幸福に似たもの (葉月×主2)




次の日の握手会は、想像を超える人数の女の子が集まって、予定より30分早く始まり2時間延長してようやく終った
「お疲れ様でした、葉月さん」
「ん・・・」
サインして、握手
それの繰り返し
涙目になって応援してます、と言ってくれる女の子
キャー、と舞い上がって友達と騒ぎっぱなしだった女の子
緊張しすぎて震えながらロクに顔を上げられずにいた女の子
どの子も珪のファンで、こんなイベントにわざわざ来てくれるほど応援してくれている
花束とかプレゼント、手紙もたくさんもらった
どれも嬉しかった
だから、一人について20秒くらいしか時間が取れないのを申し訳ないと思いながら 握手してありがとうと言葉を返した
笑顔で対応とか、気の利いたトークとか
そういうのが得意ではない自分にとって、あれが最大の対応だった
だからなのか、終った後どっと力が抜けて なんだかとても疲れたと思った

「珪も変わったなー、全員にちゃんと応えてたのはびっくりしたわ」
「数が多かったから大変でしたね」
「昔はさ、そういうの苦手だって言って握手会なんて実現しなかったもんな」
「そうですね・・・葉月さんのこういうイベント初めてですもんね」
帰りの飛行機の中で、珪はうとうとと眠りに片足を突っ込みながら隣の会話をなんとなく聞いていた
「シロもお疲れ様
 以降の仕事についてはまた来週にでも打ち合わせしよう」
「はい」
「高校生がどこまでやれるか心配だったけど、ほんと助かったわ
 気がきく子って本当重宝するからついつい使いすぎてゴメンね」
「いいえっ、どんどん使ってください」
そのためにいるんですいから、と
の言葉に夢の中で、珪はちょっとだけむっとした気持ちでいた
プロデューサーに便利に使われるためにいるんじゃないだろう
俺のためにいるんだろう
そんな裏方の仕事ばっかりして俺の相手をしないなら、モデル辞めるからな、と
声に出して言おうとして、うまく声が出なかったのに驚き、珪は眼を覚ました
「・・・っ」
会話はなんとなく聞えていたから自分が寝ていたという自覚があまりない
急に喋ろうとしたからか、急に動いたからか目の前がちょっとクラとする
まだ機内だ
いつの間に配られたのか、目の前にはカップに入ったジュースが置いてあった
「なんだ珪、起きたのか」
「まだ1時間くらいかかりますよ」
面白がったような顔をしたプロデューサーと、マネージャーモードのが二人してこちらを見る
それがまた、何か気に食わなかった
が近くにいるのは嬉しいけど
マネージャーなんてことをしてくれているというだけで、贅沢だとわかっているけど
(プロデューサーの方が俺より親しげ・・・)
それが気に食わない
まるで宝物を取られてしまったような気になってしまう
たしかにに仕事の指示を出してるのはプロデューサーだし、
のことを知ってるのも 珪をのぞけば彼だけだから二人がいつも一緒にいるのは当たり前なのだけれど
「いつもは移動中ずっと寝てるのにな」
「・・・話し声が煩くて寝れない」
「え・・・っ、すいませんっ」
「嘘つけ、いつもどんなとこでもグーグー寝てるだろ」
まだニヤニヤ笑ってるプロデューサーをムー、と不機嫌な顔で見て 珪は小さく溜め息をついた
あの人は知っているのかもしれない
珪がを好きなこと
側にいて欲しくて、こんなワガママを言っているのだということ
(だからって別に、どうでもいいけど・・・)
思って、目の前のジュースに手を伸ばした
冷たいものを飲んで、落ち着いて、また寝ようと思った
どうせ起きててもとはロクに喋れないし、二人は仕事の話をしたいんだろうし
だったら側で、の声を聞いているだけでいいや、と
思ったとき

「いた・・・っ」

ズキ、と
カップを持った途端、右手に痛みが走っていって、思わず珪は声を上げた
「え?どうした」
「あ・・・、大丈夫ですか?」
「・・・ちょっと今、痛かった・・・」
隣でが慌てたように珪の右手を取った
「ここ、ですか?」
手首にの指が触れる
暖かい手、女の子の
「・・・ん、そこ・・・」
言われてみれば、痛いような気がする
力を入れたら特に、ズキって
「握手、いっぱいしましたからね
 ちょっと腱鞘炎っぽくなってるのかも」
「あー、予定より2時間以上長かったもんな」
「想定の倍来てましたからね」
が足元からバッグを引っ張り出して中からシップを取り出した
それを手早く珪の手首に巻き、さらにパパっと包帯を巻く
「用意いいねー、シロ」
「握手会に腱鞘炎はつきものって聞いたんで、一応持ってきました
 葉月さん痛がってなかったんで安心してたんですけど」
「鈍かっただけってことか、今頃だもんな」
「・・・うるさいな・・・」
ジン、と冷たいのか熱いのかわからないような感覚が手首に伝わって
が包帯の巻かれた珪の手をゆっくりと撫でたのに、珪の心臓はドクンとなった
「これ、素人の手当てなんで、着いたら病院行ってくださいね」
「あーじゃあ、シロを家まで送ったあと俺が連れていってくるわ」
「お願いします」
言うは、キャップを深く被ったまま 男の子が持つようなバッグをまた足元に戻した
これは演技だ
だからさっき、の手が珪の手首を撫でたのは無意識か、役になりきるが故の行動だ
他に他意はない
は今も、「シロ」という珪のマネージャーになりきっているから、こんな風に珪を心配したり
怪我に触れて撫でてくれたりしただけ
普段なら、二人はこんな近い距離にいない
はいつも珪の近くに立たないし、二人の間には見えないドアが立ちふさがっている

結局、病院へ行った珪は「腱鞘炎になりかけ」という中途半端な診断をもらった
これ以上酷使しすぎると腱鞘炎になり、一度なるとクセになるから気をつけるようにと医者に言われる
「あー・・・撮影で重いもん持たせたもんな、握手だけじゃなくてそれも響いてるのか」
「その程度で?」
「やってる方は緊張感で感じないかもしれないけど、昨日の撮影は長引いたしな
 お前、そういえば最後、モデルの子抱えさせられてただろ」
「ああ・・・あれは、重かった・・・」
一晩寝てすっかり忘れていたけれど、昨日は一日中撮影をしていたんだった
小道具がいっぱいあって、思いドリンクのビンを大量に持たされての撮影が一番長かった
あのときはどうも思わなかったけど、そういえば最後、夜の撮影時
モデルの子を岩場から抱きおろすシーンを撮ったとき 手が痛くて重いと感じた
あの時に、少し変な力の入れ方をしたのかもしれない
それを、今日の握手会でのファンの強烈な握手で痛めてしまったのかもしれない
「ま、痛いうちは安静にしておけよ
 使わないのが一番なんだって」
言われて珪はうなずいた
治るまで、不自由だなとうんざりした

次の日、学校でぼんやりと先生の話を聞きながら 珪は手元のノートに視線をやった
いつも、黒板のまま写すというような面倒なことはしないけれど、それでも要点はちょこっとメモしたりする
さっきも、ああ、おもしろい話だなと思ってメモしようとした
そして、ペンに力を入れた途端 手に痛みが走ってうんざりした
(忘れてた・・・)
何か物を持ったりするのには、さして不自由は感じないのだけれど、親指あたりに力を入れるとどうやら痛むらしく 制服の下からチラ、とのぞく包帯に珪は溜息をついた
ノートが取れないなら、いつもみたいに寝ていればいいのだけれど、こんな日に限って眠くない
つまらない、と思いながら 珪はそっと前の方の席で先生の話を聞いているのであろうの後姿を見つめた
近いようで、遠い
どうしたらこの距離が縮まるだろうかと そんなことばかり考えてしまう

昼休み、誰もいない裏庭でぼんやりしていた珪のところに、遠慮がちにがやってきた
ここは日当たりがいいから珪のお気に入りだけれど、校舎からはちょっと遠いから、生徒はあまりやってこない
だから油断していた
珪も、珪の側で寝転んでいた猫達も
「え・・・っ、猫?」
「ああ・・・おまえ見て・・・逃げたな・・・」
「ご・・・、こめんなさい・・・」
ここによく遊びに来る猫は人見知りをする
珪も、最近ようやく慣れたところで それまでは珪がくると猫たちはパっと一目散に逃げていった
残念そうに猫の行ってしまった方を見ているを見て、そんなことを思い出しおかしくなる
も猫が好きなのだろうか
毎日ここに通えばいつか、も猫達と仲良くなれると思うのだけど
「ごめんね・・・お昼休みなのに・・・」
は申し訳なさそうに言った
優等生の、可愛い姫
クラスの男子はつきあいたいって言って、女子はちょっと嫉妬してる
そんな子
昨日、珪の横でチャキチャキ走り回っていたマネージャーとは別人のよう
「すぐ終るから」
ごめんとか、すぐ終るからとか、そんなこと言わなくていいのに
迷惑なんかじゃないのに
ずっと側にいたいくらい、好きなのに
「いい、何・・・?」
想いは言葉にできない
言ったらは、あの猫達みたいに逃げてしまうかもしれない
「葉月くん、手、どう?」
「腱鞘炎なりかけらしい・・・」
「なりかけ?
 ・・・まだ痛い?」
「たまに」
の視線が、心配そうに珪の投げ出された右手に注いだ
「あの、余計なお世話だったらごめんなさい
 治るまで、私、授業のノートを・・・」
ええと、と
言いよどんだの手には、今日の授業のノートがあった
なら、黒板の字は全部写して、先生の話の大事なところはちゃんとメモしていて
ここがポイントとか、間違えやすいところに波線とか
色んな色でカラフルで、何か可愛らしいノートなんだろうなと想像する
「マネージャーだもんな・・・おまえ」
「え?・・・あ、うん、だから・・・もし迷惑でなかったら」
「じゃあ・・・治るまで手が痛くて字が書けないからノートコピーして・・・」
「うん」
「手が痛くて弁当食べられないから食べさせて」
「えっ?」
見つめた先では、一瞬で頬を染めて困ったように珪を見返した
授業中、手が痛いのならノートが取れないだろうと心配してくれたんだろう
マネージャーとして?
クラスメイトとして?
答えは決まってる
クラスメイトのは遠くて、こんな風に言ってくれるような距離にいない
それにこの怪我のことを知ってるのは、珪のマネージャーだけ
演技で作った「シロ」という名のだけ
「え・・・と」
「明日からここで」
ノートはともかく、弁当を食べさせろなんてがOKするはずないと思っていた
ただ単にまた、悪い癖が出て意地悪を言ってしまっただけ
マネージャーとしての「仕事」として珪の面倒を見たり心配したりするが ちょっと腹立たしいと思ってしまったから
シロとして側にいる時はそんな風に思わないのに、
こうしてでいる時、仕事で世話を焼くべき相手として見られると なんだかとても悲しくなる
(遠いのは、元々だけど・・・)
自分は贅沢だ
シロも
なのに、あれは演技で嘘だとも思ってしまう
マネージャーの仕事は珪に言われて仕方なくやっていることで、
だから本当ならは、珪の怪我のことなんて知りもしない
だから心配するはずもない
「わ、かった・・・」
暗い思考に沈みそうになっていた珪に、が言った
「え?」
「明日、お弁当持ってくる」
「・・・」
「何が好き?」
「なん・・・でも・・・」
わかった、とはもう一度言って、そのまま身を返すと猫が走り去ったほうへと行ってしまった
残されて、珪は唖然とする
さっきの会話の意味、理解する前に終ってしまった
何がわかったって?
何を持ってくるって?
「本気、か・・・?」
珪は未だぽんやりと、もう消えてしまったの後姿を捜して視線を彷徨わせた
ドクン、ドクンと胸が鳴った

次の日、午前最後の授業をさぼっていた珪のところに、が現れたのは授業終了のチャイムが鳴った10分後だった
「あ、猫・・・、今日もいたんだ」
「あいつらは毎日いる」
「私も撫でたいな・・・」
「人見知りするから・・・」
は、言いながらまた逃げてしまった猫を残念そうに視線で追いかけて、それから珪の側に座った
急に恥ずかしくなる
まさか本当に、こんなことになるとは思ってなかった
「あの・・・下手だったらごめんなさい・・・」
「何が」
「食べさせるのが・・・」
一応、弟で練習してきましたというに、珪は一気に赤面した
のこれは天然なのか
それとも、この意地悪の仕返しをされているのか
カチャカチャと持ってきた弁当を広げ、箸で卵焼きを割ったは、えーと、と困ったように珪を見上げた
「・・・いい、本当は自分で食べれるから」
「え・・・」
「恥ずかしい」
「そ・・・んな、私だって・・・っ」
真っ赤になって顔を背けた珪は、同じように真っ赤になったを見て ちょっとだけ安心して息をついた
天然だ、間違いなく
は珪が、手が痛くて弁当が食べられないと言った言葉通り、
何の他意も疑わず、こうして弁当を作ってきてくれたのだ
言われたとおり食べさせてくれるために
恋人同士でも、今時やらないこんな甘い甘い行為のために
(・・・可愛い・・・)
箸でたまごやきを掴んだまま、どうしようもなく真っ赤になっているを見ていると、今度は心がむずむずしてきた
を、今、はじめて近くに感じるかもしれない
等身大の女の子
誰にでも向ける優しい笑顔じゃなく、先生に気に入られている優等生の顔でもなく
クラスメイトの、高校2年生の、普通の、女の子
手を伸ばしたら触れられる距離にいてくれる存在
珪にも笑いかけてくれる、そんな女の子
「お前、顔真っ赤」
「だ、だって・・・」
自分だけ顔の色を戻した珪は、クスと笑って箸を持っているの手を掴んだ
そのまま引いて、たまごやきを口に運ぶ
本当はまだ、心臓がドクドク言ってる
恥ずかしかったのと、それから嬉しかったのとで
を初めて近くに感じた、その喜びになんだか舞い上がりそうになってしまう
「・・・美味い」
「え・・・、本当?」
急にの顔が晴れた
それ、と手にしている弁当箱の中のハンバーグを指差すと 戸惑いながらもはそれを箸で掴んだ
ぱくり、
今度のも美味しかった
「俺、胡椒の味、好き・・・」
「葉月くん、ホテルで美味しそうに食べてたから」
「・・・お前、よく見てるな」
「見てるよ、葉月珪は大事な人だもの・・・」
それはマネージャーであるシロにとってという意味だろう
「大変じゃないか・・・?」
「大変だけど、楽しかったよ
 私、葉月くんに不自由かけてないかだけが心配だけど・・・」
マネージャーであるシロは、いつも葉月珪のことを考えてくれているのだろう
くたくたになって走り回って
珪を気遣って、珪の居心地のいいように、仕事がしやすいように準備して
「不自由してない・・・」
「ほんと・・・?」
「ああ」
「よかった」
が笑ったから、またドクンと心臓がなった
照れ隠しに、それ、とまた弁当箱を指差したら 遠慮がちにブロッコリーが口元まで運ばれてきた
結局、食べさせてもらっている
結局、まるで恋人同士みたいなことをしている
「おまえも食べろよ」
「う、うん・・・」
「俺が食べさせてやろうか・・・?」
「だめ、葉月くんは手が治るまで使わないで」
(本当はそんなに痛くないんだけど・・・)
急にシロの顔をしてピシャリと言ったが、ウインナーを箸で掴んだ
ちょっと焦げてる、でも美味しそうだったから 珪はそれにも手を伸ばしての腕をつかみ 箸を自分の口元へ運ばせた
「美味い・・・」
その言葉にが笑う
珪にはそれが何より嬉しかった

昼休み終了のチャイムが鳴る10分前に は教室に戻っていった
一人、幸福に浸りながら動く気になれなくて珪はぼんやりと空を見上げる
あの弁当を作るのに、は今朝、早起きをしたんだろうか
弟で食べさせる練習をしてきたと言っていたけれど、そういう色んな労力をは惜しみなく珪にかけてくれる
それが、珪にとっては恥ずかしい以上に嬉しかった
自分の言葉にが笑ってくれたのも、心がぎゅっとなるくらいに嬉しかった
そして、そんな自分が可笑しくて
のことばかり考えている自分に、珪はひとり笑った

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