「刹那」という名の罪人


3日間降り続いた雨に足留めされた一行が、ようやく旅を開始した朝
その橋は轟音とともに 谷底へと落ちていった
人々がざわざわと、谷のこちら側とあちら側で騒ぎだす
深い谷を結ぶたった一本の吊り橋
豪雨で、傷みきった橋はその重みを支えきれなかったのか 今朝一番の旅人が足を踏み出した途端 ぎしぎしと悲鳴を上げて落ちていった
谷底からは、ゴウゴウと無気味な音で風が吹き上がってくる


「・・・災難だな、まさかここが落ちるとはね」
「長く続いた戦争で橋の傷みも激しかった
 それにここ3日ほどの雨は、尋常じゃなかった」
「嵐が来るかもな」
「・・・その前にここを抜けたかったのだが・・・」
人だかりを避けて、街の入り口で地図を広げたヒムロは、大きなため息とともに 遠くのひとだかりの中 見えかくれするの後ろ姿を見遣った
旅をはじめてまだ2週間
はおとなしくしているということを知らないのか、雨で宿に足留めされていた3日間ずっと、
ことあるごとに部屋を抜け出した
そして気付けば誰か知らない人間と、
例えば街の子供だったり、宿の客だったり、
そんなのと楽しそうに話しているのだ
まるで自然体に
自分といる時にはそんな風ではけしてないのに
きゅっ、と唇を引き結んで真直ぐ前を向いて、笑ったりなんかしないのに
は素直ないい子だねぇ
 食事の支度を手伝ってくれたから、あんた達の宿代はまけとくよ」
今朝、宿を出る時 女将が言った言葉を思い出す
たった3日間の滞在で、宿のほとんどの人間と仲良くなってしまった
驚くのと同時に、何かいい様のない想いが心に生まれる
ヒムロの知っている姫もまた、よく笑う明るい子だった
あの無邪気な、全てのものから守られ愛されていた姫
今は、痛みと悲しみを知り 無邪気さは消え強さが宿った
だが、思う
まちがいなく、ここにいるのはあの姫だと
毎日毎日、自分に笑いかけてくれた あの愛しく幼い姫 その人だと

しばらくすると、人だかりもおさまり、旅人達は困った顔をして街へと戻っていった
橋の復旧にどれくらいかかるのかわからない、などという会話が聞こえてくる
側を歩いていった男達の会話に眉を寄せ、ヒムロは地図に目を戻した
あの橋が修理されるのにどれくらいの時間がかかるだろう
おそらく2.3ヶ月
下手をすれば1年程放置されるかもしれない
城は他にもこの国の、いたるところの傷みを直さなければならないから
そして こんな大規模な橋は、ここの街の者達だけでは直せはしないだろうから
「あの森を、姫を連れて抜けるのは危険だぞ」
「・・・わかっている」
側で地図を覗き込んだソード・マスターの言葉にヒムロは小さくため息をついた
吊り橋が渡れないなら 道はひとつ
西に広がる森を通り、まわり道をするしかない
だがしかし、それには大きな問題があった
「あの森は幻覚を見せる
 俺の専門じゃない、剣じゃ防ぎようがない」
「・・・わかっている」
肩をすくませ、ソード・マスターはまだ谷の側にいるを見遣った
この旅は急ぎだ
一刻も早くを連れて帰って王座に座らせなければならない
帰りが遅れれば遅れるほど、よからぬことを企む者達が増えるだろうし
混乱に生じて内戦が起こるかもしれない
カラの王座を、今も誰かが狙っているかもしれない
「だからといって、あの森はなぁ・・・」
城に連絡をつけて、ここの橋を修理させた方がいいんじゃないか、と
提案に、ヒムロは難しい顔をして ひとつうなずいた
街には伝信に使う鳥が飼われている
それを使って城に連絡を飛ばし、この橋の修理を最優先させる
城でそれなりの地位にいたヒムロからの伝信なら 1ヶ月あれば技術者が到着し、橋を修理するだろう
「・・・そうだな、そうしよう」
この森は危険だから、と
足留めされるのはいたいけれど、と
ヒムロは結論を出した
旅は急ぎだが、姫の安全が最優先
地図をたたみ、顔を上げたヒムロは、途端はた・・・、と
さっきまで そこに見え隠れしていた少女の姿を
ついさっきまでそこにいたを探した
谷の側にちらほら残ったヤジ馬の中に、がいない

深い緑の木々
谷からの無気味な風の音に身震いし、がふと西に広がる森を見た時 その目に金色のひかりが見えた
「・・・?」
遠く、遠く
森の奥へと向かう人陰
金の髪、白い馬
視界にそれが映った時、一瞬何かが心に生まれた
「まって・・・・」
無意識に、手を伸ばす
それから、足が勝手に走り出した
深い森
故郷の、あの村と同じにおいがして、森に入るとは妙に安心した
「ねぇ、まって」
あまり、外の光の届かない森
だからこそ、葉と葉の間からこぼれる光はたまらなく幻想的で
まるでシャワーみたいに降り注ぐ いく筋もの光の中を は走った
遠くに、白い馬が見える
そしてそれに乗った人
あの人は誰
「ねぇ・・・あなた・・・っ」
無性に、追い掛けなければと感じた背中
金色の髪が綺麗だと思った

「あなたの髪、とても綺麗ね」

照れたように笑った、緑の瞳を思い出す
あなたは誰?
どこに行くの?
「まって・・・っ」

「姫もとても、きれいだよ」

それは子供の声
光の中 戯れた記憶
いつのまにか その背中を追って走っていたは、瞬間真っ白になった視界に驚いて その足を止めた
眩しくて、何も見えない
ただざわざわと、心を揺らすような音が聞こえる
遠い日の記憶と、その音は響きあう
「泣かないで姫
 僕達は必ずきっと、また会える
 ふたりがどんなに変わってしまっても、僕は必ず君をみつける」

「・・・っ」

胸騒ぎに似た感覚だった
頬をなでる風を感じて目を開けたら、そこには古い教会が建っていた
デ・ジャ・ヴュ
見たことのある景色
風の感触、空の色、木々のざわめき、古い扉、物語の窓
「・・・・ここ、どこ・・・?」
そっと、扉を開けて正面の飾り窓を見つめ、は小さくつぶやいた
どうしてこんなに懐かしいんだろう
ここを知ってる
昔、ここに来たことがある
「ここは・・・・」
つぶやいた、その時だった
「ここは幻覚の森
 入った者は過去の幻を見せられる
 迷い惑い、一度入ったら二度と出られない」
すぐ後ろで、声がした
思わずでかかった悲鳴を飲み込み、振り返る
そこに、彼をみつけた
金の髪、緑の瞳

「約束だよ、姫
 僕達は再び巡り会う、その日まで忘れないで」

記憶が混乱する
10才以前のことは何も覚えていない
なのになぜ、彼を知ってる気がするんだろう
見上げた顔は、どこか寂し気で、苦し気で
それなのに優しい
とても優しい

「あの・・・・」
戸惑ったような目で見上げてくる少女を、ハヅキは黙って見下ろした
国境を越えての旅の途中
ここが幻覚の森だと知って足を踏み入れた
それはここが、ハヅキにとって特別な場所だったから
馬でゆっくりと歩きながら、しばらくして、やはり幻覚を見た
幼い頃 この森で出会った姫
彼女が目の前を走っていったから 追い掛けて追い掛けて 気づいたらこの教会に辿り着いたのだ
同時に消えてしまった幼い姫
穏やかなヘーゼルの瞳が忘れられない
出会った時 彼女は迷子になったんだといって泣いていたっけ
綺麗なドレス
髪をかざる豪華なリボン
まだ幼かったハヅキにも、彼女が隣国の姫だとわかった
この国境をまたいで広がる森に迷い込んだ泣き虫の小鳥
迎えが来るまで二人きり、色んな話をしたっけ
ほんの数時間
二人が過ごしたのはたったそれだけ
でも、忘れられなかった
だから約束をした

「ふたたび巡り会う日まで、忘れないで」

必ず会いに行くから
二人はきっとまた、出会えるから
それは約束
でももしかしたら この森の見せた幻覚かもしれない
隣国は内戦で疲弊し、荒れ乱れ
風の噂で幼い姫は、死んでしまったと聞いた
いっそ、あの出会いの全てが幻覚で、
夢だったら良かったのに、と 嘆いた日々も今は遠い

「ここは、幻覚の森だ
 出た方がいい」
ハヅキの言葉に、は何度が瞬きをして、それから困ったように辺りを見回した
「あ・・・・っ」
唐突に、現実に戻る
意識がはっきりすると、途端に自分がしでかしたことが理解できた
たった一人で森に入ってしまった
ここがどんなところかということは、とりあえず置いておくとして
ヒムロにもソード・マスターにも何も言わずに来てしまった
そして、ここがどこだかわからない
ただ必死に 目の前の彼を追い掛けてきたから どうやったら元の場所に戻れるのかもわからない
「ど・・・どうしよう・・・」
きっと心配している
ヒムロなんか 今頃カンカンに怒っているかもしれない
いつもいつも難しい顔をして、もっと姫らしく、とか
王家の気品を、とか
そう言っての行動を嘆かわしいとため息をついていたから
「どうしよう・・・」
急に不安になって、つぶやいたに ハヅキはほんの少しだけ笑った
ああ、やっぱり彼女だ
幼い頃出会った姫
迷子になったと泣いていたあの子
また同じ風に泣くのかな、なんて
おかしくて笑みがこぼれた
それに顔を上げて、不思議そうに
「・・・ねぇ、どうやったら街へ行けるか知ってる?」
問いかけてきたに、ハヅキは苦笑した
覚えているのは自分だけか、姫は自分に気付かない

あいにく、この国の人間じゃないので、と
言って教会の壁にもたれて座り込んだハヅキの隣に、も同じ様に座った
どうしてハヅキを追い掛けてきてしまったのか
さっきまで感じていた懐かしいものは何だったのか
今はわからない
この森を幻覚の森だと言ったハヅキの言葉に ほんの少しだけ身震いして は小さくため息をついた
多分、こういう時はあまり動かない方がいいんだと思う
今、一人じゃないのが少しだけ心強かったから
だからはここにいることを決め込んだ
ヒムロとソード・マスターが自分を見つけてくれるまで
同じように ここに座って窓を見ているハヅキがここを動くまで

「ねぇ、あなたはどこから来たの?」
「隣国」
「へぇ、この森の向こうがあなたの国?」
「そうだ」
「何しに来たの?」
「人探し」
淡々、と
窓を見ながら答えるハヅキに、もつられて飾り窓へと視線を移した
王子と姫、その愛の物語
二人出会って恋に落ちて、離ればなれになってしまう そんな物語
「綺麗ね、この窓」
「前もそう、言ってたな」
くす、
少しハヅキが笑ったのに は言葉を飲み込んだ
私、この窓見たことある気がするの、と
そう言おうとした
そんな自分をハヅキは知っているのだろうか
昔、は本当にここに来たことがあるのだろうか
「え・・・・?」
「お前、前もそう言ってた
 泣いてたくせに、これ見たら泣き止んで笑った」
懐かしむような、ハヅキの言葉
一瞬、視界に緑の瞳が
優しく笑ってる少年が映った気がした
だがすぐに、それは消える
「私を、知ってるの?
 ねぇ、私のこと、あなた知ってるの?!!」
失われたクローバー姫の記憶
あんまりヒムロがうるさいから
クローバー姫はそうじゃなかっただの、クローバー姫はこうだっただの
だから嫌でも気になってしまう
彼女はどんな女の子だったんだろう
記憶を失わず、あのまま育っていたら
自分はヒムロの望むような少女に育っていたのだろうか
こんなオテンバではなく、こんなトラブルメーカーではなく
「・・・」
必死の顔で身を乗り出したを怪訝そうに見遣り、ハヅキはほんの少し首をかしげた
クローバーという名の姫
無邪気に笑って この窓を指差し言った
「素敵、素敵
 こんなに綺麗なの見たことない」
恋に落ちた王子と姫
まだ幼かった二人には、想像もつかない世界
ただ憧れるだけ、
それでもそれに似たものは 心に残った
忘れられないと感じた存在
隣国の姫君
二度と会えないかもしれない人
「自分のことを覚えてないのか?」
「私、昔盗賊に襲われたんだって
 それ以前の記憶がないの、だから自分のことも知らない
 あなたは、知ってるの?
 クローバーだった頃の、私のこと」
どこか寂しそうな色を浮かべたをの目を見つめて、ハヅキは小さくため息をついた
風の噂で姫は死んだと聞いた
そしてそれから何年もたったある日
隣国の王の死去の知らせと一緒に届いた情報があった
「姫は生きている」
今もどこかで生きている
姫の国は、王の死去で揺れた
ハヅキの国からも、よからぬ企みを持ったものがたくさん隣国へと向かっていった
ああ、姫がもし生きているなら
会いたい、会いたい
泣いているかもしれない
悪い計画に巻き込まれて
悪いやつらにいいようにあやつられて
悪いやつらに命を狙われて

「俺はほんの数時間、ここでお前と過ごしただけだ
 お前のことは、何も知らない
 髪の色と瞳の色、声と涙と笑顔以外は」

いてもたってもいられなかったから、国を飛び出してきた
戴冠式の前夜だった
馬を走らせて、国境を目指しながら 覚悟はもう決まっていた
宿で、酒場で出会った「悪巧みをする者」を全て斬り、姫の情報を集めて走った
ああ、この国でさえこんなにも敵がいる
姫の命を狙う者、財産を、王座を、国を狙う者、脅かす者
姫の国にはいったいどれ程の数が
姫を不幸にする敵がどれほどの数いるのだろう
今もどこかで泣いているかもしれない姫
迷子になったと、こぼれた涙を忘れはしない
また会える? と
別れ際、そう言ってくれたあの顔を 忘れられるわけがない
「俺は何も知らない」
一度は死んだものと嘆いた大切な存在
側にいられなかったことを何よりも後悔した
自分が側にいたら姫は死ななかったかもしれないのに、と
だから 止まらなかった
国を捨て、明日得るはずだった王座を捨て、隣国を目指しただひた走り
姫を探した
今もどこかで泣いているかもしれない姫を

そっか、と
少し俯いてはハヅキの隣に座り直した
無言で飾り窓を見上げる
その横顔が愛しくて
見つけられた奇跡に 神にでも祈りたい気分になる
人を斬り この手が血に染まっても
神に罪人として裁かれる汚れた身になろうとも
姫が無事ならそれでいい
笑ってくれるなら、それでいい

「私ね、」
ぽつり、と
沈黙の中 が唐突に話し出した
「ハバタキ王国の姫なんだって
 記憶がないから本当かどうか自分でもわからないけど、お城の使者の人がそう言うの」
ちゃり、と
首からかけたロザリオを手に握り込みながら 困ったように苦笑したをハヅキは見遣る
それは誰もが狙っている王位継承者の証のロザリオ
街で囁かれている黒い計画は、それを奪い姫を亡き者にし
自らが王位に君臨する、そんなようなものばかりだった
「王様になるために、お城に帰る旅の途中なの
 でも、本当に私が姫なのかもわからないし、
 私が王様なんかになっていいのかも、わからないの」
目の前にいるのは、ただの街娘
連れとはぐれて憂いでいる ごく普通の旅人
普通の女の子
「なりたくなければならなくていい
 王座なんか欲しい奴にくれてやればいい
 おまえがやりたいようにすればいい
 俺はそうしてこまで来た
 お前が笑っていられるなら、俺はこの先ずっとお前の側にいる」
王になろうとも、ならなくとも
「え・・・・?」
そのために、国を捨て王座をすて、罪を犯してここまできた
これから先も同じ
二度とあんな想いをしなくていいように
二度と 恋しい姫を失わなくてすむように
「お前が王になりたいならなればいい
 王にしかできないことはたくさんある
 だけどそれで、お前が泣くような辛いことがあるなら、」
無理してそんなものに縛られる必要はない
「俺はそう思う・・・」
キョトン、と
目を丸くしてこちらを見ているに ハヅキは一度だけ微笑した
記憶を失った最愛の姫
今はこの、飾り窓の恋物語の意味もわかる
王子が命をかけたように、自分も姫に全てを捧げる
そのために、姫を探しにここまで来たのだから
全てを捨てて 来たのだから

ざざざざざっ、と
その時 森の木々が妙な音をたてて
それから大人数の足音が教会へと近付いてきた
「何・・・」
「・・・・・・・下がってろ」
立ち上がり、ハヅキが剣を抜くのに ざぁっと背筋が寒くなる
「まって・・・、逃げようよ・・・」
あの足音はとても大勢に聞こえる
ハヅキ一人ではどうにもならないのではないか
いや、それよりも、ハヅキが誰かを斬るなんてそんなの嫌だと思った
血を見るのも、人が死ぬのも、誰かが傷つくのも嫌だ
そう思った途端、大きな音がした
教会の扉が、勢い良く開けられた

「嫌な予感がする」
「俺もだ・・・・」
馬が二頭 森を駆け抜けていく
幻覚の森を、辺りに目を走らせながら一気に駆け抜ける
ヒムロは過去に一度だけ
ソード・マスターは戦争で何度かここを訪れたことがある
まったく知らない場所ではないはずなのに、なぜか方向感覚の狂うこの森
幻覚に導かれ 知らない間に迷っている
だから人はここに近付かない
集まるのは、世間から隠れるように住む者達、犯罪者だけ
「レーイチ、ボーっとするなっ」
隣から、怒声が聞こえて ヒムロは瞬きを3度した
しっかり意識を保っているつもりが、気づけばどこかぼんやりとして
今も 別のことを考えていた
はじめてこの森に入った時のこと
近くの別荘に遊びにきた姫が、この森で迷子になってしまった時のこと

えーんえーん、と
姫の泣いているような声に導かれて ヒムロは森を走っていた
ちょっと目を放したすきに見失った姫の姿
側にうっそうと広がる森は幻覚の森
まさかと思って、身が凍るような感覚に陥った
まさかここへ入ったか
子供など、迷い込んだら出られない森
周りが止めるのも聞かずに、飛び込んで走り回った
いつしか泣き声が聞こえなくなり、途方にくれた時教会をみつけた
真っ白い壁、飾り窓が印象的な 美しい教会だった

「いたぞ、姫だ」
隣でソード・マスターが剣を抜いた音に ヒムロは我にかえった
突然に、視界に教会が飛び込んでくる
ああ、いままで見ていたのは幻覚か
意識が飛んでいたのか
思った途端、ゾク、とした
教会のまわりは血の海
そこに一人の男とが立っている

「姫・・・」
馬から飛び下りて、ハヅキに剣を向け ソード・マスターは落ちついた声でに呼び掛けた
「無事ですか」
「はい・・・」
「こちらへおいで」
「・・・あの」
ソード・マスターの冷たい目
まっすぐにハヅキを見ているのがわかる
ここで自分がそっちへ行ったら ハヅキを斬るのだろうか
血に濡れた剣を持ち、襲ってきた賊の返り血をあびて 黙って立っている彼を
「あの、マスターさん・・・っ」
咄嗟に、はハヅキの前に出た
「この人は私を助けてくれたんです
 ごめんなさい、私・・・勝手に森へ入ったから・・・」
声が震えるのは それでもソード・マスターが剣を下ろしてくれなかったから
ハヅキは戦って怪我をしているから、立っているのも辛いだろうに
斬られても斬られてもけして倒れず
とロザリオを守ってくれたから
「助けてくれた?
 じゃあどうして その男がロザリオを持ってる」
ぴた、と
ソード・マスターの剣が ハヅキの左手に握られたロザリオへと移動した
緑色の宝石のたくさんついた、王位継承者の証
賊に奪われたのを ハヅキが取りかえしてくれた
血に汚れた左手に 今はしっかりと握られている
「それを返してもらおうか」
「これはこいつのものだ」
鋭い言葉に、きっぱりと返してハヅキはソード・マスターを見つめた
の連れか
敵には見えない
けれどこのロザリオを
誰もが狙って ここに転がっている者達みたいに襲い掛かってくるほどのものを
以外の者には渡せなかった
それで、ハヅキは静かに言った
「下がれ、
 俺達にこれ以上近付くな」

教会の中で、二人きり
とハヅキはさっきまで座っていた場所にいた
「どうしてこんな無茶するの
 逃げてくれればよかったのに
 一人であんな大勢となんて無茶しないで、死んじゃうじゃない
 あなた、私なんかのために死ぬとこだったのよっ」
血に濡れたハヅキの身体を思わず抱きしめたに、ハヅキは驚いたように目を見開いた
何故無茶をするかなんて、わかりきっている
このために、ここにいるからだ
姫を守るために、ここにいるからだ
「おまえの名前、聞いてない」
「え・・・?」
不思議な緑の光の中 今にも泣き出しそうなにハヅキは言った
「お前の名前、教えてくれ」
「私の・・・?」
淡い光が二人を包む
痛みがぎし、との身体を侵食していった
「私は・・・」
震える声で告げた名に、ハヅキが微笑する
、俺がお前を守ってやる
 そのために、俺はここまできた、だから・・・」
だから、
緑色の光、それが教会中に広がってやがて視角を麻痺させた
痛みに、気が遠くなる

「姫、約束だよ
 二人は再び巡り会う
 だからその日まできっと、忘れないで」

ふら・・・と、
倒れたを抱きとめて ハヅキもまた目を閉じた
感覚のなくなった身体に熱が戻るのを感じて、同時に意識を失う
教会の中から緑の光がひいていった

「彼は隣国の王子ハヅキだった
 一ヶ月前に王位を継承するはずだったものが、なぜこんなところにいる」
眉間に皺をよせて、ヒムロが言い
隣でソード・マスターが大きなため息をついた
「そんなこと俺が知るか
 それよりいいのか、二人きりにして」
「仕方ないだろう、姫がどうしてもと・・・」
「たたっ斬っても良かったんだぞ、あの男」
「だからあれは隣国の王子だと言ってるだろう
 そんなことをしたら隣国と戦争になる」
「それで姫が殺されたらどうするんだよ」
「・・・・・」
「まぁ、姫は俺達よりあの男の方がいいみたいだけどな」
「・・・・・」
黙り込んだ親友にため息を吐き、ソード・マスターはあたりに転がっている死体を見た
賊は10人程
これだけを姫を守りながら斬ったのだとしたら、ハヅキもまた相当な怪我をしているだろう
そこまでして、守ろうとした存在
ハヅキにとって、どうやらは特別らしい、と
ため息を吐き 黙ったままの親友の横顔を盗み見た
心ここにあらず
そういう言葉がぴったりだ
の言葉に逆らえず、結局二人だけを教会へ入れたヒムロ
今はその行為を後悔しているかのような目で、じっと扉を睨み付けている
(あの姫も、知恵つけたよな)

「お願い先生、この人と二人きりにして・・・少しの間でいいから」

今にも泣き出しそうな目をしていた
先生、と
その言葉にヒムロは何も言えなくなった
計算だったのか、無意識だったのか それはわからなかった
今にも倒れそうなハヅキと、
震えていた
二人が教会へ消えて 20分ほどがたつ
「お願い、少しでいい
 時間を・・・ください」
彼との時間を
命がけで守ってくれた、ハヅキとの時間を
それはまるで、恋に落ちた女の言葉に聞こえた
両手を血に染めた罪人と姫
陳腐な取り合わせだと、ソード・マスターはため息をつく
教会の扉はまだ 開かない

「ごめんなさい、私、約束したのに」

かちゃり、と
ロザリオから緑の宝石を一つ外し はそれをハヅキの手に握らせた
全身がぎしぎしいって痛くてたまらない
でもそれよりも、心の動揺の方が大きかった
幼い頃、隣国の王子と会った
二人はほんの数時間一緒に過ごし、そして別れた
「忘れないで、姫
 姫が辛い時にはきっと、助けに行くから」
別れ際の約束
泣き出しそうになったに、緑の優しい瞳が笑いかけてくれた
「大好きな姫、きっとまた会えるから」

きっとまた会える

「ごめんなさい、思い出したよ、ハヅキ王子」
王位を捨てて 行方不明になった自分を探しにきてくれた人
を守るために、人殺しの罪を負った人
目を閉じて、今は眠っている
傷は閉じ、血は止まった
多分ちゃんと治らないのは の力が未熟なせいだろう
ハヅキが今、眠りから覚めないのも きっとその力の影響なのだろう
他人の傷を自分の身体へ移すことができる王族の力
ハヅキの傷が少し癒えたかわりに、の身体は痛みに犯されている
それが力
王族が受け継ぐ 特殊な

「きっとまた会える、だから・・・忘れないで」

遠い日の約束をくり返した
ハヅキの手に緑の宝石を一つ残して、は教会の扉を開けた
森はあの頃のように輝いて、優しい風が頬をなでていく
そしてそこに、あの日のように
心配そうな、怒ったような目をしたあの人
「先生・・・ごめんなさい・・・」
ふらり、
今度こそ、意識の全てを手放しては目を閉じた
幼い頃 迷子になった時に 必死に探してくれた人がいた
泣きながら駆け寄ったら 抱きしめてくれた
あたたかい腕、思い出した
今もまた、その腕がを抱きとめた
自分を呼ぶ安堵のような、彼の声が最後に聞こえた

旅人は森を後にして
ゆっくりと、教会は遠ざかる


女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理