まぼろし


夏休みの間、ジェームズはしばらくこの村に滞在するらしく 村の入り口のところにある宿に泊まっているんだと聞いた
それに構う風でなく、リリーは飽きもせず毎日部屋に閉じこもって 変なトカゲみたいなものの世話を焼いている
そして同じく それに気を悪くするでもなく、ジェームズは村をブラブラ歩き回ってはひがな一日を過ごしていた
これが本当に、結婚まで決めた恋人関係なのかと 疑わしくなる程 二人は互いを干渉しなかった

「リリー、ジェームズは本当にリリーの恋人なの?」

ある日、ペチュニアは思いきってそう聞いた
彼女の部屋をノックもなしに開けた時 予想通りリリーはトカゲの入ったバスケットを抱えてベッドの側に座り込んでいた
部屋中に広がる木の枝や枯れた草
ラベルの貼ってある小ビンもいくつか散乱して、ここが年頃の女の子の部屋だなんて考えられない程
妹のペチュニアの部屋とは比べ物にならないほど 意味不明で異様だった
「なぁに、突然」
急に開けないでよ、と
一言抗議に似た言葉を吐いたけれど、それ以上は妹を責めようとせず リリーはバスケットをベッドの上にそっと置いた
後ろ手にドアを閉めて、そこから先へは動けずに ペチュニアは気味の悪い巨大なトカゲと姉を交互に見た
「だって、恋人が会いにきてるのに リリーはずっと部屋に閉じこもって
 あれじゃジェームズが可哀想じゃない」
どうして放っておくのよ、と
言った言葉にリリーはこちらを見ずに わずかに苦笑してみせた
「平気よ、あいつはいつでもどこでも一人でも楽しめる奴なんだから」
「それは彼が優しいからよっ
 リリーに会いにここまで来てるのにっ
 恋人なら、どうしてもっと優しくしないの?! どうして放っておくのっ」
「私、今 忙しいのよ
 ジェームズなんかには、構ってられないの」
「そんなの変よっ、リリーおかしいわっ
 彼のことを好きなのなら・・・っ」
あまりにも淡々と言う姉に腹が立って、思わず声を荒くしたペチュニアの
その勢いある声を 陽気な明るい声が遮った
「今晩は、リリーにペチュニア
 今夜は月が綺麗だよ」

ひ・・っ、と
突然窓から入ってきた人陰に、ペチュニアは驚いて悲鳴を上げた
「珍しいね、ここに彼女がいるのは」
「そうね、めったに来ないわね」
夜、人が出入りするために作られたのではない窓から、突然入ってきたジェームズ
ここは2階だ、どうやって来たのだ
声ではなく表情でそう問うたペチュニアに、ジェームズがなんら悪びれることなくサラリと言い放った
「ああ、向こうから屋根をピョンピョン飛んでね」
にこ、と
笑った顔はいつもの顔
リリーもさして驚きもせず いつものことよと付け加えた
「今夜はとびきりの差し入れがあるよ、リリー
 ペチュニアがいるとは思わなかったから 彼女の分はないんだけど」
そう言って、これが普通だと言う魔法使い二人は、一人状況についていけないペチュニアを置いて会話を進めた
ジェームズの手に、つみたての白い花が握られている
「これ・・・っ」
「そう、火消し草
 体内の火を鎮めてくれるんだって、授業で習ったよね」
このあいだ、と
言ったジェームズの手から 花をまるで奪うようにむしり取ったリリーは 紅潮した頬で先程ベッドに置いたバスケットへと近寄った
「こんなのどこで見つけたの?」
「そこの森さ
 湖があるだろ? 潜ってみたらけっこう深くてね
 その底の土を掘ったら出てきた、我ながらいい勘してると思ったよ」
リリーが、トカゲを取り出した
ごつごつした皮膚は赤銅色で、目がヘビみたいに鋭くて
何よりその大きさが気味わるかった
あんなに大きなトカゲを素手で触るなんて考えられない
ぞっとして、思わず目を背けたら 側でジェームズがクスクス笑った
「ペチュニアはドラゴンは嫌い?」

は? と
問い返すことはできなかった
リリーがジェームズの取ってきた白い花を口に含み、それを噛みしだいてそのまま
口移しでその「ドラゴン」と呼ばれたものに与えたのを見て 言葉は喉元で蒸発した
大トカゲ=ドラゴンが、嫌そうに首をふるのを捕まえて、
リリーは何か小さい子に話しかける様にしながら その花を飲み込ませている
目眩がした
何? 今リリーはアレにキスした?
あの気味の悪いトカゲみたいなアレに
「あれはドラゴンの赤ちゃんだよ
 リリーが半年もかけてようやく孵化させたんだ
 火吹きの血が混ざってるみたいでね、赤ん坊だからうまく火を外に出せないらしい
 それで最近具合が悪かったんだ
 あの薬草で、中の火を鎮められるといいんだけど」
ジェームズの説明も、あまり頭には入らなかった
ドラゴン? 孵化? 何を言ってるの?
それよりあの気味の悪いものが、こっちを見てる
「どう? リリー」
「熱が治まったみたい
 すごいわ、火消し草がこの村に生えてるなんて」
目をキラキラさせて、リリーが顔を上げた
大人しくなったドラゴンを抱きながら その背をなでてにっこり笑う
「ジェームズ、場所を教えて
 この子が大きくなるまでに もっと薬草がいるわ」
「いいよ、俺がいる間は俺が取ってきてやるから」
まだ目が離せないだろ、そいつ、と
頬を紅潮させたリリーに、ジェームズが笑った
まただ、と思う
リリーの無邪気な顔
あんなリリーを知らない
リリーは彼の前では、ああいう子供っぽい 感情のある顔をする
何かの不安のような感情が心にたまっていくのを感じながら、ペチュニアは黙って二人を見つめた
二人の間には、何か他人の入り込めないものがある
こんなにも、恋人らしくない二人なのに

おやすみ、と
それからすぐにジェームズは帰っていった
やはり窓から
それが普通であるかのように、リリーは平然と見送る
「毎晩・・・来てるの?」
「そうね、この子が大人しいのは夜だけだから」
今はバスケットに収まって眠りについたドラゴンを注意深く観察しながら リリーはずっとドアの側から離れない妹をチラ、と見遣った
好きならどうして、もっと優しくしないの、と
妹は言った
彼を好きなら、と
その言葉や表情にピンとくるものがある
「あなた、ジェームズが好きなの?」
「え・・・・?!」
人なつこく笑う彼は 学校でも人気者だった
あんなののどこがいいのかしら、と
いつも思っていたっけ
騒々しいだけじゃない、と 言ったのは本心だった

リリーが好きなのはジェームズじゃない

「やめておきなさい、あんな男」
妹の、ジェームズを見る目は恋をしている目だ
できれば諦めさせてあげたい
あいつに関わるとロクなことがないから
好きになったって、けして同じだけ愛してはくれないのだから
「いたい目を見るだけよ」
自分のように、と
それは言葉にはしなかったが、言葉のないペチュニアにリリーはもう目を向けなかった
ジェームズを好きになってはいけない
まぼろしの愛しか得られないから

次の日、昨夜のリリーの言葉を考えながら それでもジェームズに会いたいと ぼんやり宿までの道を歩いていたペチュニアは 森の中に入っていく人陰を見た
あれはジェームズだ
遠目だったけど 確信がある
この村の人は森を恐れて中へは入らないし、
昨日彼が取ってきた白い花は、森の湖に咲いているって言ってたから

「ジェームズ・・・?」
森の中は暗かった
そして入った途端に 物音が消えた
(やだ・・・恐い・・・)
一歩入ってあまりの無気味さに、戻ろうかと思った時、遠くに白い影が見えた
ジェームズの着てる白いシャツだ
あの距離なら、走ったらすぐに追いつける
「ジェームズっ」
そう思ったらもう 走り出していた
恋心は、ペチュニアを突き動かしていた
彼へ、彼へと

森は暗い
初めて入る者には予想もつかぬ程、深い
やがて、ペチュニアは完全に方向がわからなくなり足を止めた
どこを見回しても、さっき見えた白い影は見つけられなかった

「ジェームズ・・・っ」
必死に彼を呼んだ
誰もいない森の中
入ったら二度と出られなくなるから、と教えられていた森
恐かった
どうしようもなく恐かった
そして、泣いても叫んでも、誰も来てはくれなかった
死という文字が頭に浮かぶ
背中が凍り付いたようになって、足がすくんで、
ペチュニアはその場に座り込んだ
立ち上がって歩く気力もなくなっていた

「ジェームズ・・・」

しくしく、と
最初出会った時と同じ泣き声に、ジェームズは辺りを見渡した
たしかに今 声が聞こえた
この森にいるはずのない人間の声
少し歩くと、また泣き声が聞こえた
今度はさっきより大きかった

「ペチュニア? どこにいるの?」

それは突然聞こえた声
それも思ったよりも近くで
「ジェームズッ」
思わず立ち上がって叫んだ
辺りを見渡しても誰もいない
でも今たしかに、彼が自分の名を呼んだ
「ジェームズッ」
ボロボロとまた、涙がこぼれる
ああ、ジェームズが側にいる
自分を探してくれている
「見つけた、ペチュニア」
ざざっ、と
それは背後の小高い丘の上からだった
ジェームズの姿が見えて、そして彼はその丘を たたっと小走りで下りてきた
「ジェームズッ」
思わず抱き着いて、必死にその身体にしがみついた
不安だった
ここで死ぬのかと思った

「ダメだよ、女の子が一人でこんな森に入っちゃ」
「だって、あなたが見えたから・・・っ」
どれだけ長い間、彼の腕に抱き締められていたかわからなかった
ただジェームズは ペチュニアの震えが止まるまでそうしてくれていたし、
ペチュニアはいつまでもいつまでも、そうしていたいと思っていた
彼は優しい
こうして、不安だった心を包んでくれる
涙を優しく拭ってくれて、いつものあの笑顔で言葉をくれる
安心する魔法の呪文みたいな、言葉をくれる
はじめて会った時から感じた
彼の声は、不思議
彼の言葉で世界が変わる
ジェームズには、人を魅きつける何かがある

暗い森の中、ジェームズは怯えるペチュニアの手をずっと繋いでいてくれた
歩きながら、色んな話をしてくれる
学校のこと、友達のこと、先生達のこと、そしてリリーのこと
「ジェームズはこれでいいの?
 リリーはあの変なトカゲのことばっかりで、ジェームズを放ったらかしよ
 せっかくこんな村まで来てくれてるのに、怒ったりしないの?」
意を決して、その穏やかな横顔に問いかけると ジェームズは驚いたようにペチュニアの顔を見つめた
「俺が不満に思わないのがおかしい?」
「おかしいわ・・・」
だって、と
控えめに、だが譲らずペチュニアは言葉を続ける
だって世の中の恋人同士って 相手にとって自分が一番で
自分にとっても、その恋人が一番で
だからどんな時もその人のことを考えて、行動して
その人で心が一杯になるはずなのに
互いに、ひとときも離れたくないと思うもののはずなのに
今のペチュニアのように、
本当に相手を好きなら、自分以外のものは見て欲しくないと思うはずなのに
「うーん・・・」
自分よりいくつか年下の少女の言葉に、ジェームズはもっともらしく一つうなった
「そうだね、恋人って普通はそうなのかもしれないな」
それが本当の恋なら
何よりも誰よりも大切な人なんだったら
「ペチュニアは、自分だけを見てくれる人を好きになりな
 俺達みたいなのじゃなく、もっとちゃんとした恋人に」
意味ありげに、ジェームズが微笑した
暗い森の、木々の間から僅かにさしこむ外の光
それにチラ、と彼の漆黒の瞳が揺れて光をたたえた気がした
金色に、その眼は光を宿し だがやがて微笑とともにその色は消えた

ジェームズには、リリーよりも好きな人がいる

「どういう意味?!
 二人は本当の恋人同士じゃないの?!
 ・・・二人は好き合ってはいないの?!!!」
意気込んで問いかけながら、心が高揚に似たものを現わしたのは何故だろう
そっけないリリー
それを気にもしないジェームズ
そのくせ二人は時々、他人が入り込めない雰囲気で存在する
ああ、やっぱり二人は恋人なんだと その度に悲しく胸がしめつけられるようだったけれど
「ねぇ・・・本当は恋人じゃないの?
 好き同士じゃないの?」
震える声で、身を乗り出してそう聞いた
もしそうだったら、もしかしたら
もしかしたら彼は自分を好きになってくれるかもしれない
この恋心の行き場を、与えてくれるかもしれない
高揚は、そう思ったからだろう
彼にとって恋人のリリーが一番じゃないなら、彼の一番になれるかもしれない
そう思った
彼の一番になりたい
そう願った

「さて、それはどうだろうね」
必死のペチュニアに、ジェームズはいつものように笑うと首をかしげた
「少なくとも俺は、リリーを好きだよ
 強いところも、潔いいところも、美しさも、強い魔力も」
彼女がどうかは知らないけど、と
彼は言い、何といっていいのかわからない表情をしているペチュニアに苦笑を投げかけた
「ただ一つ言えるのは、それでも俺達は恋人同士だということ」
その事実に、何の変わりもないよ、と
彼は言った
その表情からは、ジェームズの心象など読み取りようがなかった

まるでまぼろしみたいな関係
あんな男はやめておけ、というリリー
でも彼女はジェームズの前では素顔で笑う
リリーを好きだよ、というジェームズ
でも彼は、自分に構わないリリーに何も感じない
リリーが自分を好いているのかどうかにすら、興味はないようで
「そんなの・・・恋人って言うの?」
一人つぶやいて、ペチュニアはため息をついた
側にいればいるほど感じる不自然
まるでまぼろしを見ているように思う
二人の間にあるもの、それは 本当にまぼろしだけなのかもしれない


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