君を想って弾く (氷×主)


下校時間のチャイムが鳴っても音楽室の鍵が返されないから、氷室は音楽室に向かって歩いていた
3階の廊下に上がると、ピアノの音が聞こえてくる
単音が響く
このメロディはリストの「溜め息」だ
1時間程前 職員室に鍵を借りに来たが 弾いているのだろうか
メロディの部分たけをポーン、ポーン、と淡々と弾いている
練習中なのだろうか
この曲を、弾きこなせるようになりたいと思っているのだろうか
(リストか・・・)
リストの曲は難しい
何度弾いても納得のいく演奏にならない
何が足りないのだろうと 弾く度に思う
最近は弾いていないけれど、この間コンサートでこの曲を聴いた時に もっと巧く弾けるようになりたいものだと そう思った
(・・・)
時計を見ると下校時間を5分過ぎたところだ
もうしばらく弾かせてやろうかと ふと思った時 音が途切れた
時間に気付いて弾くのをやめたか
ドアに手をかけて 中に入ろうとした時 今度はちゃんとしたリストの「溜め息」の演奏が聞こえてきた
(・・・なんだ、弾けるのか)
のピアノは、彼女の作った曲しか聴いたことがない
いつも 何か思いつくままに適当に弾いては同じタイトルをつけていた
穏やかだったり悲しかったり、
そういうのしか聴いたことがなかった
だから、この演奏はとても、新鮮だった
音が激しくて、強い
リストの「溜め息」なのに、世間一般の解釈を無視している
だんだんと、激しくなって、強くなって、熱さえも感じさせる演奏が続く
(・・・はじめて聴くな、こんなリストは)
可笑しくて、氷室はクスと笑った
一体どういう解釈で弾いているのだろう
優しく、穏やかに、時に切なく、甘く
の演奏には、それらが全く感じられない
不思議だった
そして、とても意外だった
いつも落ち着いていて、ゆっくりした動作で、
淡々と話して、僅かに微笑する
そんななのに、こんな激しいピアノも弾けるんだなと、妙に感心してしまった
まるで情熱的な音
の中にも、こんな風な熱いものがあるのだろうか

やがて演奏が終わると、氷室はそっとドアをあけた
「・・・先生」
がゆっくりと振り向いて こちらを見た
その表情からは、何も読み取れない
いつもの、落ち着いたがいる
「初めて聴いたな、そんなリストは」
少し笑っていった
そうしたら、がわずかに俯いた
「先生のテーマソングです」
「え?」
二人の視線が合った
の目が少し揺れている気がする
「だって先生は溜め息ばっかりついているから」
僅かに笑ったのだろうか
耳の下で切りそろえられた髪が、揺れた
「溜め息、にしては、激しい演奏だったな」
「そう・・・ですか?」
「ああ、あんなのは聴いたことがない
 どういう解釈を?」
しているのか、と問いかけながら 氷室はの表情から目が離せなくなった
切ないような眼差し
それを隠すように、浮かんだ少し強い目の光
「先生のテーマソングだから・・・先生を想って弾いてました」
それだけです、と
その言葉にドクン、と心臓が鳴った
身を裂く期待がまた生まれそうになる
の言葉は、媚薬の響きを持っている
飲み込むと、胸を灼く痛みを生むだけなのに
先生を思って弾いていたなどと、言わないでほしい
そこに特別な意味などないのだから
はいつも、生まれた期待を簡単に裏切ってくれるから
「先生なら・・・どう弾くんですか?」
弾いてみせて、と
が立ち上がったのに、氷室は無意識に ピアノへと歩いていった
「そうだな・・・じゃあ・・・」
そうして、この期待に似た感情を消し去ろうと 冗談めかしく笑ってみせた
「私は君を想って・・・弾いてみようか」

愛しい少女
に出会って 自分は変わった
翻弄されて、悩まされて、戸惑って、気になって、やがて魅かれた
頼りない肩、いつも誰かを探してる目
惜しげもなくこぼれる涙、他人の名を呼ぶ声
広げた両手は あの雨の日に還る翼を欲していて
歌った声は、悲しみに溺れそうなくらい切なかった
少しずつ、一つずつ
を知って、その分だけ欲しくなった
憂いを消してやりたくて、
泣いているのが痛ましくて、
大切なものを失った自分を悔やんでいる姿に、とても心が痛くなった
人は想いをどうやって計ればいいの、と
真剣に考えた少女
求めた代償に、与えられた罰のような悲しみ
だがは溺れずに、閉ざさずに、
いつか強くなりたいと言って前を向きはじめた
少しずつ、笑ってくれるようになって
少しずつ、その目におだやかな光が戻っていった
時々、年相応の無邪気な顔をするようにもなった
の変化の全てが嬉しくて、切なくて
二人で過ごす時間を何よりも求めて、その存在を欲した
死者を想う少女にこれほどに焦がれて、魅かれて
その心に触れて、堕ちていった
こんなにも、誰かを想う熱い気持ちが自分の中にあるなんて知らなかった
自分の全てがに向いている

を想って、弾いた
最近弾いていなかったから、技術は衰えているだろうに
なぜかとても、満足した
響き、音、メロディの流れ
弾いて 気持ちが落ち着いた
溜め息は、君を想うからだ
叶わない願いを抱え、届かない想いをもてあまし、溜め息をつくのだ
君を想うから
を、想うから

弾き終えて、浅く息を吐いた
自分の演奏に 今まで足りなかったのは こういう想いだったのかもしれない
いくら技術を磨いても、そこに感情がなければ人は感動をしない
いくら弾いたって、完璧な演奏にはなりえない
「・・・」
ふと、顔を上げた
我を忘れて夢中で弾いていた
心の中のを想って
この行き場のない、気持ちを込めて
「・・・・」
顔を上げて、氷室はを見た
そして、ようやく我にかえった
本当に、夢中だった
だから、周りがまったく見えていなかった
がどんな顔をしているかなんて、
・・・・っ」
少し離れたところで、は真っ赤になって立っていた
まるで氷室の想いをさらけだした演奏に、
その想いが伝わったのか、それとももっと別の理由なのか
は赤面したまま、らしくもなく動揺した風に言葉をさがしていた
そして、一度だけ氷室を見遣ると 一言
「私・・・今日は・・か、帰ります・・・」
そう言って、そのまま音楽室を出ていった

残されて、今度は氷室が一人赤面した
バカか、自分は と自嘲する
隠していた想いを こんな風にさらけ出しては意味がない
言葉にしなくても、これでは言ったようなものだ
を、想っていると
その、氷室の想いが あの演奏で伝わったのだろうか
あんな風なは、はじめて見た
教師が、自分を想っているなどと にとっては迷惑なだけだろう
困惑しただろう
驚いただろう
それで、言葉もなく出ていってしまった
苦笑が漏れた
どうしようもなく、自分はバカで
無意識の時はなんて、なんて正直なんだろうと 自分で呆れた


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