正体 (氷×主)


不思議な気分だった
朝のHRで、氷室以外の先生が教壇に立ったのは初めてだったし
数学の授業が自習になったのも、初めてだった
雨が降ったり止んだりする窓の外を眺めながら は小さく溜め息をついた
いつだったか、テストの点が悪いと溜め息連発だったに洋平が言った言葉
「溜め息ばっかりついてると、幸せが逃げるよ」
逃げたっていいもん、なんて
言ったら 別に少しくらい逃げたって平気か、なんて
笑ってた人
少しくらい幸せが逃げたって、いつもいつもそれ以上の幸せをくれた人
彼の言葉は、の中にたくさん、たくさん残っている

(・・・やまないなぁ・・・)

問題を解いてみても、
窓の外を見てみても、
時間はなかなか経たなくて、外は雨ばっかりで
はまた溜め息をついた
彼の言葉を思い出しても、彼の笑顔を思い出しても、
前みたいな苦しい想いには縛られなくなった
忘れなくてもいいと、氷室が言ってくれた日から
それは全て全て、君が彼を愛した証だと、言った日から

「先生・・・」

ふと、自分の手首に視線が落ちた
昨日、雨の中、氷室が掴んだ腕
強い力だったから、抗うことなんかできなかった
二人、びしょ濡れのまま、抱き合ってた
氷室の腕に、抱き締められていた

どうしようもなく、温かかったあの時

どうして、氷室はあんな風に自分を抱いたのだろう
洋平ではなく、氷室を探していた自分に 不安のような罪悪感のような
そんなものが身体中を駆け抜けていった
ダメだと思った
氷室を想ってはいけない
求めてはいけない
だから、逃げたのに 追い掛けてきた彼に捕まって

(・・・どうして、追い掛けるの・・・)

抱きしめられた
息もできないくらいに、強く
温かい腕の中で、安心して泣いてしまいそうだった
こんなところで、泣いてはいけない
氷室は欲しいものを与えてくれるかもしれないけれど
甘えてはいけない
彼の行動には、義務と理由があるんだから

(どうして、あんな風に抱くの・・・)

求めたことを、
探したことを、
感じたことを、
忘れなくてはと思った
そうしたら、まるで心を抉られたみたいに痛くて、涙があふれた
どうして、
洋平以外のことで、こんな風に泣けるんだろう
今でも洋平を好きで、
今でも彼への罪悪感は残っていて
この心を占めているのは、誰より誰より彼のはずなのに

(忘れて、全部)

昨日の雨に全部流してしまおうと、
あんなに心に決めたのに
今日 氷室に会っても 求めてはいけないと何度も何度も言い聞かせてきたのに
肝心の氷室はいない
入学して初めての欠席
氷室のいない教室
何かが欠けて、ひどく物足りない
彼の姿も彼の声も、全て全てを
たった今も求めている自分がいる
このまま席を立って、探しにいきたい衝動にかられる

放課後になって、雨は止んだ
誰もいなくなった教室の、教師用の机
それに手を触れて、わずかに息を吐いた
側にいてほしい
自分のことを見ててほしい
けして優しいだけではないその目は、真実を教えてくれるようで
甘いだけではない声も、言葉も
バカな自分をここに留めていてくれる気がする
この現実に
氷室のいるこの場所に

カタン、と
椅子を引いて そこに座った
頬杖をついて窓の外を見遣る
氷室の、そういう仕種の時の、ふせた目が綺麗だと思った
いつも大抵 仏頂面のくせに
時々 ふと 切ないような顔をする
何を想ってるんだろうと、よく考えた
氷室は今、誰のことを考えているのだろうと

静寂を、軽い足音が破った
ドアがあけられ、副担任が姿を現わす
さん、クラブは?」
「・・・今日は休みです」
「あらそう、だったら雨も降りそうだし今日は早めに帰ってね」
「・・・はい」
彼女はの座っている机まで来るとプリントの束をその上に置いた
「傘がないなら、そこに氷室先生のがあるから借りるといいわ
 そのかわり明日、ちゃんと返してね」
「はい・・・」
にこっと、彼女は笑って去っていき
は、その後ろ姿を見送った後 置かれたプリントの束を手に取った
台風が来たときの対処と連絡網とか、
近くの医療センターの地図とか、
そういうもの
台風が来そうなんだったっけ? と
思いながら、なんとなく
なんとなく、それを鞄に入れた

口実が、欲しかっただけなのかもしれない

吹奏楽部の子がよく話してるから、氷室のマンションは知ってる
の家とは真反対の場所
歩いたら、1時間くらいかかるだろうか
今にも降りそうな空の下、鞄をぎゅっと握って歩いた
この衝動はどうしようもない
何もしないでいることが、にはできないでいた
こういう時いつも、自分はバカみたいに行動してる

会いたいと、思った時

自分の中に、二つの感情があって
止めなければと思う気持ちと
会いたいと、走り出す気持ち
両方がまるで喧嘩してるみたいで、身体が心臓のあたりから熱くなる
止めなければと思う方には、理由はたくさんたくさんあって
なのに、会いたいの方には 理由なんかない
わけのわからないままに、また求めてしまっている
いてもたってもいられなくなって、こうして歩いている

「先生・・・」

本当に自分はバカだと思う
電車とバスに乗れば もっと近いのに
引き返そうと思えばいつでも引き返せるように こんな風に歩いて
結局、来てしまうんだから
1時間以上も 悶々と考えつづけて
結局 気付けばマンションの前
オレンジの光が入り口まで綺麗に並んだ 静かな場所

(ほんとバカ・・・)

また、雨が降り出した
鞄がぬれないように庇ながらマンションの入り口まできた
ポストを見つけて その中にプリントを入れて
それから、大きく溜め息をついた
こんなに歩いたら、身体もクタクタで
考えるのにも疲れていて
だから、会いたいなんて言ってはいけないんだと、ようやく冷静になれる
濡れた髪から落ちる雫も冷たくて
昨日の誓いを思い出す
甘えてはいけないと言い聞かせた
頼ってはいけないと誓ったはず
会いたいのは、弱い自分を救ってくれる人を探しているから
氷室が優しいからって、犠牲にしてはいけない
義人のように利用して傷つけてはいけない

そのまま、マンションを出て、オレンジの光の中を歩いた
幻想的な淡い光
もう辺りは真っ暗で、その光は地上の星みたい
ゆっくりと歩きながら、また氷室のことを考えた
無意識に、会いたいと思った

この感情はどうかしてる
コントロールなんて、できっこない程に激しく身を灼く

・・・っ」
呼ばれて、はっとした
振り返ったら、氷室がいた
どうしようもないほどに、心臓が熱い
破裂するんじゃないかと思う程、どくどくいってる
・・・」
戸惑ったような氷室の顔
雨が降ってるのに、どうしてここにいるんだろう
熱があるんじゃないの?
なのにどうして、出てきたりするの
会いたかった人に、会えてしまった
心が騒ぐこの感覚を思い出してしまった

私、先生が好きなんだ

「風邪・・・悪化するから・・・」
うまく言葉が出てこない
氷室から目が離せなかった
どうしようもないこの想い
気付いたら、まるで滝のように激しく落ちて
もうすでに溺れそうになっている
あんなに求めたわけも
あんなに探したわけも
代わりが欲しかったのではなく、慰めてほしかったのでもなく
雨の日に あの人よりも想ったのは

(好きなんて・・・・)

グラグラと、足下が揺れてる気がした
ダメだと思った
こんな風に氷室が来てくれるのも、
いつも見ててくれるのも、気にしてくれるのも、留めていてくれるのも
氷室がの担任で、それが義務だからだ
それが彼の仕事だからだ
勘違いしてはいけない
代わりが欲しいと、慰めてほしいと、
言ったならば その義務から 氷室はそうしてくれたかもしれないけれど
これはダメだ
好きだからなんて、
そんなこと、言えない
そんな想いは、相手にされない

気付かなければ良かった、このバカで身勝手な想いの正体に
自分の愚かさを、これ以上見ないですんだのに

(洋平を殺しておいて 他の人が好きだなんて)

嫌悪した
どうしようもなかった
なんてなんて、バカなんだろうと思った
もう何も考えないで、何も見なければ こんな自分も忘れられるだろうか
こんなどうしようもない自分を、消せるだろうか

「先生、中に・・・入ってください」

帰ります、と
言って 背を向けた
見られたくない こんな自分を
消えてしまいたい、氷室の前から
いろんな感情が渦まいて、どうしようもない
もう、どうしようもない
誰かを想う気持ちなど、自分でどうにかできるものではなく
堕ちていく速度など、気付けば増すばかりなのだから

そのまま堕ちるしか、ないのだから


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