熱情 (氷×主)


時々、ピアノが弾きたくなる
家にはないから、学校の音楽室に誰もいない時に そっと弾く
いつも、心に思い付くままに、どこかで聴いたことのあるメロディとか、好きな音の組み合わせとか
なんとなく指が動くままに、とか
そんな風に弾くのだけれど
それで、まるで心の中のモヤモヤを吐き出すみたいにしているんだけれど
今日はそういう気分じゃなかった
生まれては消して、それでも日に日に大きくなっていく想いに焦って隠そうとして
それで いつも同じところをぐるぐる回ってるみたいな自分がどうしようもなくて
移っていく季節に追われるようにして、彼との時間の残りを数えている
今日も、朝から教壇に立つ氷室の後ろ姿を見ながら どうしようもなく泣きたくなった
好きになってほしいなんて、言えない
彼はただの教師で、自分はただの生徒だから
卒業式の日に別れて、会うこのができなくなる存在
氷室が自分を特別に想う日は来なくて、いつか彼の中から自分は忘れられて消えるだろう
(仕方ない、だってそれが、普通だから)
氷室学級のエース、吹奏楽部でとても出来のいい理想の生徒
そんな彼女だって、振られてしまった
教師は生徒を好きにはならない
そう言って、彼女の想いごと否定した氷室を 酷いと思って、卑怯だと言った
彼には この想いも受け入れてもらえない
だから 今の自分に唯一許されているのは 卒業までの間 彼を好きでいることだけ

それだけ

(でもそんなのは、苦しい)
好きになった人に、好きになってもらえたら それはどんなに、どんなに幸福なことか
洋平を好きになった時、彼は笑って応えてくれた
幸せだと思った
あんな風に、好きになった人に同じだけ好きになってもらえること
氷室が相手では、その願いは叶わない
だから、
(本当は忘れたい)
好きなまま、叶わないのを知って、ただ卒業を待つだけなんて
こっちを向いてない教室での氷室を見るだけで 胸が苦しくなるのに
誰かに 特別に話し掛ける様子や、
女の先生と親し気にしているのや、
クラブの子達を車で送っていくのを見た時なんかは、特に 嫌な気持ちになっていく
心がぎゅっとなって、切なさに泣きたくなる

誰が氷室を好きでもいい、でも氷室は誰も好きにならないで欲しい
誰も特別扱いしないで欲しい、私が特別でないのなら

子供みたいな願い
あの頃、洋平にも求めたこと
私以外は見ないで
私以外と話さないで
私以外を好きにならないで
私だけを、好きだと言って
私だけに笑いかけて

そんなこと、叶うはずないと知ってた
でも求めてしまう程 子供だった
失って、泣いて、どうしようもなく堕ちた場所から救ってくれた人
優しいだけじゃない手を差し伸べられて 強くなりたいと思った
氷室がいたから、逃げないで生きてこれた
死んだっていいと思っていた雨の中から、還ってこれた

(だから私が先生を好きになるのは当然です)

自分にとって、特別になった氷室という存在
彼との時間は心が温かくなった
たとえ、その行為が義務感からでも
生徒として放っておけないからだとしても
想いはどんどん増していった
そしてもう、どうにもならないくらい 身体中に溢れてる

(どうにもならないの)

氷室を、想った
本当は忘れたい
好きにならなければ良かったのにと思ってる
嫌いになりたい
明日世界が終わればいいのにとか
記憶喪失になってしまえばいいのにとか
氷室なんか最初からいなくて これは夢で、起きたら全部消えてしまったらいいのにとか
色んなことを思った

それでも 氷室は心から消えなかった

好きになりすぎて、消えない
叶わない相手を想い続けることは苦しいことだと思った
いつか枯れてしまう花を、大事に育てているのと同じ
水は与えられないのに
花も咲くことはないのに
大事に大事に育ててる
枯れて、さよならする日まで

(先生)

ピアノを弾いた
鍵盤を強く叩く
弾くことで、全部吐き出してしまいたい
言葉にできない想い、いっそ消えたらと願う程に切ない気持ち
氷室ばかり見てる自分
必死に、押し殺してる、色んなことを
それを全部 吐き出してしまいたい
言葉にできないなら、いっそ声なんか出なくなればいい
目も見えなくなって、氷室を探せなくなればいい
何もかも消えて、なくなればいい
氷室に好きになってもらえない世界なんか、いらない

こんなに好きなのに

好きな曲を弾いた
リストの「溜め息」という曲
覚えたのはいつだったか
その頃は、タイトルの意味がよくわからなかった
こんなに素敵な曲に、どうしてそんな名前がついているのだろうと不思議だった
でも氷室を好きになった時、彼はこの曲のような人だと漠然と思った
時々 憂いだような溜め息をつく
目を伏せたのが綺麗だと、いつか思った
その時も、窓の外を見ながら そっと溜め息をついていたっけ

弾き終わると、苦しいのが少しだけ楽になった気がした
リストらしくないリスト
叩くように鍵盤を弾いて、強い、強い音を出す
そうでもしなければ この切なさをやりきれない
想いを吐き出して、ようやく また想える

氷室を、好きでいたいと

・・・」
ガラリ、とドアが開いた
聞き慣れた声
ドクン、と心臓が鳴った
会う度、見る度 想いは増す
名前を呼ばれるたび、嬉しくて温かくなる

「初めて聴いたな、そんなリストは」
氷室は、そう言って笑った
優しくて、穏やかで、甘くて、ゆるやかなリストの「溜め息」
自分のように こんなに強くは誰も弾かない
「どんな解釈を?」
おかしそうに、クスと笑う唇
こちらを見てる目
あなたを想って弾いていました
忘れたくて、苦しくて、切なくて、消してしまいたくて
なのに消えてくれないあなたを、想って弾いた

あなたのことを考えていた

「リストの溜め息は、先生のテーマソングなんです」
先生は溜め息ばかりだから、と
いつもみたいに そう言った
想いは殺して、
伝えたりしないで、
求めてはいけない、けして与えられないのだから
だから さよならの日まで 好きでいることだけ
それだけでいいと、言いきかせて

「先生なら、どう弾くんですか?」
弾いてみせて、と言ったら 氷室は少し戸惑ったような、何かを考えているような
そんな表情で ゆっくりと歩いてきた
少し伏せた目、
「そうだな、」
つぶやいた唇
ピアノにかけた長い指
卒業まで、好きでいさせてください
求めないように、自分に言いきかせ続けるから

「では私は、君を想って弾こうか」

その言葉は、冗談なのか本気なのかわからなかった
教師は生徒を好きにならないと言うなら、そんな風な言葉 言わないで
氷室は、突然触れて、突き放す
特別じゃないなら、錯角する言葉なんか聞かせないで
あなたは誰かがあなたを好きになるのに 迷惑そうな顔をするけれど
そうやって、そうやって
こんなに好きにさせるのに
まるで特別みたいな言葉を、くれるのに

氷室の長い指が、鍵盤を撫でるように弾いた
柔らかな音が流れていく
男性のピアノ独特の甘い力強さ、繊細な響き
のつたない技術や、世間の解釈をまるで無視した弾き方とは大違いの演奏
多分、誰もがとても巧いと評価するだろう
リストの「溜め息」
CDで よく聴いた曲
優しくて穏やかで甘い曲
だが今 氷室が奏でている音は そんなものには比べ物にならない程に伝わってくるものがある
こんな風なリスト、聴いたことがない

なんてなんて、切ない音なんだろう
なのにどうしてこんなにも、愛しさを感じるんだろう

リストの「溜め息」の意味
それは叶わない恋に心を痛めながらも、愛しさを捨てきれない そんな風な曲なのだろうか
誰かを心から愛する歓びがこぼれたような、
誰かに焦がれてもけして届かないと知っている切なさをこぼしたような、
そんな「溜め息」
あの窓の外を見ながら 目を伏せた氷室の横顔
こぼれた溜め息
あんな風な氷室は、誰かをこれほどに想っているのか

「君を想って、弾こうか」

本気なのか、冗談なのかわからない言葉
こんな風に、氷室に愛されたらどんなに、どんなに幸せだろう
求めた相手が自分に応えてくれるなんて
世界中の人の中らたった一人、自分を選んでくれたなら
どんなに、どんなにいいか
氷室に愛されたい、この曲のように
あの両腕に抱きしめてほしい
強く、強く、抱かれたい

さっきの演奏で、空っぽにしたはずの心の中に みるみるうちに想いが溢れた
弾き終わった氷室の後ろ姿
見つめて、ドクンドクンと心臓が鳴った
振り向かないで
今、振り向いたら もうどうしようもなくなってしまう
求めてはダメと、言いきかせてる
でも間に合わない
いつもみたいに、平静でいられない
隠しきれない
今、振り向かないで、そのままでいて

・・・っ」
ゆっくりと振り向いた氷室の声に、はどうしようもなく彼を見た
心臓の音が大きすぎて、頭が回らない
言葉が見つからない
ここにいられない
今にも大声で、愛してほしいと言ってしまいそうで

「私・・・今日は、帰ります」

巧く言えたかわからなかったけれど、それだけ言うと駆け出した
ダメ、ダメ、
たとえ冗談でも あんな風には言わないで
君を想って、なんて
あんな愛しさの溢れる音を聴かせないで

もう暗い廊下を走って、外に出た
冷たい空気が肌に触れる
それでも熱は引かなかった
息が切れて走れなくなるまで、苦しくて呼吸が乱れるまで、
は走り続けた
心にどうしようもない 熱を抱いて
切なさと愛しさの、両方を抱いて


女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理