all (氷×主)


その日、泣き出しそうな顔でやってきた客は2人目だった
最後のひまわりだといって、小振りの花の咲いたのを隣の花屋の店員が届けてくれた
それをぼんやりと眺めていた
何時間もそうしていて、ようやく
ようやくクローズの札のかかったドアを開けて入ってきた、親友
生真面目な顔をして、目は揺れるようで

「店を開けないのか」
「今日は休み」

いつものようにカウンターの中ではなく、スツールに腰を下ろして座っていた義人に 入ってきた客は声をかける
戸惑いがちに、
そういう表現が似合うだろうか
注意深く?
それとも、言葉を選んで?
「何か飲むか?」
「いや・・・」
いい、と
答えた氷室を無視して、カウンターに置いてあったグラスを取った
氷を投げ込んで、自分が飲んでいるのと同じものを注ぐ
透明な液体が、涼し気にグラスに満たされていく
「座れよ」
突っ立ってないで、と
その言葉に氷室は義人の隣に腰を下ろし、それからグラスを手に取った
こいつの言いたいことはわかっている
そして、自分は賭に負けたのだ

負けて良かったと、心から言えるわけではないけれど

「何でもしてやるよ?」
グラスが空になった頃、義人が口を開いた
ビクン、と
氷室の肩が反応する
あんまりわかりやすくて、思わず笑った
ああ、こいつは変わらない
昔から 義人が大好きなあの一途さをまだ持っている
「賭、おまえの勝ちだ」
「・・・・・」
不機嫌そうに、不本意そうに
氷室は空のグラスを見つめながらうつむいた
まだ酔えないか
じゃあもう一杯
またグラスを満たすと、それを口に運ぶ
そうすることでしか、ここにいられないかのように
言葉にするのを、ためらっているかのように

「・・・これ、ひまわりか」
ぽつり、
しばらくして、氷室はカウンターの花瓶にいれられた花に目をやった
少しオレンジの強い色
小振りのひまわり
「そう」
見遣る目が揺れたのは、この花を好きだと言った少女のことを考えたからか
強く、誇らし気に咲く夏の花
その姿に、同じ少女を重ねたからか

「私、強くなりたいです」

さっき、はそう言った
カウンターのこの花を見て、泣き出しそうな顔をしながら
それでも涙を必死で堪えて、言った
「ごめんなさい、それから、」
震える声で、まっすぐにこちらを見て
恋に傷ついて、自分の弱さに人を傷つけて
それを悔いて、必死に足掻いて、もがいて、ここまで辿り着いた少女
「私、義人さんのこと大好きでした・・・っ」

今、同じ様な、
いや、もっと苦し気に揺れる目をして 氷室がその花を見ている
苦笑が漏れた
おまえは勝ったんだから、何も気に病む必要はない
そして、答えはもうが出している

3杯、グラスを空けて 氷室はようやく口を開いた
「お前ははじめから、こうするつもりだったのか」
どこか恨みがましいような視線、受け流して笑ってやった
「はじめから?
 俺は言ったろ、これでも本気でに惚れてた」
言葉はいちいち氷室を刺激する
眉を寄せ、それから溜め息を吐く
「だったらなぜ、俺にあんなことをさせた」
「久しぶりで気持ちよかったろ、川の水は」
冗談めかしく言ってやったら、奴は何か言いたげな目をこちらに向けただけだった
「それでお前は身を引くのか」
「おまえが拾って戻ってきちゃったからなぁ」
「探せないと、思っていたのか」
「確率は五分五分だと思ってたよ
 取り戻せたらお前の勝ち、取り戻せなかったら俺の勝ち」
もし、あのペンダントを失ってしまったら
の捨てた思い出を全て 自分で埋めてやろうと
何年でもかけて、
何十年でもかけて、
愛を与えて、優しさで包んでやって
いつか傷が癒えるまで
いつか痛みが消えるまで
自分が側にいようと思った
あまりにも、この想いが捨てがたかったから

(本当は最初、癒されたをお前に預けるつもりだった)

親友が想いはじめた少女を、遊びなんかで取る気はなかった
一時の慰めにと
気紛れにつきあいだしたのだから
だって、亡くした男の代わりにと求めただけの関係だったのだから
その時がきたら、さよならをして
また恋ができるようになったを、氷室の前に立たせてやろうと思っていた
おせっかいだと言って、氷室は顔をしかめるだろうけれど

「それも、できないほど、本気でね」
義人は煙草に火をつけて深く吸い込んだ
何度も恋愛を重ねて
相手を愛すること、想いを伝えることに慣れて
だからこそ、自分の存在がに何かをもたらすことができれば、と願った
たとえ 想いは叶わなくとも
たとえ 同じ想いが返されなくても
それでいいのだと、わかっていた
だから、賭をした
捨てるべきではないと思った の思い出
それさえも、が捨てようと必死なのを見て決めた

もし、氷室がそれを取り戻してきたのなら

「昔も言ったろ、もし見つけて戻ってきたら何でも言うこと聞いてやるって」
笑った義人に、氷室が息を飲んだ
それとも呼吸のしそこないだろうか
こちらを見つめて、動けないでいて
それから ようやく、ようやく
それを言いにきたのであろう言葉を口にした

「では、と、別れてくれ」

時が止まったように、店の中は静かで
義人の指の間で燃える煙草の煙だけが、スゥ、と流れていった
「わかった」
くす、と
笑みさえこぼしたのは、氷室があんまりストレートだったから
「何が・・・おかしい・・・っ」
どう反応していいのかわからないといった様子で、言葉をつまらせた親友に義人は笑った
「おまえはそう言うと思ったし、はもっと早くに、そう言いに来たよ」
何を、おまえは遠慮してるんだ、と
それから 義人は手付かずだったグラスを傾けた
からん、と
涼し気な氷の音が、耳に心地よい

7時頃だったかなぁ、と
換気扇を回すために立ち上がりながら、義人は言った
「昨日おまえがズブ濡れになって川に入ってから音沙汰なしだったからな
 ああ、見つけたかなと俺は思った
 だから、今日は店を休みにしたんだ」
おまえとが来ると思って、と
言って義人は換気扇のスイッチを押した後、レコードに手をかけた
「7時頃、が来たよ
 お前と同じ 泣きそうな顔して」
別れにきたんだと、義人は言った
心地よい女性シンガーの声が流れてくる
「強くなりたいと言ってた、その花みたいに
 だから、幻を追いかけるのも、優しさに甘えているのもやめたいと言ってた」
あなたは優しくて、
だからいつか私はあなたに甘えることに慣れてしまって
この痛みを忘れて、バカだった自分をうやむやにして
何もなかったかのように、幸せを手に入れてしまうだろう
それが、恐い、と
は言った
「強い子だと思ったよ
 女の子は、ふとしたことで大人になるね」
惚れなおすな、と
冗談めかしく笑った言葉に 氷室はうつむいてグラスの中の氷を見つめた
何を想っているのか
親友の失恋を、悲しんでくれているのか
が7時で、氷室が11時すぎ
一体何時間待たせるんだと、苦笑した
優しいあいつは、結果を失う義人を 深く深く気づかったんだろう
自分のことのように傷ついているのだろう
今も

「俺の出番はここまで
 明日からは店もやるから、お前の話もたまには聞いてやるよ」
レコードは4曲目を流しはじめた
ああ、好きな曲だとふと耳をかたむける
愛する人の全てを、許すという曲
過去も未来も、想いも罪も、言葉も、涙も、裏切りも全て全て

全て、愛しい

微笑して、義人は目を閉じた
今はこの胸をしめつけるような痛みも、いずれは心地よい甘さにかわると知っている


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