キャンセル (氷×主)


今日は、氷室が3度目のシンの音楽会に誘ってくれた日
夏休み前の金曜日
「来週の金曜日に・・・」
そう告げられた日から、待ちに待った約束の日
は朝から嬉しくて仕方がなかった
あの音楽会は大好きだし、
シンとも意気投合して、このあいだはサックスの吹き方を教えてもらった
敬遠していた音楽というものの楽しさを知ったし、何より
氷室と二人でまるでデートみたいに過ごせるのが何より楽しくて
そこに氷室がいるのがたまらなくくすぐったくて
いつも帰り道に「また連れてって」と、は言った
また、氷室と二人で過ごしたい、と
そうしてまた、氷室が誘ってくれたのだ
今度の金曜に、と

その日、クラブの後 はいつものように職員室へと寄った
(あれ? いない・・・・)
大抵、この時間には吹奏楽部の練習は終わっていて、氷室はが来るのを職員室で待っているのだが、今日 その姿はここにはなかった
(まだクラブかなぁ・・・・?)
少し待ってみようか、と思った時に側を吹奏楽部の子が通った
「ねぇっ、クラブもぉ終わったの?」
「うん、とっくに」
「氷室先生は?」
「えー? いないの? まだ音楽室かなぁ?」
クラブが終わったのにまだ音楽室?
今日は約束の日なのに、もしかして忘れているのだろうか
それとも、何か用事でもあるのか
「そっか、ありがと」
言って、は3階の音楽室へと向かった
用事があるなら手伝ってあげよう
そして、少しでも早く二人ででかけたい

静かな廊下に、その声はわずかに聞こえた
音楽室に、氷室とがいる
外から、声だけでそれがわかって、は足を止めた
「私・・・・先生のことが好きだって言いました
 それは今でも変わってません・・・」
・・・今はそんな話をしているんじゃないだろう」
「どうしてそんな風に言うんですか・・・
 私が頼れるのは先生しかいないのに・・・・」
「私は担任だが、君にしてやれることは限られている
 君はきちんとご両親と話をすべきだ
 逃げていてはいけない」
「いやっ
 私のことをわかってくれるのは先生しかいませんっ」
二人の、会話が聞こえてくる
無意識に息を殺して、はその場から動けなくなった
泣いているのだろうか、の声は震えていて
氷室は、押し殺したように低い、それでもいつもの落ち着いた声で話していた
心が重くなる
多分、聞いてはいけないことを聞いてしまった
はやっぱり氷室のことが好きで、
氷室はそのの想いを知っているのだ
「先生しかいないのに・・・・・」
窓に映っている影が、揺れた
・・・・・・」
困ったような氷室の声に、は目を閉じてその場からそっと元きた道へ歩き出した
離れて立っていた影
揺れて、ひとつになった
こんなことは、君にしかしない、と
以前言ってくれたこと
氷室は、相手がでも同じことをするのだ
自分にしたように、彼女を抱きしめて
泣いているのを慰めて
音楽室で、今 は氷室の腕の中にいる
「・・・・はぁ」
溜め息が出た
不思議と、落ち着いているけれど、この痛みはひどい
胸が苦しくて、なぜかイライラした
おとなしく職員室で待っていれば良かったのだ
そうすれば、あんなのを見なくてすんだのに
あんなもの、見たくなかった
あんな話、聞きたくなかった
も自分も、同じ
特別扱いなど、最初からしてもらえていなかったのだ
君にしかしない、と
その言葉を信じていたのがバカみたいだ

自ら抱きついてその身を寄せてきたを、氷室はどうしようもなく見下ろした
、しっかりしなさい
 君がご両親とちゃんと話をして説得するしか方法はないだろう
 君の道だ
 譲れないのなら、ちゃんとそう伝えなさい」
その震える肩に手を置いて、の身体を放して氷室はその顔を見下ろした
うつむいて、ぼろぼろと涙をこぼして
はその手で口元を抑えて首を振る
「わたし・・・わたし・・・・」
言葉にならない嗚咽をもらして、はただ涙をこぼし
そんな彼女に、氷室は溜め息をついた
ほとんど毎日、とは進路の話をしている
どうしても譲れないの両親に、氷室が間に入って3者面談までしたのだ
家に帰って家族で話し合ってください、と
大切な問題ですから、と
そう告げたのに、結局が両親に心を閉ざしたまま今に至っている
「君のご両親は君のことを大事に考えている
 君がいつまでもそんなじゃ、話は先に進まないだろう」
その肩から、手を放した
担任として、教師として、
のこういう態度には、自然と厳しく接してしまう
子供ではないのだから、と
いつまでも自分の殻にとじこもっているわけにはいかないのだ
親に反対された進路を貫きたいと言い、だがロクに親と話もせず
反対されているから嫌だと毎日泣いて
それでも結局は、学校へ行く金はその親が出すのだから このままですむはずがない
今のは、親に反対されてものごとを落ち着いて考えられなくなってしまっている
らしくない、と氷室は思うのだ
もっと きちんと物事を理解できる生徒だと知っているから余計に
、落ち着いてよく考えなさい」
「だって私・・・先生しか信じられないんです・・・」
「君は間違っている
 私は教師であって、君の親じゃない
 私にできることはここまでだ
 君の道は、君が決めるんだ」
「私、先生が好きなんです・・・・・」
「それも、関係ないだろう」
「そんな・・・・・ひどい・・・・」
またが泣き出した
どうしようもない
氷室は小さく溜め息をついた
「君に言ったはずだ
 私は君の想いに答えてやれない、と」
そう、
には感じないのだ
を想う時のあの狂おしくも愛しい想いを
泣いているのを、思わず抱きしめてしまうようなあの衝動を
さっきだって、抱きついてきたを無意識に放した
これがなら、いつまでも、泣き止むまでその髪を撫でていただろうに
「私は君を特別には想わない
 君は生徒で、私は君の担任、それだけだ」
そして、
だけが唯一 特別なのだ
この腕に、抱きしめて放したくないと想う程に

それから1 時間後、ようやく泣き止んだを帰して、氷室は職員室へ戻った
との約束の時間から1時間以上たってしまっている
まだ待っているだろうか、と
席へ戻って、そこにメモを見付けた
の字でメッセージが書かれてある
「先生へ」
相変わらず、読みにくい女の子特有のまるっこい字
「忙しいみたいだから、今日は帰ります」
一行の短いものだったが、それは氷室の心を重くした
「・・・・・」
溜め息をついたと同時に、職員室に吹奏楽部の生徒が入ってくる
氷室を見て、あれ、と
呟いてこちらへ寄ってきた
「どうした?」
さんが探してましたよ?
 音楽室にいるかもって言ったんですけど・・・会えました?」
「・・・・・いや」
また、ぎし、と胸が痛んだ
まさか音楽室へ来たのだろうか
そして、あの会話を聞いたろうか
「忙しいみたいだから」と、このメッセージはとのことを言っているのか
約束をしておいて、と
それではこれは、の抗議の言葉か
溜め息がこぼれた
今回は、確実に自分が悪い
連絡ができれば良かった
約束を、忘れていたわけではなかったから余計にそう思う
どんな想いで、このメモを置いて帰ったのだろう
氷室は苦々しく唇をゆがめた

それから、車を飛ばしての家へと向かった
携帯を鳴らして呼び出すと、パジャマ姿のが驚いた顔で外に出てきた
「今日はすまなかった・・・」
「うん」
へへ、と
は笑って、それから一瞬だけ複雑な、何か言いたげな顔をした
「うん、いいんだ
 だって先生は私だけの先生じゃないから、一人占めなんかできないもん
 音楽会より進路指導の方が大事だもん
 わかってるから・・・」
最後の方は力なく、
つぶやいて はどうしようもなくてまた笑った
辛い
今も辛い
楽しみにしていた約束
氷室が誘ってくれた今日の日をずっと待ってたのに
でもそれ以上にショックだったのだ
が氷室を好きだと言って、
そんな彼女を氷室が抱きしめたということが
自分にしてくれたように、泣いているのをそうして慰めたということが
「わかってるから、大丈夫」
先生も大変だね、と
は明るく言い放った
上手く、言えたと思う
何か言いたげに眉を寄せた氷室の顔を見上げて 彼が何か言う前にはその言葉を封じた
「先生、また明日ね」
にこり、
多分、これ以上はもたないから
今は早く一人になりたくて
は、身をひるがえして逃げるように家の中へ入った
パタン、とドアを閉めるまで泣かないように努力した
ただの生徒でしかないなら、こんな風に来ないでほしい
あんな風に抱きしめて、特別だなんて錯角させるようなことを言わないでほしい
誰にでもこういう風にするなら、
自分だけでなく、にも同じように接するなら

帰っていってしまったに、氷室は深く溜め息をついた
明るく振る舞ってはいるが、どこか含みのある顔をしていた
無理をしている、と思うのはうぬぼれだろうか
今にも泣き出しそうに見えたのは気のせいか
重苦しい気分で、氷室は車に乗り込んだ
のことも、いっそと同じように、ただの生徒として見られればいいのに

3度目の約束はキャンセル
すれ違ったまま、もう約束は交わされない


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