異形の魚 (赤×水)


あの日から、見る夢が歪んだ
水の民として生まれたのに、うまく泳げなくて沈んでいく
呼吸ができなくてもがいている
見上げた水面はキラキラと美しいのに、その光に伸ばした自分の腕は まるで異形
醜い竜のうろこに包まれて赤黒く くすんでいる

(ああ・・・俺はもう、この美しい世界では生きられない・・・)

思い出す、あの痛み
水の証を捨てたときの、身体の、心の痛み
そして、絶望が強くあろうとする心をくじく
じわじわと肺に水が染み込んで、一切の空気を奪い
やがて、意識が薄れていく
水の民として生まれたのに、美しい水の世界を泳ぐことなく死ぬのかと
その夢はいつも、悲しいばかりで終わる
そして目が覚める

(また、あの、夢・・・)

覚めるとそこは、まるで楽園のような世界
透き通った水の恵みの、求めていた故郷

「暁・・・」

ベッドから起き上がって、ラギは額に手を触れた
指先に冷たい感触がある
一度失い、だが ある男の手から再び渡された命の証、水の証
水の都さえ戻れば、自分はどうなってもいいと思っていたあの頃
たとえこの手で水の都を取り戻したとしても、もう二度と水の世界では生きていけない身体になった
それでも、いいと思っていた
たった独りで、あがいて、もがいて、必死だった
そんな時に出会った、あの男
強い目をした、あの男

「暁」

その名前は、悪夢で冷めた身体に熱をもたらした
水の都を取り戻したって、お前がそこに住めないんじゃ意味がないと言って
水の証を修復してくれた
再び、ラギに海を与えてくれた男
別れてから、毎朝彼を思い出す
悪夢から覚めた後は特に、会いたくて、恋しくて、気が狂いそうになるほどに

ラギの身体は、水の都に戻っても元には戻らなかった
醜い竜の姿のラギを、水の民達は 都を取り戻した英雄として讃え、また同時にその強い力を怖れた
人は異形の者を受け入れない
誰もが、この美しい都をラギが取り戻すのに払った犠牲を知っている
だが、それでも、だからこそ
人はラギを心の底から受け入れはしなかった
ラギへの賛歌には、常に恐怖に似た負の感情が隠れている

「気にすることはない、皆が感謝しているのは真実なのだから」

長老の言葉に、ラギは笑った
「そんなの俺は気にしない、みんなに故郷の海が戻った、それだけでいい」
水の都の神殿の、特別美しい部屋をもらって ラギはまるで神のように扱われている
だが、孤独は地上にいる時と変わらなかった
独りで戦っていたあの頃のように、ラギは今でもたった独り
美しい調べを絶えず奏でる珊瑚のハープが献上されても
七色に輝く宝玉の数々を贈られても
側には誰もいてくれなかった
友達は、故郷を救った英雄と気軽に話すことはできないといって姿を見せなくなり
大人はその功績を讃え、ラギの存在を神格化し人を遠ざけ
もしくは、この醜い姿を嫌って離れていく
悲しかった
でも、それでもいいと、言い聞かせた
戦うために地上に出た時に思ったじゃないか
自分はどうなってもいい、と
二度と海に戻れなくてもいいと
死んだっていいと
皆が、水の都で幸せになれればそれでいいと、思っていたじゃないかと
水の世界で生きる変わりに、竜の力を得て
故郷の全てを捨てて、仲間の幸せと海の復活を願ったんじゃないかと
それを思い出して、あの頃の絶望に比べたら 今は幸せなんだと
ラギは そう何度も自分に言い聞かせた
暁と別れてからずっと、
故郷の海に戻ってからずっと、そうやって自分の心を慰めている

ここは夢にまでみた美しき水の世界で
自分はそこで、悪夢のように溺れることなく泳げるのだから
呼吸をして、自由に、生きていけるのだから

(暁・・・・)

なのに、この焦がれるほどに痛む胸は何だろう
毎朝、考える
暁のこと
自分のこと
仲間のこと
そして、この美しい世界でたった独り生きて行く悲しみについて
孤独だと感じるのは、贅沢なことなのに
たとえ、恐れられていても表向きは優しくしてくれる水の民達
何不自由ないくらしを約束された今の自分
呼べば誰もが会いにきてくれるだろう
望めば何でも手に入るだろう
側にいてくれと頼めば、誰だって側にいてくれる
たとえ、心の底で畏怖していても、嫌悪していても
顔では優しく笑って、言う通りにしてくれる
孤独だなどと言ったらばちがあたる
悲しいなんて言ったら、皆に申し訳ない
だから、寂しいなんてここでは言えない
優しい皆を苦しめたくないから、ラギは神殿に誰も呼ばない
いつも独りで、美しい世界を眺めている

(暁・・・・)

思い出す、あの目
どうせ夢を見るなら、暁の夢がみたいと思った
会いたいと強く強く願う
じっとしていられなくなる程に焦がれて、どうしようもなくなって、
ラギはいつも、夜になると神殿を出て美しい世界を泳ぎ回った
竜の姿をしていても、泳ぐことに何の支障もない
こんなに自由に呼吸もでき、まるで空を駆けるように泳げるのに
どうして、未だにあの夢を見るのだろうと時々不思議に思う
地上で、竜の姿になった時から見るようになった、溺れる悪夢
海が戻ったのに、自分は帰ることはできないのだという絶望が見せ続けたあの夢
海はラギに戻ったのに
暁が、その手で取り戻してくれたのに
なぜ、未だに毎日のように あんな苦しい夢をみるのかと
ラギは時々考える
そして、なぜかいつも、暁を思い出す
彼に会ったら、その答えが出るような気がして
彼が何かに、導いてくれるような気がして

会いたい想いが募る
この身体に蓄積された熱い思いは、このままどうなってしまうのだろう
溶けることなく、残っていくのだろうか
そして、いつか窒息してしまうほど、ラギの中を埋め尽すのか
あの夢のように、
呼吸ができない程いっぱいになって、いつか死ぬのだろうか
今度は夢ではなく、本当に

(・・・死にたいのかな、俺)

その想像は、悲しいものではなかった
この一瞬にも積もるこの想いに、押しつぶされて焦がれて死ぬのだとしたら
その死はとても、甘美に思えた
例えば、地上に出たばかりの頃、地上の乾きに死を想像したり
竜になった後も、戦いの激しさに死を覚悟したり
あの夢の中、肺を水でいっぱいにされて死を感じたりしたのに比べたら
暁を想いながら死ぬのは なんて、なんて優しく愛しい死なのだろうと思う
「死ぬならそんなのがいいな・・・」
まるで天を仰ぐように、水面を見上げると、月の光が幻想的に映って水面はキラキラしていた
この世界は悲しくなるくらいに美しい
そして、ここには暁がいない
会いたい、
会いたい、
今すぐ暁に会いたい
彼に焦がれて、どうしようもなくなってしまいそうな自分がいる
この衝動を止められない自分がいる

「会いたいんだ・・・、暁に」

次の朝、地上には雨が降っていた
激しく海面を打ち付ける雨の音が神殿にまで響いてくる
うとうとと、眠りかけていたラギはその音に目を覚ました
遠くで、人の声がする
雨の日は、水の都は一層美しい
その美しさに、民達は天の恵みに感謝してささやかな祭りをする
男が音楽を奏で、女が舞う
子供は祈りをささげ、老人は歌を歌う
窓から見える景色は、虹色に輝き、天粒が流星のように海を泳ぐ
なんて美しい、と
溜め息をこぼした時、名前を呼ばれた
子供達の捧げる祈りが故郷を救った英雄を讃える賛歌に変わる
優しい音楽にのって、声は神殿まで聞こえてくる
「あなたがいたから、海が戻ったのです」
「あなたは、皆の救世主です」
「あなたのおかげです」
「ありがとう、ありがとう」
何度も何度も繰り返された言葉
皆が 異形の英雄にそう言った
民は水の都を取り戻し、英雄は賛辞を得て、独りになった

「暁に会いたい・・・」

ドクン、ドクン、と
心臓の音が自分で聞こえるくらいに高鳴った
どれだけ感謝の言葉を言ってもらっても、
英雄として、神として称えられても、
祭の日に賛歌を歌ってもらっても、
あの日から、本気で接してくれる人がいなくなった寂しさは癒されはしない
この孤独は、ぬぐえない
讃美は、常に畏怖と隣同士にあるのだから

「暁・・・・・っ」

衝動が、もう抑えられなかった
神殿を飛び出して、輝く水面へと泳いだ
手を伸ばす、視界に映るのは醜い竜の腕
長い爪、赤黒いウロコ
この姿を呪うつもりはない
後悔もしていない
でも、こんな日には、
仲間達が世界の美しさを祝い踊り歌う日には、切なさを押し殺せない
あの同族の輪に、自分はもう入れないのだから
あそこで一緒に歌い笑い、七色に輝く故郷を誇ることはできないのだから

「暁・・・・・」

どうして、こんなにも自分が暁を求めているのかわからなかった
ただ、あの絶望の中 迷いのない意志で側にいてくれたその存在に強く強く心魅かれて
あんな醜い自分を、何の躊躇も偏見もなく受け入れてくれたあの強い目が忘れられなかった
会いたい想いは募る一方
こんな激しい想いを押さえる方法なんて知らない
どうしようもなくて、こんな風に
こんな風に来てしまった
水の世界から、地上へと
激しくうちつける雨の中、ラギは天を仰いだ
暁なら、答えをくれるだろうか
暁なら、自分をどこかに導いてくれるだろうか
美しき水の世界と引き換えに、異形と成り果てたこの自分を


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