絶望の夜


次の満月がやってきた
シリウスは陽が沈む前に、叫び屋敷へと向かった
誰もいない、生きているものの気配のない場所
こんな時でなければ、何が住んでいるのか、何が隠されているのか、と
冒険も楽しかったかもしれない
だが、今夜は満月
あの眠れなかった夜からちょうど 一月目
欠けて満ちていく白い月を見ながら シリウスはようやく、ようやく心を決めた
今夜は、目を逸らさない

「大丈夫、心配しないで」

リーマスの、笑顔
身体を重ねるようになって初めて知った、微笑に隠された泣き出しそうな目
湖みたいな深い碧
あいつの持つものの中で、多分一番好きなもの
(・・・満月か)
ギィ、と
古びた鉄のドアがいやな音をたてた
一ヶ月前、この扉の前から先へは進めなかった
獣の咆哮に似たものが、頭から離れなかったあの夜
戻らないリーマスと、ジェームズの不吉な言葉
考えても答えなんか出ず、ただ夜が明けるのを待った
一ヶ月間、そのことばかりを考えてやっぱり、
やっぱり答えなんか出なかった
ジェームズなら、わかったろう
あいつは頭がいいから
そして自分には、真実の影すらつかまえられなかった
だから、決めた
この扉の向こうに何があるのか
リーマスの、微笑の下に隠されたもの
ジェームズの言葉の意味
知りたくて、ここへ来た
今夜はここで夜を明かし 全てに目を背けず見ると決めた

その部屋は、隅の方に大きな箱が積み上げられている他は 何もないところだった
窓には分厚いカーテンがかかってるけれど、天井に開いた四角い窓からは、外の光が僅かに入った
コンクリートむきだしの壁に異物がぶらさがっている
拷問の機具のような、化け物を繋いでおくために使うような
それは見慣れない、鎖
古くて、太い、冷たい鉄の色をしたもの
それが壁にぬいとめられて、冷え冷えとした光を放つ
背筋がぞっとした
こんな場所はリーマスには似合わない
そして、
ここで何が起こるのかなんて、想像もつかない

1時間もした頃、シリウスの入ってきた扉が開いた
静かな足音で、彼は部屋へと入ると扉を閉め鍵をかけ、
そうしてシリウスの隠れている箱の方ではない、部屋の奥
あの無気味な鎖の縫い止められた壁の方へと歩いていった
息を殺して、積み上げられた箱の影から見守った
想像通り、現れたのはリーマス
今朝見たのと同じ白いシャツを着て、手に杖を持っていた
(・・・何してんだ、あいつ)
いつもの、授業中に見せる様な 淡々とした顔をリーマスがしていたから
だからシリウスは 何故か急に安心していた
一ヶ月前聞いたあの獣の咆哮
あれがスッと頭から抜け、目の前の「いつもの」リーマスにだけ意識がいった
ああ もしかしたら、あいつはここで一人 何かの魔法の練習でもしてるんだろうか
涼しい顔をして成績優秀なリーマスの、隠れた特訓なんかが見れるんだろうか、とか
学校や仲間に秘密で、魔物みたいなものを飼っていて それの面倒を見にこっそりここへ来ているんだろうか、とか
あんまり、そこにいる彼がいつも通りだから
慣れた様子で その鎖を手に取り ぶかぶかの
彼の細い手首には何の戒めにもならないそれを手首にひっかけたりしているから
「リーマ・・・」
屈んでいた場所から腰を浮かせて、その名を

「絶望の夜、永い夜、冷たい鉄がこの身を禁める」

呼ぼうとした
だが呪文がそれを遮る
(・・・?!)
聞いたことのない呪文だった
リーマスの得意とする闇の魔術か
たしか対になる言葉でしか解けない拘束魔法
あいつは何故か、そういう類いが1年の頃からズバ抜けてうまかった

「絶望の夜」

呪文は繰り返された
それで発動したのだろう
リーマスの手にした杖が光ったかと思うと次の瞬間には、彼の手首にぶら下がっていたスカスカの鉄の鎖が、
まるで意志をもった化け物のように彼に襲い掛かった
手足をからめとり、壁にその細い身体を縫い止める
「リーマス?!!!」
驚いて、立ち上がった
まるで化け物を捕らえておくための、
罪人を拷問にかけるための鎖
そんなもので、リーマスの身体が戒められて身動きもできず
それを自ら、自分の魔法でやったなんて
「リーマスっ」
意味がわからなかった
ただ、何も考えず飛び出した
その瞬間、弾かれたように顔を上げたリーマスの顔がみるみる蒼白になっていくのと、
縛られた腕が一瞬もがくように動いたのと、
悲痛な程に痛々しい目を彼がしてみせたのは ほぼ同時
「何やってんだよ、おまえ・・・っ」
手を伸ばして、その鎖を解こうとした
だが、その瞬間アレが
「!!!!!!」
あの咆哮がすぐ耳もとで聞こえた
「ひ・・・・・・・・っ」
びりびりと、震える空気
目に映るものを理解するより先に、耳に音が届いたから 何が何だかシリウスにはわからなかった
ただ、
リーマスが、
細い手足を鎖にからめとられ、冷たい壁に縫い止められていた親友が目の前で
淡い優しい月明かりの中、その姿を変えていくのをただ目に映していた
それは驚く程に わずかな時間
そして、気が遠くなる程に スローモーションに見えた

リーマスは化け物に姿を変えた

「う・・・・・・・」
あとずさることもできず、シリウスはただ突っ立っていた
すぐ目の前に、人狼という化け物がいる
授業で習ったのは1年前
森の奥深くに住み、寿命は人間より短く
繁殖はせず、噛み付き体液を人間の身体へと流し込むことで 相手を同じ種族へと変えてしまう化け物
普段はおとなしくしているその流し込まれた体液に潜む化け物の種は、満月の夜 月の引力に影響を受けてさざ波立つ
理性のない獣へと姿までもを変え、人を襲い仲間を求めて咆哮する
夜があけるまで走り、立ちはだかる者をなぎ倒し
その爪で、牙で、手当りしだいに破壊を繰り返す
噛まれたら、一生その体質
治る薬はなく、犠牲者達は森の側や人の少ない村でひっそりと、隠れるように住んでいるとか
「・・・冗談だろ・・・」
鎖が嫌な音をたてる
咆哮が耳をおかしくしている
シリウスが奴の側に突っ立っているのに その牙にも爪にもかからないのは 奴の身体が無数の鎖で戒められているから
リーマスの腕にはスカスカだった大きすぎたものも、今姿をかえた奴の四肢をしっかりと繋ぎ捕らえ放さない
悪い夢を見てるんじゃないかと、100回考えた
これはジェームズとリーマスの二人が仕組んだ質の悪い冗談だと200回考えた
月が上る
狼は咆哮する
ああ、この声
一ヶ月前に あの扉の向こうで聞いた声
泣いているような、慟哭に似た響き
苦しくなった
悲しくなった
人狼って何だ? そんなの知らない
授業で習ったことなんか 羊皮紙たったの2枚分
あの時先生は何て説明してた?
悲しいことです、この病気は治らないのですから

「この病気は治らないのですから」

苦しいのか、破壊的な本能がそうさせるのか
それとも目の前にいる人間への攻撃心が沸き上がるのか、
化け物は、鎖を引きちぎらん勢いでもがいていた
ずっとずっと、そのジャラジャラいう音が響いている
叫び声
みんなが知ってる「叫び屋敷の幽霊」の正体がこれだなんて
狂ったように吠えながらもがき、自ら戒めた鎖に捕われている獣
これが病気?
お気の毒だけれど、と何度か先生が言った
実感なんかなかった
「へぇ、薬、ないんだな」
そんな感想を言った覚えがある
こんな姿になって、人々から隠れるように森なんかに住んで
変身したら人を傷つけて、暴れて、吠えて、
本意でなく、本能で 同じ種族を増やしていく
噛み付いた人間は、同じくこの不幸を背負って生きなくてはならないのだから
彼等が好きで、人を噛んだりするもんか
自分の意志で、人を襲ったりするもんか
目の前の化け物は、いつもはにこにこ笑ってる 綺麗な優しい少年だった
よく具合が悪くなって、青い顔をしながら言ってたっけ
「大丈夫、心配しないで」
そして、一晩帰ってこなくて、その間
自分やみんなは 明日の授業が嫌だとか、あの先生の宿題は難しい、だとか
どうやったらあいつにチェスで勝てるだろう、とか そんなそんなくだらないことを、
ごくごく日常を平穏に過ごしていたのだ
こうして彼等が苦しんでいる間にも
誰にも知られず、哭いている間にも

「リーマス・・・・」

手を伸ばした
獣が首を伸ばして牙をむく
それでも、シリウスはかまわなかった
リーマス、おまえはずっとこうやって 自分を縛り付けて過ごしていたのか
この夜を
本能だけになって、人を襲うかもしれない夜を
仲間を求め、森を走り、手当りしだいに壊しなぎ払い、
不幸な同族を作ってしまう 永い夜を
「リースマ」
そのごわごわした毛に掌が触れた
途端、涙が溢れでた
ああ、おまえはずっとずっと、たった一人でこうしていたのか

咆哮は、やまなかった
まるで泣いているような声
他には何も物音はしない
精一杯力一杯、その首筋にだきついた
獣の固い毛
ここにいるのは 自分の知ってるリーマスじゃない
白くて、細くて、優しい彼の どれとも違う
でも、もうわかってしまった
そして、認めてしまった
これは夢でも冗談でもなく、現実
彼の悲しい目に隠されていた真実
悲観して、命を絶つ者も多いこの病気
お前はそれでも生きてきたんだな、と
ただ歯を食いしばって、シリウスは嗚咽をこらえた
この涙は同情でも絶望でも悲観でもない
それでも笑ってたおまえを、愛しいと思ったから泣くんだ

夜は長い
これほどに永い夜をシリウスは知らなかった
立ち尽くした足の感覚も、獣を抱き締める腕の感覚も、咆哮を聞き続けた聴覚も、涙で曇った視覚も全て
全て麻痺して 朝を迎えた
月が沈み、陽が上る
白んだ空に、最初の光が届いた時、その両手にかかっていた負担が減り
抱き締めていたものの感触が変わった
「リーマス・・・」
掠れた声を出すと、鎖に手足を戒められた少年が、ぐったりと腕に落ち
目を閉じたまま、彼は何かをつぶやいた
シリウスには聞こえなかった呪文
それで鎖は解除され、その身体は自由になる
白いシャツがはだけて露になった肌
それに痛々しい程の傷痕がいつくも残ったのを見て また痛みが走っていった
白い、傷一つない身体
それが何度も抱いたリーマスの身体だったけれど、
「おまえはもう、俺には何も隠さなくていい」
しっかりと、その細い身体を抱き締めてシリウスはつぶやいた
傷を隠す幻覚の魔法もいらない
「大丈夫」という、本心を隠す嘘もいらない
衰弱して、その身を預け目を閉じたリーマスの瞼にそっとくちづけた
泣きたくなる程、切なかった

夜が明ける
絶望の、夜が明ける


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