準備 (葉月×主2)
「来週、沖縄で初仕事」
その言葉はまだ現実として想像できなかったけど、はともかく次の日から行動を開始した
真っ先に向かったのは先日まで所属していたプロダクションのマネージャーである鮎子さんのところ
朝イチ、勢いよくドアをあけて転がり込んできたに、デスクで何か書いていた鮎子が顔を上げて、笑った
「ちゃん、何慌ててるの?
こないだ頼まれた休校届、出しておいたわよ」
「はいっ、ありがとうございます
でもすみません、またお世話になりたくて・・・っ」
「え?」
呆れたような、不思議そうな顔をした鮎子に は深々と頭を下げた
どんなに努力しても珪が自分を選ぶことはないんだと思ったは、ヘレンケラーが終った後 このプロダクションを辞めた
もう演技も舞台もやめて、普通の女の子に戻ることにした
そうしたら、人気モデルである珪と自分では住む世界が違うんだと諦めることができると思ったから
だからもう、理想の姫になる修行はいらないと思ったから
「気が変わったの?」
「いえ・・・えっと・・・」
辞めると言ったに、もったいないから休校にしろと勧めてくれたのは鮎子だった
また演技したくなったら帰ってこれるように、と言ってくれた
本当は私が寂しいだけ、と笑ってくれた
面倒見のいい元アイドル
が真っ先に助けを求めるのに思い出した人
「私、来週からマネージャーをやることになったんです
教えてください、マネージャーって何をするのか」
勢いのあるに気おされたように、鮎子はしばらく黙っていた
当然だろう
こんな現実味のない話
だって、未だに高校生である自分にマネージャーなんて務まるのかわからない
には、バイトをした経験すらないというのに
「どういういきさつかは、後で詳しく話してくれる?」
「はい」
鮎子は手元のペンを取り上げてコツコツと机を鳴らした
「マネージャーって表舞台には一切立てないわよ?
相手に振り回されたり、周りに理不尽なことを言われたりする結構キツイ仕事だけど」
「覚悟してます・・・」
「時間もかなり束縛されるわ
相手は本番だけで良くても、マネージャーはその前と後に膨大な仕事をこなさなきゃならない」
時間的な意味で大丈夫? と
その言葉にはわずかに苦笑して、それから一つ頷いた
「覚悟してます」
「とはいっても、ウチにはマネージャーになるためのレッスンなんてないからねぇ・・・」
「だから・・・あの、ご迷惑とは思いますが鮎子さんに・・・」
「私に直接教えて欲しい・・・、と」
はい、と言ったに向かって やれやれ、という顔で鮎子は一つ溜息をつき、手の中のペンを転がした
自分でも図々しいのはよくわかっている
でも、他に頼れる人が思いつかなかった
少年の演技は、前に舞台でやったことがある
服装と仕草と声で、何とかなると思っている
の中で一番不安なのは、男のふりをすることではなく、こんな素人で仕事が務まるかということだった
しかも相手は珪だ
自分がダメなせいで、珪に不快な思いをさせたくなかった
だから迷惑を承知で、こうして鮎子に頼みにきている
珪のために、せめて珪が不自由でない仕事ができるようになるために
「私、ちゃんの演技好きだったのよね
急に辞めるなんて言うからガッカリしてたんだけど」
鮎子が、悪戯っぽく笑った
「ごめんなさい・・・」
「これで貸し一つってことにしていい?
いつか私のお願い一つ聞いてくれること」
見つめると、笑った目が見つめ返してくれた
温かくなる
泣きそうになる
不安だけど、プレッシャーでいっぱいだけど、それでも頑張りたいと思った
「ハイっ、私にできることなら何でもします」
「よし、なら引き受けた」
笑った鮎子にホッとして、はもう一度深々と頭を下げた
安心している暇はないのだけれど
ここで、たった1週間で、マネージャースキルを少しでも身につけなければならないのだけど
今はただ、嬉しかった
鮎子の元で、新しい修行を開始しようと思った
「人それぞれだと思うけど、とりあえず、必須アイテムは筆記具、携帯、スケジュール帳、常備薬
荷物はなるべくコンパクトに、できれば身一つで動けたら最高
声はハキハキと大きく、常に気を回して相手が過ごしやすいような環境を作ること」
その日、1日はメモを取りながら鮎子についてマネージャーの仕事を見て回った
レッスン日の調整、教室の掃除、オーディションの日程の確認、連絡、所属している子の体調管理
お客さんのタクシーの手配、刷り上ったポスターの確認、電話対応、その他にも色々
鮎子は1日中 誰かのことを考えて、一度に色々なことを同時進行で進めていた
はついて回っているだけなのに、目が回りそうで
さっき指示されたことを忘れてしまっていたり、朝言われていたものについて鮎子が手配しているのを見てもピンとこなかったりで散々だった
「私・・・頭がついていかない・・・」
「大丈夫、こういうのは慣れだから
それにちゃんは、一人の面倒さえ見てればいいんでしょ」
一度にプロダクションの皆の面倒を見るより楽勝、と
笑った鮎子に ちょっとだけ心を救われながらも は不安のようなものがこみ上げてくるのをどうにもできなかった
今まで、誰かのためにと思って行動したことなんて 多分なかった
例えば飲み物一つ買ってくるにしたって、疲れてるなら甘いものとか、スッキリしたいならお茶とか水とか
そういうのを、自分で考えて先回りして用意しないといけないと思うとプレッシャーになる
喉が渇いたといわれてから買いに行っては遅いのだと鮎子が言っていた
最初にある程度好みを聞いておいて、事前に用意できるようにしておくこと
買って用意しておくことができないなら、売っている場所をチェックしておくとか
喉が渇きそうなタイミングに休憩を入れて飲み物を出すとか
(・・・できるかな・・・私に・・・)
今までの演技は全て台本通りだったから手順があらかじめ決まっていた
これからは、それがない
自分で考えて、自分で動かなければならない
しかも、自分ではなく誰かのために
珪のために
「まぁ、あんまり深く考えなくていいのよ
要は、相手のことを大切に思ってやればいいんだから」
「はい・・・」
「じゃあ、私、明日の連絡をして帰るから、ちゃん今日は帰っていいよ
明日は8時に来て頂戴
丁度子役のオーディションに同行することになってるから、連れていってあげる」
「はいっ、ありがとうございました」
深々と頭を下げてお礼を言い、は外に出た
冷たい風が肌を刺すようで、マフラーに顔をうずめて歩く
帰ったら、今日教えてもらったことを復習しよう
自分なりの必需品を考えて、少しずつ用意していこう
珪のことを考えると、不安が押し寄せて立ち止まってしまいそうだったから
今は何も考えないで
ただ、少しでも経験を積むことだけを考えていよう
次の日、は朝早くからバスで3人の子役を連れて オーディション会場へ向かった
今までは、オーディションを受ける側だった
だから、自分が緊張していて周りなんて全然見ていなかったけど
「ちゃんに登録まかせていいかな?
私、衣装が届いてるはずだからとってくる」
「CDあるから曲かけておいて
順番の確認と、会場の下見してくるわ」
「無事着いたって、この子たちの親と会社に連絡入れておくわ
ちゃん悪いけど、飲み物買ってきてあげて」
会場に着いた途端、忙しくて
3人の子役が緊張せずにオーディションを受けられるようにするのはもちろんのこと
会場の確認、トイレの場所の確認、受付への登録、時間の確認
その他にも、やるべきことは色々あった
今日披露するダンスの練習相手になってあげたり、
それで怪我をしないように気を使ったり
着替えさせたり、食べさせたり、飲ませたり
「やっぱり目が回ります・・・」
「ほっと一息つけるのは、相手が本番の時だけね」
大きな会場で、何人もの子役達が踊るのを見ながら 鮎子が笑った
「今日は問題なかったけど、例えば衣装が届いてないとか、一人遅刻してこないとか
トラブルがあった時どう対応するかが腕の見せ所よね」
「ど・・・っ、どうするんですか、衣装が届かなかったら・・・」
「今回は練習用の予備のを持ってきておいたけどね
届いてたけど本番直前にクツがなくなったとかいうこともあったわね」
「えーっ」
「その時は裸足でやってもらったわ
可愛くネイルを塗ってごまかした」
「そんな・・・」
そんな機転、自分にきくだろうかと または不安になって
その様子に鮎子はおかしそうに笑った
「大丈夫、めったにないから
子供はよくなくしたり壊したりケガしたりしてくれるけど、大人はそんなことないから安心して」
でもまぁ、もしものことを考えておいて損はないわよ、と
言われては頷いた
頭を働かせないといけないと思った
今のことだけでなく、その先のことも考えないといけないと思った
それは大変なことだと理解して、だけど珪のために、と踏ん張った
そういう風にちゃんと気配りのできるマネージャーでないと、きっと珪が仕事をしにくいだろうと思ったから
結局、は1週間ずっと鮎子についてマネージャーの仕事の勉強をして過ごした
スケジュール調整の仕方、相手の体調の良し悪しの見分け方
携帯の使い方も色々と教わった
便利なサイト、使いやすいサイト、知っておきたい番号、その他色々
「あとは、相手を思いやる気持ちがあれば大丈夫
失敗したらちゃんと謝ること、失敗を取り戻せるようにすぐに動くこと
落ち込むのは家に帰ってから、自分より相手、相手のためなら多少は理不尽を我慢して」
「はい」
「でも、相手のためを思って自分がこうだと思ったことは譲らなくていい
全部を相手に合わせる必要はない
そこらへんを、しっかりやらないとただのイエスマンになっちゃうからね」
「はい」
肝に銘じますと言って、は笑った
1週間前はとにかく不安だったけど、あとはもうやるしかないという気になっている
最後の2日は鮎子の仕事を手伝って色々とやってみたけど、スキルはまだまだ
1週間では、基礎の基礎も学べていないだろう
けれど
「私、頑張ります」
「いつでも相談に乗るからね」
「はいっ」
ありがとうございました、とお礼を言って は頭を下げた
明日から、仕事
明日から、珪のマネージャー
嘘みたいな現実が始まる