眼差しの奥に隠されている (氷×主)


音楽教師から、楽譜を渡されたのは11月に入ってからだった
さんの声に合った歌なら何でもいいんだけれど」
本人が何でもいいというから、と 彼女が選んできたのは「翼をください」
コーラス曲の定番で、誰もが知っている曲を選んだのだろう
今から練習をすれば十分に間に合う、と
氷室は楽譜に視線を落とした
氷室の吹奏楽部が月水金
のバイトが火木土、と
聞いてみたら全く合わない二人だったが、決まった以上はなんとか時間をみつけるしかない
少しだけ、心が複雑だった
これは、がやりたくてやっているわけではないから

君の歌が、聴きたかった

一人、誰もいない音楽室でピアノに向かった
今日の放課後、ここへ来るように言ってあるが はちゃんと来るだろうか
バイトがある、と
いつもの顔でうつむいたに、苦笑がもれた
楽譜を渡すだけだから、顔だけでも見せなさい、と
そう言ったけれど 未だは現れない

翼をください

氷室にとっては、一度楽譜に目を通せば難無く弾きこなせるほど易しい曲
奏でて、息をついた
こんな簡単な曲なのに、いい曲だと思える
が歌えば、よりよく聞こえるのだろう
当の本人はまだ、来ないけれど

20分程待った頃、音楽室のドアが開いた
「おそかったな」
「これを借りていたので・・・」
言ったがピアノの上に置いたのは、カセットレコーダー
何のために、と見守ると はガチャガチャと、いくつかのボタンを押した
「先生、伴奏してください
 私、録音して持って帰ります・・・」
あんまりバイト抜けられそうにないから、と
やはりどこか憂いだ目で言ったに、氷室は微笑した
「熱心だな、家でもやるのか」
「・・・恥、かきたくないですから」
こうなったのは誰のせいだ、といわんばかりの視線に くく、と
今度は声を出して笑った
こんな風な、面白くなさそうな顔をしていて
なりゆきでこんなことになってしまったと、恨めしそうに嘆きながらも
こうして、テープに取って持って帰る、と
言うが可笑しくて、可愛くて
氷室は、ピアノに向き直った
がちゃがちゃ、
使い慣れないレコーダーのボタンを色々に押しながら、がコクン、とうなずく
それを見て、弾きはじめた
もう、楽譜など見なくてもひけるこのメロディ

君の歌声が、聴きたい

ガチャ、と
弾き終わると、はテープを取り出して鞄に入れた
同時に音楽室のドアが開いて、事務員が氷室に声をかける
「すみません、氷室先生、お電話が入っています」
急ぎだそうで、と
その言葉に、を見ると はペコリ、と頭を下げた
「ありがとうございました」
「気をつけて帰りなさい」
苦笑して、そう言った
なんて慌ただしい
待った時間の方が長かった、と
ひとりごち、音楽室を出た
は、顔を上げてそんな氷室を見送っていた

電話は10分程ですみ、音楽室の鍵をかけるため戻った氷室の耳に 歌声が聞こえてきた
メロディは翼をください
氷室の伴奏をテープで流しているわけではなく、一人で歌っている
声だけが、美しく響いている

何故か、中に入れなかった
希望に満ちた曲だと思っていた
なのに、が歌うとこんなにも切ない

"この大空に翼を広げ飛んでゆきたいよ
悲しみのない自由な空へ、翼はためかせゆきたい"

何を、そんなに憂いでいる
歌えば声に、何倍もの切なさが浮かぶ
(・・・、君は何をそんなにも・・・)
苦しくなった
切なくなった
の眼差し
最近は、少し心を許して笑ったりするようになったのに
高校生らしい表情を、見せるようになったのに
目を閉じて、思い浮かべた
の眼差しの奥に隠されているもの
痛いほどの、悲しみ

リーーーーーーーーーン、リーーーーーーーーーーーン

ふと、の歌を携帯の着信音が遮った
ホッとするような気持ちになって、氷室はこほん、とせき払いをする
そうしてひと呼吸置いて、ドアを開けた
中で、携帯をいじっていたが顔を上げ、立ち上がる
いつもの、どこか無気力な顔をしていた
だが、自分から話し掛けてくる
「先生、用事は・・・?」
「終わった」
「じゃあ、私帰ります」
「・・・そうか」
は、自分を待っていたのだろうか
ふと、そう思って携帯を鞄にしまう仕種に目をやった
ちら、と
ブルーの星のストラップが目に映る
ドキ、とした
あれはたしか、夏祭りの夜
ゲームセンターで氷室が取ってやった あのストラップではないか
「・・・?」
動きを止めた氷室を、が怪訝そうに見つめた
「いや、何でもない」
「次は、再来週になるんですけど・・・」
「かまわない」
その言葉に、は少しだけ微笑した
眼差しの奥に、痛みが見える
それを感じた
ばかり見ているから、少しの変化もわかってしまう
眼差しの奥に隠されたものまで、見えてしまう

氷室は、の音楽室を出ていく後ろ姿が消えるまで見つめて、それから息を吐いた
その理由を、知りたいと思ってしまった
あんなにも、が憂いでいるわけを、知りたい
聴きたかった歌声は、あまりにもあまりにも、切なかった


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