感情 (氷×主)


きらめき高校で教育実習中だという女が、店に来るようになったのは 氷室が少し前に、いつもの吹奏楽の打ち合わせにこの喫茶店を使ってからだった
3日に一度くらいの割合でやってきては、ロイヤルミルクテイーを頼んでソワソワしている
客が入ってくるドアの音に反応して、その度に顔を上げドアを振り返り
目当ての顔じゃないと がったりしたように溜め息をついた
(今日も来てる・・・)
彼女は人見知りをしない方らしく、注文の時とか が側を通った時とかに 時々声をかけてくる
今日は数学の授業あったの? とか
ここからはばたき高校まで、歩いてどのくらいかかるの? とか
「ねぇ、さん」
「はい」
7時をすぎて、店内がガランとする中 今日も目当ての氷室に会えなかった彼女は 片付けをしているに声をかけた
「氷室先生って、普段はあんまり来ないの?」
「時々来ますけど」
「ふらっと来る感じ?
 何か決まったパターンはないの? 何曜日に来るとか」
「ないです」
さっきから、携帯をいじってメールをし続けていた彼女は、それにも飽きたらしく
店内に客がいなくなったのをいいことに、カウンターまで移動してきた
「このお店、何時まで? 」
「7時半です」
普段はもう少し遅くまでやっているけれど、今はマスターがいないから、と
答えたに、彼女は大きく溜め息をついた
「あーあ、今日も収穫なしかー」
目のパッチリした、きれいな人
ポンポン話し掛けてくる様子は、馴れ馴れしすぎるかなとも思うけれど 彼女の明るさをよくあらわしている
あの日が感じた通り、どうやら彼女は氷室に一目惚れでもしたらしく
とにかく会いたいと、
唯一自分の知っている、氷室が現れそうな場所であるここに通ってきているのである
今日でもう、4回目
「私、きらめき高校で教育実習してるの」
「そうなんですか」
カップを洗っているに、彼女はどんどん話し掛けてくる
「私についてる先生は 嫌味できもーい男でね
 数学なんてやってる男はみんなこんななのかと思ってたわけ
 授業もなかなか自分の思った通りにいかなくてきついなぁって思ってた時に 吹奏楽部の打ち合わせがあるって聞いて無理矢理ついてきちゃったの
 気分転換したかったし、顧問の先生とか懐かしかったし」
そしたらね、と
カウンターから身を乗り出して、彼女は一段と大きな声で笑った
「氷室先生に会ったのよ、ここでっ
 もぉわけわかんなくなっちゃって、これが一目惚れってやつかー! って思っちゃった
 数学で吹奏楽で、あんなに格好よくてクールな人って見たことないっ
 大学にもあんなイケてる人いないわよ
 本気でモロ好みで、なんかあれからどうしても忘れられないのよね」
最後の方は独り言みたいに、
溜め息を吐きつつの言葉に、は少し苦笑した
数学で吹奏楽で、格好よくてクール
たしかに、数学で吹奏楽だけれど、
たしかに美形だけれど
初めて見たときには、クールというよりかは冷たそうとか、怖そうとか、感情がなさそうとか
そんな風に思ったものだけれど
あのきれいな顔も表情の乏しさが相まって、何か近付きがたいようなものを感じさせたけれど
(・・・年が近い人はそんな風には思わないのかな・・・)
彼女と氷室の年は、そうたいして違わないだろう
彼女にとって、氷室は難無く恋愛対象になるし、素直に格好いいと言える程 近くに感じるということだ
のように、先生と生徒という立場の違いもない
「学校で人気ない? 氷室先生」
「アンドロイドって言われてます」
「ええー?!
 絶対人気あると思ったー」
(・・・あるのかもしれないけど)
よくわからない、と
はもう一度苦笑した
あまり、周りに興味がなかったから よく見ていなかった
最近ようやく、閉じこもってた世界から抜け出して周りを見るようになったから
だから他人が氷室をどう思っているのかとか
彼に人気があるのか、とか
気にしたことがなかった
の中には、自分の知ってる氷室の姿だけ
怒ったり、心配したり、笑ったり
あんな涼し気な顔して、実は熱いんだとか そんなことだけ
それしか知らない
「ねぇ、氷室先生 恋人いるのかな?」
「さぁ・・・」
彼女の手許の携帯から、メールの着信音が鳴った
わずかだけ視線をやって、それから彼女は携帯を手に取るでもなく言葉を続けた
「ねぇ、聞いてみてよ
 氷室先生に恋人がいるかどうか」
「どうして私が・・・」
「だって私、ここで待ってても会えないんだもん
 氷室先生に会えそうな場所、ここしか知らないし、さすがに学校まで行くのは気がひけるし」
迷惑になって嫌われたくはないのよね、と
伏せた目を、はしばらく見つめていた
誰かを好きになったら、こんな風に色んなことを考えて
この気持ちを知ったら相手はどう思うだろうか、とか
相手は自分のこと、どれくらい好きだろうかとか
嫌われやしないだろうか、とか
どうしたら、好きになってもらえるだろうか、とか
「会いたいなぁ」
とにかく、会いたいとか

(・・・いいなぁ、こういうの)

以前の自分も、そうだった
大好きな人のことを いつもいつも考えていた
洋平を好きだった自分
そんなのことを、彼も笑って好きだよと言ってくれた
それは何て何て、幸せなことだったのだろう
この広い世界には、たくさんの人がいるのに
その中でたった一人、自分を選んでくれただなんて
他の誰でもなく、自分を好きだと言ってくれただなんて

「タイムオーバーだ、帰るね」
「はい、ありがとうございました」

7時15分を指した時計を見て、彼女は席を立った
会計を済ませて出ていくのを見送って、そっと溜め息を吐く
あんな風に氷室を好きになったあの人のこと、氷室も好きになればいいのに
そうしたら、二人はこの世界で結ばれて
唯一の相手になれるのに

「・・・・・」

考えて、何かが胸のあたりでムカ、としたのを感じて はまた溜め息をついた
きれいで大人な彼女
それより少し年上の氷室
お似合いかもしれないけれど、二人並んだ図は、好きになれそうにない気がした
そういうのは、見たくないかもしれない
何故だかわからなかったけど、何故だか急にそう思った

「別にどっちでも、いいけど」

あと15分で閉店
もう客はこないだろうか、と
カップを棚に並べて片付けた
途端 背後でカラン、と音が鳴る
「いらっしゃいませ」
「すまない、こんな時間に」
聞き慣れた声、振り向かなくてもわかる
「・・・今日は遅いんですね」
その顔を見たら、何故か急にまたムカ、とした
なんだろう、
憎たらしいと思う、こんな時間にやってきてカウンターに座ったこの人が

「最近あの人 よく来るんです」
氷室のためにコーヒーを煎れながら言うに、氷室は困ったような顔をした
「先生に会いたいって言ってましたよ」
「・・・会いたいと言われてもな」
「さつきまでずっと待ってたんですけど、もう帰っちゃいました」
「そうか」
よかった、と言わんばかりの口調に ああ氷室はあの人のこと あまり好きではないんだなと感じる
「どうぞ」
「ありがとう」
コーヒーのいい薫りが漂っていく
これを煎れられるようになるのに、随分かかった
マスターみたいにおいしく煎れたくて、氷室が好んで飲んでたような味にしたくて
何度も練習した
いつか、義人が言ってた
その人のことを好きだったら、おいしく煎れられるよって
「美味しいですか?」
「ああ」
穏やかな、氷室の顔
珍しくカウンターに座ってるから、すぐ側で見ることができる
授業中とは違うこの顔を知ってる人は、もしかしたらあまりいないのかもしれない
氷室が美味しいと思ってくれたらいい
言葉にできない位に、感謝している
氷室の存在と、氷室の言葉は 今のを支えている
現実に引き止めていてくれる力、
忘れなくてもいいと言ってくれた言葉、
そして、こうしていつも、見守ってくれていると感じる あたたかさ
(多分、私は、先生がいないと まだ立ってもいられない)
氷室を見るたびに、強くならなくてはと思う
あんな風に、たかが一生徒を気にかけてくれたこと
問題児だったのに、見放さずにいてくれたこと
氷室に与えられた勇気で、自分は今 ここにいる
(だから)
感謝している、とても、とても
言葉にはできないけれど、氷室はにとって確実に特別で
だから こんなことしかできないけど
の煎れたコーヒーが美味しかったり、
ここでの時間が 氷室にとって有意義であったりしたらどんなにいいかと
思っている
まるで祈るような気持ちで

「先生は、恋人いるんですか?」
「は・・・?」
時計は、7時半を越えた
ドアにクローズの札をかけたは、そのままカウンターの、氷室の隣にこしかける
「あの人が、聞いておいてくれって言ってました」
「・・・では、いると言っておいてくれ」
眉間にしわを寄せた氷室の表情に、今度は不思議な感覚が広がっていく
それは、あからさまに、
彼女の想いを受け取れないという意思表示に聞こえる
「本当はいないんですか?」
「なぜ、そんなことを聞く」
「いないなら、つきあってあげてもいいんじゃないかと思ったからです
 彼女 真剣に見えたし、きれいな人だったから」
言いながら、二人がおつき合いをはじめた様子を想像して やっぱりちょっとムカ、とした
なんだろう、さっきから
自分で言っている言葉なのに
「興味がない」
「じゃあ、誰にならあるんですか?」
氷室のような人が興味を持つ相手
誰かを好きになって、誰かに好きだと言ったりするのだろうか
氷室が好きになるような人って、どんな人なんだろう
「・・・・・」
沈黙が、降りた
コーヒーに口をつけて、溜め息を吐く
やっぱり本当に恋人がいるんだろうか
世界でたった一人の、お互い想いあう唯一の人
幸福の相手

「あの人には、先生には恋人がいるって言っておきます」
もう答えようとしない氷室の横顔を見ていると、また憎たらしくなった
涼し気な顔をして、こんなところに座ってるのが 何か無性に憎たらしい
結局、あの人は失恋したのだし

(でも・・・)

でも、もし氷室に本当に恋人がいたとしたら
その人はとてもとても、幸福だろうなと思った
たかだか自分のクラスの生徒ごときに、こんなにも一生懸命になってくれる氷室が
誰より何より大切だと思うその人
どれ程の想いを注ぐのだろうと、想うと今度はチクとした
ああ、どうしてかわからないけれど
その相手を、うらやましいと思った

この感情が何という名前なのか、それは考えなかったけれど


女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理