音楽会への誘い (氷×主)


職員室前の掲示板には、学校での連絡ごとや教師からの伝言、
時間割りの変更やクラブの連絡事項の他に、作品展や試合など色々な行事についてのポスターも貼ってあった
一般企業主催のものも、学校推薦のものは掲示される
毎年、秋には芸術関係の催しのポスターが多く貼られた
その中に、音楽会のものもあった

(・・・・・?)
放課後、掲示板の前にがいるのを見かけた
じ・・・と何かのポスターを見ている
何を見ているのだろう、と
近付いていくと、の顔がふ、と曇った
そして、大きな溜め息
それから、はその場を離れた
(・・・・・・?)
何を見てそんなに曇った顔をしたのだ
何かの教科でテストがあるとか、補習があるとか書いてあったのか
それとも楽しみにしていた行事が中止にでもなったか
不思議に思って、氷室は掲示板を見る
2.3時間割り変更があるだけで、特に何がどうといった掲示はされていない
「・・・見間違いか?」
だが、それにしてはあの大きな溜め息
何か悩みでもあるのだろうか
担任として、可愛い生徒が悩んでいるのを放っておきたくはない
それが、ならなおさら
そして、逆に少しと距離を置かなければならないと思う心も働く
こういう風に、気づけばのことを考えている自分を、最近氷室は意識して抑えようとしていた
(まだ、今なら間にあう)
その言葉を何度も心の中で繰り返している
自分の立場と、との関係を保つために

次の日も、また次の日も、氷室は掲示板の前で足をとめて何かを見ているを目撃した
手に大量のノートを抱えて、掲示板の前で立ち止まり何かをくいいるように見ている
何をそんなに、と
氷室はの側へと行って、後ろからそれを覗き込んだ
「・・・・ああ、交響楽団の演奏会か」
「ひゃっ?!」
急に後ろで声がしたのに驚いて、がすっとんきょうな声を上げて振り返った
「どうした? 興味があるのか?」
これを見て溜め息をついていたのだろうか
こういうものには全く興味がなさそうなものなのに
行きたいのだろうか
この由緒ある演奏会に
「行きたいのか?
 今ならまだチケットはあるだろう」
少しだけ嬉しくなって、氷室は言った
吹奏楽部の顧問として、がこういうものに興味をもってくれると嬉しい
自分の好きなものを、好きだと言ってもらえたら、それは誰でも嬉しいはずだ
になら、なおさらそう思う
「ち・・・違うのっ
 なんか、すごいなーって思ってっ
 わ、私とは世界が違うから、ちょっと見てただけで・・・・」
慌てて、が言った
「こういう上等な音楽を聴くのもたまにはいいと思うが」
そんなに否定しなくとも、と
氷室は眉を寄せて言った
世界が違う、か
たしかに、のような活発な生徒には退屈なものかもしれない
氷室にとっては心が癒される、上質のハーモニーなのだが
「でも・・・こんなの聴いてたら眠くなっちゃうし
 なんか難しそうだし、私 クラッシックの曲とか知らないし・・・」
情けないような顔をして、は言う
もう行きたいというような様子で、困ったように愛想笑いを浮かべている
1年のはじめの頃に、が自分によく見せていた顔だ
チクリ、と胸が痛んだ
「ではなぜ見ていた?
 昨日も見ていなかったか?」
多分、好みが一致しないことへの不満だろう
自然と口調が尋問のように、刺々しくなったのを感じた
大人気ないと思いながらも、氷室はを見つめる
多分今、自分はとても嫌な顔をしているだろう
自分の好きだと思うもの、いいと思うものをわかちあえないのは悲しい
人種が違うと言いたげなに、少し腹がたった
「興味がないのなら無理強いはしないが・・・」
その言葉にがうつむいた
氷室は、内心自分自身に苦笑する
何を言っているのだろう
が何を見ていようが、それはの勝手だし
が何に興味を持とうが、それはの自由なのだ
自分の好きだと思うものに興味を示さなかったからといって、こんな風に彼女を困らせるのは間違っている
今、はどうしようもなくてうつむいてしまっているのだ
大人気ない自分のせいで
「・・・いや、すまない
 行っていい、
コホン、と一つせき払いをした
自分はどうかしている
抑えなければと思えば思う程に、へ気持ちが傾いていく
意識が、どんどん落ちていく
「・・・・・先生、舞台の上で格好よかった」
ぽつり、
がつぶやいた
「え?」
「文化祭で、格好よかった」
顔を上げたの顔は、いつもの明るい顔で、
それでも少しだけ、目の奥が曇っているような気がした
「文化祭・・・?」
そういえば、は吹奏楽部の舞台を見にきていたっけ
席に座りもしないで、一番後ろで壁にもたれて立っていた
「いいなぁって思ったんだ
 私も音楽できたら吹奏楽部に入って、先生の指揮で演奏するのっ
 そしたら・・・・」
そしたら、と
の笑顔が一瞬曇った
「・・・・?」
「えへっ
 私、音痴だから無理だけどーっ」
今度の笑顔は、無理して作ったものだとわかった
またチクリ、と胸が痛んだ
何なのだ
いくつも年下の生徒に、こんな顔をさせて
自分は何をしているのだ
、君は・・・」
「私 音楽とかには縁ないんだっ
 演奏会とかクラッシックとか堅苦しくて息つまっちゃうからっ」
合わないんだ、と
は言って、手に持っていたノートを抱え直した
「じゃね、先生」
そうして、にこりと笑うとそのまま職員室へと入っていってしまった
氷室はただ、その後ろ姿を見送るだけだった

「息がつまる・・・か」
帰り道、車を運転しながら氷室はひとりごちた
明るくて、友達とはしゃいでばかりいる
その彼女と、由緒あるクラッシックの演奏会はたしかにどう考えても結びつかなかった
だが、少なくともは興味は持っているのだ
文化祭で吹奏楽部の演奏を聞きにきたのも、こうして演奏会のポスターを見ていたのも興味の現れだ
それを、このままにするのはもったいない
できれば、にも音楽というものに触れて楽しんでほしい
自分が好きなものだから、なおさら
「・・・・堅苦しい、か・・・・・」
では、堅苦しくなければいいのだろう
そして、
でもすんなり入り込めて楽しめるものならいいのだろう
氷室は、携帯を取ると番号を押した
5分後、会話を終えた氷室の口許には、穏やかな微笑が浮かんでいた

それから2週間後の金曜日
放課後、突然氷室がに声をかけた
、クラブの後職員室へ来なさい」
「ふぇー? なんで?」
「いいから来なさい」
「ふにゃー?」
わけもわからず呼び出されて、情けない声で嫌がったに軽く微笑して、氷室は自分は職員室へと戻る
クラブの終わる時間まで、あと2時間

さて、6時になって、クラブを終えたが職員室へやってきた
「先生、きたよー」
何か叱られるのかと内心びくびくしているの様子に氷室があきれたように苦笑する
「何かやましいことでもあるのか?」
「ないけど・・・・なんか先生に呼び出されたら説教って感じがする」
(・・・失敬な)
一体どういうイメージをもたれているのか、一度きちんと聞いておきたいものだ、と
思いながら氷室はを連れて職員室を出た
「帰るの?」
校舎の出口へ向かう氷室に不思議そうにが言う
「これから社会見学を行う
 君の家には電話で伝えてあるから安心しなさい」
「え?!」
「車をまわしてくる、ここで待っていなさい」
「・・・そんな、突然・・・・」
あっけにとられて、は氷室の後ろ姿を目で追った
時々、氷室はひどくマイペースだと思う
社会見学?
しかも二人で? 今から? 車で?
(家に許可とるなら私にも取ってほしいなぁ・・・・)
それでも、
突然のことに何が何だかわからないけれど、それでも
次第に嬉しさが心に溢れてきた
(なんか・・・特別あつかいだ・・・・二人きりだし)
行く先はさっぱりわからないが、こんな時間から氷室と二人ででかけられるのは嬉しい
氷室の車に乗せてもらうのも、去年の文化祭以来な気がする
なんとなく、むずむずとした嬉しさに心が踊った

車の中で、は去年自分がクリスマスパーティで出したプレゼントのくまのヌイグルミを見付けた
「うわぁっ、これ飾ってくれてるのー?」
「コ・・・コホン」
氷室は答えず、ただせき払いをしただけだったが、心なしか照れているようである
他には何も置いていないシンプルな車内に、そぐわないクマのヌイグルミ
おかしくて、は笑った
「先生律儀だなぁっ
 こんなのとっくに捨てられたかと思ってた〜」
「君がきちんと私の出したものを受け取ってくれたのに、捨てるなんてしない」
「あはは、あれ時々見てるよぉ
 今ならわかるのに、あの時は難しかったなぁ」
「そうか、それは君が成長した証拠だ」
素晴らしい、と
氷室は言って笑った
数学が苦手だった
最初のテストでは30点しか取れなかったのに
1年の頃は補習ばかり受けていたのに
いつ頃からか、数学にも意欲的に取り組むようになった
一生懸命やるという、その姿勢が教師である氷室にとって何よりも嬉しく
そして何よりも愛しいと感じた
という生徒は、いつからか氷室の中でかけがえのないものになっていった
それは、時間がたつにつれて、はっきりとした形を持ち氷室の中に根付いていく
今はまだ、大丈夫だと自分に言い聞かせ
彼女は、大切な生徒の一人なんだと意識し繰り返し
そうして、少しだけ距離を置こうした矢先にこれなんだけれど

「ついた、下りなさい」
「はぁい」
車は小さなバーの駐車場で止まった
「今日の社会見学は何ですか?」
「音楽会だ」
「えっ?」
すたすたと、歩いていく氷室の後ろ姿をおいかけながらは戸惑った
こんところで音楽会?
ここはどう見てもバーだし、自分は学校帰りだから制服なのだが
「先生、まって・・・」
はっし、と氷室のスーツのすそをつかんだ
同時に氷室がドアをあけ、一気に中の喧噪が耳の横を駆け抜けていった
中は明るい雰囲気で、思ったよりも広く、
そしてバーというよりは、ちいさなステージを囲んだ居酒屋のようだった
「こ・・・・これなに・・・?」
促され、座らされてもは氷室のスーツを掴んだままだった
「私の知り合いの演奏会だ
 3ヶ月に1回、ここでやっている」
うるさい程に楽器を鳴らして、何を弾いているのかにはさっぱりわからない
やがて音がやむと、前でトランペットを吹いていた人が立ち上がっていった
「おや、今日は若いお客さんがいますね
 零一、お前の恋人か?」
「・・・・・・・・・・・生徒だ」
彼が氷室の知り合いだろうか
眉を寄せ、不機嫌そうに答えた氷室に トランペットの人が笑った
「高校生が来てるぞ、みんな
 かわいいね〜、彼女 お名前は?」
「え?! です・・・」
客の皆から注目を浴び は驚いて答えた
なんだろう
こんな風にアットホームなのが、音楽会なのだろうか
なんだか想像と違って、それでいてなんとなくなじみやすい
「高校生のちゃん
 僕はシンだよ、宜しくね」
若いお客さんに一曲、と
シンと名乗ったトランペットの人が後ろのメンバーを振り返った
ドラムが鳴って、ピアノが流れた
その横ではバイオリンの人達
それから、タンバリンの人もいた
「・・・あっ、この曲知ってるっ」
流れてきたのは今流行りの曲
CMなんかでよく耳にする、ポップスだった
きらきらと、の顔が輝き出す
「先生すごいっ、私この曲知ってるーーーっ」
氷室のスーツをひっぱって頬を染めながらがはしゃぐ
「こら、ひっぱるのをやめなさい」
その様子に苦笑しながらも、氷室は満足気にを見て微笑した
シンの演奏会は、クラッシックからポップスまで何でもやる
客と楽しむために、
客と一緒に音楽を作るためにやる音楽会
ここなら、も大丈夫だろうと思った
ドレスを着て、指定された座席に座って、パンフレットの通りに重厚な曲が続く
そんな堅苦しいものではない音楽会もある
少しでも音楽に触れてほしくて、氷室はをここへ連れてきたのだ
少しでも、自分のいる世界の良さを知ってほしくて
「すごいっすごいっ」
小さなステージでは何人かが踊っている
耳慣れた曲に、客も何人か身体を動かしていた
その曲が終わっても、また続けて有名なCMソング
3曲 CMソングが終わったところでシンが言った
「無理して若ぶったから疲れたなぁ」
そして、今度は20年も昔に流行ったようなナツメロのメドレー
それが終わると、客のリクエストで演歌がクラッシック風に演奏された
「す・・・すごーーーいっ」
最初から、感動しっぱなしでは溜め息をついた
バイオリンとピアノで演歌なんて考えたこともなかった
それにタンパリンやトライアングルなどという、小学校で使ったような楽器まで出てくるのだ
イメージしていた堅苦しい音楽会とのギャップに、は目を白黒させた
ああ、こんなに楽しい音楽会もあるのだ
チラ、と隣の氷室を見た
満足そうにステージを見ている横顔に、ドキとする
わざわざ、自分のためにここまで連れてきてくれたのだ
こんなに楽しい音楽会に誘ってくれた
おかげで、敬遠していた音楽に触れることができた
こんなに楽しいなんて、知らなかった
「はい、第2部最後の曲です〜」
シンがステージの中央で立ち上がった
ちゃん、おいで」
そして、手招きする
「え?」
「一緒にやろう」
「えぇっ?! 」
驚いた
それで、思わず氷室を見上げた
「ここはいつも最後の曲は客と一緒に演奏するんだそうだ」
氷室の言葉に、むらむらと
好奇心が湧いてきた
「私楽器とかできないけど・・・」
「かまわないよ、おいで」
「はいっ」
楽しそうだった
だから、恥ずかしいよりも興味が勝ってしまった
迷いなくステージへと駆けていったに、氷室は苦笑する
まったく
動じないというか何というか
こういうところで、すぐになじめるのがの凄いところだと思う
頬を染めながらも、目をかがやかせてステージに立ったを見つめて、氷室は微笑した

にはトライアングルが渡された
あと何人か、客がステージに上がりそれぞれに楽器を持ってスタンバイする
「好きなところで鳴らしていいよ
 好きなようにね」
君の曲だよ、と
シンの合図で曲が始まる
(あっ、知ってるっ)
キラキラ星
誰でも知ってる曲だった
バイオリンの優雅な音が主体の1番
トランペットでジャズ風に2番
それからピアノと楽器の音が主になった3番
演奏中、はドキドキしてたまらなかった
楽しい
自分の好きなところで、
ここだ、と思うところで楽器を鳴らす
3番では、まるで主役になったみたいに自分の音が目立った
身体の体温が上がる気がした
なんてなんて、楽しいんだろう
氷室はちゃんと、聞いているだろうか

帰り道、はとんでもなくはしゃいで、いかに楽しかったかを氷室に話して聞かせていた
「それでねっ、1番の時に間違えたから2番ではちゃんと覚えてて鳴らせたのっ」
家に着くまでの間中ずっと、
それを氷室はそうか、と
満足気に聞いてはうなずいていた
誘ってよかった
こんなに喜んでくれて、こんなに楽しんでくれて
「先生、また連れてってっ」
「そうだな、考えておこう」
「やったぁっ」
車の中で飛び跳ねんばかりの勢いで、は笑った
その顔に、もうあの曇りはない
満足して、氷室は微笑した
の笑顔が、何より氷室は嬉しいのだから


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