26. 荷物 (氷室×主)  ☆リクエスト(氷室。夏の話)


今の私は両手で大きな荷物を持ってる
そんな感じ
重くて、息苦しくて、前が見えない
何も見えない

「あ・・・ダメだ・・・」

夏休みの美術部は微妙にハード
冷房のない美術室で、油絵の具の匂いの中 延々キャンパスに向かって絵を描く
朝から晩まで
作業が順調に進んでる子や、思い通りの絵がかけてる子はわりと余裕があるんだろうけど
は描いても描いても、満足できない
描いても描いても、心が沈む
青い絵の具ばかりが 今日もたくさん減っていく

フラフラ、と
はそうして仕上げた絵を展示発表する 県下の展示会に来ていた
先輩達や他の学校の生徒達の絵が飾られた展示場
午前中に、そこの受付けの仕事をして
帰る前に、飾らなかった絵を倉庫に戻してほしいと言われた
誰が描いたのかわからない、多分他校の人の絵だろうけれど
選考に漏れたのか、本人が飾るのを拒否したのか
絵はの手の中でズシリとその存在を主張している

「重い・・・」
この施設も、会場には冷房がかかっていたが、この階段は暑かった
窓から入る熱気で、気温がどんどん上がっていく
フラ、と
目眩を感じて はその場にへたりこんだ
最近、ちゃんと寝てないから
ずっとずっと絵を描いていて
ずっとずっと考え事をしていて
ちゃんとごはんも食べてないし、
気がついたら、心が沈んだようになっていて眠れなくて
だからこんな風に熱いと、身体がいうことをきかない

ジージー、と
セミの声が遠くに聞こえた
が毎日描き続けたあの青い絵
タイトルを決めなさいと言われたけれど、つけられなくて
どれだけ描いても、どれだけ塗っても気に入らなかった
重ねられていく青い色
そのたび重くなるキャンパス
100号の大きな絵だったから 最後には自分で持ち上げられなくなってしまった
まるでこの想いみたい
両手に抱えてどうしようもない、この重い重い荷物みたいな

「・・・こんなところで何をしている」
突然、声をかけられて は驚いて目をあけた
へたりこんだまま、廊下が冷たいのが気持ちよくて そのまま目をとじて考えていた
いつもみたいに、あの人のことを
心が壊れるくらい、好きなあの人のことを

「氷室先生・・・」
「貧血か? 顔色が良くないな」
いつの間にここへ来たのか
そもそもどうしてこんなところに、美術部とまったく関係のない氷室がいるのか
いたとしても、なぜ階段なんかに
会場へは、エレベーターがあるのに
「私の声が聞こえるな?
 具合が悪いのなら病院に連れていくが」
「あ・・・・あの・・・・」
その冷たい手が、の額に当てられた
触れられたのなんか初めてで
どうしていいのかわからなくなる
どうしてこんなところにいるの? と
これは夢なんだろうか、と
氷室を見上げたの目に、心配気な顔が映った
ああ、氷室が自分を見ている
「来なさい、病院へつれていくから」
「あ・・・あの・・・ちがうんです」
今にもを連れて歩き出しそうな氷室に はようやく我に返った
「大丈夫です・・・ちょっと・・・寝不足で・・・」
「寝不足?
 ああ、寝ずに作品を仕上げていたのか」
「あ・・・はい・・・」
ふむ、と
こちらを見下ろした氷室は、ほんのすこし怒ったような顔をしてため息をつくとから手を放した
「クラブのためとはいえ体調を壊すほど無理をするのは感心できない
 気をつけなさい
 暑くて、体力が消耗しがちだ」
いつも教室で聞くような説教
それに は曖昧に笑った
やがて氷室の目がの側にたてかけてある絵に移り、怪訝そうにへと戻ってきた
「それは?」
「これを倉庫に直して・・・帰るところだったんです」
これ以上氷室に心配をかけられない、と
言ったに 氷室はひとつうなずく
こんなところでヘバっているには、これを倉庫に戻しに行くことなどできないだろう
元々、が美術部だと知っていたから来た展示会
自分のクラスの生徒のクラブ活動には、なるべく目を向けようと
今日もの絵を見にきたのだから
「これは私が戻しておこう
 君はロビーのソファで少し休んでいなさい」
「あ・・・でも・・・」
「いいから、言うとおりにするように」
「は・・・い」
やはりいつもの有無を言わさない氷室の口調に、は言いかけた言葉を飲み込んだ
言われるままに冷房のかかったロビーの、ソファにこしかける
居心地悪いような、そんな気分になった
氷室の足音が遠ざかる
それが無性に、悲しかった

ガタン、と
ドアをあけ、絵の具の匂いのたちこめる部屋に氷室は運んで来た絵を置いた
見渡すと、何枚もの絵が置かれている
これは一度は飾られたものなのだろうか
それとも、場所の都合で外されたものなのか
「・・・」
その中の一枚に、自然と目が止まった
氷室の背丈ほどもある大きな絵
一面真っ青のそれはどこかの街並みのようで、影のようで
光は白く入っていた
いくつものブロックが積み上げられてできた街
貼られたラベルに の名前がかいてあった
「・・・」
どうしてこんな所にあるのだろう
どうしてこんなにも、心を奪われるのだろう
静かで冷たい色の絵なのに、
暗いような影のような絵なのに
溢れそうな程 ここに閉じ込められた何かがあるのが感じられる
そういう気持ちになる
この絵は、見ていると切なくなる
これを いつも教室でおとなしいようなが描いたのかと思うと意外で
これほどまでのものが、どうして飾られていないのかと疑問に思った
素人目に、これには熱を感じるのに

カツンカツン、と
規則正しい靴音が響いて、戻ってきた氷室の姿にはほっと息を吐いた
「あの・・・すみません・・・」
「いや、かまわない」
言い、氷室は冷たい雫のしたたるミネラルウォーターを差し出した
上の自動販売機で買ったのか
戸惑うに、氷室はわずかに微笑する
「水分を取りなさい
 落ち着いたら送っていくから」
「あ・・・あの、そんな・・・いいです・・・っ
 先生、展示会見にきたんですよね・・・?」
震える手で差し出されたペットボトルを受け取り、
はオロオロと氷室を見上げた
こんな風に仕事を手伝ってもらって、
飲み物を買ってもらって、あげく送ってもらうなんて
「あの・・・」
ドクンドクン、と
鳴り出した心臓が苦しくて、は俯いた
側で、氷室が僅かにため息をついたのがわかった
「君の絵を見にきたのだから、もう用はすんだ」
多分特別な意味はなく
氷室がクラブの試合や発表会に顔を出してくれるのは友達から聞いたことがあったから
自分のクラスの生徒の展示会だから、と
ここに来てくれたのも 何も特別な意味などないのはわかっている
それでも、
今日という日を自分のために使ってくれたことに はどうしようもなく嬉しくて
どうしようもなく切なくなった
胸が痛い
胸が痛い
「私・・・絵出してないので・・・」
震える声で それだけ言った
ぎゅ、と手に 冷たいペットボトルを握りこんで
「せっかく見にきてくれたのに・・・すみませ・・・ん」
俯いた
氷室の顔が見れなかった
あの絵は、
氷室を想って描いた絵は どれだけ色を重ねても
どれだけ想いを重ねても
悲しくて、苦しくて、切ない絵にしかならなかったから
こんなまるで自分の心をさらけだしたようなものを 展示会で飾るなんてできなかったから

あれは私の心なんです
私の、先生を想ってどうしようもない心なんです
重くて重くて
今はもう、何も見えない

「君の絵は見た
 青くて寂し気だったが、心魅かれた」
静かに、氷室は言った
氷室には、どうしてあの絵が展示されていないのか不思議だったが
それよりも今、目の前にいる少女の様子がとても、気になった
震えている
声も、言葉も、苦し気で
「私は絵のことはよくわからないが・・・
 私は好きだ」
あの切ない色をした、街の影の絵

「え・・・・・?」

思い掛けない言葉に、は反射的に顔を上げて氷室を見上げた
タイトルも決められず
裸の心をさらすなんてできなくて、結局展示を拒んだ作品
誰の目にも止まらずに、
このまま今日の展示会が終わったら 学校に戻されて学校の倉庫に眠るのだと思ってた
誰にも見られずに
この不格好で暗い心を封印するんだと思ってた
だから、氷室の言葉 に何と言っていいのかわからなかった
ただ、勝手に涙がこぼれていった
好きだなんて
心魅かれただなんて
ただ毎日毎日氷室を想って
どうしていいのかわからないこの心を、どうにかしてほしくて描き続けた絵
叶うはずない想いだから
言ってはいけないとわかっているから
には、描くことしかできなくて
眠れない程の恋を 全部全部閉じ込めた絵だから

「ふ・・・・ふぇ・・・」
どっと、
身体にたまっていた熱いものが 堰を切って溢れだした
涙は止まらず
まるで小さい子供のように 声を上げては泣いた
両手にいっぱいの重い荷物
前もみえないくらいに積み上がって
押しつぶされそうになってた
この想いに
この恋に
それが少し、ほんの少し
この涙で溶けていく気がする
泣くのを許してもらった分たけ 軽くなる気がする

氷室は何も聞かずに ただそこにいた
泣き出したに戸惑って
だが、なぜかが泣くのは当然な気もした
あの苦しくなるような絵
あれを描いたの心は 多分氷室には計り知れない何かを秘めているのだろう
ああやって倉庫にしまわれていたのも、
がこうして泣くのも
意味がある気がして、
氷室はただ を見守った
目の前の少女が、こんな風に激しい感情を持った生徒だと今まで気付かなかったから

青い絵に込められた想いを漠然と感じて、夏の日 氷室の意識がへと向きはじめる
激しい想いに縛られて
身動きできなくなっている不器用な少女を、愛しいと感じて
その横顔の憂いに、心魅かれて


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