悲しいだけだと思い知る (氷×主)


朝の5時前だった
人は誰も歩いておらず、車は時々通り過ぎるだけの道
前方に見える信号の色を確認しながら氷室は小さく溜め息をついた
本日、朝帰り
助手席には今にも眠りに落ちそうな義人を乗せ、彼の店からマンションへ向かうべく こうして朝っぱらから運転しているのだった
昨夜の7時から開催された 大学時代の同窓会
氷室が参加したのは2次会からで、会場となっている義人の店に着く頃には皆すっかり出来あがっており、
店の営業時間が過ぎても帰らず、深夜になっても飲み続け、
空がうっすらと明けた頃 ようやく怒濤の会はおひらきになったのだった

「あいつらは未だに学生の気分だな・・・」
「たまの息抜きなんだし、まぁいいじゃないか」

ふぁぁあ、と欠伸をした義人を横目で見ながら氷室はまた溜め息をついた
今日もクラブがあるというのに、何が悲しくて朝帰りか
早く帰ってシャワーをあびて頭をすっきりさせたいと思いながらハンドルを握り、
信号が青に変わって、脇に止まっていた車がゆっくりと走り出したのに 少しだけ速度をゆるめた
その時、ふと、視界の端に人陰が過った
黄色い花を抱えた少女

「・・・・・」

通り過ぎる景色と一緒に すぐに遥か後ろへと流れていったその姿
一瞬だったけれど、それが誰だか氷室にはわかった
(・・・こんな時間に何をしているんだ・・・)
デジタル時計は5時10分と表示している
こんな朝早くに、どこに行こうというのか
両手に花なんか、かかえて

(・・・ひまわり・・?)

隣の義人を盗み見した
眠っているのか、起きているのかわからない様子でぼんやりと前を見ている
彼が何も話さないから、何も聞けなかった
今のを見たか、とか
彼女はどこへ向かっているのだろう、とか

義人を彼のマンションまで送り届け、
ヒラヒラと手をふりながらおやすみと言った後ろ姿が消えると 氷室は大きく窓を空けた
少し、息苦しい
ひまわりの花はの好きな花で
その花を好きになったのには、理由があるんだと知っている
のことを いつもいつも見ているから、今さら見間違えたりはしない
ほんの一瞬 すれ違ったあの少女
視界の端に映った横顔と、ひまわり
初めてを見た時からずっと、心に残っている傷跡のような
見ていると切なくなる、あの横顔
こちらなど、見ていない目

(今さら・・・・)

死者は戻らない
そして、だからこそ、永遠に人の心に住み続ける
も一生、彼を忘れないだろう
罪悪感と恋心をいっしょくたにして、その胸に抱き続けるのだろう
夏が来れば ひまわりの花を見て思い出し、
雨が降れば、その面影を探すのだろう
わかっていても、こうして息苦しくなる
の中に、彼が変わらず存在するのだと思い知らされて、苦しくなる

何かに負けたような、敗北感がある

交差点のところに、は立っていた
足下には 先程抱えていたひまわりの花が置かれている
この後、補習かクラブかで学校に行くのだろう
いつものように制服を着て、立っている
その横顔は、静かで、少し切なかった

「・・・

自分のマンションへ戻る道の途中、
声をかけるつもりはなかったのに、気がつけばスピードを落として
気がつけば、開けた窓から呼んでいた
こちらを、向いてほしい
いつも何かを探しているような横顔
その目には自分など映っていないのだろうけれど

、何をしている・・・」
わかっていたけれど、
ここで彼を想っているのであろうことは、見ればわかったけれど
わざわざこんな朝早くにいるのも、誰にも邪魔されたくないからで
供えた花は彼のためで
今、彼を想って 悲しみにくれているのだろうとわかっているけれど

「・・・先生」
こちらを驚いた様子で見たは、わずかの後 少し笑った
「洋平に、お花を」
の口から聞く名前
多分、氷室が一番 好きになれない響き
「そうか」
足下のひまわり
この花のように強くなりたいと、言っていた
心が麻痺するほど、好きだと想った少女
泣いているのも、震えているのも、たまらなかった
この手に入れたいと、今も心の奥で想っている

強く想っている

「先生は?」
「・・・家に帰るところだ」
「朝帰りですか?」

またが笑った
まぁそんなところだ、などと言いながら ぼんやりと別のことを考える
の目には、いつまでも洋平しか映らないのだろうか
こうして ここに立っているということは
その心は彼にだけ、向いているということか
この先もずっと、ずっと、

ずっと

「家に戻るなら送るが・・・」

言った言葉に、は僅かに首を振った
「もう少しいます」
洋平の側に、と
そう言ったような気がした
息苦しさが蘇ってくる
寝ていないから、思考がこんなにもグダグダなのか
溜まって溢れた想いは、どうなるのかと 急にとても苦しくなった

だから今、自分が何をしようとしているのか 氷室にはよくわからなかった

ぱたん、と遠くで音がする
車を降りて 後ろ手でドアを閉めた
不思議そうにこちらを見ているの目
無意識に憂いを探した
出会った頃 何を考えているのかわからなかった少女は、
無表情に似た憂いと、嘆きと、悲しみと、涙を氷室にさらけ出した
淡々と話す空ろな目
何も見ず世界を閉ざしたが、ようやく見せるようになった微笑
相変わらず 何を考えているのかなんてわからなかったけれど
笑ってくれるようになったから
先生、と
あの透き通るような声で彼女が呼ぶ時、その目にはちゃんと自分が映っていると確信できるようになっていたから

だから、ここでに出会ったことは、まるでそれらがなかったことになる程に
の中には 失った彼しかいないのだと、言っているようで
が氷室に見せた微笑も、涙も、全部
まるで作りごとで、

はいつまでも、いつまでも 彼だけを好きなのだと思い知らされたようで

(苦しい・・・)

無意識だった
考えていることは、いつも同じこと
死者にはかなわないとわかっているのに、醜く嫉妬して
自分ではどうしようもないのに、何度も同じことを想って
昨日の飲み会で バカだな、なんて義人に笑われたのも
そんな風に笑ってた彼が 多分まだを好きで だからこそ新しい女を作っていないのも
わかっているし、わかっていてもどうにもならないのだけれど

でも、こんな風に見たくはなかった
痛感させられる
はきっと、自分など見ることはない
想いの行き場などなく、ただこぼれて流れていくだけだと

「先生?」

手を、伸ばした
簡単に届いた少女の身体
どうしようもない衝動
この腕に抱き締めて、壊してしまいたい

いっそ、壊れてしまえばいい
そうすれば、こんな朝に思い出の花を抱えて 彼に会いにきたりなど、できなくなるから
彼のことを考えないでほしい
こんな風に、会いにきたりしないでほしい

衝動に、抱きしめた氷室の腕の中 は、何も言わなくて
身動きひとつせず、ただされるがままになっていた
ドクン、ドクンと
自分の心臓の音が響いて、呼吸の苦しいのに目眩がしそうになる
まるで呪いの呪文みたいに、心の中で繰り返した

壊れてしまえばいいのに、この腕の中で

「先生・・・、私、帰ります・・・」

多分1分もたっていないだろう
の言葉に、我に返った
呼吸をするのを忘れていたようで 身体を放すと同時に深く息を吸った
それで、ようやく冷静になる

「・・・」

冷静になった途端、今度は動揺が身体を走り抜けていった
一体 自分は何をしたのだと、
いくら寝ていないからといって
いくら考えすぎでグダグダになっているからといって
こんな道ばたで、制服姿の自分の生徒を 何の脈絡もなく抱きしめるなど
正気の沙汰ではないと、血の気が引いた
自分はどうかしている
本当に、どうかしている

壊れればいいなんて、願ってしまった

「さよなら、先生」
何も聞かずに、何も言わずには去り
残されて 氷室はただその場に立ち尽くした
コントロールできないこの想い
自分の中で渦巻くのならまだしも、に手を伸ばしてしまうなんて
無意識に、こんな風に望むなんて
触れて、壊して、自分のものにして、それから

それから?

(最悪だ・・・)

の心は 昔の恋人にあるというのに
彼のために供えられた花の前で、この醜態
は何と思っただろう
驚いて声もなく、ただ硬直していたのだろう
抵抗もなく、ただ一言 帰ると
そう言って去った
相変わらず その表情からは何も読み取れはしなかった

悲しいくらいに、この想いは一方的だ

溜め息をついて氷室はひまわりをみつめた
鮮やかな黄色い花、
自分なら、をこの花に例えたりはしない
太陽ばかり向いてこちらを見てくれない花なんて、悲しいだけだと思い知る


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