携帯番号 (葉月×主2)


珪はまたもや不機嫌だった
現在、撮影の真っ最中
外は凍えそうに寒いというのに、春物の服の撮影でもう6着も着替えている
「えー・・・と、葉月くん急に表情がきつくなったけど・・・どうかした?」
「やる気なくなった・・・」
「ちょ・・・そんな、オレ何かしたかな?」
「・・・・・」
若いカメラマンと、マネージャーがオロオロと傍に寄ってくる
別に、この二人が悪いわけじゃない
着替えが多いのも、そういう仕事だから仕方がない
不機嫌の理由は明確だ
メール、からの
さっきの休憩時にそれを見た途端、なんかとても不機嫌になった

「私、芝居をやめることにしたんです」

は、珪の渡したメモを見て千秋楽の次の日にメールをくれた
お疲れ様という内容、それから会いたかったという多少の愚痴
学校でのでは考えられないような不満みたいな言葉
言ってくれれば片付け放って一目会いに行ったのに、とか
でもお仕事なら仕方ないですよね、とか
まるでクルクル変わる表情のような文体で、優等生のかけらも見えない
あの稽古場で見て知っていたけれど、メールとなるとますます違うな、と
珪は嬉しくて震えそうになりながら何度ものメールを読んだ
そして返事を打ち、それから、二人はたまにメールをやりとりするようになった
今日のメールはからの通算16通目のメール
来週、知り合いの芝居があるから見に行かないかという誘いを珪が断ったその返事
断るだけのメールは嫌だったから、の舞台なら仕事の都合をつけて見に行くと書いた
それに対しての返事が、こうだった

「私、芝居をやめることにしたんです」

どうして、と思った
それから、もう舞台でを見ることができないのかと思うと 何かズン、と心が重くなった
初めて見た舞台の上の死に神装束の
同じ舞台に立った、恋に震え泣くヘレンだった
これから先、もっともっと色んなを見たいと思っていた
見られるんだと思っていた
なのに、辞めるなんて
もう、舞台に立たないなんて
「どうして・・・」
ショックだった、どうしたらいいのかわからない
学校では、おはようと、また明日くらいしか言葉を交わすことができない二人
それでも何とか我慢できているのは、この繋がりがあるからだったのに
役者であるを見ていられるという確約
メールという手段で話ができるという保証
だから、触れることもキスすることも、抱き締めることも我慢できるのに

(・・・どうしたらいいのかわからない)

優等生のは理想的で、優しくて控えめな花みたいで好きだった
舞台の上のは幻想的で情熱的で幻のようで好きだった
稽古場のは明るくて、時々無茶で、努力家で真摯で、子供っぽくて好きだった
どれも大好きだ
知るたび、触れるたび、言葉を交わすたびに好きになっていく
どれが本物かわからないまま、そのどれもに魅かれて引きずられていく
(やめるなよ・・・)
返事のメールにそう書いた
どうしてそんなことを言うのかと書いた
今は、がどう返事してくるのかが気になって撮影どころではなくなっている

「演じることが嫌になったんじゃないんです
 ただ、私にとって歌も踊りも演技も全部、自分を磨くための修行だったんです」

深夜、そのメールはようやく届いた
撮影はとっくに終っていたけれど、家に帰る気にならなくて 珪はスタジオの廊下のソファにずっと座っていた
薄暗い廊下、そこのスタジオではまだ誰かが何かの撮影をしている
眩しいくらいに光ってる携帯の画面を眺めるように何度も見ながら 珪はの言葉を繰り返し読んだ

「でも、その修行ももう必要なくなりました、だから辞めることにしたんです」

最後の舞台がヘレンケラーで良かった
エルやみんなに出会えて良かった
メールにはそう書いてあったけれど、珪には「だから辞める」と言ったの言葉の意味が理解できなかった
(修行する必要がなくなった・・・?)
そもそも、修行って何だ、と
おかしなことを言うと思いながら、稽古場で目隠しをしていたの姿を思い出す
よく、物にぶつかっていた
よく、転んでいた
そしてよく笑っていた
楽しそうだった、演じることが
修行ってもっと、辛いもののイメージがあるのに、と
なんとなくそんなことを考えていたら、傍のスタジオから男が一人出てきて言った
事務所の人だ、彼がどんな仕事をしているのかは知らないけれど
「珪、来週開けといてくれよな
 沖縄で、撮影決まったから」
その言葉に、珪は顔を上げた
考えていたこととまるで温度が違う会話についていけない
「沖縄?」
「そう、おまえの人気がすごいからさ
 あっちで撮影と、それから握手会やることになった」
丁度冬休みだし、いいだろ、と
その言葉に、珪は驚くほど冷めた自分を感じた
沖縄、夏に行きたいなと思っていた
髪に赤い花を飾ったを妄想していた
妄想は所詮妄想だ、叶わないことは知っている
それより今、自分の心は沈み切っていてそれどころではない

「俺も・・・辞める」

口をついて出た言葉は、何かへの抵抗のようだった
「は?」
「俺も、辞める」
「俺も・・・? 何を辞めるって?」
「仕事」
「は?」
「辞める」
「え?」
「え?」
「え?!」

立ち上がる
そうだ、が辞めるというなら自分も辞めてしまおう
元々、誘われてそのままズルズルとやっていただけの仕事だった
モデルをするのが好きなわけじゃなく、何か目的があって続けているものでもなかった
辞めたっていい
何の悔いもない
続けていたってこの世界で、に出会えるわけもないのだし

その後、珪の携帯には何十件と着信が入った
事務所、マネージャー、その他いろいろ
とにかく一度連絡をしろ、とか
沖縄が嫌なら取り止めにしていいから、とか
何か不満があるなら聞くから、とか
それもこれも御機嫌とり
どれもこれも切羽詰まったみたいなもの

「どうして急に? 何か嫌なことがあった? 何でも聞くから言って」
「できるかぎりのことをするから」

留守電を聞きながら、公園で溜め息をつく
冬の朝、やっぱり誰もいない
犬の散歩の人が寒そうに通っていくだけ
珪はベンチに座って、マフラーがヒラヒラゆれるのを見ながら溜め息をついた
あのまま辞めると告げて、スタジオを出てこの公園まで来た
ぼんやりと白んでいく空を見ながらのことを考えていた
そして、何かとても虚しくなった
どうして、こんな自分を皆が引き止めるのだろう
たいしたことをしてないのに
ただ、言われた服を着て、立ったり座ったりしてるだけ
みたいに、長い長い間 稽古をして役を作って、ああでもない、こうでもないと
悩んで、迷って、真摯に向き合っているわけじゃないのに
なぜ、は辞めてしまって
自分は皆が待てと、引き止めるのか
(・・・を見ていたい )
もっと、色んなを見たかった
見られるんだと楽しみにしていた
それを失うのは痛すぎる
だったら俺も辞める、なんて意味のないことだと思っているけど
だけど、こんな風に中途半端なまま続けているのが嫌になった
自分にはモデルを続けていく理由が見つからない

冬の朝は寒くて、珪の身体は凍えそうだった
それでもぼんやり座っているのは 考えがグダグダだからだった
辺りが明るくなっていくから、そろそろ7時か8時か、と
遠くの時計を見遣る
(会いたいな・・・)
心の中でそっと思った
会いたかった
顔を見たかった
抱き締めたかった
キスしたかった
不満がぐるぐると身体の中で渦巻いてるようだ
また、を怯えさせる真似をしてしまうんじやないかと、ふと思った
その時視界が何故か急にパっ、と晴れる
なぜか こういうお願いは叶えてもらえるんだと思いつつ
神様はまだ、自分の味方なのかと可笑しくもなった

が、公園の入り口から歩いてくる

「・・・葉月くん・・・っ」
すぐに、はベンチに座っている珪を見つけた
結構広いこの公園は、真ん中噴水
そこに大きなモニュメントの時計
それを囲むようにぐるっと土と草の広場
そしてベンチ、その外側には木が植えられている
「・・・何・・・してるの?」
「考え事」
は、少しためらったような様子で近付いてきた
白いコートが雪みたいだ
言葉を話すと、吐息が白くなっていく
「あ、あの・・・」
「おまえは・・・?」
「私は・・・、友達の家からの帰り」
「朝帰り」
「あ・・・っ、うん」
困ったようなの顔
それから、本当は昼までいるつもりだったけど、急に親の都合ででかけることになったのだと説明した
「葉月くんは、何してたの・・・?」
「考え事」
「あ、そっか・・・」
ごめんなさい、とは言って それから目を 伏せた
頬が赤い、寒いからか
自分は熱い、ここはこんなに寒いはずなのに

「辞めようと思って」
「え?」
「モデル、辞めることにした」
「えっ?!」

唐突な珪の台詞に、は驚いたように目をまるくして、
珪は衝動を抑えるために 淡々と話した
二人の間には、5歩分くらいの距離がある
はそれ以上傍には寄ってこなかったし、珪は座ったまま立ち上がれなかった
動いたら、きっと抱き締めてしまう
辞めるなって、言ってしまう
葉月珪はエルじゃない
ただ、と教室で挨拶を交わす程度でしかない関係
何も言えない
何も知らないはずだから
「どうして・・・?」
「どうしても」
「そんな・・・」
の声が震えた
別に、自分がモデルを辞めようが辞めまいが、関係ないだろう
そういう視線を投げかけたら、は戸惑った後 口を開いた

「だって、葉月くんが辞めたら悲しむファンがいっぱい・・・いると思う・・・」

そんなの、お前だって一緒だろうと思った
そして、悲しむファンなんてどうでもいいんだと思った

「関係ない、ファンとか」
「でも私だって、嫌だよ・・・」
「お前も俺のファンなのか?」
「それ・・・は・・・」

こちらを見ていたが、俯いた
赤くなってる、どうして
別にファンでもないなら、辞めるななんて言うなよ
俺はおまえのファンなのに、辞めるなって言えないんだから
お前があんなこと言わなければ、俺もこんなこと言わなかったのに

(なんて、伝わらないよな・・・)

悲しくなった
悔しかった
現実世界では手の届かないを、舞台の上でずっと見ていたかった
舞台は遠いのに近いんだ
教室は近いのに、とてもとても遠いから
なのにそれも叶わないなんて
「続ける理由がない」
「ファンが待ってるのは理由にならないの・・・?」
「ならない」
「どうして?」
「俺にはファンなんてどうでもいいから」

は顔を上げた
目がゆらゆらしている、泣きそうに見えた
どうして泣くのか、
ただのクラスメイトが放課後に何をしていようと、には関係ないだろうに
どうでもいいだろうに

(俺のこともどうでもいいんだろうし・・・)

「私も、続けて欲しいよ・・・」
「意味がわからない」
「私、葉月くんの写真見るの好きだよ・・・」
「そんなの、俺には、関係ない・・・」

あれだけ避けておいて、
あけだけ逃げておいて、
写真を見るのは好きだなんて、嘘ばっかり
怖がってたくせに、嫌っていたくせに
好きなら、あんな風にはしないだろうと思うと心が熱く熱くなった
最初からずっと、自分はへ一方通行だ

「考え直して・・・?」
「そんなに言うなら」
「え・・・?」
「お前が、俺のマネージャーになるなら、辞めない」

その言葉は、あまりに唐突で言った自分でも驚いて
聞かされたは、咄嗟には言葉を探せずにただ呆然とこちらを見ていた
(何、言ってるんだ、俺)
嫌ってるが自分のマネージャーなんかやるはずない
色々あって、本当に色々あって、ようやく挨拶ができるようになった二人
それだけなのに
自分がエルならまだしも
葉月珪の傍になんて、がいてくれるはずないのに

「私が葉月くんのマネージャーになったら、辞めないでいてくれるの?」
「ああ」

会話は、頭で考えてるのとは別のところでなされてるみたいだった
がこちらを見ている
その瞳をじっと見ていた
好きな女の子
頬を染めて、言葉を探している
教室では優等生で、いつも皆に優しくて、いつも笑ってる
好きだと言う男子は多くて、女子はやっかんだり、羨ましがったり
誰にでも優しいくせに、珪にだけは優しくなかった女の子
白い吐息が唇から漏れた

「わかった、私、何でもするから」

それは、意外な言葉で
その意味を珪はすぐには理解できなかった
「だから辞めないで
 私、葉月くんがモデルを辞めるなんて嫌」
はっきりした言葉、
それは稽古場でのに似ていた
優等生の顔ではない、自分の意見を持ってる女の子
迷ったり、悩んだりしながらも、いつも答えを自分で見つけられる強い瞳

(嘘だろ・・・)

しばらく無言で見つめ合った後、最初に口を開いたのは珪だった
「じゃあ、携帯教えてくれ・・・」
「・・・はい」
が言う数字を記憶する
そして、立ち上がった
そのまま、へと2歩近付く
「連絡する」
「・・・はい」
硬直したみたいな
それを置いて珪は寒さで固まったみたいな身体を無理矢理動かして歩いた
熱で心臓がドクドクいっている
まるで夢でも見ているみたいだ
なぜ、ああ言ったのかも
なぜがOKしたのかもわからなかった
ただ、珪にはの携帯番号が与えられた
それが、今朝起きた事実を全て物語っている


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