7. 第2期 「全てのことを忘れるな〜8月〜」


俺の主人は冨樫くん
仕事は映画監督で、起きる時間も寝る時間もバラバラ
昨日は25時に寝て、今朝は7時に起きた
6時間睡眠
その前は3時間しか寝てなくて、その前は5時間半
その前は2時間
その前はお休みだったから、12時間
起きたら最初にメガネをかけて、窓を開ける
大抵、空を見て今日の天気のことを一言
今朝は「今日も暑くなりそうだな」と、言っていた
2分くらい外を見てた後、洗面に行って顔を洗う
戻ってきた時にはいつも、もうメガネはしてない
そして布団を片付けて新聞を読む
新聞がない時は雑誌
テレビはつけない
携帯も見ない
音はたまにラジオ
でも本当にたまに
「ノース、俺 今日昼で終るからどっか行く?」
おれに話しかけるのは だいたいこのくらいのタイミング
つまらなかったおれは、急に楽しい気持ちになる
「行くノス、今日は市民広場でお祭りがある日ノス」
「あー、そういやそんなこと言ってたな」
「5時からノス」
「じゃあ、それに行くか」
「ノスっ」
冨樫くんはお湯を沸かして自分でコーヒーを煎れる
コポコポいってるガラスのコーヒーメーカーが一人分のコーヒーをゆっくり落としていく
「撮影 今日終るノスか?」
「昨日終った、今日はそれのチェック」
「もう終ったノスかー、残念ノス
 撮影を見たかったノス」
「また今度、機会があったらな」
冨樫くんは笑う
おれは冨樫くんの仕事についていったことがない
来ると邪魔だから、いつも留守番
冨樫くんを見送ったあと、おれはいつもひとり
窓から歩いていく冨樫くんは、一度も振返らない
歩く速度は、お散歩の時の1.6倍
ちょっと速め
40秒で見えなくなる
「それ、いい匂いノスね」
「おまえもコーヒーが飲めたら煎れてやるのにな」
「残念ノス」
部屋にはいい香りが漂って、おれは時計を1回見た
冨樫くんが出かけてしまうまで、あと22分
「今日のお祭りは花火があるノスか?」
「さぁ・・・、チラシか何かないの?」
「駅に貼ってたノス」
「内容までは覚えてないなー」
冨樫くんは、何かを思い出そうとするときに ちょっとナナメ上の方を見る
2秒くらい
今までに、思い出そうとしてちゃんと思い出せたことは59回
思い出せなかったことは8回
だから冨樫くんは記憶力がいいってこと
歌詞とか台詞も、いつのまにか全部覚えてるんだと前に言ってた
「しかし今日も暑いな」
「暑いノス」
「おまえ、今日は何するの?」
「図書館に行くノス」
「なんだおまえハマってんな」
「あそこは本がいっぱいあるノス」
「ウチにはないもんな」
「ないノス」
冨樫くんはコーヒーに氷をたくさん入れた
カラカラ、いい音がする
透明のコーヒーメーカー、透明のグラス、透明の氷
冨樫くんの景色はとても綺麗だと思う
「どんなの読んでんだよ」
「手袋を買いに」
「また寒々しい話だな、真夏に」
「いい話ノス、心があたたまるノスよ」
冨樫くんが時計を見た
あと18分で家を出る時間
「そろそろ行くかな」
「もう行くノスか?」
まだあと18分もあるのに
「んー」
冨樫くんは立ち上がって着替えを始める
おれはまた、ちょっとつまらない気持ちになった

窓から見てると、やっぱり40秒で冨樫くんは見えなくなった
撮影が終ったなら明日は休みになるかしら
冨樫くんと、行きたいところがあるんだけれど
(冨樫くん眠いって言うかもしれないノス)
おれは冨樫くんの椅子に座った
おれがキコキコやったから 椅子の下の畳がボロボロになったって叱られた
でもこのキコキコが楽しいから止められない
そしたら16日前、冨樫くんは椅子の下に緑のカーペットを敷いた
これでキコキコし放題
だから今日も、冨樫くんは今どこを歩いてるのかしらと考えながら しばらくここでキコキコする
(そうだ、今日はお祭りノス)
花火があったらいいな
パーンと大きなやつ
夜店が出てたらいいな
人がいっぱいいて、楽しそうで、おれも楽しくて、冨樫くんも楽しくて
(お祭りはいいノス)
行ったことがないけど、どんなのかは知ってる
冨樫くんの映画に映ってた
開始71分のところに映ってた大きな花火
あんなのが見てみたい
「そうだ、今日も図書館に行く前に冨樫くんの映画を見るノス」
おれは冨樫くんの映画が好き
押入れの中のダンボールにいっぱい
もう2周り、観た
今日はお祭りの予習に、あの花火の映画を観よう
(そうだ、夜店ではヨーヨーと綿菓子ノス)
このお話は神隠しのお話
男の子が主役
冨樫くんがはじめて子供を主役にして撮った作品だって聞いた
(いいノスね〜お祭りは)
おれの世界はとても狭い
頭の中のデータを参照しても、メモリーはあんまりない
だから冨樫くんの作品ですこしずつ世界を知っていく感じ
夜空の花火も、学校の教室も、雪山も、沖縄の空も
(おれの非日常、でも世界にとってそれは日常)
それとも逆だろうか
(冨樫くんの日常、世界の非日常)
神隠しも、既視感も、無垢も、喪失も
「冨樫くんは天才ノスね」
何かを得て、何かを失う物語
開始70分目、世の中はうまくバランスがとれているのだと、天狗みたいな男が言う
その後、大きな花火
少年の横顔、背景は真っ黒、汚れた頬
それは、映画が始まったときより少し大人びている
何かを失って、何かを得た眼
単なる成長物語ではない、何か子供特有の純粋さを失ってしまった悲しい結末のようにさえ思える映像

はじめて観たときに、聞いてみた
そしたら冨樫くんは、カメラマンに10回撮りなおしてもらって、結局最後には自分で撮ったんだと言っていた
それくらい、このシーンは大事なんだって
めでたしめでたしになったら嫌なんだって、そう言ってた
「冨樫くんはハッピーエンドは嫌いノスか?」
「ハッピーエンドなんて存在しないだろ?」
即答、それから微笑み
意地悪気な目の奥に、おれは少しだけ別のものを見た気がした

それは多分、おれのデータにはないもので冨樫くんは知ってる何か
それがあるから、冨樫くんはこんな風に人を魅了するものが撮れるんだと思う

「人間ってすごいノス」
「何が?
 おまえ結局今日は図書館行かなかったの?」
「ノス、冨樫くんの映画観てたノス」
「好きだね、何回目?」
「3回目ノス」

花火の映画の次に雪山の映画を観た
それから沖縄の映画を観て、ちょっとだけ悲しい気持ちになっていた
それも3回目
いつもおんなじところで悲しくなる
「この女の子は可哀想ノスね」
「そう?」
「そうノス、だって泣いてるノス」
「そうだな、いい演技してくれたよ」
「この女の子は泣いてるのに、今日も世界はいつも通りノス」
「そんなものだろ」
「だから悲しいノス」
「おまえはロボットのくせに感受性が豊かだな」
帰ってきた冨樫くんは窓を閉めてクーラーを入れた
それから机の上に荷物を置いて、椅子に座る
おれはラストシーンを見逃したくなくてテレビから目が離せない
沖縄の赤い花、青い空、そして海
いつか世界の果てで空と海が繋がるんだという手紙の言葉
そこで逢いましょうといって映画は終る
おれはこの映画も好き
景色がきれいで、女の子の涙もとても、きれいだから
「いい映画だったノス」
「ありがと」
冨樫くんが入れた冷房で、部屋がちょっと涼しくなった
おれは暑いのは嫌いだけど、冨樫くんの映画を観てるときは そんなの気にならないくらい熱中してる
「冨樫くん、お昼ご飯はどうするノスか?」
「食ってきた、作業長引いてね」
「あっ、もう4時ノス」
「そうだよ、おまえずっと観っぱなし?」
「ノス」
「すごい集中力だな」
言いながらポケットから振動してる携帯を取り出す
あまり好きじゃないけど仕事柄必要で、といって持ってる携帯
使ってるとこを見るのはまだ6回目
「そうそう、チラシ見てきたぞ、花火あるってさ」
「ほんとノスか?!」
「駅前のチラシ破られてて商店街まで見に行ったよ」
「だから今朝早く出たノスか?」
「うん、商店街まで行くハメになる予感がしたから」
「予知能力ノス」
「だな」
冨樫くんは時計を見て、それから立ち上がった
「よし、ノース、服脱げ」
「ノス?」
「せっかく祭りに行くんだし、浴衣借りてきた、着せてやる」
「浴衣!!!」

冨樫くんが机の上に置いた荷物を解くと、浴衣が出てきた
初めて本物を見る
あとゲタも、二人分
「撮影で使ったやつ借りてきた
 気分出るだろ」
「出るノスっ」
ウキウキ感が急上昇
おれに心臓があったら身体の中で踊ってるかもしれない
服を脱いで浴衣に袖を通すと、ひんやりした感触が肌にあたった
帯を締めてもらったら、今度はソワソワした気持ちになった
早く出かけたくて仕方ない
今日はとてもいい日になること間違いなし

「俺も浴衣なんか着るのは何年ぶりかな」
結局、冨樫くんが着替え終わったら我慢できなくなって、おれは冨樫くんを外へ引っ張り出した
まだ5時前
外は明るくて暑い
「冨樫くんは浴衣が似合うノスねー」
「おまえも似合ってるよ」
可笑しそうに笑うのは、おれの髪型が変だから?
暑苦しいって結ばれた
でも結ぶには短くて、なんかスズメのしっぽみたいだと笑ってたから
「あっ、人がいっぱいいるノス」
「さすがに賑わってるな」
市民広場には、店がいっぱい出ていて人もたくさんいた
そこから河川敷までは歩いて5分
花火はそっちでやるからと、5分の道にも店がいっぱい
「もう少し暗くならないと気分が出ないなー」
「そんなことないノス、お祭り気分イッパイノス!」
「そりゃ良かった」
走ろうとしたらゲタが脱げた
「走るなよ」
「走りたいノス」
履きなおそうとしても、なんかうまくいかない
ゲタは難しい
さっきも、玄関を出るときてこずって、結局座り込んで履いたんだった
「ノスっ」
無理矢理履こうとしたら、ゲタが飛んでいった
「不器用」
「難しいノス」
冨樫くんが笑って飛んでいった下駄を拾った
そのまましゃがみ込んでおれの足を掴む
よろけそうになったのを堪えてるうちに、履かせてくれた
今度は脱げないように、足の指に力を入れてみる
「冨樫くんはゲタで歩くの上手いノスね」
「お前みたいに走ろうとしないからな」
上機嫌の冨樫くんは、遠くの人ごみを見ている
おれは早く店を見たくてウズウズする
「夜店といえば?」
「ヨーヨー!綿菓子!」
「おまえ、綿菓子は食えないだろ」
「持ってるだけで満喫ノス」
「持ってるだけねぇ」
含みのある笑い方
冨樫くんはおれより色んなことを知ってるから、綿菓子には何かとんでもない秘密があるのかもしれない
でも今はそんなこと気にしない
早く本物を手にしたくてウズウズしてる
「おこずかいっ」
「はいはい」
ポン、と財布が渡された
おれは今日の全財産を預かって責任重大
「もーちょっと涼しければなー」
「でも楽しいノス」
「おまえは楽しさが暑さを上回ってるんだな」
「ノス」
人ごみ、音楽、店のひとの声、カラフルな色、お祭りの空気
知らなかったことを体験する喜び
世界が広がる感覚
おれは嬉しくて仕方がない
「冨樫くん、連れてきてくれて有難うノス」
「おー」
綿菓子を買った
それから、ヨーヨー釣りを3回やった
金魚すくいは2回やってダメだったから残念賞で1匹もらう
カキ氷は色の綺麗なブルーハワイ
食べられないから冨樫くんに渡したら、完食した冨樫くんの舌が真っ青になった
経験がもたらす驚き、発見
映像で見たものに触れている歓び
おれは楽しくて仕方がない
「冨樫くんっ、連れてきてくれて有難うノスっ」
「さっき聞いたよ」
射的はおれより冨樫くんが上手かった
景品は変な顔のクマの貯金箱
輪投げはおれの方が上手くて、カラフルな水玉模様のライターをもらった

今日はとても、とてもいい日だ

花火の始まる30分も前に、冨樫くんはおれを河川敷に連れてきた
こんなに前からけっこう人がいる
そこが一番見やすいんだといいながら、通り過ぎるからおれもついていく
おれの手には、戦利品がいっぱい
一番最初に買った綿菓子は、人ごみでぶつかりそうになったり落としそうになったりしてヨレヨレにな
ってしまった
持て余し気味だったのを見て冨樫くんが笑った
綿菓子は甘く見ると酷い目にあうんだよって言って それからそのヨレヨレのをパクリと食べてくれた
砂糖でベタベタになったおれの手は、ジュースを入れて売ってるボックスにはられた水に手を突っ込ん
で洗い、お店のおじさんが変な目でおれを見たのに、冨樫くんが苦笑しながらラムネを1本買って謝った

「ここらへんは暗いノスね」
「足元気をつけろよ」
「ナナメだから歩きにくいノス」
「ゲタ、脱いでもいいぞ」
「ノス」
花火見やすいポイントから少し離れると、人は少なくなった
歩道を逸れると下り坂
ゆるいものでもゲタには辛い
「あっ、草が気持ちいいノス」
「おれも脱ごうかな」
「脱ぐノス」
「ここに寝転がって見る花火が最高なんだよな」
「寝転がって!!」
「そう、こうやって」
足を止めたら、今度は突然ごろんと寝転がった冨樫くんはチョイチョイと自分の隣を指差した
これ以上ないと思っていたのに、また気持ちが踊る
頭の後ろあたりが、熱くなるみたいな感覚を覚える
「気持ちいいノスっ」
「だな」
暗い夜空、投げ出されたゲタ、ううんと伸ばされる手足
花火が始まるまであと何分?

ドーン

油断していた
だって、開始時間になっても花火は始まらず、いい加減待ちくたびれて、おれはここらにも増えてきた人が何を喋っているのかとか、そういうのに気をとられていた
だから突然響いた音に、一瞬足が浮いた
驚いて

「花火ノスー」
「ようやくだな」
続けて3発、大きな花が咲く
ここからだとちょっとナナメ
でも寝転がったまま見れて、贅沢気分
「俺は、花火はこのくらいのサイズで見るのが好きなんだよな」
冨樫くんの言葉、おれは初めてだから他とは比べられないけど
「きれいノスー」
視界の三分の一くらいのサイズの花輪
空の模様みたい
キラキラ光る尾を引く光線に、うずうずと何かが疼いて自然に足がバタバタした
こういう感動を、どうやって表現していいのかわからない
「おれは今のが好きノス、緑のがきれいノス」
「俺は金の花が好きだなー」
色が変わるのとか、形が変るのとか、大輪とか、連射とか、色々
次々に打ち上げられるから、感じる時間はほんとうにわずか
あっという間に20分が経って、あっという間に空はまた、元の静けさを取り戻した

「あっという間に終ってしまったノス」
「それが花火のいいとこ」
「きれいだったノス」
「特等席だったしな」
「次は来年ノスか?」
「来年だな」
「来年も来るノス」
「いいよ」
「約束ノスっ」
「うん」
「今日の花火も忘れないノス」

冨樫くんは笑った
おれは、手足をバタバタするのがまだ治まらなかった
うずうずしたものが、つま先や指先にまで届いてる

今日はとても、とても、とてもいい日だった

帰ってきたおれはメモリーの確認をした
朝起きてから今までの記録
冨樫くんのしたこと、おれのしたこと、言ったこと、思ったこと、教えてもらったこと、見たもの、触れたもの、全部の記録
(大丈夫、全部メモリーされてるノス)
花火の映像も、参照すれば鮮明に脳裏に蘇る
今日のことを忘れない
昨日のことも忘れてない
その前の日のことも、その前の日のこともちゃんと覚えてる
(大丈夫、忘れてないノス)

おれは、すべてのことを忘れない


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