崖 (葉月×主2)




崖の撮影は、最初から波乱だった
まず、朝起きたら雨
延期するにもスケジュールが押していてできず、1時間待って小雨になったところで、撮影は無理矢理決行された
「くれぐれも足をすべらさないように気をつけてくださいね」
「わかってる・・・」
「ここで絶対立ち止まってください
 演技に熱が入って この石のところを越えないように」
「わかってる・・・お前は心配性だな・・・」
「こんな場所でこんなコンディションで、慎重になってなりすぎってことはないんです」
「わかったから・・・」
珪は動きにくい着物で がけのギリギリに立ち下を見ていて
仲間の一人が、崖に咲いている花を取りに行くというシーンだった
珪は立っているだけだから危険はないはずだけれど、
それでもは口うるさいまでに、カメラが回るギリギリまで 辺りを踏みしめて崩れやすいところがないか確認をしていた
「カメラテストいきまーす」
珪がゆっくりと歩きはじめる
その前を走る仲間達
威勢よく敵対グループに何か言いながら 一人が身軽に崖のギリギリにしゃがみこんだ
「カット、本番」
また、同じ動きが繰り返される
雨は小雨といっても だんだんと役者達の服を濡らし体温を奪う
土は湿って、石は濡れ
やがて足場は弱くなっていく
(気をつけて・・・)
珪は、表情を殺して何か決意を秘めたような目で前を見て歩き
それとは対照的に 仲間達は何か熱いものを抑えきれないといったような興奮した様子で走った
ピタ、と珪が立ち止まる
が何度も何度も言った 目印の石の前で
仲間はその先まで行って台詞
一人がしゃがみこんで、俺が花を取ってくると言う
このシーンはそこまで
危ないのは、次のシーンから、のはずなのに

ガラッ

全員がヒヤっとして、監督までもが立ち上がった
本番のカメラを回してるのに、スタッフの何人かが手を伸ばして駆け出していく
「うわ・・わっ」
それは、一瞬で
一番外側にしゃがみこんだ仲間の体重でか、勢いでか
その場の石がごそっと落ちて あっという間に彼の姿が見えなくなった

「落ちた・・・っ」
「大丈夫か?!」

場は騒然とした
すぐ下は草が茂っていて、人二人分くらいの平地がある
そこに落ちた彼は、助けに降りたスタッフに抱えられながら 弱弱しくすみませんと言った
「怪我は?」
「ちょっと・・・足をひねっただけです」
「ひねった?立てるのか?」
「わかりません・・・すみません俺の不注意で」
「いや、崩れたからな
 君のせいというわけじゃ・・・」
当然撮影は、一旦中止
スタッフが彼を病院へ運び 皆して濡れた身体を乾かし温めながら 病院からの連絡を待った

2時間後、捻挫と一報が入る
大事にならなくて良かったと思いつつ、あの役は次のシーンでは崖を降りなければならないから捻挫をした足では無理だろうと想像する
(どうするんだろう・・・)
珪の横顔を見ながら、は考えた
舞台では、役者に穴があいたときのためにアンダースタディーと呼ばれる代役をあらかじめ決めておく
普段は別の役をしていても、主役級の、どうしても外せない役に穴が開いたときにはそちらに移るというものだ
脇役ならば、最悪いなくても他の人が大切な台詞だけ代弁すればすむ
しかし存在自体が話の流れに必要な役は、省略するというわけにはいかない
今回の彼も、脇役とはいえロミオの仲間
しかもここは見せ場で、彼が花を取ってくることでロミオの仲間達が敵対するグループに勝つという重要な場面だ
削るわけにもいかない
「代役たてるしかないな」
「誰を?」
「それを今考えてる」
監督が難しい顔をしていた
助監督はバタバタと忙しそうにあちこちに電話をかけている
「あのシーンさえ代役立てられればいいんだ
 他は捻挫しててもできるだろう」
「幸い雨が降ってますから、顔に陰を入れるように撮れば別人でもわからないかも」
「予定より少し遠めに撮ろう」
「といったって、他の役者は体型が違いすぎますよ」
「あの役は小柄な、ロミオの弟分だからなぁ・・・」
溜息、それから沈黙
は珪の服を乾かしながら どうなるのだろうかと成り行きを見守っていた
そこへ、こちらを振り向いた監督と目が合う
お茶でも入れて欲しいのだろうかと、立ち上がりかけたところ、監督がには聞えない声で何かを呟いた
すると、そこでヒソヒソと作戦会議をしていた全員が、皆して一斉にを見つめる
「え・・・?何ですか?」
「シロちゃん、おまえが一番体型が似てる」
「えぇ?!」
「やってくれないか?このシーンだけ」
「下にスタッフを待機させて、絶対に怪我させないように撮るから」
あまりに突然の申し出に、は言葉を失って
ずい、とこちらに近づいてきた監督達に 皆がシンとして成り行きを見守った
そんな中
「ダメだ、シロを使うなんてっ」
の側で、珪が声を荒げた
「けど他に手がない」
「シロにもしものことがあったら困るっ」
「それは絶対にない
 絶対に怪我をさせたりしないと約束する」
「絶対なんてあるわけないだろっ」
見上げると、珪はいつになくきつい目で監督達を睨みつけていて
いつもボンヤリしている珪の、見たことのない表情に 皆がシンとした
監督の気持ちもわかる
だが、珪の言うことももっともだ
そもそも、怪我をした役者の代わりに出演者のマネージャーを使うなんてこと、普通ならそんな発想はしない
が、スタッフの仕事を手伝ったり
珪の演技指導をしていたりするのを見ていたから、こういう考えが浮かんでしまったにすぎない
ここにいる誰もが、
今までのを見ていた人なら誰もが、
になら、この代役が務まるんじゃないかと思っている
なら、やってくれるんじゃないだろうかと期待している
「・・・わかりました、やります」
「ダメだっ」
「葉月さん、大丈夫です
 監督もああ言ってくれてますし、おれ、気をつけますから」
「おまえ、人のことは散々心配しといて、自分のことももっと心配しろっ」
「そんなにおれを心配してくれるなんて、優しいですね葉月さんは」
「茶化すなっ」
今度はに珪の怒りが向いたのを、まあまあと周りの面子がなだめて
は、自分のために怒ってくれる珪を嬉しいと思いつつ
だからこそ、珪の初主演の映画の撮影を こんなことで止めたくなかった
自分にできることがあるなら何だってやる
それが、今、自分がここにいる理由だから

それから1時間後
は衣装に着替えて入念な準備運動をして撮影に挑んだ
雨は、心なしか先ほどより強くなっている気がする
すべらないように、細心の注意を払いながら インストラクター指導の下 崖の降り方を教わった
(思ったより持つとこ多いな・・・)
が思っていたよりも、、崖には足をかける窪みもでっぱりもたくさんあった
1時間ほどかけて、どのコースが一番安全で降りやすいかをチェックして石に印が入れられる
「それじゃあ シロちゃんの髪を一回乾かして
 服も替えたら 本番いくぞ」
テントに入ってこの1時間の間にびしょびしょになった身体を拭いて、替えの衣装を着て髪を乾かし はもう一度現場に出てきた
皆がを男だと思っているから、着替えを見られないようテントに篭ってこっそり着替え
衣装が着物だからと胸にぎっちりさらしを巻いた
元々そんなに豊富な胸ではなかったから、これで多少の雨や風ではだけても、女だとばれることはないだろう
(それもなんか、悲しいけど・・・)
苦笑しながら、雨がだんだん強くなる暗い空を見上げた
珪はさっきも雨に濡れて乾かして、また濡れる
ここは山だから気温は低いし、ただでさえ疲れが溜まっている身体
撮影が長引くと 本当に身体を壊しかねないと思う
(だから・・・早く終らせよう・・・)
できれば一発OKで
でないと自分の体力も持たなくなる
さっき雨の中、練習していただけでも体温が下がって震えそうになった
長くはできない
失敗はできない
(大丈夫・・・舞台はいつも一発勝負なんだから・・・)
目を閉じて深呼吸した
監督の呼ぶ声がする
「シロ、スタンバイ」
「はい」
目を開けたら、視界が澄んでいくようだった
まるで、舞台に上がる時のような気持ちのいい緊張感が身体中に満ちていった

こうやって演じるこの高揚を、久しぶりに感じるかもしれない

は珪の練習の相手役にもなるし、珪の仕事は全部しっかりと覚えているから 当然この映画の台本も全てそらで言えるほど読み込んでいた
元々、台詞を覚えるのは早い方で 知ってる物語だから余計にすんなりと入っている
が代役を務める役は、ここでは台詞がない
ロミオの名誉のために危険をおかして崖を降りていき、白く美しい花をロミオの下に届けてくれる
途中で、風に吹かれて体勢を崩すと書いてあった
そして、花を取って戻ってきたとき、手を差し出してくれたロミオに向って笑うと書いてあった
全部頭に入っている
だから、自然と
役者として自然と、そう演じた
印の通りに、練習で確認したとおりの順で降りながら1度、わざと足をすべらせて
その後、花を摘み 上りながら強い風が吹いたタイミングに合わせて僅かだけ、
僅かだけ体勢を崩し、左手で小さい石の密集しているあたりを引っかいて その手を離した
両方の足と、右手がしっかりと他の石を掴んでいる
体勢を崩したように見せているけれど、本当はまだ安定している
今までずっと硬い表情でいたのを、少しだけ怯えたような表情にした
代役がやっているとばれてはいけないから、顔までは撮ってないだろうけれど
それでもは自然と、そういう演技をしてみせた

が崖の上に顔を出すと、珪が手を差し伸べていた
表情が硬い
ああ、心配してくれてるんだなと思いながら 安心したのと
珪のために何かできたことの歓びで、の胸は熱くなった
多分、この役の彼も同じ気持ちだろう
ロミオのためにと危険を犯した
そして、見事やり遂げた
だから、「笑う」と台本に書いてあるのだ
だから、は笑った
心のままに、満面の笑みで

撮影は一発OKだった
皆が途中、が本当に落ちるんじゃないかと肝を冷やしたと駆け寄り
だって台本に書いてあったから、と不思議そうに答えたに、監督やフタッフ、見守っていた他の出演者達は驚きを通り越して呆れた
「役者じゃないんだから、そこまで求めてないよ
 本当に滑って手を離しちゃったんだと思ったぞ」
「よくまあ あんな危ないことしたな」
「今思えば寒気がする」
褒められたり、叱られたり、呆れられたり色々されて
監督やスタッフにようやく解放されると 今度は珪が無言での前に立った
「あ、葉月さん
 服、すぐ用意しますね」
すぐさま頭がマネージャーモードに切り替わる
濡れた服を脱いでもらって、私服に着替えさせて、髪も乾かして
そう考えながら立ち上がったを、珪は無言で抱きしめた
強い強い腕、痛いくらい
なのに、珪の方が震えている
ただ黙って、を抱きしめている
それは、本当に心配してくれたからか
それとも無茶をしたから、怒っているのか
「葉月さん・・・」
「もうするな、ばか」
「はい、すいません」
「何で、おまえはそんなに無茶なんだ」
「シロは葉月さんのためなら なんだってできますから」
「俺のためじゃないだろ」
「葉月さんの初主演映画だから、やったんですよ」
他じゃしません、と
言ったら ようやくを放した珪は、大きく、大きく溜息をついて苦笑した
「本当に落ちるかと思った・・・」
「落ちませんよ」
「手を離すし・・・」
「全然安定してたんですよ」
「風も雨もきつかった・・・」
「あまり感じませんでした、必死で」
は言うと、ホラと雨の中突っ立っている珪をテントへと引っ張っていった
役者達が濡れた服を脱いでいる
「シロちゃんも早く、脱いで、脱いで」
「あ、おれは後で大丈夫です
 葉月さん、着替えてください
 おれ、先に戻ってやることあるんで」
「・・・ああ・・・」
皆の前で脱ぐわけにはいかないは、言うと珪を残して宿へと走っていき
珪はが用意した服を着て、温かいコーヒーを飲んで ようやく
ようやくほっと息をついた

その夜、はなぜかなかなか寝付けなかった
久しぶりに演じたことで興奮しているのかもしれない
あの緊張感
達成感
それは、忘れていた演じる喜びのようなものを沸き起させた
(私って・・・演技するの好きだったんだな・・・)
きっかけは、珪にふさわしい姫になるための修行だったから
好きとか、嫌いとか あまり考えていなかった
ただ一生懸命にやった
そうすることが、自分を磨くと思って
努力すれば自分も、きれいで優しくて賢い姫になれると信じて
(不思議・・・楽しかった・・・)
思いながら、は寝返りをうって真っ暗な窓の外を見つめた
を心配してくれた珪の真剣な目がふと、浮かぶ
それで、急に恥ずかしくなった
無茶をするなと言って、皆の前だというのにあんな風に抱きしめたりして
珪の方が震えてて、なんだか泣き出しそうだったあの時
(シロは幸せものです・・・)
は、一人そっと笑って目を閉じた
まだ雨は降っている
その音を聞きながら、じわじわと身を満たしていく不思議な感覚に浸っていた

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