切なさ (葉月×主2)


稽古場での珪のすべきことといったら、もっぱらの世話だった
がヘレンと似た環境で演技の稽古をしているのと同じく、珪にはヘレンの家の使用人らしく、の世話が義務付けられていた
といっても、移動するときに手を取って歩かせたり、小道具の場所を教えたりする程度だけれど
「エルが喋らないのはアレか?
 実際にはヘレンには聞えないから、それっぽくするために喋らないのか?」
「単に無口なだけじゃない?」
「ああ、多分 風邪引いてるんだよ
 勧誘した時 声かすれてたから」
黙々と、の手を引いて定位置に立たせた珪に、劇団員がヒソヒソ話す
ここでは、がいる時に限って、台詞以外の打ち合わせはヒソヒソ声だ
それも雰囲気を出すためと、の中でヘレンの心情が構成しやすいようにとの配慮の1つだ
「エル、風邪って大丈夫なの?
 無理しなくてもいいよ?」
「・・・大丈夫」
目隠しのから離れて、珪は自分の立ち位置に移動しながらわずかに声を出した
未だ声はガラガラだけど、喉の痛みはなくなった
風邪を引き始めてから2週間だから、けっこうしつこいなと思いつつ、忙しさにかまけて病院には行ってない
「ピーター、2幕の告白シーンから」
「はーい」
稽古場では皆が当然のように役名で呼び合う
だから、ここでは誰も珪のことを、葉月珪とは呼ばない
初日に、葉月珪と名乗ったけれど、なんか雑誌とイメージが違うと言われた程度でそれ以上騒がれることもなく
そもそも、自分達にもファンがついている役者達にとって、モデルごときは珍しいものでもないみたいで
それで珪は キャーキャー言われたり色々聞かれたりせずに助かった
個々の個性の強いこの稽古場にいれば、自分が他からみて多少変わっていても目立たない
それで、ここはとても居心地がよかった
おまけに、近くにがいる
本人は最初から目隠しで、多分 珪がここにいることに気付いていないと思うけれど

「ヘレン、君の心を覆う暗闇の光になれたらと僕は願っている」
相手役の男は、演劇を始めて2年だと言っていた
大きな企業のアカデミー生で、卒業公演で主役を取ったと喜んでいた
ぜひ見にきてくれと言っていたから、暇だったら行ってみてもいいかもしれないと思ってる
「ヘレンの苦痛を真に理解できる男などこの世にいるはずもない
 私は許しません
 この恋がヘレンの初恋で、最後の恋となろうとも」
ヘレンの母親役は、美大生で、いつも変わった服を着ている女性だった
大道具、小道具の類の責任者で、舞台に立つより裏方の方が好きだと言っていたっけ
たまに早めにこの稽古場に来て、テーブルの上で何か小物を作っていて、
気付けば その小物が20個も30個も傍の棚に並んでたりする、そんな人
ストレスがたまると物を作るんだと言っていた
その気持ち、なんとなくわかると珪は思う
自分もたまに、何かを創るのに夢中になることがあるから
「心が融けそうなほどに熱い想いです、私のはじめてのあなた」
ヘレンの台詞は当初、サリバン先生が代弁していた
それが、練習開始3日目に、やっぱりヘレン自身が言ったほうがいいということになり急遽変更
周りには聞えない、孤独な心の声という設定で 自身の声でやっている
史実をなぞりながら、年齢や時代設定を弄繰り回したパロディだから、ヘレンの年齢設定は17歳
相手役ピーターは22歳
ヘレンの恋を見守る珪の役エルは19歳
だからといって、意識して大人っぽく振舞えとか、そういう指導はされていない
「ただ私にはわかるのです
 私自身があなたにとって、未来にどれほどの重荷になるかということが」
は、セリフに身振り手振りをつけることが多かった
元々、話せないという設定だから、意思表示はジェスチャーだ
大袈裟なくらいでいいと言いつつ、大袈裟にやりすぎると違和感があるから、と
初日から難しい注文をつけられて、試行錯誤
やるたびに変わっていくの動きに、珪はいつも目を奪われる
いつもいつも、を見てしまう
「エルはほんとヘレンばっかり見てるよね」
「役に入り込んでるんだろ」
「素だと思うけど」
「あれはあれで、それっぽくて俺は好きだけど」
芝居の稽古中なのにヒソヒソ
たまに筆談したりもしているから、進みが遅い
でも、だからこそジワジワと、役がそれぞれの中に浸透していくような気がする
素人の、珪にすら それが感じられた
毎日、考えるのだ
ずっとヘレンの傍で、ヘレンを見てきたエルという名の使用人は、ヘレンが別の男に恋をした時どんな気持ちだったのだろうかと
そして、それを自分と重ねる
ヘレンにはエルの姿など見えてはいない
自分も、恋人となるピーターも同じ男
ならばどうして、ピーターはヘレンの愛を得ることができて、エルは得ることができなかったのか
(エルは言わなかったからだ)
言えば、エルこそがヘレンの愛を勝ち得たかもしれないのに
(ずっと傍にいたんなら)
言えばよかったのに、と思う
好きなら、好きと
欲しいなら、欲しいと
(・・・言っても避けられたりするかもしれないけど)
自分のように
(そして、いい人のエルも俺みたいにひねくれる・・・?)
いつも、そこまで考えて苦笑する
気付けばのことばかり
この、恋のことばかり考えている
相手は誰?
ここで演技をするか? それとも毎日教室で優しく笑っているあの姫か

「それすらわからないのに」

溜息をついて珪はテーブルの上に散乱したたくさんのメモを見た
稽古や役作りについての筆談で交わしたたくさんのメモ
中には珪が書いたものも、が書いたものもある
(もし、お前の目が今、見えて
 俺がここにいるとわかったら・・・また逃げるんだろうか)
の字で書かれたメモを1枚拾い上げて苦笑した
「エル、いつも、私の手を引いてくれてありがとう」
から珪への言葉
ヘレンからエルへの言葉
二人はここに来てから会話をしていない
もし知れば、
ここにいるのが珪だと知れば、こんな言葉はかけてくれないだろう
手を取って歩いているとき、ありがとうなんて笑ってはくれなくなるんだろう

ぎゅっと胸が痛くなった
この切なさ、よく知ってるものだと思った
が自分を避けているのに気付いたときに知ったものだと思った
もう、慣れたと思っていた
腹いせに、キスしたり、意地悪なことを言ったり、抱きしめたり、追いかけたりして仕返しをしていた
いつか、冷めると思っていた
なのにまた、心が痛い
そして、その痛みは、自分の知っているものと少しずつ形が変わってきている

こんな風に、熱を持ったみたいな痛み、今までに知らない
への想いは、自分でも理解できないものに変わりつつある

「・・・
メモを唇に当てた
紙の匂いがする、それからインクの匂いも
目を閉じて、小さく息を吐く
好きだと思った
そうしたら、急にとても泣きたくなった


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