ギャップ (葉月×主2)


は、今回の公演の最中 役者の一人に自分達の劇団の芝居に出ないかと誘われた
その公演は冬を予定していて、この舞台が終ったらすぐに練習に入るというスケジュール
なのに主役が決まってなくて、それをぜひにと
そういう嬉しい誘いだった
企業の舞台じゃないけど、その劇団は毎回1週間の公演を満員御礼にできるくらいにはファンがいる
当然、は二つ返事でOKを出して、
今日、新学期の初日の放課後 その人と会って台本をもらう約束になっていた

(・・・・・まだ、震えてる・・・・)

約束のカフェに向かいながら は俯いて唇に手を当てた
始業式では、約1か月ぶりに見る珪の姿を見て一人でドキドキしていた
ひどいことを色々されたけど、やっぱり好きだから姿を見られるととても嬉しい
珪が自分の思っていたような理想の王子ではなかったことが判ってからも、この恋心はなぜか冷めない
意地悪されても、意味のわからないことを言われても、
それでも嫌いになれない
抱きしめられるのも、キスされるのも、
物語の続きのように甘いものではなかったけれど、
それでも珪に触れられるだけで震えて、ドキドキして、呼吸が止まりそうになる
(私、どうしていいかわからなくなってきた)
だから、考えるのをやめようと思った
ただ、それでも冷めない恋心だけを大切にして、
今はそれだけでいいと、思っている
(だって、それ以上どうしていいかわからない)
長く会わない間に、珪が変わってしまったのだということだけが にわかる唯一のことだった
理想の王子なんて、自分が勝手に描いていたイメージだったのだ
それと現実が違うからって、珪が悪いわけじゃない
珪の今までを何も知らないで、勝手なイメージを押し付けるほうが間違っているのだ
だから、王子はいないんだと思わなければならない
ああいう意地悪な目とか
意地悪な言葉とか、行動とか、そういうのが
そういうのが本当の珪なんだと思う
なのに、物語そのままのキレイな容姿や緑の目、淡々としたような大人びた話し方
それにドキドキして、ギャップに戸惑って
あんなことをされても、恋心は冷めないから
は、ただもう、今、自分にできることをするしかない
当初の目的通り、王子につりあうような素敵な姫になれるよう
きれいで、優しくて、賢い女の人になれるよう
その努力を続けるしか、できない

(王子はいないけど・・・)

溜息をついて、は立ち止まった
赤信号を見ながら、されたキスのことを考える
いつも突然で、いつも強引で、全然優しくないキス
まるで、思い知れと言ってるみたいに乱暴な
なのに、抱きしめられたときに泣きたくなるくらい、強い腕に心が揺れる
愛した姫を王子が抱きしめる時、こんな風だろうかと思ったりする
それくらい、何か想いが込められたような力
包み込むような珪の腕
「私が本物の姫みたいだったら、もっと夢みたいに愛されたのかな」
好きな人とのキス
好きな人の腕の中
こんな風だと思ってもみなかった
一つ一つに意味があって、誓いがあって、約束があって、愛を囁きながらするものだと思っていた
幼い自分
あの頃から何も変わってない、子供じみた自分
(こんな風だから、意地悪されるんだよね・・・きっと)
溜息をついて、それから青信号をにらみつけるようにして歩き出した
なりたい自分になれるのはいつだろう
美しい人に、優しい人に、賢い人に
そんな理想の姫になれる日が いつか本当に来るのだろうか

その日、は新しい台本をもらった
主役は久しぶりかもしれない
舞台の大きさや役の大きさ、主役か脇役かなんてにこだわりはあまりない
どんな舞台も、どんな役も自分を磨くための修行
そう思ってるから何でもやる
そしてそれで得た経験で、自分を理想に近づけていきたい
「ヘレンケラーって知ってる?」
「今回の芝居はヘレンケラーのパロディ
 ヘレンケラーがサリバン先生と出会って最初の理解をした後の物語
 若い学生と恋に落ちるっていう100%恋愛もの」
ちゃんにはヘレン役をやってほしい」
劇団の人達が楽しそうに話すのを聞きながら、面白そうだなと思い、
三重苦のヘレン役なんて自分にできるのだろうかとプレッシャーも感じる
「稽古は月水金の夜7時から
 最初の練習は来週の水曜で、その日までに台詞と流れをだいたい入れてきてくれると嬉しい」
「はい」
「心配しなくても、時間はたっぷりあるから一緒に舞台を作っていく感じで、宜しく」
「はい、宜しくお願いします」
緊張もあるけれど、楽しみな方が勝ったは、にこと笑って皆を見回した
新しい何かを始めるとき、また自分が成長できる予感がしてワクワクする
いつのまにか、こんなにも演じたり歌ったりすることが好きになっている自分に気付いてくすぐったくなる

(修行も楽しんでやらないと続かないもの)

だから、珪がどんなに素敵で自分なんて全然つりあわないと落ち込んでも
焦らないで、できることをしようと決めた
ひどいことをされても、珪の言葉の意味がわからなくても
泣いてばかりいないで、とにかく進もうと決めた
理想の自分になれるまで

(こんな私だけど)

苦笑しながら、ベッドの上で台本を広げた
姫ならこんな風にベッドの上でごろごろ本なんか広げないだろう
ちゃんと椅子に座って、キレイな所作で本を広げる?
そんな女の子なら、伏せた目が綺麗だったり、ページをめくる指が白くて美しかったりするんだろうけど
自分は違う
学校でどれだけ理想の優等生を演じていても、本当の姿は違う
パジャマ、お風呂上りで無造作にくくった髪、
メガネをかけないと字なんか全然見えないし、ベッドの上で転がるのが大好き
いつかこの差がなくなるように修行しているけれど、現実はこれ
考えたら悲しくなるから、考えない
今は、目の前のワクワクすることだけ考えていよう
そして少しずつ 理想に近づいていけばいいと焦らないでいよう

そんなことを考えながら、枕を抱いて食い入るように台本を読んでいたは、ほろりとこぼれた涙を傍のティッシュでぐいとふいた
(泣ける話だ・・・これ・・・)
さっきから涙がメガネを濡らして そのたびに視界が曇る
起き上がってメガネを外し、ティッシュで涙とメガネをぬぐう
それを繰り返して、ようやく読み終わった頃には深夜1時を超えていた
(いい本・・・誰が書いたんだろう)
ヘレンが彼の愛を理解した場面、自分の気持ちを自覚した場面
すれ違って、ようやく通じて、なのに別れが訪れる台本に は合計6回も泣いた
もともと感動しやすい性質だけれど、こんなに泣いた台本は初めてかもしれない
芝居を見に来た客が、同じように泣いてくれればいいと思いながらイメージした
自分の演じるヘレンという少女のことを

芝居の練習は、最初から、かなりのこだわりをもって行われた
まず、だけ練習場となっている場所への入口が別だった
手前の部屋に入って簡単な打合せをして本日の練習のスケジュールを聞かされる
その後、皆がいる部屋へ行くときは、本読みだろうが立ち稽古だろうが、には目隠しが必ずつけられた
なるべくヘレンと近い感覚でやって欲しいとの配慮に、最初はすごく驚いた
こんな風に丁寧に丁寧に作っていく舞台なら、きっといいものになると確信する
それと同時に、期待に応えたいという想い
それが生まれて、ますますこの世界が好きになった
は、何かを一つ経験するたびに、今いる世界が好きになる
珪に少しでもつりあう女になりたいと思って始めた修行、そのために飛び込んだ世界
それの中で色んな経験をすることが、今のには楽しくて仕方がない
「おはようございますっ、宜しくお願いします」
いつものように、元気に言った
優しい劇団員のみんなが口々におはようと言ってくれる
大声での発声練習、本読み
立ち位置の確認では、目隠しのはよく物にぶつかった
必ず誰かに手を引いてもらっているはずなのに、それでもぶつかる
笑って、打ったところを痛いと言ってさすって、また笑って
自分がイキイキしていると感じた
学校で、無理して理想の女の子を演じているよりずっと、自分らしいと思った
掛け離れている二人
本当の自分と、理想の自分
いつか、その差は埋まると、信じては今日も修行中


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