6. リセット


予定通り撮影を終えた俺は、帰るのを1日延ばしてスタッフを見送った
明日はご褒美の休暇だ
俺とノースで、思う存分 海で笑うための日
「ノース、荷造り終ったのか?」
明日はチェックアウトして海へ行って、気が済むまで遊んだらそのまま飛行場へ直行だ
俺の帰り支度はすぐにすんだけど、ノースはてるてる部隊を持って帰るんだと あの大量のソレをせっせとダンボールに詰め込んでいた
かれこれもう1時間も、隣の部屋から出てこない

「ノース?」

ドアをあけた
ベッドにつっぷしている後姿が見える
睡眠モードに入るにはまだ早いんじゃないのか、と時計を確認して俺は奴に近づいた
「ノース、終ったのか?」
床に置いてあるダンボールは2つ
部屋は片付いているから、荷造りは終ったのかもしれない
「ノース?」
いつもは、声をかけたらすぐに起きるのに、今 奴はぴくともせずにベッドに顔をうずめている
(なんだ?)
違和感と、同時に何か思い当たるフシがあって、俺はノースの側に膝をついた
肩に触れて力を込める
(重い)
それは、ずっしりと重く、わずかに揺れた髪の向こう、閉じたまぶたも重そうに見えた

「それはバッテリー切れですね、そろそろかと思っていましたよ」

電話の向こうの声
大手スポンサー会社の会長である あの老人の声を聞きながら俺は小さく溜息をついた
バッテリー切れ
そういえば、ノースはロボットで、動くにはバッテリーが必要だった
あんまり人のように動くから
まるで人のように話すから
人より自然に笑うから
忘れていたのかもしれない
あれがロボットだからどうこうなんて、最近の俺は気にもしていなかったから
(海での散歩はおあずけだな)
さっき触れたノースの体は冷たかった
まるで金属のかたまり
動いている時は、あんなにも温かく軟らかかったのに
「ロボットというものは一度動かなくなると とても重くて運べません
 専門の業者を呼んでおきますから、監督は予定通り帰ってください
 メンテナンスをして、新しいバッテリーを入れたら、業者から送らせます」
見下ろす先のノースは、相変わらずベッドにつっぷしたまま
バッテリーも、いきなり切れるんじゃなく、何か兆しがあればいいのにと 俺は不満に似た感情を持て余しながら老人に礼を言って電話を切った
目を覚ましたノースが、海に行けなかったと文句を言う顔を想像しながら、苦笑する
ノースがいないなら、俺には海に行く理由がない

それから俺はホテルに事情を話して延泊の手続きをし、ついでにノースがボロボロにしてしまった備品の弁償をして、ホテルを出た
明日には業者が来てメンテナンスとやらをしてくれるのだろう
一足先に戻った俺の家にあれが来るのは、1週間後か、2週間後か
(丁度、撮影が一区切りついた頃だとありがたいな)
東京で撮る分は、うまくいけば1週間で終る
それまでは忙しいだろうから、俺もきっとピリピリしてるだろう
(ノースがいればピリピリはしないのか)
飛行場で空を見上げた
ここには俺の好きな青い空がいつもあった
気持ちいい土地だと思う
ただ、今日という日を奴と二人、子供みたいに遊んで終れれば、
この飛行機に、クタクタになって乗り込めれば、もっと言うことはなかったのだけれど

それから1週間は、矢のように過ぎていった
俺はスタジオとロケ地と家を往復して、7日間のうち3日はスタジオに泊まった
そして全てのシーンを撮り終わった今日、見計らったように携帯に着信
見覚えのない番号は、多分業者のもので
入っていた留守電を確認すると、知らない男の声は、今夜の9時にノースを届けにくると言っていた

「冨樫さまですね、こちらに確認のサインをお願いします」
「はい、ご苦労様です」

まるで宅急便の配達員のような業者は、ノースを俺の家まで連れてくると おまけの小さな箱を置いて帰っていった
箱のラベルにはバッテリーとかかれてあるから、予備のバッテリーだろうか
それを手に取りながら、俺はノースに苦笑の混ざった顔を向けた
「おまえタイミング悪かったな
 何も帰る直前にならなくてもいいだろ」
バッテリー切れ、と
言ったら奴は、わずかに困った顔をして それから曖昧に笑った
「結局 俺も海に行きそびれたな
 沖縄なんて、次いつ行けるかわかんないぞ」
「・・・ノス」
頼りない声
もっと大袈裟に残念がると思っていたから意外で、俺は奴の顔をまじまじと見つめた
そして、違和感に気付く
ノースは、居心地悪そうに 俺の前に立ち尽くしている

「ノース?」

こういう奴を見たことがある
丁度半年前
冬だった、だから寒かった
どうしたらいいのかわからない様子でいるのは、命令が下されていないからだとあの老人は言っていた

ノースはロボットだから、人見知りはしない
ノースはロボットだけど、慣れれば態度が変ってくる
ノースは不良品のロボットだから、バッテリーを交換するたびに メモリがリセットされる
だから、その時はまた命令をしなおさなければならない

「ああ、おまえ、命令を忘れちゃったわけか」
「はい、ご主人様、まず最初にあなたの名前を教えてくださいノス」

俺は、笑って聞いたけれど、ノースは大真面目で答えた

「は?」
「ご主人様、あなたを何と呼んだらいいのか教えてくださいノス」

それはどういう意味か、と聞く前に 老人の言葉が脳裏をよぎった
ノースは高価で高性能のロボットだ
だけど不良品だから、たった一つの命令しかできない
あげく、バッテリーが切れるとメモリがリセットされるから、バッテリーを替えるたびに命令しなおさなければならない

「メモリがリセットってさ」
「ノス」
「命令を、忘れてしまうんだと思ってたよ」
「命令をしてくださいノス」
「メモリがリセットって、俺のことも忘れるわけ?」
「データには何も記録されていないノス」

ノースのくせに、どこか淡々としたような口調
そのくせ あのふざけた言葉遣い
それに腹が立った
そして、その怒りは同時に、ある種の喪失感を生んだ

飼っていたペットが逃げたときって、こんな気持ちだろうか

「ノース」
それからは、衝動で
「こんなにムカついたのは久しぶりだよ」
俺の手は、大人しく立ってるノースの首にかかった
「苦しいノス」
どんなに腕に力を込めたって、こいつは死なないだろう
「嘘吐くな」
苦しくもないだろう
俺だけが、この痛みを抱えている
たった今、俺の中には 黒い黒い穴が開いた
「ノース、よく聞け」
声が、自分の声じゃないみたいに低い
ギリギリと、手が痛い
やっぱり痛いのは俺だけだ
ノースは、怯えた目をして俺を見てる
「命令する」
この怒りを、どうしてくれよう
この痛みを、どうしてくれよう
「今度は忘れるな」
今、俺は、何よりも自分に対して怒ってる
自分がバカになってしまったことを嘆いてる
そして、そうやってどんなに自嘲したって、この言葉を口にするのを止められなかった

「全てのことを忘れるな」

全てのことを忘れるな

「俺の名前も」
「俺と交わした会話も」
「俺としたことも」
「俺と見た景色も」
「俺が与えたものも」
「俺にくれたものも」
「俺と過ごした時間も」

全て、全て忘れるな

「・・・ノス」

ノースは5秒間目を閉じて、それから返事をした
そのガラス玉みたいな目に俺の影が映ってる
ああ、ノース
こんな風に命令したって、半年後、おまえはまた、俺を忘れてしまうんだろう


「悪かったな、乱暴にして」

手が震えていた
俺は、ノースから手を引いて できうるかぎり平静を保ち言葉を口にする
「俺の名前は冨樫、仕事は映画監督」
「すごいノス、どんな映画を撮るノスか?」
「いろいろと」
「映画撮ってるところを見てみたいノス」

少し遠慮がちに言う様子に、俺の心の中の何かが乾いた音をたてた
ついこの間まで、お前は俺の役に立ちたいと言って、撮影現場に通っていたのに

「機会があったら、ロケに連れていってやるよ」
「ほんとノスか! 約束ノス!」
「ああ」

その約束すら、お前は忘れてしまうんだろうけれど

「冨樫くんの作った映画、見たいノス」
「そこにあるから好きな時に見ていいよ」

心が濁る
痛みは俺だけのものだ
そして、また、俺とノースの時間がはじまる


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