千秋楽前日 (葉月×主2)


しばらくすると、ヘレンケラーの公演が始まった
固定ファンでチケットの7割が売れ、招待客が1割、残りの2割はネットとチラシのCMを見てきた新規客だった
1週間の公演、全てチケット完売
メンバーは、そんなこと当然とでも言うような顔で 次はもっと劇場を大きくしようかなどと話している
(やっぱり、撮影とは全然違うな・・・)
珪にとっては初めての経験
舞台の上で演技する自分を客に見せるなんてこと
いつもは、スタッフとカメラマンとにかこまれて、狭いスタジオで撮っていた
多少、表情を作ったりすることを求められても
それは、こんな風に何ヶ月もかけて役を作っていき、何かを表現するのとはまた全然違う
「私の恋は終った、私の最初で最後の恋」
舞台の上で、も他のメンバーも堂々としたものだった
珪は台詞もなく、動きもさして難しくないから余裕だけど、他の人は大変だろうに
さすが、この世界で生きていて、こんなにたくさんのファンがつく人間は違った
のってくればお互い容赦がなくなっていって、
2日目の夜公演の後、の両腕が痣だらけだと誰かが言ってた
途中、暴れるヘレンを取り押さえるのに みんながみんな力づくだからと言って
舞台の興奮で力加減が出来なくなっていってると言って
(俺は加減・・・してる・・・)
そこが素人とプロの違いなのだろうか
珪は練習通りにしかできないし、やらない
や他のメンバーは、その日その日のテンションで練習以上のものを見せる
(あと1日・・・)
舞台の上で立ち尽くすヘレンを見ながら、珪はぼんやり考えた
あと1日で公演が終る
そうしたら、ここでのとはお別れだ
自分は正体を知られる前に、こっそりここから立ち去ろうと思っている

「エル、ヘレンから届け物」
「・・・ありがとう」
公演中、男子の楽屋と女子の楽屋は別になっていて、珪はいつも早くきてに劇場の傍で会わないようにしていた
今のはもう目隠しをしていない
舞台の上では、メガネなしだから ド近眼のに自分の顔はわからないだろうけれど うっかり廊下や劇場の近くで会ってしまったらバレかねない
会うのは舞台の上だけ、でなければ今まで隠してきたことが全部バレてしまう
それは嫌だった
最後まで、自分がエルだなんて明かす気はない
実際、裸眼だとは、輪郭がギリギリ捉えられる程度の視力しかないらしく
練習での立ち位置や、衣装の色合い、背の高さなんかで そこにいるのが誰かを判断しているようだった
伸ばした自分の両手すら、ぼやけて見えるというのだからかなりの悪さだ
「でも あんまり見えないほうが緊張しないからいいんです」
お客さんの顔もわからないし、と
いつかの稽古のときには笑っていた
「舞台の上って危なくない?」
「大きいものは見えるから大丈夫ですよ
 どうしても必要なときはコンタクトをします」
走ったり、舞台セットが細かかったり、高かったり、小道具がたくさんあったり、必要があれば、と
その言葉を思い出して、今回がコンタクトなしでよかったと思う
今回の芝居では、は大抵舞台の中央にいて、それを中心に他のキャストがぐるぐる回るという演出
は基本的に小道具を使わず身体一つで演技をするし、セットも机とイス程度しかない
そうでなければ、ここにはいられなかったかもしれない
ここにいるのが珪だとバレてしまったら、何かそれはルール違反のような
そんな気がして珪はどうしても、ここに自分がいたことはには秘密にしておきたかった
ここで得た「ヘレン」と「エル」の関係を消したくない
珪とでは無理でも、ヘレンとエルなら少しは、少しは触れ合える気がした
分かり合える気がした
互いの想いの切なさを、互いに大切にできると思った
だから
「俺、先に帰るから鍵かけて受付に返しておいて」
「・・・ああ」
出ていくメンバーの後姿を見送って、珪はそっと溜息をついた
思えばここでの時間は至福だった
さよならと言った後も、未練がましく残ったのは、捨てがたかったからだ
ここで見ることができる
触れることができる
笑ってくれて、メモという手段で言葉をくれて、一緒に何かを作り上げるという気持ちになれた
知りえるという存在の中で、ここでのが一番近くにいてくれた
それは相手が珪だと、知らないからなんだけど
自分が相手では、けしてこんな風にはなれないと判っているけれど

「エル、もうすぐ会えますね」

からだと手渡されたものは手紙で、それは「」から「エル役の誰か」に宛てたものだった
ドクン、と心臓がなる
込み上げてくる痛みみたいな衝動に耐えた
からこうして言葉をもらえるエルが、羨ましいと思ってしまう
「エル、あなたの名前を知らないので、今はこう呼ぶしかできません
 結局私はお母様とお父様とエルのことは、千秋楽まで知らないまま過ごすみたいです」
きれいなグリーンの便箋、ここで真摯に稽古するの印象そのままの色だった
記憶の中は純心の白、学校では優等生で優しく可愛い女の子のピンク
初めて見た死神の舞台では濃い青、の色はくるくる変わる
他にももっと色があって、他のを知っている人はたくさんいるのだろう
自分はまだまだこれだけしか知らない
だからもっと知りたいと思ってしまう
「あなたの言葉に私は救われました
 あなたがいてくれたことに、私はとても感謝しています」
の言葉に、心臓がドクドクいう
エルという男は、から絶対の信頼を得ている
こんな風に、顔も知らないのに
どこの誰かもわからないのに
こんな言葉をくれて、だから千秋楽の日に会えるのがとても楽しみだと言ってくれる
(・・・もし俺だとわかったら・・・?)
怒るだろうか
軽蔑するだろうか
相手が珪だとわかっていたら言わなかった言葉もあるだろう
ここにいるのが別の誰かだから、心を許しているのだろう
葉月珪には、こんな風ではいてくれない
(・・・エルになりたい)
自分が葉月珪ではなく、別の男なら との恋はもっと簡単だっただろうか
このまま手紙のやりとりを続けて、いつか想いを告白し、二人結ばれることだって
もしかしたら難しくないのかもしれない
相手がエルなら
葉月珪でさえなければ

(へこむ・・・)

手紙を読み終わって、珪は溜息をついた
返事をどうしようか迷う
千秋楽の後の打ち上げに、自分は行かないつもりだ
だからには会わない
明日の舞台の上が最後
エルという人間はいなくなる、そう思っていた
けれど、

(エルになれたらいいのに・・・)
溜息をついて、カバンの中のスケジュール帳を1枚ちぎった
楽屋に転がっていたボールペンでメモを書く
たった1行、まるで賭けみたいな1行
バカなことだとわかっているけど、もし、もしが返事をくれたらエルを消さずにいようかと、そんな風に考えた
そんなことをしたって、何の意味もないけれど


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