03. 外の世界



私の家は大きな研究所で、マスターはそこの研究員だった
施設にはたくさんのポケモン達がいるみたいだったけれど、私は彼らと話したことがなく、姿を見ることもめったになかった
部屋にいるのは私と同じ姿をした大人しい弟だけ
いつも二人きり、マスターは昼は仕事があるから部屋にはいない
私は寂しくて、つまらない
「どうしてこの部屋には弟しかいないの?」
「他のポケモンと話してみたい」
「みんなは外で何をしてるの?」
ある日、窓の外で楽しそうに遊んでいるポケモン達を見て羨ましくなった私はマスターにそう聞いた
本当は別に、あのポケモン達と遊びたいわけじゃなくって、そう言ったらマスターが、私が寂しいのに気づいて仕事に戻るのをやめてくれるかもしれないと期待したから
わがままを言って、わがままを聞いてもらえたら、愛されてるんだって思えてとても幸せだから

優しいマスターは、私を膝の上に抱いて困ったように言った
「おまえはまだ生まれたばかりだから
 もう少し大きくなったら、外に出してあげるからね」
我慢しておくれ、と優しい指が背を撫でる
マスターの紫色の目が私だけを見てる
その瞬間がとても好き
優しい声も、その声で名を呼ばれるのも好き、大好き
この時間がずっとずっと、永遠に続いたらいいのに
「もう少ししたら訓練が始まるから、そうしたら外に出られるよ」
優しい言葉に私は小さく鳴いた
訓練をしたら強くなれる?
強くなったらあなたのために戦える?
私は本能で知っているの
生まれたときから、自分は戦うために生まれたんだってこと
あなたのために、強く、強くならなきゃならないんだっていうことを
「ああ、もう行かなきゃ
 、夜にはお前の好きな甘いポフィンをあげるから、いい子にしてるんだよ」
マスターは時計を見て言い、私を絨毯の上に降ろした
離れていく温かい手
行かないで、としがみついたらマスターは困ったように笑って額に一つ、キスをくれた

大好きなマスター
ずっと一緒にいたいの
長く長く傍にいてほしいの
仕事になんか行かないで欲しいの
マスターの後姿を見たら私、泣いてしまいそうになるの

「マスターのバカ、仕事ばっかり・・・」
閉まってしまったドアに向かって鳴いた私を、弟が擦り寄ってきて慰めてくれた
お前は寂しくないの?
こんな広い部屋に二人っきりで
私知ってるんだから、マスターのお仕事は研究所にいるポケモンの世話だって
私達のことは朝と夜にしか構ってくれないのに、昼間中ずっと他のポケモンを構ってるってこと
お前は何とも思わないの?
どうしてそんな風に、平然としていられるの?
「マスターはを一番に思ってるよ
 だから泣かないで夜まで待とう」
弟の言葉に、私はなんだかとても切なくなった
そうだ、弟は男だからわからないんだ、この恋心
弟は男だから抱かないんだ、この特別な愛おしさ
私の中でマスターは、生まれた時から何にも変えがたい存在だから耐えられない
離れていなくちゃならない時間が、耐えられない

そして我侭な私は、マスターの気を引きたくて愚考に走る

夕方、弟が止めるのを振り切って私は部屋を抜け出した
ドアには鍵がかかってるから、窓から脱走
高い場所にある窓にだって、弟は届かないけど私はジャンプしたら届くんだから
どんくさい弟と違って、私は誰にも見つからないように施設から速く、速く走って逃げることだってできるんだから

窓の外の世界は夕日に赤く染まっていて なんだか炎の色みたいだった
あの色は嫌い
生まれた夜に、私達を抱いて走るマスターを追いかけてきた敵意に似たものを思い出すから
チラチラと不気味に揺れて私達を捕まえようとする手に似ているから
「あっちの森に行こう・・・っ」
研究所の傍の森、私の生まれた場所
外の世界といったって、私はそこしか知らないから 赤い夕日の光から逃げるように私は森へと走った
あそこへ行けば木々に遮られて太陽は見えなくなるだう
赤く染まる世界から逃げられるだろう

森の中は静かだった
そよそよと優しい風が拭いて、見上げると葉がきらめいていた
きれい
サクサクと踏みしめる草、漂う花の香り
もうすぐ夜になるから、それまでここにいよう
部屋に戻ったマスターが私がいないのに気づいて、探しに来てくれるまでここにいよう
「マスター、早く私をみつけて」
心配したよって叱って
寂しかったんだねと慰めて
ずっと傍にいるよと言って
だから二度と僕から離れるんじゃないよと笑って

大きな木の根元に座っていると、やがて辺りは暗くなった
時折、ヤミカラスが飛んできてはからかっていく
こんなことろで何してるの?
夜にはおばけがでるよ
早くウチにお帰り
子供はもう、寝る時間だよ
「嫌なやつ、私ここでマスターを待ってるの」
「マスターの気を引きたくて家出してきた?」
「どうしてわかるの?」
「そういうバカなことしそうな顔してるから」
ヤミカラスは、私のいる木の枝に止まって笑った
「子供が、しかもイーブイのメスが、こんな森に一人きりなんて」
クスクスと嫌な笑い方でヤミカラスが羽を広げる
「バカとしか言い様がないよ
 自分のことを何一つ知らないんだね」
そして、彼はそういうと、ばさっと羽音をたてて飛んでいった
黒い姿が、暗い夜空に消えていく
(何よ、嫌な奴)
また静かになった森の中、私はぶる、と震えた
寒い季節じゃないけれど、夜は冷えるのか、それとも怖いのか
風にさざめく葉の音にピクと一人、反応したりした
(マスター早く私を見つけて・・・)
ふと、不安がよぎる
もしかして、マスターは探しにきてくれないかもしれないとか
こんなバカな自分を見捨ててしまうかもしれないとか
怒ったマスターに、捨てられてしまうかもしれないとか
「やだ・・・、マスター」
不安を否定してくれる優しい弟は傍にいない
思えば生まれてから、一人ぼっちになったことなんてなかった
じわじわと、冷たくて暗い気持ちが心を支配する
「マスターっ」
思わず呼んだら、遠くで気味の悪い遠吠えが聞こえた
怖くなる、夜の闇が
怖くなる、冷たい風が
怖くなる、木々のざわめく音が
怖くなる、ひとりぼっちだということが
「やだ・・・マスターっ」
私は気づいたら、走り出していた
もう帰ろう
バカなことをしたと思った
待っていればマスターはあの部屋に戻ってきてくれるのに
寂しいって泣いたら慰めてくれて、涙をなめてくれる弟もいたのに
早く帰ろう
バカなことをしてないで
そして、ごめんなさいとマスターに言おう

夢中で走ると、見たことのない巨大な木が目の前に現れた
慌てて、立ち止まる
来たときにはこんな木を見なかった
(私・・・方向を間違えたんだ・・・)
ゾクと背中が冷たくなるのを感じて、慌てて元きた方へと走る
するとまた、枝を垂れ下げて茂る巨大な木の前に出た
「やだ・・・どうしよう・・・」
知らない景色が目の前に広がる
また、間違えた?
どっちへ行けばいいの?
方向がわからない
同じ姿をした大小の木が、ただずっと延々と続いているだけ
(あっちから来たよね・・・だから今度はこっちに行けば・・・)
一生懸命に考えて走った
すると今度は走っても走っても何の変哲もない木々が並ぶだけ
息が切れるまで走り続けて結局、私は自分が今どこにいるのか完全にわからなくなって立ち止まった
「マスター・・・っ」
必死で呼んでも返事はない
草で切ったのか身体のあちこちが痛かった
「マスター、助けて・・・」
見回しても、見回しても、研究所の灯りは見えなかった
怖い、怖い
もう二度とマスターに会えなくなるかもしれないと思ったら涙がぼろぼろこぼれて落ちた

そして泣き出した私を取り囲む、無数の鋭い目
その気配に気づいたときにはもう、私は四方を取り囲まれていて、じわじわと追い詰められていた
「だれ・・・?」
どうすることもできず、後ずさる私に迫る影
うっすらと、森に月明かりが差し込むと相手の姿が浮かび上がった
黒い肢体、四匹の獣
威嚇するように低く唸りながら、奴らは意地悪く笑った
「縄張りに何が紛れ込んだかと思ったら・・・イーブイか」
「まだ子供ジャン、何してんのこんなところで」
クツクツと嫌な笑い声が響く
「オレ初めてみた、イーブイなんて」
「暇だから、遊んであげるよ」
「寂しくて泣いてるんだろ?迷子チャン」
獣は、そう言って笑いながら私めがけて跳躍した
息が止まるかと思うほどの速さ
飛んだと思ったら私の視界は黒い色で埋め尽くされて、次には身体が吹っ飛んだ
最初に、ドンという衝撃
それからわけがわからないままに地に叩きつけられて皮膚がザリザリいって裂けた
痛い、とようやく思う
震えながら顔を起こしたら、砂埃を上げて傍に着地した黒い獣が、私の顔のすぐ傍で大きく口をあけた
鋭い牙と舌に、体が硬直した
(食べられる・・・っ)
多分、その恐怖は本能で、身体に触れる息の生暖かさと、ギトギト光る鋭い牙に私は必死に身を守ろうとした
だから、目の前にあった奴の目を、ただもう必死で引っかいた

「うわ・・・っ」
「あーあ、バカ、油断するからだ」

悲鳴を上げて遠のく獣
ただもう必死に私は逃げた
足が痛い、背中も痛い、
だけどそれよりももっともっと怖かった
必死で必死で走った
なのに、なのに
「足遅いねー、イーブイって」
「さっきはよくもやってくれたよな」
簡単に追いついてくる獣たち
面白がって私の後ろを、横を走る
「こないでっ、こないでっ」
「鬼ごっこ、オレ達から逃げ切れたら見逃してやるよ」
「捕まったら、お前が動かなくなるまでいたぶってやるから必死で逃げろよ」
奴らにとってはまるで遊びで、
私は泣きながら、泣きながら走るしかできなかった
息が切れる
身体が重い
足がもう動かない
痛くて、痛くて、これ以上は走れない
(マスター・・・っ)
いつも部屋で弟と遊ぶとき、私の方が強かった
私の方が足も速かったし、高くジャンプできるのも私だった
宙返りをしたらマスターが褒めてくれて、お前の身体能力は他のイーブイよりも高いねって言ってくれた
だから、私、一人で外に出たって平気だと思っていた
森の中でマスターが探しに来てくれるまで待つことくらい、全然平気だと思っていた

「どうやっていたぶる?
 噛み付いて、ひっかいて、炎で丸焼きにしてやろうか」
すぐ隣を走っていた獣が、笑った
途端、視界が赤く染まる
熱、身を焼く熱
一瞬で、私は走れなくなってその場に倒れた
身体が熱い
必死で顔を上げたら、炎を吐き出す獣の姿が見えた

怖い、怖い、怖い
炎は嫌い、赤い色は嫌
誰か助けて、もう逃げられない
バカな私はここで、死ぬの?

「マスターーーーっ」
大好きな紫色の目
優しい笑顔、温かい手、私を呼ぶ声
このまま二度と会えないの?
私がバカだったから、どうか、どうか
神様、私をもう一度マスターのところへ戻してください
そうしたら私は何だってするから
聞き分けのいい子になるから、我侭なんてもう二度と言わないから

炎に囲まれて動けない私に、獣達はゆっくりと寄ってきた
低い笑い声、鋭い牙
どう足掻いたって勝てない
どう頑張ったって逃げられない
「助けて・・・っ」
泣きながら、私は震えるだけ
獣達から視線を逸らす事もできず、ただ恐怖に震えながら泣くだけしかできない
何もできない
何もできない

その時
「ヴェーダ、ハイドロポンプっ」
暗闇に響く声が暗雲を切り裂くみたいに私の全身に響いていった
轟音が轟く
獣達の咆哮と、水音
目を見開くと、辺りを囲んでいた炎が勢いよく流れ込んできた水にかき消されていくのが見えた
怒った獣達が、飛び掛ってくる
三匹は私の背後へと突進していって、一匹は私めがけて鋭い爪を振り下ろした
片目を閉じてる、私がひっかいた奴
迫ってくる奴から逃げられず、私はただ、ただその光る目から逃げたくて目を閉じた

ザンッ

だけど、音は聞こえたのに痛みはなかった
目を開けると、目の前には見慣れた背中があった
ふわふわの毛並み、大きなシッポ
その形の良さをマスターが褒めてくれる、私と同じ姿をした
「・・・イデア・・・っ」
突然現れた弟は、そのまま獣に突進していった
体当たり、そんなに威力があるとは言えない技
だけど奴は着地する前の不安定な体勢で技をくらって吹き飛んだ
私より足が遅くて、私より力が弱くて、私より低いジャンプしかできない弟
優しい顔が振り返って、立てない私を叱咤する
、逃げてっ」
弟は、胸から血を流していた
毛並みがみるみる赤色に染まる
ああ、さっき私を庇ってくれたからだ
あの獣の爪にかかって、傷を負ってしまったんだ
「立ってっ、っ、すぐに逃げてっ」
いつも大人しい弟が大きな声を上げた
震えながら、泣きながら、私は必死で立ち上がった
逃げなければ、そうだあいつが倒れているうちに
逃げなければ、他の三匹が走っていった先にいるのは
「向こうにマスターがいる、そこまで走ってっ」
マスター、大好きな私のマスター
恐怖と絶望で渦巻いてた世界から私を救い出してくれた声
あの声はマスターだった
来てくれた
私を助けに来てくれた
「マスターっ」
私は立ち上がって必死に走った
向こうで激しい音がする
水の音、獣の咆哮
駆けつけると三匹の獣に囲まれたマスターと一匹のシャワーズが、暗い森の中で戦っていた
っ、無事だったんだねっ」
たどり着いた私に、マスターが手を差し伸べてくれる
泣きながら、私はその胸に飛び込んだ
あとからあとから涙が溢れて、私はただもう必死でマスターにしがみついた
「このバトルが終わったら傷の手当てをしようね
 泣かなくていい、もう大丈夫だから」
温かい手が私の背中を撫でた
それだけで私は傷だらけなのに、痛みが全部消えていくような気がした
「ヴェーダ、アイアンテールっ」
マスターの声が命令すると、シャワーズは言われた通りに獣達を攻撃した
相手は三匹もいるのに、そのシャワーズは全然怖がっていなかった
命令する声の通りに動く
その姿はしなやかで、大きくて、美しかった
憧れる、戦う姿に
マスターの声に従って、マスターの思う通りに動けることに
「危ない・・・っ」
だけど、相手は三匹
こちらは一匹
属性で勝っているとはいっても、やはりシャワーズは苦戦していた
「ヴェーダ、影分身っ」
技を決めても、もう何度も攻撃を受けたことで蓄積した疲労は隠せず獣達の攻撃に、シャワーズはがく、と一度倒れた
「ヴェーダっ」
マスターが駆け寄る
そこに迫る獣達
鋭い爪がシャワーズを庇おうとしたマスターの顔にかかろうとしたその時
「マスターっ」
思わず、思わず私は飛び出した
マスターの腕の中から、そして二匹の獣に正面から飛び掛かっていく
不思議、勝てるわけないのに
全身痛くて、さっきまで泣いてて、怖くて怖くて仕方なかったのに
「強い風でやっつけてっ」
強く、強くそう念じた
この森にずっと吹いてる冷たい風
それがたくさん集まって、この獣達を吹き飛ばせばいい
マスターを傷つけようとする奴は許さない
私は、マスターのためなら何だってできる
誰にだって、負けはしない

・・・」
竜巻が、起こっていた
私は夢中で獣に向かって唸り声を上げ、念じ
突然現れた大きな竜巻は、土と草を巻き上げながら三匹の獣を飲み込んでいった
「ヴェーダ、いけるか、ハイドロポンプだ」
それに、マスターの命令でシャワーズが水の攻撃を乗せると、やがて獣は地に倒れた
ようやく、辺りは静かになる

「ここらは野生のヘルガーの縄張りだからね、早く研究所に戻ろう」
マスターは疲れ果てて座り込んだ私を抱き上げると、シャワーズを小さなボールに戻した
辺りは急激にシンとした空気に包まれて、冷たい風が吹いていった
さっきまでの騒ぎが嘘のよう
私は、なんだか急に気が抜けた
だけど、次の瞬間ドキ、とする
必死だったから、今まで気づかなかったけれど、弟がいない
私を助けにきてくれた弟
逃げろと言った弟
私がマスターの元へ走り出したとき、弟も走り出したのを確かに見た
なのに、今、ここにあの子はいない
いつから?
ここにはたどり着いた?
どうして?
どこに行ったの?
まさかどこかで倒れているんじゃないだろうか
「あの子、私を庇って怪我をしたの・・・っ」
必死にマスターに訴えたら、マスターは私を抱いて森を歩き出した
燃えあとを辿るように歩くと、すぐに弟が助けに来てくれた場所に出た
大きな円を描くように草が焼けている
だけど、そこに弟はいなかった
血が転々と、向こうの方へ続いてる
あの怪我でどこへ?
まさか奴に連れていかれたのか
それともどこかに身を隠しているのか

「イデアっ」
弟は、血のあとを辿っていったすぐ側の、大きな木の根元の穴の中にいた
ぐったりと倒れている
胸の傷の上には一枚の葉が貼り付けてあった
「死んでるの・・・?!」
「いや、気を失ってるだけだ
 ・・・薬草が貼ってあるな・・・誰かがこの子を見つけて手当てしてヘルガー達に見つからないようにここに隠してくれたんだろう」
マスターは弟の身体をそっと穴から取り出した
血に濡れた毛並み、苦しげな表情で弟は死んだみたいに目を閉じていた
怖くなる
死なないでと思った
私のために怪我をした
私のために痛い思いをした
この子は何も悪くないのに
悪いのは私だけなのに
私がバカだったせいで、マスターもシャワーズも弟も危険な目に合わせた
私はもうどうしようもなくなって、どうしていいのかわからなくなって
弟の身体にすがりながら、ただもうひたすらに泣いた
そんな私に優しい声が降る
「大丈夫、もう泣かなくていいよ
 もう怖くない、もう大丈夫」

神様、マスターはバカな私を叱りませんでした
優しく撫でて許してくれました
神様、弟は私のために怪我をしました
戦ったことなんかないのに、必死に私を助けようとしてくれました
神様、私は今日限り、もう絶対にわがままは言いません
強くなります、誰よりも
強くなります、マスターと弟を守れるように
そして償いをします、今日の日の
弟の傷と私の傷、両方にかけて誓います
二度とバカなことはしないと
二度とマスターの側を離れないと

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