姫の憂い (葉月×主2)


は今回の芝居の稽古に入ってからずっと目隠しをしていたから、実はまだ劇団員の顔を全員覚えていない
台本を貰ったとき、そこにいたメンバーとは話をしたからわかっている
でも、その時に来ていなかった母親役の女性、父親役の男性、使用人の男性、照明担当の男性のことは知らなかった
稽古場の手前の部屋でのミーティングに、その四人は顔を出さなかったし、
照明の人は他の仕事が忙しいらしく、めったにここには来ていない
(こんなんでいいのかな・・・)
一度ちゃんと挨拶をと言ったら、リーダーが笑っていってた
ヘレンには見えてないんだから、も相手の顔を知る必要はないと
余計な情報一切なしで、稽古で触れ合っていくうちに生まれた気持ちを大切にしてほしいと
それで、結局知らないまま
公演が終ったら ちゃんと挨拶をしようと、そんなことを考えて過ごしている
「ピーター、あなたに愛を教えられて私は恋の甘さを知りました」
ヘレンのセリフは情熱的なものが多い
それまで愛を知らなかった少女が、一気に目覚めるように恋するから
何もかもを投げ捨てて、この恋に落ちてもいいと決意するほどの想いだから
「何もかも、私はいりません
 あなたの愛さえあれば」
ヘレンは恋を知らなかった
男に女として愛されたことがなかった
だから、最初に愛を囁いた人に全てを捧げた
理由はそれだけ
だからこそ、ヘレンの恋が愛しくて、ヘレンの情熱が悲しいのだろう
(私も、初恋だったから、葉月くんにこんなに執着してるのかな・・・)
手元に転がったペンに視線を落とした
誰もいない稽古場のテーブルには、書きなぐられたメモや手紙のようなものが散乱している
週に1回くらいは、きれいにまとめて箱に入れてるけれど、その箱ももう3箱目
いい加減 片付けるのが面倒で、かといって捨てられなくて
こうしてテーブルに放置されているものが増えた
芝居の方針とか、それぞれの役作りについての意見とか、その日の演技の感想とか、思ったこととか、提案とか
そういうのが書かれている
は、たまにこうして一人で居残って、恋人のピーターや母親、サリバン先生あてに手紙を書く
ヘレンが思っていることが伝わるように
が思っていることが伝わるように
(初恋は、特別だもん・・・)
溜息をつく
目隠しして稽古をしていると、色んなことを考える
ヘレンが初恋の相手に狂うように恋するのが、自分と重なる
大好きで、大好きで、ずっとずっと忘れられなかった王子
だけの、秘密の宝物
珪がモデルになったと知って いてもたってもいられなくて追いかけ入ったこの世界
今は、楽しくて仕方がないけど、
やっぱり珪の写真集や、雑誌やポスターを見ると焦ってしまう
こんな自分じゃ、全然つりあわないと泣きたくなる
考えないようにして、誤魔化して、目の前の役のことだけ考えようとするけれど
(私も、ヘレンと一緒で失恋するのかな・・・)
ヘレンの恋は悲恋だ
この役をもらってから読んだヘレンの自伝には、生まれて初めての恋に破れて泣いたヘレンの心情が書いてあった
淡々とした印象の文章
でも、だからこそ切なかった
人が見ることを前提で書かれた本ですら、こんななのに
誰も知ることのできないヘレンの内面は、どんなにどんなに涙に濡れたことか
失恋は、どんなにヘレンを傷つけたことか
(私、失恋するのが怖い)
震えそうになる、ヘレンの気持ちを考えると
葉月に嫌われてしまった自分を想像すると
こんなに好きなのに、結ばれないなんて、
その事実をどうやって受け入れたらいいのかわからない
ヘレンが可哀想で、自分の姿のような気がして
は必要以上に感情移入してしまう
公演は、まだまだずっと先なのに

「サリバン先生はヘレンの光、ピーターはヘレンの愛、では僕は、あなたの心になりましょう」

指先で、適当にめくっていたメモの中の一文に、は動きを止めた
このメモは見たことがないから、今日書かれたものなのかもしれない
字には見覚えがある
エル役の男性のものだ
いつも無愛想な黒のボールペンで書いた簡単なメモばかり
がエル宛にメモを書いた次の稽古日には、必ず返事をくれた
「いつも手を引いてくれてありがとう」「エルを信じてくれてありがとう」
「ヘレンにとってエルは暖かな日の空のようです」「エルにとってヘレンは、風の中を懸命に飛ぶ鳥です」
「ヘレンはエルを少し頑固だと思っています」「エルはヘレンを少しわがままな子供だと思っています」
の書いた言葉に呼応するような言葉を選んで返事をくれるから、きっとこの人は頭のいい人なんだろうなと想像している
そんな彼の字で書かれた文字
「僕はあなたの心になりましょう」
ドキ、とした
エルは、ずっとずっとヘレンを見守り続けた人だ
身の回りの世話を焼きながら、ヘレンの恋をも見守った
そんな彼の目に、初恋に狂い、何もかも捨てて愛を選ぼうとしたヘレンはどんな風に映るのだろう
失恋に泣き崩れるヘレンを見て、彼は何を思うのだろう
(あなたの心になる・・・)
とても切なくて、なのに甘い言葉だと思った
これを書いたエルはどんな人なんだろうと、また想像した
彼なら、ヘレンのように初恋から抜け出せないを、何と言うだろう

「エル、初恋は特別なものだと思いますか」

いつものように、短いメモを書いてテーブルに置いた
どういう返事を期待しているのか、自分ではわからなかった
どういう返事が返ってくるのかも、わからなかった
ただ、ヘレンを演じるたびに、珪のことを考える時間が増えて
なのに、今はもう王子でなくなってしまった珪の、どこが好きなのかとか
そういうのが、ますますわからなくなって悲しくなる
珪が自分にとっての初恋だから、忘れられないのだろうか
あの甘い記憶がいつまでもこびりついて、現実を受け入れられなくしているのだろうか
珪の目は、記憶の中の王子のように優しくないのに
珪の言葉は、けして甘くなく、あの時くれた笑顔も約束も、全部夢だったのかとさえ思えてくる
(初恋を、美化しているだけ・・・?)
ただ単に、初恋だからという理由で、ヘレンのように堕ちているのなら早く目を覚まさなければならない
でないといつか、ヘレンのように失恋して、悲しい悲しい想いをするだろうから

ペンを置いて、は小さく溜息をついた
それでも珪のことが頭から離れない


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