カノン、カノン、想いを秘めて (氷×主)


木曜日の放課後には、が音楽室にいるのを氷室は知っていた
吹奏楽部も、コーラス同好会も 木曜日は練習がない
音楽室は無人のはずだったが、時折ピアノの音が聞こえて
最近では毎週のように
誰かがおそくまで弾いている
それこそ、下校時間を知らせるチャイムが鳴ってもまだ音は鳴り続けている

、君はチャイムを無視していないか?」
「・・・先生、もう少しだけ待ってください」

その日も、
時間をすぎても一向に音楽室の鍵が返されないのを見て 氷室は溜め息を吐きながらドアを開けた
ピアノに向かっていたが、こちらに顔をむけてそう返してくる
最近毎週 このやりとりをしているな、と思いつつ
氷室は腕時計に視線をやった
「あと5分」
「足りません」
「贅沢を言うな、他の生徒は皆帰ったぞ」
「だって家にピアノないんです」
何をしているのかと聞いたら、この春のコンクールでコーラス同好会が歌う曲を作曲しているのだとか
新入生が5人入って ますますクラブらしくなったのコーラス同好会は、次の職員会議で同好会からクラブに昇格できそうで
それを言ったらは笑って喜んだ
6月にコンクールがあって
それで歌うから聴きにきてくれ、と
言っていたのは つい2週間程前のこと

「あと少しでできるんです
 この曲ができないと練習に入れないから」
「・・・仕方がないな、何時までかかるんだ」
「あと1時間くらいです」
「・・・・届けを出しておく」
甘いな、と
思いつつ、氷室は苦笑して嬉しそうにこちらを見上げたに視線を返した
3年になって、自分の担任するクラス名簿にの名前を見つけた時は 素直に嬉しかった
強くなりたいと言った
そして、その通りに、少しずつ変化を見せはじめている発展途上の少女を、自分の目の届くところに置いておきたいと
そういう想いが心にある
独占欲に近い感情
それを氷室は、否定する気はない

職員室に届けを出して、音楽室に戻った氷室の耳に 何度か聞いたメロディが聞こえてきた
もうほとんど完成しているこの曲
先週は机にかじりついて楽譜に音符を書き込んでいた
かと思えばピアノに駆け寄って、繰り返し弾き、また机に戻りと
慌ただしくやっていた
飽きもせずに、下校時間が過ぎてもなお

(随分、変わった・・・)

その横顔を見て思う
あれほどの痛みと嘆きが、全て消えてしまったわけではないけれど
は前を向いている
少なくとも、強くなりたいと言った言葉に背を向けないよう
必死に、前へ進んでいこうとしているのがわかる
ずっと、ばかりを見てきた氷室には それがわかる

「先生、聴いてください」

氷室が入ってきたのに気付いて、は一度指を止めた
透き通るような声
弾きながら歌いだしたのに、氷室はそっと息を吐いた

ラララ、ラララララ

まるで春のひざしのようなメロディ
優しくて、あたたかい
そんな風景を連想させる歌声

ラララ、ララララ

歌詞は別の生徒がつけるのだと言っていた
来週には、この曲を練習しはじめ
6月のコンクールでは舞台の上で歌うのだ

ラララ、ララララ、ラララララ

心地よい音が、繰り返される
(カノンか・・・)
その横顔を見つめた
もう随分と前から、氷室はから目が離せなくなっている
いつもいつも、を見ていた
憂いだ目、全てを諦めたような眼差し、痛々しい程にこぼれた涙、そして
その哀しさを乗り越えようとしている まっすぐな視線
(君は変わる、君は強くなれる・・・)
旋律が、旋律を追い掛けていく
そのメロディが、なぜか心をしめつけた
まるでこれは叶わないこの想いのようで
ただここで、が進んでいくのを見守っているだけの、自分のようだ
けして二人は交わらない
けしてこの想いは届かない
(今さらだ・・・)
歌う唇、伏せた目、軽やかに鍵盤を奏でる指
見つめて氷室は苦笑した
痛かった冬は終わったのだ
季節が移るように、もまた変わっていく
それを自分が邪魔してはいけない
わかっている
わかっているから、氷室はこうして ただ見ているだけ
それでいいと思っているし、そうでなければならないと自分自身に言い聞かせている

サラ、と
俯いたの頬に、耳の下で切りそろえられた髪が触れた
どうしようもなく、どうしようもなく、魅かれている
息苦しいと感じた
自分の中の感情が、こんなにも激しくなるなんて、想像もしなかった

と出会う前までは

「先生、ありがとうございました」
弾き終えて、は言った
少しはにかんだような表情は、年相応の少女のもの
「コンクールを楽しみにしている」
「はい」
がさ、と
楽譜を掴んで鞄に入れる何気ない動作
そのまま自然に、鍵を手にした氷室に向かっては笑った
たまらないほど愛しいと感じて、どうしようもない程、熱くなった
想いが、行き場なく身体を内から焦がしている
「駐車場で待っていなさい
 私は鍵を返してくるから」
「一人で帰れます、私」
「もう遅い、送っていく」
これがでなくても、
こんな時間まで自分のクラスの生徒が、しかも女の子が学校に残っていたら送っていく
そう自分に言い訳して、氷室は鞄を掴んで音楽室のドアに手をかけたの後ろ姿を見遣った
そう、
自分にできることは教師としてを見守っていくことだけ
だからどうか、こんな日には
の曲が完成して、
その曲をが氷室のためだけに歌って聴かせたこんな日には
(もう少しだけ、)
側にいたい
車で送る、ほんの10分か15分の間だけでも

カノン、カノン、
あの曲は、誰かを想い追い掛けていく 優しく愛しい恋の曲
痛みや激しさからは程遠い、が取り戻そうとしている本来の姿
触れてはいけないと、言い聞かせる
この想いを、この身体の中だけに留めておかなければならないと
氷室はそっと息をはいた


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