君の声、まるで歌声のような響き (氷×主)


4月も後半に入る頃、氷室はふと教室の一番後ろの席で、いつものようにどこかぼんやりとしながら授業を受けている生徒を見た
 
彼女を受け持って1ヶ月
生徒達も学校に慣れ、そろそろ個々の個性が出てきた頃、氷室に五月蝿い程かまってくる生徒や、何度も彼に説教や注意を受ける者が出る中 だけはその存在を消すかのようにいつも静かにそこにいた
成績が極めて悪いわけでなく、素行も態度もいたって普通
なのにはまったく打ち解けている様子を見せず、初めの印象どおり、憂鬱そうにそこにいる
そういえば、彼女の声をまともに聞いていないと思いつつ、氷室は教科書に目を落とした
、次の問題を前で解くように」
ふ、と が顔を上げて、それからゆっくりと立ち上がった
の所作
それはひどくゆっくりに氷室には映る
そして、彼女は返事をしない
まるで音のない夢でも見ているようだと、氷室はいつも感じる
そして、また妙な感覚に陥る
、返事をしなさい」
コホン、と
いつも一瞬 我を忘れる自分に苦笑しつつ言った氷室に、はうつむきがちに「はい」と
小さく声を発した
この言葉以外、の口から聞いたことがない
チョークを手にして問題を解きはじめたの横顔に視線をやって、氷室は入学前に渡された生徒達の名簿を思い出していた
映っている悪戯な目の少女
はにかんだような表情
きっと明るくて活発な子なのだろうと想像した
髪の長い、幼い顔をした
(・・・か・・・)
ここにいる少女とはまるで別人
目の前のは、あの写真のような幼い顔つきはしておらず
目にはいつも憂いをたたえている
どうして、と
この1ヶ月 氷室は疑問に思っていた
女の子というものは、思春期に大きな変化を見せるというが、それでもこんなにも、こんなにも変わるものなのだろうか
カタン、と
チョークを黒板に戻し、席へ戻ったを目で追いながら 氷室は小さくため息をついた
わからない
これ程に、戸惑う生徒はだけだ

夕方、急に降り出した雨に氷室はふと、最初に見たの姿を思い出した
下校時間が過ぎると、教室の見回りをすませ、駐車場へと向かう
向かいながら 雨に濡れた少女の あの苦し気な横顔を思う
入学式の朝
まるで幻想的に立っていた少女
サアサアと降る雨の音にまぎれて、彼女の声が聞こえたような気がしたあの日
あれからもう1ヶ月が経つのに、担任である自分は未だまともにの声を聞けていない
クラスの女の子達は、それほどが大人しいとか、うちとけていないとか
そういう印象は持っていなかった
では氷室にだけ?
自分だけが、そう感じるのだろうか
それは彼女が、自分を否定しているからか
「わからない生徒だ・・・」
苦笑した
教師として、自分のクラスの生徒は全て見守っていたいと思う
そして、全員を大切だと思う
だからどうしても、あの苦し気な顔が、何かを憂いだ目が、気になる
が、気になる
「・・・・・・」
のことばかり気にしていたからだろうか
駐車場の向こうの道に、ふと視線をやった氷室は思わず身体を硬直させた
がいる
あの朝のように雨に濡れて、がそこに立っている

しばらく呆然と、氷室はその少女を見ていた
濡れた髪
空を見上げるように上を向いて、少女は立っている
表情まではここから読み取れないが、それでも
やはりは、苦しそうに見えた
「・・・
ゆっくりと、駐車場を横断し、氷室はへと近付いて声をかけた
それで、がこちらに顔を向ける
サアサアという音だけが響き、ゆっくりとの目が自分を映した
「傘もささずにどうした?
 下校時間はとっくに過ぎているぞ」
全身濡れているに、もう無駄かと思いつつ さしていた傘をさしかけると は一度だけ瞬きをして
そして背の高い氷室を見上げるようにした
「・・・すぐ帰ります」
短い言葉
それでも、今まで聞いた言葉のどれよりも長く発せられた声
「そんな格好では風邪をひく
 乗りなさい、送っていくから」
道のまん中に立っている少女を促すと、ふるふると首を横に振り は氷室からふ、と離れた
たったの一歩
それでも、氷室は随分遠くにを感じた
・・・」
「先生の車、濡れるからいいです」
また声が発せられた
雨の音に混じって、でも不思議に透る声
この空間だけ切り取られたような、不思議な気持ちにさせる声
・・・君は・・・大丈夫なのか・・・」
自分でも、何を問いかけているのか
何に対して大丈夫なのか、とか
一体何をしていたのか、とか
どうして、そんな風な目をしているのか、とか
聞きたいことはいくらでもあるのに
それは言葉にはならず、ただ氷室は自分の差し出した傘から出たを見つめた
・・・」
は答えない
ただ、ゆっくりと身を翻すと そのまま雨の道を歩いていった
やがてその、頼りない背は遠ざかる

車を運転しながら、氷室は窓をあけて雨の音を聞いていた
サアサア、サアサア
春の雨はあたたかい
それでも、あんなに濡れては凍えるだろうに
どうして彼女は、雨の中に立つのだろう
彼女の口からこぼれた言葉を思い返してみる
「先生」と、彼女が呼んだのははじめてで、それは少し氷室の心をそわそわとさせた
なんと言い表わせばいいか
透明
この雨のしずくのような色
の声は、大きくもなく小さくもなく
すっと聞こえて心に残る
まるでそれだけで音楽のようだ、と氷室は小さく息を吐いた
もっと聴きたい
それは、ある種の興味に近い感情
氷室の胸には、という名の少女の声が 小さな痕をつけて残った


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