咲かない、咲かない、咲かない (氷×主)


空気の入れ替えに、と職員室の窓をあけると歌声が聞こえてきた
コーラス同好会は人数が4人程増え、週に1度活動している
夏休みに入っても同じ様、音楽室に集まり歌う
それで時々、こういう風に声が聴こえる

(の声は・・・しないな)

ふと、耳をかたむけて 氷室は首をかしげた
ひときわ高いソプラノ
の透る声が、今日は聴こえてこない
バイトでも入って休んでいるのだろうか
それとも、寝坊でもしたか

「・・・・」

くす、と
氷室は笑みを漏らした
校門からまっすぐに校舎へ続く道
そこを小走りに駆けてくる生徒が見えた
夏の暑い日ざしの中、ヒラヒラと制服のスカートが踊るように跳ねる
(珍しいな)
見下ろして、氷室はもう一度微笑した
が走っているところなんて見たことがないかもしれない
寝坊でもしたのだろうか、と
今まさにのことを考えていたから、おかしくて
氷室はだんだんと近付いてくるその姿を視線で追った
ジャージ姿のバスケ部の生徒とすれ違って、少し足が遅くなって、
それから、は右手の方へ顔を向け、そのままゆっくりと立ち止まった

「・・・・・」

夏の昼間、音楽室から聴こえていた声が、ふと止んだ
音のない瞬間
は、右を見たまま動かなかった
何かを見ている
何をみて、いるのだろう

夏は無風の時間が多い
開け放たれた窓からは、熱だけ入って風は一切吹いてはこなかった
呼吸を忘れるほど、氷室はだけを見ていた
そしては、ただいつまでも、その場所に立ち止まっていた

君は何を見ている

「氷室先生、そろそろ窓閉めてください」
ドサ、と
側の書類棚にファイルを戻しにきた教師の声が、氷室の意識を引き戻した
「ああ、はい・・・」
からり、
無意識に、窓を閉め それから時計に目をやった
10分、経っている
感じる時間はもっと短かった
時が止まるなどという感覚に、自分が堕ちるとは思いもしなかったのに
・・・」
ガラスの向こう、まだ立っている少女に視線を戻した
それから氷室は、職員室を出た

時を止める程、君を追う

・・・」
階段を降り、靴箱の横を通り 開け放たれている校舎の入り口のドアを出た
呼び掛けに、は答えない
振り向きもせず、立っている
、そんなところにいると日射病に・・・」
無風、強い日ざし
ゆら、と
一瞬 の足下の短い影が揺れたように見えた
視線はまだ右のまま
そのまま、今度ははっきりとの身体が揺れた

倒れる

そう思って伸ばした手は、間に合った
、しっかりしなさい・・・」
とさ、と
の手に握られていた鞄が落ちて土埃をたて、
小さな身体は、氷室の腕に支えられた
吐息が、漏れる
の唇から、頼り無い声も漏れた

「ひまわり、咲かない・・・」

ぐい、と
氷室の腕から抜け出して、
だがすぐにずるずる、と座り込んだを 氷室は無言で見下ろした
こんな炎天下に長い間突っ立っていたら気も遠くなるだろう
「日陰に入りなさい」
吐き気や目眩があるなら保健室に行くように、と
言いかけた氷室は、
また右を見ているの目に、言葉を飲み込んだ
憂いの目
出会った頃の、何かに嘆いて溺れているような あの目をしている
痛い程に、それがわかった
何故、どうして、今、そんな風な目をするのか
・・・・・」
言葉は続かなかった
の見ている方、視線をやったらそこには園芸部の花壇があった
夏になってぐんぐん伸びたひまわりの花
花壇いっぱいに並んで、
だが この季節になっても どの花も咲かなかった
不思議だなんて、職員室でも噂になっていた
今朝も園芸部が一生懸命世話をしていたのを見かけている

「洋平が、私はひまわりに似てるって言ったんです
 だから私はひまわりが好き
 ひまわりみたいに笑うから可愛いって、言ってくれた
 ・・・・嬉しかった」

ぽつり、
花壇を見たまま、が言った
今にも泣き出しそうな目、ゆらゆら揺れて
の意識はどこか朦朧としているようだった
こんな風に、特別な名前を口にすることなど 今までになかった
洋平、と
呼ばれたその名が、悲痛に響く
「私がひまわりなら、洋平は太陽だった
 どうして、咲かないの・・・?
 ひまわりが咲くの、見たいのに」
は、泣かなかった
白い太陽は、頭上に強く照っている
咲かないのは、雨が多すぎるからかもしれないと
今朝、花壇の世話をしている生徒が言っていた
ふと、それを思い出した
の横顔を見つめながら

太陽を失って、涙を流して、流し続けて

だから咲かないのか
代わりを得ても、癒されないのか
、こちらへ来なさい」
立てるか、と
腕を取ったら は自力で立ち上がった
スカートからぱらぱらと乾いた砂が落ちる
落ちたままだった鞄を拾って、誘導するように腕を引くと は無言で付いて歩いた
無風、セミの声も音楽室からの歌声も聞こえてこない
痛みが、胸を侵していくのを感じた
は少しも、癒されてはいない
あの憂いはまだ、この少女にとりついている
誤魔化しているだけだ、と
胸が痛んだ
咲かないひまわり、
のようだと、思った

いつか君がひまわりのように笑うのを、見てみたい

校舎の中に連れて入ると、はうつむいて立ち止まった
「どうした」
「もう大丈夫です、さっきはちょっとクラっとしただけ・・・」
顔は上げず、手だけを差し出すから 氷室は無言での鞄を渡してやった
「ごめんなさい・・・」
「気をつけなさい」
はい、と
返事はかろうじて聞こえるくらいの大きさだった
うつむいたままの
ここにいることが、痛かった
そのまま、に背を向けて立ち去ろうと思った
歩き出す
ここにも音は、なかった
氷室の規則正しい足音だけ
夏休みの、昼間
誰も通らない、シンとした廊下

「先生・・・っ」

8歩、だった
無意識に数えていた氷室の思考を止めた
反射的に振り返ると、さっきと同じ場所にが立っている
顔を上げて、氷室を見ている
紅潮した頬、目からは涙がこぼれていた
言葉が出なくなる
身体中の血が、熱くなった気がした
が、泣いている
「先生・・・ひまわりこのまま咲かないですか?」
よく透る声
今は涙で震えて
「このまま咲かないの・・・?」

できるなら、駆け寄って抱きしめてやりたかった
その衝動を、意識して押さえた
かわりに、できるだけいつも通りの声で答えた

「きっと咲く」

明日にでも、
そう言ったら は一度瞬きして
それから ひっく、と2度しゃくりあげた
「本当ですか・・・?」
「本当だ」
「どうして、わかるの・・・?」
「どうしてもだ」
の目が、まっすぐに氷室を見た
それから ぐい、と
腕で涙を拭ったは うつむいて僅かに、僅かに

笑った

「先生がそう言ったら、咲く気がします」
の顔は見えなかった
そう言った声は、もう震えてはいなくて
すぐには、身を翻した
氷室とは逆の方向に、廊下を駆けていき そのまま、階段を上っていった
足音が、しばらく響いていた
この無音の空間に


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