その微笑に、魅かれている (氷×主)


「氷室先生はつきあっている人がいるんですか?」
相手の言葉に、氷室は驚いてテストを採点していた手を止めた
何を突然、と
相手を見ると、そこには教頭が立っている
「は・・・?」
「実はね、理事長の遠い親戚のお嬢さんが先日ここに遊びにいらしてね」
職員室ではめったに見かけない顔が、嬉しそうに話しはじめる
土曜日の、夕方である
「その時に君を大変気に入ったらしくて
 私は彼女とは何度か食事で御一緒したことがあるのだが、これがなかなか良いお嬢さんでね
 彼女に君のことを何度か聞かれておったりしたんだが」
「はぁ・・・」
いまいち、要領を得ない教頭の話を聞きながら 結局何がいいたいのかと身構える
今日はこれからまだまだ仕事が残っているから さっさとこの採点を片付けて次の仕事に移りたいのだが
教頭はお嬢さんに初めて会ったのはいつ頃だっただの、
彼女の趣味は華道に茶道となかなか風流で、だの
一向に終わる気配を見せない
「それで、それと私に何の関係があるんでしょうか」
「ああ、それでだね、
 そのお嬢さんはさんというんだが、そろそろ結婚でもしようかという年でね
 年は たしか君と同じだったかな」
言いながら、今度は教頭の親戚のオバサンの話になり、彼女が世話好きでどうだとか
さんとやらと先日会って意気投合して仲良くやっていただとか、
やはりダラダラと氷室には関係ないようなうんざりする話が続いた後、教頭はにかっと笑ってこうまとめた
「それでだ、来週の日曜に君に時間を割いてもらってだね
 さんと会ってほしいという話になったわけだよ」
は? と
氷室はうんざり聞いていた話に突然自分の名前が出てきて、慌てて相手の顔を見た
「え? 私がですか?」
「さっきから言っておるだろう
 さんは君を前に見て気に入っておってだな
 それでウチのオバさんが じゃあその縁談をまとめようかって話になってだね」
「縁談?!!!」
途中、自分は話を聞いていなかったのだろうかという程に はしょられた教頭の説明に氷室は思わず声を上げた
何なんだ
何がどうなって、誰の縁談がどうしたって?
「そんなにかしこまらなくてもいいんだ
 一度会ってみて欲しいということだよ
 さんはいいお嬢さんだぞ
 美人だし家柄もいいし、何より明るくて前向きな女性だ」
「いや、ちょっと待ってください
 そんな話困ります、私は結婚する気なんてまだ・・・」
驚きがまだ頭を支配している
何を急に言い出すんだ
そんなどこの誰ともわからない人と突然見合いさせられそうになっている
しかもそんな大事な話を 職員室なんかでしているなんて
「言っただろう
 さんは理事長の遠い親戚だ
 断るとさんに恥をかかせるだけでなく、理事長の面子もつぶすことになる」
「そんなの私には関係ないでしょう」
何を勝手な、と
言った氷室に 教頭は眉間にしわを寄せて一歩近寄った
「私の面子も考えてくれたまえ」
「知りませんよ、そんなのは」
「君、本当にさんはいいお嬢さんなんだぞ
 こんないい話 断るなんてもったいない
 とにかく会ってくれるだけでいいんだ
 あちらさんはもう来るつもりでいるんだし、ここで会ってすらくれないなんてさんが可哀想じゃないか」
どこの誰ともわからない女と突然見合いしろと言われる自分はもっと可哀想だと思いながら
氷室は だんだんと必死に頼み込んでくる教頭の勢いに押されはじめた
「会えばきっと君もさんを好きになるよ
 つきあっている女性なんかいないんだろう? 仕事人間の君のことだから」
(・・・失礼な)
「あんなに楽しみにしていたさんに今さらダメだったなんて私からはとても言えんよ
 氷室先生、たかが一日時間を割くくらいかまわないでしょう?
 本当に一度会うだけでいいから
 今回だけでいいんだよ」
(ああもぅ、なんなんだ)
時計を見遣ると 話しはじめてからもう1時間近くたっている
溜め息が出た
教頭のこの調子では、イエスと言うまで帰らないだろうし
氷室にはこの後も仕事が山積みなのである
「わかりました、一度会うだけでいいんですね」
観念して、氷室は溜め息と一緒にそう言った
理事長の面子も、教頭の面子も、さんとやらの期待もどうでもよかったが
そう言う他 今の氷室には道がないように思えた

やれやれ、と
思っている間に約束の日曜がやってきた
教頭から手渡されたのは ピアノコンサートのチケット
(初対面の人間とコンサート?)
自分は相手の顔を知らないのだから 待ち合わせにも不都合なのに
紹介もなしで、いきなりデートコースかと、苦笑して氷室はコンサートホールのロビーへと向かった
パンフレットを受け取って中を見る
有名な外国のピアニストの名前が書いてあるのに、また苦笑が漏れた
一応、氷室の好きそうなものにしてくれたのだろうか
恋愛映画などでなくて良かったと思いつつ、そろそろ約束の時間を告げそうなロビーの時計に目をやった
相手が自分を見つけてくれなければ、どうしようもないのだが と
思ったところへ、女性二人が声をかけてきた

「氷室さんですね?」
「ああ、はい」
一人は教頭の親戚のセッテイングおばさんなのだろう
もう一人は、長い髪の綺麗な女性だった
彼女がさんなのだろうか
たしかに教頭の言うとおり 美人ではあるのだろうが
「彼女がさんですわ
 堅い席よりこういうのの方が若い人にはいいと思ってね、だから二人で楽しんできてね」
オバさんの言葉に はぁ、と曖昧に返答すると がクスと笑ってこちらを見上げてきた
「無理を言ってごめんなさい、氷室さん
 でも私、今日のことをとても楽しみにしていたんです」
まっすぐにそう言われて、嫌な顔もできず、
氷室は苦笑を飲み込んで 微笑した
「じゃあ、終わったら一緒に食事をしましょうね
 私達は先にホテルにいるから、終わったらレストランまで来てちょうだいね」
満足気にオバさんはかえってゆき、残された氷室は やれやれと覚悟を決めた
仕方がない
1度だけ会うと言ったからには、今日は嫌な顔などしては失礼だろうと
そうして、に視線をやった
「行きましょうか」
「はい」
二人、まるで恋人同士みたいに歩いていく

コンサート自体は とても満足のいくものだった
途中 氷室はこれが見合いだと忘れて楽しんでいたし、素晴らしい演奏に隣にいるのことも忘れそうな勢いだった
だが途中、曲目がリストの「溜め息」になった時
感嘆の溜め息をついた氷室に 隣からが囁きかけてきた
「この曲、お好きなの?」
「え・・・? ああ、はい・・・」
それで、はっとして そういえば見合い中だったと思い出す
この曲は弾きこなすのが難しく、自分自身納得のいく、これで完璧だという出来で弾けたことがない
ゆっくりしたメロディの裏で、早く複雑に動かさなければならない指
軽く、柔らかく、なめらかに、優しく
このピアニストの演奏は素晴らしかった
「素敵な曲ですね、氷室さんは弾けます? この曲」
「一応は・・・」
完璧な演奏を目指す自分にとって、まだまだの出来だが
一応 世間一般にきかせれば「さすがですね」と言わせるだけの演奏はできる
このピアニストのように、心に響くものがあるのかどうかは別として
(そういえば、最近弾いていないな・・・)
思っていると、隣でが笑った
「今度 ぜひ聴かせてください、この曲」
「・・・機会があれば」
曖昧に返事をして、氷室は苦笑した
彼女と会うのは今日だけなのだから、今度もなければ 機会ももうない
思いつつ、こんな場所でそんなことを言わなくてもいいかと思い
氷室は舞台へ目を戻した
素晴らしい演奏が続いている
どうやれば、自分もこんな風に弾けるのだろう

2時間ほどでコンサートは終わった
その後、ホテルに移動して 教頭と、さっきのセッティングおばさんと一緒に食事をし
氷室が解放されたのは、夜の11時を過ぎた頃だった
(・・・もうこりごりだな)
溜め息をつきつつ、歩いていく
街はもう静かで、人通りも少なくなってきている
そんな中、氷室は見なれた景色の中に ぽつ、と灯る灯りをみつけた
「・・・え?」
いつもの喫茶店
こんな時間に電気がついている
閉店時間はとっくに過ぎているだろうに、と
不審に思ってドアに手をかけると それはすんなりと開いた
いつものカラン、という鈴のような音がなる
「・・・先生、こんな時間にどうしたんですか?」
中には、がいた
当たり前だが、客は誰もいない
「君こそ、こんな時間に何をやっている」
「私は大掃除です」
「もう11時だぞ?」
「明日、マスターの赤ちゃんが店に来るんです
 だからピカピカにしとかないと」
笑って、は言った
上機嫌、の様子はそんな感じだった
「先生コーヒー飲みますか?」
「え?」
カタン、と
カウンターに入ったが 棚からカップを出してきた
「いや・・・それは」
さすがにこんな時間に、しかも掃除の最中に悪いだろう、と
断りかけた氷室に がまた笑った
「おごってあげます
 掃除はもう終わったから あとは帰るだけですし」
やはり上機嫌
赤ちゃんが来るのがそんなに嬉しいのだろうか
穏やかな目をしているを見ていると、氷室まで何だか嬉しくなってしまった
大変な一日だったけれど、
思い掛けない偶然に、と会えた
しかも、こんなにも上機嫌に笑ってる
「すまない」
「いいえ」
どうぞ、と
カウンターに座った氷室の前に いい薫りのコーヒーが出された
さっきのホテルで飲んだ 自慢のコーヒーなんかよりずっと美味しいと感じる味
この場所が 氷室にとってはどんな場所より落ち着ける
と二人きりで過ごす時間は、極上の時間
教頭が、いいお嬢さんだからと何度もいったのことも頭から消えた
世間一般にして美人なんだろうけれど、
明るくて前向きで、教養もあって所作も綺麗なんだろうけれど、
人が人に魅かれるのは、そういうところじゃない
心が触れあったり、衝動が生まれたりした時
触れて、触れられて、求めて、与えられた時
そういうのを繰り返して、人は人を好きになるのだから
、君の煎れたコーヒーは、とても・・・美味しい」
ありがとう、と
言った氷室に はそっと微笑した
氷室の好きな、目に光の浮かんだ穏やかな微笑
心が ぎゅっとなった
にこれ程に魅かれていて、他の誰が目に入るというのか
心をこんなにいっぱいにされていて、他に何を受け入れられるか
恋しさに焦がれる程に を想っているのに
どうしようもないくらいに、ばかりなのに

その夜氷室は、穏やかな気持ちで帰途についた
以外は誰もいらない


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