言葉なんかいらない  (氷×主)


昨夜は、眠れなかった
いつまでも、腕にを抱いた感触が残っている気がしたし、
何度も、の言葉が頭を回った

「これ以上、好きになりたくない」

そう言って、泣いていた
激しい感情を隠せずに、叫ぶように何度も言った

「好きになったら、同じだけ求めてしまうから」

だから、ダメなんだと言った言葉
愛しさは、あとからあとから湧いてきた
いつも、
いつも どこかうわの空で
何かを考えていて、落ち着いた風に静かに微笑する
愛した人を失った痛みを抱きながら、罪の意識さえも持ち続けて
それでも、強くなりたいと前を向いた少女
頼り無い 心細気な後ろ姿
ゆっくり動く視線、透き通るような声
先生、と
が呼ぶたびに 温かい感情が心に広がった
このどうしようもない一人よがりの想いは、けして受け入れられないと知り
は他の男は好きにはならないだろうと、思っていた
あんな風な言葉が聞けるなんて
あんな風に泣くなんて
身を灼くような情熱を、さらけ出すなんて
あの、

冷たい風が吹き抜ける屋上は 誰もいなくて静かで
言葉なんか出てこなかった氷室は、ただただ を抱き締めていた
愛しさが、
愛しさだけに支配されて、の体温を、両腕に感じていた
このまま時が止まったとしても、
このまま世界が終わったとしても、
幸福だと、言えるだろうと頭のどこかで感じた
遠くでチャイムが鳴って、が はっとしたように身を離すまで二人はそうして立っていた

「・・・・・・・・」
チャイムが学校中に響いている
下校時間を知らせる音だ
空は暗い
風は冷たくて、手も足も凍えている
それでも寒くないのは、心が熱いからか
の想いに、どうしようもないくらい熱が上がった自分がいる
・・・」
は、無言で 氷室の腕の中から抜け出した
震える腕を張って、一歩離れる
俯いたまま、
そのまま、もう一歩 離れた
、」
言葉を探した
でも見つからなかった
こういう時、どう言っていいのかわからなくなる
想いを伝えるのに、言葉なんかいらなければいいのに
この胸を切り開いて見せることができたら、どんなに どんなに簡単か

氷室が言葉を探している間に、はくるりと身を返した
そのまま、一度だけ首を振って、俯いたまま
屋上のドアに手をかけた
まるで逃げるみたいに駆けていく
鉄の重い扉が音をたてて閉まるのを見ながら 氷室はやはり無言で立っていた
追い掛けようと思っても、身体はうまく動かなかったし
呼び止めようとしても、声も言葉も出なかった
一人、立ちすくんで 氷室はようやく苦笑した
それでも、心は、熱いまま

眠れなくて、空が白んでいくのをずっと見ていた
言わなければならないと思った
どういう言葉で伝えたらいいのか、未だにわからない
義人なら、巧く言うだろう
今どき、高校生だって氷室より巧くやるだろう
この想いは ひたすらにへと向いていて
他の誰もいらないと思うほど
死者や親友に 嫉妬するほど
強くて、熱くて、痛いものだと伝えなければならない

その日一日、氷室はうわの空で一日を過ごした
朝のHRで、昨日の女性は本当に見合い相手かとクラス中に問いつめられたのに否定し続けて
職員室で事実無根を言いふらしている教頭を冷たい一瞥で黙らせて
吹奏楽部の練習中に泣き出した生徒をなだめて もう何度も言った言葉を繰り返して
そうしながらも、いつもいつものことを考えていた
朝も、昼も、放課後も
と二人きりで話す時間なんかとれなかった
今日はクラブのある日だから、そう長い間を探すわけにもいかず
伝えたい言葉も想いも胸に秘めたまま、どうでもいい女の話を何度もさせられている
「彼女とは何でもない、教頭が勝手に吹聴しているだけだ」
もう何度目か、
溜め息と一緒に吐き出した言葉に 吹奏楽部の生徒達がすがるような目で見上げてきた
「本当にあの人は恋人じゃないですか?
 先生は・・・恋人他にいないですよね?」
その言葉は自分に何を求めているのだろう、と
ふと また昨日のの言葉を思い出した
好きになった分だけ求めてしまうと言っていた
こんなに好きだから、同じだけ好きでいてと そう求める
その激しい願いを押し殺そうと必死だったのだろう
涼しい顔をして、心はあんなに熱かったなんて
あれ程の激しさを、あの小さな身体に隠していたなんて
「恋人はいない」
そう言えば、この子達は安心して泣き止むのだろうか
彼女達の言葉に、ほどの痛みを感じない
切なさを感じない
憧れを恋と錯角して、相手に恋人がいなければまだ恋愛ごっこは続行で
恋人が現れたら そこで終わり
今 泣いてるのも ごっこに盛り上がった感情が揺れただけのこと、と
思いながら 氷室はそっと溜め息をついた
今の自分にとって、そんなことはもうどうでもいいし、
以前なら口にしたであろう、相手の想いを否定する言葉も 今は言う気にはならなかった

「こんなに好きにさせておいて」

その言葉が、頭から消えないから
こんなに好きにさせておいて、想いを否定するなんて狡いと は言っていた
その台詞は全部君に返すと思いながら 考えた
この想いは確実に錯角などではなく、ましてやごっこでもないけれど
もし、自分がにそう否定されたら、死んでしまいたくなるだろうから

(君の言葉は魔力だ)

これほどに揺さぶられて、これほどに影響されて、これほどに期待させられて、これほどに酷い
忘れられない痛みがあるし、忘れたくない愛しさがある
「余計なことを考えずに練習を続けなさい」
言って、氷室はそっと溜め息をついた
たとえ錯角でも、たとえごっこでも、たとえ幻でも
そういった感情を彼女達が持ったのは、自分が彼女達の何かに触れた瞬間があるからだろう
こんなにも、ばかりになってしまった自分のように
この想いが生まれた原因は、触れた相手にあるのだから、無駄に彼女達を傷つける言葉は言わないでおこうと
そっと言葉を飲み込んだ
の言葉がなければ、以前のように冷たく否定するのに迷うことさえしなかっただろうけれど

クラブを終えると、下校時間の30分前だった
結局 と話す時間が取れなかった
昨日、あのまま無言で帰ってしまったは、朝のHRの時 全くこちらを見ていなかった
教室中が騒がしく 氷室と見合い相手の仲を問いただすのを 聞いているのかいないのか
時々窓の外を見ては、息をついていた
伝えたいことがあるのに
眠れない一晩中、のことを考えていたのに

「・・・・っ」

教室の戸締まりに行くと、まだ電気がついていて、中にはがいた
自分の席に座って、ぼんやりと外を見ている
心臓が、ドクンと鳴った
こんなに遅くまで いるとは思わなかった
無意識に、歩いた
が、ゆっくりと顔を上げる
・・・・・」

伝えたいことは、この想い
だけどやはり、言葉は出てこなかった
ドクンドクンという音が身体に響く
ああ本当に、どうしてこの世に言葉なんてものがあるのだと呪いたくなった

「先生」

沈黙に似た僅かな時間を、が先に解いた
視線がまっすぐに見つめてくる
いつもの、おだやかな目
昨日のような激しさも熱も、見当たらない
「忘れてくれて、いいですよ」
の言葉、淡々としていた
苦笑みたいなのが漏れて その髪が揺れた
目の中に光がいくつも浮いている
切ない色をしていると思った
今なら、わかる
その言葉は本心ではなく、その態度も必死で熱情を抑えているんだと
「忘れるつもりはない」
ようやく、探し当てた言葉
の目が揺れるのを 見つめ返しながら 昨夜のことを思い返す
眠れなかった夜
は、どうやって過ごしたのだろう
あれだけ泣いて、あれだけ曝した想いを どうやって一人で押え込んだのだろう
今 ここに座っているは、昨日のを知らなければ騙されてしまうほど いつも通りだ
あれほどの熱の かけらもない
「私、バカで子供のままだから、先生のこと困らせましたよね」
ごめんなさい、と
静かな口調が告げた
「忘れてください」
胸がぎゅっとなる
こんな風に言うことしかできない
子供であることで最愛の人を失って、それでも変われない自分を恥じている
必死に押し殺してきたものを 衝動にか、吐き出して、泣いて
ごめんなさい、と 苦笑する
「忘れはしない」
氷室は、繰り返した
必死に言葉を探す
「私はとても・・・嬉しかった」
ああ、なんて気のきかない言葉なんだろう
どういう風に言えばいいのだろう
は、困ったような複雑な顔をして こちらを見ている
「私も、君と同じ気持ちだったから」
一つ一つ、声に出していく
「私も君を、想っているから」
胸を焦がす程の想い
これで伝わるだろうか
「私も君が、好きだから」
こんな言葉で言い表せる程 単純でないけれど、他に言葉を知らない
想いを伝える術を持たない
まっすぐに、を見たら ふるふる、と
首を振ってうつむいた
「そんなの嘘です」
力ない声
震えたのに、また必死のポーカーフェイスが崩れていく
「だって先生は生徒を好きにならないって言ってました」
「君以外の生徒など、好きにはならない」
生徒は生徒で、始めから恋愛対象になど入っていない
「だったら・・・っ」
「だが君は別だった
 出会いもそれからも、今までもずっと、特別すぎた」
雨の少女
過ぎた日に還りたいと泣く姿は痛ましくて見ていられなかった
癒されるために、親友の腕に堕ちた時も ずっとずっと見守っていた
それで泣かなくなるなら
それで現実に戻ってくるなら
そう思って信じ続けた
過去に還る翼などいらない
君は強く咲く花のように いつか前を向けると待っていた
「君は最初から特別だった」
ふるふると、は首を振り続ける
「でもダメなんです
 何度も言ったでしょう? 先生
 私、好きになったらダメなんです」
求め過ぎて、また失うのは嫌だと
繰り返したに、氷室はわずかに微笑した
なんて愛しい少女
なんて痛ましくて甘い言葉
期待させておいて突き放すばかりだった残酷な言葉達とは比べ物にならないほど
それは氷室を熱くさせる
の本心は、これほどに甘いのかと思い知る
あの残酷さは、本当の心を隠す嘘の棘だったのかと 今わかる
「むしろ、それは、望むところだと言いたい」
好きになった分、同じだけ好きでいて欲しい、なんて
誰だって思うことだろう
誰だって求めることだろう
このへ向かっている想い
身を焦がすもの
できるなら、この身体から引っぱり出して見せてやりたい
のものと、どちらが大きいか
の想いと、どちらが熱いか
比べてみればいい
けして劣っているなんて思わない
誰かが誰かを想うより、自分はを想っている

苦笑して、氷室は震えているの手をそっと取った
ぴくり、とその肩が震える
見上げてきた目
不安そうな顔
どうしようもなく、は黙った
もう言葉を見つけられないといった顔だった

言葉はいらない
二人はとてもよく似ていて、
言葉なんかでは言い切れない程の想いをずっとずっと抱えてきた
どんな言葉も、足りない
どれだけ言っても 言い切れない
「疑うなら、身体を切り裂いて見せてもいい」
この心を
想いを
「君への、想いばかりだ」
氷室の言葉に、は俯いた
心が熱い
昔、自分が大好きだった人に想っていたことと同じ
この身体を切り裂いて、見せてやりたい
こんなに好きだって、見せてやりたい
言葉なんかもどかしくて、どれだけ言ったって足りなかったから
人の想いが目に見えたらいいのにと本気で思った
心を身体から取り出して、差し出したっていい
そう思っていた
氷室は今、同じことを言ってくれた
心が熱くて、涙が溢れた
どうしようもなく、好きだと また思った


女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理