君に翼など必要ないはずだと、想う (氷×主)


春になって、新しい制服を着た生徒達が講堂に揃った
入学式の次の日の午後から始まる 各クラブの発表会
それぞれが軽いパフォーマンスをした後、しめくくりとして吹奏楽部が1曲演奏する
毎年それで終わり、生徒達はお目当てのクラブの見学へとでかけていく
そんな流れ
今年は、吹奏楽部の前に のソロでコーラス同好会の発表がある

「緊張しているのか」
「・・・いえ」

舞台袖に立つの横顔を、氷室は小さく息を吐いて見遣った
好奇心や期待の眼差しを舞台へと向けている新入生達
それが、この舞台袖からでもよく見えた
はさっきから 客席の方を見つめて口をきかない
元々、よく話す方ではないけれど
こうも静かだと心配になる
は一人で舞台に立って歌うから、吹奏楽部の部員達とは比べられない程緊張しているのではないか、とか
もし、声がうまく出なかったらどうしよう、とか
自分が歌うわけでもないのに、氷室はさっきから の心配ばかりで溜め息が絶えない

「先生・・・」
「どうした」

が振り返った
いつもの顔色
淡々としていて あまり表情がなく、目は静かに何かをたたえている
ぱっと見て おとなしいという印象を与える生徒
を受け持ってもう1年が過ぎたのか、と
氷室はふと、そんなことを考えた
戸惑うばかりだった最初の頃
雨に濡れた姿に心が不安になった
どうしてこの子はこんな風に、理解できない行動を取るのかと 憤ったこともあった
まるで夢の中にいるように、ゆっくりと動き
声を出さず、視線だけ動かす様子
それに、心が奪われるようになったのはいつからだったか
やがて、の声を聞いて それが忘れられなくなった
透明な、澄んだ、よく通る声
低くもなく高くもなく、小さすぎず、大きすぎず
音楽のようだと思った
必要以外は聞けない声だったから特に、魅かれたのだろうか

魅かれた、と

(・・・何を考えている、私は・・・)
氷室は、苦笑した
クラブ紹介はどんどん進む
側を、野球部のユニフォームを着た生徒が数名通り過ぎた
「どうした」
視線を上げたを見下ろした
こんなザワザワとした場所でも よく聞こえる声
相変わらず、動きはゆっくりでおだやかだった
「先生 溜め息ばっかり」
クス、
が微笑した
捕われる、捕われる心
呼吸を忘れた

いつしか君は、微笑するようになった

憂いだと、気付いたのはいつだったか
を支配しているもの
この雰囲気
そして、何を失えばこんなにも、たった16才の少女が憂いに支配されるのかと
思い悩んだ
氷室がそれを考えたとて、の何を癒せるわけではなかったけれど
「・・・君を、心配しているんだ」
また、溜め息が漏れた
おかしそうに、が首をかしげてみせる
年相応の、幼い表情がその深い色の目に浮かんだ

いつしか君は、そんな風に素顔を見せて、

「私は緊張してませんよ」
「それは、大変結構」
「先生は大丈夫ですか?」
「君に心配される程 小心者ではない」
「小心者だなんて言ってません」

初めて、が感情を露にしたのは、秋のあの日
校舎の前、親友の姿を見た瞬間だった
あの時、何が起こったのかよくわからなかった
大の大人が二人して、泣く少女を前に顔を見合わせた
どうしたの、と
優しくを抱いた義人の横顔が、未だ脳裏に焼き付いている

そして、君は癒されたのか

初めて、あんな風に声を上げて泣くを見た
戸惑った
同時に自覚した感情があった
捕われている、捕われている
「あの人に、似てるんです」
それは直接聞いた言葉ではなかった
義人が笑っていってた
代わりが欲しいなら、それも面白いかと思って

「失った恋人の代わりに、よく似たあなたの側にいたい」

それが君の願いか
そして、君は翼を得たら その恋人のところへ飛んでいくのか
幸せだった、あの頃に?
1年前 教師に配られた新入生の名簿
中学の制服を着て笑ってる、あの悲しみをしらない時間へと?

は、もう一度微笑して、また視線を舞台へと向けた
憂いの横顔
あの暗い影は消えた
だが、それではなぜ、今もなお その目に痛みが浮かぶのか
癒されているのなら、
心から笑っても、いいはずなのに

「先生、出番ですよ」

が言った
よく通る声
心にしみていく

君を想っている、これはそういう感情だともう気付いている

ピアノの前に座って、舞台中央で一礼したの後ろ姿を見つめた
客席から拍手が起こる
何度も何度も弾いた伴奏を 奏でた
「翼をください」
何度歌っても、切ない切ない声になった
どこへ行く
誰を想う
聴くたび 苦しくなった
そんな風に追い求めても、君の失った人は戻らない
義人は、彼ではなく
君は、何も取り戻せはしない

「翼があったら、どこへ行きますか?」

いつか、がそう聞いてきたことがあった
行きたい場所などない
そう答えたら、驚いたような顔をしていた
「義人さんも、そう言いました」
そうして、悲し気にうつむいて、
弱いのは私だけですか、とつぶやいた

弱いのではない、想いが深かっただけだ
そして、それは恥じることはない

「もし私に翼があったら・・・」

は、最後まではいわなかった
うつむいたまま、ずっとそうしていた
流れていく時間、考えていた
もし、自分に翼があったら
この背中に鳥のような白い翼があったら

「君を包み込んでやりたい」

その震えるのが止まるまで
体温など通わない翼でも、ほんの少しなら温かいかもしれない
誰かがここにいるのだと、教えてやりたい
君に

伝えはしなかった
は帰ってゆき、自分は音楽室に一人残った
最後の練習日
想いは自分ひとりのものだと、繰り返した
ただ、守れたらと願った、そして

「だから君に、翼など必要ない」

の声が響く
シン、と聞く新入生達が の向こうに見えた

"翼をください、この背中に鳥のように"

声は、初めて歌った頃と随分かわった
悲しみではない何かを、歌っている
が何を想っているのかは、知らない
その目が今、何を映しているのかも ここからでは見えない
でも、感じる
歌いながら客席に伸ばされたの手は、何かを追いかけ求めている風ではなく
そこにいる者に、何かを与えている そんな

そんな、救いの声

拍手、の一礼、司会のアナウンス
ぼんやりと、それらは通り過ぎていった
舞台袖に戻り 息を吐く
先に立って歩いていたが、講堂へ降りる階段の途中、振り返った

「私、コーラス同好会に入ろうと思ってます」

舞台の上では、吹奏楽部の準備が始まった
客席へ続く扉を前に、が微笑する
ぼんやりと、見つめた
また、夢の中にいるような感じがした

「先生のおかげです」

歌うの、楽しかったと
は言った
それは、が扉を開けて出ていった後も、心に響いていた
何か熱い、衝動に似たものを氷室に残して


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