心にたまる切ないものが、ある (氷×主)


今日、何度目か 廊下での姿を見かけた
いつも同じ3年生の生徒といた
誰だろう
あまり、素行の良さそうではない雰囲気の、頭の軽そうな生徒
はいつものように、ただぼんやりと
何を見ているのか、何を考えているのかわからない様子で立っていて
それに相手は多少なりともイライラとしているようだった

それは放課後、下校時間の過ぎた夕方

「だから、理由を教えてくれたら諦めるって」
半分笑ったような声が廊下に響いている
辺りには誰もおらず、窓から光は入らない
空は薄暗く、今にも雨が降り出しそうにどんよりとたれ込めて重苦しい
「別に今すぐラブラブになれなくてもさぁ?
 つきあってみて好きになってくれたらいいんだってば」
カツンカツン、と
氷室は自分の足音を聞きながら、遠くで聞こえてくる不快な声に顔をしかめた
朝見かけて、3時間目の前の休み時間に見かけて、
帰りのHRの前に、早く教室へ戻れと注意して、そして今

「なぁさん
 オレとつきあってよ、絶対楽しいって」

その時には会話の内容まではわからなかったが、
今この人気のない廊下に声は響いて、彼がに何を言っているのかが全てわかる
そしてそれは、氷室を不快な気分にさせる
「どうして黙ってんの?」
氷室が廊下の角を曲がったのと、パシッという軽い音が聞こえたのは同時だった
「・・・おいっ」
何を見ているのかわからない目
沈んだような深い色
掴まれた手を、が払いのけ それで軽い音が廊下に響いた
「おい、調子乗んなよ」
一瞬、彼の声の調子が変わり その手が今度はの肩に伸びた
頼り無い肩が、男の大きな手に掴まれて それでは男を見上げるようにした
怯えているような、そんな印象を受ける
だが、そう思ったのも一瞬
「・・・何をしている」
ゆっくりと二人に近付きながら 氷室は押し殺したような声で言った
途端にが男の手を振り切って、2.3歩あとすざりうつむいた
「え・・・いや別に・・・」
厳しい教師の顔をした氷室に、男子生徒は曖昧な笑みを浮かべ、それからちらっとを見る
汚らわしい、と氷室は思う
無意識のうちにだが、氷室は生徒を睨み付け 冷たい声で言い放った
「君の行動にどうこう言うつもりはないが、嫌がっているものを無理矢理に引き止めるのはあまり感心できないな
 下校時間も過ぎている、早く帰りなさい」
静かな、
それでも有無を言わさない口調に 生徒は口元に愛想笑いを浮かべたまま もう一度だけを見て それから廊下を歩いていった
「また明日な、さん」
ぼそ、と
の横を通り過ぎる時に聞こえた言葉に また氷室は不愉快になった
何故、などと 氷室にはわからなかったが

「もう遅い、帰りなさい」
うつむいたままのに、氷室は静かにそう言った
はい、と
小さく返事が聞こえて、もまた 彼と同じ方向へと廊下を歩いて消えて行く
「・・・・」
ため息が出る
につきあってくれと言い寄った生徒
の身体に触れた生徒
腹がたったのは、嫌がるのを無理に引き止めているように見えたから
今日何度も そういう場面を見たから
そのどれもが、がうつむいて つまらなさそうで、そこにいることがの意志でないように思えたから
だから余計に、気にかかって、不愉快で、
彼が触れたことに怯えたを見て、何かが腹にたまる気がした
得体の知れない、不快なもの
それは今も、氷室の中にある

が消えた廊下を、しばらく見ていた氷室は やがてゆっくりとまた校内の見回りを開始した
どんより曇っていた空からは、いつのまにか細かい雨が降り出して 静かに音もなく辺りを濡らしている
最後にマスターキーを戻して 氷室は職員室を出た
雨が降ると、あの少女を思い出す
そして妙な気持ちになる
何のせいでこんなにも気持ちが落ち着かないのか、氷室にはわからなかったが
胸騒ぎのような、不思議な気持ちに支配されていたが
それでも平静を保とうと、大きく息を吐いて 校舎を出た
そこに、はいた

薄ぐらい中、正面玄関の光にわずかにてらされて、少女が一人立っている
雨のおと
雨のおと
頼り無い影、少女の存在
ぼう・・と、視界がかすんでいく気がした
雨のおとだけが、はっきりと耳につく

「・・・・・・・・・・・・・」

は、ただ呆然と立っているように思えた
・・・」
引き付けられるように 氷室はへと近付いていく
戸惑いに似た感情が、今は身体中を支配している
どうして、ここにいる
どうして、雨の中にいる
たった今まで廊下にいて
普通に、立っていたのに
そのまま何ごともなく、帰っていったと思ったのに
どうして こんな風に今は雨の中
ほんの一瞬目を離しただけで 手の届かないような場所へと行ってしまうのだろう
は遠い
雨の中、憂いに満ちた目をしているこの少女は遠い
氷室は、イラ、として 思わず声を荒げた

っ」

それで、がこちらを向いた
その目を見たら いてもたってもいられなくて、氷室はただ無意識に側へと寄った
冷たい雨が、頬に触れた

「・・・君は・・・何をしている・・・っ」
すっかり濡れて重い雫をしたたらせる髪
頬をいく筋も伝っていくあめ
目を上げて氷室を見たは、やはりどこか捕らえ所のない表情をしている
辛そうな、今にも泣き出しそうな
「何を考えてる、こんな風に濡れて・・・」
口調がきつくなるのを、自分ではどうしようもなかった
がわからない
この生徒の考えていることがわからない
何を思ってこんな行動をとるのか
こんな風なのは、正常ではない

「そこで転んだんです」

ポツリ、と
は言った
聴く度に よく透る声だと感じる
抑揚のない、淡々とした話し方で それでもは氷室を見上げて言った
「そこで転んで、制服が泥で汚れたので、洗っていたんです」
ポカン、と
氷室は一瞬 の言葉が理解できずに ただその顔を見下ろしていた
したしたと、氷室の頬にも雫が伝う
「・・・転んだ?」
「はい」
の目が、伏せられる
今はもう氷室を見ていない
転んだから、制服が泥で汚れたから、雨で洗っていた
そう言ったのか
泥で汚れたから、と
そんなあとは、どこにも見当たらないのに

「・・・・・・」
どうしていいのかわからず、
その言葉に動揺して、氷室はを見つめた
「先生、濡れるから早くいってください」
もう一度、ゆっくりと顔を上げ目を上げたは、そう言うと少しだけ
ほんのほんの少しだけ 微笑した
そういう風に見えた
「私も帰ります・・・」
ひどく頼り無い表情
それでも、微笑したに 氷室は何も言えなかった
とうすることも、できなかった

雨はしとしとと氷室の身体を濡らす
の姿が消えた後、手にした傘をさすこともできずに、氷室はしばらくそこにいた
5月のあめ
あたたかい雨
頬を伝う感覚
けして、気持ちいいとは言えないもの
幻想的に見えても、同じ場所に立ってしまった今 わかる
ここは、けして夢のような場所ではない
濡れて、身体中が重くて
しめつけられるような切なさが心にたまる
は、一体何を想っているのだろう
どうして、雨の中に立つのだろう

何もわからないまま、氷室は大きくため息をついた
わからないから苦しくて
わからないから切なかった
痛い目で、微笑したの その顔が消えない


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