異形の魚2 (赤×水)


地上の雨は温かかった
水滴は身体に染み込んでゆくようで、心地よく
ラギは別れてからずっと想い続けた暁のいる場所へと ただ歩いた
雨粒が、身体を伝う
空から降る水が地面や建物や木々に打ち付けられ、色んな音を奏でるのを聞きながら ラギはとても心が落ち着いているのを感じた
あの頃、
水の都を取り戻すのに必死だった頃は こんな音に耳を傾ける余裕なんてなかったから気付かなかったけれど
地上は変化に富んでいて
水の都ほど美しくはないけれど、かわりに柔軟な強さがあって 何ものをも受け入れる優しさがある
今なら、
ここが暁のいる場所だから、なおさら
地上を好きになれそうな気がする
こんな雨の日はいっそう
温かい水に浸されているような、心地よさ
堅い龍のうころに包まれた身体が軽くなるような錯角
そんなのまで感じて、ラギは一人微笑して前を見上げた

「暁・・・」

焦がれて来てしまった
水の都に戻ったら、多分もう会わないと思っていた
なぜかって、会いにくる理由がないから
水の民である自分が、水の都を取り戻してなお、地上に留まる理由はないし、地上に再び来る理由もない
だから、あの別れが最後だと思った
そして、だから余計に魅かれて忘れられなかった
ほんのわずか一緒に過ごしただけの人なのに
なぜこうも恋しいのか
わからずに、ここに立っている

「もうすぐ会える・・・」

ミュージアムに人はいなかった
朝からの雨に客はなく、入り口へと続く階段に、黄色の傘が一つ見えた
「あの・・・」
「あのー」
二人が、口を開いたのは同時で、お互いにお互いを見つめた
そして、黙ってしまったラギに相手が不思議そうに首をかしげて入り口を指差した
「雨やどり、していく?
 ずぶ濡れだけど、大丈夫?」
聞いたことのある声
多分、暁と一緒にいた人だと思う
「暁に、会いにきたんだ」
階段の上の少女を見上げて言ったラギに、傘をくるくると回して相手は笑った
「チーフなら、中にいるよ」

人気のないミュージアムの中を通り、エレベーターに乗った時 ラギは自分の身体の変化に気付いた
俯いて、足下に注意を払った瞬間、見なれない、いやかつては毎日目にしていたものを見た
「え・・・・」
足、白い水の民の服
驚いて 両手を見た
白い指、細い手首
「どうかした?」
けげんそうな少女の言葉に答える余裕はなかった
頬に手を触れ、額に手をふれ、そして、少女の向こう側
エレベーターの壁に埋め込まれている鏡に映った姿に、唖然とした

懐かしい水の民の少年
そこには、かつての姿を取り戻した自分がいた

「チーフにお客さんだよ〜
 外でずぶ濡れになってたから連れてきちゃった」
エレベーターの扉が開き、明るい部屋の光景が見えても ラギは平常を取り戻せなかった
どうして?
どうしてこの姿に戻ったのだ
いつから?
一体いつから自分はこの姿だったのか
「客ってな、菜月 おまえここにホイホイ人を入れるなよな」
「だってびしょ濡れで可哀想だったんだもん
 まっててね、今タオル持ってくるね」
「明石ー、あんたに客きてるぞ」
目の前で動く人陰を ぼんやり見つめた
「こちらにどうぞ」
落ち着いた声で椅子をすすめるのに、あいまいに答える
動揺しきっている
自分で自分がわからない
龍の姿であった自分はどこへ行ってしまったのか
何が、自分を元の姿に戻したのか
「客?」
奥から、声がした
ドクン、と
瞬間高鳴った胸に 意識が一気に現実に戻ってくる
「暁・・・」
つぶやくように呼んだのに、側にいた男が怪訝そうな顔をした
「暁・・・っ」

会いたいと、ずっと思っていた人の顔
背の高さも、視線の強さも記憶のままに
不思議そうな顔をして こちらを見た暁に 身体は勝手に動いていた
会いたくて、会いたくて、
もう二度と会えないだろうと思うと悲しくて仕方がなかった
もし、別れる前にこの気持ちが生まれていたら 自分は地上に留まったかもしれない
それくらい、恋しい人
手を伸ばした
こんな風に誰かを求めるなんて初めてだと思う
そして、もう二度とないだろう
こんなにも追う人は
こんなにも、焦がれる人は

「お前・・・ラギ?」

突然抱きついてきた少年を受け止めて、暁がわずかに笑った
「なんだお前、よくここが分かったな」
快活な声
迷いのない目
見上げたら、記憶の中と同じ声で名前を呼んでくれた
「ラギ、俺に会いにきてくれたのか?」
それは、心地よい声
必死にうなずいて、何度も暁の名を呼んで
ラギは、しばらくの間暁の腕にしがみつくように抱き着いていた
心が、熱くなるのを感じながら

「ラギってあの?
リュウオーンに龍にしてもらった水の民の?」
「元の姿に戻ったんだね」
「何の用で来たんだよ、あいつ」
「チーフにあの時にお礼を言いに来たんじゃないの?」
「今さら?」
「きっと遊びに来たんだよ」
「そんな様子ではありませんでしたけど・・・」
サロンで、テーブルを囲んで口々に噂する4人は、なんとなく落ち着かない様子で つい先程 暁とラギが消えたエレベーターを見つめた
抱き着いたと思ったら、今度は大声で泣き出したラギに 暁をはじめその場にいた全員が一瞬唖然とし
次いで 暁が まるで子供を相手にするみたいな口調で おいで、と言った
そして、そのまま
二人して、暁の部屋へと向かったきり音沙汰無し
まだ10分ほどしか時間がたっていないにも関わらず、まるで1時間も2時間も経ったかのように ここで皆は二人が戻ってくるのを なんとなく待っている
「しかし明石はよく あいつがラギだってわかったな」
「そうですね、人の姿をしているところはチーフも見たことがなかったはずですが」
「まぁ・・・よく見たら頭に水の証のついた飾り、してたけど」
「咄嗟のあの瞬間に冷静にそんなの見てられるか?」
「じゃあ声でわかったとか」
「チーフはあのミッションの時 ラギ君と一晩中一緒にいたんでしょ?
 だから わかったんじゃない?」
「・・・一晩中ね・・・」
つぶやいた真墨に、蒼太が苦笑する
「チーフがついてれば何か問題があって来たんだとしても大丈夫っしょ
 ・・・僕は部屋に戻りますね」
「菜月もラギくんとお話したいなぁ」
「おまえは今日ミュージアムの当番だろ」
「だってお客さんいないんだもん」
「いなくても、ちゃんと見回りしてろよ」
「・・・真墨の意地悪ー、誰もいないからつまんないのー」
「はいはい、菜月
 私が一緒に行ってあげますから」
いつもの、サロンの風景
何考えてるかわからない ヘラヘラ笑ってる蒼太
我がままの菜月
最近そんな菜月に甘いさくら
そして、いつもいつも自分を置き去りにする暁
誰もいなくなったサロンで、真墨は一人溜め息をついた
(あんなガキ ほっときゃいいのに)
溜め息を吐き出す
これが嫉妬だと、気付いてしまったから余計気分が悪い
ラギが暁に抱き着いたのも、その胸で泣き出したのも
それを いつもの落ち着いた調子で慰めて部屋に連れていった暁もみんな気に入らない
別に暁は自分のものではないから、取られたなんて思うのは間違ってる
そもそも、暁が誰と何をしようと暁の勝手だ
頭では、そう考えているのに どうしても
どうしても、このイライラがおさまらない
一人どうしようもなくて、真墨は席を立った
こんな時はいつもみたいに、身体を動かして忘れるしかない

「ここ、暁の部屋?」
「そう、俺の部屋」
ラギは、エレベーターを下りて廊下を歩き、暁の部屋に着くころには落ち着いて涙も止まっていた
暁に会って、胸が熱くなって、気がついたら涙が溢れてきて
自分が泣いていることに気付いたら、もうどうしようもなくなってしまった
必死で取り戻した水の都
失った、人の姿
賛歌に混ざる畏怖の感情
偏見と怖れの目
尊敬と同情の言葉
恋しかった地上の人
懐かしかった地上の雨
「ごめん・・・急に・・・こんな・・・」
ようやく、落ち着いてラギは暁を見上げた
「別に、俺はかまわない
 こうして会いにきてくれるのは大歓迎だ」
ほら、とバスタオルが渡される
相変わらずズブ濡れのラギの身体に、服はぴったりとはりついて雫を垂らしている
冷えた身体に、バスタオルが温かくて ラギはそれをぎゅっと抱き締めた
「暁は俺だってすぐにわかったんだな・・・」
「そりゃわかるだろ」
記憶力はいいんだ、なんて言いながらコーヒーを煎れている暁を盗み見する
あんな風に抱き着いて、急に泣き出しても怒らないし笑わない
暁の口調は、出会った頃と変わらないし、投げかけてくる視線に負の感情がない
怖れも、賛辞も、それには含まれていない
対等、ただそれだけ
「何しに来たか聞かないのか?」
すすめられたソファが濡れるのを気にしながら 遠慮がちに座ったラギは渡されたコーヒーを両手で受け取った
「何って? 何か用があるのか?」
隣に座る暁の気配、体温
目をとじて、感じた
この身体なら、龍の時よりそれを感じることができる
呼吸、声、まばたき、そして微笑
「用があるわけじゃ・・・ない・・・」
ただ、会いたかっただけだから
「ならゆっくりしていけ
 たまには地上もいいだろう?」
そうだ、水の都の話を聞かせてくれ、と 笑った暁にまた胸が鳴った
会いにくるのに理由を求めない人
会いたいから、会いにきた
それでいいと、言ってくれる人
龍の姿の時も、今も、接し方は変わらない
それが、何より心地よくて、安心する
「綺麗だよ、思ったとおり世界で一番美しい場所だ
 雨の日は、雨粒が七色の光の粒となってまるで流星のように降り注ぐんだ」
今朝も、そうだったと 話すラギの言葉を熱のこもった目で聞いている
どんな種族相手にも、踏み込んで接してくれる人
他人のために、その身を傷つけででも大切なものを守り取り戻してくれる人
そんな人が他にいるだろうか
あの美しき都には、いない
だからラギは暁に魅かれた
だから、こうして会いにきた
「見てみたいな、そんな美しい都」
暁は幼い目で笑った
来れればいいのに、暁も
そして、ずっと永くあの美しい都で暮らせたらどんなにいいか
ずっと暁の側にいられたら、どんなにいいか
「暁も水の民だったらよかったのにな・・・」
つぶやきに、暁は笑っただけだった
ずっと暁の側にいられたら、なんて叶わない願い
冒険を追い求めてどんなところにだって行く暁に、自分はついていくだけの力がない
水の都は美しいけれど、変化がなく
きっと、彼はすぐに飽きてしまうだろう
すぐに、いなくなってしまうだろう
彼をひとつのところに留めることはできない
側にいてもらうことはできない
「・・・ラギ、泣くことないだろう」
気付いたら、また涙がこぼれた
自分はこんなにも泣き虫だっただろうか
胸が熱くなったり、衝動で地上に出てきてしまったりするような人間だっただろうか
優しく髪を撫でてくれる暁の手に、涙はいつまでもいつまでもこぼれた
自覚する、この熱の意味
焦がれた理由

「俺、暁がすきなんだ・・・」

泣きながら、言ったら暁はくす、と笑った
「おまえは素直すぎるって、言われないか?」
言動が、心を物語っている
今日会った瞬間から、そう言ってるも同然だったぞ、と 暁が笑ってラギはまた身体の熱が上がった

それでも笑ってくれる暁が、誰より好きだ

「また会いにきてもいいかな・・・」
「言っただろ、大歓迎って」
「好きでいてもいい?」
「いいけど、俺は優しくないってこと覚えておけよ?」
「優しいよ」
相変わらず、バスタオルを抱き締めるようにして俯いたラギに暁は笑った
水のように美しい目
汚れない魂を感じる、素直な少年
こちらを見て 必死に名を呼んだのに苦笑が漏れた
これが水の民の特徴なのか、それとも単にラギがそうだというだけなのか
想いを隠すことを知らない子供のようで
欲しいものを必死で求める様子に、いつものような悪い癖が出る
傷つくだろうな、と思いつつ構ってやりたくなる
望むものを与えてやるつもりはないくせに、優しくしてやりたくなる
それこそが、残酷だと知りながら
「そのうちわかるよ」
俺が優しくないということが
「それでもいい」
見上げてきた目に、笑いかけた
透き通る宝石みたいな無垢な目、そういうのも悪くない


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