願い (氷×主)


図書室で、いつのまにか眠っていたのを係の先生に起こされて、もうすぐ下校時間だからと追い出され 廊下を歩いていたところに飛び込んできた声
3階の音楽室から降りてきたのだろう
今日の練習ではうまく音が揃ったから 明日はもっと巧くできるよ、とか
楽器のバランスが悪いのが 今さら気になりだして困ってる、とか
の立っている図書室は 一階の南の端
彼女達が降りて来たのは 北の端の階段
校舎の北出口から外へ出るのだろうか、明るい声が響いてくる
吹奏楽部の子なんだろうな、と
聞こえた会話から、そう思った
氷室は今日もクラブの指導で、放課後に同じクラスの子が 後輩達元気ですか? と聞いていたのに笑って答えていたっけ
皆 練習熱心で、頑張っていると
誇らし気な横顔に ちくりと心が痛んだ
自分の知らない氷室の顔
クラブで音楽を愛し、クラブの生徒達と一緒に一つのものを創り上げていく氷室の姿
彼の全てが欲しいと願う自分に、どうしても手に入れることができないもの
そんなものを見つけるたび、胸がぎゅっとなる
切なくて
遠くて

「先生、まだ雨降ってます」
「私 傘ないのに」

コツ、と
女の子達の声にまぎれて、規則正しい足音が聞こえた
「3人とも 傘を持っていないのか」
落ち着いた声
大好きな人の、よく通る声
「車で送るから、そこで待っていなさい」
その言葉に 誰かが先生優しい、と言った
ここからは 氷室の姿は見えない
声だけが 静かな廊下に響いている
やがて 女の子達の足音と声が遠のいて、そこに静けさが戻ってきても はその場から動かなかった
心が熱い
どんな顔をして、どんな目で彼女達を見て ああ言ったのだろう
氷室はクラブを大切にし、
クラスの生徒を大切にし、
融通が聞かない、厳しい、授業が難しいなどと言われる裏で こんな風に慕う生徒も大勢いる
誰が、氷室を好きでもいい
自分が彼に魅かれたように、彼の何かに触れ 彼を好きになる人はたくさんいるのだろう
誰が氷室を好きでもいい
でも、氷室には自分だけを見ていてほしい
他の誰にも、特別な想いを抱かないで欲しい

私だけを好きでいて
私だけを、見ていて

こんな冷たい雨の降る日に、傘もなく濡れたら風邪をひくだろう
氷室が大切な生徒を車で送ると言ったことも、氷室にとっては当然のことで そこに特別な意味は何もないのかもしれない
最初の頃 を気にかけてくれたのも 氷室のそういう教師としての当然の優しさと義務からだったろう
時を経て、いつ彼の中で義務感が特別な想いに変わったのかはわからない
だけど、こんな自分に対して そんな想いを持ってくれたのだから
あんな、同じクラブで同じ時間を過ごしている可愛い生徒達に対して 義務感が愛に変わらないとは言い切れない
いつか、氷室は彼女達の誰かを特別に想って、自分のところから去っていってしまうかもしれない
その想像は安易にできて、
彼に愛されるには 自分はあまりに相応しいとは言えないと はそっと息を吐いた

最初から問題児で、今も氷室が誰か別の人を好きになりはしないかと怯えている こんな自分なんか

心の中の熱がどうしようもない程にあふれていた
ピアノが弾きたいと思ったけれど、もうこんな時間だし、下校時間のチャイムがそろそろ鳴るだろう
帰らなくては、と思って 渡り廊下の窓の外を見た
朝から降っていた雨はまだ止まず、窓に雫が伝っている
触れたら、窓ガラスは冷たかった
手の平から凍える温度が伝わってくる
熱を冷まさなければならない
なりふり構わずに、氷室に求めてしまう前に
叫ぶように求めて、彼を困らせてしまう前に
私以外を見ないで、なんて無茶な願いを 口にしてしまう前に

しばらく雨を見ていた
人を好きになって、あれ程に醜い自分をさらけ出し、挙げ句に失った恋人のことを思い出して
また同じように求めて失うことに怯えている
冷たい雨の記憶
嘆いていただけの閉じこもった世界
そこから救い出してくれた 強くて厳しくて、だけど温かかった氷室の言葉
それから、いつも見守っていてくれた視線
想いが繋がるなんてこと、夢にも思わなかった
幸福を感じて、だけどそれ以上に膨らんだ不安
どこまでも求めてしまうからダメなんだと言った言葉に それは本望だと返してくれた
求めていいの?
全てをくださいと、求めていいの?
そうしてかつて恋人を失ったように、どこまでもどこまでも際限なく
私は欲しがってしまう子供のままだから 優しい氷室にはつり合わないし、似合わない

だから抑えなければと心に決めてる
二度と失いたくない
二度とあんな想いはしたくない
たとえ氷室が許しても、
自分も同じだけ求めるからと言ってくれても、
口にしてはいけない
熱は冷まして 平常を保たなければならない
一度 口にしたらもう 止まらなくて堕ちるだけだから

好きすぎて、全部、全部が欲しいなんて言えない

校舎の出口でくつを履き替えて、そこで足を止めた
風が時々吹き込んでくる
その冷たさが 心の温度を下げるようで動けなくなった
ここにいて、熱を冷まそう
そしてこの嫉妬を消してしまおう

私以外の生徒と話さないで
私以外の生徒に笑いかけないで
私以外の生徒を車に乗せないで
送っていこう、なんて優しさを与えないで

雨の音を聞きながら ぼんやりとしていた
何も考えない方がいいのかもしれない
だから、図書室で読んだ絵本のことを思い出していた
王子と姫の話
美しい挿し絵に 手に取って読んでみた
愛しあった二人が引き裂かれ、王子が遠くへ旅に出てしまう話
姫は王子の無事を祈りながら いつまでもいつまでも待ち続けるという話

(なんて悲しい話なんだろう)

待つことは苦痛じゃない
でもどうして、王子は姫を連れて逃げてくれなかったのかと思った
愛する人と離れて生きることの辛さを、王子はきっと知らないのだ
洋平を失った時に 世界が終わった気がしたから
あんな想いはもう二度と嫌だと、心が悲鳴を上げている
何を我慢したっていい、苦しいのも切ないのも嫉妬も我がままも全部全部隠すから
私から あの人を奪わないで欲しい
氷室がいない世界なんか、今の自分には考えなれない
物語りの姫だってきっと同じだったろうに
王子のいない絶望的な世界で、熱い想いを必死に抑えながら待ったのかと思うと切なすぎて泣きそうになった

何もかもを我慢するから、
クラブの子を大切にするのも、クラスの子に笑いかけるのも我慢する
嫉妬も独占欲も隠しておくから
だからどうか、側にいてください
もう失くしたくない
二度と、好きな人と離れたくない

祈るような想いでいた
相変わらず降り続く雨
止む頃には この熱も下がっているだろうと思った
それまでここに立っていよう
俯いて、苦笑した
そうしかできない不器用な自分
もっと大人になりたくて、こんなにグダグダではない想いで氷室に向き合いたくて
求めるばかりでなく、与えられるような
義人が自分にしてくれたように温かい優しい想いでいられるような
そんな恋がしたいと思っている
子供だから失ったのだから
大人になって、望んだものを得られるような
望まれたものを与えられるような そんな人間になりたかった
いつまでも、こんな風でいてはいけないと思う

カツ、と靴音が響いた
・・・」
声をかけられて、顔を上げた
もうそんなに時間が経ってしまったのか
いつのまにか、氷室がそこに立っていて こちらを見ていた
また、ドクン、と熱が上がる
「まだいたのか」
もうとっくに 下校時間のチャイムは鳴っただろうと彼は言った
クラブの生徒を送ってきた帰りなのだろう
今まで 自分の知り得ないクラブの子達と会話をして、優しく微笑んで、特別に車に乗せていたのかと思うと 消そうとしていた嫉妬がまた生まれはじめた
どこまでもダメな自分
何のために、ここに立っていたのか
願いも誓いも みんなみんな消し飛んでいく
氷室が、好きすぎて

「良ければ、送ろうか」

氷室の言葉に 俯いた
車は嫌い
あのバカだった子供の頃を思い出すから
仲間達と遊びみたいなセックスをした夜のこと
大人になりたくて、そういう経験をすれば大人になれるんだと思い込んでいたあの頃
洋平に抱いてほしくて、もう大人だと認めてほしくて あんな行為に身を投げた
好きでもない人と身体を重ねても、
キスをしても、抱き合っても、何も生まれはしなかった
ただただ、悲しかっただけで
ただただ、虚しかっただけで
一人が泣いていて、他は楽しそうに笑ってたあの車内
車という狭い空間に乗る度に思い出す、愚かだった自分とあの痛み
「はい・・・」
それでも、
それでも、はい、と言ったのは 心が嫉妬でいっぱいだから
氷室の車に乗ったクラブの子達とどんな会話をしたんですか
笑いかけて、特別な言葉を言って、同じ時間を過ごしたのだろうと思うと 胸がぎゅっとなって苦しかった
車に 誰も乗せないで
私以外に話し掛けないで
私にだけ笑いかけて

言ってしまいそうになって、口を閉じた
氷室がここにいてくれるだけでいい
そう思わなければ、いつか失う日が来るかもしれない

車内に入るとやはり、あの記憶が蘇ってきた
窒息しそうに苦しいと感じる
罪の意識と、失ったものの大きさに 泣きそうになる
忘れてはいけない過去
だから心に刻んで、同じ過ちを繰り返さないようにしている
けれど、苦しい
苦しさから逃れるように、窓の外を見た
雨がガラスを流れていく
それを見ていた
「車は嫌いだと言っていたな」
氷室の言葉
そう言えば、以前にそう言ったかもしれない
「アレルギーが出ると言っていたか
 ・・・・出ているところは見たことがないが」
暗い窓にうつる、運転している氷室の姿
前を向いているから 表情はあまり読めない
アレルギーが出るから車は嫌い
言っただろうか、そんなこと
あの頃、何もかもを諦めて、いらないと思って、閉ざしていた自分
雨に濡れたら あの日に還れるだろうかと思って泣くばかりだった日々
夢と現実がもうわからなくなって、洋平の姿ばかり探していた自分に 差し伸べられた手
戸惑ったように、時に怒ったように 氷室は熱い目を向けてきた
こんな自分に構ったって何もいいことないのに
氷室はいつまでも、いつまでも 何度でも何度でも手を差し伸べてくれた
あの頃、そんな彼を突き放すのに言ったかもしれない
構わないで、放っておいて、
そう言えないかわりに、真実を隠すための嘘を たくさん、たくさん

(本当は、嬉しかったから)

世界なんかいらないと思っていた自分に、義務感からでも構ってくれた氷室
言葉も行動も、嬉しかった
でも、彼は洋平ではありえなかったから
洋平を求めていた自分に構ったってどうしようもないのだと 申し訳なくて、氷室が可哀想で
こんな問題児の担任じゃなければ良かったのに、なんて思っていた
無視して放っておけば良かったのに
そうすれば氷室はあんなにも大変ではなかった
そして、自分は未だ あの雨の中にいたかもしれない

・・・」

氷室の声に、ドクンと心臓が鳴った
、と呼ぶ声に 熱くなる
特別な呼び方
呼ばれるのが嬉しいと言ったら、彼は名前で呼んでくれた
驚いて、嬉しくて、泣きそうになって、幸福を感じると同時に不安も生まれた
もう失くしたくない
今の自分に 氷室のいない世界なんて考えられないのだから

「君は何を考えている」

氷室の言葉に、どう答えていいのかわからなかった
あなたのことです
世界でたった一人の、あなたのことです
失いたくないと想っているあなたのこと
我がままも、独占欲も、嫉妬も、全部全部隠しておくから
だから側にいてください、と祈るような気持ちでいる
「何も・・・」
言ってはいけない
求めてはいけない
際限なく求め続ける変われない自分に、氷室が困ってしまうから
いつか、この想いが重荷となって彼の心に負担をかける日が来るかもしれない
今、求められることは本望だと言ってくれたとしても
少しずつかけられた負担は、やがて二人の絆を壊すだろう
そして自分は氷室を失うかもしれない

そんなのは嫌だ
そんなのはもう耐えられない

「隠し事をされるのは本望ではないのだが」
少しだけ、含みのある声色だった
ごめんなさい、こんな私で
ごめんなさい、いつまでも子供のままで
いつか、大人になって
求めるだけでない、与えられる人になりたいと思っていた
失うことを恐れるだけでない、人の想いを受け止められる優しい女
色んなことを学んで、優しい いい女になりなさいと言ってくれた義人を思い出した
こんな自分を本気で受け止めてくれて、
こんな自分を本気で愛してくれた人
あなたのいうような人になって、この想いが氷室の負担になるだけではないことを信じたい

「何を考えている」
「先生じゃない人のことです」

本当は、氷室のことばかりを考えている
だけど、そうは言えないから
まだ、嫉妬にどうにかなりそうなこの心を落ち着けられないから
求められることに、与える余裕が自分にはないから
「先生じゃない人のこと」
そう嘘をついた
そう言うことで、自分の想いも鎮められたらと願った

途端、腕が強く引かれて身体が傾いた
掴まれた腕が痛いと思った瞬間、シートに押し付けられる様にして 体重がかかる
くちづけに、驚いて動けなくなった
熱くて、痛くて、激しいキスに、呼吸が止まる
こんな風に、触れられるなんて思いもしなくて
必死に押え込んだ熱さは どうしようもなく心から溢れた
あなたが好きで、
あなたを誰よりも求めて、
だから嫉妬して、だから求めて、だからこんな風に私は醜くて、どうにもならなくなっているのに

(このまま壊れればいいのに)

この強い腕に抱きしめられたいと思った
そして そのまま壊してほして
何もわからなくなって、氷室の腕の中で全てが終わるなら それはとても幸福だと思った
今この時のまま、
あなたを想って心が一杯のまま、
全てが終わってしまえばいい
そうすれば、自分は氷室を失うことなくいられる
一番恐れていることに、もう震えなくてもよくなるから

解放されてた時、泣きそうになった
壊して欲しいなんて想いは身勝手で、けして叶えられるものではないとわかってる
それでも望んでしまう程に 自分は一人よがりで勝手な子供だ
氷室はもう前を向いてしまって言葉をくれない
想うから、触れるんだと 彼の痛みのような想いを受けとって胸がきしんだ
いつかいつか、こんな自分を想ってくれる氷室に応えられるような女になりたい
自分と同じよう 求めてくれる彼に 何かを与えられる様な人になりたい

熱がまた、生まれた
消しても消しても消えはしない
愛する心は、強くなるばかり


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