そして憂鬱は消える (氷×主)


氷室の率いる吹奏楽部が、きらめき高校の音楽会にゲストとして招かれることになった
元々、合同練習や合宿などをよく一緒にしてきた両校だったから、
きらめき高校創立何十周年だかの音楽祭の華として、はばたき高校が招待されるのも、
そこでぜひ一緒に演奏を、と言われるのも 自然な流れだったのかもしれない
この企画自体、氷室は喜んで引き受けた
生徒達もやる気になっており、準備は順調に進められていた、はずだった

恒例になった喫茶店での打ち合わせに、教育実習中だという教師のタマゴが現れるまでは

「私、高校時代は吹奏楽部だったんです」
フルートをやっていたんです、と
現在大学生だという女性は無邪気な顔で笑った
教科は数学で、教育実習の真最中
今日は学生時代に所属していた吹奏楽部の顧問にくっついて、打ち合わせに顔を出してみたのだという
「氷室先生は何を教えてるんですか?」
「数学です」
来週から始まる合同練習のスケジュールが書かれたプリントを手に、氷室は僅かに苦笑した
たまたま、店の側でばったりと会った
いつもなら、打ち合わせ時間の30分程前には喫茶店に着いていて
バイト中のと話したり、打ち合わせ事項の確認をしていたりするのだが、今日は職員会議が長引いて
それで丁度、向こうからやってきたきらめき高校の顧問と会ったのだ
その場で彼女を紹介されて、それからずっと
信号待ちの間も、歩いている間も、
きらめき高校の顧問が煙草を買っている間も、ずっとずっと
彼女は女子高生顔負けのテンションで喋りっぱなし
この店に入っても、そのマシンガントークは止まらなかった
「私も数学なんですっ
 今、2年生のクラスに行ってるんですけど、人に教えるのって難しくって
 数式を覚えてこないと解けないのに、それをせず教科書の見当違いな所をみている生徒が多くて
 ほんと自信なくしてしまいそうなんです」
「はぁ・・・」
店の一番奥の席を目指しながら彼女の話は続く
「だから私、必要な数式を書いたプリントを作って配ったんです
 そしたら今度は、全然違う数式を使って間違った答えを出す生徒が増えて
 結局、問題の意味と数式の意味がわかってないから 解けないんです」
店内には、客は誰もいなくて
静かだった空間に突然飛び込んできた声に、が驚いたように顔を上げたのが視界の端に映った
「いらっしゃいませ」
氷室を確認して、いつものの声がかかる
その間も、彼女の話は続く
「授業の時間って限られてるじゃないですか
 なのに いちいち意味とか教える時間取れないじゃないですか
 理解できる子は一回の説明でわかるのに、できない子には何回言ってもわからないし、
 そもそも本人にやろうという気がないと思うんです」
どうして、こんなに近くにいるのに、そんなに大きな声で話すんだろう、とか
よりいくつも年上なのに、全く落ち着きがないように思える、とか
何より、あの
の歌うような 耳に心地いいあの声に比べたら なんて聴きづらい声なんだろうとか
そんなことを思いながら 氷室は僅かにへ視線をやった
グラスに水を注いでいる の表情は穏やかで優し気で、
それを見たら何故か、急に、彼女の側にいるのが嫌になった

今、と二人きりなら、どんなにいいか

「御注文はお決まりですか?」
落ち着いた の声
メニューを見ている間だけ、彼女の話が途切れた
「私はロイヤルミルクティ」
はい、と
答えるの声、なんて心地いい
「私はコーヒー」
煙草に火をつけながらのきらめき高校の顧問の言葉に、またが答える
カウンターで、マスターが腕まくりをしたのが見えた
ここの景色はいつも通りなのに、一人だけ不似合いに騒々しい
それだけで、なんだか気が滅入ってくる
「先生は?」
問われて、紅茶と答えながら苦笑した
向かいの彼女がを見て、それから氷室を見て、下がっていったに視線を戻した
「氷室先生の学校の生徒ですか?」
「ああ」
誰よりも特別な、
誰よりも愛しい、
もう2年以上も見守っている、生徒だ
の存在は、氷室に知らなかった熱情をもたらした
ここに来て、の姿を見ること
まっすぐに前を向いている視線を、まるで確認するように見守ること
の声を聴いて、と話して、が笑うのに心が動く
いつもいつも、を想っている
そんな生徒だ
「はばたき高校はアルバイト自由なんですね
 きらめき高校は禁止なんですよ、学業の妨げになるっていって
 私もアルバイトしたかったなぁ、憧れですよね、禁止されると余計に」
「そうですか・・・」
「教師って大変な仕事ですよね
 私なんてまだ3日しか経ってないけど、授業の準備とかHRで言うことまとめたりとかで ほんと寝る時間なくなって大変です
 高校生ってなんか冷めてたりして、やりづらいところあるし」
「はぁ・・・」
いつまで、このトークは続くのだろうと思いつつ、
合同練習スケジュールを書いたプリントを二人に渡すと 顧問は煙草を消して手帳をぱらぱらとめくり出した
1週間後から、週イチきらめき高校に通っての練習
最初はパートごとに、続けて通しで音を合わせていく
それぞれの学校から、パートリーダーを選んで練習しやすいよう生徒同士にも練習前の打ち合わせや練習後の反省会をさせる
それを繰り返して、本番へ望む
そんなスケジュールが書かれている
「パートリーダーって懐かしい〜
 私達の時も決めてましたよ、これ
 人数がすごく多くて部長だけじゃまとめきれなかったから大変だったんですよ」
「楽器のバランスが多少悪いですが、それを補えるような曲目を選んでありますから、
 生徒達には その点を重点的に意識しながら練習させるようにして
 各リーダーには積極的に、両校をまとめていく役割を果たしてほしいと思っています」
「そうですねぇ、
 2.3年は顔も知ってますしね、1年は初顔合わせでしたか」
「ええ、うちは今年は15名ほど」
ようやく、打ち合わせができるかな、と
いつもの調子を取り戻した頃には、また彼女が話に割って入る
「氷室先生が全員を指導するんですか?
 新入部員が15人って多いですよね、みんなちゃんと続きます?」
「まぁ・・・うちはほぼ残ります」
「私の時なんて6人もやめちゃいましたよ
 しかもみんな同じ楽器の子だったから あとですごく困ったんですよ」
「・・・はぁ」
今はそんなことはどうでもいい、と
思いつつ、曖昧に返答した氷室に 彼女は得意気に話を続ける
「仕方なく1年が犠牲になって楽器変えさせられたんです
 私もフルートに変えられて、その時はすごいもめました
 私もやめようかって思ったし」
彼女の隣で、顧問がプリントを指して 時間の確認をした
どうやら彼は慣れているのか気にしていないのか、彼女の話を全く聞いていないようで、自分のペースで存在している
「この日の集合は3時で大丈夫ですか?」
「はい、その日は午後で授業は終わるので」
その間も、お喋りは続く
全く聞いていない顧問には見向きもせず、氷室にむかって一生懸命に
他校との練習はそれぞれの部の雰囲気が違うから大変だの
なんとかという曲の時は、先輩と喧嘩して練習にならなかっただの
打ち合わせに入る前ならまだ我慢もできたが、こうも続くとイライラする
いいかげん うんざりして
どうして打ち合わせにわざわざ参加しておいて、関係ない話ばかりしているのか、と
いつものきつい調子で言おうとした時、盆を持ったが こちらへやってきた
「お待たせしました」
そう言って、カップをテーブルへと置いていく
一瞬、彼女の声が止んだ
それで、はっとして氷室は言葉を飲み込み、こっそり息を吐き出した
教室で生徒を相手にするような感じで、注意してしまうところだった
いくらうるさいからとはいえ、相手は他校の人間だ
いくら実習中とはいえ、きらめき高校の関係者
それを 顧問のいる前で自分が注意などしては顧問の気に触るかもしれない
彼女を指導するのは顧問の仕事であって、自分ではない
思い直し、視線を上げた氷室と、の目が 合った
この、うんざりした心境がすっかりバレてしまっているのか
それとも今、憂鬱に似たこの気持ちが顔に出ているのか
氷室の前に紅茶のカップを置きながら、がクスと笑った
それがとても、とても、とても、心を揺らした

ああ本当に、今 と二人きりならどんなにいいか
いつもの静かなこの店の時間、それが欲しい

結局、強引に打ち合わせを進めた氷室と、彼女を全く気にもしない顧問との間で なんとか打ち合わせは終わり、きらめき高校の二人は揃って喫茶店を出ていった
ぐったりと、頬杖をつき 窓からその姿を見送って
氷室は盛大に溜め息をついた
疲れた
女の子のお喋りは クラスの生徒達のノリで慣れているはずだったのに
面と向かうとこんなにも苦痛なものなのか、と
どっと疲れて、手許のプリントに視線を落とした
教育実習は2週間
ということは、来週の合同練習にも彼女は現れるのだろうか
あの調子で自分のことばかり話して、練習を邪魔したりはしないだろうか
周りが見えないのか、空気が読めないのか
一人で喋りっぱなしで、挙げ句 御機嫌で帰っていった様子を思い出し うんざりと氷室は眉をひそめた
元々、騒々しいのは嫌いなのだ
場所も、人も、落ち着いたものの方が好きで
どうしても、どうしても
彼女より いくつも年下なのにどこか落ち着いている雰囲気のと比べてしまう
声も所作も、
贔屓なしで、の方が何十倍も好感が持てる

「お疲れ様でした、先生」

打ち合わせ後も、席を立たずに溜め息連発の氷室に、手が空いたが声をかけた
コト、と
目の前に新しいカップが置かれる
コーヒーの、いい香りが漂ってきた
彼女に辟易していたのがバレバレだったのか、はテーブルを片づけながら笑った
「賑やかな人でしたね」
「そうだな」
「先生のこと、好きみたいでしたね」
「なぜ、そうなる」
眉をひそめると、がちょっとだけ首をかしげて見せた
最近よく見せる、年相応の幼い表情
それを見ていると、安心したような温かい気持ちになる
「だってすごく自分のことを先生にアピールしてたから」
そして、氷室の顔を見て可笑しそうに言葉を続けた
「先生、眉間にしわよってますよ
 店に入ってきた時からずっと、痕ついちゃいますよ」
心地いい言葉、笑い声と揺れる髪
空のカップをのせた盆をもって下がったの後ろ姿を追いながら、
そんなに顔に出ていたかと、少しだけ反省して
氷室はが出してくれたコーヒーに口をつけた
香ばしいいい薫り
そういえば、この店でコーヒーを飲むのは久しぶりな気がする
疲れ果てている氷室へのサービスにマスターが煎れてくれたのだろうかと
カウンターを見遣ると、そこにはの姿しかなかった
そういえば、マスターは途中ででかけてくると店を出ていったっけ
それからまだ、戻っていないのか
「・・・」
ではこれは、
このコーヒーは、が煎れたものなのだろうか
以前、コーヒーはまだうまく煎れられないと言っていたのに
「巧いじゃないか・・・」
つぶやきが聞こえたのか、
それとも、こちらを伺っていたのか、
カウンターの中で、がにこっとはにかんだ
照れたように頬を少し赤くして
「よかった」
そう、わずかに口にして

何だろう、この感覚は
さっきまでの不快感が、一気に消えていく気がする
静かな時間が戻ってきて、の煎れたコーヒーが気持ちを落ち着けて
氷室は ふ、と息を吐いて目を閉じた
身体中に、愛しさのようなものが 溢れている
憂鬱は消えた


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