不幸にしたか
1時間じゃ再現しきれないよ、と
腕が痛むほどに、蒼太は何度も銃を撃った
もういくつまで数を数えたか忘れてしまった
1時間ってこんなに長かったっけ、と
冷たいコンクリートの壁に手をつき、角を曲がる
そこにまた、誰かの気配を感じて 蒼太はわずか乱れはじめた呼吸を整えながら顔を上げた

そこに、彼がいた

「・・・・・っ」
多分、あの頃の自分がここに立っていたとしても 似たような感覚を覚えるだろう
逃げ出してしまいたい衝動
そこにいる人はあまりに強く、あまりに鋭く、あまりに厳しい
まるで、今まで散々 この手の銃を使ってきた蒼太を責めるように そこに無言で立っている

「チーフ・・・」
身体が震えた
声も震えた
何だというのだ、たとえ
たとえ 過去の者達の幻を殺せたって
たとえ ここにいる暁が幻だとわかっていたって
「言っておきますけど・・・僕にはできませんからね」
暁に銃を向けるなんてできない
する気もない
身体がうまく動かないと思いながら、蒼太は銃を足下に放り投げた
音をたてて滑っていく黒い物体
それで少し安心して暁を見上げたら、いつもみたいに笑って 暁は言った
「今までと同じだろう? やってみろ」

気付いたら、手にはまた銃が握られていた
ドクン、と
平常心が保てなくなっていく
鼓動が早まるのを抑えられない
「そ・・・いうのは、無理ですってば・・・」
一歩あとずさって、銃を手放した
足下に落ちたそれは、鈍い音をたてる
「できないことはないだろう?
 いままで平気そうにしていたじゃないか」
「今までと今は違うんです・・・っ」
暁が一歩、近付いた
同じだけ、蒼太はあとずさる
暁の笑った顔から目が逸らせなかった
冷たい、冷たい目
この人はこんな風に笑う人だったろうか
もっと、優しく、仕方ないなって風に笑ってくれる人だったはずなのに
「蒼太? 人はそんなに簡単には変わらない
 今も昔も お前は同じだろう?」
もう一歩、暁が近付いてきた
逃げるようにあとずさる
そこで、背中が冷たい壁にぶつかった
「・・・チーフ・・・っ」
もう一歩分、二人の距離が縮まる
体温が一気に下がっていく
「あの頃は 一人だったんです・・・っ
 僕も、他のチームのメンバーも 単に仕事を成功させるためだけに集められた駒にすぎなくて
 僕はプロで、他の皆もプロだった
 だから、助けなかったし守らなかった
 リスクの多い行動は起こさない
 確実に仕事を終える最良の方法を考える
 あの頃はそうやって生きていたんです・・・っ」
でも、と
まるで懺悔をする気持ちになりながら 蒼太は震える声で叫ぶように言った
「でも今は違いますっ
 僕は一人じゃないし、自分も仲間も駒だなんて思ってないっ」
すぐ目の前にまで、暁が歩をつめて 蒼太の震える手を取った
ギクリ、とする
手にまた、重い感覚がある
黒い銃が握られている

「この世界はお前の脳波とシンクロして形成されている
 ここに出てきた幻を殺したのは今のお前であって、昔のお前ではない
 おまえは何も変わっていない
 ともに戦った人間を2度殺せるし、躊躇もしない
 そして今、変わったと言いながら この手から銃が離れない」

いつのまにか、声は目の前の暁からではなく 頭の中で響いていた
どこかで聞いたことがある声だと、意識の外で考える
目はまるで 凝視するように目の前の暁をみつめ
震える手は 暁に取られたまま
その中の銃は 暁の胸に押し当てられている
「ゆる・・・してください・・・チーフ・・・」
本当にそうなのだろうか
簡単には、変われないのだろうか
幻だとわかっているから撃てたのだと 自分では思っている
だけどそれなら今 なぜ、暁を前にして 捨てても捨てても銃がこの手に現れるのか
「幻だとわかっているなら撃てるだろう?
 どちらも幻なら、俺と昔の仲間を差別するのはおかしいな」
暁の手が 引き金に蒼太の指をからませる
震える身体はいうことをきかなくて、蒼太にはどうすることもできない
ただ、暁を見上げているばかり
「やめて・・・ください・・・やめて・・・」
必死に懇願しても、
どれだけ抗おうとしても、
暁は冷たい目で笑ったまま 蒼太を見下ろしていた
そして、蒼太の指を握り込むようにして力を込めた

ドン・・・

すぐ側で、暁の顔が歪む
続けて1発、また1発
蒼太の意志に関係なく、蒼太の指は引き金を引いた
「い・・・い、い、い・・・・・・やだ・・・っ」
手も、顔も、服も、返り血で染まった
生温い水
血の匂いに 吐きそうになる
何発撃たれても、暁は蒼太の手を放さなかった
いやだともがいても、
やめてくれと叫んでも、
暁がつよく握り込むたびに 蒼太の指は引き金を引く
「いやだいやだいやだ・・・っ、許して・・・・っ」
まるで永遠に続くかのように、銃声が鳴り続ける

*

*

*

*

*

白い部屋にくずれるように座り込み、蒼太は考えることを拒否して俯いていた
涙が止まらない
実験は終わりですと告げられて データを取るための輪もはずさて
お疲れ様でしたと言って科学者達が出ていってからも 一人動けずに座り続けていた
夢でもなければ、幻でもない
目にした映像に実体がなくとも、あれは過去に生きていた人間達だったし
蒼太が駒と扱って切り捨ててきた者達だった
幻だから、簡単に殺せたのなら なぜ幻とわかっている暁にも同じことができなかったのか
暁の幻が言ったように 人は簡単には変われなくて
自分は今も あの時と同じで
暁を殺せなかったのは、暁が好きだからで
他の人たちを殺せたのは、彼らが蒼太にとってどうでもいい人間だからか
結局、違いはそれだけで、自分は何ひとつ変われてはいないということか

「また同じことをするんだろうか・・・」

暗闇が戻ってきたような気がした
自分は一人ではないし、あの頃から変わろうと思っている
ここには居場所があるんだと、暁が言ってくれたのが 本当に本当に嬉しくて
救われたと思った
変われると思った
なのに

「はは、は、」
涙はまだ止まらなかった
両手を見ると まだ震えている
血はついてない
全ては、蒼太の意識を引きずり出して投影した幻だったのだから
それでも、体温は下がりっぱなしで身体もガクガクと震えている
立つこともできず
壊れた人形みたいに座っているだけ
いっそ壊れれば こんな風に絶望せずにすんだのに
暗闇を、思い出さずにすんだのに

*

*

*

*

*

「蒼太」
ふ、と
名前を呼ばれて、目を開けた
視界に映る 暁の心配気な顔
ドクン、と心臓がなった
また、あの続きかと怯えた
それを、瞬時に悟ったのだろうか
暁の手が頬にふれ、未だ壊れたように流れ続けている涙をそっと拭った
「レポートを読んだ
 ひどい目にあったな」
ここはまだ、あの実験室で
あれからどれほどの時間がたったのかわからないまま 蒼太はここに座り続けていて
いつの間にか、側に暁がいる
いつものように、触れて、名を呼んでくれる
「さくらまで用ができるとは思わなかった
 すまなかったな、お前をここに来させたのは俺の落ち度だ」
菜月のカウンセリングを延期にすれば良かったと、言うのが聞こえた
また涙が溢れる
「違うんです・・・」
いつまでたっても戻らないと、迎えに来てくれたのだろうか
あの研究員達からさっきの実験のレポートを奪って ことの次第を知ったのだろうか
「蒼太」
暁の手が 蒼太の髪を撫でた
苦しくなる
この人の側で 変われると思った
この人の側でなら、こんな自分でも生きていけると思った
なのに、知ってしまったのだ
今日のこの実験で、自分は変われないと知ってしまった
「違うんです・・・っ、チーフ・・・っ」
絶望の暗闇に落ちてしまいそうになる
ここにいたいのに、
一人ではないこの世界で生きていきたいのに
「僕はあの頃と何も変わってなくて・・・ っ
 何も変われなくて・・・っ
 だから、いつかきっと、あなたや仲間を切り捨てる日が来るかもしれない・・・っ」
今は大好きな暁や仲間達も
いつか、他の何かを優先しなければならなくなった時に 今までそうしてきたように自分は優先すべきものを選んで暁や仲間を殺すかもしれない
見殺しにして逃げるかもしれない
この世界で生きるなら死ぬ覚悟なんてできていただろう、と
仲間を失ったあと、泣きもしないかもしれない
今までと同じように

「そんなに急いで変わる必要はないだろう」
くしゃ、と髪を撫でて 暁がわずかに笑った
「それに、安心しろ、お前に心配されるほど 弱くない」
俺もあいつらも、と
その言葉の意味を理解できなくて、蒼太は無言で暁を見上げた
自分自身で嫌悪する、この汚い存在
人を人とも思わなかった過去の自分
そこから変われないと言ったのに、それでもいいと言うのだろうか
実験のレポートを読んでなお、許すというのか
こんな風な自分を
暗闇から抜けだせない自分を
「なんだ、その顔は」
暁が笑った
言葉の出ない蒼太は、ただ泣き続けるだけ
本当に壊れたのかもしれないと、どこかでぼんやり思った
そんな様子に、暁はあの、蒼太の好きな強い者の目をして言った
「じゃあ約束してやろう
 お前に殺されそうになったら、俺が先にお前を殺してやる」
俺がお前にめった撃ちにされる日なんか来ないから安心しろ、と
その言葉にどうしようもなく、どうしようもなく 熱が上がった

あなたが殺してくれるなら、それ以上の幸福はないと思う


女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理